2013年1月9日水曜日

無為に過ごすものが見透かされる


 写真は穏やかだったり、美しいものだったりするものが、世上は受ける。穏やかな海に月が…というと打ってつけの写真風情が頭に浮かぶ。これが、荒々しい波頭を捉えるものでも絵になる。でもここに感動を写りこませるとなると、風光明媚や綺麗さだけでは薄いのではないかと不遜ながら思う。というよりその美的な感動を表現するほどの腕前でないという方が正確かもしれない。

 何枚も撮っていればなかには「数撃ちゃあたる」場合もある。今はデジタルカメラなので、数撃つ場合が利点には違いないが、チャンスをものにするものが偶然だけでは、良い写真を撮るためには足りない。感動とは何か、見せるためにあるのか、皆が感動できるものはどんなところなのか、どうしたら感動を見つけられるのか。…悶々として繰り返す。

 いや自分が感動するかどうかが、一番大きなポイントなのだろうと、うっすら思い始めた。しかしだからと言って、簡単に撮れるようになったわけではない。第一、物事に感動するためには、受け止められる五感が研ぎすまされていなくてはならないから。研ぎ澄ますためには人が感動したにちがいない写真を見ることも、欠かせないことになる。

 この写真はFacebookに投稿されたもの。見ていると目を背けたくなるようなもの。しかし、この写真が福島の猫となると、福島の現状を体現する猫ということになる。日本人なら、決して砂漠で迷ったネコとはみないだろう。口先だけの「同情」や、「よりそい」を見透かされる思いもする。


2013年1月8日火曜日

言いたいことをいうのは大変


 打てば響くような会話と、言い表したいことを文にするのとではだいぶ違う。だいぶ違うというよりも全く違うものといったほうがいいのか。会話は会話でとても難しい。いもどきよく言う「ジコチュウ」も自分の話を聞いてもらいたいということで、合わせて相槌をうつと取り留めなく流れてくる話もある。

 ただのダベリングで延々とつづく打ち合う話をしているのも見るが、結論は「だから私はこうなんだ」というセンテンスが3回もでてきて、その話は終わる。なにかの会議ではないから、「…の報告です」と言って終了するのとは違うわけだから、ちっぽけな話題でもそのやり取りの過程が、当人同士にとっては大切な交流で、心を満たすことになっているのだろう。

 言いたいことを文で書く方も楽ではない。一番怖いと思うのは、自分で分かっていても、的確に表現できないこと。これはよくある。だから、何回も推敲するのが一番の対策だ。他人に読んで確かめてもらうのが一番いいのだろうが、そんな時間の余裕のある人は、まずいないだろう。書くことを仕事にしている人か、目的のグループとかくらいなもの。他人に指摘される機会がれば幸いだ。何回推敲しても、自分の限界もあることだから、よっぽどの幸運に合わないかぎり、いいものに到達することはできない。素人はそれでもいいじゃないかと自分で慰めることにして、また次の作業に取り掛かる。

2013年1月7日月曜日

東京に人と金がこれ以上集まってどうなる

 将来、東京は2倍で地方の6割は人口半数以下になると、国土交通省がみているのだとか。東京にそんなキャパシティがあるのかどうかわからないが、作り上げるとしたら、駅のホームにいくら防護壁を作っても押されて破壊するような状態になるのではないか。

 高層ビルと事業所がいやというほど増え、マンションが林立して、コンビニが幅を利かせ商店街は小売店が壊滅。住宅街は生活の場として魅力のないところとして切り捨てられる。自然をもとめてまでとはいわなくとも、都会生活を止めて田舎暮らしを選択する人も少しずつ増えている。

 地方のコミュニティさえ、現状で消えそうなのに、まだひどくなるとすれば、地方は無くなるということ。人が生活の場をなくしてしまったら、次代への継続はない。こんな予測は日本が目指してきた結果ということになっている。

 それならどうするのかということをまともに考えるべきところ。「国土強靭化計画で200兆円」とかの投資が、選挙後の私たちの選択にさせられた。ダムや堤防、新幹線に高速道路などにお金を印刷して、ばらまく。拾うのは建設業界と銀行。

