2012年10月12日金曜日

自然再生エネルギーの活用をみた


 都留市の小水力発電所見学会に参加した。原発に代わるエネルギーの一つを見てみたいという思いで、中野「革新懇」の催しにのせてもらった。都留市では自然再生エネルギー利用を、市民の中から上がった声をきっかけにして2004年から取り組んだということだった。

 国や県からの補助金に市からの分も加えて、市民債をもとにして財政を賄ったとのこと。1号機は4300万円で、市からの財政は1000円万以下の負担で造ることができたと、市の担当者が説明してくれた。200510月には完成して最大出力が20キロワットあり、市役所の電力に使っており、夜間は東京電力へ売電している。

 1号機は水車の羽は松の木をつかったもので、水車に木の枝などのゴミが付いた場合に、羽を壊すことで本体に影響させないという発想。水は江戸時代に堰を作って桂川の水を引き込んだものだった。3分の2くらい道路でおおわれているが水量は、かなりなものだ。水は減らないしCO2は出さない。いくつも作れることなどが利点だという説明をしていた。

 この家中川は、江戸時代に多くの水車がつくられており、精米製粉、絹織物の織機の動力として利用されていた。明治時代にこの川の滝に発電所(現在はない)ができてからは、70カ所以上あった水車は不要とされてしまった。そんな話を聞きながら、自然と折り合いをつけて生活をしてきた時代へ回転していくような気がしていた。そしてそれが今や時代の先端になろうかとしている。



校庭の一角に見える「元気くん1号」



3月にできたばかりの「元気くん3号」


「元気くん2号」2010年5月完成

2012年10月11日木曜日

マニュフェストを作りますが。

 民主党がマニュフェスト作りを本格化する。選挙を前にして「約束事」をつくって公表しなくてはならない。議会制民主主義の大事な部分だから当たり前のこと。

 だけど、国民の前に提示した「公約」は自民党政権時代に、公約違反が積み重ねられ、「日替わり」首相になった末に民主党に「政権選択」で移譲することになった。

 当の民主党はかつての自民党の席に着いただけで、引っさげてきたマニュフェストはズタズタにしてしまった。民主党の政調幹部は「どんなに立派な政策を掲げても、誰も信じてくれない」と言っているそう。当たり前だ。

 公約であれマニュフェストであれ、ないがしろにしてきたわけだから、その責任は受け止めてもらわなくては。なのに、その民主党幹部は「『マニュフェスト』という名前を変えるぐらいのことが必要かもしれない」だって。

 おいおい名前を変えればいいという問題でないぞ。「公約=守らないもの、破るもの」「マニュフェスト=投げ捨てること」なんて、言葉の意味をこれ以上捻じ曲げるのは、願い下にしときますよ。



2012年10月10日水曜日

冤罪はなくならない

 大阪市のインターネットに殺人予告が書き込まれて、コンピュータウィルスの発見ができなくて逮捕交流した府警察本部は、「不自然だという認識はあったが、当時は捜査を尽くした結果、確信を持って逮捕した」と言い放っている。

 警察部内の担当分野も相当の専門技術をもった人がやっているはずなのに、「確信をもって」結論出したということは、結論を急いだということではないのか。

 冤罪がなくならないのは、人格とか人権にかかわるという認識がいまだに重きを置かれていない体質をもっているということだ。不注意によるなどという生易しいことでない。「やっていません」と言ってもこうしたことを起こす世の中では、警察は信用されなり、犯罪の「抑止力」もなにもなくなる。

 江戸時代の自白強要による立件が今の時代に残っているなんて考えられない。そのうえ素直に認めることをしない。「ああ言えばこう言う」たぐいの言い訳を並べ立てる。それが日本の高級官僚の体質にしみついているように思う。

 いいか悪いかは別にして、こういう官僚を動かす「闘い」を挑んだ民主党も苦労したことだろう。あの維新の会から800人以上の議員希望者があるというが、よしんば議員が増えたとしても、寄り添うところを違えた姿勢では民主党の二の舞になることは目に見えている。


