2015年3月28日土曜日

祝う会は久々のうれしい出来事

若者の「入籍」を祝う会に呼ばれた。我が血筋には頃合いの婚姻対象者はいない(正確には、結婚できない者ばかり)から、最近めったにない珍しいことだった。

     ~桜とて めでたさ先に 乗っ取られ~
二人の若者のスタートを祝うのに、仲間が寄り集まっての騒ぎだった。騒ぎというと語弊があるが、アルコールを少し入れて合唱中心の祝いとなると、それは賑やかなものだ。ちょうど一週間前だったので、関東には桜の開花宣言がもう少しだった。それに先立っての催しだったが、店のウィンドウには桜がすでに咲いて飾られていた。

 合唱のときは、歌詞に乗じた気持ちと表情が必要とされるが、真実の祝いごとがあってのことだから、歌う楽しさは倍増するのだろう。ノリノリの合唱は日常の練習のタガから解放されたようだった。ご本人たちの写真は「もったいない」ので、載せないでおく。もちろん自分の時のように、一生で一番幸せな顔をした、いい表情だったことに間違はいない。















2015年3月20日金曜日

太陽を浴びた野菜が食べたいよ

 パナソニック福島工場は、デジタルカメラ生産を5月末までに止めて、昨年稼働した完全人工型植物プラントで野菜を作る植物工場として存続させるという。デジカメ部門の従業員約300人は関西地域などに配置転換して雇用を維持することで、「業務の効率化」をする。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を目指す事業として昨年3月に完成した工場だった。

 福島復興でというと悪くない印象も起きるが、福島を足掛かりにして(放り出してか)デジカメ生産は、山形県と中国の工場に集約するという、なんともフリーな身の処し方だ。スマートフォンに押されて世界的にデジカメ市場が…と言うが、300人の処遇はどうするのか推して知るべしで、福島から「ハイ」と応じられることは無理難題だろう。

 人件費が安い中国という安易な選択が、たやすく許されていいものだろうか。しかし、事業者のモノづくりやサービスが、簡単に転換できるという自由さとは、生産地や消費者の生活から離れて、ものともせずに切り替えていく。これも株主の顔を見計らうということなのか。
 
 夢想と叱られるかもしれないが、大手町のビルの中で様々な事情で「野菜工場」が出来上がったとすると、(その可能性は否定できない)その野菜をスーパーで売った場合「大手町生産」と表示される。それを買うことになるのだろうか。

 時期にはずれた野菜はまずい。野菜の旬を無視しているのは人間の側の事情によるものだ。都市生活が一年中通しての環境を呼び込んでいるからだ。都市部の生活がそうしないと成り立たないという事情が確かにある。これでいいのかということをいつも問い直すべきだろう。

 過酷な都市集中が自然の循環を無視して食を大量に手に入れる誘因になる。この集中がなお進められる「都市開発」が昂進するなら、食は宇宙食を射程距離にいれなくてはならない。太陽を浴びた野菜はなくなってしまうんだろうか。




2015年3月15日日曜日

岸参議院予算委員長が「SMバー」で遊んでいたのだという報道があった。

山形県金山町には因縁があって、だから腹立たしさ倍増

 SMバーも…岸参院予算委員長が政治資金で“夜のクラブ活動”


2013年5月17日、東京・六本木のSMバーに会合費名目で政治活動費3万5500円を支出。「秘書と支援者が行った」と言っている。13年の1年間に、クラブやラウンジなどへ払ったのは少なくとも計28回、締めて175万円超を使ったということだ。自民党閣僚が、法の網をくぐって政治資金を集め、使っているというのは、これまでも自民党政治の中で数えきれないほどやってきた。それゆえまたかい?みたいな感じもある。この参議院予算委員長さんは、山形選出で当選3回、64年に早大政経学部卒業後、71年から7期27年間にわたって、我が故郷である山形県の最上郡金山町長という経歴だ。