 人が少なくなる所への電気供給?水道供給?治水?役立たない堤防?物流以外は必要度が少ない高速道路?観光以外にさして役立たない新幹線増設?国土交通省の予測の内容に、どれだけの対策になるのかまったく見えない。


2013年1月6日日曜日

雪かきのあとは春がくる

 朝方の陽射しが、林の中の方をごく薄い黄色に染めているように見えた。朝やけの現象かとおもったが、東の方の空はそんな感じでもない。朝食のときには、昨夜またひとわたり積もった雪をかき出しに、除雪車がやってきた。きょうの人は先日の人とは違うようだ。車も赤の色がイカピカに光っている新しいものだ。見ただけでなにか頼りがいを感じる。除雪車登場より、わずかに早く出てしまったお隣さんの車は、雪かき前の道を揺れながら、慎重に走って行った。
 
 ここは、国道から200メートルほどの位置にあるが、林を切り開いて宅地造成したところだから、山間の雰囲気が強く残っている。車で「下界」に降りていくとき、随分と積もったと思いながら、徐行していくと、国道に突き当たる。不思議なことに国道からは、別世界が開ける。雪があれっと思うほどなくなる。秋田から青森方面に抜ける道になっているせいか、交通量が多いので炭酸ガスの熱のおかげなのだろうか。それより下は牧場が広がる地域で、風が渡りやすくて雪が飛ばされてしまうという事情もあるようだ。

 森や林が雪を受け止めて、夏の少し前まで太陽の熱をもらいながら、徐々に溶けだす。細く流れ出した水が、近くの田の脇のホソに入っていくころに、慌てたカエルが冬眠から覚めて飛び出す。時によっては4月ころに、最後の雪が降って、飛び出してしまったカエルの立場をなくしてしまう。

 無事に田植えが済むころになると、オタマジャクシが場所を問わず、ゴシャゴシャと蠢くのが見える。今日あたりの陽射しは、力強さを感じさせる。春はじきにやってくるだろう。

2013年1月5日土曜日

デジタル社会との面倒な付き合い


 オンラインストレージを使って、ファイルをNET上に保存させておくと、NET環境があればどこからでもファイルを見ることができる。これはファイルを普通の使い方の使い方=多くない容量、であれば無料で利用(5G程度)できるものがいくつかある。(25Gというのもある)。デジタル写真の画像を保存しておけば、ブログやホームページにも転載できるし、離れたところへ移動する身には便利だ。

 ファイルとしては大きいものなので、保存する場合の時間を要するのが難点ではある。岩手山麓で撮った画像をこのストレージに載せようとする(アップする)と、容量がテキストファイルなどとは違って大きいものだから、NET上に保存されるまでいやというほど時間がかかる。

 これでも以前とは格段に、転送能力もあがっている。メモリーが大きくなっているのだから、技術的にはまだまだ先があるということだろう。写真のファイルをパソコンの指定個所(フォルダー)に転送して一端保存する。その指定個所からNET上の保存場所へ転送(同期)させるが、始めると「シコシコ」と動き始めて、「今はこのファイル(写真ファイルのNo)を同期している」とコメントが出る。


 延々と数時間もかかるから、パソコンを放っておいて別のことを始めるか、やらせておいてブログのネタをかきこんだり、Facebookを参照して「交流」をしたりする。一定時間たつと突然、「同期が一時的にできなくなった」とコメントが出て、以降ずっとこういうコメントが続く。このときはパソコンを一度おとして、立ち上げるとまた「シコシコ」と働き始める。何回かこうしたことが続く。「働き過ぎて疲れた」とパソコンが訴えているようで、なんだか可愛い。


2013年1月4日金曜日

「自然回帰」で魚が増える


 クロマグロの6割が養殖をしたものを利用していると、ニュースで報道していた。水産技術センターなどが懸命の努力をして、栽培漁業を研究して海の活性化を図るが、しかしそれも限りがある。昆布や貝類ももはや自生できる状況がない…近海で獲れる魚は減っていくばかりだと漁業者は嘆く。獲り過ぎていなくなったということよりは、自然の本来持っている生産能力が減退しているという事情の方が主要な原因だ。現在はその上、魚群探知機や性能のよい船が使われて、少なくなった「資源」を競い合って獲ることになる。これでいいはずはないのだが、政治の関与まで含めて、期待をもつ状況にない。