2012年10月9日火曜日

釣りは「道楽」の域にとどまらない


 釣りの会の会員さんと近所で一杯飲んだ。つりを話題の酒はいい。釣りがたのしものだという実感が深まる。つりの楽しさ、良さはやったものでないとわからない。というと、自己陶酔の範疇に終わってしまうので、まったく釣りをやったことのない人にとってもたやすくできるし、どんなに楽しく遊べるものなのかというあたりのことをもっとわかってもらえれば、会員が増えるのではないかという話になっていく。

 魚を取って食するのは、現代の食生活の根幹をなすものだから、口に入ってくれればとりあえずは問題はない。が、今はその職の発生源は、生活とはほとんど分離されている。魚だってスーパーで買い求めれば食べるに困らない。ここからは自然は見えないし、当然自然の恵みも見えにくい。

 釣りをすると、そこいらあたりが少し見えてくる。釣りは、たぶん漁業というか狩猟というか、魚を手に入れて売って生活することからの昇華のようなものだろうと思う。今食えるか食えないかという食に直接は影響しない嗜好のようなもの。つまり言うところの「道楽」だが、子供たちが嬉々としてハゼを釣っている姿は道楽という言葉は今は合わない。また「…つり大会」となるとスポーツ的色彩が強くなる。

 釣りの愛好となると、どれだけ釣るか、大きい魚を釣ったかということに焦点がかかっていく。しかしそれはさておくとして、釣れば釣れほどもっとたくさん釣るには、という気が昂進するのが、通常の釣り人の気持ちだ。これもDNAのなせる業かもしれない。どうしたらもっと釣れるかの技術を追求するうちに、自然環境の影響が大きな影響を与えていることに気が付いていく。

 魚の気持ちに近づかないとダメなのだ。魚の生息するに必要な環境がないと、魚は繁殖できないということが当然ながら気づくようになる。温暖化、海や河川のゴミ、水質汚染、埋立と干潟減少、ダム、森の減少、温暖化。さまざまな要因が覆っていると理解するにいきつく。しかしだから、道楽の域を超えて、自然界が蘇生していくことを真剣に考えていかなくてはならない立場にもある。それなりに「格調」ももった趣味だと、「自分では」思う。


2012年10月8日月曜日

岩手山麓獲り入れ

 人が見えなかった田んぼに、獲りいれの様子。今年の出来はどうだったんだろう。





2012年10月7日日曜日

購買意欲で溜まるゴミ

 お婆ちゃんが荷物整理したいとしきりに言っているので、午前中手伝いするが、まだ終わらない。午後から続きをやるが、収束を考えながら疲れないようにと、気遣いつつ片付ける。昔の苦労があるからなんでも残してとってある。それに、不要なものとは言えないが、気持ちの残っているものが箱の中に溜まっている。誰にでもあることだろう。

 自分では整理のできないものでも、他人ならできるということがある。しかし、関係者の一人が「それは」と言い始めると残ってしまう。それも人情だろう。自分の釣り道具だって、きっと使わないだろうと思うものも多々ある。使うかもしれないとため込んだものは、他人から見たら「こんなもの」と思うに違いない。

 でも、あそこに「あれ」があったなと思うとき、その場所にあれば満足という気分もある。これは貧乏人の発想かもしれない。満足感は生きていくうえで大事なことだ、財産をもたない身にとっては。

 しかし今や必要でないものを過剰に持たされる世の中になってきたのは間違いない。「本当に必要かを考えてから買う」とか「一年触らなかったら捨てるとか」「新しいものは、古いものと入れ替える」ことがコツだと教えられる。しかしこれを上回る「購買意欲」を掻き立てられる。

 生産、販売する側は、携帯電話もパソコンも車も、次から次と新しい機種へ変えていく。買い替えて古くなったものはリサイクルで回収するが、たぶん相当数「不用物」として、日本の狭い空間に蓄積されているのではないか。

 一世帯に二台になろうかという車、各部屋へのテレビ設置。購入できる懐具合になったともいえるが、そうなって家族がバラバラになるということも手に入れた。固定電話が家族全員の携帯電話に置き換えられた。携帯電話は旧世代で造らなくなり、スマートフォンと変えられる。





2012年10月6日土曜日

首相官邸前デモなんかまだまだ?


