2012年10月22日月曜日

冤罪は国家の犯罪


 遠隔操作によって、ウィルスを使った操作をさせる犯罪は、大きな問題だ。パソコンの性能が改良されると、様々なソフトが動かせるようになるし、「亜種」のような無料ソフトもでてくる。これを防ぐのは、いわば「イタチごっこ」になっていく。

 しかし、だからといって「誤認逮捕」がでてくることが免罪されることではない。神奈川県警に誤認逮捕された学生は「認めないと少年院にいくことになる」、検事からは「認めないと長くなる」と言われたという。取調官は「言っていない」と言っているらしいが、このセリフは、冤罪事件では必ずと言っていいくらいでてくる。任意で身柄を拘束して供述調書を唯一の証拠にして、逮捕起訴するというやり方が、普通のやり方になっていることが問題。

 「認否」で供述が変遷したというのは取り調べの強圧的なことで起きたこと。多くの場合に見込みで、被疑者が犯人となる場合があっても、間違いがあってはならないことは当然だろう。

 マスコミのこの報道を見ている限りでは、誤認逮捕は間違いない状況と思っていたが、謝罪まではこんなにも時間がかかるのだろうか。それも釈然としない。証拠に基づく科学的な捜査は、テレビのドラマでもよく出てくる。現実がそれ以下では情けない。

2012年10月21日日曜日

翌朝4時まで遊んでいいよ…では。


 沖縄の米軍が、4万人に外出禁止令を出した。沖縄東門市長は、米軍の対応がこれだけでないことを期待するコメントをしていた。同感。ルースアメリカ大使は「個人的に沖縄の怒りを理解する」というセリフだ。

 個人的にしか理解できないということが、いまの日米の関係を表している。「アメリカは世界の指導者として軍事的優位性を保つ必要がある」「アメリカは日本を守っている」のだから、その重みを考えれば受任してもしかるべきところ、現下の状況では言葉にできないので、個人的に理解して謝罪するということ。

 こんな態度をさせているのが日本政府。抗議ひとつできない。沖縄県知事がアメリカに行って抗議をするというのに、日本は国民に対してのなだめ役を積極的にするというわけ。こんなことを続けてきたわけだから、だれもがいい加減にしろという気持ちになってくる。

 外出禁止令が23時から翌日4時までというのは、まったく馬鹿にしている。これまでは、「戦時行動(あるいは準備行為、訓練)が大変だったから、ゆっくり休め。ついては翌日の4時までいいよ」ということだった。これも極めて異常なこと。普通の生活からは4時まで遊んで来ていいという概念はない。基地の町がどんなに危険な状態かがわかる。

2012年10月20日土曜日

「闘わぬ愚かな棄民」とは


 当初は民をバカにし、専門家の話を聞けと言って被曝させ、今は、そのバカにした民に、自己責任でものを食えと言って被曝させる。隠された被曝。食わされ被曝。食わされ被曝。騙され被曝。棄てられ被曝。除染で被曝。計らず被曝。無知での被爆。闘わぬ愚かな沈黙の棄民の被爆。
Facebookの投稿

 なるほどと思って転載してみたが、「闘わぬ愚かな沈黙の棄民の被爆」は少し違和感を持つ。「無知での被曝」までは扱われている立場を言っているので、違いはないが、そこまでで充分主張は述べられているように思う。そうだだから脱原発でということは言い表している。気持ちの上で「闘わぬ愚かな…」はわかるにしても、棄民の評価を「愚か」としてしまったことで、こういう立場に追い込んでいる連中を、論理的には免罪にしてしまったように思う。

 こういう引用をしていいのかどうかはわからないが、Facebookへの投稿で公開されたのを見て気になった。

2012年10月19日金曜日

デジタル社会にランディング

 8年前に手に入れたDVDレコーダーは、デジタル放送のために使用不能になっていた。それは分かっていたことだったが、撮りためた録画を見ることができるので置いてある。デジタルテレビでは、新しい録画では使えないから、廃棄のすることになる。もったいない。

