2014年9月14日日曜日

山と海を壊すことが、平和を守るというさもしさ

昨日の赤旗新聞で、辺野古新基地の埋め立て使われる土砂は、奄美大島や徳之島、瀬戸内海の小豆島などの山を削って使うという計画との報道があった。まさに驚きの「公共事業」だ。2020年オリンピックの競技会場でさえ、自然に配慮したやり方をとの合意形成が進んでいるのに、どうした乱暴さだろう。そのうえ新基地建設は、環境影響評価を避けるという姑息なやり方をするという。

いずれにしても、長時間を重ねて造られた自然に爪を立てて削るという行為は、自然の大切さを思うすべての人たちからも支持されないことだし、美観だけでなく地域のさまざまなバランスを崩すことになる。もう、そういう時代ではないと気付くべきだろうし、わかっているのなら一歩踏み出すのが見識というものでないか。

「アメリカのためなら」黙って従うということなら、日本国内のこれまでの自然破壊に対しての批判に、政治の面でほとんどないがしろにしてきたうえに、臆面なくまた重ねた不届き極まることだ。言い方を変えれば、環境破壊の上に進めてきた「日本の公共事業」を、アメリカの軍事行動を意識した「環境破壊」へとステップをすすめたことになる。屋上屋を重ねるとはこのこと。それも最悪の選択だ。

リニア新幹線は、残土の処理も明確にならないまま、強引にすすめられることになっている。行く先が明確になるわけでもなく、事実上造ることだけに意義があるとすれば、経済成長というよりも博打と変わらない。これが、憲法をおびやかして戦時への準備となれば、その範疇よりなおさら問題は大きい。人の生活もそうだが、自然を隷属させて人間の支配下に置こうとしてきた。そのことを今意識しなければならないときだろう。自然界の「リバウンド」はいま大きくなっていると言えないか。日本中に起きている温暖化による「異常気象」災害は、ここに至った原因に素知らぬ顔でほお被りし、自然の現象なのだと一向に顧みないできた結果ではなかったのか。