沖縄戦没者追悼式で小学校二年の子供が朗読した「平和の詩」がすばらしい。
~せんそうがこわいからへいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいおとさないように なくさないように わすれないように~
虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
沖縄戦没者追悼式で小学校二年の子供が朗読した「平和の詩」がすばらしい。
~せんそうがこわいからへいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいおとさないように なくさないように わすれないように~
さあ朝だと、煩いマウスを外してスマホを見るとまだ5時半だった。また寝るほどでもないかとそのままツイッターを眺める。ツイッターを見て「なるほど」と思う記事を読む。それを残すのを仕事の一つにしている。忘れてもいいようにと考えて。忘れるのは高齢者の特権だと強弁しつつ、念のためついでに記録に残すことに努める。
スマホとパソコンには、「メモ」をとる機能(アプリ)がたくさんある。なにかの仕事をするために必要不可欠な道具なのだ。四角いメモ帳、附箋的なもので、ちょっとした言葉を書き込んでおくのにとてもよい。我がスマホとパソコンはほとんどが同期されているから、「メモ」が残っていることは間違いない。新聞の切り抜きも記録として取り込んでいるから、自分ではスッキリ整理しているつもりでいる。
とはいえ、どんどん増えてゆき、パソコンの記憶装置の中にはたくさんの「記録」が留まっている。だいたいその「記録」がどこに残されているのかも、時間が少し経つと忘れてしまう。テレビでよく放映される、「片付けができなくて部屋中だけなく家の外にもゴミのビニール袋を積み上げる」。それにほぼ近い。
煩わしいマウスを外したら快感。快感に感謝して毎日洗浄して干す
予報によると日曜だけは雨が降らないらしい。晴れマークではなく太陽がちょっとのぞく…。朝のところは予報があたっている。窓から入ってくる風がカーテンを揺らしているから、天気が変わるのかな。天気予報はスーパーコンピュータに物理法則に従って予測数値を出させ、予報士が修正するのが主流だというから、あくまでも人間が判断をする。
下駄を放り上げてとはならないにしても、ある程度は自分が判断することになるのかな。これから出かける時間帯に雨が降るのかどうか、空模様を雲の動きくらいは見ているし、気温予測があっても窓を開けて、体感の結果で何を着て出かけるかを決める。少なくとも自己判断が最後にきめるとなると、これも「自己責任」となるのだろうか。予報に当たりはずれがあるのは、スーパーコンピュータに蓄積されているデータに不足があるのか、予報士の経験値を超えるなんらかの異常があるのか、気候変動、温暖化の影響が組み込まれているのか?などと、余計な心配事をしている朝。
気温低下で一度は枯れ、復活したものの今度はきれいに刈り取られた。それでも復活したフキ。
2022.04.06
一息というより、「息切れ」風の幕。受付当番以外も7日間通い詰めて「入江ゼミ展」を無事に終えた。来観者は500人(修正600人)くらいにはなっただろうか。講師を入れて19人の写真を取り外して撤収しながら、これは一人ではとてもやり切れないことだとつくづく思った。2年間はWEBでの代替えだったから、やりがいを感じたことはもちろんあるけれども、疲れ果てたという「充実感」も残った。膝だけでなく股関節まで響いてきた。ここまでくることで、様々な「至らぬ点」と、ちょっぴり「良かった点」が浮かび上がるのは、見に来て下さった方々の反響によるもの。とりわけ大きな節目になって、これから先の糧にさせてもらえることがうれしい。疲労が頑張りに転嫁していけるかどうか、心配がないでもないけれども、ともかくいったんはほっとさせていただこう。
3日は突然の豪雨だった