 106日の朝日新聞に「反対派 1145回目のデモ行進」という記事が載った。「上原原発を建てさせない祝島島民の会」の活動を紹介したものだ。「今申請を許可することはできない」(山口県山本繁太郎知事)「原発を新増設しない原則の適用対象だ」(枝野幸男経済産業相)との発言で止まったことにはなった中国電力上関原発建設。

 しかしれによって「復活」まで否定していない状況で、島民の会は「中国電力がはっきり止めるというまで安心できない」とコメントしている。30年前から週一回のデモを続けてきた。その回数たるや1145回。高齢化をあげて運動継続の難しさを書いている内容の記事だった。 「私らが死んだら造ろうと思っとるんっじゃろ」と69歳の女性。中心で活動してきたおばあちゃんも6080歳代。

 しかし、3.11以降の原発に対する見方を、根底から覆された状況を見るにつけ聞くにつけ、どうして30年も前から訴えていたことに思いが至っていなかったのか、不明を恥じるばかりだ。しかし関西電力は追いつめられた。これは第一朝日新聞の2面にのった記事だから、これまでの状況と異なっていることは確かだ。

 6
月に崖の上のポニョ」の舞台のモデルとして知られる、瀬戸内海に面した景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画について、同県の湯崎英彦知事が中止の意向を固めたということが報道された。宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台となった有名なところだが、「景観を守れの声は「外から」の高まりと支持も大きかった。裁判もあり、開発のありかたを巡って紆余曲折はあったが、理のあることは通るという結論に至った。


 「さようなら原発」「脱原発」の声はいまや天の声と聞こえる。完全に断念させる条件は一層大きくなっていると言えるのではないだろうか。それにしても、1145回のデモとは!。「首相官邸前デモ」もまだヒヨコということになるのでしょうか?


2012年10月5日金曜日

被災モニュメントを残すと


 津波博物館を作ろうという動きが、被災地大船渡市の市民有志からでている。津波で全壊した製菓の旧本社をモニュメントとして残そうというもの。

 斉藤社長は津波が襲ってくるまで、ビデオで記録を取り続けた。社員は全員退避できて無事だったという。後世に伝え残すためになんとか残したいと考えて、あちこち資金援助の訴えをしながら、東日本大震災から2年後の来年311日の開館を目指して準備活動をしているとのこと。

 会館では津波の映像や写真、被災車両などを展示し、犠牲者を慰霊して防災意識の高揚に役立てる。また被災した社屋はそのまま遺構として残す。一方、建物は5メートル以上の高台へ移動するという町の方針や、津波の被災を思い出すことになるなどの声もあるという。

 被災地以外からいうのはどうしても「他人事」となるけれども、ヒロシマの「原爆ドーム」のように負の遺産として、教訓を残していくことは意義のあることと思うのだが。

2012年10月4日木曜日

オスプレイは安全だよ!って。田母神俊雄氏ブログで。


 田母神俊雄氏(元航空幕僚長)が「空を飛んでいるものは、いつかは落ちる可能性がある。絶対に落ちない飛行機などこの世に存在しない。」「これまでのCH46などに比べれば、十分な安全確率は確保されているといってよい」とブログで述べている。

 この考え方でいけば、つい先日飛行中の航空機内で座席が外れたトラブルで点検している、アメリカン航空のボーイング7578機の点検は必要なく、「いつか落ちる」まで飛ばしてよいということになる。

