2014年2月19日水曜日

カッカッカーのカッカッカーの顛末

 山形県上山市の「かせ鳥」が「奇習」と呼ばれているが、奇習の意味は素直に珍しいという解釈でいいが、「奇妙な」風習という理解で行くとどんなものだろうか。明治の「廃藩置県」のために、藩の「悪しき風習」がいわば弾圧された歴史を持つなら、「奇」と表する意味合いもなんとなくわかるような気がする。まあ、考えすぎかもしれない。

 上山城を起点に城下の温泉街を回って歩き、「カッカッカーのカッカッカー」とのみ声をあげる仕草はなんとも「奇妙」には違いない。当日は氷点下だから、水をかけられると湯気が立つほどだ。情け容赦なく、「火勢と稼ぎ」としての「かせ鳥」に水をあびせかける。この水をかけられるほうの30数名は、各地からの有志とのことだ。秋田の西馬音内盆踊りもそうだったが、伝統行事も助っ人があって成り立っている。能登の「間垣の里」の間垣保全にも金沢大学の学生グループが手助けしている。日本の文化、伝統がこんなふうに支え合って成り立っているのがわかったのは、写真ヤの旅のおかげだ。



















2014年2月18日火曜日

瀬見温泉から肘折温泉へハシゴして

 214日、チイさんが夜半から体調が悪くて朝食を食べないで寝ていた。早く帰るかと相談をしたが、チイさんは大丈夫というので、川の風景を見ようと瀬見温泉に行くことにした。小一時間ほど走って陸羽東線の瀬見温泉駅に行ったら、ちょうど10分後に上りの列車が来るのがわかった。駅で待ち構えて駅に入ってくる列車を撮ることにした。レールが雪の下にめりこんでいる。

 二両編成で、あっというまに行ってしまった。乗り込んだお客は2人だったか。駅舎は小さくて、映画にでもでてきそうな、改札もないコンパクトなものだ。サッシのドアを開けると線路がすぐあって、跨いでわたると反対側がホームになっている。片側だけしかない。

 温泉街の木造の古い旅館は朽ちてしまいそうなところが、まだ現役で稼働しいているようだった。この温泉はこの先続いていくのだろうか、余計な心配をした。見つけた地蔵が雪をかぶっている。小さな瀬見温泉を一巡りするのは造作ない。あっという間に済ませてしまった。

 帰りの新幹線までには時間がありそうなので、足を延ばして肘折温泉まで行くことにした。カーナビの設定では37キロだから、たいしたことはないが、途中の道を少し違ったせいで1時間以上かかった。途中の道路には確かに雪は多い。多くても、肘折温泉は1200年の歴史を誇っているところだから、雪が多くても、孤立するようなことはないのだろう。

 キンイチさんが腹の具合が悪いという。いつも行く蕎麦屋では、チイさんは月見そば、キンイチさんはたぬきそばを頼んだが、二人とも全部は食べられない。昨夜の食べ物でなにか影響があったのかと思えるが、わからない。自分も今朝の通じではやけに腹が張った状態だったから、いつもとの違いを感じてはいたが、ひとりソバを平らげた。肘折温泉の中央を抜ける通りは、おみやげ屋はやっているが、雪かきをしている人はいるものの、お客の気配はない。旅館の屋根から落とされた雪がちょうど排水溝の蓋の上に、想像以上の音を立てて落ちていた。




瀬見温泉




肘折温泉







2014年2月17日月曜日

真室川から銀山温泉

 213日朝チェックアウトの前に、昨夜断念したNET接続設定を、フロントで聞いた。「使用書」を渡されて、ドライバーのインストールをしなければならないような感じで、どうもよくわからない。皆が帰る支度ができてしまったので、やむを得ず終了することにして、会計を済ませて外出る。ホテル近くの金山川で最初の撮影をして、流れのずっと下流にあたる真室川へ行ってみることにした。流れがずっと太くなって橋の上からの眺めがいいところだ。途中、昨日探しきれなかった「朝陽の撮影ポイント」の場所がもしかしたら、逆の道かもしれないと思いだし、昨日曲がったところとは反対方向に行ってみた。ありましたよ。最近気になっているけど、記憶が真逆になっていることがあって、いよいよかなどと、悲哀を感じることがあるのだが、ともかくもこれで気がかりなことが解消した。

 前回の撮影の時に宿泊した梅里苑の下、真室川にかかる橋まで行ってみたら、案の定なかなかの景色で満足した。ちょうど山に陽が入ってきていて、見栄えがよい時だった。一時で冬に景色は変化していくから、ちょうそれおも計算に入れることも必要だと、先輩が教えてくれた。金山町中心部にとってかえして、蕎麦所「草々」に寄ることに。朝方そこの脇を通った時に、暖簾が出ているのが見えていたので、役場に車を止めてから向かった。

 12時前でまだほかの客が誰もいないときだったから、しばらくぶりのおしゃべりをして、写真コンテストに出したことなど伝えた。「金山の応援団」は手帳を持って来ればそば代も100円引きになるということだった。そういえばもらってあったなと思い出した。そこからは瀬見温泉に回るかどうか考えたが、時間がきつくなるようなのでやめて、宿泊地の銀山温泉に向かうことにした。

 旅館は温泉街の奥の台地にあった。温泉街には、坂を下りて7.8分歩かなければならなかった。一息ついてからカメラを持って出かけたが、ちょうど雪が降ってきて、カメラを濡らさないようにしなければならなかった。まだ時間が早いせいか、人の姿はあまり見えない。宿泊の旅館はやっと抑えることがで。きたというから、客はたくさん来るのだろう。新しい感じのお土産屋と、内装を変えた古い旅館、古いまま朽ちていきそうなところもある。相変わらずのたたずまいをみることで、変わらないでいる安心感を生む。

