2024年11月13日水曜日

米沢の砕石場にもう一度行ってみる

 墓参りの帰り道は、蔵王で宿泊する道の途中にある米沢を通ることに決め、初日に行った砕石場に寄ることにした。もう一度行って、途中で断念した「山道」を歩きて行ってみようと考えた。

 初日の時には、砕石場の少し下流(1.5キロほど)に小さな部落があり、その端から山道のような通路があって、砕石場に近づけそうだった。車で入って行くとどうなるかという心配があって、行くのを断念していた。その道の先は地図で見ると砕石場に近いところだし、なんとか近づけられれば写真が撮れるかと、車を降りて歩いてみた。

 道は車一台がやっと通れるくらいの幅で雑草が中央に映えていて、往来ではあまり利用されていないふうだった。どんどん歩いてみるが、一向に山が見えてこないので、歩くにしたがって少し不安が募ってくる。「クマの行動」が頭をかすめるので、スマホを取り出して「合唱曲」を最大の音量にして、片手で振って歩いた。道の両側は針葉樹の森で、クマが好きそうな広葉樹林ではなかったのが幸いだった。

 突然視界が開けて、現場が見えてきた。T字路で過度に看板が立ててあり、「発破をかけたから近寄るな」と書いてある。もう少し行ってみたいが、広くない道路はタイヤの跡がたくさんあり、行けば出会わないとも限らない。行くのは止めてその場で200ミリの望遠レンズを据えて写真を撮った。








2024年11月11日月曜日

「削られている山」のある東根市に辿り着く

 叔父の家があった東根市には、今は子供夫婦が住んでいる。叔父が鬼籍に入ってからはご無沙汰しているが、良く通る道すがらに「削った山」を見た記憶があるので、行ってみることにしていた。

 どこへ行けば全体を眺めることができるのか、スマホのGoogleで検討をつけながら道をたどるが、行き当たらない。山に入っていく道は素直に近づいてくれない。これかと行ってみても途中であきらめる次第。

 これはダメだなという道を移動するうちに、ふと道沿いに小高い山が剥げている状況が見え、手前側が山を削っている工場があるらしき場所に遭遇した。道からは遠景になったけれども、移動しながら撮影することができた。

 この事業者のHPをみると、砕石は河川の砂利から採ることが制限されており、環境の影響も批判されていることから、厳しい事業になっているということが記述がされていた。削られている山は日本中にあちこち点在していて、全国の「都市開発、再開発」によって需要が多くなっていることと表裏一体の関係になっていると考えられる。

 河川のあとは「山」に依存することになっていった砂利。この異様な山の風景から歯止めの効かない「開発」への行程が浮かぶ。自然との共生はここでは絵に描いた餅か。写真を撮りつつそんな気になった瞬間だった。 








2024年11月9日土曜日

滑川温泉は思ったより山奥にあった

 米沢から温泉に入っていく道路は、地図を見て想像したよりも険しかった。行きかう車は少なかくて幸いだったが、途中から日が落ちてしまって細くて暗い道を慎重に走ることになった。相当走ってから急に開けた場所に立派な温泉が待っていた。駐車している車も多くて、登山基地になっているようだった。天元台まで縦走できると案内があった。

 翌朝になって会計を済ませてから、三脚を持ち出して目の前にある滝と紅葉を撮った。前日は檜原湖から山越えして白布温泉から米沢に向けて走ってきたけれども、これといった紅葉の景色には会えなかった。温泉前で旅の目的が果たせてよかった。

 温泉を出ると奥羽本線の峠駅方面の看板があった。ちょっと寄ろうかと、向かってみると新幹線になる前にスイッチバックのレール施設があったところで、一番標高の高いところで666メートルあるという観光場所になっていた。子供のころ田舎へ帰るのに福島で奥羽本線に乗り換えて何べんも通った懐かしいところだ。

 今回、写真撮影の対象を「削られている山」をテーマにして撮りたいと思い、Googleマップの航空写真を調べてあたりをつけて準備しておいた。駅の近所にあったその場所は、駅を回り込んだ場所にあったがもうひとつ物足りない写真になった。












2024年11月7日木曜日

墓参りの旅を盛って偲ぶ

 この時期墓参りに乗じて、温泉に泊まって紅葉を眺めるのが楽しみ。釣りが写真撮影にとって代わってからは、日本の「らしさ」を観て歩きながらカメラに収めるのが生きがいにもなった。生まれ故郷に再三足を運んで、山や田畑、森が行儀よく空間を飾っている雰囲気を感じるのが、心地よく心が休まる。

