2020年1月7日火曜日

遊歩道にひっそりと祠が


 中日の時間を温泉の外に出てみる。裏側に遊歩道があった。写真を撮るには人気がない方が、シャッターを押すタイミングを自由に、かつゆったりと構えられて気が楽だ。開けた林の中の道をゆっくりと登っていくと、面白い恰好をした石像がいくつか鎮座していた。

 ちょっといたずらっぽくいて愉快なポーズをした石像は、静かな森の雰囲気と対照的に、和やかな雰囲気を醸し出していた。小さな祠に陽が当たって樹々の枝が影を映している。撮影させてもらってから、撮影料のつもりで気持ちだけ賽銭をあげた。












2020年1月3日金曜日

初詣の神社に長い行列


 元旦に家族そろって、という程の人数でもないけれども、人並みの正月を迎えた。大みそかは例年息子の奉納能の写真を撮りに出かけている。今回も年明けすれすれの時間に鳩の森神社に出かけた。昨年と違って30分の舞台を見ているのが、やけに寒くてまいった。演じている方は、「半露店」で夏冬にかかわらず同じ装束なのだから、それより大変なことだろう。

 鳩の森神社の初詣客が横目で能を見ながら、参拝が始まるのを待っている。スマホをもって舞台に寄ってくる人ももちろんいる。並んでいる参拝客の列は去年より長かった。
 朝食を終えて、カメラをもってウォーキングに出かける。近所の神社に向けてざわざわと人が歩いているので、行ってみるとここも長い列が続いていた。あれこれの願い事が多いということの証明なのだろう。西新宿の熊野神社にも長い列が道路まで飛び出していた。

 翌二日、これもそろって温泉の旅へ出かける。途中初詣しようと伊香保神社に寄った。小さな神社でここも人の列ができている。浮世の付き合いということで、参拝したがいつものごとく、願い事はしない。願い事が多すぎ、かつ大きすぎて頼まれた方が困るといけないから。


  伊香保神社


伊香保のそば処



2019年12月31日火曜日

酔っぱらいと正気のせめぎあいの一年でした



 ことしもよく飲みました。酔った勢いで、こないだ何か約束したよなと、あとから確かめあうこともありました。身体への影響を気にしないではないけど、ちょっとだけ対策。
 飲んだ日の記録をとることにして日記の最後に「飲酒」「休酒」と書き込んで、二日続けて飲んでいれば「飲酒2」と記することにした。すると一年間どれだけ飲んだかと言うことが調査できる。日記はGoogleドキュメントを使い、〈検索と置き換え〉という機能があるのでここで「休酒」を検索するとその数がでてくる。今年は182だった。逆算して183日となって、一日だけ飲む日が多かったのが今年の決算だった。

今時目珍しい、4段重ね!

コンビニで「特産品」

 旅行けば



2019年12月26日木曜日

「ホタルイカの身投げ」と称する文化


 溜まっているビデオを見ている。「ニッポンの里山」、「新日本風土記」は各地の自然と人の活動の姿を映している。綺麗ごとみたいな側面もあるが、日本にある素晴らしい自然や豊かな文化を取り上げている。できればいつかは写真を撮りに訪れてみたいと、思うところがたくさんでてくる。
 とはいえ、北海道のなどの自然といわれても、なかなかいかれるものではない。とりあえず「夢」にして頭の隅に置いておくしかない。

 ビデオのうち、富山湾のホタルイカの漁を取り上げたものは印象的だった。3月から5月にかけてホタルイカが産卵のために浅場にやってきて、産卵後深場に戻るホタルイカを定置網で捕獲するという内容だった。漁師は稲わらで編み上げた網を、定置網にして追い込む。ホタルイカは網の目が体の数倍もあるのにくぐることはなく、誘導されて袋の部分に入り込んでいく…。漁のあと残された藁製の網には、海藻が付着して繁殖し小魚などの棲み処にもなる。藁はやがて海に溶け込んでいく。

 プラスチックの投棄、海洋汚染が大問題になっているとき、自然との共存が考えられていたことに驚いた。稲が機械で収穫されることで、藁が手に入らなくなっているとのこと。自然との循環がどこかでボタンを掛け違えている気がした。

 NETで富山湾のホタルイカ情報を補足したところ、この時期の観光や、4月の祭りやらが紹介されていた。闇夜でホタルイカが産卵した後に方向を見失って、波に押されて浜に乗り上げることを「身投げ」と紹介している。観光のひとつの目玉としているらしい。ホタルイカの「目」を口で飛ばして「競技する」という催しもある。これが現代の娯楽、笑いの文化なのだろうか。茶碗に残った米粒を「ちゃんと食べろ」と怒られた世代からは、そこまでやるかという気がする。

 富山県農林水産総合技術センター水産研究所の調査では、2019年の予測で漁獲量減少となっている。水温の上昇が大きい年は漁獲期が短くなると…。温暖化の影響が自然界に圧をかけている様子がうかがえる。