 この金山町は、ひょんなことがきっかけで、2007年に写真展をやったところだ。生まれ故郷の隣町という親近感があって、小さな町ながら落ち着いた街並みときれいな建物があり、地元の杉の木を活かした事業や、歴史を語る観光スポットなどがあって、何回か来訪して写真を撮りためた。蕎麦屋さんの仲介で町の「蔵史館」を借りてやることになった。初めての経験でもあったが140人ほどの見学者がきて、「自分の街をみなおした」という感想もいただいた。以来良いところだよと、何人かの友人も案内してきた。ふるさと納税もさせてもらって、応援団になっている。

 岸参議院予算委員長が、その町の町長だったということでびっくりし、かつあきれ返ってしまった。贔屓で肩入れしたのに裏切られたようでなんとも気持ちがおさまらない。町の人たちもこのニュース聞いてショックを受けるだろう。「知らなかったから誤ればいい」という屁理屈が、人の好い山形県に通用するとしたら、日本は救われない。
 
金山町2005年

金山町2007年写真展








2015年3月14日土曜日

一日なにをやっているのか、何もやっていないわけじゃないけど早い。

 この間ブログの更新をしたばかりだと思っていたら、5日が最新だった。一週間以上も何をしていたのだろうと、日記をめくってみた。日記といっても、ちょっとメモ書きしているだけのもの。ともかく時間の流れが速いので、記録をしておかないとちょっと頼り無くなった脳の補助。
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313日(金)
8時半に都庁で免許書更新ができるのでかける。20番目で無事取得。この5年で終わりかな。帰りに西口広場で野菜を買う。タブレット、PCの宣伝をパソコンで見てみる。

312(木)
確定申告を午前中で仕上げて、午後提出に行ったら印鑑が押していないということで、もう一度出直すことになった。おかげで久しぶりに10000歩を上回った。

311日(水)
学習会は4人だった。結構読み込んでいったので話が見えてきて面白かった。家に帰ってまた飲んだ。飲み過ぎだよな。

310日(火)
明日が学習会なので、「資本主義の終焉と歴史の危機」を懸命に読む。付箋をつけてメモを入れながら、課題をつけて読み込む。脱経済成長というこれが結構面白い。

39日(月)
また雨だ。天気が良ければ鼻の鬱陶しさがくるし、困ったものだ。勉強会の「資本主義の終焉と歴史の危機」を読まなくちゃならないのだが、とりかかってもなかなか進まない。ギリギリになってからやるというのは、学生時代と変わらない。

38日(日)
11時ころから息子の「引っ越し」を手伝う。2時からの反原発集会に行くかどうかちょっと迷っていたが、息子が行くと言うのででかけた。高橋さんにヒラメを貰った。新鮮で旨かった。

37日(土)
虚鯊の写真集に手を加えようと始めた。一部カット押して修正しようとしたところ、レイアウトがめちゃくちゃになった。「ひながた」を使ったものなので、制約があるらしい。「JTBの旅・総括編」はPDFにしてアップした。

36日(金)

大分宿題が済んできたので、昨日から釣りの会のHPに更新を入れた。写真のホームページも気になっているので少し手を入れた。今見る認識は1年半前と違っている。写真の取捨選択をやりたい。日々是新ただったということかな。
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2015年3月5日木曜日

吹きすさむ 風に間垣が まったかけ

 能登の旅は「ドラマ撮影地」の大沢で泊まった後は、早朝にチラつく雪のなかを港に出て、荒れ狂う海の写真を撮った。山はうっすらと雪をかぶり、「そういう風景」を狙っていた今回の旅にかなったものになった。

 「もうちょっと雪があればよかったね」という宿のご主人に別れを告げて、上大沢まででる。ここ地区からは山越えして金沢に向かうことになるが、ここの間垣も撮らなくてはならないし、小さな入り江に入り込んでくる海の荒れようも、記録したい。体はどんどん冷えてくるが、北風が荒々しく波を運ぶ様は壮観だった。

