2020年11月3日火曜日

撮影目標は妻恋のキャベツ畑

 妻恋村のキャベツ畑を撮ろうかと出かけた9月。天気が定まらないなかでも車で行く気楽さでわりあい軽い気分な旅だった。古い記憶で、東京都とキャベツの供給の「販売協定(?)」があった。安定供給するための協定だったと思う。今NETで調べても記録が出てこない。もう半世紀も前のことだったからもう忘れ去られたのだろうか。そして確かキャベツ畑の間の小川でイワナが釣れるという情報もあった。それだけのことだったけれど…。行ってみたいところになっていた。

 あいにくの雨模様だったから一日目はじっくりとるというわけにはいかなかった。雨模様であっても、写真のバリエーションになるから、翌日の晴れと合わせてなんとか纏まった。キャベツ畑の遠景は想像した以上に良かった。









2020年10月30日金曜日

金策ついでに公園まで











  遠くない金融機関に「金策」に行った。パソコンの代金が引かれるので、口座の金額が足りないのを補充するための金策だった。ようするにあっちの預金からこっちの預金に移しただけのこと。目下のところそれでも何とかやっていけるのを幸せなことと思わなくてはならない。

 Gotoキャンペーンを「お得」な話として茶の間のテレビががなり立てる。それでいいのかい?と思う人は多いだろう。先を思えば、感染の広がりも心配だし、たとえ落ち着いても、使った税金の代償を持っていかれることになるだろう。コロナ下でしっかり売り上げを伸ばした輩もあるのだから、しっかり負担をしてもらいたい。

 とはいえそんなことばかり気にしていると、気が滅入ってしかたがない。天気が良くなってきたのを見計らって、運動不足の解消になるべく外に出るようにする。近くの公園で撮った写真。なかにオリンピックの幟があった。どうしてもやりたいのだろうなオリンピック。「経済対策」として。どうでもよいが、幟を止めてあるヒモが縦結びなのが気になった。


2020年10月27日火曜日

「Web会議」の背景に写真使用

 テレビでよく出されるオンラインで「外国の子供と会話」…などという場面はまずありえないことと思っていた。それにちょっと面倒そうだし、日ごろのメールをやり取りする程度のことで十分に間に合うと思っていた。ところがコロナのおかげで、顔を合わせることができにくくなり、写真合評や催事をこれまでどおりにやれなくなり、世上行われているオンライン活動、スカイプ、ズームを使うハメになった。

 パソコン用のカメラとヘッドセットがあれば、意外と簡単に「参加する」ことを教わった。顔を合わせてする交流には及ばないが、部屋で座ったままでよいので気楽さはある。カメラはなくても可能だけれども、顔が見えないのは物取りなさがある。最初はカメラを使わなかったが、何回かやるうちに結局NETで購入した。

 自分が映し出されるのも何か気恥ずかしい気がしたが、それも慣れてくると気にならない。ただ、自分の姿の背景(部屋の散らかり)が見えてしまう。そしたらよくできたもので、映し出される顔の背景を変えられることが分かった。ちょうどパソコンの入れ替えで、古い写真を眺めることになったので、そのうちから拾いだしてみた。















 

2020年10月22日木曜日

写真展で盛り上がる

  写真展があり永山まで出かける。お互いの写真展を見ることが、新しい刺激になるのでその「意義」は今だからこそなおさら大きい。そして写真展をみたそのあと、アルコールによる饒舌談義が第二の意義になる。

 熱を測り手のアルコール消毒をする環境は、いつまで続くことやらと言いながら、マスクを外してしゃべりあうのだから、その時にはコロナのこともすっかり棚上げになっている。でも、マスクをしながら飲むときと、つまみを食べるときだけマスクを外す?ことまでは考えたくもない。少々カロリー過多になっただろう体をおもんぱかり、新宿駅から歩いて帰り9300歩。最近にしては多い歩数だった。





2020年10月17日土曜日

急に寒くなってくると体調がついていかない

 急に寒くなって、体が追いついていかない。魚も水温が急に変わると動きが悪くなって、一時餌を食べなくなる。人間はそこまではならないのは、余分に着たり暖房を使うことが簡単にできるから。なので魚よりは恵まれてはいる。

 でもその優秀な生き物が取りつかれる定例の病はたくさんある。そこは魚よりも多いかもしれない。魚はコロナに襲われないだろう。パソコンの入れ替え作業がほぼできて、落ち着いてきたから、余裕で敏感になっているのかもしれないが、やけに寒さを感じる。

