2011年9月16日金曜日

役所は住民のためにがベスト

 

改善必要と確認したと返事がきた

 区役所に昨日打ったメール(植え込みの雑草繁茂への対応)の返事がきて、現地の改善が必要なことを確認したので、至急除草するとのこと。

 思ったより早い対応でなによりだった。内心、対応が遅いようだったらブログで書いたぞという手でいこうかと思っていた。

 役所の組織には、連絡先の電話とメールが必ずあるのでこういう場合に利用できる。記録が文章で残るから電話よりも良いかもしれないと思った。
 

 横浜市の放射性汚染焼却灰の埋め立て凍結に 

 横浜市が、放射性物質が含まれている下水汚泥焼却灰の埋め立てを、15日から実施するとしていた問題。

 当然ながら相当な抗議が住民から出て、凍結すると発表しました。「十分な説明をすることができず、市民の皆様にご心配をおかけしました」ということです。

 しかし、市は「埋め立てをすることの安全性が確認できた」ということで実施しようとしたものなので、「騒がれたから延ばす」ということのないように注視する必要がありそうです。

2011年9月15日木曜日

区役所にメールを打った

 隣接する学校敷地の道路側が、植え込みになっていて相当雑草が生い茂っている。

 その前がゴミの集積場になっているので、そのイメージがあるのか植え込みに缶やらペットボトルがよく投げ込まれる。

 区に連絡しようと、中野区ホームページからメールを送ってみた。中野区は駅前再開発を熱心にすすめている一方で、地域センターからの職員撤退、保育園の民営化など区民サービスを縮小しているので、その現れかなどと思いつつ、区の返事を待つことにした。


 住んでいる住宅地の風景というか、雰囲気はやっぱり環境がいいのが望ましい。10分ほど歩くと川島通り商店街があるが、年々寂れてしまって、今は見るも無惨な状態。

 中野新橋駅まえの通りで、14F立てのマンション工事が始まった。商店街の一角だが飛び抜けた高さのビルが建つことになる。

 駅前通の商店街は、入れ替わりが相当ある。ほんの一歩はいると低層住宅地域なので、渾然一体といった雰囲気。だんだん落ち着きのない町になっていくようで、物寂しい。

2011年9月14日水曜日

東京湾岸に放射性廃棄物を投棄するな

 横浜市がセシウム入りの下水汚泥焼却灰を、9月15日以降に南本牧廃棄物最終処分場に投棄すると発表した。 
 

 埋め立て地だから、もれだす可能性が否定できません。それこそ津波や、地震の液状化などが起きること考えられます。

 湾岸部の浅い海域は、魚の幼稚魚が成長する大事な場所です。本来ゴミの最終処分場であること自体が問題です。

  金沢区と鶴見区にある下水処理施設で保管されている2700トンを今年度中に埋め立てる予定としている。

  大御所の東京も、同様なやり方をするでしょう。湾岸を取り巻く自治体がみんな?東京湾中が放射性物質で…。
東京電力に返してやるのが筋なんだけど。

横浜市長への抗議の様子

http://togetter.com/li/187666

2011年9月13日火曜日

釣りの支度はかどる


 尿袋が壊れて、今朝は一騒動。洗濯は3回することになった。本人は知覚が弱くなっているようなので、なかなか自分では言える状況にない。

 爺様につきあいながら、ハゼの針巻きを始める。最近はパソコンの方に時間を使うことが多いので、釣り道具の整理が後回しになっている。

 最近は、釣りに行く前日に針巻きしたり、仕掛けを作ったりしている。時間があるはずなのにできない。もっともあれやこれや、好き勝手に手を出しているせいもある。

 釣りの支度はつりの一部で、次の釣りへ向かうトキメキを感じる瞬間だ。仕掛けの部品はたくさん溜まっているので、使わなくては。

 天気が上々だったので、洗濯物は2時には乾いて取り込めた。3時過ぎにかかりつけの医師が訪問、ちょうど良かった。

2011年9月12日月曜日

ちょっと寂しい日

 今朝ゴミを集積場に持っていくときに隣の奥さんと会った。隣は明日転居をすると言うことで、丁寧なご挨拶をして頂いた。

 爺様が退院した折には、手づくりの寿司をいただくなど随分世話になった。家の周囲は我が家のほか一件が残るのみとなった。三〇年もたつと人の入れ替わりというものは随分あるものだ。