 来たのも数回になったが、昔の「らしさ」が少しずつ変化しているのを実感する。バスが温泉街に運んでくれるというので、夕食の酒は控えめにして備える。バスに運ばれて、またしても降り始めた雪のなかを、撮り歩いた。一緒に行った若者隊は元気で写真を撮っては騒いでいた。浴衣のままで厚めの羽織を着ている勇者もいる。そちらのほうも、おかしそうだったが撮るのは控えた。散策していた我々の外は、温泉街の客たちは表には出ていないようだった。雪がドカドカと降っているのだから当たり前のことだが、表には出なかった温泉客の見世物になっていたようで妙な気分だった。













2014年2月16日日曜日

お気に入りの金山で

 212日朝、葉山旅館の車で駅まで送ってもらって、新庄駅まで「各駅停車」新幹線で一時間ほどで着く。トヨタレンタカーで手続きをして金山を目指す。しかし、かつて早朝の日の出を撮ったところが見つからない。二往復してもわからない。どこか間違って記憶していると思ったが団体行動だからあきらめて、走っているうちに材木工場に行きついた。撮り始めた当初は昔来て撮影し、写真展に出したところとは違うと思っていたが、どうも同じらしい感じがしてきた。金山町の貴重な産業であるスギの木に加工だ。材木の種類も量もたくさんあって、圧倒される感じがした。3人で思う存分撮って、昼食にしようと蕎麦処「草々」に言ってみたけど、のれんが仕舞い込まれていた。

 やむを得ず、依然入ったことのあるところで、チャーシュー味噌ラーメンを食べる。野菜がたっぷり入っていて、チャーシューも旨い。味が良いので汁を半分も飲んでしまった。普段塩分を控えめにといくらかは気にしているつもりだが、旅の場ともなると抑えが利かない。すっかり暖かくなった。

 金山川から引き込んだ分流にかわいい堰を設けて、温かい時期には鯉を放流する、ほんとうに小柄で可愛い「大堰」に行く。いつものコースで住宅地をずっと回ると、路地沿いに流している水路にたまった雪を運んでいる人がいる。声をかけると気さくに話をする人は多い。切妻造りの瀟洒な家は、大きくて隣の棟に行く渡り廊下をくぐった時に頭をぶつけたと、奥さんが話しかけてきた。見知らぬ輩が通っても、気さくに話せる土地柄がいい。

 「きごころ橋」に回って、橋のたもとの酒屋で地酒を仕入れる。10分ほど車で走って、山間地に立っているホテルへ。ふろに入ってから、ビールと地酒をちょっと飲んですぐラウンジへ。食事のときは日本酒熱燗2本で仕上げ。部屋に戻ってから選挙の話に花が咲いてとうとう前日の残りの酒と地酒を開けてしまった。それで、日の出の撮影は断念となる。

 話しながらブログのネタを構成し終ええてフロントへ行くが、NETにつなげられない。NETは通じるとあらかじめ聞いていたので、簡単にできるだろうと思っていたが、うまくいかなかった。おまけにブロードバンド接続を選択してしまったためにそちらに誘導されてしまってうるさくて仕方がないから止めた。




2014年2月15日土曜日

雪は昨年よりも少ないと言う地元の人。無線LANが使えずにブログ休止。

 いつもは旅先の駅でレンタカーを使うところ、今回は駅にないということで、タクシーで宿泊先に行ったが、駅に降りた途端にレンタカーの店が目に飛び込んできた。旅行会社は、端末で情報を管理しているのだろうが、更新が行き届いていないのだろうか。タクシーの運ちゃんによると、レンタカーの店は2件という。4.5年前からあるというから、情報が管理されていないのはおかしい。単純なミスなのだろうか。

 ともかく後の祭りだから、今朝は上山の駅まで、旅館の車で送ってもらった。新庄までは一時間。雪の量が違っている。道路上は雪かきが行き届いているが、道路わきには背丈ほどの雪が積まれている。金山町に近づいて、いつも眺める高台からみてみると、やっぱり雪だらけで撮ろうかというところがない。街中に入り込んで軒先のツララやら、干し大根を撮って、冬の写真になるかと回って歩いた。

 ひとしきり回ってから、真室川の台地にむかって、前回日の出を撮ったところに行こうとしたが、道路の雪の壁のせいか場所に到達できずに、あきらめることになった。今回の撮影の本命の金山町では、「小さな観光地」を巡ったが、地元の人が懸命に雪かきをしていた。これまで何回かきているところだが、やっぱり雪の時には違った風景が見える。よそものの見た目との違いがあるのだろうとも思うが、ここは観光客の目で撮らせてもらった。旅の二日目の金山のホテルではNETがつながると聞いていたが、夜10時過ぎになってフロントでやってみるが、つながらなかった。

















2014年2月12日水曜日

かせ鳥の奇祭を楽しませてもらった

 上山温泉街を回って歩く「かせ鳥」行事は、江戸の大火災の時、火食い鳥が空を舞って火災を広げたように見えたことから、鳥に水をかけて火を止めるという「火伏せ」の意味があるとされる。家内安全、商売繁盛、火の用心、五穀豊穣を祈っての民族行事として伝えられている。明治時代に藩の行事だからということで廃止になったものを、昭和34年に有志が復活させ、毎年今の時期に催されている。