 上大沢から山越えになる入口に男女滝(「なめたき」と呼ぶそうな)がある。坂の途中の見晴らし台から全景が見えて、雪化粧をした景色を見ることができてラッキーだった。

大沢

 上大沢


男女滝









2015年3月1日日曜日

旅館名が違う!NHKの朝ドラ(「まれ」)撮影で挿げ替えられていた

~旅の宿 ほのかな暖の 長火鉢~

 13日に輪島市の大沢町にむけ移動した。輪島港の近くのホテルを出てから雨模様が続く。大沢町までの間、海の景色を見飽きるくらい眺め撮りながら、町の塊が見通せる高台までたどり着く。地区の全景が撮れるビューポイントだが、何枚か撮るうち静かであるはずのバス停付近に、人が何人かうごめいているのが見えた。ちょうど宿泊する旅館のあたりだ。旅館に入るのは少々時間が早いが、雨が強くなってきたので、小さな町の塊の真ん中あたりにあるその旅館に入った。

 うごめいていたのは、撮影だった。スタッフと俳優らしき人が動き回っていた。「撮影しているので、映りこまないところに」と控えることを要求された。こっちとらだって撮影なんだぞと、ブツクサしゃべりながら、玄関先で声を上げた。奥さんが「出かけていて…」と言いながらご主人が玄関前の部屋に通してくれた。
長火鉢に炭火が熾されて、暖を取りながら暫くはご主人のテレビ撮影騒動を聞いた。昨年秋からスタッフが出入りを始めたらしい。輪島で撮影をしていると聞いてはいたが、まさかぶつかるとは思わなかった。旅館にはそのための工事関係者が泊まって、家の周りの外壁工事をしている。我々の撮影旅の対象としてきた間垣も、近所こぞって真新しい竹できれいになっていた。

 工事の費用は輪島市(?)からだされるということらしい。NHKがまさか撮影のための費用としているのではないだろうし。旅館名も変えられて(当たり前かもしれないが)看板がそれらしく古めいて造られている。二三軒隣には温泉も看板だけできていた。雨が上がったのを見計らって表に出ると、また「通行規制」に合う。若い青年が、余計な人が映らないようにと、無線で指示をうけながら懸命に働いていた。私は4回目の往訪だったが、間垣と港や山周りに積もった雪景色をターゲットにして、今回は補充をと考えていた。しかし旅館の外壁や間垣の改築で、新しい姿にはなっていたものの、「間垣の里」らしさが薄れてしまった。

 間垣用のニガ竹を修理するのに、竹の管理も必要であり、改修する高齢者が自力でやるには難しくなっている。金沢大学の学生グループが「助っ人」で、竹の管理やら間垣の修理をしているとのことだ。【私のホームページ〈20136月〉(http://29.pro.tok2.com/~urohaze/2013.5.magaki.html)】

だから、今回のように降って湧いたようなドラマ撮影も、波及効果で歓迎といえることにもなるのだろう。しかし、それだけのことでしかない。
















2015年2月25日水曜日

北風に 放り出されて 波の花


 能登半島を周って海を眺めているうち、波ばかりどれくらい写したろうか。同じものと思いながらも、ところによっては波立ちが違う。それでなんだか皆夢中になって撮っていた。寄せては返す波なのだから切りがない。

 切りがないと思いつつまた車を止めては写すのだから、デジタルカメラの功罪とでもいうべきものなのだろう。銀塩フィルムなら一枚いくらと費用を考えてしまうからそうはならない。だから腕前が上がっていないだけ、シャッターを押す数が増えることになる。

 波の花も名物らしいが、泡が汚れているように見える。汚れているのではなくて、多分相当海の栄養分を含んでいるのではないだろうか。陸地から運ばれたものが回りまわって陸に帰ってくると考えると、自然のダイナミックさとロマンを感じる。





