2011年8月10日水曜日

コメを投機の対象にして

 日本人の主食が、先物取引の材料にされた。マネーゲームをそこまでやってどうするのか。

 どうして今やるのかについて鹿野農林水産大臣は、「やらない理由がない」と答えた。それじゃやる理由はなにか。財界でしょうね。

 今だって生産者価格を割って、買われているのに、なお下がることに歯止めもない。放射性物質の影響で心配しているときに、なんということだろう。


 アメリカ国債の格付けが下がったとか、円高で輸出企業の打撃だとか、「自由主義経済」が動揺して、コントロールできない。「社会主義が崩壊」して勝者となったはずなのに。


 社会構造が「大地震」か。正しいかどうかはさておくとして、今日の日刊現代のタイトルは「資本主義崩壊」と書いてある。

2011年8月9日火曜日

被災地の首長さんに見習え

 津波で破壊された町は、ところによって瓦礫の片付けがすすんでいる。更地が元のように生活の場をり戻すのにどれだけかかるのだろう。

 起るべき地震には、備えを十分対策することで対応することは必要。日本のどこであっても大切だ。

 中野区にあっては耐震改修助成は「個人財産の形成」になるためとの理由でやらず、まだ使用できる区庁舎の建て替え、駅前再開発には積極的に取り組むらしい。

 毎年やっていた「なかの祭り」は会場が確保できないから休止すべきと判断したので、区として支援しないと言っている。原発は「幅広く論議」と、判断せず。さてこれでは、東北の首長だとしたら勤まらないだろうな。

2011年8月8日月曜日

イベントとは違う祭り

 江戸時代に大飢饉で多くの餓死者がでて、疫病が流行した。8代将軍吉宗は翌年慰霊と悪病退治のため隅田川で水神祭りをした。

 そのとき両国周辺の料理屋が、許可を受けて花火を打ち上げた。というのが隅田川花火の由来とされている。

 陸前高田の「動く七夕」が昨日実施されたとNHKが報じた。12台中10台の山車が流された。協力者を増やし5台を復活させた。瓦礫の後を引いていくところが痛まくて思わず涙。

NHK


 

 南相馬では「野馬追い」の行列だけを敢行。鎮魂と復活の思いをこめた行動に、こちらが励まされる思いがした。人が生きていくためのエネルギーをわき出させるのが祭りなんだと、祭りの見方が変わった。

2011年8月7日日曜日

雷怖い、デジタルも怖い

 雷が鳴っているときに温泉に浸かっていた。雨がポツポツと頭に当たって、濡れたっていいんだよと思った。

 でも思い出した。家の近所を歩いているときに雷にあたったことがある。近くに雷が落ちた音がした。その瞬間傘を持つ手がピリピリと痺れたので、驚いて傘を放りだしたことがあったっけ。

 「飛び散る」ような感じで放電していくらしい。長居はさけて上がることにした。

 温泉に浸かるために、ブログを2本用意して自動で投稿するようにしたつもりだった。これがまた失敗した。「下書き」でなくて「予定」としなくてはいけなかったらしい。
 ゼロかイチかのどちらかの世界といえども、使いこなすにはそれなりに大変だ。

 雷に当たった人は長生きすると言うが、生きながらえる世も苦心が絶えないものだ。

2011年8月6日土曜日

散歩の文化は、食文化と相互依存

 ウオーキングに出ると、若者も年配の人もよく走ったり歩いたりしている。若い人は走っている人が多い。労働の質が相当か変わってしまったから、ともかく運動不足解消ということが、生活必需文化になった。

 健康器具の宣伝もすごいし、気を使って(金を使って)いる人も多い。カロリー過多の要因もある。「これおいしい」という番組や「早食い競争」のテレビ番組が、過食ごころをくすぐる。

 「メタボ社会」には摂取カロリーを減らすことは、いまや社会の課題。一定体重以上の就職排除みたいなことにならないとも限らない。まずいものを食べようというのでは説得にもならないが、「美味しいもの」から「満足感のある料理」への食文化の転換がいる。