 そんな歴史を少しだけ気にしながら、上山駅からかせ鳥行列のコースを追いかける。上山城から出た行列が温泉街に向かっているという情報を聞いて、コースの逆から回り込んでおいかける。いたいた、軽自動車に乗って太鼓をたたくおかあさん。後をくっついて歩きながら笛を吹くお兄さん。「かせ鳥」たちは藁の衣を着、藁靴を履いて踊る。なにか唐傘の一つ目小僧のようないでたちだ。かせ鳥たちは、この寒空に水をかけられて鳥肌が立っている。まわりは面白がって騒いで笑っているが、みんなを楽しませようと、一所懸命に踊る。旅館の門前を回って歩きながら、願いがかなうようにと踊る。大変な役目だ。

 待ち構える店の人、子供連れの家族もバケツの水を汲んで用意し、柄杓やオタマまで使って、かせ鳥に水をかける。そのうえ、かせ鳥が纒っている藁を抜き取って、縁起物として提供しなくてはならない。子供たちも大人も踊りの休みの時によってたかって藁を引き抜く。女児がこの藁で髪を結うと黒髪豊かな美人になるという言い伝えだ。奇抜な祭りがあるものだと思いながら、上山駅の休憩地点までついて行った。カメラを持った人たちが、よい場面を写そうと祭りの関係者のようなそぶりで、一緒に行動しているのもなにか可笑しい。

 昼食には掛けそばにモチを入れてもらって、温まった。少し早かったが旅館に行くと、もう部屋に入れるということだったので助かった。2時過ぎに旅館の前にかせ鳥が来るということで、一服したあとまた続きの写真を撮ることになった。
 「かせ鳥」はその意味が「火勢鳥」にも「稼ぎ鳥」ともかさねられているとか。だから「かせ」が仮名なのかと納得。雪の晴れ間に恵まれた日になった。












2014年2月10日月曜日

釣りと環境シンポジウムに60人が参加

 「釣りと環境シンポジウム」があった。福島県の川内村で釣った渓流魚を検体にして、放射能汚染の状況を調べようと取り組まれている。地元では環境の汚染状況から、釣り客を呼べない状況になっている。生活にはもちろん、観光も食に関わる問題にも過酷な現実が襲い掛かっている。釣りを志向する方にとっても、安心して楽しむことができないで、頭の隅にいつも「汚染」を心配しながらやらざるを得ないという状態におかれる。

 行政もはっきり言えば「隠し立て」する方に力を注いでいるから、風評めいたことが伝播していくことになる。シンポジウムでは、渓流の破壊をもたらすダム建設の問題にも触れられて、自然の環境破壊に対する脅威がなんらの反省もなく進められている現状も触れられた。釣りにかかわる業者の方や、渓流の釣りの専門の会の方も、今後の成り行きについての懸念が述べられていた。

 原発はない方がいいと、誰しもが考えている。その声は圧倒的でも、「安全なら…」のような仮定形の主張が現実には幅を利かせている。そんなときに特に山合いの放射能汚染を考えてみようという試みは適時を得ていると思えた。自然と戯れる権利が侵害されているという弁護士さんの話もその通りだと思った。法的な訴えのほかに、ソフトな面での意見交換は有意義だったし、今後もずっと考えていくべきものというより、やらざるを得ないことになるのだろう。そういう荷物を負わされている。





2014年2月9日日曜日

雪が何かを呼んでいるのかも

 雪が積もった。日常生活には降雪に共感するということはないだろうが、雪を楽しんでしまおうとか、観光の対象にしてしまおうとかということは、共感の一部なのだろうか。お隣さんの若奥さんの雪かきもそんな風だった。毎年雪と戦うところは、本当は辛い思いがいくらでもあるのに、逆手にとって楽しんだり笑ってしまおうとかするのは、人間の知恵かもしれない。

 選挙運動は人を活気だてるところがあるようだ。まして雪が降っているときの最後の訴えとなれば、熱がこもる。雪が何かを呼んでいるのか…。昨夜は池袋に一仕事あり、帰りに新宿駅を通りかかった。











2014年2月8日土曜日

自然は人間をはぐくむと気づく若者

 「マンモス防潮堤が攻めてくる」というFacebookのページが見られるようにセットした。税金8000億円を投入して東北沿岸部に巨大な防潮堤がつくられようとしていることを考えようという趣旨だ。
 
 「防潮堤は100年に一度あるかどうかの”非日常の論理”で考えられているのに対し、それ以外の99年と364日をいかに豊かに生きるのかというまちづくりは”日常の論理”で考えなければなりません」との言葉に感心した。続けて高校生の声も紹介されたが、これもなかなかのもので「乾いた砂漠都市」に住む者にとって忘れてしまいそうなことを想起させてくれた。

「目に見えなくても」
 阿部愛里(宮城県気仙沼市 気仙沼西高校3年)

みなさんは小さい頃、自然を「不思議だ!」と感じた経験はありませんか?

私は、土は茶色いのにどうして赤や黄色の花が咲くのか分からなかったし、砂は誰がつくってるのかずっと気になっていました。「花の中はきっと物凄いことになってるんだ!」と保育園の花をこっそりちぎって、ワクワクしながら花を解体したけど、待っていたのはあっけない頭だけでした。あの絶望感は未だに忘れられません。面白いですよね?