ところで、
コイ、フナは、弥生時代に人間との共生が始まったようだ。漁労は古墳時代にはすでにやっていたようだが、漁労の道具だった土錘が、弥生時代にはあまりでてこないらしい。弥生時代には、低湿地に水田を切り開いて水稲が発達した。その農耕生活で、雨が降り、田から濁った水が流れ出たとき、産卵行動に入るコイ、フナを見た。=弥生人は大喜びしただろうと想像する…

HP

 田を耕す道具も、さしたるものでなかったから、川で濁り水を待っていた魚が、容易に田まで遡上できる構造だったのだろう。排水路を遮断して魚を集めるワナをしかければ、農耕の合間に取り込めばいい。であれば、弥生時代に近江から土錘があまり出ないという事情もうなずけることだ。

 コイやフナが上等な蛋白源であった過去を、今に持ち込むのは無理だろうが、自然にダメージを与えるようなことは、その頃はやっていなかった。自然を畏れ敬って、結果的に「大事」に付き合っていた。共生などという口はばったいことは言わずに。
 この田んぼの自然回帰のために「水田魚道」を施設するという取り組みが、広められている。川から水田までの比較的簡易な魚道を造って、魚類を登らせようという狙いだ。

 宮城県の伊豆沼や愛知県などで熱心にすすめられている。まさに、「弥生時代に遡ろう」ということだ。これが普及していけば、
田園にドジョウ、タニシ、ナマズ、コイなどの生き物が復活し、鳥も食餌に訪れて養分を補てんして、土を肥やす。コメもおいしいものが収穫できるだろう。
 与田浦周辺(千葉、茨木県)のフナつりには、この環境が起死回生の一打になるような気がするけども…。

愛知県HP 










2013年1月3日木曜日

仙人の生活

 昨日は一日降り続いて、外の出ることも止めた。共同で頼んでいる除雪車が今季初の出陣。手慣れた様子で、さっさと道路の雪を脇に寄せていった。雪は軽い小さな粒から、いつも見るような積もる雪に変わって、積もり始めた。ドウダンツツジの雪囲い-というより「枝縛り」が功を奏することになってきた。

 縄で縛るときには、枝が折れるのではないかと、手加減を考えた。でもそんな心配はいらしい。なるほど今みていると、細かな枝の束に上にしっかりと雪が被って、だんだん重そうになっていく。
 
 積もった雪は時折豪快な音を立てて、屋根から滑り落ちる。慣れるまで、屋根の雪崩の音のに驚いた。山中の場合は相当大きい音なのだろう。今朝の朝日は、晴れていて見えるのだが、雪空をとおしているのか、おぼろ月よかと思わせるような光だ。

 でも、光を感じるだけでもいい。雪に反射して明るい光が家の中に届く。これが雪の時期でないときの雨だと暗過ぎて、窓際に行かないと本も読めない。天気の悪い日は外に出かけ、天気の良い日は家で読書がいいと、仙人居住者は言う。それなら電気を使うことのない電力節約の生活となる。なるほど。




2013年1月2日水曜日

うるさいコマーシャルだ


 箱根マラソンの報道が始まって、なかなか本番にならない、言ってはなんだがその間、コマーシャルを延々と見せられるから、これも詐欺的手法。ニュース報道だって、大事なことをろくに流さない癖にと、また軽くムッとする。広告料もらって報道するのだから、こちらは避けられることではないが、もらっているのは放送会社だ。見ているの方の責任ではないのだから、「コマーシャルを見ていただきます。申し訳ありません」という関係ではないのか。

 見ているほうは、スタートするのは今か今かと、いろいろやっている手を止めて待っているというのに。見るのは嫌いではないが、見るとほかに何もできなくなるので、どうしてもやることがないとき以外は見ない。駅伝の顛末は、ニュースでも主要なところをやってくれるので、それで済ませる。