 写真合評会は、一人が入院中で参加できず、二人だけになった。金山、肘折温泉の写真をまだまとめていないと言うことで、たくさん持ってきたので楽しんで見させてもらった。

 自分の分は、午前中に12枚印刷して準備した。プリントしたものを、使用済み「写真用紙」の入れ物に入れたのに、もっていくとき別のものを持って行ってしまった。そういうこともあると同情された。

2011年9月11日日曜日

勤労者ハゼつり大会で夏の終わりを楽しむ

 木更津周辺でハゼつり大会。72名が集まって実施した。14時まで、にわか雨に見舞われた人もいたが、無事終了。1キロ以上を釣った人9人(なんと9位は自分だった)だった。

 昨年は13人いた。今回は釣り場範囲を増やしてやってみたが、その効果が上がっていない 様な気もする。気温は高かったが、時々曇り加減だったので暑さが避けられた。

 釣り始めたら結構連続して釣れるので、だんだん入賞(入賞は15位まで)したくなって、頑張ってしまったら疲れた。最近はハゼが多いと帰ってきてからの調理が大変になってきた。


2011年9月10日土曜日

写真三昧

 写真の講習会に品川まで行く。御嶽山信仰の神事を撮ったものを中心にして紹介した。今に伝わる文化は、通常の旅では味わえない。


 写真を撮る動機がまた広がる。40年もの間木曽の文化に入り込んで撮り続けた山口 勝廣氏のセミナーには、木曽から「獅子の踊り」の紹介もあって、なかなかのものだった。

 獅子の踊り

 帰り道で撮った品川界隈のビル模様。「もっと、光を!」と言いたくなった。

もっと光を












2011年9月9日金曜日

今夜は満月近く、諸行満足

 9時過ぎに3回目のウオーキング。金曜日のせいか人気が多い。健康づくりの人もいるが、家路へと急ぐ様子の人が多い。駅の近くでは若者の集団が二次会へ行こうと気勢を上げていた。

 今日は早朝からウオーキングを一度やり、残業分を夕方に買い物ついでに稼ぐつもりででかけた。目的は露店。先週のお祭りの時に雨だったので、露店がだせずに今週になった。

 福島の物産ということでいってみたが、時間が少し遅かったか、半分くらいは終わっていたようだ。焼き鳥が1本100円だったので10本、トウモロコシが250円で、「焼いた」ものだったので、懐かしくなって2本買った。

 最近のトウモロコシときたら茹でたのしか無くて、焼いたものが食べたいと常々思っていた。 それに焼きおにぎり、うまそうだったのでこれも。

 で、荷物が多くなってしまったので歩数稼ぎができなくなった。

 都合、3回で11000歩になった。でも、美味しかった焼き鳥とトウモロコシで大部効果薄になってしまったかな。
 


 8月14日からの山形の写真がようやくまとまって、ホームページ(虚鯊の数多フォト) ←リンク にアップできた。

2011年9月8日木曜日

保険料の口座振替行は選択してやるべきじゃないの

 今月分の国民健康保険料を払おうと思ったら、国民健康保険の保険料納付は口座振替を原則としてお願いします・・・と書いてあるのに気がついた。徴収にかかる人件費の考慮をしてのことだろうが、これは問題だ。

 口座振替は確かに便利だ。忘れずに「納付してもらえる」し、納付期限内にキッチリ「納付してもらえる」。これは、徴収率の向上につながる。徴収率を上げるのは、当該機関の自己目的で、業績評価につなげている。

 今年から、保険料が相当引き上げられた。従って、払いきれない人は増大しているに違いない。失業者や非正規雇用がたくさんいて、不安定な収入であってもキッチリ納付してもらうには、担当者だって大変だろうが、払う方はたまらない。当然のこととして滞納者は増える一方だ。

