2015年8月20日木曜日

馬路村の「フェスティバル魚梁瀬」

2回目になった馬路村は、旅館の前に川があり、深いところがないので子供連れには人気のようだ。子供ばかりでなく親の方も水に浸かって楽しんでいる。ここなら、川の大きさが適当で目が行き届く。夏の旅は、かつては涼しい東北方面が多かった。家族そろって行った若いころは、西の方面は少なかった。だから、暑いけれども知らない地への旅は魅力的な感じがある。
前回とその前のブログは、現地からスマホでアップしたものだったが、作業がやりにくい。パソコンを使った編集とは違って、思ったように表示できないようだ。スマホも小さなパソコンと同じように使える点は利便ではあるが、パソコンと同じように使うのは難しいところもある。

スマホの「データの使用料」が料金に跳ね返るので、Wifiの通じないところでは安心して使うことができない。通常は家のパソコンの無線LANWifi)から電波を取っているので、使用料は多くはならないが、外で使用すると見る間に増えていく。これでは「歩きながらのスマホ」などどれだけの料金を払っているだろうか。まず10000円は下らないだろう。東京の(日本の)Wifi事情は、その使用可能箇所が少なくて、来日した観光客には評判が悪いという。オリンピックまでには増加させると言うが、日本のこの手の業者も利用者に還元することに力を入れてもらいたいものだ。


31日の魚梁瀬の祭りのとき、小ぢんまりとした村の雰囲気と、若者の姿をカメラに捉えたので旅館宛に送った。








2015年8月12日水曜日

馬路村の釣果

  馬路村では、Uさんと鮎釣りをやるのが目的のひとつ。とはいっても、自力の見よう見まねなのだから、楽しみにとなるのかの話。ぎこちなく仕掛けをつけた途端に風で絡んでしまった。竿を操るのも、泳がせるつもりのオトリにどういう効果になっているのか、さっぱり想像てきない。6尾を確保できたのが、なによりではあったが、釣り上げた嬉しさはもうひとつ足りない。

  釣りは、アメゴも狙いにしているものが、昨年同様入れがかりになるのは、カワムツだけ。今回はサシを用意していったから、おしげなく使えた。途中から唐揚げにして食べてみようと、「確保」にかえて、30尾ほど旅館に頼んで揚げてもらった。アメゴや鮎には及ばないが、思ったよりいけて収穫だった。この安田川は、5年ほどまえから、鮎が少なくなって「近自然工法」による河川改修をしているとか。山が荒れたことが原因でとのことで、この地も環境破壊にさらされていると、らちがいでないこと を、思い知らされた。



"2015.8.1高知県馬路村魚梁瀬「フェスティバル魚梁瀬」の花火" を YouTube で見る

 爺さんが、ショートスティーにいって、体調が悪くてまた入院になった。入院したのは併設されている場所にある病院で、移動は大事にはならない。連れ合いが、お婆ちゃんを連れて、息抜きに出かけていたが、以前にもあったことなので、要領は承知していた。入れ替わりにこちらは馬路温泉にでかけた。二回目の訪問になった馬路村は柚子の里として知られ、人口が1000人ほどという。温泉周辺を廻ると、村をあげての取り組みを、身近に感じることができる。昨年につづいての利用で、従業員さんとも顔見知りになり、馬路村の奥から通ってくるその若者は、ちょうど祭の日であることを教えてくれた。話す言葉のの端々に郷土の思いを感じて、勧めに従ってでかけてみることにした。20分ほど走って着いた山あいの公園に、300人くらいの人が、広げられたシートに座って、舞台の出し物に喝采をおくっていた。出演した保育園の子供たちや、若者のバンドか盛り上げていたが、夕方の陽が落ちていくときのシチェーションは、昔何処かであったかなと、懐かしい想いをさせてくれた。奥まった地で、お年寄りが多いのかと思ったら、赤ちゃんをつれたママさんや若者が多くて、村の息吹きを感じさせてもらった。

2015年8月6日木曜日

二つの原爆投下でVサイン??

 いわゆる勝利を表するチョキのこと。第2次大戦のときのイギリス首相チャーチルが、ヴィクトリー勝利を現すVサインを出すのがお得意で、原爆投下の話を聞いたチャーチルが、得意のVサインをしたと言う話。これを見た記者が「勝利のVサインですね」と質問したところ、「いや、これは平和、ピースのサインだ」「どういう意味ですか?」「世界の平和は、この二本、広島と長崎によってもたらされる」と答えたという。以後、勝利のVサインが、平和のサインともなったとか。

 これが事実と言う前提だが、広島、長崎の原爆投下によって、Vサイン=ピース・平和が表されたということなら、日本人としてはそのまま飲み込むには抵抗がある。核実験を人類に初めて使ってみた行為が、平和のサインとされては日本にとってはたまらない。その後、泥沼になってきたベトナム戦争に行くのはイヤだ、という若者の「早く平和な世界を」というアメリカ政府に対する反抗のサインということでも使われたそうだから、それは平和を望むという意味にはとれないことはない。スポーツ競技でもよく使われることだが、このポーズはカメラの前にたったとき、若者のなかで“一般化、普遍化”している。しかしVサインの持つ意味はそれなりの意味と歴史をもつとなると、簡単に使えないことになる。

 カメラの前のポーズがVサインという定型的な恰好は、こんな意味合いを取り込んだものだろうか。今風のこのポーズの理解は楽しさと喜びの表現なのだそうだ。いささか浅薄なことだとも言えそうだ。さりとてこのワンパターンの他にどういうものがあるかということは、わが年代よりも若者の方が身に着けていることでもある。また、Vサインは、百年戦争のときイングランド軍の弓兵が、敵であるフランス軍を挑発するサインとして使用したのが発祥という説もある。平和と戦争を表象するもの、双方にかかわるVサインとは妙なものだ。
 1948年(昭和23年)に建てられた
 現在のもの(左側)

