2024年11月29日金曜日

リモート撮影に挑戦、スマホにようやくつながった

 カメラを手で持って写すことが一番多いけど、三脚を立てて撮るのが「プロ」的撮影法。ブレを起こさずに写真を鮮明に写すなら、これを使って撮るのが写真を撮る人のやり方になっている。だけど、どうもそれが、ぐうたらには面倒なものだから三脚をセットする間に他の物を撮ったほうがいいやと、キチンと撮ることをしないでズルけていた。言い訳すれば、滝の場合などはソーメンが垂れているように写すのが常道らしいのだけど、水が滴るのはスローシャッターの選択必須になる。だからカメラを手持ちで早めのシャッタ―スピードを使ってスピードを変えながら撮る。それでもある程度はいろいろな写りが撮れる。プロには怒られるかもしれないが、自分では好きな範疇に入らなくてもいいかなと思っていた。

 いままではそれで済ませてきたが、最近はカメラが小型化して小さな三脚でも、重さに耐える(倒れない)ようになってきた。これを使えば撮影の幅が広がるかなという気に変わってきた。散歩がてらに、ちょこっと撮るときも気軽に持ち運びができるし準備も簡単にできる。

 リモートは、かのスマホアプリを使う。高さ15センチほどの三脚を立てて、スマホ操作でシャッターを切ることになれば遅いシャッターでも多少暗い被写体を、バッチリとピントがあうものが撮れる(はずだ)。

 スマホアプリはカメラの種類によって別物だから、その使用法に慣れなくてはならない。以前に使ったことはあるけれども、使い方の記憶が鮮明でない。アプリの一つがつながらなくて苦戦し、新宿にある会社へ出向いて教えてもらおうと訪問すると、そこでは対応できないとのことで「修理」部門を紹介された。

 リモート撮影するための操作は、もう少しでできそうな感触なので、「修理」とは違うと思ってカメラ会社のHPから連絡先を調べてみたが判らない。この手のことはHPの「QアンドA」などでの案内が多いので調べてみたが、参考にできるものはなかった。翌日もう一度つなげてみることに挑戦した。でも何回も同じ操作をして、同じところでつまずく⋯。やっぱり駄目かなと思いつついじっていたら突然判った。カメラ側の撮影設定が気に入らなかったらしい。苦労の甲斐ありようやくつながってホッとした。都合3日間は費やして高齢者の時間つぶしにはなった。



2024年11月27日水曜日

「三つの仕事」をやる健康法

 仕事なんかない。退職しているのだから仕事という言葉はつかえない。仕事ならば賃金があるわけだし。でもよく言う「ごみ捨ての仕事」とはどうして使うのか。

 そんなことはどうでもよくて、いきさつこれありで、写真関係のサイト二つを更新しなくてはならない。それとブログの「仕事」。好き勝手にやっているから仕事にはならないが、自分で招いた義務にはなる。

 二つのサイトはネタがあればできる。先日やった写真グループの会議と合評写真をNETに上げる。印刷用にニュースとして作って送信する。今回は合評写真の漏れが一人分あって、あわてて送ってもらった。これで結構な時間かかった。

 もうひとつは写真交流サイト。これには21人に依頼して時々LINEで写真を送ってもらう。メールで依頼すると、複数人が写真を送ってくれる。この写真を工作(明暗、コントラスト、サイズ、軽容量化をして、サイトに載せて更新する。

 もう一つのブログの方は、手間がかかる。何を書くかを考えるのは当たり前だけど、その日の体調によっても着想が違ったものになる。取り掛かかりにすっと入れないときもままある。書き始めると脳が回転しだすので、進んではいく。

 が、これは一発では決まらなくて、必ず時間をおいてから読み返しをして校正する。それでも文字の違いが出てきたりする。不思議なことに一度書いたものを翌日に読むと、文章の粗雑さがあったり、新しい表現を思いついたりするから修正する。これが妙で、見直しをやるほど修正が出てくる。これで三つの「仕事」が終わった。

 


2024年11月25日月曜日

血圧、高いの飛んでけ

 毎日降圧剤を飲んでいても、たまに血圧を測ると140台が出て、これは薬の量を増やさなくてはならないだろうかと気にしていた。寒くなってくると血圧が上がってでるので、このところなんとなく測るのをさぼったりしていた。でもたまに160が出たり、少しだけ頭痛がしたりするので、正確に測らなくてはと思って、だいぶ古くなった血圧計を変えることにして、同様の新しいものを購入することにした。

