2024年5月31日金曜日

空を見上げりゃ妙な雲

 6時前に目が覚めた。雨がパタパタとどこかに当たって落ちている。外の空気は冷たさそうだが家の中はまだ、夜間の熱気が籠っているようだ。起きた時少し多めに開ている窓から、冷えた風がスーッと入ってくる。そういえば台風が近づいているんだったな。昨日のうろこ雲のような雲はそのせいだったか。

 子供のころは広場(身長が低かったから広さを感じていたのかもしれない)が遊び場として、今のような車の危険性もなくて、のんびりと座って空を眺めて遊んだこともあった。雲の形が何に似ているかを想像することも遊びのひとつだった。鬼ごっこや缶蹴り遊びのあとに…。

 いまはよっぽど空が狭くなって、余分な建物やらが幅を利かしているから、隙間から空を見上げても、気持ちが穏やかになることなどはずっとなくなった。それ以上に妙な雲行きと妙な形が幅を利かしている。田舎の方では田んぼに植えられた稲がピンと姿勢を正していることだろう。線状降水帯とやらの新規参入者が大手を振って、あちこちで被害を出していかないように願うのみだ。











2024年5月26日日曜日

葛西臨海公園「水辺のエリア」最後の見学会


 SNSfacebook)で見た「葛西臨海公園の樹木伐採」。いよいよ工事にかかるのか、その前に事態をみようという集会があったらしい。知っていれば行ったのにと半ば思い、でも体調が付いていくのかという気もした。体調がそんなに悪いというわけではないけれども、「それ行け」みたいにすぐ立ち上がる元気はでてこない。それはともかく、「木を切る」という公園は、神宮外苑、日比谷公園、千代田区でも街路樹を切ろうとしていて、住民が監視をしているというSNSが発信されている。都市開発との対比で現れている現象だ。都内でもあちこちですさまじい開発・建設が行われている。
 
 葛西臨海公園も東京都としては、外注者におもねてか直接関与を避けている。これだけの「寒暑」にさらされてその原因除去の対策が求められているときに、「暑さ寒さも彼岸まで」などと言った鷹揚さではとれも通じないものだろう。政治たるものきちんと現実を見て対処が必要だ。決して「ひとり一人が」とか「私たちが」といったすり替えに等しい言い逃れに乗っているわけにはいかないし、済まされない。

 かつて東京都は「緑の倍増計画」という政策をもった。ヘリコプターを飛ばして「緑」の面積をはかったうえで暦年比較するというものだったが、いったいどうなったのだろうか。現在「新たに進める緑のとりくみ」が挙げられていて「都市づくりのグランドデザイン(平成29年9月策定)で示す都市像の実現に向け、今ある貴重な緑を守り、あらゆる場所に新たな緑を創出するため、 東京が進めるみどりの主な取組をまとめたもの」が提示されていて、「これ以上緑を減らさない」ということがコンセプトになっているらしい。「木を切ること容認」は自ら提起していることに、まったくの後ろ向きということではないのだろうか。

東京が新たに進めるみどりの取組

東京が新たに進めるみどりの取組


2024年5月19日日曜日

なんかねーもう終わりの始まりか

いよいよ義父と同様かと思いつつ不愉快と寝不足の頭を振って起き上がると、血圧も上がっている。もう終わりの始まりなのかと思うと、どこかの国の政府のことだといいと、すり替えてみて憂さを晴らしたくなる。

腰が痛ぇ―なんて叫んでもだれも同情なんかしやしない。だってよく聞かれることだから。歯医者に行って、弱った歯の浸み具合はどうかと問われ、ほぼ大丈夫だったと答えると、清掃だけして次回は3カ月後になった。帰りがけに歯は落ち着いているけど腰が痛いと話すと、患者さんが最近とよく言っているのだと返ってきた。

口に出しても楽になるわけじゃないからと思うのについしゃべってしまって、言っても仕方がないことに念を押されたようだった。でも痛いものは痛い。診療所で痛み止めをもらっても、なるべく飲まないようにして、痛くなったらやむを得ず飲むようにして「自己管理」でやるも、二日薬を飲まないとだいたい痛みが出てくる様子。

でも薬がこんな効き方をするのだろうか。目覚めも半ば腰の痛みで目が覚める。寝不足感がなんとも不愉快で、悪いときにはもう寝る気がなくなる。すっきりした空でも眺めて⋯




2024年5月12日日曜日

むかしの話が多くなってきた~イワナ釣りと山菜~

いまどきは、釣りに行こうと胸をドキドキしていた昔。支度は仕掛けを真っ先につくる。春先で木々が変化してくるときだから、新しい葉や小枝で仕掛けがよく絡まって消耗する。その支度から始まって、渓流の岸で仕掛けを竿につけてエサをかけて第一投をするときが、わたくし流春のセレモニーだった。ほかの釣りでも同様、支度が釣り活動の始まりになる。本当は「行こうか」と思った時からかもしれない。