私とは違っていても、きっと小さいころに自然がどうしても不思議に感じたり、自分と周りの生き物が同じだと思いこんだりした経験がある人は必ずいると思います。それをセンス・オブ・ワンダーと海洋学者のレイチェル・カーソンは呼んでいます。

私は今、18歳になって、花の中身がどうなっているか教科書で説明されてしまったから、なんだか少し悔しいけど、センス・オブ・ワンダーを感じなくなってきました。少し大人になったんです。

今、海の側に防潮堤が建とうとしています。県内最大の高さは気仙沼市小泉地区の14.7mです。先月、その小泉地区を歩いて写真を撮るというシンプルなイベントに参加しました。県内外のサーファーから愛されている海。綺麗な空には野鳥が飛んでいます。小泉には湧水が至るところから湧き出ていて、「小泉」という名前の由来にもなるほど、水に恵まれた土地です。風が吹くと砂が浮いて、サァーとうねりながら風の流れにのっていきます。そうしてはじめて尖がった頭を出す貝たちに出会いました。

「こんなところでも生きてるんだ!面白い!」

砂浜に打ち上げられた貝は年齢10歳、同じく10歳の小学生の顔と同じくらいの大きさでした。小泉は貝などの小さな生き物たちの楽園で、それゆえに空には野鳥がたくさんいます。街灯がないから夜は満天の星空と、聞こえてくる波の音が最高なのだそうです。ここにたくさんの子どもを集めたらきっと、とんでもないセンス・オブ・ワンダーに出会えるはずです。

私は将来、気仙沼で子どもの感性を高めていけるような教育をしたいと考えています。別に大きいことをするわけではなく、自分の子どもやその周りの子ども達が自然と触れ合いセンス・オブ・ワンダーを感じ、自分と他人のエンパシー(共感)を感じられるような面白い教育ができたら良いと考えています。

〈続きはWebサイト→『マンモス防潮堤が攻めてきた!』に〉

続きの一部コピー

 「いろんな人のいろんな意見がありますが、見えない防潮堤に目を向けてみてください。私は怖いです。海へ行って砂浜を踏んだときのワクワクする感覚、美味しい魚を食べて育ってきた私たちには分かるはずです。私はその感覚を忘れたくはないし、味わった人には忘れてほしくもないです。そして、できることならその感覚をたくさんの子どもに感じてほしいと思っています。」

 この防潮堤が地元の意向も聞かずに、決められたことに大きい批判があって、従おうとする県に対しても、さまざまな方面から批判があがった。NET署名からの要請もあり、自民党で「見直し」の声が出ていると報じられている。しかし、一時止まった大型公共事業のダム建設もほとんどが促進に切り替えられた現状で、素直に見直しがされるかどうか。名護市長選の結果もまるで民意もなかったと同じ扱いが平気でされるのだから、監視は怠れない気がする。





2014年2月7日金曜日

都知事選、なにがおきているか、NET情報から

 新聞が載せることができない速さと、情報量がNETにある。ブログで紹介される事柄は、「アナログの世界」でもちょっと無視することができなくなっている。たしかに良いことばかりではないが、自分の知識の及ばないところを埋めてくれるものがある。
 都知事選の終盤にかかって、選挙戦が盛り上がっている。NHKが朝のニュース番組で、ソチオリンピックのニュースをトップにして延々と時間を使っている。大事なこと、知らなくてはならない情報がいくらでもあるのに、ツラッと素知らぬ顔で報道されると腹がたってくる。

BLOGOS(週刊文春)の記事で、都知事選挙の様子が描かれている。それなりの割引をしながら読んでみた。

その一部コピー
 「舛添要一元厚労相を推す自民党幹部も『こんな不思議な選挙戦は経験がない』と首を傾げています。街頭演説に集まる聴衆の数は、細川護熙元首相陣営の方が圧倒的に多い。原発即ゼロ、再稼働反対を叫ぶ度に『そうだー!』などと声が上がるなど盛り上がっている」(都知事選担当記者)
細川陣営関係者からはこんな不満も漏れてくる。

 「事務局長だった馬渡龍治元衆院議員も選挙中に解任となり、物心両面で支援していた木内孝胤元衆院議員も離れていった。彼らに近い人物たちがネットや雑誌に昔からの側近のネガティブ情報を流し、もはや内ゲバ状態。勝手連と言えば聞こえはいいのですが、要は細川さんが『よきにはからえ』の人なので、選挙を戦う組織としての統制がまったくとれていない。劣勢でも殿さま出勤は変わらず、午後遅くから2カ所を回るだけ。朝から178カ所を回る舛添陣営とは大違いです」

街頭演説でも、拍手や歓声が沸きあがる回数は細川氏よりも小泉純一郎元首相の方がかなり多い。演説する順番も、まるで前座のように細川氏が話し、真打ち登場とばかりに喝采の中で小泉氏が後を受ける、通常の応援演説とは逆のパターンが定着。その内容も、「細川氏は都民の関心が福祉や景気にあるという報道を受けて総花的に語るスタイルに変えたのが、ブレたように映る。『原発政策以外は都知事が誰でも大差ない』と言い切って脱原発一本やりで突っ走る小泉さんの方が聴衆をひきつけている」(都庁関係者)。そこで注目されるのが無効票の数だ。過去の無効票は10万票以下。「小泉」と書けば無効票となるが、果たしてその数は?