 こういう制度を作り上げている国の責任は重い。納付する環境にない者からも取ること自体が無理なんだ。

 口座振替を原則にすることなんかできはしない。そんなことができたら、民主主義の国ではなくなる。だから「原則としてお願いします」と書いてある。あたかも法定されているかのように。

2011年9月7日水曜日

写真展を見て8月15日に戻された

 4日、「昭和史のかたち」満州侵略から沖縄決戦までの歴史を、撮した江成常夫の写真展を都立美術館でみた。ここ数年間に撮ったものだった。中国人を1000万人も殺すことになった歴史が浮かぶ上がる〈偽満州国〉、インドネシア、ラバウル、テニアン、レイテなのどの島々で残っている爪痕〈慟哭の島〉。「風化」から切り抜いた写真は、生々しく迫ってくる。

 お国のために死ぬことを美徳とされて、敗戦色濃くなった時には軍の幹部が突撃命令を出して、徹底抗戦をさせた。そうしておいて自分は自決をするというなんともたとえられない行動。

 他国を支配、侵略することはあってはいけないことと、今なら当たり前に言える。侵略を正義だとすり替えて、天皇の名をもって国民を動員した15年戦争。その行為は侮蔑の言葉以外いらないだろう。

 広島、長崎の原爆投下は事前にその情報をつかんでいたということが、先日テレビ放映された。国民を助けるとか生き延びるようにするということなど、これっぽっちも考えつかなかった時代だった。


 被爆をして未だに苦しんでいる人、実相を語り継ぐ人、焼けた懐中時計、眼球がないマリア像…犯した罪の大きさを見るよう。
慟哭の島、偽満州国、シャオハイの満州、ヒロシマ、ナガサキをテーマとした写真は、日本がしでかしてしまった歴史を改めて顧みさせる力を持っていると思った。この歴史を抜きにして「平和」や「友好」を簡単に言うことはできない。


15年戦争が終結した8月15日。
リンク→その日付に撮った写真からなにかでてくるか。

2011年9月6日火曜日

世論は怖いんだぞ

 フジテレビHPの「コンパス」でオピニオンリーダーが、「民主党代表選挙におけるテレビ報道」についてどう考えるかという設問にに答えた。
主要な答えのうち多かったのは、報道に「やや問題がある」と「問題がある」という7人の答えだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「やや問題がある」が2人、「問題がある」で5人、「まあ評価できる」2人、「評価できる」で3人、「どちらとも言えない」1人、「そのほか」4人  回答合計17人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 政策的な掘り下げが不足していた点を問題として上げている。これは正論だと思う。報道が、正面から論じることが少ないから、世論との乖離が起きる。

 切り口はやっぱり世論に寄りそうのがいい。「これが目に入らぬか」が廃れないのはそういうことではないか。5年で6人目の首相なんてどうみたって恥ずかしい。日本の「恥」をちゃんとみて、切り口鋭く行こうよ。

フジテレビ・コンパス
http://www.fujitv.co.jp/compass/view_25.html#midashi_answers

2011年9月5日月曜日

ウロハゼの遅ればせの自己紹介

 木更津の港でハゼ釣り大会をすると、マハゼに混じってときどきウロハゼがかかる。これは外道としての扱いになって、成績とはならないルールになっている。

 我がつり会は歴史もこれあり、つりの競技は要項を定めて役柄を決め、規則をつくってスポーツらしく運営するようになっている。

 関西の釣りの会では、ウロハゼは一人前の魚の扱いをされているのに、こちらでは鼻にもかけないというところが面白い。ベラの扱いもそういったふうになっている。

 ちょっとボテッとした風采が憎めないのだが、冷たくあしらわれるのは「江戸前の文化」のせいかもしれない。江戸前の「魚」は、ハゼもそうだが味がよい。東京湾に流れ込んでいる川の数が多くて、その「栄養」によるものということだが、湾を取り囲む浅瀬はほとんど埋め立てられて、幼稚魚が育つ領域が無くなってしまった。当然漁業はすっかり廃れてしまった。