波の花が吹き上げられた














2015年2月24日火曜日

輪島の朝市、出店が少なくて

 二日目の輪島は、水曜日で朝市は休みの日だった。毎月第二、四水曜が休みだったのを思い出した。前日に雨の合間をひと回りして、港の周りを一巡りして様子を撮っておいた。夕方5時ごろだったか、有線放送で「明日の巻き網漁は…で…」といった声が流れた。繰り返しの放送を確かめても、なんといっているのかはよくわからない。ちょうど行き交ったおばあちゃんに尋ねると、これもダイレクトには理解できない。聞き返して、ようやく天候が悪いから巻き網漁はやらないということが分かった。輪島まで来るまで眺めた海の海の様子はで、そうなんだろうなと思った。

輪島には二泊の日程だったので、翌朝これも雨の降る中カメラを濡れないように庇いながら市場に向かった。市場は撮りにくいものだ。店で働いている人、主にお婆ちゃん達を撮るのだが、ただ撮るのには気が引ける。撮影仲間同士で、誰かが話しかけてやり取りしている間に、他の仲間が撮るようにするという方法が、なんとなく身に着いた撮影方法になっている。しかしそれにしても、買って行けとあちこちから声をかけられると、知らん顔ばかりはできない。ちょうど当日コースの昼食時には食べられる店はないので、なにかを買って用意しておこうということで、おこわのお握りを買うことになった。


市場はこれまでになく出店しているテントが少ない。今の時期は野菜が採れなくて品物も少なし、高齢者がおおいから休む人が多いということだった。そういえば割り方若い人が目についた。ご多分にもれず高齢化の波は観光にも影響をしているのだ。北陸新幹線が開通になって、観光客が増えることになるのだろうか。















2015年2月21日土曜日

能登、白米千枚田の珍景もカメラに

能登の旅一日目の夕方近くに、世界農業遺産になっている白米千枚田に着いた。先日A新聞にL・E・Dを使ったライトアップの写真が紹介されていたので、ここを撮ろうとは言わずもがなの予定に入っていた。到着時は雨だったもののほどなく止んで、寒ささえ堪えれば絶好の撮影になった。

ホテルの食事は遅くしてもらって、6時半まで千枚田を撮って、ライトアップも撮ろうということに、もちろんだれの反対もなくて頑張ることになった。手がかじかんでくるが、何回もあるチャンスでないので、懸命に撮り続けた。確かにライトアップの効果が上がっているようで、いまどきにしては観光客が結構集まってきていた。雨が止んだうえに、遠目だが西方には太陽の明かりさえ見えて、今回の旅の満足度を高めてくれた。

 以前にもブログに書いたが、この田んぼはオーナー制度になっていて、四季折々の訪問者で賑わいがあるらしい。農家が立ち行かなくなって、観光農園としてにぎやかなのを否定するわけではないが、世界農業遺産として「遺産」になったことを農耕民族としては釈然としないものを感じる。TPP交渉も内容が秘密のままにすすめられているが、日本の農業全体が「遺産」になってしまっていいものだろうか。だからというわけではないだろうが、高名な政治家がオーナーになって、農業を「支えている」という珍景も記録として撮っておいた。















2015年2月17日火曜日

爺を鬼にして、いぬ間に写真撮影に。

 連れ合いが腰の手術をしてから3か月有余が過ぎて、その間に老健施設に入所していた爺が14日に家に戻った。いつ家に帰れるのかと、家族が行くたびに楽しみにしていた。家にいれば多少の軋轢はあっても、やってもらえることが多くなるし、我儘も聞いてもらえる。施設にいるのは気の毒なことと思いはするが、家に帰ってくれば率直なところ、世話をする方は楽でない。心と腹の虫の蠢きが並大抵でないこともある。