 「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」から申し入れのあったことについての回答をしたとFacebookに紹介された。脱原発運動の分裂を心配している人は多い。細川陣営でも、選挙が終了してから運動を続けていくとのツイッター情報もある。脱原発、原発ゼロへの道で一番適任なのは誰かが明確になってきたように思う。その道程は知事選が終わっても簡単ではないだろう。先を考える時期ではないが、原発をなくす運動の大きな流れができていくことが選挙戦の成果になって欲しいものと思う。

宇都宮けんじ・希望のまち東京をつくる会は脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会からの、都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について、本日、以下のように回答致しました。
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都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書への回答
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201426
脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会
世話人 鎌田慧 様
希望のまち東京をつくる会

都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について(回答)

 貴会から201423日付「2014年東京都知事選挙候補統一に関しお願いの件」を受領し、慎重に検討を行いました。貴会のみなさまの記者会見の様子も確認させていただきました。貴会に集まられた皆さんの脱原発政策実現にかける熱意、安倍政権の危険な暴走に対する深い懸念について、私たちも心から賛同します。しかし、残念ながら選挙終盤の現時点では、このような申入れを受けることはできないという結論に達しましたことをお伝えします。
理由は以下の通りです。

1.前回申入れ時とは状況が違う
 前回(113日)、「脱原発都知事を実現する会」から同様の申し入れをいただ
いたときは、告示前の状況であり、当方からは、オープンな場での話し合いに応じる用意があるという趣旨の回答を致しました(別紙)。それにもかかわらず、結局のところ、この話し合いは実現しませんでした。なお、「脱原発都知事を実現する会」は細川支持の勝手連として活動されているものと理解しています。
 
 今回の申し入れは、すでに告示後であり、いったん立候補した後に立候補を辞退できるのは、届出期間中(告示日の午後5時まで)に限られています。既に、期日前投票もはじまっているという状況下である点が前回と大きく異なります。いまこの申入れを受け入れることになれば、宇都宮候補にすでに期日前投票してくださった支持者のみなさん、応援してくださっている多くの支持者のみなさん、寝食を忘れて選挙活動を手伝ってくださっているボランティアのみなさんの想いを裏切ることになることとなる点、どうかご理解ください。

2.政策が一致していない
 細川候補が正式に出馬を表明し、政策を公表されたのは、告示前日の夕方であり、政策のすりあわせなどは到底不可能でした。細川候補と宇都宮候補は脱原発政策の一部において一致するものの、他の多くの基本政策において見解を異にしています。たとえば、貧困、雇用、福祉、教育などの都政の根本にかかわる政策、さらに国家戦略特区、憲法、集団的自衛権、秘密保護法、TPPなども、本来国政の課題でもありますが、都知事としての姿勢が問われる重要な分野についてです。

 脱原発が極めて重要な喫緊の課題であることはいうまでもありません。一方で、貧困に苦しみ、追い詰められている生活困窮者や、ブラック企業の被害に遭っている若者、保育所の入所を認められない保護者などの多くの都民は、貧困・雇用・福祉さらには首都圏直下型地震に対応する防災等の政策の充実を待ち望んでいるのです。東京が抱えるこれらの切実な問題に、私たちは目を背けることはできません。

3.必要とされるのは公開の場での議論
 東京が抱える問題や、それを解決するための政策について、公開の場で、徹底的に議論することこそが必要なのではないでしょうか?選挙戦での公開討論会やTV討論は多くの有権者に政策を訴え、フェアな議論を通じて、自らの考えに近い候補を選ぶための重要なプロセスです。宇都宮候補は、これを重視し、他の予定はすべてキャンセルして、すべての公開討論に出席するという方針でスケジュールを組んで臨んでいました。128日までに、キャンセルされた公開討論企画と番組は合計15件に及びました。これについては、128日に私たちとして声明をだしておりますので、ご覧ください。

 私たちは、宇都宮候補の掲げる政策に自信をもっています。多くのボランティア・スタッフが、人格、識見、政策実行力において秀でた宇都宮候補こそが、都知事に適任であると考え、日夜精力的に活動しています。候補の一本化=立候補の取り下げは、公開の場で政策を議論し、有権者が考える機会と選択肢を都民から奪ってしまうものであると考えます。

4.脱原発の結束のために
 貴会の記者会見で落合恵子さんなども指摘されていましたが、私たちはこの間の「一本化」をめぐるさまざまな論争が、脱原発に関わる市民運動に亀裂を生み、将来に禍根を残すことの危惧については私たちも共有しています。今回の申し入れを受けて、両選対同士で話し合いを持ち、今後の選挙運動において、このような事態を生じないようにしようということを確認しました。

 細川・宇都宮両陣営に加わった脱原発を願う市民が、これらの論争で生じたかもしれないわだかまりを解消し、強固な結束により、原発事故の被害者の支援と全国の原発の再稼働に反対し、原発ゼロを実現する取り組みをともに続けていくことを心より希望するものです。そのような活動の一環として、この選挙の終了後に、選挙結果にかかわらず、両候補の胸襟を開いての懇談の場を設けることも両選対の間で合意されたことを付け加えます。
以 上 
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それでは、希望の輪をつないでいきましょう!!!








2014年2月6日木曜日

都知事候補者の一本化はできない

2014/02/03~脱原発候補の一本化を呼びかける記者会見」があった。


以下、上記HP(Independent Web Journal) の一部コピー
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 「脱原発都都知事選候補に統一を呼びかける会」は23日、日本記者クラブで記者会見を開き、細川護熙・宇都宮健児両氏の「候補統一化」を、改めて求めると発表した。同会は、会見後に両陣営を訪問し、一本化への協議を要請すると説明した。
会見者 むのたけじ氏(「たいまつ」 発行人)、澤地久枝氏(作家)、落合恵子氏(作家)、吉岡達也氏(ピースボート共同代表)
 同会が両候補に要請する内容は下記の4つ。
1. 両陣営は、確実な都知事当選を目指して候補者を一本化し、選挙運動で協力する。
2. 両陣営とも、目標「原発ゼロ」に合致する政策内容の具体化とその実現に努める。
3. その他、2020年オリンピック、社会保障など諸政策についても協力関係を強める。
4. 以上の方針実施を確かなものとするため、新知事は選挙後に辞退側候補に都政への参与を求め、事実上の連立体制を組む。両陣営は予めその約束を協定化する。
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 「脱原発都都知事選候補に統一を呼びかける会」は告示前に、一度一本化の記者会見をした。双方の立候補予定者に直接会うこともなく、文書による「要請」をした。脱原発しかないできていなかった政策と、都政全般にわたって詳細に政策を発表している候補者とは相当のかい離があるし、一方は使者と合う意思はないとはねつけ、政策討論の申し入れのもノーという状況下では、一本化などの工程はありようもなかった。今になってまた、統一を望む声が「双方」に強くあるからと、再び今度の行動となったという。
「一度は統一化を断念して細川氏の支持を表明していた。しかし選挙戦も残り一週間を切った今になって、再度『一本化』を申し入れる理由は何なのか」との疑問がだれしも湧くところだ。

後段の「座間宮ガレイ」氏がこの件に関して、舌鋒鋭く批判しているので、映像を搭載したが、見ることができるだろうか?