 ニュースの担当者がコメントで「早い観客はが1時からきている」と、コメントしていた。そのアナウンサーは鼻声、その観客より早く来ていたわけだ。超過勤務手当はちゃんともらっているかな。

2013年1月1日火曜日

小さな足のご挨拶


 一年は、「めくるめく」というと格好が良すぎるけれども、頭の記憶装置が古くなっている自覚からすると、大概の事を「忘れてしまう」ことによってなのかなと思ったりする。時間数は微細には変わってもそう違いはないものだから、認めたくなくても誤りの実感以外のものでない。

 その忘却の間の記録をパソコンがいくつかカバーしてくれている。働いたというというよりは「遊んだ」記録が残っているので、決算してみようと、パソコンのファイルと記録をのぞいてみた。

ブログ投稿193600字、参照6560、日記82000字、facebookの投稿通知回数 709、発信メール数440、受信メール数不明、撮影した写真ライカ2000枚ニコン4500枚、パソコン買い替え1回、つり数回イワナ60尾ハゼ少々、3年ぶりの痛風炎症1回あるも投薬後尿酸値6.5に改善。

 こんなことをやってもどういうことの意味があるか、神棚の代わりに飾っておけば何かの足しになるかもしれない。昨年の続き、緩やかにスタート。


雪の上に4センチ(2センチ×)の足跡。



2012年12月31日月曜日

一年間、パソコンのファイル整理は進んだ

 今年一番進んだのがパソコンのファイル整理。体系別に分けて、外付けのHDDの写真以外はクラウドを使って、NET上に保管することにした。これで、自宅以外のどこへいってもネットの環境さえあれば、ファイルを参照できることになった。

 自己の生活や記録関係、釣りの会、写真、新聞の切り抜きなど、体系ごとにフォルダーを作って並べて整理した。それを、3種類の「ドライブ」に分けて保存した。ここまでくるのに、散らかっていたファイルが相当整理された。実はファイルをどれだけ利用しているかと言うと、そう多くは使っていない。更新しているものは限られたものなので、それは集中して管理するようにした。

 これで懸案の課題は完成したかとほっとした。ところが、このクラウド上のファイルは、業者の保存体制によっては無くなってしまうこともあると、2.3日前のテレビで報道していた。せっかく苦労して整理したつもりが何たることか。

 でも、NET上に置いてあるファイルはパソコンのファイルと同期しているので、大丈夫なはずなんだが…。NETを切断して実験してみると、Skydrive、Nドライブも参照するのは大丈夫のようだ。Googleドライブは、オフラインで更新を保存をしている。

 撮影した写真のファイルは外付けのHDDで、保存するうえでは一応心配はないが容量が多いので、NET上に全部を保存するわけにはいかない。HPなどで使用する直近のファイルだけをコピーして載せることにした。整理の結果は外付けファイルを除いて、55.317Gとなった。

2012年12月30日日曜日

いろいろあっても、続きが平穏ならいい


 いよいよ押し詰まってきた。年末の区切りのときだから、「反省」めいたことを現役のころはよくやった。今は勤めがないから、せいぜい決めた日課が無事に済んだか程度の反省でいいのだろう。
 
 まあ、一年の間では勢いが少し衰えたものの、ウォーキングもこなしたしブログも躓きはしたが、止めることはなかった。日記は、つけたからいつもの年とは変わらない。Facebook6月に始めて、選挙中にSNSで交流したのは新しい経験になった。新しい体験でまた「今」を見返すことが刺激になった。デジタルの世界も、現世から分離独立しているわけではないことははっきりした。

 イワナつりは、ごく近所の岩手山麓の小渓流を回って歩けたのが、なによりだった。ただ、小さな沢だけに、再生能力が大きくない。続けてやるのはまずいだろう。遠野のイワナ釣りにはいけなかったし、釣りの会の行事には、ほんの数回行っただけになってしまった。

 中野の爺さまが、心筋梗塞で一時危篤だったのが、今は回復した。駅近くの新しい病院には爺に加えて、ばあ様も世話になって、何回か通うことになった。今は小康状態が続いてい。600キロ離れた岩手山麓の仙人は、腰痛が治らずに痛みを抱えたまま年を越すことになった。医者に行ってはいるが、はかばかしくないから張り薬だけ。大きい病院をと言う話をしたが、いやだと言って動かない。