2019年12月21日土曜日

退け時の寂しさこれあり


 10月にあった60周年記念演奏会、11月の合唱祭が無事に済んで、気分のうえでは一区切りになった。それよりグータラな身がそれ以上に休みたいと声を上げている。先週の男性コーラスの新しい曲で、「高音」の部分があった。高音部を他の人に被してもらうことができれば、とりあえずは何とかなるのだが、それはできずかすれてしまって音にならない。
 
 それで思い出したことがある。千…合唱発表会と合唱祭の演奏の際に、演奏した曲の講評を受けた際、「高音部が惜しい」旨の評価をうけた。それは思い当たることで、どうにかしなくてはと言う思いはあった。しかし自分の努力を超えてのことで、それ以上どうするかの方策は持つことはできない。

 「写真」をはじめて15年になるが、写真は作品を発表するまでの過程(「人目に晒す」まで)で、一様でない相克や葛藤がある。撮った写真がいいと思うことが絶対でないということが往々にしてあり、しかも人によってそれが異なる。ここが反面面白いところでもある。写真の表現は解釈まで含めて〈100通り〉もあるかもしれない。そういう意味では生き物のようでもある。画面に表す明暗、色彩、コントラスト、切り取ったドキュメント性など、わかってくると一層味わい深いものがある。

 合唱も重なるところはあるだろうと思う。表現力と受け手側の共生とでもいうか、曲の表現で共感を生むところは、同様の性質を持っている文化と言えるものかもしれない。極めることに近づけず残念に思うところだけれども、両方ともやりこなすには、ちょっと無理なところにきている気がする。

2019年12月17日火曜日

もれなく買い物できた(^_^;)

 最近は買い物に行ったときに、複数の品物を購入しようとして、一つ二つは忘れて帰ってくる。別に今日明日の命にかかわるものでないのだから、構うことはないのだが、だんだんその事件が多くなると、いささかの心配事になる。

 歯磨きをしようとしたら、コップが見当たらい。よくみればいつもと違う場所にある。まさか「誰か」の仕業ではないと思うところは、まだ正常の内と慰める。今朝はご飯を窯から盛ったのに、ふたを閉め忘れて「指導」を食らってしまった。

=くつかの生活必需品を買いにでかけた
リステリン…
電動歯磨きの歯ブラシと歯間ブラシを、消毒すために、先日から使い始めた。
キープポアA
包帯を固定するのに使うらしいが、セロハンテープより剥がれやすいので、ゴミ箱に使うビニール袋を固定するのに便利で手でカットできる。写真展作品の額装にも使うことができる。NETで調べたが多量でないと高くつく。
南京豆と粉茶…
お茶屋さんに、この時期に千葉の南京豆が入るので、ちょうどなくなった粉茶も一緒に購入。粉茶は冷やしたペットボトルに溶かして使う。小さなスプーンに4杯入れる。相当数作れる。ペットボトルの低減に少しでも貢献。
牛乳…
粉末コーヒーに入れている。自家製のカフェラテ用。

 以上ちゃんと買って家に戻った。ただ、「南京豆と粉茶」は店を間違えて飛び込んでしまったが、「南京豆」また入れておきますとやさしい?対応(お店もこまったろう)。気が付いて2軒先のいつもの店で購入。

2019年12月13日金曜日

自衛隊が中東に送り込まれる


<12NHK NEWS WEB> 
~中東地域への自衛隊派遣をめぐり、政府は12日午後、NSC=国家安全保障会議の4大臣会合を開催し、終了後、菅官房長官は記者会見で、「具体的なスケジュールなどは、まだいろいろなプロセスがあるので、現時点では差し控えたい」と述べ、自民・公明両党の議論も踏まえて正式に決定する考えを示しました。~

 「調査・研究」の一環でやるのだと説明している。調査と言う便法は捕鯨でも使われている。早い話がちょろまかし。およそ記者会見でも国会でも「しゃべらない、説明しない」のをモットーとしているとしか思えないが、しゃべってもこの程度の見え透いたやり方をする。一色触発の地へ武器をもっていくのだから、余計に緊張を高めることになるのはだれでもわかる。万一事が起きたとしても「日誌改竄、破棄」という「研究結果」でまた隠し通すつもりだろうか。











2019年12月4日水曜日

「認知症」がやってくる

 またゴミ集積場が「いたずら」された。今日はプラゴミの日だったが、集積場のすぐ近くに、食品パック、空などが丁寧に並べられて置いてある。先週には生ごみで、同様に少し離れた場所に散らかされていた。このところ散らかしは収まっていたが、またはじまった。

 やむを得ず家からビニール袋を持ち出して、置いてあるプラゴミを詰め込んで、所定の場所に置いた。それを見ていた向かい側の住人が、散らかしを監視カメラで確認していると話しかけてきた。傘を持っていかれたこともあり、警察と区役所へ通報したとのこと。ちょっと先に住んでいるその「該当者」のことも知っていた。通りかかっている時間も特定しているらしい。

 前回のときには、何ヵ所かで散らかしをしていたので、朝方一時間以上も歩き回ってみた。区民活動センターに通報したしたが、町会へ連絡すると返事があっただけだった。

 その後収まったようだったが、今度は「きちんと並べて」散らかしている。親族と同居していて、ケアーセンターなどへも対応もしているということだが、是非の判断ができない状況で難しいことになっているのだろうか。