さて、その際に発言した数人のコメントがこの行動にはいっていることに、一徹な考えをもっているわけでない状況が見えた。

前国連大学副学長・武者小路公秀氏
 Facebookで統一化を求める議論を始めた。すると『宇都宮さんを裏切るのか』という抗議の声が届いた。私は、宇都宮さんを支持する考えは変わらない。細川さんの方から宇都宮さんに話し合いを呼びかけるよう提案したい」

作家・落合恵子氏
 「都知事選は自治体の首長選挙ではなく、国政も左右するもの。宇都宮・細川両候補の得票率が、脱原発を抱えていない候補の得票率を上回った場合、私たちはそれをどう考えればいいのか。名護市長選、南相馬市長選の流れを切らないようにしたい。これは、どちらかの候補に降りて欲しいというものではない。
 『話し合いの機会を下さい。もう一度考えてくれませんか』ということ。今、脱原発の陣営が分裂している。選挙後、両者が一つにまとまる期待も込めています」

【落合恵子氏へのインタビュー取材】
IWJ「一本化の動きについて、改めて」
落合氏
「今日の会には、やむにやまれない思いで座った。さっき会見でも言いましたが、やはり(呼びかけが)遅すぎたと思います。本当は、両候補の方に座っていただいて、本当の意味で中立という形で話し合っていただく会を作るべきでしたが、私たちは非力でした。
 『今になってなぜ』という思いは私も持っている。しかし、ただやっぱり負けたくないというか、この国の命運がここにかかっているということで動き出した。遅すぎたと言われれば、私の感覚では、そうだったと思います。私だってさっきまで、(会見へ参加することを)迷っていたんですから。こういう会を開くことで、私たちは傷つく人を少なくしたい。でもそう言いながら、この会を開くことが誰かを傷つけている可能性もある。

 私たちはやっぱり選挙の有り様も、同じ思いで、金曜日の官邸前も今でも一緒じゃないですか。そのことを大事にしていかないと、誰が喜ぶのでしょうか。私たちは誰を敵とするのか。敵という言葉は悲しい言葉だけれど、傷の中で、学び合う私たちでありたいと、心から思います。私は、何度も申しますが、両陣営から距離をとって、自分の一票を一生懸命使います。それしかできないです。ただし、一票を一生懸命考えて使います。

 私がやることは選挙に行こうと、やっぱり、行かないよという人も大勢いるので、今回の選挙の重要性を語りつづけるしかないですね。どこに入れましょうというのは、本来、民主主義の基本を考えれば、自分で決めて自分で一票を使えばいいんですから」IWJ・ぎぎまき)

記者会見当日の座間宮ガレイ氏

zamamiyagareiさんのライブ























2014年2月5日水曜日

ありったけの投資行動で日本がどうなってしまうのか。

 昨夜はつりの会の会議が終わった後、打ち合わせたいことがあると自分に言い訳をしながら、飲み屋に付き合った。家に戻って、パソコンをいじりながら、一人で二次会を開催。ブログのネタをあさりながらNETサーフィンするのはいつものことで、いくつかネタを拾っておいた。ところが朝の寝覚めが悪い。こうなるとブログの書き込みが遅くなる。アルコールをとりすぎたというほどまでではないが、やっぱり若い時とは違うなと実感させられる。なかなか年相応の着地が上手くいかない。


 2020年のオリンピック開催に向けて、招致員会が描いた開催施設の「写真」(2013.1.11)があったので、これを使うことにしようと昨夜は思ったのだが、上手くまとまりそうもない。

 オリンピックの「夢」の看板だけいただいて、建設業界のいのままのものづくりがすすめられそうな気配だ。世田谷の保育園建設が、業者の「人手不足」で進まないとい報道をしていた。東日本震災の復興、ダムも新幹線も道路建設などの公共事業、オリンピック開催関連事業だけでも、膨大な事業量なる。これに加えてトンネルや橋のメンテナンスの必要性も問題になっている。東京都の築地卸売市場の移転も、工事の入札が不調になった。

 こうなると資材の値上がりと人手不足で受注額が膨らんでいくことに作用するのだろうか。膨大な投入資金のツケが回ってくるだろうことを考えると背筋が寒くなる。消費税増税が打ち出のこづちで、大判ふるまいに使われたのではたまらない。















