2011年9月2日金曜日

中野新橋完成記念式典

 中野新橋完成記念式典というから、地下鉄の中野新橋駅の新しい出入り口の完成かと思っていたら、神田川に架かる橋の完成記念だった。

 通りの通行を遮断して橋の真ん中で、お払いが始まった。挨拶には地元の区長を始めK議員、S議員、元国会議員のM氏など。

 区長は達者なしゃべりだったが、議員諸氏はやれ、だれそれ先生の尽力でとか、バス会社に掛け合って道路を通行止めにしたとか、果ては神田川の工事は自分たちが努力した結果氾濫しなくなったとかいう話を延々と続けていた。

 町会や商店会の主導でやっているらしが、映画で見る片田舎の催しで「○○先生のお陰であります」なんていうのが、都庁の高層ビルが見えるところでやっているのはなんとも可笑しい。特定の政党しかいないのも異様だ。

 小学校の鼓笛隊がパレードをするのに、近くで座り込んで待たされていた。長い挨拶の間に、にわか雨が2、3回降ってきて、付き添いのお母さんたちも大変。その度に雨宿りに走る。

 貴乃花と松村邦洋氏が来賓できていた。松村氏の挨拶がよかった。「商店街が寂しくなってきてる。賑やかな町にしたい」と言う趣旨の話で、議員連中よりも優れていた。








2011年9月1日木曜日

スマートフォンの急増、アクセスポイント足りないよ

 都市部では回線容量が追いつかず、回線がつながらない状態が増えている。通信事業者各社が、公衆無線LANサービス充実をさせようとしているとか。

 アクセスポイントの拡大をしていくそうだが、売っておいてつながらないとはどういうことか。繋がるところは順次拡大、これから先というのは携帯電話のMOVEでもあった。

 売るときには説明はするのだろうが、「だんだんつながれば」という安易な判断を迫って、買わせてしまう。時を経て問題なくつながるようになったころには、また新機種となる。

 こんなに高度な社会になっても、アナログ時代と同じ「安物買いの銭失い」が横行するなんて。

 「物足りない物を売る」といういのが優れた商法なんだそうで、買った商品の物足りなさから、すぐに次のものへという購買意欲をかき立てられる。消費者のニーズに応えるなんてもっともらしいこと言って。

2011年8月31日水曜日

美食のくらし

 食欲は普通にある。普通よりも上かもしれない。家の食事では年寄りの食事が少なくて済むから、惣菜は残り加減になる。

 少なくて良いよと、製作担当者に言うが、造るときには一定の量がないと難しい。買ってくるにしても、皆のばらばらの好みに合わせるのは難しいし、ましてや量を少しにする註文は、する方が無理というものだろう。

 同じ物に何回も出会うのはいやだから、少し残った状態の物は食べちゃおうと頑張る。なるべく捨てたくはないし。

 さて、体重は減らしたいし、血圧も下げたい、尿酸値も気になるとあって、食べるだけの何の心配もない生活なのに、「闘い」が存在する。

 今日は、ブログの編集でページをもう一枚追加した。右上の「ページ欄」の「写真は自分を映す」をクリックすると展開。

2011年8月30日火曜日

大山鳴動ネズミはでるかな

 野田党首が誕生した。新首相となってやることは消費税引き上げらしい、財源問題では増税について一番はっきりした態度をもっている。

 民主党の公約は4年間は上げないということだったが、いまや10%にするという表明をしている。

 原発への対応は、期待はできないし、沖縄の普天間基地の問題もこれまでと同じ。となると、野田政権がこれまでと変わるという理由が見あたらない。人が変わっても、やることが同じならハツカネズミのコマ回しだ。

 ご祝儀かどうか知らないが、首相の「人となり」をエピソードで紹介し、奥さんの内助を報道して、支持率を上げるものの、政策の大事なところでは支持を失って…次の政権へ。

 マスコミもこんなこといつまで繰り返すのだろう。

2011年8月29日月曜日

メモリーVS脳

 脳の方が優れているに決まっている。パソコンはメモリーが大きいほど処理が早くなる。脳のメモリーはどうだろう。容量が決まっているようでもあり、無いようでもあり、本当のところはどうなんだろう。

 脳の場合はとても高度な働きをしているようだ。執着や好みには脳の働きがより活発になっていく気がする。だからその点では容量の問題を心配しないで抜きにしても大丈夫の模様だ。

 しかし、精神や気分のうえでは「頭がいっぱい」になることがしょっちゅうある。これを始末するのがまた、脳の働き。

 たまった、ストレスやひらめきを溜めておかないで出す。出すことで、リセットする。(様な気がする…が正解か)