 もっとも、行っても治る保証があるわけではないし、痛みはあってもたち振る舞いが何とかできる状態なら、よしとすべきものか。

2012年12月29日土曜日

社会の有り様が釣りの邪魔をする


 しかし、釣りといえども「釣ろう」という気概が大きい場合は、情報抜きに勝手気ままにと言うわけにはいかない。最近特に実感するし、自分に限らず誰もが「釣れる」との情報を頼る。魚が釣れなくなっている事情からで、もっとも主要な原因は自然の改変だ。

 埋立ては東京湾の場合でも、非常な悪影響を及ぼした。これを普通悪影響とは表現していないが、例えば神奈川県にある水産試験研究センター(独立行政法人)では、魚貝類の種苗放流を続けている。アマモの増殖で幼魚の育成場を造成している。この状態からして、かつての東京湾にどれだけの漁獲高があったのかを想像すると、「悪化」程度を推し量ることができるだろう。

 我が社会では「少子高齢化」などと称しているが、海の中では、生物がものによっては自力再生不能な状態にまでなっている。代替えで得たものはあるのには違いない。だが、失ったものは大きい。海の匂いが、いまはしない。残った漁業者はわずかだ。
そして、政治執行のうえでは、ほとんどなんの考慮も払われない。

 食に関わることでこうした有様なので、当然釣りで魚を確保して楽しみつつ食するという文化は、手に入りにくくなっている。つりの腕前の違いも当然あるが、それだけではすまない問題を抱えている。三陸のあの津波は、とてつもない被害をもたらしたが、海水が入れ替わり浄化されたことで栄養分が豊富になって牡蠣の成長が良くなった。自然が持つ脅威が海の豊かさを同時にもたらすことになったのは皮肉なことだ。

 種苗放流とは必要かくべからざらことと思う。だからそれでいいということにとどまらないで、自然の生態系を崩してしまったことへ思いを至らす必要はある。そして手を打ちたい。いまの政治に期待することは、夢より難しい感もするが、またぞろ「公共事業第拡大」で資金が投入されて、自然の体系にツメを立てることになれば、海、山、河川に生きる生物は、絶滅か絶滅危惧種にカウントされることになってしまう。

2012年12月27日木曜日

釣りをきままにやりたいが、そうはいかない事情が。


 釣りが好きだからと、自分の思うままに出かけていくのが自由で、争いもなくていい。だいたい、なにをやるにしても面倒に感じるようでは人様にかかわり合わない方がいいのだろう。頭の中でそんなことを考えながら、でもまてよと一方でまた考える。思うままにやっていて、すべてがうまくいっているのかどうか。やった始末が思う通りの結果になったのかどうか。

 昔使っていたようなタライに、水を入れてかき回して洗濯機のように回す。そこにハヤ(ウグイ)を入れると、ハヤは川で泳ぐように流れに向かって泳ぐという実験があった。数尾のハヤは、相前後しながら泳ぐ。ところがその泳ぐ位置が定まらない。ようするにブレて泳ぐ。そこで、タライに棒をたてると、その直後にハヤは定位置で泳ぐようになる。ハヤが棒を見て、「立ち位置」を決めるわけだ。

 押すも引くも、自分が好きなようにできて、一見大きな自由を手に入れているとおもいきや、よそから見たら、その所作がブレまくっているとしたら…。

 ものごとの様々な処方は、身の回りや少し離れた所にはいやというほど存在している。それから隔離されることになっては、知っておいた方がいいことも、解らないまま過ぎていくことになる。とはいえ、そういう選択をしても犯罪と言うわけではないし、人に迷惑を及ぼすことでもない。否定しつくすのも理に合わない。それなら多少なりともかかわりがあって、触れてみたり引っ込んだりしながらやるというのも手かと、頭の中で「自由、勝手気まま」に思う。