渓流で釣りをはじめてからは、魚の反応有り無しでダメなときは徐々に気持ちがしぼんでいく。釣れないことはままあるが、結果(「釣果」という)がよくないときは、誰かが釣りをした後だとか、天候がどうだとか腕前はさておいて誰かの「せい」にする。どうしたらもっと釣れるかという反省をしないと、釣りでも上達はしないのに。

悔しいから「また行こう」という気分を醸造させる。初期の渓流釣りのおりは、山菜がよく顔を出しているので、釣りはあきらめて山菜取りに鞍替えすることも楽しみを広げる。この時期の元気の源はそこにあったのだろうと思う。先日の旅で只見線の車窓からみえた渓流の情景を見て、イワナの生の匂いを感じたのはそのせいだったか。





 

2024年5月9日木曜日

写真撮って満足感が味わえれば⋯

意気ごみだけはなんでも撮ってやろうと身構えている。以前はそうでもなく、撮る?何撮る?うーん行くか、よっこらしょ、みたいな身体の重さを伴っていた。旅行で訓練したせいか今はどこでもなんでも簡単に撮るようになっている。近所でも公園、お寺、ビル街、神田川などを歩く。ただし体重は変わらないし(アルコールのせいだろうな)、経年劣化でいささか鈍くなった身体をなだめながら歩き回ることになる。

先日退職者会の旅で只見線に乗る催しがあった。列車の旅なのだから、歩き回ることはない。知らない景色を次々に移動して見せてくれるのだから、こんなに楽なことはない。車窓から眺める景色は春まだ浅い山と川の様子を映し出していた。新幹線ではまったく考えられない、速度のゆっくりした列車から撮るのは、やや早めのシャッタースピードであればよかった。

少しコツがあって、カメラを構えたまま、眼を進行方向にむかって流し目にして、よさそうな景色が目に入ったら、窓の正面で撮るようにして、その場で2,3回はシャッターを押した。右側、左側を行ったり来たりしながら結構な忙しさだった。列車では80枚撮った。撮った当座は見返すゆとりはなくて、懸命にシャッターを押すだけで、写真を味わうのは家に帰ってからの楽しみになって、パソコン医取り込んでからオオなかなかいいじゃないか、と自己満足の骨頂に浸ることになった。

とりわけ車窓から眺める破間川、只見川の残雪をかかえた景色は素晴らしい。かつてのイワナ釣りを連想させてのことかもしれない。その合間から時折見えるサクラはまだ淡い色で、春まだ浅い雰囲気を堪能させてくれた。日頃ビルばかりしか見えないところから自然の懐に飛びこんで、味わえたことだった。













 

2024年5月5日日曜日

写真サイトの拡張しなくちゃ

退職者の写真サイトに、写真がたくさん送られてきて、更新するのが忙しい。写真を撮るのは出かけたとき、近所の散歩したときなどで、目に触れたものを切り取って送ってもらっている。短いスライドショーにまとめて、一件落着型でおくってくれる人もいる。特には花の写真が多くて、居ながらにして季節感を味わえるのが余禄になって楽しい。

写真を撮るのは他人に見せる、伝えることが前提になっている。自分がいいもの見たら伝えたいと思うのは当然のように思う。様々なことを伝えるのは人間の営みとしても、大仰に言えば歴史の伝達にも必要不可欠なことなので、その一つの形態として写真や映像が手段になっているものではないかと…。言葉とはもう一つ違った、優れた「伝道」手段でもあるだろうか。そこまでくれば写真は、文化の一つの貴重なものという理解にもなる。

写真撮影は、デジカメラからスマホカメラに拡張したことで、写真の世界がずっと広がって「天孫降臨」みたいなことになっている。スマホカメラによる写真展も出てきている。「良いもの」が人の目に触れるという機会が与えられて、良いものは評判が湧きでる。「良いもの」にこだわる必要はないとも思うが、人目にさらすことになればそういったこともでてくる。そこいらは境目かもしれない。

写真展を会場を借りてやるのは費用が掛かるし、準備もそれなりの労力も必要だから、それだけで敷居が高い。WEBサイトであれば安価にやれる。しかし無料でやるのには制約がある。このところ退職者会の写真サイトへ思った以上の写真が集まって、更新が連日のようにあった。無料でできるWixサイトを使って作る「写真展サイト」は、容量に限度があってすぐにいっぱいになってしまう。3つ目のサイト(3つ目は開店準備中)にまで拡大しているが、これも限度が近い。有料切り替えをしろとしょっちゅう宣伝が入ってくる。3つ目のサイトは何とか作れそうでもいずれはということになりそうで後がない崖ぷっちにたたされた。

以前はやっていた有料のホームページでの作成も対象にして、方法を考えてみることも選択肢かと試してみた。でもそれは費用が掛かることであり、「写真展」に特化したものだと編集方法の使い勝手もよくない。費用の額にも寄ることもあるかもしれないが、適当な良い方法がいまのところ見つからない。

  少子化対策を年金からもというアホなことを言う。社会保障にも年金にも効果的な手を打ってきたのか?2日の公園は保育園の子供たちでにぎわっていた。