 古いパソコンの引き取りで、いくらか財政的潤いがあること思いきや、前回導入の際にはアレコレの注文を付けて、例えばOfficeソフトは入れなかったので、安かろう悪かろうになったのか。それが仇になっているみたい。それが主要なことなのかどうかはわからないが、引き取り手には価値はないものらしいことが、NET検索でわかった。

 やむを得ず廃棄業者に引き取ってもらうことにした。パソコンを解体して再利用できるものを取り出すらしい。着払いで無料の引き取りということだった。もっとも散々使って傷んだものだから、価値は残っていないし、購入以降のソフト類の変容は数年たてば別物みたいな感じなのだろう。新品のパソコンは稼働を始めたが、使い古しになろうかという身体の入れ替えはまず難しい。

2020年10月11日日曜日

パソコンファイル情報欠落に天の助け

 今流に言うと「天の助け」はヘルプありというところ。ゼミの先生に写真のソフトが欠落したこと旨話をしたら、後日連絡があって助けていただいた。外からの操作でオンラインを使っての援助でした。説明を聞きながら、「なるほどなるほど」と感心するばかりの修正に入って、見事なさばきをしてもらいました。

 自分流のファイルの整理も、うまくいっていない箇所もあって、なんでも自己流はダメなもので、「専門家」の説明は必要なものだなと感心しながら思った。パソコンは働き具合がわからないだけ「神様」みたいなものでもあるし、神ではなくて数年中には必ず壊れるといわれるし、付き合いも一筋縄ではいかない。そういう経験もしてきた。

 「壊れる」というあたりが、パソコン使用の前提になっているから、そこを想定して、本体に加えてあれこれの周辺機器の備えも必要になってくる。使い始めたら、手放せないのも事実。今のコロナ禍ご時世ではなおさらなこと。でも見方を変えれば「覚せい剤」的商品といえるかもしれない。

 脳への刺激のためというが、否定はできないにしても、消耗品とともに己も消耗していくわけなのかな。ここ二週間も集中してパソコンと付き合っていたので、少々草臥れてきた。それで、パソコンの前で時折「舟を漕ぐ」ようになった。

 パソコンの状態がおかしいと思って、入れ替えの作業をしてきたのだけれど、旧パソコンのモニターに、異常反応がはじまった。こうなるとパソコンは終末に入る。予測「ヒット」となった。

モニター






2020年10月6日火曜日

Withパソコンの引っ越し

 新しいパソコンにファイルを移動させる作業が大変だった。その段取りは自己の経験が頼りなので、こうか?ああか?と自問自答の繰り返しと「試し」が続いた。文書ソフトはクラウド上のものを使っているので、メールもOfficeGoogleNETにつなげばいい。ほかのソフト類は、使うごとにインストールすることにした。

 大変だったのは写真ファイルの移動で、ファイルのバックアップも想定して、外付けのHDDから移転させなくてはならなかった。その引っ越しのファイル移動がなんということか、数日間にわたって時間がかかった。

 やっと移動させたファイルに写真編集ソフトを「合致」させなくてはならない。ところがやっぱり、写真編集ソフトの情報の一部が欠落してしまった。それがなくても基本的なところでは、十分動かせるので、あきらめてもいい。

 とは思ったもののなにか気持ちが悪くて、元の情報から引っ張り出して恐る恐るやってみた。それなりの情報がキャッチできて、結構な時間はかかりそうだけれども、なんとか回復できそうだ。時間つぶしの「コロナ対策」をしばらくは、じっくり楽しむことになりそうだ。

2020年10月1日木曜日

Withカメラと温泉

 写真のゼミに写真を確保しなくてはならないのが目下の命題なので、巣籠に徹するわけにもゆかない。

 ゼミの合評に使うものはずっと以前の過去のものも使うが、新しく撮った「生もの」がいい。ほかの人が撮った写真もなぜか最近はそう思うようになった。現在の状況を切り取ったものが、本人にとっても鑑賞するほうからも「楽しみ」が加わると思える。

 コロナ禍だからということよりも、「コロナ禍だから」の次には「撮れない」でなく、「だから撮れる写真もあるだろう」と一端の写真家気どりで外に出ることも心がける。新宿駅界隈と中野駅界隈は回ったので、ターゲットを広げて旅に…。これも健康維持対策になると言い訳しながら…。温泉…いいね。