2012年12月25日火曜日

パソコンは友達


 昨日、日にちが分からなくなった。日曜だと思っていたら、月曜日だった。今日は格別寒くて零下11度だというので、タオルを水でぬ濡らして表へ出た。振りまわすとすぐに凍ってウサギの耳のようにピンとたった。カメラに収めてFacebookに載せた。北国の人も多いので、珍しいことではないかと思ったが。

 以前ブログにも乗せた記憶があるので、また載せるのもいかがなものかと、頭をめぐらせながらブログの下書きをはじめた。相手を特定しないブログといえども、相手の顔を想定して書くのだからそれなりに面白い。学術的だとか専門の知識はまず不足しているわけだから、なにを書いているのか?と、言われると弁明も思いつかない。

 そんな恐怖をかかえているのも、ブログを続けているうえでは仕方がない。書き続ける我儘に、読んでもらう付き合いを求めるわけだから立場は悪い。人間多少の緊張感がないと、健康も保てないし生きていくのに必要なことだと言い聞かせる。

 故なき批判や悪口は控えて、愚痴もなるべく避けて、面白く書きあげられればそれに越したことはない。しかし、それが難しい。人の健康に付き合わされる方も迷惑かもしれないが、そう思いつつも続けるとなるとこれが、ストレスになって不健康を呼ぶような気がするところもある。パソコンチェアーに座ってブログを書き始めると、事務的な感じが余計するのかもしれない。

 やわらかなソファー風の椅子で、ノートパソコンを膝にのせて、ゆったり構えるとなかなかよい。脳の動きも、姿勢によって違った働きをするのだろうか。そう、脳だって働き心地がいいほうがいい気に決まっている。もう少し働いてもらいたいと常々思っているところなので、環境に配慮してあげなくてはいけない。頭が想像することに疲れたら、ウォーキングに行って自然の刺激をうけてやろう。

2012年12月24日月曜日

夢をまた見よう

 夢は実現させたい。たとえ小さいものでも、いつも持っていたいことだ。とても実現しそうもない、なかなか実現しないものだという現実的な経験して、夢を見ることをやめたら、どこかの誰かにつき従うことしか道がなくなるのではないか。

 物事は変わっていかないと困ることがいいやというほどある。これは生きて普通の生活をしていくことが難しくなったからだ。時間を重ねるごとに悪くなっている。次世代の子供たちが、普通に就職し、普通に独立することが困難になっている。我々の時代には就職はさして難しくはなかったが、今はそうはいかない。こんな社会を作ってきたのは、自分たちの責任でもある。

 なにより政治の影響に寄るところが大きいことは違いない。原発稼働問題や消費税増税に対して世論の「主流派」の意見がとおらない選挙の結果に、暗然とした思いがする。「してやられている」という気がする。しかしそんなことばかりにこだわっていては先がない。

 今の結果がひとつの経過であって、またぞろ民意とのかい離で、あれこれの物議がおきてくるだろう。すでに公共事業で200兆円投資などと、自然破壊と生活破壊を伴う政策をやると公表している。そのまま見ているわけにはいかない。

 原発事故による人的被害、自然破壊はどれだけのものなのかもまだ分かっていない。金をばらまいて一部の企業グループの収益があがり、株価が上がればいいということにはならない。復興は、年金は、消費税は、TPPは、基地は、雇用問題は…。夢をもう一度懐に入れなおして、「実現の夢」を見ることにしよう。

2012年12月22日土曜日

記念切手のプレミアムの夢話と貧乏人

 40年も前の記念切手を、義母からもらった。20円のシートが大半で、50円のシートが3枚だ。プレミアがついているのではないかと、すぐよこしまな考えで、調べてみた。買い取りの業者をネット検索してみたら、業者がいくつかでてきた。サアいくらだろうとよく見れば何のことはない高くても81%という価格。16.2円程度ということだ。40%台という業者もある。

 説明では、大量に出回っているのに反して、コレクターは減っているという。だから早く売れと。プレミアどころの話ではない。郵便局でも交換するだろうと思って調べてみたら、切手一枚につき5円の手数料になっている。20円切手が15円の「資産価値」しかない。75%という価格になってしまう。さる業者に電話をしてみたら、そのシートでは45%が元で、15%の上乗せ中ですと返ってきた。60%では郵便局での交換の方がいい。

