2025年3月29日土曜日

奇跡の天気で桜満開の光が丘公園だった

28日は退職者会の花見だった。だいぶ前から当日の天気は雨が降るよと言っており、前日の天気予想でも、雨は避けられないという感じだった。朝は雨が少しぱらついていて、今日はしっかり身支度をしたほうがいいと、レインウェアーの上衣を着ることにして、折り畳みの傘をカメラと一緒にリュックサックに詰め込んだ。濡れることもあるかと、タオルももっていくことにしてしまいこんだ。雨の中の撮影でカメラをぬらさないように、釣りに使う折り畳みの「三度笠」も持っていくことにした。

外に出た時はすでに雨はやんでいた。待ち合わせの案内役を仰せつかっているので、駅でしばらく待ってから地上に出ると、もう雨が降る雰囲気ではない。一昨年の花見の時には雨の後で多きな水たまりがあったが、今回は水たまりも全くないので、天気予想とは全く違って、さして雨は降らなかったのだろう。そのうえ温度がぐんぐん上がって晴れ間が出るし、レインウェアーを着ていられない。畳んでリュックにしまい込んだ。天気の予想は難しくなっているのかもしれないが、テレビで報道される予想はどうしてこんなにあたらないのか?スーパーコンピューターでも役に立っていない。当たらなかったのはよかったけれども。














2025年3月23日日曜日

「早起き」ではない、早すぎは三文の徳?

合唱団の練習開始時間から一時間も早く家を出てしまった。東銀座で気が付いて、それじゃぁ築地から勝鬨橋のほうへ散歩しようかと歩き始めた。9時というのに築地場外には外国人観光客がわんさと押しかけて来ていて、目的の食べ物屋に長く並んでいた。朝食抜きでホテルに泊まっているのかな?

晴海通りを勝鬨橋に向かっていくと、築地魚河岸へ抜ける「小田原橋棟」のところで、「八紘一宇の碑」が目に入った。ちょうど荷造りをしていた人がいて、そちらを見てわかったのだが、これまで何回もここを通っているのに知らなかった。縁起でもないものだから構わないけど、いまどきのき世界の「戦争状態」と重ねると心穏やかでない。築地に何かのいきさつ因縁があるのだろう。

交差点の歩道で、どでかい犬が寝転がっていた。寝転がっているのではなくて、伸びている風だった。ドイツのレオンベルガーというのだそうで、散歩の疲れで休んでいるのだと、女性の飼い主さんが道行く人に説明をしていた。

勝鬨橋から見る築地市場跡は相変わらずの広場状態が続いているよう。国際会議場と野球場などを造るのだというが、公園にして木を植えたら少しは温暖化対策になるんだろうけど。20189月に豊洲市場開場でずいぶん時間がたっている。

教育会館の前へ戻ってくると、まだ若い樹々がピンクの花をつけている。おっ、桜かなと思ったが違うみたい。ネットで見ると、ヒメコブシとかベニコブシというらしい。この樹の並木は上のほうがみな左よりにかしいでいる。隅田川を伝わる風が通る道になっているのではないかと思った。












2025年3月19日水曜日

AIを使って、大丈夫かね?印象悪くなった

 Copilotを使って書き換え」という「指図」がしょっちゅう現れるので、自分が作ったブログの文章を書き替えてもらった。

~久しぶりに太陽が顔を出し、春が来たよと声をかけられたよう。ようやく公園に行ってみる気になって、ありったけの花を撮ってみた。はじめは梅のような赤い花「ボケ」。(なんとなく自分ではないと付け加えたくて)桜はとうに終焉を迎えていたカワヅザクラ。しっかりしているのは数少なかった。黄色はサンシュユ。実は漢方薬に使えるとか。赤い実から果実酒を作って滋養強壮だって。公園は保育園の子供たちの独壇場だ。~

書き換え後の文は、なんだこれは?相当アウトだ。

公園内を歩いていると、さまざまな花々が目に飛び込んできて、その美しさに心が洗われる気がした。小さな白い花が連なるユキヤナギや、紫のハナダイコンも見応えがある。ベンチに座り、暖かな日差しを浴びながら、子供たちの笑顔と元気な声が響く空間に癒される。春の訪れを感じながら、自然の息吹に感謝の気持ちを抱いたひとときだった。