 新しい血圧計は腕に巻いて測るのは前のものと同じでも、巻く部分がしっかり固定できるようになっている。測定が終わるとスマホに測定結果を送って、記録をつけてくれるので、自分で書き込む作業はいらない。一か月ほど測定してみると120-140が多くて、やはり高い。時々150を超えることもある。

スマホの記録をお世話になっている内科の先生に見せて話をすると、120-140は幅があることなので、そう心配することはない。コンスタントに150台であれば考えようかということだった。

すこし安心はしたけど、高血圧についてNETを調べると、正常血圧の基準は家庭測定で115/75、診察室血圧120/80以下とされていて、高血圧の基準は家庭血圧で135/85、診察室血圧では140/90以上だと定義されているとのこと。降圧剤を飲んでのことなので安心していいということにはならないが、とりあえずホッとしつつ、生活習慣病との戦いをしなくてはならない。



2024年11月23日土曜日

たまの読書、エネルギーが必要

 物の本を読むのが好きでないとはこのブログのどこかで書いたかもしれない。たま~に読むことになるのは月刊誌の本。苦手な食べ物を栄養とるために食べるようなもの。項目を決めて読み、より合って意見を交換するというものだから、そんなにストレスはないけれども、読みに入るまでがなかなかすっといかない。

 読み始めれば、「なるほど」とうなずき、本は読まなくちゃならないと、そのときだけは思い出す。知識を身につけてどうするんだと言われれば、どっかで役にたつことはあるかな~というだけのこと。意見を出し合うときには、人の意見をきちんと聞くという努力がいるし、できれば噛み合った交換ができればいいが、ぼんくらの頭ではハッシハッシとはいかない。しかしとても刺激的な瞬間にはなる。新しい認識が上塗り(といっても完全に覚えていることもない)されて、新境地にいたったような気分になる。それに加えて、自分の無知さにあきれる。

 やっぱり本は読まなきゃの思いをしまっておいて、次回の読者会に備える。もう9年も続けているのだから少しは成長したものかは不明だが、最初のころは、1項目(6ページほど)読むのも大変だったものが、今は一日で4項目も読めるようになった。そこだけは成長かな?



2024年11月21日木曜日

この空間と雰囲気が大好きな風姿

 先日の墓参り旅では、奥羽本線の峠駅に遭遇した。滑川温泉の帰りに偶然立ち寄った。そのあと墓まいりを済ませてから、昼食で日本蕎麦を食べようと検索したところが駅のソバだった。そば屋の真ん前が奥羽本線羽前豊里駅で、山形新幹線の「立派な駅」だった。在来線は狭軌だったが、〈新幹線を走らせることで、在来線の線路幅1067mm(狭軌)を新幹線の線路幅1435mm(標準軌)に広げて走らせた〉ので、福島以北は各駅停車の新幹線となった。それで新幹線料金?

 そんなことはともかくとして、箱庭に置いたような羽前豊里駅舎と周囲が広々とした空間になっていることに感心してシャッターを切った。時速500キロで走らせようというリニア新幹線が、様々な問題を抱えて「そんなに急いでどこへ行く」と白眼視したくなるときに、こうした「ゆったり感」のあるに風景にあってちょっと和んだ。さすがわが故郷とでも言いたくなるような空気感で、ガサガサとした現世に反している佇まいにいつまでも残しておきたいと思った。




2024年11月19日火曜日

旅の楽しみと見識を広げる写真撮影

 退職の少し前に写真の技術を身に着けようと、現代写真研究所の講座を受講した。退職した後の活動につなげたいとの考えだった。それから20年続いた。東北の地が故郷でなんやかやつながりがあって、出かけては季節の風物を撮影できた。東北ばかりでなく、合唱や職場の仲間の旅行など頻繁な付き合いに恵まれて写真の撮影枚数だけはかどった。

 「良い写真」をとの思いで、撮影対象を普通よりはしっかりと見ることになるのに合わせて、歴史物事への興味も湧いてきた。大概は観光が目的としたものだったから、訪れたところの様々な歴史などへの接触が、できていたらもっと充実したものになっただろうにと思う。先輩の写真撮影旅に同伴させてもらった能登、奈良、京都にも、その土地の案内をしてもらいながら、風姿をカメラに収めることができた。

