2020年9月28日月曜日

Withコロナ、パソコンお宅の連日

 やっと晴れた。しばらく雨が降り続いて、コロナ模様に加えて空模様も憂鬱だった。涼しいのはなによりで、昼夜ぶっ通しの冷房からは解放された。本来なら青空が見えて、それだけでウキウキとしてくるような時期なのに、いつまでこの状況が続くのかと、同じセリフが頭の中で繰り返していた。

 まさか現下の影響ではないと思うが、最近パソコン本体の様子がおかしな反応をする。キーボードの打ち込みでも異常が出て、キーのバネがだめらしい。マウスの動きに欠落が出ている。外付けのHDDをパソコンが認識しないことも。どうやら接合部がだめになったらしい。

 本体はまだ劣化するような使用時間ではないが、反応が鈍くなってどうも怪しい。以前のパソコンの使用中に調子がおかしくなって、何回も修理に出した経験からすると嫌な予感だ。

 これから先の人生時間や、周辺機器の劣化状態、コロナ禍のなかで始まったオンライン合評、ほかの会議など使用頻度が上がってきたことなど、考えた末思い切って周辺機器も含めて入れ換えることにした。

 移転作業は何回か経験したものの、写真ファイルの入れ替えに時間がかかりそうだ。憂鬱時間つぶしの遊び相手としてはなかなか良いだろう。

2020年9月20日日曜日

Withコロナ対策のWith写真

 Withコロナと言って、もう終わったことにされてしまってはまずい。どうしても「経済」との同居という意味合いから抜けでられないのだ。写真を撮るのが食事の次の関心事である現在は、コロナ禍での各種の制限にストレスがたまるばかりだ。

 歩き回ってはダメでマスクしないと睨まれ、果ては「自粛警察」の対象とされるなど互いが監視しあい、かつての時代にもこんなことがあったと、余計な想像までする。

 自己都合にこだわらず、現世のすべての事柄が、これまで通りにいかないのは承知しながらも、それじゃあどうするのか。そのスタイルを編みだすことになるわけだ。それがWithコロナということかもしれない。

 先の時間は長くなくとも、ともかく今生きていくということでは、同じ時節にいるのだからいさかいの起きないようにやっていきたいものだと思う。以前の活動にだんだん戻ってきて、三密に注意しながらの再開していくことも、心配なことだけれども、行政に対策をちゃんとやらせることが何といっても大切なことなのだろう。

 「消費活動」が待たれている。そしてともかく写真も撮っていきたい。

最近見たツイッターから



日本のおかしさが分かる。マスコミ人もツイッターは見ているだろうに。

2020年9月14日月曜日

Withコロナ

  様々なウィルスが宿主を伝って増殖を図ろうとするのは、自然界の摂理といえるのだろう。人類にとってそれは「都合が悪い」が悪いこととする。単純に考えれば、経済成長に対する負荷と経費にかかわることになるから。でも時系列では人間がウィルスの世界に土足で踏み込んだ結果ということがいわれている。
 
 アフリカの森林に踏み込んで、野生動物を捕獲して売る、喰うなどの行動を経済活動としてやっている。コロナとの闘い、戦争などみる向きもあるけれども、経済成長を金科玉条に思うことから抜け出せない人間の性というものだろうか。
 
 Withコロナ=共存せよ、我慢せよとの意味合いにもとれる言葉を使っている。コロナ禍を収束させるための医療施設や従事者なり、様々な事業継続を支える資金援助なりへの対策が遅々として渋滞、というよりは「させて」いる節がうかがえるのは、まったくおかしい。
 
 インフルエンザで死亡する方が多い、だから騒ぐなということまで声を上げる輩もいるが、それならコロナによる死亡者がでてきてもやむを得ないし、さしたる対策は不要でいいのだということになり、政治がそういう声も念頭に置くとしたら恐ろしいことになる。
 
 「自粛警察」による監視体制も、不十分な対策だからこその反応なのだろう。Withコロナは、同居すればいいわけではなく、収束が思惑通りにすすんでいくわけでもないことは、これまでのウィルスとのせめぎあいでもはっきりしている。これから先に撲滅ありということでなく、知見をこらしての対応の結果として、共存に向かうということではないか。

9.14東洋経済 ~                                                                                    歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。

2020年9月8日火曜日

支持率38%から50%への「快挙」


 相当にひどい政治が「辞任」によって止まったかに見えた。「闇」と闇を包む寒天みたいな状況がそのままになっているのだから、舞台から降りる決断を歓迎という割り切り方はできない。

 「報いだ」みたいな思いが湧いてくる。病気なのだからと、紳士的に見舞うことだよということを、理あることと思う一方、「体調にかかることの批判、言動」がこんなときにあまりに非人間的ではないかと、特殊な連中の反論が出回ると、正直こいつらめという気がまた湧いてくる。

 「忖度テレビ」がラメでかざるように煌びやかに「総裁選」を演出すると、支持率が急上昇!これはなんだろう。病気に同情して支持率があがる!とは関係者の方々はどんなふうに思っているのかは知らないけれども、そんなことを利用するしかないということでもあるのだろう。

 支持率の高さが「解散選挙」のチャンスだと思っている事だけはわかる。籠ったあげく「敵基地攻撃能力」を備えると、これまた憲法違反の風呂敷を広げる元気さは失われていないらしい。

2020年9月3日木曜日

映画「はりぼて」を観た

 2016年、富山市議会の自民党など「保守会派」10数人が政務調査費を長期にわたって不正に受け取っていたことが明るみに出された。弁解や打消しで逃げようとしたが、地元のチューリップテレビの担当者の追及でついに辞職に追い込まれた。ちいさな「チューリップテレビ」の記者が追及をつづけ、女性問題、架空請求、カラ出張の存在を明るみにしていく。関係市議はいたたまれず次々と辞職していった。ところが2020年になってまだ居座り続ける輩がいる。そして追求した担当者が社を去ることになる…。

 自民党員の割合が日本一のところだそうで、腐った体質が気付かぬままに暗闇の中で動いている。正面から追求したテレビ会社の社員が、疎んじられ排除される構図は、中央政治でも全く同様に起きている。「権力者」によって良心とか正義とか男女平等とか人権ということが、軽んじられている様がドキュメントで描かれるところも、現政権下で起きている「事件」と、ウリ二つの事柄に見える。「長いことの評価」がどこから眺めての見地なのか、改めて考えさせられた。

・映画「はりぼて」
・渋谷 ユーロスペース 9月10日まで
・https://natalie.mu/eiga/film/185169