 8月6日のヒロシマに続けて、長崎に落とされた原子爆弾の「原子爆弾落下中心地の標」が1948年に長崎市によって設置された。この写真をどういうわけか父が持っていた。8年後に現在の形状に変え、1968年には表面を御影石に張り替えたとのこと。

 1996年に「撤去してモニュメントに」との計画が起きたが、当然批判もありこれは断念した。現在のものも「原子爆弾落下中心地之標 地上500米にて炸裂」と表してあった当初の木製のものよりは、現実味が薄れている。「風化」を能動的に働きかける輩もいることだろう。この地が平和記念公園でなく、平和公園と称していることも歴史の重みを感じさせることで、人類の生存にかかわる負の歴史を薄めたり風化させてはならない。

ウィキペディアから
・1948年(昭和23年) - 市が、盛り土の上に木製の標柱を設置。「原子爆弾落下中心地之標 地上500米にて炸裂」の表示。
・1956年(昭和31年)3月 - 三角形の鉄筋にを蛇紋石張り付けた現在の形状に。デザインは松雪好修。高さ6.5メートル。
・1968年(昭和43年) - 表面を黒御影石に張り替え、現在の姿に。
・1996年(平成8年) - 中心地碑を撤去して、新たなモニュメントを建立する計画が浮上、問題化する。撤去してその跡地には被爆50周年記念事業碑(母子像)を建立する予定であったが、撤去計画を断念。



2015年8月4日火曜日

新豊洲市場のサギは大丈夫?


 新豊洲市場を見ているうちに、建設場所から流れ出ている水路

で、シラサギが餌をついばんでいるのが見えた。橋の上からこち

らが顔を出したので、一度は警戒して飛んで行ったのだが、すぐ

戻ってきてまた同じ動作をしている。よほどいい餌がいるのだろ

と思ったが、視認するのは無理だった。なにか生きている餌に

いないが、かの建設中のところから流れ出ているものだから、

題の六価クロムだのシアンだのと言う有害物質の影響はない

だろうか。半体が白い鷺と流れ込む黄土色の水がなんとも、異

様な色だった。













2015年8月2日日曜日

東京の公共事業「新豊洲市場」ここにもあり

 新国立競技場の「白紙見直し」という前代未聞の「良い」政治がおこなわれて、民主主義とはかくたるものと、少しだけ評価していいのかという具合になった。でも、これまでも「凍結」という言葉も活躍して、時が過ぎればまた復活などということは、いくらでもあった。公共事業が大手を振っている時代はどうみても終わっているわけだから、そういう意味での宿題もこれまた、たまっているわけだ。しかし八ツ場ダムなどは、中止と継続がもてあそばれて、住民同士の亀裂を残すようにまでになってしまった。

 どこもかしこも、山を削り川を壊し「新しい町」を創造するという美名がまだまかり通るようで、「戦争法案」だけでない、後ろ暗い政治も絶対許さないということに高まるべきだと思うし、早晩射程距離に入ってくるのではないかと期待したい。

 新豊洲市場の建設が急ピッチで進められている。一度は「必要ないと」と結論を持った者が、一知事の気まぐれで再浮上してきたという、旧の場所でいいよとしていた多くの意向を無視して、すすめた馬鹿なことといってもいいのだろう。先日、建設中の場所を見てきた。膨大な建設地域に大量の鉄材やら建設機材が配置されていた。建設における費用の膨大さも実感したが、東日本の震災復興に比べたら、「どれだけ」のムダなことと改めて想うところだった。














2015年7月30日木曜日

高齢化社会の真っただ中

 義父をショートスティ―に、本人の状態を少し心配をしながら預けたのだが、入所した翌日には、足の指の爪が剥がれたとか腕に傷をつけたとかと、連日連絡があり処置したこという連絡があった。説明を聞いて、そんなに大事ではないなと思えたので、そう心配もせずにいた。本人の身体の動きはますます悪くなっていることもあって、介護もなかなか大変なのだろうとは思う。家にいるときのような動かし方とはやっぱり違うのだろうと思いつつも、もうちょっと丁寧にと率直に感じるところもある。

 そしたら今日は、尿の出が悪くて呼吸も苦しそうなので、入院して膀胱の炎症対策と酸素吸入をさせたほうがいいという連絡があった。病院を併設しているのでそこでよいかどうか、その了解をとのことだった。「ほかの病院に行きますか?」と言外に言われているようであったが、こういうとき「ほかに入院させます」という選択肢があるのだろうかと余計なことを考える。以前にもこれに類することは経験済みだから、それでお願いするということになった。隣が病院なので、施設も移動するのはわけない。保険証やら保証金やらの準備をして病院に行き、入院手続きを済ませてから、看護士さんに本人の状態と身の回りのあれこれを説明し、処遇の仕方の説明を受けた。何回もこういう場面があったなと思いながら、受付で借りた手押し車で荷物を施設から移動させて、「足りないものは購入してください」という言葉を思い出しながら、歯磨き粉はありましたよ」と看護士さんに伝えた。

 事業としてのことだから、収益性を重んじることを否定はできないが、最初に8000円の部屋でと言っていたものが、二回目の電話では15000円だったのですがいいですかと言われて、じゃ止めますっていえるものか。言葉は悪いが足元を見られたようで釈然としない。荷物を運びこんでから、入所施設で準備したティッシュを使おうとしたら、これは使用しないで病院の方で準備したものを使ってくださいと言っていた。(たぶんこれも有料サービスのなかにあるものなのだろう)高齢者の行く先は己の行く先であり、体験する何事もこれでいいのかいの思いを増やしてくれる。