 昔と違ってデジタルカメラでの撮影は、多量の写真を扱えるようになった。当初のころはモノクロのフィルムで暗室現像がパターンだった。ほどなくデジタル移行がすすめられて、パソコンでの写真現像とファイル保管になった。幸いパソコンの扱いはいくらかわかっていたので、わりと楽に波に乗れた。むろん、講座やゼミの講師の助言指導ぬきには語れないことで、特にパソコンの動かしで分からないことには、躓く度に「ヘルプ」のお願いをしてきた。

 かくして写真の展示発表会へといざなわれて、ちょっと不安な写真も立派な装いをこらして、皆さんの作品と並べられて「陽の目を見る」ことになる。それなりに苦労して撮った写真に、まとまりがついて「やった感」を得ることが、ひとまとまりの着地点になる。そしてまた流れの「場慣れ」に乗って、撮影の意欲へも影響していく。どこまで続くか…。



2024年11月17日日曜日

ブログ2000達成のカウントダウン あと8

 ブログを書き始めてから13年たった。東日本震災が起こってから、なにかじっとしていられない気になってやり始めた。多少の感慨はあるけれども、自慢になるような出来栄えでもなく、さして面白くもないことに「続けることの意義」だけでよく続いてきたものだと思う。いつかは到達するのだろうと思っていたし、特に目標を、立てていたわけではないので、褒美をせびるわけにもいかない。

 書かなければならぬと負荷をかけてはいても、ストレスになったのでは脳のためにならない。よってゆるゆるのタガをかけて、投稿文の出来上がりの時の「やった満足感」を得られることが一番の目的になってここまできた。

 こんなに多く書いてきて、凄いなと思いたいところだけど、よくよく考えてみると、頭の回る人間であれば、起承転結を頭の中で組み立てスラスラと頭から纏めて書けるのだろうけど、今は筆で文を書く時代と違って一度パソコンで連ねた文字に、あとから幾らでも加除が可能だから、その意味では文章作りは容易い。

 昔の人は現代よりはずっと文書をまとめる能力があった。手紙であれ文章は書き直しには手間と時間がかかった。だから構成には脳をよく働かせなくてはならなかったろう。デジタルのお陰で能力が至らくてもやれるようになった。日頃デジタル機器に囲まれて、振り回されることが多いが、ブログ書きではお役立ちを、認めなくちゃならない。



2024年11月15日金曜日

没後28年になった墓参り

 それほど経ったのかと、時間の流れの速さに驚く。時間がないからと言い訳する気はないけど、日常ではめったに思い出しもしないことが多い親不孝を、詫びる機会を続けて30年近くたってしまった。28年前以上前の記憶に残っている、思い出の供え物を購入して墓に備え花を飾ると、手を合わせた瞬間にいつもいつまで来られるかと独り言を言う。あの世へ行くまでの時間の残りを、想定はできずにいるのだから、しばらくの道程をじっくりと味わうこと以外に手はない。

 ともかくこちら側から彼方の先輩へ敬意を表しでご挨拶する。不思議やそうするとなにやら見えないリアクションがある。あるではなく感じる。なにか指人形で話しをやりとりしているような。

 おばあちゃんはいじわるで、いたずらをすると娘が言う。墓参りに行く折に車のタイヤをパンクさせたり、よく雨を降らせたりする。今回は寺に入っていく細道が工事のために通れず、反対側から回るのにえらく遠回りをさせられた。寺は当時からするとだんだん小ぎれいになって、新しい墓標が増えている。だから向う河岸も寂しくなさそうなどと勝手なことを思って、しかえしをする。

 でもおかげで、山形の大して高くもない山と田んぼが広がっている上出来な風景に溶け込み、自分の故郷であることの安寧を味わい、あっちにもこっちにもある温泉に入ることもできて、心身が休まることが、褒美だろうとかと無理やりつじつまを合わせる。



2024年11月13日水曜日

米沢の砕石場にもう一度行ってみる

 墓参りの帰り道は、蔵王で宿泊する道の途中にある米沢を通ることに決め、初日に行った砕石場に寄ることにした。もう一度行って、途中で断念した「山道」を歩きて行ってみようと考えた。

 初日の時には、砕石場の少し下流(1.5キロほど)に小さな部落があり、その端から山道のような通路があって、砕石場に近づけそうだった。車で入って行くとどうなるかという心配があって、行くのを断念していた。その道の先は地図で見ると砕石場に近いところだし、なんとか近づけられれば写真が撮れるかと、車を降りて歩いてみた。