 横浜の鶴見川で、ウロハゼを調査した論文があった。人間社会とのかかわりで、ウロハゼの盛衰に影響をがあったという論文。ちょっと面白い。自己紹介を兼ねてこのブログ「ページ」項目に載せた。

ウロハゼの数奇な運命

2011年9月4日日曜日

アマモが消失した

東北水産研究センター

http://tnfri.fra.affrc.go.jp/pub/letter/20/20.pdf

 これは大変なことだ。松島湾のアマモが無くなってしまった。松島湾の島々によって、守られてきたアマモが津波で一挙に消失した。アマモは藻類や甲殻類を葉に付着して幼稚魚の餌場となっている。

 漁業に大きい影響が相当な規模で起きそうだと、東北水産研究センターの研究員が警告している。神奈川県の水産技術センターでもこの植え付けを熱心に実施していて、浅場の海に保育場を増やそうと努力している。山の森のように、無くてはならない存在だ。一刻も早い状況把握とモニタリングをするように提起している。

 この上、海にも内陸の川にも放射性物質の影響が明らかになってきた。福島県伊達市(阿武隈川)のヤマメはセシウム810ベクレル( 8月31日)群馬県(赤城大沼)ワカサギはセシウム640ベクレル(8月29日)などが暫定規制値500ベクレルを上回って検出されている。

当然、釣りにも大きな影響がある。


各都道府県等における水産物放射性物質調査結果  9月1日

水産庁がまとめた各県の調査結果
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/pdf/110901_result_jp.pdf
暫定規制値(魚介類、海草) 放射性セシウム:500ベクレル/kg 放射性ヨウ素:2000ベクレル/kg

2011年9月3日土曜日

五七五、生みの悩み

 今宵は中野新橋の盆踊り。台風の影響で時々雨が飛んでくる。散歩がてらタコヤキを買おうかといってみると、こぢんまりとした感じでいつものように踊っていた。

 天気が悪いせいか夜店がほとんど無くて、家族用のシートを持ち出して座り込んでいる家族連れもいた。

 タコヤキ屋さんは普段もやっているところで、今日は行列ができていた。まあ、一回り歩いてきてから買おうと、そのまま通過して歩き出した。

 3,4日前に、コオロギだろうか、ちょっと頼りない鳴き声を、マンションの隅で聞いたから、一句まとめてみようかと、宿題にしていたので推敲しながらのウオーキングになった。
  

  チチコロロ 初鳴き競う 宵の口
  秋のぞき コオロギコロロ 宵の口

 あれこれ考えて、ようやくできあがったものは識者がみたら噴飯者かもしれない。でも時間はかかかった。だいたい俳句も川柳も知らないのに恐れ多いことで。

ところで
 松島や ああ松島や 松島や

の句は言わずとしれた、あまりの景色の良さに言葉がなかったとされる芭蕉の句。これが面白い。

 芭蕉は旅に出発の際は松島を絶賛したらしい。ところが松島では一句も詠まずに、一泊しかしないで通過した記録になっている。あれ、そしたら詠むヒマがなかった?

 仙台藩の要塞・黒羽の瑞巌寺、藩の有力商業港・石巻には熱心に見物しているので、芭蕉隠密説を構成しているとか。

 後から困ってつくりあげた句だなどと想像したら…もちろん虚言妄言です。

 ともかく五七五ができあがって、元のタコヤキ屋さんに戻ったら、なんと行列が増えていた!
 買うのを諦め、目標達せず。歩数は午前の部と合わせて10300歩。目標達成!

