2020年1月22日水曜日

アメヤ横丁その2

 「ああ上野駅」(井沢八郎)という歌謡曲を思い出した。若いとき親とけんかして家を飛び出し、田舎の叔父のところへ行った。そのときから上野駅は懐かしさが記憶にとどまっている。旅客列車の最後尾に貨物車両が付いてあり、駅に到着すると車掌(?)が積んできた荷物を放り出す光景をみた。ずいぶん乱暴なんだなと…。
 
「ああ上野駅」の歌詞に「♬上野は心の駅だ~♬」とある。新婚旅行で十和田湖に行った折、青森で公演しているのにぶつかった。上野はそんな古くて懐かし記憶を持たせてくれたところだ。

 駅の配置は昔と変わらない形が残っているし、その周辺も基本的に街並みが残されている。上野公園周辺は再開発の声もでているが、むやみに変えていってほしくないと思う。










2020年1月20日月曜日

アメヤ横丁も外国人のテリトリーになったか


 上野での宴会は何回もあったから場馴れできた。「上野」という響きには、中学の頃に二等列車に乗って、田舎へ行った思い出もつながっている。時代の変化があっても、変わらない風景への親近感もある。

 いつもだいたい行く宴会場をセットしてもらって、わが身は待ち合わせ時間と店さえ忘れなければ心配ない。小一時間で着くところなので、いつもカメラを抱えていくつもりでいる。とはいえ人並みに「支度時間の増加」に阻まれて、それがかなわないこともある。

 暮れの望年会は宴席を二つ重ねたあと、アメや横丁に行ってみた。さすがの賑わいだった。暮れのニュースでは必ずアメや横丁の様子を放映するが、かつて映し出されたに商店の様子はずいぶん変わった。正月料理の品ぞろえを見て歩くよりは、日常使う衣類や靴などの店が多く見える。立ち食いや飲食の店などが目立って、生ものを扱っているところは少ない。

 いつ頃だったか釣りの餌に使うイクラを買った。そのイクラは安かったが、粒がポンポンして、皮に張りがあった。人造イクラだったと後から分かった。そのころの熱気は今感じられなくなった。外国の観光客が闊歩する街は、日本の原風景としてもう一つピンとこない。












2020年1月19日日曜日

温泉宿の朝の散歩

 温泉の下は、渓流だった。温泉のすぐ裏側にある遊歩道を周って下り、温泉を通り越していくと、渓流が道沿いに流下って見える。道をしばらく歩いてみたものの、写真に撮ろうとしたものは少なかった。あきらめて温泉に戻る途中で滝が見えた。立っている位置からは枯れ木が入って写すことができない。前に出ようにもがけ縁で危ない。橋を渡って反対側へ回って、河原へ降りた。足元がどうかと心配もあったが、渓流釣りの経験を活かしてゆっくり歩いて、うまい具合に落ち込みの正面に着いた。








 

2020年1月16日木曜日

もうじき春だから


 暮れから新年には「意気込み」を考えるみたいなことが習慣になっている。そんな習慣も、希望なんか考えることがどうでもよくなって、なかなかその気にならず思いつかない。それだけの刺激的な生き方をしていないということだろうか。

 年末から振り返りがあって、なにか息吹でも感じるところがないかと頭で思ってみても、また同じだよなという声が心の奥の方から湧き上がってくる。昨日と同じ今日などは確かに抵抗を感じるが、だからといって抵抗を乗り越えるだけのモチベーションがでてこない。

 あんまりそんな下らないことばかり考えているものだから、憂鬱になってくる。いまさら頑張ってみたってやれることはたかが知れている。そういう年頃なのだからもう頑張らない。「もう」というと昔は頑張ったみたいになるが、そんなにも頑張ってきているわけでもない。これまでどおりに似合う「ひねもすのたりのたりかな」をいただいていこうか。これなら仙人に近づける気がしてきた。



2020年1月12日日曜日

元旦に歩いた西新宿

 新宿のはずれにある西新宿の一角が再開発で工事が進められている。その規模の大きさはこれまで見たことがない。知っている限りには限度があるから、その筋の方から言ったら驚くにはあたらないのかもしれない。なにしろすぐ近所の住宅地にさえ、堂々と10階建てのビルを立ち上げることが許される時代になったのだから、その「法治国」の有り様はどうしようもなく笑わせる。