 道は車一台がやっと通れるくらいの幅で雑草が中央に映えていて、往来ではあまり利用されていないふうだった。どんどん歩いてみるが、一向に山が見えてこないので、歩くにしたがって少し不安が募ってくる。「クマの行動」が頭をかすめるので、スマホを取り出して「合唱曲」を最大の音量にして、片手で振って歩いた。道の両側は針葉樹の森で、クマが好きそうな広葉樹林ではなかったのが幸いだった。

 突然視界が開けて、現場が見えてきた。T字路で過度に看板が立ててあり、「発破をかけたから近寄るな」と書いてある。もう少し行ってみたいが、広くない道路はタイヤの跡がたくさんあり、行けば出会わないとも限らない。行くのは止めてその場で200ミリの望遠レンズを据えて写真を撮った。








2024年11月11日月曜日

「削られている山」のある東根市に辿り着く

 叔父の家があった東根市には、今は子供夫婦が住んでいる。叔父が鬼籍に入ってからはご無沙汰しているが、良く通る道すがらに「削った山」を見た記憶があるので、行ってみることにしていた。

 どこへ行けば全体を眺めることができるのか、スマホのGoogleで見当をつけながら道をたどるが、行き当たらない。山に入っていく道は素直に近づいてくれない。これかと行ってみても途中であきらめる次第。

 これはダメだなという道を移動するうちに、ふと道沿いに小高い山が剥げている状況が見え、手前側が山を削っている工場があるらしき場所に遭遇した。道からは遠景になったけれども、移動しながら撮影することができた。

 この事業者のHPをみると、砕石は河川の砂利から採ることが制限されており、環境の影響も批判されていることから、厳しい事業になっているということが記述がされていた。削られている山は日本中にあちこち点在していて、全国の「都市開発、再開発」によって需要が多くなっていることと表裏一体の関係になっていると考えられる。

 河川のあとは「山」に依存することになっていった砂利。この異様な山の風景から歯止めの効かない「開発」への行程が浮かぶ。自然との共生はここでは絵に描いた餅か。写真を撮りつつそんな気になった瞬間だった。 








2024年11月9日土曜日

滑川温泉は思ったより山奥にあった

 米沢から温泉に入っていく道路は、地図を見て想像したよりも険しかった。行きかう車は少なかくて幸いだったが、途中から日が落ちてしまって細くて暗い道を慎重に走ることになった。相当走ってから急に開けた場所に立派な温泉が待っていた。駐車している車も多くて、登山基地になっているようだった。天元台まで縦走できると案内があった。

 翌朝になって会計を済ませてから、三脚を持ち出して目の前にある滝と紅葉を撮った。前日は檜原湖から山越えして白布温泉から米沢に向けて走ってきたけれども、これといった紅葉の景色には会えなかった。温泉前で旅の目的が果たせてよかった。

 温泉を出ると奥羽本線の峠駅方面の看板があった。ちょっと寄ろうかと、向かってみると新幹線になる前にスイッチバックのレール施設があったところで、一番標高の高いところで666メートルあるという観光場所になっていた。子供のころ田舎へ帰るのに福島で奥羽本線に乗り換えて何べんも通った懐かしいところだ。

 今回、写真撮影の対象を「削られている山」をテーマにして撮りたいと思い、Googleマップの航空写真を調べてあたりをつけて準備しておいた。駅の近所にあったその場所は、駅を回り込んだ場所にあったがもうひとつ物足りない写真になった。












2024年11月7日木曜日

墓参りの旅を盛って偲ぶ

 この時期墓参りに乗じて、温泉に泊まって紅葉を眺めるのが楽しみ。釣りが写真撮影にとって代わってからは、日本の「らしさ」を観て歩きながらカメラに収めるのが生きがいにもなった。生まれ故郷に再三足を運んで、山や田畑、森が行儀よく空間を飾っている雰囲気を感じるのが、心地よく心が休まる。

 気温が落ちたのを肌に感じるころに、分け入った山の温泉に浸かるのは、すべてから解放されてこの上ない。時々熱い温度の温泉にも巡り合う。これは苦手で、41度くらいがいい。滑川温泉は初めてのところだった。風呂がいくつもあって、混浴と家族風呂が複数ある。説明を聞いて入るべき風呂を決めたのに、泊まった部屋の直下にあった風呂へ入った。そのふろ43度くらいはあったろうか、とても熱くて足をつけていられない。水を入れるべき水道もない。世間ではこのくらいでも平気な人がいるんだなと思いつつ、やむなく頭を洗うだけになった。

