2019年6月19日水曜日

なんでも自己責任で逃げるのか


 高齢者の自動車事故で「免許証の返納」を考えるべきとの自己責任論が幅を利かせたかと思ったら、今度は国が年金を払えないからから「投資」をやれと言わんばかりの自己責任論が振りまかれる。

 高齢者の足の問題をどうするかという言葉は前置きにあっても、その対策が出されなくては高齢者が困るばかりだろう。返納しても無免許で運転することまでが想定されてくる。地方でも都心でも独居の老人が増えている現状に、政治が先行的に策を立てるのかという問題だろう。

 年金財源が賄いきれないよということを、政府や官庁がわかっていて、反発が強いから選挙対策のために財源状況を知らせず、だんまりを決め込むのはえげつない。あまつさえ年金財源が足りないからやれ働けの投資しろのという政治的無責任な考えかたは許されない。

 「受け取り年金が少ない」年代の賃金を上げるだけでも効果はあるだろう。非正規雇用をどんどん増やし、超過勤務をさせても実態通りに払いもせず、払ったとしても年金財源にはすべて反映するわけではない。こんな組み立てでは年金財源は減るばかり。

 「普通に暮らせる型」を考えどういう手を考えて打ちだすのかが政治の責任と言うものだろう。そこを黙って対応しなければ崩壊することしかない。年金財源は企業や国からの資金も入っているわけで、支え手が少なくなって…などと消費税導入に使ったインチキ論法をまた使うのは振り込め詐欺に等しい。

2019年6月11日火曜日

魚が獲れなくなっている今をつくたのは


 漁獲量が減っているのは、そういう扱いを我々の側がしてしまったというのが正確な表現だろう。神奈川水産技術センターの古いメルマガを見つけた。「魚離れ」になってきた昨今の「もとをただせば」こうしたことの積み重ねがあった。現場の公的なところ(役所)から問題を指摘すること、なにかほっとする。

神奈川県水産技術センターメルマガ VOL.318 2009-10-23
○海から見た二宮の浜
最近、相模湾に台風が接近する度に、海岸の砂が削られて、地域住民の皆さんが困ることが多くなっています。昭和35年頃は、相模湾では、ブリが沢山獲れましたし、浜では、地引網も多数行われていました。この頃は、広い砂浜が波を消す働きをしていましたので、台風の大きな波が来ても地域の人たちは安心して暮らしていました。しかし、西湘バイパスの設置や河川にダム、取水堰、砂防堰堤等が整備され、浜まで砂が流れてこなくなった現在では、本来、砂浜が持っている波を消す力も無くなり、とうとう西湘バイパス道路そのものが波で壊れる時代になりました。コンクリートの波消しブロック、鉄板での護岸等いろいろな工事をしますが、白砂青松の浜に秘められた天与の機能には、とても太刀打ちできないのではないでしょうか。




2019年6月5日水曜日

魚介類が口に届かなくなっている

ツイッターで
「店頭からイカが姿を消していることに、どうしてもっと大騒ぎをしないのか。マイワシが激減しコオナゴが絶滅状態となり、アサリが大不調。海の状況をトータルとして把握し警鐘を鳴らし、緊急にすべき対策を唱導するのは省庁とマスコミの仕事だろう。信じられないほどの怠慢。ああ海が危機に瀕している」
とあった。

 ニュースであまり取り上げないし、魚介類が獲れなくなっていることを、体系的に取り扱った報道をみたことはほとんどない。

 水産資源が全体的に枯渇してきていることは間違いない。温暖化による水温の上昇など魚の「再生産」環境が著しく悪化していることが根底にある。そして漁業量管理をまともにやらないことが輪をかける。大手の水産会社が有利な大中型巻き網、沖合底引き漁業にまとも規制がない。その結果零細な漁業者は先に犠牲に追い込まれている。

 水産庁の「おさかな通信174号」によると、魚介類の「消費」に焦点を当てた分析されている。2011年から魚の消費が減り続けて、肉の消費量が上がっている現状がある。


 平成25(2013)年以降、食料品全体の価格が上昇している。特に生鮮魚介類及び生鮮肉類の価格は大きく上昇。また、生鮮魚介類の購入量は、価格の上昇と相反して減少している。消費の減少は価格が高いことによると「素直が結果」が現れている。



□魚介類摂取量は、若い層ほど摂取量が少なく、特に40代以下の世代の摂取量は50代以上の世代と比べて顕著に少なくなっている
□生鮮魚介類の1世帯当たりの年間支出金額と購入量では、購入量が一貫して減少する一方、近年の支出金額はおおむね横ばい傾向
□平成元(1989)年にはイカやエビが上位を占めていましたが、近年はサケ、マグロ及びブリが上位を占めるようになった。