 スマホのアプリで、交通機関の運行情報を知らせてくれる設定をしたが、この頻度が高く一日に複数回ある。出かけた折の地下鉄やJRのなどの交通機関でも利用する度にと言っていいほど、遅れが生じている。もはや東京への集中は限界がきていると言って間違いない。

 西新宿の一角は十分使えそうな10階建てビルが取り壊しになっている。みたところそんなに危ない古いビルいう風には見えない。直前まで営業しているテナントがあった。白い塀で囲われたと思いきや、今は爆撃にでもあったかのような姿がさらされている。










2020年1月7日火曜日

遊歩道にひっそりと祠が


 中日の時間を温泉の外に出てみる。裏側に遊歩道があった。写真を撮るには人気がない方が、シャッターを押すタイミングを自由に、かつゆったりと構えられて気が楽だ。開けた林の中の道をゆっくりと登っていくと、面白い恰好をした石像がいくつか鎮座していた。

 ちょっといたずらっぽくいて愉快なポーズをした石像は、静かな森の雰囲気と対照的に、和やかな雰囲気を醸し出していた。小さな祠に陽が当たって樹々の枝が影を映している。撮影させてもらってから、撮影料のつもりで気持ちだけ賽銭をあげた。












2020年1月3日金曜日

初詣の神社に長い行列


 元旦に家族そろって、という程の人数でもないけれども、人並みの正月を迎えた。大みそかは例年息子の奉納能の写真を撮りに出かけている。今回も年明けすれすれの時間に鳩の森神社に出かけた。昨年と違って30分の舞台を見ているのが、やけに寒くてまいった。演じている方は、「半露店」で夏冬にかかわらず同じ装束なのだから、それより大変なことだろう。

 鳩の森神社の初詣客が横目で能を見ながら、参拝が始まるのを待っている。スマホをもって舞台に寄ってくる人ももちろんいる。並んでいる参拝客の列は去年より長かった。
 朝食を終えて、カメラをもってウォーキングに出かける。近所の神社に向けてざわざわと人が歩いているので、行ってみるとここも長い列が続いていた。あれこれの願い事が多いということの証明なのだろう。西新宿の熊野神社にも長い列が道路まで飛び出していた。

 翌二日、これもそろって温泉の旅へ出かける。途中初詣しようと伊香保神社に寄った。小さな神社でここも人の列ができている。浮世の付き合いということで、参拝したがいつものごとく、願い事はしない。願い事が多すぎ、かつ大きすぎて頼まれた方が困るといけないから。


  伊香保神社


伊香保のそば処



2019年12月31日火曜日

酔っぱらいと正気のせめぎあいの一年でした



 ことしもよく飲みました。酔った勢いで、こないだ何か約束したよなと、あとから確かめあうこともありました。身体への影響を気にしないではないけど、ちょっとだけ対策。
 飲んだ日の記録をとることにして日記の最後に「飲酒」「休酒」と書き込んで、二日続けて飲んでいれば「飲酒2」と記することにした。すると一年間どれだけ飲んだかと言うことが調査できる。日記はGoogleドキュメントを使い、〈検索と置き換え〉という機能があるのでここで「休酒」を検索するとその数がでてくる。今年は182だった。逆算して183日となって、一日だけ飲む日が多かったのが今年の決算だった。

今時目珍しい、4段重ね!

コンビニで「特産品」

 旅行けば



2019年12月26日木曜日

「ホタルイカの身投げ」と称する文化


 溜まっているビデオを見ている。「ニッポンの里山」、「新日本風土記」は各地の自然と人の活動の姿を映している。綺麗ごとみたいな側面もあるが、日本にある素晴らしい自然や豊かな文化を取り上げている。できればいつかは写真を撮りに訪れてみたいと、思うところがたくさんでてくる。
 とはいえ、北海道のなどの自然といわれても、なかなかいかれるものではない。とりあえず「夢」にして頭の隅に置いておくしかない。

 ビデオのうち、富山湾のホタルイカの漁を取り上げたものは印象的だった。3月から5月にかけてホタルイカが産卵のために浅場にやってきて、産卵後深場に戻るホタルイカを定置網で捕獲するという内容だった。漁師は稲わらで編み上げた網を、定置網にして追い込む。ホタルイカは網の目が体の数倍もあるのにくぐることはなく、誘導されて袋の部分に入り込んでいく…。漁のあと残された藁製の網には、海藻が付着して繁殖し小魚などの棲み処にもなる。藁はやがて海に溶け込んでいく。