 正直、おいしいものは悪くない。しかしこれだけなんでも食べ物が手に入ってくるのに、なんで「インド洋のクロマグロ」でなくてはならないのか。

 手前みそだけれども、西湖で釣るヤマベ(オイカワ)は、唐揚げ、マリネ、塩焼きなどで十分美味しく食することができる。東京湾でこれから旬になるハゼも天ぷらは最高。マグロに凝っているひとはいるでしょうけど、身近な魚もカロリー源として貴重。

 釣りを楽しんでから、食べるのは現代社会ではもっとも合理的な食文化といったらちと言い過ぎかな。そこで一句。美味な物食べては痩せる身の不幸。

2011年8月5日金曜日

ウオーキング新境地

 雨が降っても、傘をさして歩くことでウオーキングの発展になったかな。「一万歩あるかなけりゃならない」では辛い。そこで歩きながら考える。

 歩く効用の一番は、ブログのネタ推敲。これは本当に効果絶大。いかに普段ものを考えていないかと思えるほど。あれこれ、古くなりかけた能から、さっととはいかないまでも、ウツウツと出たり消えたりする程度のわき出しがある。

 種があれば芽が出るし、栄養は新聞とテレビでなんとかなる。感性をナチュラルというか、A、A'、a、エー、えーみたいの柔軟に転がしておく。これがおもしろいことに、AがBに近い方が良いかなどと、時間がたつにつれて変化していく。

 そうやって歩いている内に、思考が止まるか同じ処を回り始める。そうなるとだいたい散歩も終了間近となる。

 最初の一歩。どこに行くかと迷った。迷っていると歩き出せないので、ともかくいえの玄関をでる。出ると、右か左にしかいけないから、まったくの任意で右か左をその場で決める。曲がり角のどこに行ってもこの方法をとる。これも歩くコースの一種。

で、ふと思った。これは「ハイカイ」に至る過程かもなんて。

2011年8月4日木曜日

ゴミの収集日は、カラスが人を見てる

 見たところどうも、おチョックッテいるようだ。ゴミの集積場に近くで、ありつけそうな残飯をねらっている こちらが近づいても、一段高いところへ移動するだけで、そこからまた様子を見ている。

 悔しいから手をたたいたり、もっているものを回したりして脅す。でもそこからまた少し飛び去るだけで、態度は平然としていて「ここまでおいで」という感じだ。やっぱり知覚がたかい。


 「脅かす」などというと動物虐待みたいだけど、人間は追ってくるんだと思ってもらったほうがいいかと、やることがある。カラスの嫌いな東京都知事が捕獲させて、カラスの減少につながったらしいけど、捉まえたカラスは「処分」されたんだろう。

 それよりは「脅かす」ほうはまだ友好的かもしれない。
 カラスは人間のおかげで、いろいろな見方をされている。神の使者というのもあるし、悪魔や魔女の使いにされている。明治時代に、飛ぶ格好を見て始めてゴム動力模型飛行機をつくった人もいる。

 人間の飽食社会のおかげで「悪者」に過度にしたてられたんではないかな。「夕焼小焼け」「七つの子」では、友好的に歌われている。

 カラスがねらう物は、焼却炉で燃して海に廃棄か穴に埋める。 
 つい先日まで、食べ残しは食文化ではなかった。都会に残る膨大な食べ残しを、カラスが処分するという限りでは合理的なんだけど。

 カラスは、人間社会の馬鹿さ加減をうんと笑ってるんだろうな。
危ないことを大丈夫だと言ったり、やるべきことを遠回しに「やらない」と言ったり、利益に群がってやらせの演出までやって、迷走する人間たちの愚かさを。

2011年8月3日水曜日

シンタロウサンがまた

 石原東京都知事が、東京の埋め立て地に100万キロワットの天然ガス発電所をつくるとテレビで発言していた。アーまただ。

 原子力発電所を東京にでもというのは、さすがに引っ込めたのか。それにしても、カジノをつくろうと画策したり、築地市場移転を強引に危ない場所へ誘導したり、「新銀行東京」で失敗したり、オリンピックの誘致を二度もやるとか、着想豊かな知事だ。

