それほど経ったのかと、時間の流れの速さに驚く。時間がないからと言い訳する気はないけど、日常ではめったに思い出しもしないことが多い親不孝を、詫びる機会を続けて30年近くたってしまった。28年前以上前の記憶に残っている、思い出の供え物を購入して墓に備え花を飾ると、手を合わせた瞬間にいつもいつまで来られるかと独り言を言う。あの世へ行くまでの時間の残りを、想定はできずにいるのだから、しばらくの道程をじっくりと味わうこと以外に手はない。
ともかくこちら側から彼方の先輩へ敬意を表しでご挨拶する。不思議やそうするとなにやら見えないリアクションがある。あるではなく感じる。なにか指人形で話しをやりとりしているような。
おばあちゃんはいじわるで、いたずらをすると娘が言う。墓参りに行く折に車のタイヤをパンクさせたり、よく雨を降らせたりする。今回は寺に入っていく細道が工事のために通れず、反対側から回るのにえらく遠回りをさせられた。寺は当時からするとだんだん小ぎれいになって、新しい墓標が増えている。だから向う河岸も寂しくなさそうなどと勝手なことを思って、しかえしをする。
でもおかげで、山形の大して高くもない山と田んぼが広がっている上出来な風景に溶け込み、自分の故郷であることの安寧を味わい、あっちにもこっちにもある温泉に入ることもできて、心身が休まることが、褒美だろうとかと無理やりつじつまを合わせる。