 HDDに溜まっている録画を、DVDに移し替え(ダビング)すれば、パソコンでも見ることが可能なので、ダビング作業を始めたが、DVDには30分もので2本しか入らなくて、けっこう手間がかかる。DVDは安く購入できるから心配ないが、考えてみればいままで見なかったものを、この先見るかどうかも実は心配。

 使っていない不用品と同じことだから、いずれ捨て去る運命になっているのかもれない。いらないものの片づけは、たまに気が向いたときにスッとすすむことがある。思いきってしまえば、レコーダーごとお別れするのも手ではある。

 ダビング途中、2007年にNHKで放映した「それでも私はやっていない」を見てしまった。冤罪を扱った番組で、痴漢として刑事事件にされた人が、2年以上かかって裁判で無罪になるというものだ。それに、婦女暴行の犯人として「自白」を強要されて、嘘の証拠にもとづいて裁判で2年半の有罪を受けて服役、出所後に別の事件で、逮捕された人間が、その婦女暴行を自白したというものだった。

 ちょうど、パソコンの遠隔操作で、メールを発信した事件の冤罪とダブって見えた。終えたあと、ああ、やっぱり録画した多数の映像を捨てることはできないなと、思い直すことになった。デジタルに対応していて、DVDを使えるものは商品としてあるようなので、購入することになりそうだ。

2012年10月18日木曜日

デジタル社会で写真を残すには


 銀塩の印画紙といってもなじみはないが、フィルムに撮影した写真を暗室でバライタ印画紙にプリントすると言えば、イメージが湧くかもしれない。現在はデジタルカメラが主流として振るまっていて、暗室で現像などということは全くもって知らないことに追いやられた。

 富士フィルムがこのバライタ印画紙の生産を中止してしまった。バライタ紙は、現像するときには諧調の広さによって、写真の表現の深さを表現することができる。つまり表現が豊かになるので、デジタルの表現よりは味わいが深くなる。これが無くなってしまうとなると表現する側にとっての影響は大きい。

 現実の写真(模写)がどれだけ真実に近いものになるかは、永遠の課題だ。芸術となると違った論議になるからさておくとしても、自分が感動して撮ったものが、より豊かに印画紙にのってくるのは許容されなくてはならないだろう。なぜなら、それでも被写体となったものとのズレはなくならないから。


 もうひとつ重大な問題なのは、デジタルの画像の保存する場合、100年、200年のスパンで残っていくのかということ。画像の記憶媒体はめざましく変わっていく。3.5フロッピーから、CDDVDと変遷を重ねている。この媒体が、100年後に使えることは考えにくい。

 写真は、写真の趣向者やプロが記録していくが、媒体変化に対応した記録作業が可能なのだろうか。素人やセミプロ、まして携帯電話やスマートフォンなどで撮影したものが、その場限りで消えて、優れたものが残っていかないことになるのではないかと心配だ。

 銀塩写真では、有名な「坂本竜馬の写真」が150年残って存在している。素敵な写真、感動的な写真、記録写真をどうやって残していくか、「みんなの財産に」するための方策を考えなくてはいけないだろうと思う。

2012年10月17日水曜日

また、米兵が乱暴。いい加減にしろ!

 また、米兵が女性に暴行した。今年43回目の米軍が絡んだ事件になった。こんなに米軍のオスプレイ配備に反対する声が大きいのに。まったく関係がないかのような態度になった。あってはならぬことをする、しかも繰り返すのは、もはや一過性の事件とはいえない。

 軍隊だから、命令一下で人を殺めるのが仕事だし、職務だ。そのための訓練、つまり「殺せる」度胸を身につけさせられている。「米国を守る」という大義を抱えさせられて、他国に軍事的介入をしていくのだから、そこには人権感覚はない。

 基地から外に出る前に「注意」を受けたくらいで、止まるものでない。「病み」をもったまま「日本の生活圏」に飛び出す。日本でオスプレイの配備にどれだけの反対の声が上がっているか、承知しているはずだ。

 斟酌なく住宅街でもどこでもわがもの顔に「練習」をする。そういうやり方が、兵士たちに映っているのではないか。ここまでくると、沖縄県知事ならずとも、「安保条約」にまで再考論議の必要性が出てくる。及び腰の「地位協定の運用見直し」くらいではなんの解決にもならない。