 つまり、ブログに書く、日記に書くことなどでリセットさせるということが、デジタル社会のやり方の一つになるんだろうか。心理的、精神的な作用はそう単純ではないような気もする。

2011年8月28日日曜日

博多祇園山笠、電線おじゃま

 博多祇園山笠のテレビ放映を見た。勇壮で迫力がすごい。

http://yamakasa.cocoj.jp/kazariyama/yama_11/index.html

 伝統を感じさせる祭りだった。山車を引き回すときに電線が障害になるので、山車の高さを一度縮めてから、先に進むという方法をとっていた。

 山車を引く時に、電線を持ち上げる「担当者」が、先日の新庄市金山町の祭りのときも、若者が懸命に作業をしていた。まあそれも風物の一部と無理に言っておこうか。



 風景写真でも電線がなけりゃねとよく言う。無くては困ることになるが、見えないようにすることはできるはずだ。

電線撮っちゃえ



 電力会社は、原発の「安い経費」で相当蓄えがありそう。本来ならこれまでに「地下化」だってできたはず。岩手の爺のところでは電柱設置使用料が年間3000円だ。このやり方の方が安いということか。

ああ無粋

2011年8月27日土曜日

5年間で6人目の首相誕生

 福島市渡利(わたり)の「あぶくまクリーンセンター」で、焼却炉上部の排ガス処理施設から回収した灰から、同9万5300ベクレルのセシウムが検出された。 

 このほか、計16施設の灰から8千ベクレルを超えるセシウムが検出された。 これらの灰は、国の方針が決まるまで一時保管にされるという。

 灰を缶や袋に入れて施設内に置くか、管理型の最終処分場で保管することになる。

 放射性物質の測定があちこちで実施されて、状態の深刻さわかってきた。東京でも江東区とか、下水処理施設で高い数値が出ている。

 管首相が、いまごろ福島県知事に「中間貯蔵施設を」と依頼したが、放射性廃棄物に汚染された土壌や瓦礫の行く先は、どこになるのか、深刻なものになってきた。「直ちに身体に影響のでるとはない」という言葉ではもう決着は付きません。


 5人の党首候補のなかには、脱原発を言う人はいない。世論と違う政治をやっていることが、短命内閣になってしまう原因でしょ。5年間に6人目の首相誕生!

2011年8月26日金曜日

ブナの森なら

 14時過ぎから、雷雨が始まった。中野区では80ミリの降雨だった。最近の雨は多量に降ることが多い。

 神田川は「50ミリ改修」で河川の工事を続けている。かつて、神田川の氾濫で水害が発生していたが、「地下導水工事」や改修の効果か、被害が少なくなっているようだ。

 しかし80ミリとなるとなると、その上をいってしまう。これまでの認識を超える「想定外」となっている。

 降ったときの対策がどこまで有効に働いてくれるのかはわからないが、自然界の変貌はすさまじい。これも自然界のリアクションなのだろう。

 ブナの森の保水能力は「50ミリ」と聞いた。その雨量なら森の地面は保水し、沢の水は増えない。日本の都市部で50ミリ改修というのもおもしろい巡り合わせだ。そして、自然の偉大さを感じさせる。

2011年8月25日木曜日

2年前にできたものなんだそうで

  日頃お世話になっているデジタル道具に、翻弄されながら「苦労の絶えない」ものと、生意気ながらおつきあいいただいている中に、こんな「風刺」があろうとは思ってもみなかった。
 これもデジタル文化なんですね。デジタル文明、捨てた物ではない。414000超のアクセスがある。

 あれだけ「地デジ対応」を叫んでいながら、切り替えできない所帯の数さえも把握していない、御仁たちはご覧になっただろうか。

 今は党首選だからいそがしいでしょう。今のこれからをどうするのかがさっぱり見えないで、というよりも誰がやっても同じことをやっていくから、それは無いと言うことか。

 政治の「格付け会社」がなくてよかった。あそう、格付けは国民がやるわけだ。

2011年8月24日水曜日

スマートフォンなんか買うか!