 岩国に止まったままの2基のオスプレイも心配ないということにはならない。そのうえ、もっと危ないものがあるのだからそれに比べて安全という論法も考えられない。

 オスプレイの騒音は93デシベル以上で、地下鉄の騒音以上のお騒音をまき散らす。自然界に影響を与えることに抗議があって、ハワイでは訓練をしないのに、日本の沖縄の生活圏や本土の自然界には「問題ない」とどうして言えるのか。

そのブログでは
「私たちが航空自衛隊で新しい戦闘機などを取得する場合、100機の体制を造るときには、墜落して失われる機体を計算し、あらかじめその機数を100機に上乗せして取得している。これを航空自衛隊では減耗予備機と呼んでいる。新機種が10万時間当たり2機墜落するという計算上の数値があって、その機種を40年間で合計100万時間飛ばすとすると、20機の機体が事故で失われるということになる。航空自衛隊では100機の飛行機に20機の減耗予備機を上乗せしてあらかじめ120機の戦闘機を取得するのである。」とも述べている。

 つまり、落ちることを想定している。しかも予算獲得の際は「…機体制」ということに加えてプラスした予算をとっているということだ。1機数千万、数十億円というものをちゃっかり上積みして…。

2012年10月3日水曜日

世辞の一つもあればもっと頑張るのに

 昨日少し多めに歩いた疲れが残っているのか、午前中は眠くて参った。本を読もうと張りこんだけど結局うつらうつらしてしまった。

 今朝はご飯を炊いたから、それを食べてたまの炊きたての味を楽しむ。昨日のピラフが残っていたので自分はそれを食べる。二人の食事は、食べる量が少なめだからどうしても、「次回繰越」になる。

 今は畑のインゲンとトマト、ナスが食卓に出せるので一応「野菜類」は口に入る。仙人の食欲は一人前では多すぎで、生協中心の惣菜も残りかげんになってしまう。その分もったいないから、こちらが引き受けることになると、メタボの道をゆくようになってしまう。

 夕食には珍しくジャガイモやニンジン、白菜、玉ねぎに肉を入れてスープをこしらえた。いやスープを作ろうと意識したわけではなくて、煮て白だしで味をつけたら出来上がったのがスープになっただけのこと。これは自分では味が良くできたと思ったが、今はなんでも「出汁」がうまくできているから、そんなに工夫することもないのかもしれない。

 ナスの浅漬けの元を使って、昨夜漬け込んだ自家製ナスは、溶かした水の量が多かったために失敗した。塩を加えて昼食にはなんとかなった。

2012年10月2日火曜日

ホントのとこ教えて

 沖縄の普天間基地に行かずに岩国基地に残った2基のオスプレイはどうしたんだろう。マスコミではその理由について、部品を本国からもってこないと動かせない、という以外は見当たらない。

 本土や沖縄あげての配備反対の声に抗して、あえて移送するのは「抑止力のために強行する」わけだから、実践さながらの訓練を早くやろうというときに、「休んでいる」場合ではないだろうに。しかし、なにかよっぽどの事態があって飛ばせない。

 部品の調達が今月末までになる可能性もあると公式に発表しているらしいから、余程のことといえるのではないだろうか。岩国に配備した以降に具合がわるくなったのか、いや岩国に移送してきてから故障がおきたのか。いずれにしても「欠陥ぶり」を露呈したことになる?

 これからどんな事実がでてくるかわからないが、こうこと追求したら面白い事情がでてくるのではないかな。やってるかもしれないけど、誰もが持つ疑問を追っかけて報道してもらいたいよ。マスコミさんお願いします!

2012年10月1日月曜日

自治体のあるべき姿に感心


 福島県の三春町が、福島原発の爆発後に安定ヨウ素剤を町民に配って摂取してもらうまでの記録を報道した。放射能の拡散の重大さが最初は理解できなった。現地の自治体の原発の専門家が、配置されて初めて容易なことでないとわかってくる。放射性ヨウ素の拡散という状況が国からも県からも伝わらなかった。原子力安全センターのSpeediは、測定機器が破壊されたとして、拡散予測を伝達しなかった。(後から予測結果を発表している)