 その思いつきを都民の意向と要望に添ったものにお使いいただくと歓迎なんだけれどもね。都民の税金を使わないで、私財でやるならちょっと考えさせてもらいます。

 議会で表明もせずに、しゃべり出すこともあの方らしいが、都議会の皆さんは怒るんでしょうね。「共産党を除く」なんてことにならないようによろしくお願いします。

 職員の中から、一ヶ月も被災地へ向かわせているというが、大変なことだ。

 被災地に行って頑張っているボランティアやNPO団体の活動は本来「公務」というべきもの。国が手を抜いているのは「住民に寄り添うサービス」。手を抜いていないのは電力会社サービスのようだ。

 東京都庁では格好をつけて、電力25%削減をやらせているとか。しかし、九時半になっても都庁の明かりは消えないな。都の役人を「使いこなして」なにをやっているんでしょ。


2011年8月2日火曜日

やらせは常套手段かい

 中曽根内閣のとき、財界のてこ入れで「行政改革」で福祉切り捨ての大なたが振るわれた。生活保護世帯も標的にされた。マスコミが、「暴力団が不正に給付を受けている」というキャンペーンを大々的に張った。

 80万世帯が受けていたものが1993年には60万世帯を割るところまで減った。つまり、暴力団が20万人も「不正受給」していたことになる?これもやらせの一手法。

 中曽根康弘について記述があった。ウィキペディア(フリー百科事典)

一議員でありながら原子力研究開発のための予算を上程、これを通した(具体的には科学技術研究助成費のうち、原子力平和的利用研究費補助金が2億3500万円、ウラニウム資源調査費が1500万円、計2億5000万円。これが現在に至るまでの自民党の原子力是認につながっている。

 先の生活保護世帯数は2010年には概数で140万世帯までになっている。やらせの根本は同じとこ。

2011年8月1日月曜日

金山町へまた行くぞ

 先日金山からコンテスト入賞賞品が届いた。

 金山杉の額縁、菜種油、ごぼうのたたき、くじら餅、純米吟醸「金山田楽」ほか特産品が詰め合わせてあった。

 額縁は新しい木の香りがするよう。早速自分のお気に入りの「滝沢村のブナの新芽」を入れて飾った。部屋でぶら下がっている物は釣り道具のほかはないので、我が部屋もほんのちょっとだけ高級感がでた。

 「ごぼうのたたき」で飲む、純米吟醸はなかなかのものだった。

 今月、金山町の祭りがあり、再度金山町に行くつもりで、計画ができあがった。写真展で世話になったそば屋さんで、昨年食べられなかったおいしい蕎麦をいただこうと、こころづもりしている。

 午後、月一の写真合評会で新宿へ。金山、鳥海山、肘折温泉をめぐる旅の打ち合わせをする。鳥海山は麓で海を撮ろうと、計画に加えた。あとは昨年も行っているところなので、祭りの様子もだいたい分かっているから、要領よく行きそうだ。

 
 
 ただ、婆ちゃんが具合が悪いので、出かける体制になれるかどうかちょっと心配。

2011年7月31日日曜日

歩け歩け

 朝、軽くひとまわりしようと、玄関を出たらポツポツときた。あれ散歩は駄目かと一瞬思ったが、傘を差せば大丈夫と思い直してでかける。

 歩くスタイルは半ズボンにTシャツ、それに裸足に雪駄。本当はウオーキングの格好ではないな世間では。

 でもキチンと格好をつけると、その準備だけで時間をとってしまうので、間に合わせる。速歩をしたりとなるとこれでは不十分だし、朝方には向かない。

 今は10000歩を歩き慣れることが主眼なので、と言い訳しつつ歩くことにしている。一日の行動を勘案しながら、合計歩数が達するようにする。夕食後に再度歩き、目標を知り合いの家に決めて出発。裏道コースを選びながら10100歩達成。