近年の支出金額がほぼ横ばいで、購入量が減少していくのは魚介類の漁獲量減少の圧によるものかと推定できる。若い世代の魚離れもよく言われるが、日本政策金融公庫「平成28年度上半期消費者動向調査」では、魚介類を増やしたいとする意向はかなり多いとの回答がでている。


2019年5月31日金曜日

外来魚駆除つり、たくさん釣れればそれも楽しい

 「ブラックバス防除市民ネットワーク」の仲間でもある会からの招待があって、再び駆除つりをやるというので労釣連の仲間8人で参加した。印西市にある別所谷津公園の池が外来魚つりのつり場だった。千葉ニュータウンになるのか、印旛沼、利根川、下手賀沼の中央あたりに位置する。

 周りは宅地造成が進められている新興住宅地の環境にある。利根川の支流亀成川の分流にあたるようで、調整池として造られたものとのこと。この池にも外来魚が「密放流」されてブルーギル、ブラックバスの釣り場になっていたが、現在は柵が造られていて水辺には近づけない。

 「倉成川を愛する会」の人たちが水辺の生態系を守ろうと、外来魚駆除の行動にもあたっている。亀成川を愛する会の人との合同で今回は計667尾のブルーギルを駆除することができた。日ごろの釣りものと違う魚が対象であっても、「鍛えし」腕は役に立ったようで、何回も感謝の言葉をいただいた。

 生態系への圧力は大きくなるばかりで、外来魚の影響は無視できない。なにがしかの役に立てて何よりのことだった。釣っている最中、オニヤンマがブンブン飛んでいた。しばらくぶりで見たトンボだった。帰りの車中で、「釣りの対象魚がだんだん釣れなくなっているから、外来魚つりも行事計画の中心のつりものにしたらどうか」と言って笑った。



2019年5月26日日曜日

二つ目の写真展終えての収穫


 親父が逝ってしまってからちょうど一周年になる。「一周忌」と称する習わしがあるけれども、生前の本人の意向を想いながら時間がたった。自分が死んだらどうしろという言葉を聞くことはなかったし、身近な者は兄弟のみであったがすべて鬼籍に入っている。唯一の身内が風習からは少々外れた散骨の方法をとったのはこんな事情もあった。

 親父が自分の命が終了した後の処し方を決めると言うことも、大正生まれの人間には考えていなかったのかもしれない。もっとも、親父とのこの手の会話がごく少なかったことはある。しかし写真を撮ってくれと言いだしたときもあったわけだから、そのときに話せばよかったと思う。でも終活の「エンディングノート」ってのもあると話しても、面倒だったのかやっぱりそんなこと考えたくなかったのか、その先には話が進まなかった。

 まあそんなものなのかもしれないと、流されるままになってしまった。結果として独断的にやる以外はなかった。この度の写真展で、一周忌的な区切りをしようと思い立った。写真展になじまないのかもと、頭の片隅で心配しつつ、それでも区切りとして実行することにした。

 キャプションに説明不足があって、意図が明確に伝わらないという感想をいただいた。一方伝わってきたよとの感想もあった。写真の前で説明して理解してもらうのでは不備があると自戒。写真自体には受け止めは様々だった。写真の「腕」はこの先も試され続けることになる。もう少し先がありそうだし、「恐れず憂えず」でやっていきものと思う。










2019年5月23日木曜日

この時期写真展も多い


 今ごろは過ごしやすい時期だとかつては言っていたが、最近の天候の変動はちょっと異常だ。一日の気温の高低差が大きくて、天気の予想に注目しないわけにいかない。台風並みの暴風雨になったりしているのに、気象予報士はこんな原因について語らない。温暖化対策が遅々として進まないのはその原因への「忖度」のせい?などと考えてしまう。

 何事によらず本人の自己責任、「おきおつけなさい」で済ませたのでは、世の中ちっともよくならない。この時期は雪解けの水を待つ田んぼにも苗が植えられ、草木も急激に水を吸い上げる。人間どもは山菜などを恵みとして食して、その自然の勢いを分けてもらう。たぶんそのような効用が、人の活動の高揚へと結びつくのだろう。

 この時期写真展の開催がとても多いのも、そういったことが影響しているのだろう。永山でやっている先輩の写真展にお邪魔した。一点物の写真展はまた味わいの違う印象を受けることができ、タイトルと写真を見比べながら作者の意図を推測するのも味わいを深められる。

