2024年9月30日月曜日

森のクマさん

 🎵ある日森の中 熊さんにであった 花咲く森の道 熊さんに出会った~

クマが「人里」に現れて食糧を探すというニュースがあちこちにある。昨年一年では198件もあって、人が襲われるということが多くなったと聞くと、クマの顔つきがだんだん悪く印象付けられる。ダークダックスのこの歌は、意識されていたかどうかはわからないけれども「共生」状況を捉えたものだろう。

「共生」は口で言えても簡単にはいかないことが多いのは確かで、クマの問題に寄らず存在する。いま人間の側がクマの被害者になっているのは、人間側が人以外の自然界への介入が原因とみることができる。秋の食糧の実りが悪いのは、なにより温暖化の気候変動が影響している。そのうえ山が放置状態になっているところが多くあり、山里の環境=高齢化農業放棄も、クマの生活エリアを広げる原因になっている。

クマによる被害は、加害者がクマであっても、人間の側のこれまでの所業を考えると被害者の顔だけでいるのは厚かましいと思う。でも今の状態を解決するのは容易ではない。人の「戦争」であれば止めることは、物理的には可能で「止める局面」を作り出せればいいが、相手がクマでは同じ土俵がない。

クマの生息数が増えているのが分かっているはずなのに、それらしき対応がずさんなのが報道でわかる。ある程度の「管理」的対応が必要なのに、まったく一部のこととして「知見」として生かされない行政の対応が一番の問題ではないか。クマが人の生活圏にきて、人の被害を生み出したら、駆除するだけのことでいいのか。国でも少々のクマ対策の人員はつけているらしいが、これまた自治体職員はこれでもかというほどの人数に押し込められて、対応の困難さもある。

「共生」の見地を議論しながら、対策に動き出すことが必要に思える。それにしても「総裁選」の発言で温暖化、気候変動への政策が全く出てこないのは、どうしたことだろうか。

森のくまさんの替え歌があるそうで、全国にバリエーションを違えて広がっているらしい。


これも「加害者」的なトーンではないのは、現在と違った状態だったからだろうか。

岩手県の豊沢川に行ったときに、クマさんの目を盗んで拾ってきたクルミ。なぜか9個でも総裁選には関係ない。



2024年9月24日火曜日

涼しくなったら動いて頭脳

 レインボーブリッジの撮影会があって、その原稿を書くことになった。この手の「報告」は早く書く方が記憶に残っていて、書く内容に臨場感が薄れなくていい。だけどこの暑さでどうしても身体の回りが悪いときには、はかどらなくて困る。涼しい環境になってきたから、この機に乗じてやり上げようと、取り掛かった。できた原稿は、ページ一杯になった。書き込むべきページには、撮影会のほかにもう一つ項目があったのに、写真を張り付けたページはそれだけで一杯になってしまった。やむを得ず写真を縮小して、文章の編集をしなおしてもう一つの余白を作った。一度作り上げて「完成」を迎えたものに、また手を加えて推敲しなおしたら思った以上のものに仕上がった。(あくまでも自己評価)。やっぱり推敲とは絶対に大事なものと改めて思った。これでポチっと送信できた。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正後

 9月19日の気温は、運も天も見放したとみえて、涼しくなるどころか集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムゥッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子連れが散歩中。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだ!「第三台場」にまで埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。第三台場に対峙してデンと構えている。

 埋め立てたその上を歩いて「お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。江戸幕府の開国により11か所の台場が6か所に縮小。工事中止となり、二つだけが今に残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)

 170年の歴史の一端をカメラに収めたころは、全身汗だらけだった。浜辺近くでしきりに跳ね上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そう。「行ってらっしゃい」との声に送られて歩き始めたが、余りの暑さでシャッターを押す気力が削がれてしまった。今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っているかのようだった。途中から折り返して南側から見えるはずの富士山に期待したのに、残念ながら見えなかった。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正前(下線は修正箇所)