2014年2月4日火曜日

「世界一エコで安上がりなオリンピックを!」へ答えない知事候補もあり。


 「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」が12月13日に青柳正規文化庁長官に申し入れをした。要望書は「新国立競技場建設による重要文化財聖徳記念絵画館の周辺景観への懸念について」で、内容は、重要文化財である聖徳記念絵画館の周辺環境への配慮と50年たった国立競技場の文化財としての価値についての2点。「世界一エコで安上がりなオリンピック」と言って承知したこととはかけ離れた新国立競技場建設が進められようとしていることに対してのことだった。
 この申し入れは、「招致が決まればあとは…」という流れに異議を挟んだもので、筋が通ったものだ。この会が都知事候補に「東京五輪と新国立競技場についての公開質問状」を出した。回答は百様で「オリンピック中止」から「返上」という回答もある。
 宇都宮氏が項目ごとの質問に答えているほか、内藤氏がほぼ項目に沿って答え、桝添氏は「街頭演説で駆け回っており、回答が難しい」として答えず、細川氏はオリンピック後、遺産が使い続けられるよう過大は建設を見直すとしている。田母神氏は返事をしていない。五輪準備への政策が重要なわりには、「有名」力大物候補者の回答はそっけないものだ。このNET署名は13676名人が応じている。

「神宮外苑と国立競技場を未来へてわたす会」設立趣旨
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 猪瀬都知事は「1964年の東京オリンピックの遺産を有効利用し、世界一エコで安上がりなオリンピックにする」と発言していました。ところがなぜか、昨2012年に新しい国立競技場のデザインコンクールが行われていたのです。主催者は独立行政法人・日本スポーツ振興センター、審査委員長は安藤忠雄氏。
最優秀に選ばれたのはイラク出身・ロンドン在住のザハ・ハディド氏。まるでUFOのような形の巨大なものです。自転車競技のヘルメットという人もいます。11万平米の土地に29万平米の広さの競技場を建てるこの計画、予算の1300億では出来そうにありません。3000億とも噂されています。しかも70メートル(マンションでいうと20階建て以上)のため、東京都の都市計画審議会は日本で最初の風致地区、神宮外苑の高さ規制を20メートルから75メートルへとまともな論議もないままに緩和してしまいました。このままいくと、神宮外苑のあの美しい銀杏並木、重要文化財の聖徳絵画館の左後ろに、この巨大な競技場が建ってしまいます。そんなこと認めるわけにはいきません。そうしたらきっとたくさんの木が切られるでしょう。そうしたら霞ヶ丘都営アパートの住民も二度目の移転を迫られます。
 コンクールの粗雑さ、デザインや防災面での不安については建築家たちも異論を唱えています。わたしたちは市民の目線から、この新国立競技場計画を考えたいのです。巨大な建物を造っても需要がなければそれは子孫への巨大なお荷物です。たくさんの都民、国民がこの問題に興味を持って、東京の空をもうこれ以上狭くしないこと、東京一極集中をこれ以上進めないようにしませんか?国民の税金でつくられるのですから。そう考えて「神宮外苑と国立競技場を未来へてわたす会」をつくりました。
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賛同者の皆様
私たち「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」は先般、東京都知事選の立候補者に「東京五輪と新国立競技場についての公開質問状」をお送りしました。
◎公開質問状と回答内容はコチラ→回答

一部を切り抜き







2014年2月3日月曜日

雪が溶けて…。

 窓から見える日差しが、もう春がやってくることを教えてくれる。東京の雪は、1回か2回降るから、その残り冬の催しを済ませてからでないと、ダメなような気もする。日常の生活から見ると雪は邪魔存在となる。都市も田舎も共通してそう扱われる。

 山麓の雪が溶けはじめるころに、雪が居座っていたあたりの泥を身に着けて、気の毒なくらい汚れた身体を、徐々に水に変えていく。日常生活の厄介者ではあっても、大地の養分を溶かし込んだ水分を少しずつ渓へ流れ込む作業は、大地の生き物たちにどれだけの恵みを施すのだろうか。とりわけ人間の食にはとてつもない影響をもっている。

 「生産活動」から遠ざかったものには、自然の活動がいやに気になるし目に染みる。雪解けの渓流から少しイワナを頂戴して、たまった雪が溶けた端っこからみえるフキノトウを積むことを想像しただけで、うれしくなってくる。大自然のなかに踏み込んでいる実感はなにものにも代えがたい。












2014年2月2日日曜日

お江戸日本橋は七つ立ち…

 日本橋が陽の目を見るようになるという話。どういうことはない界隈の再開発することによって、高速道路を「動かす」ことを考えているとか。1964年東京オリンピックの首都高建設で、日本橋を陽の当たらない場所にした経緯を反省したわけでもなくて、再開発に不都合にならない範囲で何とかしようかというものなら、いままでと大差はない。

 オリンピックの名のもと陰に追いやった日本橋は、12歳くらいで江戸に奉公に来た少年たちが20歳になって初めて関西に帰るとき、「七つ立ち」をメドにしたという。「初のぼり」は、初めての「帰省許可」があって、従業員の多い大店に帰省する従業員が多くて、にぎわっている様子だった。

 日本橋とて、江戸の働き手の心躍る帰省の出発点だったことを考えれば、江戸の歴史に対して泥をかけたに等しい仕打ちだろうと言いたいところだ。正月の箱根駅伝も本来なら日本橋起点でもと言えるのではないだろうか。東海道という日本文化の道筋を通るのであれば。読売新聞社からという文化というにははばかる事業者の会社の前から出発では味気がちょっと違う。

 「戦災」でなくしものは数えることができないほど膨大だ。それをさておくわけにもいかないが、幸いにも残ったものを日本の文化として丁重に扱っていないことに、問題がないのだろうか。都市集中を誘導する再開発を金科玉条のように扱って、それによって経済が発展するという決まり文句で説得にあたる。そうかなそれではと乗っかっていくことで、どれだけの東京や地方の、身近な地域の文化を壊してしまったことだろう。

 大きくても小さくても、営々と繋がって醸造された文化を、一部の自己都合で簡単に消してなくしてしまうということは、あってはならないことだ。そして、それが当たり前のようにされていることが、人の精神構造に影響を与えている様な気する。

