核兵器を使うとの言葉が戦争当事国から出てくる。今、戦火にある当事国で、片方の任意のきっかけで攻撃する行為が、拡大にいたることが目の前で起こっている。「核兵器」を持つことで脅威に備えることになるどころか、使用することまで眼中にあるのだから、歯止めの意味合いは持たない。軍拡競争で核兵器を増強し軍事同盟を強化しても、世界の「核兵器をなくしていく」ことにはなっていないし、軍縮の課題からも遠ざかってきたことが実相。
目下の「裏金かくし解散」では右往左往しつつ、安全保障環境が厳しくなっていると言って、軍備に膨大な税を導入することを隠さず、「アメリカの核の傘で日本の安全が図れる」と日米同盟を金科玉条にして、「核兵器の共有」も公言。被爆国の歴史と被爆者の長い苦しみにも、見返ることがない有り様は、大きな争点として議論してほしいし、核兵器禁止条約加盟へ一歩進める選挙結果になってほしい。ICBMを買い核シェルターを作って国民の安全をと生活を守るなどと言うけれど、能登の豪雨被害の対応にはまた補正予算を充てておいて、本格的な復興はどうするというのだろうか?住まいや電気や水ではなく、核シェルターやICBMでは安心安全の課題にははまらない。
ノーベル平和賞受賞までの道のりは、武器は「ことば」だった。とてつもない苦労と時間を使って、核兵器禁止条約を成立させるまでにいたった。核兵器をなくしてくのは「核を持つこと」ではなくて、「言論と意見表明」よって実っていくことを再確認したい。