2011年9月2日金曜日

中野新橋完成記念式典

 中野新橋完成記念式典というから、地下鉄の中野新橋駅の新しい出入り口の完成かと思っていたら、神田川に架かる橋の完成記念だった。

 通りの通行を遮断して橋の真ん中で、お払いが始まった。挨拶には地元の区長を始めK議員、S議員、元国会議員のM氏など。

 区長は達者なしゃべりだったが、議員諸氏はやれ、だれそれ先生の尽力でとか、バス会社に掛け合って道路を通行止めにしたとか、果ては神田川の工事は自分たちが努力した結果氾濫しなくなったとかいう話を延々と続けていた。

 町会や商店会の主導でやっているらしが、映画で見る片田舎の催しで「○○先生のお陰であります」なんていうのが、都庁の高層ビルが見えるところでやっているのはなんとも可笑しい。特定の政党しかいないのも異様だ。

 小学校の鼓笛隊がパレードをするのに、近くで座り込んで待たされていた。長い挨拶の間に、にわか雨が2、3回降ってきて、付き添いのお母さんたちも大変。その度に雨宿りに走る。

 貴乃花と松村邦洋氏が来賓できていた。松村氏の挨拶がよかった。「商店街が寂しくなってきてる。賑やかな町にしたい」と言う趣旨の話で、議員連中よりも優れていた。








2011年9月1日木曜日

スマートフォンの急増、アクセスポイント足りないよ

 都市部では回線容量が追いつかず、回線がつながらない状態が増えている。通信事業者各社が、公衆無線LANサービス充実をさせようとしているとか。

 アクセスポイントの拡大をしていくそうだが、売っておいてつながらないとはどういうことか。繋がるところは順次拡大、これから先というのは携帯電話のMOVEでもあった。

 売るときには説明はするのだろうが、「だんだんつながれば」という安易な判断を迫って、買わせてしまう。時を経て問題なくつながるようになったころには、また新機種となる。

 こんなに高度な社会になっても、アナログ時代と同じ「安物買いの銭失い」が横行するなんて。

 「物足りない物を売る」といういのが優れた商法なんだそうで、買った商品の物足りなさから、すぐに次のものへという購買意欲をかき立てられる。消費者のニーズに応えるなんてもっともらしいこと言って。

2011年8月31日水曜日

美食のくらし

 食欲は普通にある。普通よりも上かもしれない。家の食事では年寄りの食事が少なくて済むから、惣菜は残り加減になる。

 少なくて良いよと、製作担当者に言うが、造るときには一定の量がないと難しい。買ってくるにしても、皆のばらばらの好みに合わせるのは難しいし、ましてや量を少しにする註文は、する方が無理というものだろう。

 同じ物に何回も出会うのはいやだから、少し残った状態の物は食べちゃおうと頑張る。なるべく捨てたくはないし。

 さて、体重は減らしたいし、血圧も下げたい、尿酸値も気になるとあって、食べるだけの何の心配もない生活なのに、「闘い」が存在する。

 今日は、ブログの編集でページをもう一枚追加した。右上の「ページ欄」の「写真は自分を映す」をクリックすると展開。

2011年8月30日火曜日

大山鳴動ネズミはでるかな

 野田党首が誕生した。新首相となってやることは消費税引き上げらしい、財源問題では増税について一番はっきりした態度をもっている。

 民主党の公約は4年間は上げないということだったが、いまや10%にするという表明をしている。

 原発への対応は、期待はできないし、沖縄の普天間基地の問題もこれまでと同じ。となると、野田政権がこれまでと変わるという理由が見あたらない。人が変わっても、やることが同じならハツカネズミのコマ回しだ。

 ご祝儀かどうか知らないが、首相の「人となり」をエピソードで紹介し、奥さんの内助を報道して、支持率を上げるものの、政策の大事なところでは支持を失って…次の政権へ。

 マスコミもこんなこといつまで繰り返すのだろう。

2011年8月29日月曜日

メモリーVS脳

 脳の方が優れているに決まっている。パソコンはメモリーが大きいほど処理が早くなる。脳のメモリーはどうだろう。容量が決まっているようでもあり、無いようでもあり、本当のところはどうなんだろう。

 脳の場合はとても高度な働きをしているようだ。執着や好みには脳の働きがより活発になっていく気がする。だからその点では容量の問題を心配しないで抜きにしても大丈夫の模様だ。