 昨日は朝の散歩と、後楽園界隈の撮影散歩。それに中野駅からの歩きで9600歩。一昨日は9700歩だったからまあまあか。これで慣れていけばステップアップだな。

2011年7月30日土曜日

目糞が鼻糞を笑うというと品性が疑われるが

 海江田経済産業大臣の個人攻撃してなにになる。いつ辞めるんだなんていうことを、聞いてなにになるんだろ。今まで進めてきた原発行政を、なんら反省ない自民党が、よく言うよと思う

 同じ穴の狢(むじな)じゃないの。「原発は止めよう。タイムスケジュールはこうだよ。」と言ってごらんよ。拍手喝采だよ。スポーツ界は快挙の連続じゃないの。寂しい政治だねェ。

 国会でこんなことやってるんだ。これはたぶん外国では報道しようがないんじゃないか。泣いている大臣はなぜ?とコメントすると、日本は理解のできない国だぐらいが関の山。こんな日本にだれがした。考えてご覧なさい質問者さん。

 今日は釣りの会のメンバーが属する民医連の写真サークルの写真展におじゃました。百家争鳴のようないろいろ素敵な写真を見させてもらった。自分としてはやっぱり東北の様子に気持ちをそそられていたが、しかしそう簡単ではない。写真家の集まりではないのだから。 やっぱり自分で撮りたい。そんな気持ちが高まった。

 その後、科学者会議の「福島原発で何が起きたか、何が問題なのか」という話を聞きに行った。舘野淳さん(日本原子力研究所を経て中央大学教授退職)の話。

 シロウトが知らない話を丁寧に質問にも応えながら語っていただいた。短い時間なので、語り尽くせないことはあったようだ。

 現職時に労働組合の委員長をやっていて、「出世」できなかった。つまり原発の危険性を話をしに行くような人間は×(バツ)ということだった。いまやマスコミの引っ張りだこで、なぜかフジテレビがよく呼んでくれるのだと。

2011年7月29日金曜日

「やらせ」それは最悪

 保安院が、やらせ指示をした。調査をしてみないと解らないが、謝ると、保安院が記者会見した。
調査ししないとはっきりしないものを、謝るという神経もおかしい。身に覚えありと言うことだろう。

 「やらせ」は常套手段。

 熊本県の川辺川ダムは建設中止になったが、その過程でもあった。国土交通省の住民説明会で、建設会社が動員をかけて、参加するということもあった。

 日常目には触れないところでどれだけの「操作」が行われていることだろう。これが日本の政治の流れを決めているとあっては穏やかでない、ここいらですべて切り替えを願いたいところ。

 原発を続けるための策略としてやったこと。原発継続を願っているのはX。Xさん、日本の将来をどうするつもりなの?

 あなたの身勝手は許されません。

 「脱」原発から「減」原発はまたあたらしい言葉。中長期で考えるという。違うね、すぐどうするかでしょ。短期的にスケジュールを出すというのが真摯な態度でないのか。世論調査から言っても。
言葉だけ変えても意味ありませんよ。

2011年7月28日木曜日

安全でない安全なんかない だから神話にしたのかな

 三上元湖西市長は、10年前から原発反対を決意したそう。4月に静岡県の市長会で中部電力が浜岡原発ですすめようとしている災害対策について説明した際に「今の対策が不十分なら、まず停止しろ」と発言したら、同調者はだれもいなかった。

 マスコミが安全神話の片棒を担ぎ、国の外郭団体が原発安全の大宣伝をする。誘致には自治体の財政難につけ込んで、国が補助金で札びらを切る。

 旧「科学技術庁」が関係財団につくらせた世論操作マニュアルに

 ☆不美人でも長所をほめれば美人になる。原子力はもともと美  
  人なのだから、その美しさを嫌み無く引き出す努力がいる。

 ☆新聞記事も、読者は3日すれば忘れる。繰り返し書くことによ
  って、刷り込み効果がでる。

 ☆原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメ  
  ンテーターとしてマスコミに推薦できるようにしておく。