 結局20円切手は最高で16.2円分なので、郵便局と均衡していて馴れ合いみたいになっている。もっとも、郵政は「民営」だから当たり前か。買い取り業者へは新宿まで出ていく交通費も1.2円の差ではまかなえない。やっぱり郵便局を使うしかなさそうだが、5円引きはなんとしても癪だ。

 自分も小学生のころに一所懸命集めていたが、引っ越しを重ねるうちに行方不明になってしまった。宝物をなくした悔しい記憶を残していたが、今回の事件はその長年の悔しさを晴らしてくれることにはなった。せっかくもらった切手は、つりの会の郵送代としてありがたくいただいた。3枚張るのがちょっと手間だけど。結局のところ貧乏人は貧乏人の世界で暮らしているということだ。

2012年12月19日水曜日

酷過ぎる「小選挙区比例代表制」

 選挙制度が酷いものだということは、今回特に感じた。「小選挙区比例代表並立制」は480名の衆議院定数となっている。うち小選挙区が300議席、比例定数は180議席。小選挙区は比較第一党が当選できる。これを押さえておけば、自民党が大幅に議席を獲得できたわけは簡単に理解できる。このことでなにもびっくりすることはない。

 そのうえで、10%もの投票率の低下という条件があったわけだから、自民党が民主党の自爆のおかげで若干の上乗せで第一党の地位につくことができた。公明党と自民党等の「協力」、維新の党と公明党との「協力」で候補者調整をしたのだから、政策よりは選挙戦術という野合で議席をわがものとしたということだ。本来的には己の政党の政策が支持などという代物ではない。

 あまりたくさん議席をせしめたから、自民党自身がびっくりしたようだし、マスコミもびっくりという状況だった。しかしだから、こんな酷いことがわかりきっている選挙制度を知らせることをしないのだろうかと思う。選挙制度が民主主義の制度として、このままで置いておけないくらいのバランス感覚はないのか。

 こんな選挙制度にのっかって、底の浅い報道をしているから、10%もの投票率減を招いてしまった。投票先選択のための情報を、「不偏不党」の立場で公正に報道すべきだ。「若い人は政治に無関心だ」と切り捨てていたら、政治は成熟していかない。マスコミの露出度で選挙運動ができてしまうのでは、あまりにも皮相な選挙になってしまう。

2012年12月15日土曜日

横十間川、スカイツリーが見えるところで釣るハゼ


 はた目からは盆暗(やぼ)に見えるオカッパリでも、今話題のスカイツリーの足元を流れる川でハゼ釣りやるというと、話題にのっているようでおもしろいことだ。

 江戸時代には、この周辺の水路でもハゼ釣りが盛んだったことだろう。金と暇があるもの(旗本、大店の親父)が芸者と一緒に、盛んにやっていたハゼ釣り。その頃はゴカイもいただろうがキヂも、どこにも沢山いただろう。

 現在でも、ビルばかりせり出している臨海部のコンクリート海際、ちょっとした泥っぽいところでも、ゴカイがいる。エサがいるから、ハゼも繁殖して増えているわけだ。そこで釣り愛好者も楽しむことができる。まさに歴史の脈打たれた伝統文化という、昨日や今日の「成り上がり文化」とは違う格調のあるものだ。(言い過ぎ?)

 スカイツリーには、もう300万人を超える人が訪れたという。すごい人気だ。でもその足元でハゼ釣りをしていると知っている人は少ないだろう。スカイツリーのおかげで活性化して、「東武さん」の懐が裕福になったが、その割に地元では下から眺めてため息をついている人も多いということだ。


 下町の賑わいはスカイツリーでなくてはダメだったのか。経済効果が上がって、下町に金が落ちたのか。なにかが始まるときには「何のために、誰のために、どうして」くらいは、考えておくべきなのかなと思う。