2020年9月28日月曜日

Withコロナ、パソコンお宅の連日

 やっと晴れた。しばらく雨が降り続いて、コロナ模様に加えて空模様も憂鬱だった。涼しいのはなによりで、昼夜ぶっ通しの冷房からは解放された。本来なら青空が見えて、それだけでウキウキとしてくるような時期なのに、いつまでこの状況が続くのかと、同じセリフが頭の中で繰り返していた。

 まさか現下の影響ではないと思うが、最近パソコン本体の様子がおかしな反応をする。キーボードの打ち込みでも異常が出て、キーのバネがだめらしい。マウスの動きに欠落が出ている。外付けのHDDをパソコンが認識しないことも。どうやら接合部がだめになったらしい。

 本体はまだ劣化するような使用時間ではないが、反応が鈍くなってどうも怪しい。以前のパソコンの使用中に調子がおかしくなって、何回も修理に出した経験からすると嫌な予感だ。

 これから先の人生時間や、周辺機器の劣化状態、コロナ禍のなかで始まったオンライン合評、ほかの会議など使用頻度が上がってきたことなど、考えた末思い切って周辺機器も含めて入れ換えることにした。

 移転作業は何回か経験したものの、写真ファイルの入れ替えに時間がかかりそうだ。憂鬱時間つぶしの遊び相手としてはなかなか良いだろう。

2020年9月20日日曜日

Withコロナ対策のWith写真

 Withコロナと言って、もう終わったことにされてしまってはまずい。どうしても「経済」との同居という意味合いから抜けでられないのだ。写真を撮るのが食事の次の関心事である現在は、コロナ禍での各種の制限にストレスがたまるばかりだ。

 歩き回ってはダメでマスクしないと睨まれ、果ては「自粛警察」の対象とされるなど互いが監視しあい、かつての時代にもこんなことがあったと、余計な想像までする。

 自己都合にこだわらず、現世のすべての事柄が、これまで通りにいかないのは承知しながらも、それじゃあどうするのか。そのスタイルを編みだすことになるわけだ。それがWithコロナということかもしれない。

 先の時間は長くなくとも、ともかく今生きていくということでは、同じ時節にいるのだからいさかいの起きないようにやっていきたいものだと思う。以前の活動にだんだん戻ってきて、三密に注意しながらの再開していくことも、心配なことだけれども、行政に対策をちゃんとやらせることが何といっても大切なことなのだろう。

 「消費活動」が待たれている。そしてともかく写真も撮っていきたい。

最近見たツイッターから



日本のおかしさが分かる。マスコミ人もツイッターは見ているだろうに。

2020年9月14日月曜日

Withコロナ

  様々なウィルスが宿主を伝って増殖を図ろうとするのは、自然界の摂理といえるのだろう。人類にとってそれは「都合が悪い」が悪いこととする。単純に考えれば、経済成長に対する負荷と経費にかかわることになるから。でも時系列では人間がウィルスの世界に土足で踏み込んだ結果ということがいわれている。
 
 アフリカの森林に踏み込んで、野生動物を捕獲して売る、喰うなどの行動を経済活動としてやっている。コロナとの闘い、戦争などみる向きもあるけれども、経済成長を金科玉条に思うことから抜け出せない人間の性というものだろうか。
 
 Withコロナ=共存せよ、我慢せよとの意味合いにもとれる言葉を使っている。コロナ禍を収束させるための医療施設や従事者なり、様々な事業継続を支える資金援助なりへの対策が遅々として渋滞、というよりは「させて」いる節がうかがえるのは、まったくおかしい。
 
 インフルエンザで死亡する方が多い、だから騒ぐなということまで声を上げる輩もいるが、それならコロナによる死亡者がでてきてもやむを得ないし、さしたる対策は不要でいいのだということになり、政治がそういう声も念頭に置くとしたら恐ろしいことになる。
 
 「自粛警察」による監視体制も、不十分な対策だからこその反応なのだろう。Withコロナは、同居すればいいわけではなく、収束が思惑通りにすすんでいくわけでもないことは、これまでのウィルスとのせめぎあいでもはっきりしている。これから先に撲滅ありということでなく、知見をこらしての対応の結果として、共存に向かうということではないか。

9.14東洋経済 ~                                                                                    歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。

2020年9月8日火曜日

支持率38%から50%への「快挙」


 相当にひどい政治が「辞任」によって止まったかに見えた。「闇」と闇を包む寒天みたいな状況がそのままになっているのだから、舞台から降りる決断を歓迎という割り切り方はできない。