 しかし、精神や気分のうえでは「頭がいっぱい」になることがしょっちゅうある。これを始末するのがまた、脳の働き。

 たまった、ストレスやひらめきを溜めておかないで出す。出すことで、リセットする。(様な気がする…が正解か)

 つまり、ブログに書く、日記に書くことなどでリセットさせるということが、デジタル社会のやり方の一つになるんだろうか。心理的、精神的な作用はそう単純ではないような気もする。

2011年8月28日日曜日

博多祇園山笠、電線おじゃま

 博多祇園山笠のテレビ放映を見た。勇壮で迫力がすごい。

http://yamakasa.cocoj.jp/kazariyama/yama_11/index.html

 伝統を感じさせる祭りだった。山車を引き回すときに電線が障害になるので、山車の高さを一度縮めてから、先に進むという方法をとっていた。

 山車を引く時に、電線を持ち上げる「担当者」が、先日の新庄市金山町の祭りのときも、若者が懸命に作業をしていた。まあそれも風物の一部と無理に言っておこうか。



 風景写真でも電線がなけりゃねとよく言う。無くては困ることになるが、見えないようにすることはできるはずだ。

電線撮っちゃえ



 電力会社は、原発の「安い経費」で相当蓄えがありそう。本来ならこれまでに「地下化」だってできたはず。岩手の爺のところでは電柱設置使用料が年間3000円だ。このやり方の方が安いということか。

ああ無粋

2011年8月27日土曜日

5年間で6人目の首相誕生

 福島市渡利(わたり)の「あぶくまクリーンセンター」で、焼却炉上部の排ガス処理施設から回収した灰から、同9万5300ベクレルのセシウムが検出された。 

 このほか、計16施設の灰から8千ベクレルを超えるセシウムが検出された。 これらの灰は、国の方針が決まるまで一時保管にされるという。

 灰を缶や袋に入れて施設内に置くか、管理型の最終処分場で保管することになる。

 放射性物質の測定があちこちで実施されて、状態の深刻さわかってきた。東京でも江東区とか、下水処理施設で高い数値が出ている。

 管首相が、いまごろ福島県知事に「中間貯蔵施設を」と依頼したが、放射性廃棄物に汚染された土壌や瓦礫の行く先は、どこになるのか、深刻なものになってきた。「直ちに身体に影響のでるとはない」という言葉ではもう決着は付きません。


 5人の党首候補のなかには、脱原発を言う人はいない。世論と違う政治をやっていることが、短命内閣になってしまう原因でしょ。5年間に6人目の首相誕生!

2011年8月26日金曜日

ブナの森なら

 14時過ぎから、雷雨が始まった。中野区では80ミリの降雨だった。最近の雨は多量に降ることが多い。

 神田川は「50ミリ改修」で河川の工事を続けている。かつて、神田川の氾濫で水害が発生していたが、「地下導水工事」や改修の効果か、被害が少なくなっているようだ。

 しかし80ミリとなるとなると、その上をいってしまう。これまでの認識を超える「想定外」となっている。

 降ったときの対策がどこまで有効に働いてくれるのかはわからないが、自然界の変貌はすさまじい。これも自然界のリアクションなのだろう。

 ブナの森の保水能力は「50ミリ」と聞いた。その雨量なら森の地面は保水し、沢の水は増えない。日本の都市部で50ミリ改修というのもおもしろい巡り合わせだ。そして、自然の偉大さを感じさせる。

2011年8月25日木曜日

2年前にできたものなんだそうで

  日頃お世話になっているデジタル道具に、翻弄されながら「苦労の絶えない」ものと、生意気ながらおつきあいいただいている中に、こんな「風刺」があろうとは思ってもみなかった。
 これもデジタル文化なんですね。デジタル文明、捨てた物ではない。414000超のアクセスがある。

 あれだけ「地デジ対応」を叫んでいながら、切り替えできない所帯の数さえも把握していない、御仁たちはご覧になっただろうか。

 今は党首選だからいそがしいでしょう。今のこれからをどうするのかがさっぱり見えないで、というよりも誰がやっても同じことをやっていくから、それは無いと言うことか。

 政治の「格付け会社」がなくてよかった。あそう、格付けは国民がやるわけだ。

2011年8月24日水曜日

スマートフォンなんか買うか!