2012年10月16日火曜日

水温で釣れ具合が変わる


 北極海の海氷面積が減少して観測史上最少記録を更新した。これだから温暖化の影響は相当なものだろうと、素人目にも分る。

 9月の世界気温が史上最高になったと気象庁が15日に発表したが、過去の平均気温より0.24度高くて、これも記録更新。 「エルニーニョ現象」と「陸域の気温高」が原因だが、長期的には温室効果ガスの増加の影響もあると言っている。

 これは水温に影響するから、魚釣りにとっては、つりの成果にかかわることになる。サンマも高水温の時には陸地の寄ってこないのは、エサの影響が大きいのだろうが、そのエサが水温の影響を受けている。

 いまの時期カワハギつりが盛んで、ことしはよく釣れているとのこと。カワハギも水温が下がれば深場の水温が高いところに集まるから、それが狙い目になる。しかし、これまでに一般的な考え方が通らない状況がでている気もする。カワハギのアタリ方(釣り方)がこれまでのとは違う。これはわかるのだが、カワハギの生息している環境に微細な変化が生じているということではないかと感じる。

 水温に限らないが、海水の汚れやエサの生息、潮など影響するものが多々あって、素人には判断しようもないが、「体感」で思う。彼らには、人間のように厳しい環境を緩和させる道具はもっていないから、もっている器官を使ってしか順応できない。それはきついことだろう。

2012年10月14日日曜日

ハゼ釣り例会で横十間川へようやく行く

 このところハゼが良く釣れるという墨田区の横十間川へ、釣りの会のメンバー5人で行ってみた。釣れないときに場所を変えるのは本来セオリーなのだが、97歳と88歳のベテランを抱える会なので、「定位置迎式釣り法」可能な場所ということで、釣り場と決めた。

 日曜日で混んでいるかと思いきや、7時ころの岸辺にはそんなに多くはいなかった。車を降りていつものようにまず川底をじっと眺めると、ハゼの姿が見えない。ハゼが見える場合は大概釣れるので、姿が見えないと「どんなものかな」とはやる気持ちをなだめることになる。

 じっくり支度をして、仕掛けを川に投げ入れるが、やっぱり反応がない。場所を変えながらしばらくしてから、足元の川底にハゼが群れているのが見えた。仕掛けを投げ入れてみると、あれれ、ハゼが散っていく。さては警戒してかとじっと待っていると、スリスリと二尾ほどがエサに寄ってきてその一匹がエサをついばんだ。やっと一匹GET。

 それがら数匹は「見釣り」であげるが、型が小さい。泣かず飛ばずでどうしようかと思ったが、ハリが大きいのがはっきりしたので、Hさんに5号の針を分けてもらった。それを二本針にしてやってみてから、釣れるようになってきた。むろん場所を変えて歩きまわった。3回ぐらい仕掛を入れて、アタリを取って食わなければ場所を変えた。

 釣っている場所は、川にせり出してつくってある道路になっている。ところによっては木の板を組んで敷いてあり、ママチャリやジョギングの人、散歩で歩く人グループで歩く人など、ひっきりなしに通って賑やかだ。車が通れないところだから、その気遣いは必要なくて安心して利用している様子だ。道から一段下がった位置に、椅子つきのつりスポットもある。(ほんとはみんなのベンチかな)ほかの皆は同じ場所で釣って、たくさんは釣れないがそれなりの釣果が上がったようだった。

 錦糸町から徒歩10分程度で川に着く。私たちは車だったが、自宅から近いのもよい。気温が下がってきたから渋いつりになったのか、釣れる情報でたくさん人が入って、つり大会をしているので、少なくなったせいもあるかもしれない。30尾~一束の釣果。11月までは続くかねぇという話をしながら、13時過ぎに帰途に就いた。

小名木川合流点手前

横十間川、小名木川合流点(左が横十間川)

 下流から見る横十間川(左奥にスカイタワーが)