2015年7月27日月曜日

「民主主義ってなんだ!なんだ!」「民主主義ってなんだ!これだ!」の声 国会前に響く

 国会前の集会に行って、若者たちの「戦争、いらない!、アベはやめろ!」の唱和に共感しながら加わった。目下の所属のつりの会にさえ、行動参加の気持ちがあってのことなので、なんの得があるわけでないのに馳せ参じる。この「得」とは「9条を守って、戦争の道にいかない」という得ではない。「金を貰って若者がかき集められているという根も葉もないことを言いふらす連中」の得という意味だ。特に交流サイト(Facsbook,Twitter)に飛び交っている言葉に、じっとしていられないという気分が引き出される。日を追うごとに安倍首相への批判が広がっていく。そんな気持ちで全国から国会前に向けて単独で来る人もいる。こういう体験はいままでに感じた記憶がない。

 採決を強行したことによって支持率が30%台までに減ってきているが、正直なところまだ支持がそれだけあるということが信じられない。アンケートの撮り方によるものとも思うが、昨日のYahoo関連の指示。不支持のアンケートでも50%が指示というものもあった。ネット右翼や日本会議の「取組み=ネット対策」も当然考えられる。「連休明けたら忘れる」などと言われたのではそうはいかない。そうはいかない流れが連日のパレード・集会に結びついている。

 新国立競技場の白紙見直し(?)がいわれて、連日にぎやかにワイドショーで取り上げているけれども、支持回復のためのものと誰でもが思う。飛び出してくる「2500億円が出せないのかね」というのが本音なのだろう。言うことなすこと自民党が劣化していると思わせるのに十分。

 「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」が"文部科学省、日本スポーツ振興センター: 神宮外苑の青空と銀杏並木の風景を守ろう!巨額の建設費をかけない、いまある国立競技場を直して使おう!"NET署名を打ち出したのが一昨年(2013年の12月頃)だった。


 「…未来へわたす会」は「最優秀案は、1300億円という予算をクリアしておらず、このまま建てると3000億円になるという試算が出ています。」とすでに指摘していた。テレビなり新聞なりがまともに取り上げてきていれば、もっと早くメインの問題になったことだろう。一年半かかって、マスコミの中心話題になってきたのは、圧倒的に議席をせしめている自民党の政権下であっても、有権者の意向に沿わなければならない状況になってきた。

2013.12.25



 

伊東豊雄氏「半額で工事できる」国立競技場の改修案発表

(2014/05/26 に公開)映像16分17秒













2015年7月19日日曜日

連休で忘れるというふざけた話が通用するはずはない

 戦争法案の採決が自民党、公明党によって衆議院で強行された。NHKはさっさと、今国会での成立の可能性が高まったと報道した。「連休にはいれば忘れる」という政府関係者の話といい、これまでにはないような大きな批判が起きているのがわかっていないらしい。自民党政府のやることを正面から批判もしないできたこれまでのやり方が通るはずはない。

 野党は、修正案をだすという党も含めて、採決には反対の態度を取ったのだから、国会の外での怒りと批判がどれだけ影響が大きかったかが分かる。若者たちもNETで呼びかけて、国会前でも訴えをし、今老いも若きも全国で「戦争やめろ」の声を合わせている。
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。= http://www.sealds.com/


 若者の行動を見て、特攻隊をめざす元予科練の高齢者が、死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んで行った特攻隊員たちを思い起こして、死んでいった先輩や同輩に「今こそ俺たちは生きかえったぞ」とむせび泣きしながら叫んだという。「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」と。









2015年7月15日水曜日

戦争反対の声がますます大きくなる

国会前の座り込みに参加して戦争反対の声に触れた。真正面から率直に出す声は心に響く。なんとかして声を伝えようという思いから、たくさんのアイディアが生まれている。このところ座り込みと、昨日の日比谷野外音楽堂での集会に参加して、あってはならない戦争への道を止めろとの声が蔓延しているのがよくわかった。昨夜は二時間以上もデモの出発を待って少々疲れたが、10時近くまでかかっ行進後も皆元気だった。

若者の参加が目立って、もちろんオールドパワーも一緒になって行動しているが、これが確実に広がっているのがわかった。座り込みの時も、北海道から一人で上京してきている人に出会った。デモ行進の時も、デモ隊に向かって自分の主張はこれなんだと、ポスターを掲げてアピールしている人もいる。「戦争止めろ」「9条守れ」という揃いのポスターも、一斉に掲げると迫力があるが、自分なりのやり方と自分の思いでアピールするのはすごいことだ。かつての組合の「動員」のデモ行進ではなかったことが、いま起きている。

渓流9条の会で、ヤマメの版画を釣竿につけてアピールしているが、これがいつも撮影者のシャッターチャンスになっている。7月10日からはイワナが加わって、いよいよ「上流部」へさしかかったとシャレにもなった。


鍋は100円ショップ、アベ首相の顔は国会の売店で求めた手ぬぐい











2015年7月7日火曜日

写真展と能が終わって

ほっとしているのは間違いないが、見てくれ来てくれとお願いした方たちとの交流と、その周辺作業で率直くたびれた。
能の道成寺は、息子がやることとて感想なりのことも本人が受け止めればいいことだが、何事も次の糧にというあたりは本人が胸にとらえられるかどうかは、少々心配なことだ。「道成寺」は室町時代以前にもあったとかということらしいから、それだけでも「深い」ものがあるということなのだろうか。しかし、伝統を伝えるのにはもうちょっとわかりよくてもいいのではないかと思うのだが、継いで行くということなら、「一般大衆」にも近づいてくれてもいいのじゃないかと思う。


席料の設定も高いものだ。伝統文化をつないでいく永続性も、大切な要素だから高い設定になるのかもしれないが、ちょっと思い切らないとなかなか行こうかということにはならない気がする。声をかけた方のなかでも興味があるという、あるいは好きだという方もおられたから、気軽にいける値段設定であれば観る人も増えるだろう。しかし、その運営にかかる費用もなまじなものではないことも、息子の言動からうかがえる。国なり自治体が伝統文化を大事にして後世に渡せるように配慮すべきところだろう。