 池袋からの帰りの電車の中、スマートフォンか携帯電話か判らないが、前側と左右の座席16人あったうちの9人がそれを眺めていた。

 ほぼ30才代前の若者たちだった。それが、楽しそうな顔をしているわけでない。目的地に行くまでの短時間を時間つぶしに見ているのだろうか。

 情報にアクセスできることが可能な方が良いとは思う。提供される情報が「まし」ならば。

 情報の取捨選択も必要になる。だからそのために使うという論も成り立つ。

 たとえば60歳以上のパソコン使用のパーセンテージはどのぐらいだろう。間違いなく圧倒的に低い。だから「アナログ社会」の現実を粗末にしてもらっては困る。

 情報取得の格差は広がっていく。この格差の責任を己が追うべきという結論はだせない。

スマートフォントは携帯電話にパソコンやPDA「携帯情報端末」の機能が備わったもの)

2011年8月23日火曜日

しっかり情報伝えてよ

 デジタル放送になって、一ヶ月。何が良くなったのか改めて思う。チャンネルの多さに対応した番組が少ない。無論有料であれば幅は広がる。

 BSときたら、韓国ドラマ、大昔のドラマ、商品宣伝番組がほとんどで、これはという物が少ない。

 仕掛けがあるのに大事な情報が伝えられないのは、なんのためのデジタル切り替えだったのか。

 チャンネルのうち一つぐらいを、原発や被災地の情報を常に知らせる物などに使えないものか。マスコミの報道はトーンが落ちてきている。

 放射能汚染された瓦礫の行く先で、受け入れ先をどこにするのか。このごろ国会で決まっている法律の内容はどんなものなのか。放射線の状況はどうなのか。必要な情報はたくさんある。

 官邸の「掲示板」がある。でもアクセスできる人はどのくらいいるのか。避難先や、仮設住宅でみられる条件のあるのはそうないのではないか。情報に格差があってはいけない。知らないのが悪いと言えるか。言わなくてもやらないのは同じこと。

2011年8月22日月曜日

「がんばろう東北」

 24時間テレビは「感動場面」がたくさんあって、共感を覚えるところもある。でも、あの「マラソン」はどうもいただけない。今回は特にそう思った。

 「感動づくり」となるとそれこそ「やらせ」のパターンをみているようでいけない。

 夕食時に、「あれは、虐待みたいだ」と、それを言ったら息子が、「違う人でもいいんじゃないか」と寛容だった。番組全体は見ていない(いつもそうだが)けれども、東北の被災地にどれだけのアクセントを置いたのだろうか。

 先日行った、山形県新庄市金山町の祭りの山車には、「がんばろう東北」と大きく書いた山車を、若者が勢いよくひいていた。「おー」と思わずつぶやいてしまった。なにか嬉しかった。


2011年8月21日日曜日

江戸時代を超えてないぞ

 我が釣りの会が、ヤマベつりやアユつりで度々楽しませてもらっている酒匂川は、江戸時代の1707(宝永四)年に富士山の「宝永噴火」で火山礫や火山灰による甚大な被害を受けていた。

 近世の江戸近郊で起きた大規模噴火だった。振動と灰は江戸まで届いたということだ。

丹沢山地、足柄山地の火山礫・火山灰によって噴火の翌年、豪雨による水害が発生して被災に輪をかけた。その後も治水工事の一方で水害がたびたび発生して、使者も出た。

 農地が火山灰で覆われて、作物ができなくなったので、餓死者も出た。動きの悪い小田原藩に、領民たちが幕府に訴願行動をおこすことでようやく食料支給に動き出したとか。


 幕府も動き出し、直轄地にすることを決めた。そしておよそ80年かかって、復興を手がけて、江戸川幕府の直轄地として管理していた。

中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/14/shiryou4.pdf

 1708(宝永五)年2 月に幕府直轄領となっていた相模・駿河両国のうち、およそ半分が復旧を遂げたとみなされ、1716(正徳六)年に小田原藩に戻されました。その後、1747( 延享えんきょう四)年になって、駿東郡や足柄平野の一部を除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれ除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれに続きました。そして、1785(天明五)年から翌年にかけて、復興の遅れていた大お御神村(現在の静岡県小山おやま町の一部、須走の東)を除いたすべての地域が小田原藩に返った。
 

 水没した土地や田畑はどうする?復興の責任を考えているのか?被災地の要望に応じた体制になっていないのではないか。国の責任でということが薄い。いまは江戸時代より下か。

2011年8月20日土曜日

分割ウオーキングで目標達成

 今朝は涼しいので、張り切ってウオーキングにでる。表通りコースで回ることにして、最終的にはい喫茶店に入ることにした。

 土曜日は朝食がゆっくりだから、よくこのパターンをとることになる。問題は、そこでサンドイッチを食べることだ。このカロリーで歩いた分くらいは簡単に取り戻しているんじゃないか。