2012年10月13日土曜日

義父退院


 義父が退院した。入院してからちょうど二か月が過ぎた。心筋梗塞から立ち直ったが、入院以前のようには回復しない。期待するほうが無理なのだろう。手慣れた介護タクシーの運転手さんのおかげで、介護道具で借りたスロープを使ってなんなく家に入り込めた。

 久しぶりの家で、子供らと一緒に出前の「うどん」を食べた。入院以前でもなんとか自力でようやく立てる状況だったが、今は抱きかかえないと移動は無理のようだ。それでも毎日リハビリをしてここまで回復したのだから、たいしたものだ。

 電動のベッドに変えて設置してもらったら、リモコンでベッドを起こすだけではなくて、マットの空気の温度調整もできるという。ベッドで体を起こしている時に停電になったら、手動に切り替えて角度を直すことができることになっていて、良くできたものだ。

 室内の車いすは、足ふみを外すことができる上に、介助のハンドルも折りたたむことができて、乗用車に乗るときにもコンパクトでいいそうだ。椅子の布団も何種類かあって、尻の形に合わせた調整ができるということだ。尻の筋肉はどんどん落ちていくから、大事な要素だ。


2012年10月12日金曜日

自然再生エネルギーの活用をみた


 都留市の小水力発電所見学会に参加した。原発に代わるエネルギーの一つを見てみたいという思いで、中野「革新懇」の催しにのせてもらった。都留市では自然再生エネルギー利用を、市民の中から上がった声をきっかけにして2004年から取り組んだということだった。

 国や県からの補助金に市からの分も加えて、市民債をもとにして財政を賄ったとのこと。1号機は4300万円で、市からの財政は1000円万以下の負担で造ることができたと、市の担当者が説明してくれた。200510月には完成して最大出力が20キロワットあり、市役所の電力に使っており、夜間は東京電力へ売電している。

 1号機は水車の羽は松の木をつかったもので、水車に木の枝などのゴミが付いた場合に、羽を壊すことで本体に影響させないという発想。水は江戸時代に堰を作って桂川の水を引き込んだものだった。3分の2くらい道路でおおわれているが水量は、かなりなものだ。水は減らないしCO2は出さない。いくつも作れることなどが利点だという説明をしていた。

 この家中川は、江戸時代に多くの水車がつくられており、精米製粉、絹織物の織機の動力として利用されていた。明治時代にこの川の滝に発電所(現在はない)ができてからは、70カ所以上あった水車は不要とされてしまった。そんな話を聞きながら、自然と折り合いをつけて生活をしてきた時代へ回転していくような気がしていた。そしてそれが今や時代の先端になろうかとしている。



校庭の一角に見える「元気くん1号」



3月にできたばかりの「元気くん3号」


「元気くん2号」2010年5月完成

2012年10月11日木曜日

マニュフェストを作りますが。

 民主党がマニュフェスト作りを本格化する。選挙を前にして「約束事」をつくって公表しなくてはならない。議会制民主主義の大事な部分だから当たり前のこと。

 だけど、国民の前に提示した「公約」は自民党政権時代に、公約違反が積み重ねられ、「日替わり」首相になった末に民主党に「政権選択」で移譲することになった。

 当の民主党はかつての自民党の席に着いただけで、引っさげてきたマニュフェストはズタズタにしてしまった。民主党の政調幹部は「どんなに立派な政策を掲げても、誰も信じてくれない」と言っているそう。当たり前だ。

 公約であれマニュフェストであれ、ないがしろにしてきたわけだから、その責任は受け止めてもらわなくては。なのに、その民主党幹部は「『マニュフェスト』という名前を変えるぐらいのことが必要かもしれない」だって。

 おいおい名前を変えればいいという問題でないぞ。「公約=守らないもの、破るもの」「マニュフェスト=投げ捨てること」なんて、言葉の意味をこれ以上捻じ曲げるのは、願い下にしときますよ。



2012年10月10日水曜日

冤罪はなくならない

 大阪市のインターネットに殺人予告が書き込まれて、コンピュータウィルスの発見ができなくて逮捕交流した府警察本部は、「不自然だという認識はあったが、当時は捜査を尽くした結果、確信を持って逮捕した」と言い放っている。

