2024年10月26日土曜日

咳と端を鎮める薬が功を奏して(?)便秘の憂き目にあった

 ビロウな話ながら、便通停止で参った。副作用があって⋯と薬局の先生から言われていたのでわかってはいたのに、痰咳の症状が軽くなってからも服用していたがために、不通の状況に落ち込んでしまったらしい。まだ、かるーく咳が出るので念のためと思ったのが失敗だった。七転八倒まではいかないけど、トイレに通い詰めの二日間だった。便意があってもすっきりいかない状態が続いて、ようやく目的達成するまで、気分までもが落ち込んでしまった。

 おりしも知人の別荘で過ごすことになっていたので、意に反してアルコール摂取も控えめだったので、楽しみも半減して残念なことになった。肝臓の方の負担は軽く済んだけれど、気色が悪い時間を過ごしてしまった。帰る日になってようやく開通したあとは、気分が晴れてようやく近所の秋の様子を写真に撮る気になった。

 標高770メートルの位置にある福島の別荘は、今年は周囲の森も寒暖の変動差異の影響で紅葉が起こらず、葉が落ちてしまってとのことだった。寒暖の急変動で体調崩す人が多いと、モーニングショーでも報道していた矢先に体調を崩したのだから、温暖化の影響が我が身にもというこという実証になって、これからどうなっていくか先が案じられる。












2024年10月19日土曜日

症状はコロナではないらしいけど、コロナ入院者は減ってない

10日前にひどい咳と痰がでて、翌朝少し熱が出た。最近になかった状態で近所の耳鼻科に行って薬をもらった。喉が少し炎症しているということだった。症状を説明したのを医師が聞いて、「コロナは大丈夫かな」という判定だった。同じ状態が続くので、出かけるはずだった5回の予定はやむなくキャンセルすることにした。5日後の火曜日にいつも通っている診療所の先生に相談すると、気管支がやられているとの見立てだった。抗生剤をもらって一週間様子を見ることになった。一日3回程せき込み鼻水が出る以外は、熱も出ないのでいるのは薬の効果だろう。半分ぼーっとしながらテレビを見て過ごしているが、コロナの変異株が増えているというニュースが前に言われていたのを思い出してNETで調べてみた。さる医院でコロナ患者の症状をまとめたものがあった。自分の咳、痰、鼻水のほかは該当しないのでとりあえず安心したが、コロナの症状はリエーションがあるらしいから、治るまでは気が抜けない。東京都感染症週報によると(10月7日~10月13日(41週)までの「定点把握対象疾患」集計では「COVID-19」の入院数91となっている。入院数91の年齢別内訳は70歳~79歳が29、80歳以上が39で圧倒的に高齢者が多い。入院合計数では38週96、39週94、40週78、41週91なので入院数にそう変化がなく、安心できない。

単少し歩いたほうがいいかと、しばらくぶりに整形外科に行って膝のリハビリをしてから、コーヒーのリキッド(紙パック)を購入してきた。今日はまた気温が上がって少し汗ばんだ。そもそも寒暖の差で体調を崩している人が多いとのことで、また体調に影響がしないといいと思うけど。



 

2024年10月13日日曜日

「被団協にノーベル平和賞」には驚いたけど選挙戦の議論のテーマに

 核兵器を使うとの言葉が戦争当事国から出てくる。今、戦火にある当事国で、片方の任意のきっかけで攻撃する行為が、拡大にいたることが目の前で起こっている。「核兵器」を持つことで脅威に備えることになるどころか、使用することまで眼中にあるのだから、歯止めの意味合いは持たない。軍拡競争で核兵器を増強し軍事同盟を強化しても、世界の「核兵器をなくしていく」ことにはなっていないし、軍縮の課題からも遠ざかってきたことが実相。

 目下の「裏金かくし解散」では右往左往しつつ、安全保障環境が厳しくなっていると言って、軍備に膨大な税を導入することを隠さず、「アメリカの核の傘で日本の安全が図れる」と日米同盟を金科玉条にして、「核兵器の共有」も公言。被爆国の歴史と被爆者の長い苦しみにも、見返ることがない有り様は、大きな争点として議論してほしいし、核兵器禁止条約加盟へ一歩進める選挙結果になってほしい。ICBMを買い核シェルターを作って国民の安全をと生活を守るなどと言うけれど、能登の豪雨被害の対応にはまた補正予算を充てておいて、本格的な復興はどうするというのだろうか?住まいや電気や水ではなく、核シェルターやICBMでは安心安全の課題にははまらない。

 ノーベル平和賞受賞までの道のりは、武器は「ことば」だった。とてつもない苦労と時間を使って、核兵器禁止条約を成立させるまでにいたった。核兵器をなくしてくのは「核を持つこと」ではなくて、「言論と意見表明」よって実っていくことを再確認したい。




 

2024年10月7日月曜日

ボロがでないうちにするのが憲政の常道?

 貧乏人という言葉も最近は聞かなくなった。格差が広がってある層の人々にはモノが容易に手に入り、億ションを手に入れるとか投資話に乗るとかが簡単にできる。こちとらはだんだん削られていく年金支給額にため息をつきながらこの先を心配しながら生きている。まさに貧乏人だ。金とモノを動かして世渡りする連中にはだから腹が立つ。普通に暮らすというキーワードが夢になって、数十年を暮らしてきた人生がなんだったのかという気が拡大していく。

 「利権」のための政治は極まっていると思うけど、これがなかなか修正していかない。それは己のせいもあるのだろうと、反省はある。昨日言ったことが今日違うという朝令暮改政治は、メディアでも批判されているのも確かで、それだけ怒りが反映いることなのだと思う。その一方で「言ったことの転換は順番をつけてやれば」などと水かけ議論で、結果救いの手を差し伸べる意見が出される。

 9人もの立候補者がでたのが初めてと賑やかさを表するか、これは「民主的」と言いたげな持ち上げに使われている節もある。早期解散戦略はボロ隠しというのが正解だという批判があまり聞かれなかったのがちょっと残念。

 振り返れば、都合の悪いときには憲法に違反して50日以上も国会を開かなかったこともある。国会軽視はずっとあったことだった。いかにして目先をそらすか騙しおおせるかということ、これがいつまでも通用するようではまずいと思う。

 最近携帯電話にも「迷惑電話」がかかるようになってきた。番号が漏れてなんらかのリスト化がされていることがあるのだろう。知り合いの電話番号は連絡帳に全部登録してあるので、番号通知のないものは応答しない。かかってきた番号でNET検索すると、どんなことで電話番号が使われているのかがわかる。だいたいは、しつこい勧誘とか振り込め詐欺に使われているのが多い。