予報では涼しくなるかということも言っていた。ところが運も天も見放したとみえて、集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子が散歩か何かで歩いていた。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだと少しびっくり。進んでいくと海岸の小枝を拾い集めている人がいる。隅田川を流れてきたものだろうか。「第三お台場」にむけて埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。埋め立てたその上を歩いて「第三お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。史跡になったのが大正15年というが、「黒船来航」で開国を迫られ、あわてた江戸幕府が江戸湾の防備強化をするため、大砲をそなえた砲台場を海上に築いた。6か所(予定では11箇所)の台場が造られたが、開国により工事中止となり、今は二つだけ残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)お台場公園を回って、170年の歴史の一端もカメラに収めたころは、全身汗だらけでゆでだこの気分だった。海浜近くでしきりに飛び上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そうで気の毒だが、行ってらっしゃいと声で送られたが、余りの暑さと下見に来ていたのが禍して、シャッターを押す気力が削がれてしまった。前回は暑い中にも風が吹いていたが、今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っていたようだった。





2024年9月18日水曜日

ひさしぶり!ヤマメと岩魚に対面!

釣り道具は大方断捨離していた。でも長年親しんだ渓流釣りの道具は、始末しかねて残していた。先日たまたま以前に行ったことがある、岩手県の花巻に釣りに行こうとの声がかかって、「最後の夢」が果たしたくなった。釣行(ちょうこう)の要領はわかっているし、一緒に行くメンバーもまったく知らない間柄ではない。ただ問題は身体が耐えうるかが一番の心配ごとだった。

かつては東京から車で出かけたものだったが、今は新幹線で新花巻まで行き、レンタカー使用という設定になっている。ほぼ空き家になっている古民家の「別荘」で、6人が掃除から食事調理に大奮闘して賄いをする。広い敷地に生える雑草の刈り取りも機械を使ってきれいにする仕事もこなして、釣り行動の大事な仕事になる。夕食は「釣り談義」が果て無く続く。

起床時間は最近ではずっと遅くになっているから、4時5時に起きるとなると結構気合がいる。前夜に用意されたおにぎりやゆで卵、沢庵などを手際よく用意されたものを、リュックに入れて出発。釣り場までは一時間~2時間車で走るが、釣り場の選定もこれまでの経験を寄せ合って、各自の要望を加えて釣り場を割り振る。6人のメンバーが目当ての渓流に向かい、それからようやく釣り稼働という具合になる。

釣り場での釣りそのものはそう問題はないが、移動するときの動きがやはり厳しい。石の段差を繰り返して歩くとき、上下の位置で踏ん張りがきかない。足元は形状の違った石があるから、角度の違いに早く合わせることが難しい。どうしてもふらついてしまうので、慎重に足を運ぶことになり、時間がかかる。普段平らなところしか歩かない足の筋肉だけでは済まなくて、ひざ下のわきの筋肉に疲労が起きていた。

断捨離を逃れた渓流用の靴もしばらくぶりに履いていた。大丈夫か?の一抹の不安があったが、歩いているうちに靴底のフェルトがはがれた。歩くたびに尻に水が跳ねてくるので、見てみるとベロのようにはがれて、水を跳ね上げているのだった。それも左右ともに。

その次は川縁での転倒だった。幸い少しバランスをくずしただけで、亀がひっくり返るときのように、ゆっくりしたもので、身体のどこにも影響はなかったのは救いだった。

最終日には、午前中に豊沢川の渓流で釣りをする予定だった。体が相当疲労しているので釣りは遠慮して、4人が釣りをしている間にカメラを取り出して、山の景色を楽しみながら何枚かシャッターを押した。釣りでは目に入ってこない山中の様子が急に眼に入ってきた。

ブナと栗、クルミが道に落ちていて、熊のテリトリーにいるのだと思ったところ、下方の渓流に入ったメンバーの二人がクマにあったとのこと、持ち歩いている爆竹の使用は忘れちゃいけないと反省の弁。大沢温泉で温泉に浸かってから岩魚庵に戻って、丁寧に囲炉裏で炙ってもらった、お土産の岩魚ヤマメをそれぞれ10尾以上持ち帰ることになった。