 したがって三春町は、自力で対応を考えざるを得なかった。(どこもそういう状だったのだろう)天候とりわけ風向きと雨によって影響がでると考え、町会議長の娘さんが働いている先の位置が、山の影響も受けずに福島原発方面からの風をキャッチできるので、幟のポールにビニールの吹き流しを作ったという。

 一方、安定ヨウ素剤を入手するため福島県を訪れて必要量を受け取ってきた。風向きの予測では、翌日には拡散があるとみられたことから、安定ヨウ素剤を町民に配ることが適切な時期(24時間以内に摂取で効果的)になるが、決断には逡巡があった。ことの重大性を明らかにすることになって起きるリスクや、摂取による副作用を考えざるを得なかったが、町当局は結局配布をすることを決断して、準備していた体制で95%の対象者に配った。

 ところが、県の担当者が配るについての判断は「町にはできない」と回収を命じたという。町は国や県の判断がなにも伝わってこない状況化ではやむを得ないことだと反論した。町職員の「配布する」という判断について町長は「なにがあっても私が責任を取るからやってくれ」と後押しをしていた。

 概括こういった放送内容だったが、町役場という身近な自治体が住民の安全や健康のために親身に働くという、当たり前のことではあるが感心した報道だった。何かといえば処分をし、逆らうものを許さないなどという首長のいるところでは、こうした職員の自主的なエネルギーは汲み上げることはできないだろうと、ついでながら思った。

2012年9月30日日曜日

領土問題で炎上はご免だ

 こんなこと言ったら怒られるかもしれないが、尖閣列島や竹島が日本の領土だからどうだというんだろう。自分の日常生活にどれだけ影響しているかということだけ。韓国の人のインタビューでもそんなこと言っていた人がいた。とりあえずはそんなものだ。資源があるからとかヤギに島の植物が荒らされているとか、身近なこととはちょっと違う。

 問題なのは、問題になっているのに「領土問題は存在しない」として、対話による交渉を遅らせていることだ。テレビで珍しくまともな対談を放送していたが、現政府や役人側の対中国や、韓国での対策にはノウハウに知恵がないと言っていた。国有化を打ち出した77日は「盧溝橋事件の日」だった。中国にとって忘れられないこと「7.7事変」の日だ。国有化が挑発と捉えられるには十分すぎるくらいの設定になった。

 普通の外交の場合は、こうした場合は避けるのが常識ということだ。日本はかつての15年戦争を本格的に反省しているわけでないから、靖国神社参拝の問題も、ずっと引きずっている。日中では企業進出の都合から「棚上げ」あつかいとして合意してきた。財界の責任も大きいのに、ここでマスコミを通じてはなにも聞こえてこない。

 双方とも、交流から経済に深刻な影響が及んできたから、こんどは「ちょっかいごっこ」を棚上げして、あげていた「領土問題を」棚からおろして、対話をすればいいと思う。大江健三郎氏や木島等し元長崎市長など1300人が賛同した、まともな声明が出されていた。マスコミは「韓国で大歓迎」「反日民族主義を容認するもの」産経ニュースMSN)と、例によって摩擦を煽ることでの対応だった。

領土問題の悪循環を止めよう!

2012年9月29日土曜日

カメムシがやってきた

 彼岸を過ぎて、まだ暑さを残しているが、稲はもう取り入れのシーズンになった。仙人家の窓に、稲のネグラを追い出されたカメムシが、冬を越す場所を探しにやってきた。外に積んだマキの皮にもぐりこんで、暖炉にくべるときに家の中に入り込むのだ。二階の軒先に蜂の巣ができていた。他の蜂かなにか天敵にやられて、ぼろぼろになっていた。





2012年9月28日金曜日

昨日の続きを竜川で


 水量が多いのは本流筋しかないだろうと、御所湖に流れ込む竜川(雫石川上流)に行ってみた。グーグルの地図検索で航空写真を見て、幅広い流れになっているので何とかなるだろうと思えた。春木場を目標にして、竜川に架かる橋を渡ってから河原まで車で降りた。眺めるとアユを狙っているらしい二人が座り込んでいる。竿は置き竿にしていた。すでにあきらめているのかといった雰囲気だった。