 義父が家に戻ってくる前に、さしかけの事柄…といってもアソビに属することではあるけれど、写真を撮りに4人で輪島に出かけた。これまでも輪島に出かけては何枚も写真を撮ってきたものの、撮影方法の未熟さもありかつセンスもいかがか、という自己嫌悪も抱えて、こと満ち足りない気持ちをなんとか挽回したいというのが今回の目的だった。

 昔写真の講習会を受けた仲間の展示会を6月にやろう、ということになっているので、やや日程が追い込まれてきてしまった。先輩にお願いしてこの時期にという設定に4人が行くことになったのだが、いずれもベテランの諸氏で車の運転も皆が可能だし、何回も通って知っているコースなので心強い旅だった。

 天気予報は雨か雪だということだった。金沢駅に到着したときには既に雪模様で、できるなら雨にはならなければという思いだった。レンタカーで走り始めて、最初の「のと里山街道」の途中にある千里海岸での初撮影は、車から降りたった時は雨だった。カメラが濡れないようにと庇いながら少しだけ撮った。車に戻りかけたところなんと、雨が止んで薄明りではあるものの、太陽の光さえ見え始めた。


 この天気の幕開けは、不思議なことに四日間を通しての展開になった。地元の人の話では場所が変わると天気がころころと違うものだということだった。山道に入ると雪がちらつき、かとおもうと次の道にはまったく雪なぞ見られないという話のとおりのものだった。














2015年2月7日土曜日

故郷だから足が向くかな

 先がどのくらいかなどと、具体的にといっても測れもせずに、穏やかにかつ楽しくやれればいいと思う。これに少しだけ恰好を付けて、何かが残れば一番いい。この旅は撮影に徹する旅でもなく釣りの旅でもない、なんとなく案内役になった旅だった。しかしカメラだけは離すわけにはいかなかったから、新しい切り取りを持って帰るつもりだった。銀山温泉から送迎バスで大石田駅に出て、新庄駅まで列車で行ってから、次の肘折温泉に行く送迎バスの時間までは、2時間ばかり空きがある。昼食は山形名物の日本蕎麦だから、以前来たところを見定めておいた。

 最上公園の城跡に行ってみるが、案の定雪ばかりの趣で、滑らぬように歩いて通り過ぎただけ。もっとも雪がなくても桜の時期以外は、これはというほどでもない。蕎麦屋はなかなかで、天ぷらに板そばを頼んで少々のアルコールで盛り上がった。特にゲソ天がうまかった。アオリイカではなかったろうか。
新庄駅から送迎バスに乗って、一時間もかからずに雪の壁を通り抜けて、肘折温泉に着いた。ここはカルデラ館という共同浴場がある。ぜひとも連れて行きたいと、歩くつもりが10分出はとても無理だという。16時までしか空いていないので、難しい話になってきた。結局往きだけは旅館の車で送ってくれるということで助かった。

 この温泉は炭酸泉を飲むことができる。なにせ胃が疲れ気味なのだからうってつけだ。朝方ならお湯がきれいなのだが、午後のせいか少し濁っていた。帰りは温まった身体で、傘に積もる雪の重さを時々払いのけながら、緩やかな下りの坂を温泉街まで戻った。20分以上はかかったろうか。

 旅の折々、温泉の部屋で飲む酒を仕入れたが、「花羽陽」(はなうよう)という酒が旨かった。帰りの新幹線まで楽しませてもらったが、この酒は肘折温泉がある大蔵村にある、山形県では一番古い蔵元で造られたものだった。以前に写真展をした金山町の特産品に「金山田楽」という酒がある。この酒が旨いので、昨年も注文したことがあったのだが、この酒造元が同じ小屋酒造だった。