 警察部内の担当分野も相当の専門技術をもった人がやっているはずなのに、「確信をもって」結論出したということは、結論を急いだということではないのか。

 冤罪がなくならないのは、人格とか人権にかかわるという認識がいまだに重きを置かれていない体質をもっているということだ。不注意によるなどという生易しいことでない。「やっていません」と言ってもこうしたことを起こす世の中では、警察は信用されなり、犯罪の「抑止力」もなにもなくなる。

 江戸時代の自白強要による立件が今の時代に残っているなんて考えられない。そのうえ素直に認めることをしない。「ああ言えばこう言う」たぐいの言い訳を並べ立てる。それが日本の高級官僚の体質にしみついているように思う。

 いいか悪いかは別にして、こういう官僚を動かす「闘い」を挑んだ民主党も苦労したことだろう。あの維新の会から800人以上の議員希望者があるというが、よしんば議員が増えたとしても、寄り添うところを違えた姿勢では民主党の二の舞になることは目に見えている。


2012年10月9日火曜日

釣りは「道楽」の域にとどまらない


 釣りの会の会員さんと近所で一杯飲んだ。つりを話題の酒はいい。釣りがたのしものだという実感が深まる。つりの楽しさ、良さはやったものでないとわからない。というと、自己陶酔の範疇に終わってしまうので、まったく釣りをやったことのない人にとってもたやすくできるし、どんなに楽しく遊べるものなのかというあたりのことをもっとわかってもらえれば、会員が増えるのではないかという話になっていく。

 魚を取って食するのは、現代の食生活の根幹をなすものだから、口に入ってくれればとりあえずは問題はない。が、今はその職の発生源は、生活とはほとんど分離されている。魚だってスーパーで買い求めれば食べるに困らない。ここからは自然は見えないし、当然自然の恵みも見えにくい。

 釣りをすると、そこいらあたりが少し見えてくる。釣りは、たぶん漁業というか狩猟というか、魚を手に入れて売って生活することからの昇華のようなものだろうと思う。今食えるか食えないかという食に直接は影響しない嗜好のようなもの。つまり言うところの「道楽」だが、子供たちが嬉々としてハゼを釣っている姿は道楽という言葉は今は合わない。また「…つり大会」となるとスポーツ的色彩が強くなる。

 釣りの愛好となると、どれだけ釣るか、大きい魚を釣ったかということに焦点がかかっていく。しかしそれはさておくとして、釣れば釣れほどもっとたくさん釣るには、という気が昂進するのが、通常の釣り人の気持ちだ。これもDNAのなせる業かもしれない。どうしたらもっと釣れるかの技術を追求するうちに、自然環境の影響が大きな影響を与えていることに気が付いていく。

 魚の気持ちに近づかないとダメなのだ。魚の生息するに必要な環境がないと、魚は繁殖できないということが当然ながら気づくようになる。温暖化、海や河川のゴミ、水質汚染、埋立と干潟減少、ダム、森の減少、温暖化。さまざまな要因が覆っていると理解するにいきつく。しかしだから、道楽の域を超えて、自然界が蘇生していくことを真剣に考えていかなくてはならない立場にもある。それなりに「格調」ももった趣味だと、「自分では」思う。


2012年10月8日月曜日

岩手山麓獲り入れ

 人が見えなかった田んぼに、獲りいれの様子。今年の出来はどうだったんだろう。





2012年10月7日日曜日

購買意欲で溜まるゴミ

 お婆ちゃんが荷物整理したいとしきりに言っているので、午前中手伝いするが、まだ終わらない。午後から続きをやるが、収束を考えながら疲れないようにと、気遣いつつ片付ける。昔の苦労があるからなんでも残してとってある。それに、不要なものとは言えないが、気持ちの残っているものが箱の中に溜まっている。誰にでもあることだろう。

 自分では整理のできないものでも、他人ならできるということがある。しかし、関係者の一人が「それは」と言い始めると残ってしまう。それも人情だろう。自分の釣り道具だって、きっと使わないだろうと思うものも多々ある。使うかもしれないとため込んだものは、他人から見たら「こんなもの」と思うに違いない。