 直前までご指導下さいました先輩諸氏のお言葉通り、思いきっ
てやることを心がけました。まだまだ足りないことばかりですが、
これを新たな出発点と定め、励んでいきたいと思います。
伊藤 眞也






2015年6月30日火曜日

写真展終わっての余話

 14人の写真を並べた展示会は、鑑賞してくれた方々の感想によっても自分なりにも熱いものになった。汗をかいて走り回るという夏祭りのような感じだった。自分の作品の程度はさておいて、これまで撮りためたものの「まとめ」をするという作業は、率直なところそれなりに大変なものだった。自分なりの写真から抽出するのさえ迷い、キャプションに生み出すには足りない知恵を絞るという行為は、身を削るようなものだったというと少し大げさになるだろか。

 この写真展の一番の動機は、これまでの写真を撮ったときの「思い」がパソコンのHDDに残ったまま眠っているのでは、もったいない。いや正確には「もったいない」と言われるかもしれないものもデジタル情報のままでは、なにかの肥やしにさえならないことでは、自分の気持ちにも区切りがつかないということだった。

 同期の「29眼」と銘打つグループで、やろうかとなったのは続けてきた同期会の撮影会の折だった。ちょっとアルコールも入っているから、勢いもあったには違いないが、なにせたんまりある写真の在庫から引き出す作業さえすればいいし、デジタル研究科のプリントの技法もいくらかわかってきたところなので、実に実践的にことを運べばよかった。だから割合心配もなくいくだろうと思ったのだが、そうは簡単に問屋が卸さない。

 いったいどんな写真を引き出してくるべきなのか懸命に考えた結果は、先輩が案内してくれた能登の写真だった。これはこれまで何回か通っているので写した写真の数は多い。能登はその海の広さやそこに息づく人の様子や、小さな港な、心に残るところが多い。4回目になることし2月に訪問したときには、NHKの朝ドラの撮影にも遭遇した。「こちらの方が通い詰めているのだ」との文句をつぶやきつつ、冬の凍てつく間垣の里を撮り、蓄えを増やした。過去に撮った能登、輪島の写真も見返しては見たものの、結局直近のイメージが強いこともあって。テーマとしてはこの地の生活の厳しさを表わすことに決めた。このときは写真展を十分に意識していたものだったので、海が荒れる冬の様子を撮りまくった。

 「能登の北風」というキャプションも、あれこれと考えたつもりではあったが、この展示会を通じて、もっと違うものがあったのではないかという気がしてきた。これはこれから先の話になるのだろう。機会があるのかどうかはわからないが、絞った写真ももっと違うものがあるのではないかとの思いも湧いてきている。

 5枚中の一枚、猟師の小舟の舳先に飾られた榊は、海の荒れを収めてくれる祈りを表したものだろうと、そんな程度の解釈をかってにして撮ったものだった。ところが、実際のところはどうなのかを調べようと、写真展の最中に調べてみたら、石川県と富山県に限られた祝い事だとのことだ。それも毎年211日に催される起舟(きしゅう)と呼ぶ行事とのことで、奇しくも撮影日が211日だった。なんの因果なのかそうでもないかさっぱりわからないが、そんな体験がわかった写真展でもあった。

起舟
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
漁師にとって年に1度のお祝いの日、大小100隻余りの漁船が大漁旗を張り巡らして船を飾り、榊と御神酒を供えて伝統の起舟を祝う。また、大敷き網の各組合では関係者が揃ってにぎやかな酒盛りを開く。漁村の旧正月行事である。
藩政時代から続いているこの行事は、冬の間浜に引き上げてあった漁船を2月11日に起こして海に浮かべ、その年の大漁を祈ったことから始まる。
キシュウという字は、漁村では「起舟」、農村では「吉祝」と書き、発音は同じである。但し、キシュウと呼ばれているのは石川県と富山県の海岸地方に限られています。他県では、「船祝」とか「船霊節句」と呼んでいる。

 日時:毎年2月11日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~









2015年6月25日木曜日

戦争反対、若者も動いている


 久しぶりにツイッターから拾う。若者の声も広がっている様子でうれしいことだ。ツイッターでは「#ふるえる」とキーワードを入れて表示された。キーワードを打ち込んで拾い出すなんて、なんともすごい仕掛けで驚く。
















2015年6月24日水曜日

釣り人が慮るべきこと

人間が他の生物の命をとって、生きていくためのエネルギーに変えるという行為はどんな哲学を描くのが正しいのだろうか。それも自然の摂理の一部と冷ややかに言うことはできるが、自然や動植物が生きているテリトリーへのストレスや容赦ない捕獲(漁)で、このままでいいのかと思いやる人が増えているのではないか。自然の生成やあるべき姿にこれまでそう気にも留めないでいたことも、それに関わってのニュースが増え、気がかりになることが多くなってくる。

先日の釣りの会の会議のとき、外来魚つり会で大量に釣った外来魚の「弔いの気持ち」を表するべきという意見が出された。釣りの会では、釣った魚については、フナを除き(フナは放流する)、食用にして食べるということを基本にしている。当たり前のことなのだが、多くを釣ることを競う場合は釣れた魚(特にヤマベ)を捨ててしまうということが起こりうる。その行動が釣り愛好者としてどうなのかということだ。釣って食するという日本の釣り文化からしても、食するということが釣る行為と一体であることが、風土といっていいのだろう。

外来魚つり会では、釣った外来魚を掘った穴に埋めて廃棄したのだが、確かになんの感慨ももたずに埋めていた。外来魚として法律で駆除対象としているし、釣って食するという範疇=商業ベースに乗らないのだから、そんなことが無意識に出てしまったのかもしれない。