 「戦争への道」が日本の国土も文化も破壊したということを、いつも思い返さなくてはならない。ところが、日本が他国を侵略したという歴史が間違いではなかったという真逆的な考え方が、実は日本の環境も文化も顧みない発想とつながっているような気がしてならない。日本橋が、国の重要文化財に指定されたのは1999年5月。首都高速建設から実に35年後だった。





2014年2月1日土曜日

政策の討論をやれば、見えてくる。

 脱原発を公言するなら、毎週金曜日にやっている官邸前のリレートークに参加すればいいのにと、Facebookに書き込みをした。原発を批判するなら「一点で」団結している行動だから参加するのには遠慮はいらない。実は参加することはないのだろうと思っていたら、H都知事候補が参加した。原発への批判とその行動参加は遅きに失してはいても、「風」を起こす方に加わったという点では評価されていいことではないかと思う。立場が違っていても、都知事選が終わっても当然金曜日には参加してもらえるものと期待したい。

 都知事選が「脱原発」に対する態度だけではないことは、ここに至ってM候補者も具体的な政策を今こしらえているということからしても、はっきりしてきた。やらないよりはましだが、テレビでも討論にならない「主要候補者の発言」が放映されるにいたった。都知事選があるからその風に乗って帆を立てたという見方は外れてはいないだろう。

 しかしそれだけで選挙を進めるとあれば、客観的には「脱原発の世論」を割るということになる。だから一本化だったというわけだろうが、そんな話には「逢いもしないで」蹴とばしたH候補。たとえば国民健康保険の負担軽減だとか、公立保育園増設、ブラック企業・雇用対策も、不正「借用」問題への対応などいくらも身近にあるシビアな政策が論じられるべきところ、U候補を除いて軽んじられた。

 現在は多少の政策も言わざるを得なくなっているが、告示前にはそれは白紙状態なのだから、そういう点でも一本化にはなりえなかっただろう。だから、政策で討論しようというU候補の提案には応えることができなかった。しかし、脱原発の主張が、具体的には「ゼロ」から「いつかまで」と大きな違いがあっても、主張することがよしとする考え方も事実として存在している。双方を尊重して配慮するということもあって、運動が担保されている。

 そうであっても、「徳洲会借用金」問題がきっかけになったこの選挙は、佐川急便マネー、政党助成金流用などカネにまつわる後ろ暗さも、候補者資質が問われているという点で、重大なことだろうと思う。ついでながら、政党助成金の流用問題を赤旗で批判されたM候補は、ネトウヨ(ネット右翼)から攻撃材料として使われている。T候補の浮上のためなのだろうか。

 選挙の際の政策、公約の重みは、扱いが軽く置かれている。マスコミの扱いもそういう視点からということでは全く不十分だし、よって有権者側の認識も表面的になる。そこをつけめとする愚民思想を破りたいものだ。





2014年1月31日金曜日

アナログが懐かしくも、優しく感じる魚獲り。




この2枚の写真は、漁をしているところを撮ったものということがわかる。澪筋が沖まで続いて見えるのはきっと大潮だからだろう。潮が引いた後、沖に行き損ねた小魚を獲ろうというのだろうか。中学生のころ住んでいた千葉の海は、こんな海だった。澪筋にハゼもカレイもいたしアサリも自生していた。ちょっと先の海岸で、アサリを撒いて養殖して、「アサリ獲り」の商売があると聞いて、アサリって金を払って獲るものなのかよと思った。

こんなに立派な澪があれば、どれだけのハゼ釣りができるだろうか。きっと5キロとか10キロとかになるかもしれない。ハゼ釣り場にしているところは、年を追うごとにじりじりと釣れる量が減ってきて、大会の釣り場範囲を拡大していかなければならなくなっている。確かに三浦半島の先の方に行っても、海の匂いがなくなっている。川も湖もしかり、魚の繁殖環境が悪化しているのだろう。

 
 この写真、漁をしている人たちみんなが網を上げているのはどうしてなのだろう。魚を一斉に追い込んで網を上げるということが効率的ということなのか。網を一斉にあげているところが写真の見栄えが良いことには違いない。風に飛ばされないように踏ん張っているところも面白い。上げ潮になってくる間、何回も網を上げるのだろう。

(写真はFacebookから)

2014年1月30日木曜日

原発をなきものにするのに遠慮はいらない



福島民報2014.1.29
楢葉町の沖合約20キロに設置され実証運転が始まった「浮体式洋上風力発電所」の昨年12月の発電量は64万2400キロワット時で、稼働率は94・9%だった。福島市のコラッセふくしまで28日に開かれた浮体式洋上風力発電実証研究事業の漁業協働委員会で報告された。
 昨年12月1日から東北電力への送電を開始した。12月の平均風速は秒速7・9メートルだった。
 委員会では、経済産業省の担当者らが、事業の進捗(しんちょく)状況や、漁業との共存に関するワーキンググループでの協議内容を報告した。
 経産省などは平成27年度までの実証研究を通し、商業化が可能かどうかを判断する。


 エネルギー問題は商業の採算ベースに合うのか合わないのかという範疇では置いておけないことではないのかな。漁業との共存もなにも、原発では共存できないことが明確なのだから、「実証研究事業」などとのんびり構えている場合ではないだろう。それこそ海外の脱原発のとりくみを学んでいけば、方法はいくらでもわかるだろう。この写真をどなたが撮ったのだかわからないが、福島第一原発が陸上に見えるのが面白い。かすんでいるから亡霊のようだ。さっさとなくなって見えなくなればすっきりするのに。