 池袋からの帰りの電車の中、スマートフォンか携帯電話か判らないが、前側と左右の座席16人あったうちの9人がそれを眺めていた。

 ほぼ30才代前の若者たちだった。それが、楽しそうな顔をしているわけでない。目的地に行くまでの短時間を時間つぶしに見ているのだろうか。

 情報にアクセスできることが可能な方が良いとは思う。提供される情報が「まし」ならば。

 情報の取捨選択も必要になる。だからそのために使うという論も成り立つ。

 たとえば60歳以上のパソコン使用のパーセンテージはどのぐらいだろう。間違いなく圧倒的に低い。だから「アナログ社会」の現実を粗末にしてもらっては困る。

 情報取得の格差は広がっていく。この格差の責任を己が追うべきという結論はだせない。

スマートフォントは携帯電話にパソコンやPDA「携帯情報端末」の機能が備わったもの)

2011年8月23日火曜日

しっかり情報伝えてよ

 デジタル放送になって、一ヶ月。何が良くなったのか改めて思う。チャンネルの多さに対応した番組が少ない。無論有料であれば幅は広がる。

 BSときたら、韓国ドラマ、大昔のドラマ、商品宣伝番組がほとんどで、これはという物が少ない。

 仕掛けがあるのに大事な情報が伝えられないのは、なんのためのデジタル切り替えだったのか。

 チャンネルのうち一つぐらいを、原発や被災地の情報を常に知らせる物などに使えないものか。マスコミの報道はトーンが落ちてきている。

 放射能汚染された瓦礫の行く先で、受け入れ先をどこにするのか。このごろ国会で決まっている法律の内容はどんなものなのか。放射線の状況はどうなのか。必要な情報はたくさんある。

 官邸の「掲示板」がある。でもアクセスできる人はどのくらいいるのか。避難先や、仮設住宅でみられる条件のあるのはそうないのではないか。情報に格差があってはいけない。知らないのが悪いと言えるか。言わなくてもやらないのは同じこと。

2011年8月22日月曜日

「がんばろう東北」

 24時間テレビは「感動場面」がたくさんあって、共感を覚えるところもある。でも、あの「マラソン」はどうもいただけない。今回は特にそう思った。

 「感動づくり」となるとそれこそ「やらせ」のパターンをみているようでいけない。

 夕食時に、「あれは、虐待みたいだ」と、それを言ったら息子が、「違う人でもいいんじゃないか」と寛容だった。番組全体は見ていない(いつもそうだが)けれども、東北の被災地にどれだけのアクセントを置いたのだろうか。

 先日行った、山形県新庄市金山町の祭りの山車には、「がんばろう東北」と大きく書いた山車を、若者が勢いよくひいていた。「おー」と思わずつぶやいてしまった。なにか嬉しかった。


2011年8月21日日曜日

江戸時代を超えてないぞ

 我が釣りの会が、ヤマベつりやアユつりで度々楽しませてもらっている酒匂川は、江戸時代の1707(宝永四)年に富士山の「宝永噴火」で火山礫や火山灰による甚大な被害を受けていた。

 近世の江戸近郊で起きた大規模噴火だった。振動と灰は江戸まで届いたということだ。

丹沢山地、足柄山地の火山礫・火山灰によって噴火の翌年、豪雨による水害が発生して被災に輪をかけた。その後も治水工事の一方で水害がたびたび発生して、使者も出た。

 農地が火山灰で覆われて、作物ができなくなったので、餓死者も出た。動きの悪い小田原藩に、領民たちが幕府に訴願行動をおこすことでようやく食料支給に動き出したとか。


 幕府も動き出し、直轄地にすることを決めた。そしておよそ80年かかって、復興を手がけて、江戸川幕府の直轄地として管理していた。

中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/14/shiryou4.pdf

 1708(宝永五)年2 月に幕府直轄領となっていた相模・駿河両国のうち、およそ半分が復旧を遂げたとみなされ、1716(正徳六)年に小田原藩に戻されました。その後、1747( 延享えんきょう四)年になって、駿東郡や足柄平野の一部を除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれ除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれに続きました。そして、1785(天明五)年から翌年にかけて、復興の遅れていた大お御神村(現在の静岡県小山おやま町の一部、須走の東)を除いたすべての地域が小田原藩に返った。
 