一昨年前に、外来魚を釣って駆除している映像をYoutubeにアップしたものが、この映像へのアクセス(再生回数)が17000回を超えている。この映像には、外来魚駆除について賛否両方から書き込みが寄せられている。当然ながら、外来魚の釣りの対象が減ってしまうことへの怒りがあるのだが、「釣ったら食べろ」というのもある。外来魚釣りをする場合は、釣った魚は「移動させてはいけない」ことになっている。全国各地に放流して繁殖させてしまった「歴史」は蜜放流として表現されているが、よって今は釣った外来魚の「移動」が禁止されている。ただそれにしても、外来魚を大量に釣って積み上げられているのを見ると、生き物を無為に殺生しているとの見方は印象として残る。

生きものであるが故の、人としての対処、応対のあり方を考える必要があるのだろう。





2015年6月18日木曜日

赤紙はごめんだ

Facebookkに召集令状=赤紙の投稿があった。戦後生まれにとっては、平和憲法のおかげ(正確には憲法を守れの声のおかげ)で、未だ本物を見ることはないので、幸いなことだ。こんなものは見たくはないのにマイナンバーによって、さっさとそれも瞬時に準備ができて手元にくるのかと連想すると、「侵略戦争の反省」の大切さが余計に重みを増す。正直、歴史を学ぶことがどんなに重要なことかを、国会の論戦やFacebook、ツイッターで思い知る毎日だ。

赤い色の紙は、税金の「最終催告書」にも使われた。ピンク色なのだが、赤紙と称した。これで「召集」して納付に来いという意味に解すると、その「召集令状」的重みの効果を狙ったのだろう。昔の「高度成長」時代には税の自然増収も多くて、それゆえの滞納である状況も鷹揚だった。「鷹揚」の意味は、納付する方の状況もあるから考慮すべきなのだというあたりの考え方も存在したということ。だから、それで応じないからただちに差押えなどということにも「鷹揚」に対処した。

あくまでも説得でという意味合いで「赤」の次は「黄色」で特別催告書を発送する方法もあみだした。赤色の時代的脅かしから、色の中では一番目立つ黄色を使うことで、近代的になったというほどのこともないが、そういう使い方が意味をもたせたようにも思う。
今は法的要件で督促状だけ発送すれば差し押さえ可能とするやり方が当前視されている。公務員定数が削減されて、業務の達成を成績主義で飾られると、さっさと終えるという発想が幅を利かすことになっていく。担税能力を軽んじた税制で納税の平等だけを強調するのは、富の再配分にはならず合理的とは言えない。こんなことが当たり前のはずなのに、やっていることと言ったら真逆のことになっている。

闘牛のマント布の色が赤いのは、観客・人間を興奮させるためなのだそうで、その効果のために赤色で戦争を鼓舞させるために使われるようなことになっては困る。自衛隊員や若者が、赤い血の色を見るようなことになっていいと思う人はいないだろう。渓流釣りの仕掛けに赤色と黄色の目印を使っていると、この二色の目印が流れのなかで、魚が餌を咥えたかどうかの反応を教えてくれる。よく見えているのが黄色の方なのだが、光の向き加減、背景によっては赤色が見える。平和であってこその釣りであり、赤色もこういうときに役立つほうがいい。



ウィキペディアから
帝国陸海軍の召集のうち召集令状等はその色から赤紙などと呼ばれた。陸軍省による召集の大半において赤色が使われた。当初は真っ赤だったが、戦時の物資不足による染料の節約で次第に地色が薄くなり、実際に太平洋戦争で多くの人が目にしたのはピンク(淡紅色、桃色、鴇色)である。なお、海軍省による召集でも似た系統の色が使われたため、陸海両軍の令状を混同して赤紙と表現することも多い。
以下は召集令状の各色・種類である。

  • 赤紙=陸軍省による充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集
  • 白紙=教育召集、演習召集、簡閲点呼 
  • 青紙=防衛召集
  • 紅紙=海軍省による充員召集



2015年6月12日金曜日

写真のテーマ「共生」意味するところ

 写真のゼミでテーマを考えることになった。どんなテーマであれ、最後は自分が感じて咀嚼しなくてはならないので、ちょっとググッてみた。(「ググる」とは、Googleで検索をすることだそうで)

広辞苑(昭和44年発行)では、「共生、共棲」と記されている。その意味は
「①ともにところを同じくして生活すること②別種の生物が共同生活を営むと考えられる状態」とあり、イソギンチャクとヤドカリ、菌類と藻類の関係が例示されている。

ウィキペディアでは
「…理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてきた。また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってきた。そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
…企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノン企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党みどりの風など)。これは企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノンの企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党、みどりの風など)。」

私の思いですが…
社会の推移とともに、共生の概念が「進展」しているということなのでしょう。歴史の上では、1922年「哲学」として仏教運動に取り入れたとも記されています。(ウィキペディア)社会運動のなかにも使われてきたのはそう古くないことのようで、政党のスローガンとして使用されています。たしかに、公害のまき散らしからダム、港湾建設、道路、都市再開発などによる自然破壊が、「自然との共生」にどれだけの害悪を与えてきたのかを考えると、企業理念として使われる「共生」がきれいごとに違和感を覚えないでもないし、政党のスローガンとしても出現するのは成り行きなのでしょう。
釣り活動を通じてどうしても自然へのダメージを考えてしまうのですが、食の分野でも魚貝類はすべてと言っていいほど、今は「養殖」に頼っています。最近のテレビで、東京湾のハマグリが絶滅危惧種で、現在は有明海から取り寄せているとの報道をしていました。本来自然が持っていた再生産能力がなくなってしまった。ある意味「死亡」したといえるほどです。
「自然との共生」は一見格好がいいワードですが、実は人間が「自然界」を上から目線でみているという不遜な弱点があると思えます。リニア新幹線も強引に建設にむかっていますが、これまででもいったいどれだけのことをしてきたか。川の砂利を採り、山を削ることで与えたダメージは計り知れないことと感じます。そんな思いで「写真としての作品」には少し距離がありますが、着想点として撮り集めたものが私のホームページにあります。