旅館の窓から撮影














2015年2月3日火曜日

湯の花を 乱して雪の 一番湯

齢を重ねても元気なのは悪いことでない。いくらかでも社会の負担を避ける意味でも、懐から年金を割いて日本経済に貢献するとなれば、まことに意義あることといってもいい。旅の道連れは8人。雪見しながら酒を飲み、温泉を楽しむという趣向は、天が我らに味方したかどうか、東京駅から出発するときには、はや雪模様。新幹線で大石田駅に着くまで絶え間なく雪景色が展開するありさま。それしきのことは人生の中で嘆きの部類には入らない。ツウともなればフグの毒さえ食べたくなるのと同様だ。

銀山温泉へは送迎バスで一時間もかからない。車中で胃袋に詰めたアルコールの解毒を、一眠りで進めている間に温泉街の入り口の高台に到着する。温泉は小ぢんまりとしていて、とっとと歩けばものの10分もあるかどうか。足元の明るいうちに、一回りする。もちろん部屋で飲むお酒を手に入れるのを忘れるわけはない。翌日は出発までの朝の余裕がそうなさそうだから、お土産も手に入れておく。

旅館は建物も充分古くて、内部は木造の黒光りする建具で造られている。その壁には鏝絵が飾られて、格調を感じさせた味わいがある。宴会が終わってまた、夜の温泉をまた回ってみる。明るい時とは違って若いアベックと中国語が飛び交わしている家族連れが、スマホを片手に街を眺め撮りながら歩いている。我が道連れの8人も、旅館が貸してくれたコートと傘と長靴を履いて、つかず離れず歩き回る。

その味わいはそれぞれに任せるとして、銀山温泉で印象に残っているのは、田舎の法事で泊まったときだった。隣の部屋から聞こえてくる歌。お婆ちゃんの声で「花の山形、紅葉の天童…」という歌が聞こえてきた。このひなびた温泉にピッタリあっていた。それからは何年も経過して温泉の様子も少しずつ変わってきたようだ。数えること7回になるが、今回は宴会場のお手伝いさんも、ポンポンと料理を運び込んで、なにか都会的なものごしで、方言交じりで話をするということで、年季の入った建物の雰囲気とは少し異なった感じがした。

 扱いがぞんざい過ぎるということはないが、せっかくの雰囲気をゆるりと過ごせるというゆとりがあってもいいかな、という印象はあった。旅館街の中でも朽ち果てていきそうな旅館もあり、経営の大変さもしのばれる。温泉は良い。十分に楽しんでめずらしく3回も温まりに行って、旅の目的を満喫した。


















2015年1月24日土曜日

にぎやかでわびしい宴会

 昔の仲間と上野で新年会をやった。現職で働く人が二人と退職後を謳歌するもの二人。ときどき合っては、近況を語り合う。待ち合わせ時間には20分ほど早かったので、アメ横あたりをひと回りり廻ることにした。17時半過ぎだから一般的に宴会開始には早いのだろうか。酒場は空いているところもある。横丁に入ると透明のビニールに囲まれて、厚着したままの若手グループがすでににぎやかに集っていた。多少寒くとも、安い費用でアルコールが飲めるのだろう。

 この寒空だから店の外にオープンスペースを作っているところは人気がない。時間を見て、宴会場へ行くと一番の到着だった。すぐに宴会の仕掛け人が表れて、皆がそろうまで、飲み放題のコースのほかにビールを注文することになった。ほどなくそろって、アルコールの廻りを楽しみながら話に花が咲く。それはいいのだが、料理がさっぱり来ない。どうしたものかと、思わ出ていないものがあるのではないかと、担当者に聞いてしまった。

 「刺身はでないの?」と言うと「湯葉の刺身です」と反ってきた。確かに可愛い湯葉がわさび付きで出ていた。天ぷらも小さなエビが一本綺麗に皿に載せられてきていた。一様に、口の寂しさに文句を言いながら、こんなものかねーとあきらめて、飲み物だけをどんどん注文した。以前はそれなりの料理だった気がするのだが、実質値上げということになったのだろう。アベノミクスの負の「恩恵」をまた考えずにはいられなかった。