諸外国並みに女性が国のトップになる時代が日本にもやってきた。女性だからとの期待をかけられると率直に言えればいいが、政治姿勢を見る限りではちょっとそうは単純に言えない。政治を進めるうえで、目の前にあるすべての国民のための課題には×をつけるための「強硬論」が突っ走るのでは、女性であることの意味は感じられない。
女性の地位は言わずもがなで、いまでも多くの場面では男性上位の位置から大きな変化があるとは言えない。今だから特にあらゆる「仕事」に従事する人の不足が生じて、いささか眉唾でもある労働力不足が指摘されるご時世で、活躍のどんな場面でも女性の力も期待される。言いたいのはもちろん組織上では主要な部所はオトコが占めていることであり、国会議員、地方議会議員においてもオトコが圧倒的に占めていることだ。そのなかでも長年政権についている党がとびぬけていることは、その努力はこれっぽっちも見えない。閣僚ともなると申し訳程度に女性を任命するだけで、一体何年続けてきたのか。
社会進出しにくい社会が温存されているなかで、地方議会の首長に女性が選出されることが増えている。伊東市、前橋市の市長が選ばれたのも「女性進出」として歓迎されるべきところ、「反社会的」行動で批判を受けている。残念なことだと思う。選挙では市の政策をめぐっての民意の結果が反映した。両方とも政権党の推薦する候補が敗れたという背景があった。それゆえ、その面からの「攻撃」もあるといえるだろう。
「前橋市長はラブホテルで」などと刺激的に報道しているが、「高松市内のホテルで逢瀬、宿泊」した御仁はすでに、代表職で生き生きと活動している。男女ごとと言えば、オトコに寛容な社会ができ上っている。いま「首相になる覚悟はある」などと言って、何らはばかりない社会がメディアの「努力」によって形成されている。