 でも、あそこに「あれ」があったなと思うとき、その場所にあれば満足という気分もある。これは貧乏人の発想かもしれない。満足感は生きていくうえで大事なことだ、財産をもたない身にとっては。

 しかし今や必要でないものを過剰に持たされる世の中になってきたのは間違いない。「本当に必要かを考えてから買う」とか「一年触らなかったら捨てるとか」「新しいものは、古いものと入れ替える」ことがコツだと教えられる。しかしこれを上回る「購買意欲」を掻き立てられる。

 生産、販売する側は、携帯電話もパソコンも車も、次から次と新しい機種へ変えていく。買い替えて古くなったものはリサイクルで回収するが、たぶん相当数「不用物」として、日本の狭い空間に蓄積されているのではないか。

 一世帯に二台になろうかという車、各部屋へのテレビ設置。購入できる懐具合になったともいえるが、そうなって家族がバラバラになるということも手に入れた。固定電話が家族全員の携帯電話に置き換えられた。携帯電話は旧世代で造らなくなり、スマートフォンと変えられる。





2012年10月6日土曜日

首相官邸前デモなんかまだまだ?


 106日の朝日新聞に「反対派 1145回目のデモ行進」という記事が載った。「上原原発を建てさせない祝島島民の会」の活動を紹介したものだ。「今申請を許可することはできない」(山口県山本繁太郎知事)「原発を新増設しない原則の適用対象だ」(枝野幸男経済産業相)との発言で止まったことにはなった中国電力上関原発建設。

 しかしれによって「復活」まで否定していない状況で、島民の会は「中国電力がはっきり止めるというまで安心できない」とコメントしている。30年前から週一回のデモを続けてきた。その回数たるや1145回。高齢化をあげて運動継続の難しさを書いている内容の記事だった。 「私らが死んだら造ろうと思っとるんっじゃろ」と69歳の女性。中心で活動してきたおばあちゃんも6080歳代。

 しかし、3.11以降の原発に対する見方を、根底から覆された状況を見るにつけ聞くにつけ、どうして30年も前から訴えていたことに思いが至っていなかったのか、不明を恥じるばかりだ。しかし関西電力は追いつめられた。これは第一朝日新聞の2面にのった記事だから、これまでの状況と異なっていることは確かだ。

 6
月に崖の上のポニョ」の舞台のモデルとして知られる、瀬戸内海に面した景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画について、同県の湯崎英彦知事が中止の意向を固めたということが報道された。宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台となった有名なところだが、「景観を守れの声は「外から」の高まりと支持も大きかった。裁判もあり、開発のありかたを巡って紆余曲折はあったが、理のあることは通るという結論に至った。


 「さようなら原発」「脱原発」の声はいまや天の声と聞こえる。完全に断念させる条件は一層大きくなっていると言えるのではないだろうか。それにしても、1145回のデモとは!。「首相官邸前デモ」もまだヒヨコということになるのでしょうか?


2012年10月5日金曜日

被災モニュメントを残すと


 津波博物館を作ろうという動きが、被災地大船渡市の市民有志からでている。津波で全壊した製菓の旧本社をモニュメントとして残そうというもの。

 斉藤社長は津波が襲ってくるまで、ビデオで記録を取り続けた。社員は全員退避できて無事だったという。後世に伝え残すためになんとか残したいと考えて、あちこち資金援助の訴えをしながら、東日本大震災から2年後の来年311日の開館を目指して準備活動をしているとのこと。

 会館では津波の映像や写真、被災車両などを展示し、犠牲者を慰霊して防災意識の高揚に役立てる。また被災した社屋はそのまま遺構として残す。一方、建物は5メートル以上の高台へ移動するという町の方針や、津波の被災を思い出すことになるなどの声もあるという。