      →「山を削って」
      →「海との共生がごく当たり前の暮らし」




2015年6月11日木曜日

岩魚に逢えて、楽しみ実感

 5日から、イワナ庵に行くことになっていたので、前日には釣りの仕掛け作りに時間を割いた。この釣りが今年2回目で、連れ合いの「行って来れば」というありがたい言葉がかかった。昨年以来の岩手渓流釣りで、以前なら喜び勇むところ、その意気込みも少々萎えてきている。もう渓流を歩いての移動が危なっかしくなってきたから、なにか先が見えてきたようで、もうひとつ覇気に欠ける。竿を落として失くしてしまったり、転んだ拍子に折ってしまったりする近年は、いかに安全で楽しく渓流に入っていけるかの方に心がけなければならない。

ところが、忘れ物がないようにと心がけたつもりなのに、泊まったイワナ庵に竿を置いて出かけてしまった。まさかこれまでそんなことはなかったのにと、愕然としたところだった。そこでまた「もうこの釣りはダメかな」と弱気が出たところ、竿を余分に持っていたSさんにお借りしてやることになった。自分の竿の調子と違うから随分と慎重に釣って、針にかかった魚をばらすことがなく、反ってよい結果だった。自分ばかりのミステイクでなく、「餌を忘れた」という事件も発生したが、そこは私の方から提供できたので、あれやこれやの弥次喜多道中で、これも釣りの楽しみのうちに収まった。

今回も、小国川の上流部に狙いを定めたが、反応が悪くないので連チャンで行くことになったのだが、それで沢の全体像が見えてきた。小沢に入って結構良い反応だったり、少し釣り場所が違っているだけなのに全然ダメだったりする。先に釣りに入った人がいたことが、一番影響しているのだろう。小沢は釣りの経験による違いは比較的ないものと思うが、流れが大きくなるにつれてどこを狙うかの違いがでる。その場所でいつまで粘るのかという課題が一番肝心なところだろう。「ここはいない」と決めるチャンスを早くつかむことで、次の場所にいくことができれば魚に巡り合える機会が広がる。

同じ沢での一日目の水温は10度で二日目が12度だった。あとで話して分かったが、一様に二日目の方が魚の活性が高かったという印象だった。水温が決定的な事情で魚が釣れないのかということも言えないし、釣り餌の選択も人によって違うことなので、単純に判断できることではない。条件を重ね合わせて何回も経験を重ねて記録を残す以外にないのだろう。魚を釣った分だけ食するというのは古来からの本性だから、獲る楽しみが元気の源になるはずだ。理論的か科学的な分析によるものでなくとも多分それは間違いないだろう。

 イワナ庵のO先生にまた大変なお世話を受けた。イワナ庵の外に出ると、草木の香りがなんともよい心地で楽しめる。これも元気の源だ。満天の星を眺めながら、東京の真昼のような夜空から遠ざかった幸せをかみしめることができて、いややっぱりまた来たいものだと、ふと思った。


30センチに届かず







2015年6月3日水曜日

ガラパゴスの悲哀

ガラパゴス化とは日本が生み出した言葉。「ガラケー」という言葉で、旧時代の携帯電話を指して、スマホに変わらない時代遅れのといった意味に使われると思うのは年寄りゆえのヒガミかな。商業的な方面からの発想が生み出したこの言葉、最初の印象は「あなた遅れているよ」とのイメージだった。

ガラパゴスは「発達した」都市部から、遅れているとの意味にも取れるが、「他の島との接触がなく隔離された状態であっため、独自の進化を遂げた動植物が多く存在することで有名」だと説明されている。かえっていまどき自然実にあふれた独立独歩の自立したところだから、ガラパゴスと馬鹿にされようなんだろうと、まにあっているのだからその幸せは悪くないんじゃないかと言いたいところだ。

だいたいスマホときたら、電車の中はもちろん歩きながら、果ては自転車に乗ってまで使っているのだから、それだけでなんたるものかと、反感ばかりが先にたつ。よって、スマホなんか使うほどでないと決めてかかったのは当たり前。ガラ系電話使用の頻度はさておくとして、電話以外にはメールの使用がほどほどにある。電話で生の声で交わすのも信頼関係の醸造にもなるが、メールの使用は言葉の交換に加えてのバリエーションとして使えるものだ。電話とメールあれば間に合う生活をずっとしてきたし、実際それで用は足りていた。だからガラパゴスと言われようと、買うものかと決めていた。

 ところがだ。Facebookの交流サイトでパソコンを使って交流をしていると、どうもスマホからの投稿が多いようだとわかってきた。それはそうで、道を歩きながらであっても、朝の散歩のときや庭の手入れ、料理の途中であっても「それっ」と投稿できるという文化(だろう)は、その投稿によって反応が返ってくるということであれば、そのやりとりによる充足感が手に入る。多分それは、つぎつぎと切迫した時間から解放されるための手段とも見えるし、情報の高速な伝達手段でもあるようだ。と書けば、なに隠そうスマホ派に加わったことを曝露したことになった。



2015年5月26日火曜日

イルカの受難と日本の受難

イルカは食用としても見世物としても「効用あり」とされている。海に囲まれている日本が、食用としてイルカやクジラを古典的な方法で捕獲しても、それは日本の伝統文化という面もある。だから規制を求める声や所属団体が不届きだという意見もある。水族館のイルカのショーはたしかに面白そうだ。自分でボールを壁にぶつけて遊ぶシーンまで見せられると、可愛いものだと感激もたしかに湧いてくる。