 

2025年3月14日金曜日

米が日本の主食であること忘れるな

同じネタで書いたような気もするけど、神頼みは残された手段かな、などと思ったりして。まさに絶句というか、大船渡の山林住宅火災、昨年9月の能登の豪雨災害、日本ばかりではないが「日本沈没」は絵空事、他人事にならなくなった。このところよく起きる各地で起こる地震。対する政治の関与も頼りなく稚拙はなはだしい。少数与党になって、さまざまな課題に対応できないことが露になる。米騒動だけでも「首!」と言いたいくらい。

農水大臣の記者会見(3月7日)で、米価格が下がらないことについて「買い急ぐ状況でない」と、どこ吹く風みたいなのが腹立たしい。昨年の8月からの暴騰に手を打たず、やっと備蓄米を放出したら、下がるどころでない。さんざん生産量を減らしてきた結果がこれ?コメの消費が減っているといわれるが、コンビニにはオニギリモも弁当もしっかり置いてある。海外でも日本のコメは好評らしいけど。

~昨日の(参議院予算) 委員会でも答弁させていただきましたが、生産量は18万トン余計に作っている。在庫も合わせると100 万トン以上の余裕があるわけです。そういう状況を見ると、我々の情報発信が不十分なのかなと思います。米の生産量に現在の在庫量を合わせたものが、米の消費者の方々に対する供給量です。これを見ていただければ、全く不安視する必要はないと固く信じています。しかし、主食である米ですから、ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様は、お米がなくなったら困るから、早めに手当をしておこうという気持ちになることはわかります。あまりにも今が高い。

スーパーに行けば、値札にシールが貼られるのを待つ方々もいるのが現実です。そういう気持ちはわかりますが、ぜひ不安にならないでいただきたい。今年の出来秋はわかりません。もちろん冷害が起こるかもしれないし、酷暑で精米した時の歩留まりが下がるかもしれません。それは自然のことだからわかりません。ただ、昨年の生産量と今の民間在庫量を合わせれば、そんなに買い急がなければいけない状況ではないことは、あらゆる機会で、消費者の皆様にお伝えしなければならない。そういう動きが表面化したということであれば、我々の努力も足りないのではないかと思います。~



2025年3月7日金曜日

総会発言の内容をレコーダーからの文字還元でやってみる

退職者会の総会があって、会報に発言された方の内容をまとめなくてはならない。この時期いつも、もうひとつ体調がしっかりしなくてなかなか集中できずに、三日間かかってようやく書きあがった。発言内容は、皆さん熟年高齢者だから「知らないカタカナ英語」がないのが助かる。話されたことをまとめてメモすることが不得意なので、一応書き込んだメモはほとんど役立たなくて、レコーダーに頼ることでやってみた。

今は録音をしたものを自動的に「文字化」してくれるソフトが使えるので、もっぱらそれを頼りに作業に入っていた。ところが、人によってしゃべり方が違うことが当然あって、レコーダー側がとらえきれないしゃべり方があるようで、何回繰り返し再生してもわからない文言がある。レコーダーとの位置関係によるのかもしれない。

一方、文言を見事に読み取れる人もいて、そちらは文字還元をそのままで楽をさせてもらった。レコーダーは、言葉を全部ひろって換言するので無理やり還元したり、「あの」とか「あれ」とかの言葉がそのままでてくる。それを砕いてまとめる方法でいいのかと思うものの、読んでいくとなにか臨場感があって面白い。6人で4ページにもわたる発言なので、読み手の「臨場感」を使わせてもらうことにした。

本来は、主旨をまとめることが要求されるのだろうけど、「あの」「その」「つまり」「だから」などが入ったものに味わいがある。そんな気がした。言い訳になるけど、自分でメモすると「自分好み」に傾いていくことになって、客観的に知らせることにならない欠陥がでてくる。(そういえばニュース報道なんかそうだな)人によってとらえ方が違ったとしても、その場の内容を逐一表現するのも時によっては大事かな?などと思った。