 川は浅くて河原は広いし、石も大きくないから歩くのは楽そう。蚊バリが思い切り振れそうなところなので、昨日の続きをでカバリ釣りでやろうと決めた。

 身支度をして入り込む。広い流れは幾筋も流れがあって、竿が振れる場所にはことかかない。何回も振っているうちに、振ったラインの先の針はほとんど見えないが、魚が蚊バリに反応しているのが見える。小さくポシャッと飛びついているのが見える。やっぱりなかなかかからない。ラインがしっかり飛ぶようにと心がけることばかりに気をつかているから、釣っているという気が湧かない。

 おまけに型のいい魚が周囲で飛び上がっている。もう最後でと思った場所で、何気なく振っては3秒ほど流して、すぐに上げるというやり方をしてみた。これが「カラ合わせ」になったようで、連続して3尾(小さいハヤ、ヤマベ、ヤマメ)がかかった。カラ合わせは、本来の釣り方ではないだろうなと思いながらも、振る回数が短くて多くなる分だけ、蚊バリが落ちた後の位置の想像がついた。

 蚊バリ釣りは、腕も痛くなってきたので終了し、黒川虫をとって餌釣りに切り替えた。思った通り、ヤマベのよい型が反応してくれた。流れのゆるいところを流すとハヤ。流れの落ち込みの大場所で20センチ級が3尾かかった。ヤマベ13尾小型のハヤ10尾は夕げの唐揚げの食材になった。


竜川

2012年9月27日木曜日

今年最後の渓流釣りの首尾は


 岩手県の南畑川で、カバリで振ってみた。といえば格好がいいが、実戦で振ったのはこれまで何回もない。実は餌にキジとブドウ虫を用意してあったのだけれども、目的の鴬宿温泉上流のねらいが、あまりの水量の少なさと、苔の繁茂でつりには向かないとあきらめて、下った南畑川でやってみることにした。

 水は澄んでいて、ハヤとおぼしき魚の姿が見えるので下流に回り込んで河原に降りた。大体カバリの振り方がなっていないのはわかっていたが、200メートルくらいの間練習のつもりでやってみた。ラインがきれいに飛ばせるのが何回もないし、肝心の針がどこにあるのかさえ最初はわからなかった。

 やっているうちに、小さな魚が反応しているのがわかったから、もしかしたら間違って…。期待しながらもまあ無理だろうと、振りながら暮れなずんできた川面を上った。

 あきらめの気持ちが膨らんできたところで、ラインの下方の目印(ラインの色が変えたある)がスーと走った。瞬間をあわせたら、魚がかかった。あれかかったと喜んで小さな姿を引き寄せてみると、ヤマベだった。水が澄んでいるせいか、白くてきれいなものだった。

 よしと、もう一つ上流の場所へ。多分ここで暗くなってしまうだろうなと思いながら、振ってみた。教えてもらった振り方を確かめながら、何回か振っているうちに、ラインが気持ちよく伸びたと思いきや、またスーと動く。またヤマベだった。もう一回またヤマベ…。

 もうラインが見えない。その瞬間多応えの違う当たりが…。ヤマベは十数センチだったが、それよりは明らかに大きい手応え。と、合わせた瞬間水際でバレた姿が見えた。

2012年9月26日水曜日

夜活動するのはDNAに反する?