永山北公園で







2019年5月18日土曜日

写真展で得られたプラスアルファ効果

 自分も展示した写真を何度も眺めて、雲をつかむようでもある位置から、だんだん降りてきてぼんやりではあるが写真の「成果」が見えてくる。見てくれた方の様々な言葉を咀嚼して、わかってもらえたことも分かってもらえないことも組み込んで、止揚させることができればいいと思う。

 才があるのかどうかはこの際さておくことにして、生きている襞の一部でいいとしておこう。たくさんの友人が見に来てくれて、情報交換ができるのは、我々のように自由人になったものには付録になる。元気をもらうとはこういうことは言うのだろうか。

「接待」の後に四ツ谷駅まで歩いた。夕方の斜めの光がまた、いろんな表情を見せてくれる。






2019年5月16日木曜日

「29眼写真展」で楽しみ広がる

 14日から「現代写真研究所29期生の写真展」(29眼写真展)が始まった。

福島原発被災地、沖縄辺野古の基地建設強行、廃村、東京各地のスナップ、念仏寺羅漢、鎮魂、さくらイベント、隣が米軍、空襲で残って浅草寺銀杏、和平45周年ベトナム、髪、抗えきれない還暦前!…

と、多彩な組み写真が飾られている。写真に込めた撮影者の思いを見て、話していく内容は多様でそれがまた楽しい。時によっては気付かないことも教えてもらうことがある。撮る側と見る側の交流で受け止め方が深まっていく。自分の「思い込み」が客観的に整理されて、次へのステップへとつながっていく。そんな気がする。顔を合わせた機会を「有効」に生かして、一杯飲みながら余韻とプラスアルファの時間が流れる。帰り道で、ついシャッターを押してしまう。アルコールのせいもあるが「癖」みたいなことになってきたのだろうか。





2019年5月14日火曜日

うす緑色の葉が山中で映える快感


 この時期の草木は淡い緑の色がすばらしい。自然の懐に入ると日常の憂さから解放されて心地よい瞬間になる。山道を歩けるかが心配だったが、雪でほんの一部だけ残っていて、通れなかった車が走れるだけの足場の良い道だったので、5時間ほどの行程も気分も楽に周囲を眺め、楽しみながら歩いた。

 その分だけカメラが使えなかったのが返す返すも残念だった。今を「時めく」スマホのカメラ機能で、その替わりを果たしてもらったのが慰めだった。イワナつりは渓流を歩くのも心もとないし、連休明けでもあり難しいものと思っていたので、流れに仕掛けを投入すれば半分は釣りの目的が成就する。「大漁」はまずありえないというのがこれまでの経験からも考えられることだった。

 渓流で友人と別れて釣り、先に上がって待つ間、周りを見渡して、スマホ写真のターゲットを探した。自然が作り出す造形は面白いものだ。そこに気が付いたのも今回の成果だった。















2019年5月11日土曜日

イワナつり数はでなくても余禄は盛りだくさんあり

 友人の誘いでイワナつりに出かけた。那須の別荘を起点に奥鬼怒と阿賀野川水系に行くことになった。友人はつり場は詳しいので、おまかせのグータラ釣行だ。

 先日、釣り道具の「断捨離」をしたので、釣り身支度が整うか心配だったが、うまい具合にすべてが揃って準備万端と思ったところ、コンパクトカメラの電池がなくて使えない事故が起きた。

 それも電池の残りがすくなくて心配だったので、替え電池をいれたのだが、変えた電池が空であったというミス。やむなくスマホを使うことになった。

 淡い緑の色が新鮮ですばらしいので、釣り場に向かう道からコゴミの群生やら雪の山やら、小さな花をつけた樹々を楽しみながら撮った。

 つり場へは相当上り歩いてから釣るのが友人のスタイルで、高いところなどへはほとんど行く気にならない己としては、ついていかれるかの心配もある。おりしも体重増加傾向に歯止めをかけようかと、このところ懸命にウォーキングだけはやっていたので、心配したほどのことはなくて幸いだった。











2019年5月4日土曜日

「自主的な運転免許の返納を」で解決しないこと


 池袋の死傷者12名を出した事故について、NET上に様々な情報があがっている。419日だったから「改元」の喧騒に紛れこんでしまった。(紛れ込ませた?)それにしてもずいぶんと大きな問題も含んでいるのだなと、検索してみながら思った。