 「報いだ」みたいな思いが湧いてくる。病気なのだからと、紳士的に見舞うことだよということを、理あることと思う一方、「体調にかかることの批判、言動」がこんなときにあまりに非人間的ではないかと、特殊な連中の反論が出回ると、正直こいつらめという気がまた湧いてくる。

 「忖度テレビ」がラメでかざるように煌びやかに「総裁選」を演出すると、支持率が急上昇!これはなんだろう。病気に同情して支持率があがる!とは関係者の方々はどんなふうに思っているのかは知らないけれども、そんなことを利用するしかないということでもあるのだろう。

 支持率の高さが「解散選挙」のチャンスだと思っている事だけはわかる。籠ったあげく「敵基地攻撃能力」を備えると、これまた憲法違反の風呂敷を広げる元気さは失われていないらしい。

2020年9月3日木曜日

映画「はりぼて」を観た

 2016年、富山市議会の自民党など「保守会派」10数人が政務調査費を長期にわたって不正に受け取っていたことが明るみに出された。弁解や打消しで逃げようとしたが、地元のチューリップテレビの担当者の追及でついに辞職に追い込まれた。ちいさな「チューリップテレビ」の記者が追及をつづけ、女性問題、架空請求、カラ出張の存在を明るみにしていく。関係市議はいたたまれず次々と辞職していった。ところが2020年になってまだ居座り続ける輩がいる。そして追求した担当者が社を去ることになる…。

 自民党員の割合が日本一のところだそうで、腐った体質が気付かぬままに暗闇の中で動いている。正面から追求したテレビ会社の社員が、疎んじられ排除される構図は、中央政治でも全く同様に起きている。「権力者」によって良心とか正義とか男女平等とか人権ということが、軽んじられている様がドキュメントで描かれるところも、現政権下で起きている「事件」と、ウリ二つの事柄に見える。「長いことの評価」がどこから眺めての見地なのか、改めて考えさせられた。

・映画「はりぼて」
・渋谷 ユーロスペース 9月10日まで
・https://natalie.mu/eiga/film/185169 

2020年8月29日土曜日

黒色のバリエーション

 「暗闇の政治」とは言えなくなってきた。NETはときの情報をデジタルニュースで、裏情報を細かくとりあげている。なかにはとるに足らない内容のものあり、過当気味かとも思えるものもある。発信自体も競争にさらされているから、実に「豊富」で読んでいくのに手間がかかる。

 大どころと違った観点で取り上げるものは面白いものもあるし、すっぱぬきの事実もある。SNSになると個人的「発言」だから、生の感じ方が伝わってくる。

 大新聞では取材も記事も書き込めないことでも、その及ばないところでの取材記事は、テレビ報道や新聞でも後追いで、取り上げることになっていく。だからこそ政治がらみの事実を隠すことに一層腐心するということにもなる。

 首相辞任の速報を民放で流したのを見て、すぐにNHKにチャンネルを変えた。NHKはすでに報道ディスクを構えて、公明な政治部長がたっぷりとある資料に目を通しながら、その足跡なるものを細かに説明していた。NHKにはリークがあったのだろうか。

 「お疲れの様子なので休まれたら」という「人道的なコメント」をやや懐疑的に思っていたが、6月の定期健診の追加をやりその結果を聞きに行ったという説明の後には、とりまきが「通常と変わりない様子だった」と記者に話す。そして28日の辞任記者会見で「体調が悪くて務められない」と。

 実は体調が悪かったとされる間にも、立派な食事をとっていたというニュースも出てきた。観たところ評価しているのがトランプ大統領、小池知事、黒岩知事、吉村知事など、NETではまた新たなニュースが広がっていくだろう。暗闇の行状を重ねてきた後の「引継ぎ」はさぞかし大変なことだろう。モリカケ、サクラ、マスク、gotoキャンペーン、こんな政治の延長だけはごめんこうむりたい。




2020年8月24日月曜日

雲台動かず、ミシン油のふりかけ修理

 三脚を使うことはほとんどなかったので、しばらく前に購入した三脚の使い方がわからなかった。一度は使った記憶があるけど、いざ使おうと脚を広げて「雲台」に自重のあるカメラを取り付けた。

 ところが「雲台」がどうやっても動かない。いくら手で力を加えてもダメ。まだ新しいものだから、道具を使って動かすわけにもいかない。ダイヤル部分を緩めても、もしかしてと締めこんでみても動かない。