「資源の持続的利用」と言う言葉で、水産資源を管理する理性的な(?)対策が必要とされ、資源として自然をみるという側面からの反省をすることが、現実的な対応になっている。しかし、資源としてカネ勘定をすることばかりではないことも事実だ。一番の問題は、海の彼らの生息環境が酷く悪いものになっていることだ。イルカに限らず海の他の生き物も「環境の改変」によって大きな打撃を受けている。山→川→海への生命体に必要な養分供給が断たれている。日本中の河川が多かれ少なかれその憂き目にあっている。近海の漁業は養殖ものでしのいでいる状態では、絶滅危惧種にちかいものということになるのではないか。自然の保全は人の関与が必要な部分もあるが、自然を人間が生きていくために大切な環境で貴重なものなのだという発想に政策的な現実味がない。

そのイルカを手に入れるのは、伝統の追い込み漁で地の利を生かした捕獲であり残酷とは言えない。イルカの生育数を見ながら捕獲するということなら、保全のためのブレーキはかかっていると言えるだろう。ただ、水族館の要請に基づいて販売するというのであれば、また違う要素があるという気もする。「可愛い」と「面白い」という見る側の方では、楽しみを奪われるということなる。
知能が高いイルカは何を思っているのだろうか。

2013年に米海軍の訓練や実験で、環境影響研究報告を出し「模擬実験のせいで、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭のクジラやイルカが死に、重症を負うものは11267頭、方向感覚を失うなどの異常行動をきたす個体は2000万頭と試算」と発表している。これにはそんなものじゃないもっと酷いとの批判もある。

ビートたけし氏が、大量のクジラが浜に打ち上げられて死ぬ問題について、「そういったものが原因である可能性を指摘した。追い込み漁を批判するならば、そちらについても議論すべきでないかと訴えた」と批判したのは当然のことだ。


 水族館の「見世物」はそれだけではないだろうと思うが、イルカショーをやらないと客が減るという問題を抱える。自然の偉大さを学んで、愛すべき自然と人間との関わり合いを伝えてくれる水族館の役割は大きいと思う。先ごろはクラゲを使うところも増えているらしい。有名な加茂水族館(新潟県)に続いて、新江の島水族館(神奈川県)、のとじま水族館(石川県)、しながわ水族館(東京)…なんだこれも横並びかと思わないでもない。

 もう一方で、イルカショーを取り入れなし水族館もある。ふくしま海洋科学館では2000年の開館当初から、イルカショーを行わない方針を積極的に打ち出している。開館3周年を機に「環境水族館宣言」を発表。2010年には東日本で初めて、釣りをしてその場で魚を食べられる体験施設を併設するなど、食育も含めた総合学習的な展示に、いち早く取り組んできたとのこと。









2015年5月21日木曜日

憲法9条を心にとめる人が増えてきて

 愛川欣也さんが亡くなって、反戦平和を貫いてきた生き方に賛同が寄せられている。うつみ宮土理さんのブログに「キンキンが一番大切にしていた精神は平和…私たちは憲法を守る 憲法が私たちを守る 愛川欣也…平和を守りたい」と書きこんである。正しいこと当たり前のことを歯に衣着せずに公にすることは、有名人にはなおのこと大変なことだろう。主張を曲げずにNET放送も続けてきたということだから、なかなかできないすばらしいことだ。→うつみ宮土理のブログ



「最近では、憲法9条の解釈が問題になったりしていて、私たちがきちんと知っておかなければいけない時代だと思います。解釈改憲は、内閣が勝手に閣議で決めてしまえば、私たちは知らなければ知らないまま終わってしまうけれど、日本は民主主義じゃないですか。選挙で一票投じるときに、きちんと今の国がどんなことをやっているのかを意識した上で、一人ひとり投票する必要があると思います」とは、AKB48の内山奈月で現役大学生。『憲法主義』(PHP研究所刊)を発売したことで、握手会に、弁護士や裁判官の方も足を運んでくれるようになったとか。


 壇蜜と呼び捨てにするのはいかがかと自分でも思うが、「さん付け」がどうもしにくくて、愛称的親しみで…とはいってもテレビでたまに見ただけのこと。艶っぽさで有名であることが周りからコメントされてそのことを知った。この壇蜜さんが、9条のバッチをつけているという写真がNETで飛び回った。調べる人もいて、確かに9条の会がかつて発行したものらしい。それとなくでの主張と思うが、知れば相当のインパクトがある。




2015年5月19日火曜日

日米地位協定が為す思いやり

 米軍関係者が所有する車は自動車税が安い。自治体によって税額は異なるが、日本の自動車税の「何分の一」という設定になっている。不届きだと言えば「日米安保体制」のもとでの思いやりという言葉が返ってくる。この車は高速道路の料金も無料になっていて、防衛施設庁が肩代わりして=つまり我々の税金で支払っている。「米軍に守ってもらう」代償だからというのだろうか、随分と厚いおもてなしをしているものだ。自動車税の納付をしてもらうのに東京都職員が基地まで出張していくというサービスも、「効率的」という解釈で行われていた(現在もされているだろう)。

米軍関係者の自動車税軽減提案へ 京都府、基地開設に伴い
 
 京都府京丹後市への米軍Xバンドレーダー基地開設で、府は日米地位協定に基づき、米軍構成員らの自動車税を軽減するための条例整備を行う。府内に居住、滞在する米軍関係者がマイカーを保有することが想定されるためで、11日開会の9月定例府議会に関係条例の一部改正案を提案する。
 対象となるのは、米軍人や軍属、その家族らで、私有車両に特例税率を適用する。排気量が1~1・5リットルの小型乗用車の場合、府民の自動車税は3万4500円だが、米軍人らは7500円になる。
 特例税率は、沖縄県や神奈川県など米軍基地がある県も同額を適用している。府によると、自動車税は財産への課税と道路修繕の負担金という二つの意味を持つが、日米地位協定で米軍人らは動産の保有に対する租税が免除されているため、道路修繕の負担部分のみの課税になるという。
 9月定例府議会への上程議案は計17議案。特例税率に関する条例改正案のほか、商店街への観光客誘導支援や織物産業への補助などを盛り込んだ総額7億5千万円の2014年度一般会計補正予算案も提案する。 

