2024年9月24日火曜日

涼しくなったら動いて頭脳

 レインボーブリッジの撮影会があって、その原稿を書くことになった。この手の「報告」は早く書く方が記憶に残っていて、書く内容に臨場感が薄れなくていい。だけどこの暑さでどうしても身体の回りが悪いときには、はかどらなくて困る。涼しい環境になってきたから、この機に乗じてやり上げようと、取り掛かった。できた原稿は、ページ一杯になった。書き込むべきページには、撮影会のほかにもう一つ項目があったのに、写真を張り付けたページはそれだけで一杯になってしまった。やむを得ず写真を縮小して、文章の編集をしなおしてもう一つの余白を作った。一度作り上げて「完成」を迎えたものに、また手を加えて推敲しなおしたら思った以上のものに仕上がった。(あくまでも自己評価)。やっぱり推敲とは絶対に大事なものと改めて思った。これでポチっと送信できた。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正後

 9月19日の気温は、運も天も見放したとみえて、涼しくなるどころか集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムゥッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子連れが散歩中。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだ!「第三台場」にまで埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。第三台場に対峙してデンと構えている。

 埋め立てたその上を歩いて「お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。江戸幕府の開国により11か所の台場が6か所に縮小。工事中止となり、二つだけが今に残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)

 170年の歴史の一端をカメラに収めたころは、全身汗だらけだった。浜辺近くでしきりに跳ね上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そう。「行ってらっしゃい」との声に送られて歩き始めたが、余りの暑さでシャッターを押す気力が削がれてしまった。今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っているかのようだった。途中から折り返して南側から見えるはずの富士山に期待したのに、残念ながら見えなかった。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正前(下線は修正箇所)

予報では涼しくなるかということも言っていた。ところが運も天も見放したとみえて、集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子が散歩か何かで歩いていた。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだと少しびっくり。進んでいくと海岸の小枝を拾い集めている人がいる。隅田川を流れてきたものだろうか。「第三お台場」にむけて埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。埋め立てたその上を歩いて「第三お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。史跡になったのが大正15年というが、「黒船来航」で開国を迫られ、あわてた江戸幕府が江戸湾の防備強化をするため、大砲をそなえた砲台場を海上に築いた。6か所(予定では11箇所)の台場が造られたが、開国により工事中止となり、今は二つだけ残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)お台場公園を回って、170年の歴史の一端もカメラに収めたころは、全身汗だらけでゆでだこの気分だった。海浜近くでしきりに飛び上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そうで気の毒だが、行ってらっしゃいと声で送られたが、余りの暑さと下見に来ていたのが禍して、シャッターを押す気力が削がれてしまった。前回は暑い中にも風が吹いていたが、今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っていたようだった。