2025年1月26日日曜日

25日合唱団の演奏会が済んで

合唱団の演奏会が25日にあった。睡眠時間が少なくて集中力も落ちていながら、数日練習レコードを聴きて譜面を眺めていた。当日になってしまって、もうしょうがねーと開きなおって会場へ向かった。午前中にステージで練習をして午後からの本番が始まって、だいたいは練習に近いことができた。(と思うけど)ところどころでつまずいて、お隣さんの音声に助けられた。演奏会までの練習も(高齢ゆえ?)の難しさもあったし、復習も思うに任せなかった。

それゆえ歌の良さを感じ始めてから本番までの期間は短いものだった。演奏会が終わって振り返ると、歌った曲の歌詞の味わいと解釈がこころに残った。曲は評価できるほどの力はないけれども、その構成は多様で生き物のようだ。歌詞のほうは実に素晴らしい。もの見る表現が感動をもってくるような言葉が随所に使われて、全曲の歌詞が日本語のみということからも、日本の言葉の凄さを感じさせられる。

「歌」で世の中が変えられるのかなどとうっすらした疑問が頭な中にずっとあったが、演奏会の感想などでの反響を思うと、言葉は伝えられるという確信がちょっと出てきた。ここまで引き上げていただいた先生とスタッフ一同に感謝です。





 

2025年1月22日水曜日

元気が出るのは新しい環境がいいのかな

高齢者に限るわけではなく誰でも、元気をだすのは「新しいこと」への挑戦が刺激になっていいのかと思う。断捨離を日々心配しているだけでは、「先」の楽しみと夢がなくなってしまう。そんなこというまでもなく、当たり前に考えていることなのかもしれないが、なにせ「つれづれごと」があふれている毎日ではおぼれているようで、息まで苦しくなってくる。

一路後退の道にいくのはあんまりだから、ジタバタとして延命策を考えるのは、希望までにはいかないが当座のやりようとしていいのかもしれない。そんなことを思った写真グループの例会だった。どこの会でも活動が縮小気味で、新しいメンバーをとの思いはあっても、会員が増えることにならない。それで、他会と合同で例会をやろうということになった。

少し緊張気味になるのが幸いして、持ち寄った写真の数も多かった。4月に写真展をやることで会場も抑えられたので、展示作品を選び出す作業が、いつもより集中してできた。やはり「観察眼数」が多いので、様々な見方が出されて充実したものになった。

立川の地で開催する写真展で、実のところ作品を運んでいくのもどっこらしょ状態で、大変だという気持ちが先行していたけれども、賑やかな合評会で力をもらった感じがする。合評会が終わってからの交流会でも、この勢いでやっていかれればいいなと思えた。他会主催の例会にも参加しようかなという気にもなった。かくして、またしても断捨離をものともしない勢いだった。新しい環境とは刺激的で罪なものだ。 




2025年1月19日日曜日

くしゃみが災いの元でなく?

最近、寒さを強く感じて暖房をよく使う。以前はなるべく省エネでとしていたのに、今は耐えられない感じになってなった。朝トイレに行くにもしっかり身支度を整えてから行くようにしている。それにしても、場所が場所だから露にする部分があるのだから長居はできない。

でもそこで新聞を読むのが長年の「たしなみ」で、一日の始まりとしては大事な行事でやり方を今さら変えることは考えられない。くしゃみはそれだから遠慮会釈なくでてくる。朝方だからどこまで聞こえていることやら。

目が覚めた時に鼻づまりを起こしていて、シーパップの影響ではないかと思うけど、鼻詰まりの解消のために反応しているのかと思う。一昨日の診療のときその旨を話したが話題がそれてしまって、相談にはならなかった。

暖房で温かくなるとまた鼻が詰まってくるやっかいなことで、空気が冷たいと通りが良くなる。そのために外に出わけにもいかないし。もう花粉が飛んでいるとのテレビ報道があって、そうかその問題もあるなと気が付いて、昨年残っていた花粉症の薬を飲み始めた。これで少しでも収まってくれるといい。


 

2025年1月16日木曜日

面倒を避けたいけど押しかける「広告」

スマホの交流サイトでも、大量の広告を見せられる。この人にこういう広告はどうだろうと、AIを使って入ってくるらしい。フェイスブックで友人になっている人が、ある広告に「いいね」をチェックすると、友人が見ているよと知らせてくる。正直興味があるものがないわけでもない。クリックして覗いてみるとたいがいは、程度の悪い商品が紹介されていることが多い。何回も見ていると大方は餌に食いつく魚のような気分にさせられる。

消費を促すと言えば聞こえがいいけど、ひっかけるような手法は釣りだけでいい。出てきた広告が「イヤ」であれば、×印からやめさせることはできる。しかし興味がないなら別の広告を入れるというわけだ。こちらは「物忘れ症」に取りつかれているから、忘れていた必要品を思い出させてくれる効果がなくはないが、余計なお世話だと思うほうが多い。必要ならNETでいくらでも検索できる。

迷惑メールもだんだん手が込んで、うっかり内容にアクセスしてしまいそうなこともある。このところ携帯への迷惑電話もくる。番号通知をして正義面をして電話にださせようとする。固定電話は我が家ではついに、「録音する」とコメントをだして直接の応答はしないことにした。電話は相手の番号を記憶するか、電話帳に登録してそれ以外は出ないようにする手しかない。