自動車税が道路の補修部分という屁理屈はさておくとしても、地位協定で「米軍関係者は動産の保有に対する租税が免除されているから」という理屈がたてられているのも妙なもので、国内向けの扱いとは相当違う。


先日、自動車税13年超の重課税を廃止させようとの「NET署名」がFacebookで訴えられた。13年超の自動車には「通常税率の15%アップ」科せられることになっていることへの訴えだった。







2015年5月12日火曜日

豚をロディオで使うな!は私は一理ありと思う。

豚をロディオで使うのは「残酷」だから止めさせようとのメール署名があった。豚を「殺して」食べているその同じ人間が「残酷」というには矛盾がある気もする。人間は、人間以外の生命体の生涯を断ち切って、口に入れて持続するエネルギーを得ている。その生命体の「殺し」ぬきには自分たちが生存できないという十字架を負っている。将来、生き物をなるべく殺さないで、代替えできるものを編み出すことも考えられるが、しかしそれは一局面での利用であって、人間という生命体が持続していくうえで、とってかわれるものを編み出すとは考えにくい。人類の長い歴史で経験、蓄積されて引き継がれた身体が、他の生命体の「注入」ぬきには成り立たないのではないか。飼料やら生活環境やらの改善で、おいしい豚に飼育されて食に利用されるのが至上の道とする、ある意味人間のエゴイズムという実態はたしかにある。

 しかしそれなら、ロディオで利用して遊ぶのは「虐待」にはあたらないという結論でいいのかどうかは、少し悩ましい。もともと、その日の食べ物を手に入れるために、槍を持って必死で獲物を求めたという頃と現在とは違う。食用として飼育、繁殖させたということでは、種の存在を危うくしたということでもない。命を失くしてしまった「罪」を軽減されるということでもないが、近い将来人間に殺されて、食材にされてしまうとしても、生きている間の命をあえて痛めつけることはないほうがいい。そう整理をして、署名に応じることにした。








2015年5月5日火曜日

下駄の鼻緒修理に商店街の履物屋さんに行く

 家の中の片づけをしたおりに、下駄箱から新品のゲタをみつけた。会津の刻印があるから、家族旅行のおりに手に入れたものだろう。そのときは、いつか履くときもあろうかと思ったのだろう。下駄は小さいころに履いていたし、ひところは就職したての頃も、使っていたことがある。しかし、道路がコンクリートで完全に覆われてくると、使う気にはならなくなっていた。

 引っ張り出して、使い道を考えた結果、ベランダだけで使うことにした。ベランダは硬質のビニールのようなコーティングをしてあるので、コンクリートよりはずっと柔らかいから、すり減り方も少ないだろう。ベランダで洗濯物を干すときに、常駐しているゴム製のスリッパに変えて使っている。ゴム製のスリッパは自分の足には小さくて、一度はいたら脱ぐのが厄介だったからちょうどいい。

 ところが、何回も使わないうちに、鼻緒が切れてきてしまった。何十年もお蔵入りしていたのだから、傷んでいるのも当然だろう。川島通商店街に、たしか履物屋があるのでと、下駄をビニール袋に入れてつりさげ、散歩がてら行ってみた。お婆ちゃんが出てきて、直せますよと後から取に来るようにと応じてくれた。商店街は売出日であるのに、歩いている客は少ない。店の4分の3くらいはやっていないのだから、寂しいものだ。帰り道の途中で本屋の前に、写真集の宣伝があった。川島通り商店街の昭和53年の写真があって、覗いてみたら当時の賑わっている様子が写し出されていた。






2015年4月28日火曜日

息子の仕事も「ブラック」並み

 腰が痛いのとウダウダしている間に「時は流れ」前回のブログ投稿から六日目になった。多少の義務感と少なくなっていく脳細胞の刺激のために、なにか書かなくちゃとまた思う。きっとこれも健康のための秘訣だなと、だらける気持ちを蹴とばして、頭の体操に入ることにする。

 福岡から帰ってきた息子と久しぶりに顔を合わせて、「何かいいことはなかったかい」と話しかける。「ウンない」と予想通りの言葉が返ってきた。ほんとうはあったのかもしれないが、あっても自分に似てしゃべるのが面倒なのかもしれない。昨夜東京に帰ってきて、そのまま事務所で仕事をして、夜中遅く帰ってくるのでは、頭が動かないのは確かだ。

 働いた成果も当然ながら、漏れ聞く仕事量の大さはなまじでないらしい。まさに「ブラック」だと言うと、本人も妙に納得している。変えうる何かはないのだろうかと、考えては見るもののなかなか手立てを思いつかない。心身に負担をかけるなら、仕事を変えたらと言ったこともあったが、本人がやりたいという「仕事」に幾分かの甲斐を感じていることだろうから、「慣れ親しんだ」積み重ねは、簡単にひっくり返すという選択にはならないのかもしれない。大変だと言いいつ朝食を摂りながら、テレビのチャンネルを回すのが生きている証拠のようになる。

家族で連れだって、舞台の応援に行くのも介護状況になって、かなわなくなってきた。会場に若い人たちがきているのが救いに感じる。

ー「六浦」ー

 朝から晴れて気温が上がるのだと予報している。窓を全部開け放って掃除機をかける。プリンターの下の綿埃を団扇で煽ぎだすのが流儀。窓から出ていく塵を逆光で眺めながら、よくもこんなに出てくるものだと眺めながら、煽ぎだした。