 プラスチックの投棄、海洋汚染が大問題になっているとき、自然との共存が考えられていたことに驚いた。稲が機械で収穫されることで、藁が手に入らなくなっているとのこと。自然との循環がどこかでボタンを掛け違えている気がした。

 NETで富山湾のホタルイカ情報を補足したところ、この時期の観光や、4月の祭りやらが紹介されていた。闇夜でホタルイカが産卵した後に方向を見失って、波に押されて浜に乗り上げることを「身投げ」と紹介している。観光のひとつの目玉としているらしい。ホタルイカの「目」を口で飛ばして「競技する」という催しもある。これが現代の娯楽、笑いの文化なのだろうか。茶碗に残った米粒を「ちゃんと食べろ」と怒られた世代からは、そこまでやるかという気がする。

 富山県農林水産総合技術センター水産研究所の調査では、2019年の予測で漁獲量減少となっている。水温の上昇が大きい年は漁獲期が短くなると…。温暖化の影響が自然界に圧をかけている様子がうかがえる。





2019年12月21日土曜日

退け時の寂しさこれあり


 10月にあった60周年記念演奏会、11月の合唱祭が無事に済んで、気分のうえでは一区切りになった。それよりグータラな身がそれ以上に休みたいと声を上げている。先週の男性コーラスの新しい曲で、「高音」の部分があった。高音部を他の人に被してもらうことができれば、とりあえずは何とかなるのだが、それはできずかすれてしまって音にならない。
 
 それで思い出したことがある。千…合唱発表会と合唱祭の演奏の際に、演奏した曲の講評を受けた際、「高音部が惜しい」旨の評価をうけた。それは思い当たることで、どうにかしなくてはと言う思いはあった。しかし自分の努力を超えてのことで、それ以上どうするかの方策は持つことはできない。

 「写真」をはじめて15年になるが、写真は作品を発表するまでの過程(「人目に晒す」まで)で、一様でない相克や葛藤がある。撮った写真がいいと思うことが絶対でないということが往々にしてあり、しかも人によってそれが異なる。ここが反面面白いところでもある。写真の表現は解釈まで含めて〈100通り〉もあるかもしれない。そういう意味では生き物のようでもある。画面に表す明暗、色彩、コントラスト、切り取ったドキュメント性など、わかってくると一層味わい深いものがある。

 合唱も重なるところはあるだろうと思う。表現力と受け手側の共生とでもいうか、曲の表現で共感を生むところは、同様の性質を持っている文化と言えるものかもしれない。極めることに近づけず残念に思うところだけれども、両方ともやりこなすには、ちょっと無理なところにきている気がする。

2019年12月17日火曜日

もれなく買い物できた(^_^;)

 最近は買い物に行ったときに、複数の品物を購入しようとして、一つ二つは忘れて帰ってくる。別に今日明日の命にかかわるものでないのだから、構うことはないのだが、だんだんその事件が多くなると、いささかの心配事になる。

 歯磨きをしようとしたら、コップが見当たらい。よくみればいつもと違う場所にある。まさか「誰か」の仕業ではないと思うところは、まだ正常の内と慰める。今朝はご飯を窯から盛ったのに、ふたを閉め忘れて「指導」を食らってしまった。

=くつかの生活必需品を買いにでかけた
リステリン…
電動歯磨きの歯ブラシと歯間ブラシを、消毒すために、先日から使い始めた。
キープポアA
包帯を固定するのに使うらしいが、セロハンテープより剥がれやすいので、ゴミ箱に使うビニール袋を固定するのに便利で手でカットできる。写真展作品の額装にも使うことができる。NETで調べたが多量でないと高くつく。
南京豆と粉茶…
お茶屋さんに、この時期に千葉の南京豆が入るので、ちょうどなくなった粉茶も一緒に購入。粉茶は冷やしたペットボトルに溶かして使う。小さなスプーンに4杯入れる。相当数作れる。ペットボトルの低減に少しでも貢献。
牛乳…
粉末コーヒーに入れている。自家製のカフェラテ用。

 以上ちゃんと買って家に戻った。ただ、「南京豆と粉茶」は店を間違えて飛び込んでしまったが、「南京豆」また入れておきますとやさしい?対応(お店もこまったろう)。気が付いて2軒先のいつもの店で購入。