 立ち話しながら、履いていたトレーナーに違和感があり、触ると後ろ前反対に履いていた。連れ合いに「もうすぐ認知症になる人が認知症の人話をして」と言われて大笑い。まさに、他人事でない笑えないことなのに。

2019年12月3日火曜日

おおらかな自然に取り込まれて…といきたいもの


 CP25で気候変動の条約を議論する。「努力が足りない」と叫ばれている。叫んでいるのは「人」でも、ほんとうは「自然」の方だ。台風でも台風がなくても重大な自然災害が日本でも多発している。そこから考えれば、自然そのものへの重い負荷を急いで解消することが求められている。

 のしかかっているのが経済成長という怪獣。そこから抜け出ることができなければ、地球の滅亡につながる。サクラを楽しまずに集めた人に権勢を誇る輩が政治の中心にいるのでは、気候変動への「行動」に期待はできない。せっかく咲いた花も怒っていることだろう。

高尾山の自然はなごむ










2019年11月28日木曜日

秋の味わい、高尾山の場合は


 秋の紅葉を撮りたいと思っているときに、今年の場合は狙いを定めてという具合にはならなかった。それでもそれなりにと、高尾山に登った時に撮った写真を眺めていたら、その雰囲気が映っていた。登る道に突き出す不思議な格好の木の根や、神社に参る人波と少し斜め指す光が、秋のコントラストを醸し出している気がした。










2019年11月24日日曜日

上に飛びぬける10階建て

 環状7号線の内側は、住宅建築規制を緩和して、高いビルを建てることができるようになった。不動産業界の事業拡大のため、かつての住宅専用地域内でも、相当な緩和を与えられた。近所はここ何年かの間はせいぜい3階建ての住宅が建ちすすんだ。20年程度の間に新しい住宅がとってかわった。

 その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。

 なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。

 東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。






2019年11月21日木曜日

インフルエンザにかかるかもしれません


 「インフルエンザにはかかるかもしれません。」はだれでもありうることで、部外者でいられることは難しいことだ。でも、いままでかかったことがない。(かかって軽く済んだということもあるのかな?)最近喉の痛みはよくあるが、少なくともここ十年以上は、医者でそれとは診断はされていない。

 それが予防接種をしていないでのこととなると、ワクチン接種すべき論をどう理解したらいいのかわからない。インフルエンザワクチンの予防接種効果はないのだ、という主張も納得する部分もあるし、そうなるとだいたいそんなものはアタリハズレみたいなものだというくくりにという気もしてくる。

 ワクチンを接種してインフルエンザに見舞われなかった時を過ごせば、それは健康に過ごせて「効果があったうち」とみなさなければならないのか?同様にメタボの基準にしろ、血圧の基準にしろ「中途変更」の歴史を見ると、頭から信じるという気にはならない。茶の間のワイドショーだけでない「適切で丁寧な説明」が欲しい。

 製薬会社の売り上げの対象にされるのはごめんだとはいえ、高齢の域に入ってきた折もしかしたらなどと、保険会社の脅しと同様に「精神的安心感」を手に入れることもありそうだ。

身と心清めて帰る高尾山

2019年11月20日水曜日

高尾山で癒し、風邪を追い出せるか


 合唱発表会の少し前から喉と鼻の状態が悪くて、マスクを使い始めた。寒暖の揺れが大きくなって、身体がついていかないのだろうか。血圧が高いこともあるので、体重を下げなければと思いながらも、出かけた先でまた「飲む」ということの繰り返しで、ちっともよくならない。

 涼しくなって汗かきにとっては、絶好の時期なったので、しばらくぶりに娘と高尾山に行くことになった。火曜日だったがこの時期は紅葉を期待してか、たくさんのお客がきていた。紅葉はあまり見られず少し残念だったが、主要なポイントではスマホで撮影する人で賑やかだった。

 ゆっくりめの出発だったため、山頂で昼時になった。山を下りてからではちょっと遅くなるかと、初めてみそ田楽とソバを食べてみた。温かいみそ田楽はなかなか旨かった。山頂に押し寄せている人々はこれまでになく多かったが、店では席に余裕があった。帰りはケーブルカーにして15114歩。







2019年11月19日火曜日

銀座の魅力だから…

 歌謡曲で銀座を謳うものは多い。ロスプリモスの「黄昏の銀座」なんか好きだった。下手なウクレレを引きながら、あの調子で軽やかなリズムで歌うのは楽しい。カラオケ定番の「銀座の恋の物語」は昭和時代の輩には知らない人はいない。その華やかさの中でも様々な変遷があった。

 廃れてしまったことも物も数多あったことだろう。合唱団の練習の帰りに夜の銀座を通りかかったら、海外の旅行者風の人たちがあちこちで歩いている。銀座の煌びやかさへのことか、はたまた銀座の歴史を垣間みるためだろうか?






2019年11月10日日曜日

歌い踊るのは人間の本性?

 ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。

 難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。

 言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。

 どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。