 今週は旅に出ていたから、豪勢な料理ではないにしても、アルコール入りでがっちりカロリーを身につけてきた。

 その分の燃焼、消化となると、ちょっとくらい歩いても追いつかないだろうから、出るときに本を二冊持ち出した。せめて脳の働きでカロリーを使おうという作戦。

 爺様がショートスティにいっているが、皮膚科の医者に行くということで、息子が援助に行ってくれた。先日退院したお婆ちゃんも、通い付けの医者に行くので、医院から車椅子を借りてきた。

 休日には家族も頭数がおおいので、いろいろあってもなんとかなっていく。

 新聞の切り抜きの整理すすんだところで、少し遅くなった健康保険と介護保険の納付書を持ってコンビニに。そのついでに遠回りして帰って歩数目標は達成した。

2011年8月19日金曜日

最果ての大連立

 マニュフェストが存在を否定された。少なくとも、約束事は変えたよと言わない限り、マニュフェストさんはいたたまれないだろう。

 当たり前の政治を求める声が、強くなった。せっかく選挙制度を“都合よく”いじって、二大政党政治に持ち込もうとした作戦は、ここで憂き目を見ることになった。

 圧倒的に日の目をみる、二大政党が大連立するなんて、本来想定外。支持を失った連中の窮余の作戦。それが上手くいかないときは、強権政治ではないだろね。

 同じ穴のムジナでは、公約もマニュフェストも捨て去った実績しかないのだから、期待のしようもありませんよね。
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 ブログの投稿が復活した。前回は先方から通知があって、事態はわかったが、今回はなんの音沙汰もなかった。お陰で、いくつか改善できたので、それはよかったが。

2011年8月18日木曜日

ブログの投稿がおかしいぞ

 出かけている間には、携帯電話から投稿していた。うまくいっているようだったので安心していた。帰ってから一部修正しようとしたら、編集機能が不調で、アクセスできない。

 いじっているうち別の投稿方法がでてきた。本来はこちらでやるのだろうか。このヘルプは英語対応なので質問をだせないし、英語訳がわかりにい。

 いつも「やってみる型」の解決手段で突破できるといいけど。

 撮影した写真を整理した。結構数があったからまた、HP用に編集しなくてはならない。撮ってきたものを見返すのは楽しみ。歩いてきたところの記録と記憶と結びつけて思いだすと、また次への夢へと広がる。

写真は14日の金山町。あと数時間で宵祭り。

2011年8月17日水曜日

ランクアップできるかな。

 肘折温泉の朝一。朝市に出かける。大蔵村在住に限って出店できるのだと、旅館の人が教えてくれた。旅館の従業員さんは写真を撮りにきたとわかって、なんやかや情報を提供してくれる。

 写真はただ撮るだけより、背景や歴史がわかると深まる。というより、知らないで、感性だけでは失礼にあたるときもあるかも知れない。

 肘折温泉の朝市、最高齢は88歳。それを知って、おいそれとはシャッターを押せなくなった。知らない軽さと、知った重さ。また、ひとつのステップを負った。

写真は肘折温泉の朝市

2011年8月16日火曜日

天と地の味わい

 遊佐の朝は雨。海は波だっていた。酒田の山居倉庫の撮影してから、土門拳記念館へ。

 ヒロシマの原爆をテーマにした写真と、<古寺巡礼>をじっくり鑑賞。ヒロシマの原爆被災・被爆二世の写真は凄い。恨みを写したものでない。が、写真が訴える力をもっている。

 泊まりは肘折温泉。夜は仮装盆踊り。デジカメはブレて、撮影は苦戦。


2011年8月15日月曜日

早起きで得した

 早朝、朝日を撮ろうと、昇ってくる方を目指して車を走らせた。あった!出始めた稲穂に水滴が光る。バックは林を抱えた農家が、靄に霞んで、絶好のロケーション。
早起きは三文の得だと話ながら、朝食に戻る。

 金山町の祭の本番。山車を追いかけて、汗だく。そこから鳥海山へ向かう。玉簾の滝は家族連れで賑わい。

2011年8月14日日曜日

古里の暑い夏、若者帰り元気な祭

 写真撮影の旅へ。初日は新庄市の金山町に。新幹線車中は暑かった。町中の古くて立派な民家を使った蕎麦屋さんで、鳥蕎麦を注文。量がたっぷりで美味しい。

 撮影対象で狙っていた成人式は、午前中に終ってしまった。金山の見所を一回り。大美輪という杉林を撮り、川で遊んでいた子供達をスナップした。

 あまりの暑さに、立ち寄ったレストランで、成人達と遭遇。写真に収めた。


 夜は、宵祭。アルコールを控える大決断をして行ってみた。小さな町でも、大きな賑わいだった。