左手奥にスカイツリーが見えた




2012年12月12日水曜日

釣り人の「ツぬけ」しない悩みなんか


 新幹線の座席に座ると、目の前の座席の網ポケットに「トランヴェール」という冊子が置いてある。この冊子の角田光代さんの書く、旅のエッセイがいつもおもしろい。先月号では、いつも誘われ側であるグループ旅の直前にメンバーが亡くなってしまった。だから旅はその人の話でずっと持ちきりになってしまった。出かけた旅先がなぜそこだったのかが、思い出せないと言った趣旨のことだった。

 エッセイだから長くなくて読むのが楽だし、作家と言うプロのなせることなので、すらすらと読ませてしまう。面白さは人によって受け止め方は違うにしても、こうやって読者を乗せてしまうマジックみたいな力が面白いと思う。ありふれた事柄が題材でも、楽しく読ませるという能力に尊敬以外の念は浮かばない。なんでも力を入れればいいというものでないということがわかる。

 この角田光代さんと、師匠の岡崎武志(書評家)さんの対談が赤旗(1126日)に載った。そのおしゃべりの中で、「書けない」という状態を抱えているということを話している。そこを突破するにはという師匠の言葉がやり取りされていた。ものを書くのも好きなことだからやるのだろうけど、やはりいつも簡単にできあがるわけではない。「突破すれば、次のステージへ」と励ましをうけて、頑張ると話しているのが印象的だ。

 この対談を読んだら、先のエッセイが軽やかに、さわやかにできていて面白いという感想は、悪戦苦闘でないにしても、苦労の中で生まれたのかもしれないと、思い直すことになった。

 その比で行くと、釣り師の悩みはだらしがない。悩むのはツ抜けしたかどうかくらいなもの。(「ツ抜け」とは釣りの慣用語。ひとつ、ふたつと数えて、九つまでは「つ」が言葉についていて、十(とう)になるとなくなるから、「ツ抜け」と表する)

 「おおい!釣れたかい?」という問いに、返事が「まだツが抜けないよ」と釣れない悩みをぼやく。10尾を超えないときは、なんとか頑張らねばと自分を激励し、あれやこれやの対策をかけめぐらせる。そしてようやっと抜けるとなにかほっとして解放されたような気になる。そんな程度の悩みだ。まあ、はた目からは苦労といえる代物ではない。

2012年12月9日日曜日

北朝鮮ミサイル三段目が見えるなら


 北朝鮮が「人工衛星用」のミサイルを発射する予定らしい。北朝鮮と日本との「話し合い」が予定されているのを見計らって「国威高揚」にでるということなのか。話し合いがうまくいかなくなるという判断はしないのか。どうもよくわからない。

 日本でも「憲法改正しろ」「自衛隊を国防軍に」などと刺激的な言葉が飛び出して、こうしたことも軍事力を示そうという誘因になっているかもしれない。それこそ軍事力強化にむかって「日本を取り戻され」たらえらいことになる。

 そのミサイルの3段目も韓国の衛星写真で撮ったものなのか、はっきり写って見えている。福島原発が爆発した時も、日本の衛星やアメリカの軍事衛星でもすっかり見えていただろう。全体像を目に触れないようにと「しっかり」と取り組んでいるのだろう。危機管理などまったくできていない、寒々しい政治だ。

 たまたまこのミサイル発射予告があった日に、災害時のライフラインの情報を知らせてもらうツイッターの登録をやってみた。総務省もあったので選択登録したが、ツイッターは情報が流れて行ってしまうので、携帯電話メールへの通知も登録しておいた。そしたら、その夜10本近くのメールが携帯電話に入った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
【お知らせ】本日の北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイル発射の発表に関し、総理指示が1835分に発出されました。①関係各国と緊密に連携しつつ、関係省庁間で協力して情報の収集及び分析に万全を期すこと。(続)
Kantei_Saigai (首相官邸(災害情報))
… … …
HP更新情報】大臣臨時会見の概要を掲載。北朝鮮によるミサイル関連について、自衛隊に対し必要な準備を行うための一般命令を発出。http://t.co/4jcuzSs0
bouei_saigai (防衛省)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 北朝鮮のミサイル発射は「災害」なのかと言いたくなった。アタリはしないと言われている迎撃ミサイルをまた、準備するとのこと。すぐに携帯メール宛の通知は解除した。真夜中にこんな情報もらっても、対策の立てようもない。