 長考して油を付けてみたらどうかと、ミシン油を少しだけ丸い表面に振りかけてみた。でも結局ダメ。しょうがない修理に出すかと、またしまい込んだ。

 後日、カメラやに持って行こうかと、またケースから出して、何の気なしにダイヤルの内側ある、もうひとつのダイヤルをひねった。なんと動いた。緩めても締めてもちゃんと機能する。

 前に使ったときのことを、覚えていなかったという話。これから先もっとこういったことが起きるのかなと、落ち込むことしきり。




2020年8月21日金曜日

飲酒しない心配

 家にいることが多くて、アルコールが少し縁遠くなった。

 健康診断でちょっとばかり肝臓のの「数値」が悪くなっていたし、体力もたなくなってアルコールを控えれば頭の働きのもいい影響があると決め込んだ。

 暇つぶしに昨日まで飲んだ日を勘定してみたら82日だった。飲まない日は155日だった。昨年一年間では二日に一度は飲んでいたから「打率5割」で今年は「打率3.6割」。

 でも、これでコロナ禍のストレスにはどう影響するのかはわからない。ときには飲んだ方が、ストレス対策にはいいのじゃないかという気もする。でっぱった腹が気持ちへこんできたのは、ストレスには引き算効果ではある。

中野の「酒」


うれしい4段重ね

2020年8月13日木曜日

今年はハゼがよく釣れるらしい

  ハゼつりの情報があったら、メールで知らせてくれるアラート(おかげでどこやらの知事が「アラート」という言葉をつかってもよくわかる)で、良く釣れているとの情報がしょっちゅう届く。いわゆるAIというものの仕業なのだろうか、こういうことに使われるならいい。

 釣りの会に人がたくさんいた頃は、関東圏のあちこちに出かけて、そのつり場の情報が伝わってきたものだったが、今はその広い活動範囲に出かける人は少なくなったから、無理な注文になった。

 ハゼつりは「つりの道」では、釣りの最も基本的なやりかたで釣れるものだから、つりの愛好者になるのには、おおいにきっかけになる。今年のように魚の数が多くときは、その意味で初心者にもなじみやすいし、釣り場の安全度もわりあい高い。家族連れで楽しむことができるので、もってこいのレクリエーションになる。

 今年は雨が長かったせいで、釣り場に人が入らず、餌が豊富だったからだろうか、大きいものも混じって良く釣れているらしい。

 やっと梅雨明けになって、急に暑さが襲ってくると、夏場環境への慣れついでにハゼつりもいいなと夢想はするけれども、異様な暑さとコロナ禍での対策を心配しながら、ハゼつりをやるのも、ちょっと心配でもあり気持ちが揺れる。

 小供と一緒にハゼ釣り 1時間で25尾手中【東京・大井ふ頭中央海浜公園】

2020年8月3日月曜日

写真展が終わって

 今回の写真展は、特別な記憶に残るものだった。新型コロナの感染拡大が、「自粛」以後に増大している中でのことだったので、案内のハガキを出すのもはばかられる状況だった。開催を止めた方がいいのではないかと、相談はしたが開催日が近づいてくるなかでは、舵を切るまでにはならなかった。

 写真展は開催をしているところもあるし、良いのかどうかはべつにしても、日常の生活が「動き出し」OKという環境にあった。開催前日の727日に会場側での作品掲示があり、いつもどおり掲示のセッティングを確認した。ぐるりと見渡して全員の写真をみたとき、「ああ、写真はやっぱり飾らくちゃいけないよな」という声が思わず出た。ここまできただけでも成功だと、来訪者は昨年より減るだろうことを予想して話になった。

 8月2日に写真展日程が終わり、来観者は昨年の半分ほどだった。いつもの友人にも会うことができたし、「三密」を気にしながらの事後交流をしたグループもあったが、久しぶりに外に出てしゃべることになった歓びで、いまさらながら「生きている」実感を味わった。こうした時期に来訪してくれた方々には感謝の思いあるのみ。幸せなことだった。






2020年7月27日月曜日

コロナ禍の「楽観」はないのか

 新型コロナの感染拡大の報道を見て、身近な世間話で感染した話が耳に直接聞こえてくると、やり切れない思いがする。最近の報道には、政府の「言動」も含めなんの根拠をもって「楽観」しているのか理解不能なものもある。先の見通しが捉えられない安心を強引に持ち込むだけのことでは、無責任を通り越して投げ捨てに近いものを感じる。なににつけても足りない、足りても利益誘導にしか動かない政治であっても、信頼に足る少しの何かでもなくては、ここまですすんできた日本のシステムが崩壊していくとしか見えない。

 自己の努力でやれることは限られている。三密ができていればコロナ禍が終息するとは誰も思わない。医療崩壊への手立て、中小業者への支援、文化事業への援助、学業補助など「自助努力」でやれるはずはない。政治の出番に「閉じこもり」をしている場合ではない。将棋の藤井聡太君を見習って「しっかり考えて」やれよ!