 ☆ほか

 とご丁寧なマニュアルがあった。かくして安全神話が構築される。

 中国の高速鉄道事故の隠蔽工作もひどいが、安全神話を創造した「原発推進軍団」の行為も「犯罪」なんじゃないか。

 テレビコマーシャルで「エコです。原子力発電。クリーンエネルギー」なんて何回も流されて。危ない危ない。

2011年7月27日水曜日

58年視ていただいてありがとうってお礼なし。

 アナログ番組が終わった。テレビ難民は何人ぐらい?との記者の質問に「わかりません」と片山善博総務相。NHKもなんのご挨拶もなく「砂嵐画面」に。

 これも日本の皮相な政治だと思わせる瞬間だ。電波を「ビジネス拡大のために」を先行させて、無理矢理デジタル対応のテレビを購入させる。

 いまので良いと思っている視聴者は許さないということ。こういうことやる国ってほかにあるんだろうか。

 テレビは売れるから、消費が伸びたようになるでしょう。統計の上では。

 番組にしても、なかには興味をひくものや、良い番組もある。けれども圧倒的につまらない。BS放送と来たら、商品の宣伝ばかり。まあ、見なけりゃいいんでしょう。

 節電のためテレビのスイッチはこまめに切りましょう。
 テレビみたけりゃ、原発必要となどと言われないように。

 アナログ放送さんお疲れさまでした。

2011年7月26日火曜日

地震と国民栄誉賞

 なでしこジャパンが国民栄誉賞を受賞した。もらってももらわなくても「快挙」は万人が認めるところ。政権浮揚をねらってと、マスコミもコメントする。

 王貞治が国民栄誉賞を始めて受賞したときは、福田赳夫内閣。そのとき、この賞は内閣総理大臣の人気浮揚のためだろうなと見えた。

 翌年(1978年)1月「宮城県沖地震」、6月「宮城県沖地震」があった。福田内閣は、12月に終わった。2年間の内閣だった。ロッキード疑獄の後の派閥争いがあって、田中派の大平正芳に替わった。

 今は被災の規模も比較にならないほど大きい。東電の援助は惜しみなくやっても、被災者の支援策は曖昧というのではまずい。

 「ともかく首相が退陣しろ」ということを先行させて、口角泡を飛ばす、これは政治ではない。

 国民栄誉賞は、今はいたらない政治家グループや財界にだって、対象にできるのでしょ?これまでのすべての不具合を更正するなら、もらえますよ。

2011年7月25日月曜日

パソコンの功罪

 つりの会の会報の原稿がまとまって、印刷屋さんに送った。

 パソコンで原稿を作るようになったのはまだ最近だけれども、原稿の持ち込みが、パソコンを使うようになって、以前とは様変わりしている。

 以前は、紙ベースで業者に持ち込んでいたものを、いまは編集ソフトを使うようになっているので、それなりに便利になった。文字の増量や削減も紙ベースでは大変だが、編集ソフトでやると、わりと簡単だ。

 ずっとやっているとおもしろいこと(本当はおもしろくないこと)に気がつく。つりの会の行事について、「報告的」文章をまとめるにしても、「寄稿分」を書くにしても完成品になっていないことだ。

 以前は、手紙や作文を書く場合は、誤字脱字は絶対ださないように気を配って書いた。あるいは下書きまでして、「清書」までした。それが、今は完成度が低くなっている。

 まとめる方から見ると、「手抜き」ということになる。が、必ずしもそうは言えないかもしれない。手を加えるときりがないことで、適当なところでまとめておくというのもあるんじゃないだろうか。 しゃべりはいいが、文章ははどうもという場合もある。

 それに、パソコンでの文書作りは慣れるに従って、いとも簡単に書き換えが聞く。これも完成に対する軽さとなっているのかもしれない。文字を打ち込んで漢字還元するときに、誤ってしまったので、打ち直してもまた誤ってしまうことがよくある。すぐに直せる気楽さとでもいおうか。