 水没した土地や田畑はどうする?復興の責任を考えているのか?被災地の要望に応じた体制になっていないのではないか。国の責任でということが薄い。いまは江戸時代より下か。

2011年8月20日土曜日

分割ウオーキングで目標達成

 今朝は涼しいので、張り切ってウオーキングにでる。表通りコースで回ることにして、最終的にはい喫茶店に入ることにした。

 土曜日は朝食がゆっくりだから、よくこのパターンをとることになる。問題は、そこでサンドイッチを食べることだ。このカロリーで歩いた分くらいは簡単に取り戻しているんじゃないか。

 今週は旅に出ていたから、豪勢な料理ではないにしても、アルコール入りでがっちりカロリーを身につけてきた。

 その分の燃焼、消化となると、ちょっとくらい歩いても追いつかないだろうから、出るときに本を二冊持ち出した。せめて脳の働きでカロリーを使おうという作戦。

 爺様がショートスティにいっているが、皮膚科の医者に行くということで、息子が援助に行ってくれた。先日退院したお婆ちゃんも、通い付けの医者に行くので、医院から車椅子を借りてきた。

 休日には家族も頭数がおおいので、いろいろあってもなんとかなっていく。

 新聞の切り抜きの整理すすんだところで、少し遅くなった健康保険と介護保険の納付書を持ってコンビニに。そのついでに遠回りして帰って歩数目標は達成した。

2011年8月19日金曜日

最果ての大連立

 マニュフェストが存在を否定された。少なくとも、約束事は変えたよと言わない限り、マニュフェストさんはいたたまれないだろう。

 当たり前の政治を求める声が、強くなった。せっかく選挙制度を“都合よく”いじって、二大政党政治に持ち込もうとした作戦は、ここで憂き目を見ることになった。

 圧倒的に日の目をみる、二大政党が大連立するなんて、本来想定外。支持を失った連中の窮余の作戦。それが上手くいかないときは、強権政治ではないだろね。

 同じ穴のムジナでは、公約もマニュフェストも捨て去った実績しかないのだから、期待のしようもありませんよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ブログの投稿が復活した。前回は先方から通知があって、事態はわかったが、今回はなんの音沙汰もなかった。お陰で、いくつか改善できたので、それはよかったが。

2011年8月18日木曜日

ブログの投稿がおかしいぞ

 出かけている間には、携帯電話から投稿していた。うまくいっているようだったので安心していた。帰ってから一部修正しようとしたら、編集機能が不調で、アクセスできない。

 いじっているうち別の投稿方法がでてきた。本来はこちらでやるのだろうか。このヘルプは英語対応なので質問をだせないし、英語訳がわかりにい。

 いつも「やってみる型」の解決手段で突破できるといいけど。

 撮影した写真を整理した。結構数があったからまた、HP用に編集しなくてはならない。撮ってきたものを見返すのは楽しみ。歩いてきたところの記録と記憶と結びつけて思いだすと、また次への夢へと広がる。

写真は14日の金山町。あと数時間で宵祭り。

2011年8月17日水曜日

ランクアップできるかな。

 肘折温泉の朝一。朝市に出かける。大蔵村在住に限って出店できるのだと、旅館の人が教えてくれた。旅館の従業員さんは写真を撮りにきたとわかって、なんやかや情報を提供してくれる。

 写真はただ撮るだけより、背景や歴史がわかると深まる。というより、知らないで、感性だけでは失礼にあたるときもあるかも知れない。

 肘折温泉の朝市、最高齢は88歳。それを知って、おいそれとはシャッターを押せなくなった。知らない軽さと、知った重さ。また、ひとつのステップを負った。

写真は肘折温泉の朝市