2013年3月20日水曜日

釣りの会の民主的運営


 Facebookからブログのネタを採ろうと思ったら、うまいネタがつかめなかった。夕食が済んでから片づけをして、釣りの会の会議に出かけた。遅くなってすでに始まっていて、今月と来月の行事についてと、一か月の間の諸行動の報告を順番にこなしていた。

 いつも思うのだが、自分も含めて、民主的とか民主主義とかと言うものが、はたして身についているのかとよく思う。釣りの会議とて、民主主義的運営で進められるべきであり、進め方の技法が見につかないと、話し合うべき事柄について、いったりきたりして、まえになかなか進まないことがよくある。たかが、趣味の会なんだから、多少の難しいことは追求せずに、言いたいことを言うというのも、否定されるべきでないと思う。

 だが、何年同じことを繰り返しても、同様の時間がかかるのがなんとも妙だ。どうしてなのかと考えるに、やっぱり民主主義の技法というかやり方が、身ついていないのではないかという気がしている。社会生活の上では、職場では「上意下達」が当たり前だ。一番良い結論を求めて意見を交換することは、社会の在り様になじんでいない。

 いや逆さまで、良かろうと思う事柄も、さる有力者の意見で曲げられるということがままある。だいたい「民主主義」というワード事態、日常使う言葉でないのだから。そうなると、やっぱりある団体やグループの同一舞台では、交通整理にあたる議長や司会が重要な働きをすることになる。そうであっても、意見を出す方がかみ合わせる内容を、キチンと表明するということも大切になってくる。

 枝葉末節の話だが、今日は会議の開始時間についての議題があった。630開始がいいのかというテーマだった。職を持っている人は少ないが、そこをポイントにすると早いので、やっぱりこれまでどおり、745開始という結論にはなった。結論は悪くはないが、これは何年も前に同じ論議をして決めたことだった。こういいうことでも、記憶にないかあるいは、忘れていているならもう一度確認するというのも民主主義のうちなのだ。そう思う方が、議会でもないフツーの団体の民主主義だとするほうが、穏やかなことなのかもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