 被災地以外からいうのはどうしても「他人事」となるけれども、ヒロシマの「原爆ドーム」のように負の遺産として、教訓を残していくことは意義のあることと思うのだが。

2012年10月4日木曜日

オスプレイは安全だよ!って。田母神俊雄氏ブログで。


 田母神俊雄氏(元航空幕僚長)が「空を飛んでいるものは、いつかは落ちる可能性がある。絶対に落ちない飛行機などこの世に存在しない。」「これまでのCH46などに比べれば、十分な安全確率は確保されているといってよい」とブログで述べている。

 この考え方でいけば、つい先日飛行中の航空機内で座席が外れたトラブルで点検している、アメリカン航空のボーイング7578機の点検は必要なく、「いつか落ちる」まで飛ばしてよいということになる。

 岩国に止まったままの2基のオスプレイも心配ないということにはならない。そのうえ、もっと危ないものがあるのだからそれに比べて安全という論法も考えられない。

 オスプレイの騒音は93デシベル以上で、地下鉄の騒音以上のお騒音をまき散らす。自然界に影響を与えることに抗議があって、ハワイでは訓練をしないのに、日本の沖縄の生活圏や本土の自然界には「問題ない」とどうして言えるのか。

そのブログでは
「私たちが航空自衛隊で新しい戦闘機などを取得する場合、100機の体制を造るときには、墜落して失われる機体を計算し、あらかじめその機数を100機に上乗せして取得している。これを航空自衛隊では減耗予備機と呼んでいる。新機種が10万時間当たり2機墜落するという計算上の数値があって、その機種を40年間で合計100万時間飛ばすとすると、20機の機体が事故で失われるということになる。航空自衛隊では100機の飛行機に20機の減耗予備機を上乗せしてあらかじめ120機の戦闘機を取得するのである。」とも述べている。

 つまり、落ちることを想定している。しかも予算獲得の際は「…機体制」ということに加えてプラスした予算をとっているということだ。1機数千万、数十億円というものをちゃっかり上積みして…。

2012年10月3日水曜日

世辞の一つもあればもっと頑張るのに

 昨日少し多めに歩いた疲れが残っているのか、午前中は眠くて参った。本を読もうと張りこんだけど結局うつらうつらしてしまった。

 今朝はご飯を炊いたから、それを食べてたまの炊きたての味を楽しむ。昨日のピラフが残っていたので自分はそれを食べる。二人の食事は、食べる量が少なめだからどうしても、「次回繰越」になる。

 今は畑のインゲンとトマト、ナスが食卓に出せるので一応「野菜類」は口に入る。仙人の食欲は一人前では多すぎで、生協中心の惣菜も残りかげんになってしまう。その分もったいないから、こちらが引き受けることになると、メタボの道をゆくようになってしまう。

 夕食には珍しくジャガイモやニンジン、白菜、玉ねぎに肉を入れてスープをこしらえた。いやスープを作ろうと意識したわけではなくて、煮て白だしで味をつけたら出来上がったのがスープになっただけのこと。これは自分では味が良くできたと思ったが、今はなんでも「出汁」がうまくできているから、そんなに工夫することもないのかもしれない。

 ナスの浅漬けの元を使って、昨夜漬け込んだ自家製ナスは、溶かした水の量が多かったために失敗した。塩を加えて昼食にはなんとかなった。

2012年10月2日火曜日

ホントのとこ教えて

 沖縄の普天間基地に行かずに岩国基地に残った2基のオスプレイはどうしたんだろう。マスコミではその理由について、部品を本国からもってこないと動かせない、という以外は見当たらない。

 本土や沖縄あげての配備反対の声に抗して、あえて移送するのは「抑止力のために強行する」わけだから、実践さながらの訓練を早くやろうというときに、「休んでいる」場合ではないだろうに。しかし、なにかよっぽどの事態があって飛ばせない。

 部品の調達が今月末までになる可能性もあると公式に発表しているらしいから、余程のことといえるのではないだろうか。岩国に配備した以降に具合がわるくなったのか、いや岩国に移送してきてから故障がおきたのか。いずれにしても「欠陥ぶり」を露呈したことになる?

 これからどんな事実がでてくるかわからないが、こうこと追求したら面白い事情がでてくるのではないかな。やってるかもしれないけど、誰もが持つ疑問を追っかけて報道してもらいたいよ。マスコミさんお願いします!