これはどうか、あれはどうだと写真展の作品を洗い出してみていても、なかなかこれはということにはならない。早い話が「いいもの」がないということかな。「いいもの」の基準が自分の中には備わっていないのがなによりの原因なのだろう。どんなに稚拙であっても、その稚拙さが自分でわからなければしょうがない。「いい写真」を下手な鉄砲で当てる確率は、腕達者な人よりはずっと低い。選択の基準はまだまだ自分には持てないし、シャッターを押す技量も足りないのだから、勉強あるのみで辛抱強く学んでいく以外はない。そんなことをブーたれている間に、己の店じまいが先に来たりして。
虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
2022年3月29日火曜日
2022年3月24日木曜日
「ざわつく街」としゃれた言葉でも、写真展作品にはちょっと
撮った写真を見直して、写真展の展示作品をだすということで、選んでみた組のうち「ざわつく街」というタイトルをつけて、中野の姿を表現しようと思った。でも組んでみた写真は、十分にテーマに迫れていないということで、再起ということになった。変容していく街をガッチリとらえるという「写真集」には物足りないし、もう少し丹念に追及すべきだった。
東中野前の一角にある「昭和の街ムーンロード」は、再開発で地上げの猛攻にあったが、「営業権」を認めさせる最高裁の判決を勝ち取った。ほんの数百メートルの「飲み屋街」の場所だった。その地域のコミュニティの長年の運動だったが、それを取り上げて表したいと思った。2022年3月18日金曜日
痛い膝から脱皮できるか
ここのところは痛み止めを飲んで、湿布をつけて寝ている。状況を話して夜に効く痛み止めを追加で飲むことになる。ヒアルロン酸注射を左右ともやってもらった。足の状態が総体として悪化しているので、手術をした方がいいかと相談する。方法が複数あるとの説明は聞いていたので、そのうちの人工骨をつける手術かと覚悟していた。
とはいえ少々の不安はあるし、先生の勧めもあって「再生医療」でやることになった。自分の血液の血小板血漿を培養して、注入するという方法。軟骨が少し残っているからやってみる価値があるとの説明だった。7割方うまく行っているということだったが、自由診療だから先生はやりたそうに思えた。
人工骨を入れる手術の方が確実に痛みはなくなるらしいが、治療の簡便さからはその前の選択肢としてどうだという。
家に戻ると医師から、採血の日は土曜だったが、変更できないかとの連絡があった。特に用はないから了解して六本木まで行く。現地でスマホの案内を見るが案内がおかしくて、逆の方角に歩いてしまい、所在ビルの配置がまた分からなくて、回り込んでようやく見つけた。かくして都合8600歩になり疲労困憊。高層ビルなどの構築物で電波がおかしいのかな。予定の土曜日でなかったのは幸い。これだけの歩きは久しぶりで、この歩数だとあとに痛みが出て祟っている。
となりの庭のフキノトウに花が咲いた。11月に芽を出して1月の冷え込みで枯れた後、また芽吹いて再生したよう。自然の「治癒能力」にあやかりたい。公園の河津桜とボケは満開。
2022年3月13日日曜日
写真のまとめで選んでみた「散歩道」
陽射しが強くなってきた。春先の陽気によるものもあるのか、ロシアの残虐なウクライナ侵略の映像を連日みて、気持ちが落ち込んでくるような気がする。とはいえ撮った写真を見返してなんとか展示の作品を選び出さなくてはいけない。昔のものも加えて眺めてはいるものの、撮った写真の思い入れから、なかなか抜け出せないのが欠点。最も身近な近所で何度も押したシャッターから、切り取ったものが思い入れのなかで右往左往しているだけのようで、我ながら困ったものだと思う。「散歩道」として引っ張り出してみた写真は、「町への愛着、おもしろさが足りない」ということだった。悪くないと思うんだがなあと率直に思うのだけれども、やっぱり「思い入れ」から抜け出せないのだ。この写真群も選外の憂き目に。
2022年3月3日木曜日
写真展の作品、撮った写真の見直し「発眼卵 埋設放流」
写真ゼミ例会で展示会に出す作品の選び出しをしている。そのためいくつかの候補群を出した。立派な写真がたくさんあってという具合ではなくて、撮り散らかっているものの中から「立派であるべき」ものを引っ張り出すという作業なので、断捨離みたいなもの。
いらないものの取捨選択を自分ができないものだから、組み写真で無理やり何種類か候補を出してみたということ。情けないが、そんなここともある写真の面白さは深いものだと思う。それは写真には限らない。例えば「華道」であっても時代に相応したものに変化があるだろうし、その美の表現は発展して変容していくのだろう。
「そうだよ、これだ」という評価をしてもらえれば最高の喜びにもなろうが、それは「高み」の話で、そんなことにも望まないにしても「まあ、そんなもんか」、という言葉でもいただければ望外ということにするのが身の程ということだろう。
写真展候補で引っ張り出した一つは「発眼卵
埋設放流」
所属しているつりの会(東京勤労者つり団体連合会)で、毎年「発眼卵 埋設放流、かご回収」活動をしている。自然保護をとの観点を釣り活動の大切な活動の一つとして40年近く続けている。こうした記録的な活動は、ここに限らないが釣りの会として日本全体ではそう多くはない。
「ヤマメ発眼卵埋設放流は、平成10年から多摩川上流部の奥多摩漁協、小河内漁協、氷川漁協の放流事業の一環として実施され、それ以前からヤマメ発眼卵の自主放流を行っていたJFF(ジャパン・フライ・フィッシャーズ)東京都勤労者つり団体連合会、東京渓流釣人倶楽部の三団体が放流作業をボランティアとして行い、水産試験場奥多摩分場が技術指導を行うという二機関と3つの釣り団体合同での実施となった」
この写真が記録として残せないかと、引き出してみたが、組み写真の表現や魅力にもうひとつ迫っておらず、候補選外となった。写真展に向けてという意図での撮影としては、ちょっと物足りなさがあった。残念。
4月のかご回収のとき、流れに浮いていた。成長したものなのかどうか不明。