ソーシャルメディアでは「ファクト」(事実、真実)でない情報が世の中で大手をふるっている。嘘や悪意を先行させれば、正義も何もあったものではない。アメリカの政治も危なっかしいなと思うが他人ごとではない。兵庫県知事の選挙、都知事選の結果は、NETの力が影響をしているのだろうし。民主主義が危ない。そうすると、厭世的になって放り出すというわけにはいかないのかなと思う。でも、物事こなすのに面倒くさいことになっている年寄に、どれだけのことができるのかを思う自分がいる。




2025年1月13日月曜日

志あれば、いくらかの力がでるかな

断捨離を心掛けつつも、なかなかできないものだ。できないのも年のせいにして、働きの鈍い頭と手足を動かして、「抵抗」を試みる。そんなこと考えずに気合を入れてという気持ちの切り替えも、なにか少しずつできなくなってきた。いままでやってきたことを、さっとちょん切ってしまうことも、いいのかなあと別の声も聞こえる。いい加減にしろと折り合いをつけることなく、「めんどくさい」とさようならをする手もあるんじゃないかと思うこのごろ。認知症の気は感じても手足は動くし、食欲もあるからその限りではまだ健常者には違いない。

今月は合唱団の「65周年記念の演奏会」を控えて、練習も大詰めになってきた。「自習」をしなけりゃ間に合わないから、気にだけはしているけどほかにやることもあるし、子供のころの「勉強前の鉛筆削り」みたいにぐずぐずとしている。今はスマホのレコードアプリで音声記録ができて、スイッチさえ入れれば聞くことができる。これが、いつでもできるとなるとまたサボリの虫が動くし、困ったことだ。

でも、練習しているときは、難しいとか理解できないと感じて、ともかく楽しくなかった。それが、練習を重ねて慣れてくると、歌う曲の良さを感じるようになり「楽しさ」がでてきた。合唱がぴたりとはまると、曲と歌詞のすばらしく心地よさが広がる。かつては、この楽しさや心地よさがよく感じられたものだったが、今はここまで来てやっとその境地にはいることができた。じつはもうだめなのかとあきらめかけていた。暗譜が要求されるので頑張ってみるが、やっぱり危ない感があって難しい。



2025年1月10日金曜日

「年賀状じまい」は誰のせい?

日本郵便によると、発行枚数のピークが2004年用の445000万枚だったのに対し、今年は107000万枚。元日の配達数は2022年が103000万通だったが3年で半数以下となった。同社広報部の担当者は「SNSやメールでのやりとりが主になっている。特に今年ははがきの値上げが大きかった」。昨年10月の郵便料金値上げで年賀はがきが63円から85円になった影響を挙げた上で「年始のあいさつを送り合う文化を残していくためにも対応が必要だ」と危機感を口にする。(東京新聞1月7日)

そりゃそうでしょう。「明治20年(1873年)前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事」となったとのことで、それから150年もお付き合いしてきたものだから、正月文化のひとつとして生活に溶け込んできていた。しかし、「年始のあいさつを送りあう文化を残していくために…」といわれても、35%もの値上げをしておいてそんなセリフはない。それこそ民営化などしなければ、これほどのことはなかったのではないか。

社長は郵政、総務官僚出身

千田 哲也(せんだ てつや)は、日本の実業家であり、かつ、郵政総務官僚。株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長を経て、20236月から日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長

赤字でもなんでもない郵政省を解体して民間事業体に変えてしまい、官僚が天下っている組織だから、庶民の痛みなどは考慮の対象はなっていないのだ。まさに日本文化の破壊ではないかな。交流サイトでの挨拶に変えられることほど軽いことでないし、こうして無理やり変更をさせることで、日本の文化がなくなっていくのは、時代の変遷と片付けていのだろうか。










2025年1月7日火曜日

宿のお湯がぬるくって

 冬の温泉はとりわけ魅力があって楽しみにしている。宿について温泉につかってから、夕食前に飲むアルコール類がパターンになっている。最近は缶酎ハイが多いが、乾きものを少しつまみながら、旅一番の至福の時を過ごす。その分、宴会時のアルコールが抑えられる。部屋に持って入った荷物を定位置において、すぐに温泉に入った。ところが湯の温度がいやに低い。かなりじっくり入ったのに、温まらない。女性陣が貸し切り風呂にいったら、やっぱり同じようだったらしい。ああ、これじゃ楽しみが半減だなとみんながっかりした。

 風呂はシャワーのお湯がぬるいと話を聞いて、洗うのは部屋の風呂でということだった。部屋の風呂は最近新しく作った風で、檜風呂(一人用)になっている。仕方なく部屋の風呂で温まることにした。夕食を終えてからも翌朝も温泉には入る気にもならなかった。そのうえ朝は雪がちらついて、温泉が余計に恋しい。

 冗談で話した日替わり温泉にいくアイディアがまとまって、車で出かけることにした。それでも宿のタオルは隠してフロントを抜け出した。少し遠かった温泉は、先頭に近い感じだったが、料金410円とうれしい値段だった。ついでにいつものパターンの道の駅さがしでスマホ検索。行ってみるが正月休みで営業していない。ねばって探して安曇野の「風穴の里」にようやくたどり着き、昼食のソバにありついた。

 宿へ戻って何の気なしに温泉にいってみると、なんと昨日より暖かくなっている。41度ちょっとくらいはあっただろう。日帰り温泉代410円を宿に出してもらおうかの冗談は立ち消えになった。