 人と土とは切っても切れない縁がある。住処も、ビルのマンションよりは小さくても庭が付いているのがいい。(もしも私が家を建てたなら…♪)大概の人は土に近いところをもとめる。
 
 人生の熟年ともなると、庭いじりか庭がなければ植木いじりを始める人が多い。育てるという作業が人にとって、潤いをもたらすような何かがあるのだろうか。
 
 農耕中心で暮らしていた時間は15000年もさかのぼるから、相当長期にわたって人の生き方を支配してきたといえる。明るいうちは田畑で働いて、暗くなったら家へ帰る。(明かりが使えるようになったら、「夜なべ」の仕事があった。)その長期の積み重ねが人のDNAを作ってきたのではないか。体内時計云々という話はそのことを指すのだろう。
 
 夜寝ない町は、世界中がコンピュータネットワークでつながり、「儲けの情報」を早くキャッチすることが必要なったところにできあがった。社会の活動スタイルの変容が、私たちのDNAの変化を要求しているというのだろうか。
 
 非正規従業者が、1年の就業期間、超過勤務の支給もないなどの処遇改善のために労働組合を作った。ハローワークの話となれば、漫才のネタにもできない笑えない話。不条理に出来上がってしまった社会に、土を触る生活をして自然に触れて暮らすことが、一つのテーマになっている現代は、人の生活を見直す「回帰」になっているのかも。

2012年9月25日火曜日

スマートフォンなんか、と言うものの


 なにで使っているのか最近電車の中で、ちらりと見たりするとどうも文字を追っているみたいだ。どうせゲームか何かで使っているのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。

 Facebookにはスマートフォンなどからの投稿がでてくる。ツイッターやブログ、各種のネットニュース情報はいま、流れていくように早いから、昨日と今日どころか、一時間後にはどう動くかみたいなことになっている。

 日常の生活がそんなに振り回されるのは、好むところではないが、テレビの報道や大新聞などの時事ニュースでは間に合わない情報が行きかっている。確かにテレビニュースの数分間の枠や机上で作成したような記事では、今の社会で起きている事柄を拾い上げて伝えることにはできないだろう。

 しかもテレビのワイドショーは判で押したように同じで、ニュースで報道していることをネタにしてコメントをするだけのこと。不足の部分をネットが補っているようなものだ。NHKにしても民放にしても、ネットから取り寄せた情報をネタに使っている番組さえでてきた。そうすることが、ネタの拾い上げに効率的で人件費のかからないやり方になっているのだろう。

 SNS(交流サイト)に投稿された登録者のコメントは、ツイッターやFacebook、グーグルプラスなどで、時系列に流れ出ているからこれを介しての「コミュニティ」と「友人」づくりが成り立っている。スマートフォンはどうやらこの器具として、有力で簡便なツールになっているようだ。いまどきの秒刻み分刻みの忙しい生活では必需品なのかもしれない。

2012年9月24日月曜日


 今日は、ツイッターで橋下徹氏が大活躍で、50本ものツイッターを打ち込んだと、批判する人がいた。橋下氏答えて曰く「お休みをいただいております」。領土問題で吹きまくり、内容は結局歴代政権と違わない。


 自民党の総裁選挙で「領土問題は主権の問題!」と大声を出すが、危険極まりないオスプレイの強行配備は「主権」にかかわることではないか。こちらは「売国的」処遇。

 岩手山麓で朝から自衛隊の砲撃演習が始まった。発車音から7~8秒で炸裂音がする。家の柱から衝撃が伝わる。橋下氏の言う「生身の力」練習か。





2012年9月23日日曜日

実りの秋2


 庭に小さな花壇をつくって遊んだことはあっても、畠のことを直に心配したころなどはなかった。仙人の家は、ナス、トマト、ササギ、ピーマン、トウモロコシが、植えられている。苗の数はたくさんないが、それでも今の時期は少人数で消化するには忙しくなる。

 枝豆は一時にたくさん収穫されたので、近所に配ってあるいたらしい。東京にも送ってもらったが、実が入らずに薄っぺらなものだった。しかし、味と香りは悪くなかった。トマトは小ぶりで、それこそ商品としてみたら成り立ちそうもないものだが、これも味と香りがよい。

 皮は固いが、最近こんなに味わって食べたことがない。生ものは成熟したものを早く食べるのがいい。ボチボチ食欲も減ってきた身には、美味しいものを少なめに食べる方が、理にかなってメタボ防止になる。

トウモロコシ不出来