 いまだに「逮捕せず」の状態がつづいているのは明らかに「差別」とも思える。「証拠隠滅のおそれなし」との判断が伝えられるが、退院してからも逮捕はない。息子に電話したということは、なんらかの対策を求めてとしか考えられないから、いろいろな憶測が起こってくるのだろう。

 それはそれで「忖度」問題も重大だが、なぜ起きてしまったかの点があいまいにしてしまっては、高齢者の運転問題の解決が焦眉のことになっているのに、またぞろ自己責任の「運転免許返納」に押し込まれてしまう。


ツイッターから
死傷者の介護や救助、110番通報119番連絡が最優先。しかし殺人者#飯塚幸三は、真っ先に息子の携帯へ電話をして「アクセルのせい」にしている。息子はその後、どこへ電話をしたのか?警視庁へ電話をして忖度を頼んだのではないか?朝日新聞も飯塚を「さん付け」でデジタル記事にアップ!

フジテレビ社会部デスク 平松秀敏:
これぐらいの大事故を起こした容疑者、人物は逮捕されるケースが圧倒的に多いので
(飯塚元院長が)退院後に逮捕される可能性は十分にあると思います。


ツイッター削除
iizuka yukinori」というアカウント名が、「yi02363」というアカウント名に変更されています。※現在そのアカウントは削除済です。

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飯塚幸三さんのFacebookもう消えてますね。さすが上級国民は対応が早い。でも東京都板橋区弥生町ってかなり狭いので国会図書館で住宅地図調べるなりフィールドワークなりで家は簡単に見つかりそうですね。

東京・池袋で乗用車が暴走し、母子2人が亡くなった。この事件をめぐり車を運転していた男性に対し、「現行犯逮捕されなかったのは、”上級国民”だからだ」という憶測が出回っている。その理由について、文筆家の御田寺圭氏は「この社会には"不公平感"というマグマが蓄積しているのではないか」と分析する――。

2019年4月28日日曜日

「いくつになったら運転免許を返納するか」だけでは事故はなくせない

 常識的というモノサシでは、己の危険さを自覚して適当なときに返納というのがフツーの判断にされる。高齢社会に起こるべきこととわかってもいたはずが、最近の交通事故が現実に問題の解決を迫っている。

 認知症検査の年齢に到達して検査を受けて、不適とされても、講習を受ければ更新ができるという制度も、やむなく運転をせざるを得ない環境の人には恵みにはなっても、起きてくる自動車事故、事象からは効用とは言い切れない面を持っている。

 「就職有利」「花嫁道具」といわば煽り立て、車を持つことを夢にしてきた社会の必然として起きたことだ。車を利用してきた利便さを否定できないが、車使用の利便さにどっぷりつかってきた過去を、いま顧みることは大切なことと思う。

 「車がなければ」生活が成り立たないとまで追い込まれている高齢者に、「車社会」からの離脱対策を早急にとらなくてはならないと思う。「赤字路線」としてバスでもローカル列車でも廃止にしてきたこともその要因として見なくてはならないことではないか。

 北海道でも新幹線建設は具体的に促進させるが、在来線は廃止にしてしまうというこれまでの手法を続けるらしいが、それではやはり「車だより」社会から抜け出すことができない。高齢化社会が来ることをわかっていながら、その対策が取られないことでは、見識がないことになる。運転免許の自主返納をいつにするのかの議論では、解決にならない。

2019年4月23日火曜日

ヤマメの姿追いつつ発眼卵カゴ回収に

 年中行事で、いまごろはヤマメの発眼卵を埋設した渓流に入ってカゴを回収する。いつも行っているわけではないのだが、この時期に山とその渓流に分け入ると、とても気持ちがよく、得した気持ちになる。東京都で自然の懐に入ると言うことが信じられないとよく思う。

 東京のイメージ…高層ビル群や都市改造がこれでもかというほど喧騒をおこしている街の様子からは、まったく想像できないということ。だからの良さといえることだろう。

 ヤマメ発眼卵のカゴを渓流に埋めてから、数か月の間の渓流の変化、雨が多く降って砂利を流した跡。切り倒しっぱなしの杉の木に、薄緑色の苔がとりついて今頃の季節を構成する。微風に乗って山桜だろうか、花びらが舞い渓流の岩に散らばって見える。

 渓流釣りの時のように、抜き足差し足で流れを遡るとこれはと思うプールに、魚の影が見える。20センチ以上はある。もう35年も埋設放流を続けていての成果と言っていいだろう。大きいものをいくつも視認できるようになったのは最近だ。渓流の状況によって違いはあるが、カゴの格子から飛び出した稚魚が集団で泳いでいる姿は感動的だ。