 完成品をつくりあげること。これはずっときりなく続く。

2011年7月24日日曜日

一番電車に乗ってヤマベつり

 ヤマベつりの研究会で、鬼怒川支流の荒川へ行く。高崎線の宮原で待ち合わせて車に同乗させてもらう。5時44分に待ち合わせのために、自宅を4時にでなければならない。

 近くの地下鉄では間に合わなくて、中野駅まで歩く。これが「一万歩の歩数稼ぎ」に貢献する。早朝で涼しいとは言え、駅に着くころには少し汗ばむ。

 新宿の乗り換えは、朝帰りの若者が始発電車を待っているようで、混雑している。不思議なことにチラホラ年配の人も見える。

 順調に荒川に到着して、まずは川を眺める。幸い台風の影響はなさそう。参加者がそろって挨拶し、入漁券を購入してから、先日実績があったところへ行ってってみることになった。

 川沿いに岸辺には背丈以上もある草が覆っている。この緑と透明な川の流れを見て、来て良かったと一瞬感激に浸る。

 ヤマベは産卵を終わって、あちこちに散って餌を追っている。流れが浅くて緩いところには生まれたての稚魚がたくさん見えて、オタマジャクシと一緒に遊んでいるかのよう。

 皆で黒川虫を採って、散らばってつり始める。ヤマベは集団でいるようで、つりのポイントを見つけると、続けざまに竿を立てることができる。

 7人が参加して、何回も竿を立てることができた人は100尾以上になった。アユつりの人は二人しか見えなかった。14時までやって58尾だった。今日は研究会なので、カウンターを使って記録し、釣った魚はすぐ放流した。水に浸かっても良いスタイルで、川を移動しながら釣り歩き、今日は旨い具合に10200歩に達した。
家に帰ると、ついついビールが恋しくなり、せっかくの一万歩超えも、効果半減かも。

2011年7月23日土曜日

川が生きていた

 昨日見た善福寺川の亀は、もういないだろうと思って見にいってみたら、いやいましたよ。どうやら棲み着いてるらしい。
 善福寺川の源流「遅野井の滝」から10.8キロ付近と書いた看板が近くにあった。

 亀を眺めていたら、オッ!鯉が泳いでいる。

 そのうえ、鳥がその溜まりで流れが緩くなったいるところを旋回している。餌になるものを採っているのかとも思える。

 もしや溜まりのところから虫が羽化しているんじゃないか。としたら、善福寺川は側溝ではなくて、「川」だよ。ごく小さいけど、

川の機能が生きているんだ。溜まりになっているところは、生き物のよりどころになっている。

 この川の生き物を見たのは私にとって大発見。広げてほしいね。こういうところ。河川改修は「50ミリ改修」だけでは不足している。川を自然に戻すことを視野に入れてもらいたい。

 

 潤い効果、計り知れないと思うよ。

2011年7月22日金曜日

暑さ対策は

 今日はシロギス釣りの予定だったが、台風の余波がありそうなので中止にした。天気は回復して、あららと思ったが、こういうときは、海の底が荒れてしまったり、風が残っていたりするので、つりの条件としては良くない。

 外装工事で、蒲団が干せなかったのでこれ幸いと陽に当てた。ちょっと薄日で物足りないが、敷布も選択したし、今日は気持ちの良い寝付きになるだろう。

 部屋に置いてあった釣り道具をベランダの物置に収納した。ただでさえ狭い部屋がいくらか空いた。これだけやっただけでも、すっきりした気分になる。

 それにしても涼しい。天気予報では明日からまた暑くなるらしい。

 江戸時代は、暑さ対策は「地面を覆わないこと」だったという。道路や高層ビルをどんどん建設して、熱源を増やし続ける現代とはちょっと違う。意識して政策に取り入れたとなると、その政治力はすごい。

 東京の学校の運動場も「土に返す」ということをしているが、空き地を増やして、はできるだけ「土」を表面に出しておくべきではないか。

 河川の氾濫にも貢献するし、なにより温暖化対策になる。電力の使用量減にもなる。ここ11年間で新宿区の延べ面積ほどのビル床が増えたというが、その分だけ公共事業も資金がかかり、電気使用量も「しっかり」増えた。

江戸時代の合理性に、現代は負けているのか。