 このごろ、新型コロナは恐ろしいものでないと、故意に楽観的な論を取り上げているサイトもあるし、テレビの報道でも自力で取材して構成しているものはごく少ない。Gotoキャンペーンで東京との差別ばかりを強調して、本筋をはずしてしまったりする報道もある。無理強いする方が、批判を受けて繕いごとをするのだから、それを追っかけても仕方がない。政治が持っている責任にしっかり焦点を当ててもらいたい。

 自粛下で静かな町になったら聞こえた鳥の声、公園の静かな遊び、いつもこれならと思う、空いている電車などなどを切りとってみると、一面なんと穏やかでゆったりした社会なのだろうと感じる。これが本来の街の環境でいいのではないかと。これまでの殺伐とした日常よりいいと思うのは、今の状況では不謹慎なことになってしまうだろう。どれだけの「日常」を奪われたのかを忘れたわけではもちろんない。

SNSの投稿でイギリスの話があった。

~イギリスは確かに大変ですが、ロックダウンは給与補償とセットだし、なんだか曖昧に外出や営業自粛している日本よりはhappyな感じで生活してる人は日本よりは多いです。

あと、感染者数がイギリスは大量にいて日本は少ないって思っている方も多いですけど、それね、日本の検査数はイギリスと2桁違うのね。少ない。日本も同じ規模で検査すればそれなりの数字になると思いますよ。多分10人調べれば1人は陽性っていう感じじゃないのかな?

日本で誰かと話すと「いったいこんな状態がいつまで続くのか」というフレーズが必ずと言っていいくらい聞かれるんですけど、こないだイギリスでロックダウンの段階的解除前に行われたアンケートで「ロックダウン前の暮らしに戻りたい」って回答したのたったの9%でした…イギリスの人たちの大半がなんでロックダウン前の暮らしに戻りたくないと答えたかって言うと、

今までの通勤や通学は考えてみれば忙しすぎたよねー、家でのんびりしたりジョギングや犬の散歩したり窓から生き物眺めたりっていう生活っていいもんだな、って気がついちゃった、みたいな~

 給与補填をやっているイギリス。これがあっての楽観かも。これまでの日常を超えた「夢」の方向へ行かないものかと、ぼんやりと思った。三密でなければ成り立たない過密さの都市と生活を切り替えることが、ウィルス対策にもなるのでは?



2020年7月20日月曜日

「gotoキャンペーン」は利益誘導?




 「gotoキャンペーン」は汚染拡大が収まってからとの閣議決定だった。これをひっくり返して「前倒し」でやるというのは、閣議決定違反だろう。東京を抜くなどとあとからとって付けて、つじつまを合わせようとし、キャンセル料はどうするのだと対応が迫られてまさに「トラブルキャンペーン」に陥ってしまった。これまでのモリトモ問題から始まる、前のめりの政治はもうお仕舞でいいと、思う人がグッと増えているようだ。

 決めたことをひっくり返したのは、「選挙対策」なんだと。なるほどつじつまが合ってくる。支持率の「35%」もの数字があれば、政権の維持はオーライなので、キャンペーンが多数に反対されようとも、「30%台」の評価があればよいということにもなるのだろうか。(20日の朝日新聞世論調査では、キャンペーン反対の声は74%とのこと)我々の税を使って利益誘導(得票)の経費にあてるなどは、桜を見る会での構図と重なる。旅に行く余裕などない人がどれだけるのか、わからないわけはない。よっぽど特異な議員集団だ。

 イギリスでは、15日から “付加価値税”の減税が始まり、20%だったものが5%に引き下げられた。レストランやパブなどの飲食店やホテル、動物園、映画館など幅広く、期間は半年間。こういう政治が「政治」といえるものだろう。

自粛解除後、間隙をぬっていった温泉