2024年12月19日木曜日

近所の公園でフウーと息をするとき思うこと

 なにゆえ蜂の巣のような棲家群が高いビルに集められ、夜には人がいなくなる寒々しい事業所ビルがとめどもなく建設されるのか?と公園の木々の下で思う。公園の運動場では子供たちが野球、サッカーをして駆け回っている。フェンスの外では年配のご夫婦や、何かを口に頬張りながらベンチでくつろぐ人の姿もある。保育園の子供たちが、毎日の散歩で巡っている。これが街なんだよなと思いながら眺める。こういう場が増えれば憩いの時間が持てて、鬱陶しい日常にやわらぎの時間を過ごせる。

 中野区は北の区域にJRが通っているから、対局の南側が「都市開発」からは離れた(逃れた)位置にある。中野駅北側は「再開発」でびっくりするような改変が進んでいる。50年も中野に住んでいると、いっぱしの住人だから言わせてもらえれば、中野区は人が長年「棲み処地域」としてきたところだ。ここに企業オフィスや高級マンションの住民を呼び込むような発想ってどんなものだろと思う。

 環状7号線の内側に副都心をつくるなどという、無謀な都市開発を行政の方策とし作り上げた。それを熱心に追及することが行政の役割かと思うほど、不動産業界と「共同」したマッチングで進められてきた。だからこそ政治団体への袖の下(献金)の効き目を感じざるを得ない。

 低層住宅が保全されて公園が広がれば温暖化に対する影響にも効果的なことだと思う。高層ビルは「高層」でないと事業的には成り立たない。高層ビルの従業員人口と居住者人口の増大で公共事業の負担や水、電気ガスはどれだけ使うことになるか、炭酸ガス排出量が多くなることに違いない。夏のビルは「湯たんぽ」だろ?冷房についやすエネルギーが「原発稼働」の理由にされたらたまらないし。

 東京一極集中への批判の声はあまり聞かれない。少なくとも現政治の中では配慮はどこにも見えない。急ぐべき「改修」事情がどれだけあるのかを無視して、「再開発」でいいか。地方が枯れるばかりの偏った開発はおかしい。