2015年6月11日木曜日

岩魚に逢えて、楽しみ実感

 5日から、イワナ庵に行くことになっていたので、前日には釣りの仕掛け作りに時間を割いた。この釣りが今年2回目で、連れ合いの「行って来れば」というありがたい言葉がかかった。昨年以来の岩手渓流釣りで、以前なら喜び勇むところ、その意気込みも少々萎えてきている。もう渓流を歩いての移動が危なっかしくなってきたから、なにか先が見えてきたようで、もうひとつ覇気に欠ける。竿を落として失くしてしまったり、転んだ拍子に折ってしまったりする近年は、いかに安全で楽しく渓流に入っていけるかの方に心がけなければならない。

ところが、忘れ物がないようにと心がけたつもりなのに、泊まったイワナ庵に竿を置いて出かけてしまった。まさかこれまでそんなことはなかったのにと、愕然としたところだった。そこでまた「もうこの釣りはダメかな」と弱気が出たところ、竿を余分に持っていたSさんにお借りしてやることになった。自分の竿の調子と違うから随分と慎重に釣って、針にかかった魚をばらすことがなく、反ってよい結果だった。自分ばかりのミステイクでなく、「餌を忘れた」という事件も発生したが、そこは私の方から提供できたので、あれやこれやの弥次喜多道中で、これも釣りの楽しみのうちに収まった。

今回も、小国川の上流部に狙いを定めたが、反応が悪くないので連チャンで行くことになったのだが、それで沢の全体像が見えてきた。小沢に入って結構良い反応だったり、少し釣り場所が違っているだけなのに全然ダメだったりする。先に釣りに入った人がいたことが、一番影響しているのだろう。小沢は釣りの経験による違いは比較的ないものと思うが、流れが大きくなるにつれてどこを狙うかの違いがでる。その場所でいつまで粘るのかという課題が一番肝心なところだろう。「ここはいない」と決めるチャンスを早くつかむことで、次の場所にいくことができれば魚に巡り合える機会が広がる。

同じ沢での一日目の水温は10度で二日目が12度だった。あとで話して分かったが、一様に二日目の方が魚の活性が高かったという印象だった。水温が決定的な事情で魚が釣れないのかということも言えないし、釣り餌の選択も人によって違うことなので、単純に判断できることではない。条件を重ね合わせて何回も経験を重ねて記録を残す以外にないのだろう。魚を釣った分だけ食するというのは古来からの本性だから、獲る楽しみが元気の源になるはずだ。理論的か科学的な分析によるものでなくとも多分それは間違いないだろう。

 イワナ庵のO先生にまた大変なお世話を受けた。イワナ庵の外に出ると、草木の香りがなんともよい心地で楽しめる。これも元気の源だ。満天の星を眺めながら、東京の真昼のような夜空から遠ざかった幸せをかみしめることができて、いややっぱりまた来たいものだと、ふと思った。


30センチに届かず