 気温が落ちたのを肌に感じるころに、分け入った山の温泉に浸かるのは、すべてから解放されてこの上ない。時々熱い温度の温泉にも巡り合う。これは苦手で、41度くらいがいい。滑川温泉は初めてのところだった。風呂がいくつもあって、混浴と家族風呂が複数ある。説明を聞いて入るべき風呂を決めたのに、泊まった部屋の直下にあった風呂へ入った。そのふろ43度くらいはあったろうか、とても熱くて足をつけていられない。水を入れるべき水道もない。世間ではこのくらいでも平気な人がいるんだなと思いつつ、やむなく頭を洗うだけになった。

 翌朝は、その風呂は避けてちょうどよい加減のところへ入いり、昨日のうっぷんを晴らした。カリウムとナトリウムに硫黄分が少し混ざった成分とのこと。トロリとした感じで心地よかった。ちょうど部屋の前に滝があって、到着するまでの景色では見えなかった紅葉が見えた。ぜいたくも窓越しから撮ることできた。スマホの「長時間露光」を使って撮ってみた。この眺めが素晴らしくて、あちこち紅葉の時期が外れている中今回の紅葉シーンでは一番恵まれた。 






2024年11月5日火曜日

高齢者の悲哀アタリメの味わい

 値上がりした「あたりめ」をコンビニで奮発して買い込み、夕食なし宿泊に備えた。温泉に浸かって手足を伸ばし、夕食時までのスキマ時間に喉を潤す極上の瞬間。初日の夕食はスーパーで厳選した食品。ヘルシー、安価、少量で済ますパターン。アタリメと乾きもので小腹を満たして、本番の厳選食品に向かう。

 朝食は宿の比較的軽めの料理で、体重に気遣う我が身にとってピッタリ。食べ始めたらなにやら歯がちょっぴり痛む感じ、前日の固いアタリメのために歯が疲れたと見えて、顎にしっかり力が入らない。購入したアタリメは昔のように固いもので、歯ごたえがあって好みのものだった。ここまで感じたことはなかったのに、顎ではなく歯に「疲労」が残っていた。折々感じる身体の劣化を自覚させられるサインをまた味わった。

 口に出さなくても「どっこいしょ」は何べんつぶやくことやらわからない。「どっこいしょ」ばかりでなく、階段の上り下りやふろ場のしぐさも慎重にいかないと、躓いたらおしまい。ものごとに頑張ろうなどという具合にはならずに、「やれることを確実に」くらいがちょうど頃合いだ。

 この時期の墓参りの旅が楽しみで温泉が良いところに遭うのが第一。二番目は紅葉が見られること。あとのごちそうは、選択肢にはない。今回は3泊中2泊が夕食なしで予約してあった。今はどこにでもスーパーがあるし、道の駅もあちこちにある。食べ物が手に入るから、まず食に心配はない。ヘルシーな食べ物と「量」を気遣うほかはアルコール類が付けばいうことはない。今回は「ホッピーと焼酎」をはじめて買い込んでみた。食事時に焼酎をホッピーで割って2回つぎ足すとちょうどよい。プリンタイはなくてカロリーは6割くらいというからもってこいの飲み物だ。口当たりも悪くない。




2024年11月3日日曜日

「赤旗」で動いた山がもうちょっと動かせれば

 選択肢として「分かりやすいこと」で選んだという若者がいた。裏金問題というテーマでだけで投票先を選択するということにはならなかった。というのは全く的外れというわけにはいかない。たしかに政策の上ではいくつものことが、日本の将来にかかっているので丁寧な政策説明を聞く手間はなかなかとれないのかな?と思う反面、ワールドシリーズ野球は日本の視聴者が5日間で5600万人いたというから、政治議論の場にもったいない熱を奪われていた気がしてならない。もちろん投票した人は圧倒的にいたのだろうし、積極的に投票先を決めたのであろうことは疑いないにしても。

 国民民主党の「103万円の壁を破る」が明快で心に残ったのが投票に現れた。政策をきちんと反映させるかどうかという点から、感心の的となってきて「見る目」にもちょっとくらいのごまかしはできないだろう。この先の態度が試される。

 「見る目」から眺めると、維新の会がいろいろな「患い」をもっているのが、ようやく選挙の結果にでた。いったい何年かかったのか?わかりやすさだけの選択が、ナチの独裁につながった歴史も今に生きていること忘れてはいけないこと。

 投票率が53%ちょっとで、年齢別では若者の投票率が10%も低いという。現行の選挙活制限を変えて、わかものが選挙活動で活発に活動できるようにするのがいい。だいたい、隣の家に選挙政策の話をしに行ってなぜ悪いのか?裏金を使う活動=票を金で買うことが諸悪の根源だ。お互いにしゃべらせない、見させないことが一番の制限理由。「民主主義の国」アメリカを見ろ!