2024年9月11日水曜日

自由民主党総裁選挙に投票できます

自民党員はおよそ110万人で、この総裁レースで各候補者が人集めして、その多可が結果に影響していく。党員が増えていけば「解散総選挙」のエネルギーに連動するもので、それゆえ新しくても古くても(*^^)v(≧◇≦)をかえることで斬新感が売りになる。これまでの悪行にはなるべく立ちこまないように、「政策」を訴える。

悪行がばれての政権投げ出しなのに、これまでの政治を反省するでもなく、なるべくオブラートに包んでやり過ごす。ご祝儀支持率が続かなくなって、いまやはなから低空飛行。これが政権たらい回しの方法で永らえてきた結果だったのに、隠しおおせることがむずかしくなってきたし、メディアの支えを期待するのも簡単ではなくなった。

有権者数(公職選挙の有権者)は大雑把1億人とすると(1億人÷110万人=0.9%。有権者数の1%にも満たない人数で、政党内「選挙」して総裁が決まる。連動してこれが首相となるというのも、民主主義と言えるのか疑問だ。ほとんどの国民がかかわりのないところで、「首相になる人」のニュースなのだからと言って、お盆の夏祭りのごとくマスコミが神輿の担ぎ手になっている。

にぎやかに「日替わりメニュー」で盛り上げるって、なんなんでしょうか。それにしては神輿が多いけど、一面では「派閥解消?」の影響なのか、「液状化」とは言いすぎかもしれないけれど「穏やかな裏金と利権政治」が地鳴りしているみたいにも感じる。

「総裁2年継続して年額1万円以上の寄付をされた個人及び法人の代表者には、自由民主党総裁選挙の選挙権が付与されます。」ということですが、はて?

 走れコウタロー🎵

これから始まる大レース

ひしめき合っていななくは

天下のサラブレットソウサイバ

今日はダービーめでたいな

走れ走れコウタロー

本命穴馬かきわけて

走れ走れコウタロー

追いつけ追い越せ引っこ抜け




2024年9月5日木曜日

カラスなぜ鳴くの

このところ朝方良く鳴いていて騒がしいので、どうしてなのか気になって⋯(NET検索した結果の情報)をまとめてみた。

烏の鳴き声の研究はそれほど進んでいないとした記述をしているものがあった。

鳴く理由

・仲間とコミュニケーションを取るため。飛んでいる時にお互いの居場所を知らせたり、食べ物を見つけた時に仲間へ合図を送ったりしている。

・縄張りを主張するため。カラスには縄張り意識があるため、鳴いて縄張りを主張。

・警戒や威嚇のため。縄張りが危険にさらされていると感じると、警戒の鳴き声を発する。

まずは、仲間とコミュニケーションを取る時。飛行中にはぐれないようにするために鳴く鳴き方は、「カァーカァー」という比較的長めの鳴声。空を飛んでいるカラスが鳴いている。

それ以外にも、食べ物を見つけた時に「カカカカ」と短く連続して鳴くことがある。仲間を食べ物があるところに呼ぶための鳴き方。次は、縄張りを主張している時の鳴き方です。この場合は、「カァカァ」というような一般的によく耳にする鳴き方をする。

最後は、警戒や威嚇をしている時。非常時の鳴き声は他の時よりも強く、「ガアガア」というふうに聞こえる。

警戒心が一番強くなるとされているのは、4月から7月の繁殖期です。~最近良く鳴いているのはなぜだ???

 鳴く回数の違い!!!こんな子観察もあるのか

8回 集合・集団行動の合図
7
回 リーダーが発する合図
6
回 敵がいる
5
回 警戒、逃げろ
4
回 警戒、威嚇
3
回 位置表示、安全・満足、威嚇
2
回 強調、注意喚起、空腹
1
回 挨拶

「カラスはサッカー日本代表のシンボルマーク」であることは知らなかった。

「カラスが鳴くことは不吉」や「カラスが鳴くのは地震の前兆」、「夜中にカラスが鳴くと死人がでる」という話など、カラスにまつわるさまざまな不吉な噂~はなんとなく気になるけど。