 翌朝は、その風呂は避けてちょうどよい加減のところへ入いり、昨日のうっぷんを晴らした。カリウムとナトリウムに硫黄分が少し混ざった成分とのこと。トロリとした感じで心地よかった。ちょうど部屋の前に滝があって、到着するまでの景色では見えなかった紅葉が見えた。ぜいたくも窓越しから撮ることできた。スマホの「長時間露光」を使って撮ってみた。この眺めが素晴らしくて、あちこち紅葉の時期が外れている中今回の紅葉シーンでは一番恵まれた。 






2024年11月5日火曜日

高齢者の悲哀アタリメの味わい

 値上がりした「あたりめ」をコンビニで奮発して買い込み、夕食なし宿泊に備えた。温泉に浸かって手足を伸ばし、夕食時までのスキマ時間に喉を潤す極上の瞬間。初日の夕食はスーパーで厳選した食品。ヘルシー、安価、少量で済ますパターン。アタリメと乾きもので小腹を満たして、本番の厳選食品に向かう。

 朝食は宿の比較的軽めの料理で、体重に気遣う我が身にとってピッタリ。食べ始めたらなにやら歯がちょっぴり痛む感じ、前日の固いアタリメのために歯が疲れたと見えて、顎にしっかり力が入らない。購入したアタリメは昔のように固いもので、歯ごたえがあって好みのものだった。ここまで感じたことはなかったのに、顎ではなく歯に「疲労」が残っていた。折々感じる身体の劣化を自覚させられるサインをまた味わった。

 口に出さなくても「どっこいしょ」は何べんつぶやくことやらわからない。「どっこいしょ」ばかりでなく、階段の上り下りやふろ場のしぐさも慎重にいかないと、躓いたらおしまい。ものごとに頑張ろうなどという具合にはならずに、「やれることを確実に」くらいがちょうど頃合いだ。

 この時期の墓参りの旅が楽しみで温泉が良いところに遭うのが第一。二番目は紅葉が見られること。あとのごちそうは、選択肢にはない。今回は3泊中2泊が夕食なしで予約してあった。今はどこにでもスーパーがあるし、道の駅もあちこちにある。食べ物が手に入るから、まず食に心配はない。ヘルシーな食べ物と「量」を気遣うほかはアルコール類が付けばいうことはない。今回は「ホッピーと焼酎」をはじめて買い込んでみた。食事時に焼酎をホッピーで割って2回つぎ足すとちょうどよい。プリンタイはなくてカロリーは6割くらいというからもってこいの飲み物だ。口当たりも悪くない。




2024年11月3日日曜日

「赤旗」で動いた山がもうちょっと動かせれば

 選択肢として「分かりやすいこと」で選んだという若者がいた。裏金問題というテーマでだけで投票先を選択するということにはならなかった。というのは全く的外れというわけにはいかない。たしかに政策の上ではいくつものことが、日本の将来にかかっているので丁寧な政策説明を聞く手間はなかなかとれないのかな?と思う反面、ワールドシリーズ野球は日本の視聴者が5日間で5600万人いたというから、政治議論の場にもったいない熱を奪われていた気がしてならない。もちろん投票した人は圧倒的にいたのだろうし、積極的に投票先を決めたのであろうことは疑いないにしても。

 国民民主党の「103万円の壁を破る」が明快で心に残ったのが投票に現れた。政策をきちんと反映させるかどうかという点から、感心の的となってきて「見る目」にもちょっとくらいのごまかしはできないだろう。この先の態度が試される。

 「見る目」から眺めると、維新の会がいろいろな「患い」をもっているのが、ようやく選挙の結果にでた。いったい何年かかったのか?わかりやすさだけの選択が、ナチの独裁につながった歴史も今に生きていること忘れてはいけないこと。

 投票率が53%ちょっとで、年齢別では若者の投票率が10%も低いという。現行の選挙活制限を変えて、わかものが選挙活動で活発に活動できるようにするのがいい。だいたい、隣の家に選挙政策の話をしに行ってなぜ悪いのか?裏金を使う活動=票を金で買うことが諸悪の根源だ。お互いにしゃべらせない、見させないことが一番の制限理由。「民主主義の国」アメリカを見ろ!