2021年3月1日月曜日

フキノトウが顔出したとなりの庭

 フキノトウは、雪が解けた後につぼみを出すものだと、ずっと思い込んでいる。雪が春の日差しをうけて、溶けたあとの際にフキノトウが元気よく飛び出す。これをつまんでとるときに、春の実感がわく。

 ちょうどその頃に渓流釣りのシーズンが始まる。早いところでは2月から山に入って釣ることが許されるが、雑誌に出ているような山奥に分け入ってというところまではなかなかできなかった。体力があるころでも渓流のほんの入り口で、魚との出会いを楽しんでいた。それに加えて、釣りの会に加わって、行事計画をこなすことを優先したことで、好きな渓流釣りには集中するわけにはいかなくなってしまった。

 たまに行く渓流釣りは、やっぱり昔の方がよく釣れていた。多分、高速道路などの「整備」と「開発」が人の動きを変えたのだろう。沢に入るとどこでもたいがい「先行者の足跡」をみつける。それだけ釣り場の減少と自然破壊が影響しているのではないか思う。挙句の果てに気候変動による豪雨でどれだけの川が荒れ狂って破壊されていることか。それも我らがなしていることには違いない。

 「釣れなくとも山菜取りで…」と始めから半ばあきらめた釣行が常だった。写真はイワナとフキノトウ(2000年5月)。他の写真は隣の庭のフキノトウ(先週)。








2021年2月25日木曜日

考えてみれば「ゴミに囲まれた生活」

 ゴミや資源回収を出すのは月火水曜日。木がなくて金曜は月二回の不燃ごみ、土曜日はビン缶が集積日。つらつら思うにこのおかげで毎日のメリハリが付いているようだ。「燃やすごみ」が集積場に一番多いのは月曜日。かけた網からあふれ出そうな量が集まる。

 水曜日のプラスチックが最近は減ってきて、「燃やすごみ」に入れるようになっているようだ。プラスチックを減らすべきとの要請は大切な視点であり、海の魚の体内にもマイクロプラスチックが入っているとのことなどからすれば、今や焦眉のことになる。焼却炉の高温処理ができるようになって、一定焼却可能になっているようだが、家で分別して溜まるプラゴミの量はともかくものすごい。ナフサが材料であることからすれば、ガソリンの使用量が減れば連動して減ることになるのだろうか。買い物袋の有料化で減るなどというとぼけた政策で、どれだけ減少の効果を上げているのだろうか。

 「ゴミは家中にある」という発想は、確かに「断捨離の視点」とのかねあいからすれば、納得することができる。この世を去ったあとは全部ゴミなわけだから、断捨離による整理から逃れたとしても、残ったものは「末はゴミ」なので、ゴミに囲まれて生き抜いていることになる。家中ゴミだらけで、外にも積み上げられている様子のテレビ映像をよく見るが、あれは袋に分けてあるだけ整理されているともいえる。

公園の河津桜が満開になった



 ボケもすっかり賑やかに つぼみは2月9日




2021年2月19日金曜日

劇場型の展開で目が回りそう

 あれよと見るまのオリンピック組織委員会の会長交代劇。オリンピック憲章そっちのけの差別発言なのだから、あらゆる差別をなくそうという機運が高まっているときに、臆面なく発言したことに批判されるのは当たり前だろう。日本の後進性がマスコミにも自覚され始めたのはとても芳しいこと。でもいっぺんに道が整備されたわけでもない。

 五輪開催をなんとしても進めたい輩が渦巻いているのも見える。新会長挨拶が評判らしいが、「アスリートファースト」という言葉からもそこがうかがえるし、コロナ対応社会の様相からは「無理じゃない?」とするのが普通の冷静な判断で、世論調査でも圧倒的だ。「新型コロナウイルス感染症を克服した証しとして五輪を開催したい」(首相)、新型コロナウイルスを克服し、「人類が絆を強めた象徴に」(小池知事)と美辞麗句をならべて開催を合理化する意思は現在も変わっていない。

 森前会長が最後の新会長説得者といわれるが、次期選挙の議員の椅子までひけらかしてのこととなると、それで解決なのかと念押しがいるだろう。オリンピック開催の機運がこの機に膨らまされていけば、たとえコロナ禍の状況が悪くても「コロナ禍のもとでも立派に開催された」というセリフが用意されているのではないかとさえ勘ぐる。

 ワクチン待ちのコロナ対策が「しっかり」やる気はなく、ワクチン接種でさえ「いつになるか」わからず状況で、安心も安全もあったものではない。かつての「竹やりもって戦え」みたいな発想が亡霊のように蘇っているようでもある。

 毎日の医者通いで、公園の河津桜見物で一時痛みを忘れる。歩くのがゆっくりで「一仕事」なので一日の時間が余計短く感じるのだろうか。やけに早い。







2021年2月16日火曜日

通院帰りの公園で河津桜を観に寄ってみる

 ゆっくり歩いてマイクロ波を当ててもらい、リハビリの膝伸ばしをした後に、天気のよさに誘われて、公園まで少し歩いて行った。いつもなら咲いているはずの河津桜がどうなっているかを眺めようと。膝は痛いが家でじっとして過ごしていると、凝り固まったようになって立ち上がる時に、すっと伸ばすことができない。少しは歩いたほうがいいのだろうかと思ったのも動機だった。歩くなどという当たり前にできることが、こうなるとないがしろにすることは間違いだと気が付く。遅いけど。河津桜は片手で数えるほどだけ咲いていた。咲きだすのは条件がそろうことが必要なのだろうけど、コロナの心配はしなくていいのがうらやましい。






 

2021年2月8日月曜日

もう一つ別の医者に行ってみる

 膝の痛みがちっとも引かず、温熱低周波の治療を続けてよくなるのかと、連れ合いの話もあって、別の整形外科に行ってみた。膝のレントゲンを同じように撮ったが、撮る角度やら丁寧さがちょっと違うようだった。レントゲンを見て、やっぱり年並みの症状だと、日本整形外科学会制作の印刷物を示しながら、変形性膝関節症という説明だった。

 湿布と痛み止めにするか、関節内注射(ヒアルロン酸)をするかと問われ、注射の方が効き目があるかもと思って、その返事をした。注射は、医師の事前の話のとおり「痛くて注射しないという人はいない」というほどのこともなく、いとも簡単に終わった。

 そのあとはリハビリで、10分間患部を温めたあと、スポーツジムで使うような、膝上と腿の内側の筋肉トレーニングを10分やった。訪れている患者は圧倒的に婦人が多かった。この医院の方がいいようだと家で話すと、「ヒアルロン酸注射もあまり効かないんだよね」と言う。せっかくの希望がちょっとしぼんでしまった。







2021年1月31日日曜日

一人前の寄る年波で

 膝の痛みが治らずに増してくる状態で、やむを得ず医者に行った。通いなれている診療所にと考えたが、少し遠いので歩くのが厄介なことを考えて、近所の整形外科に行くことにした。思いあてのところへ行ってみると、やけに静かな医院の様子で看板には木曜は休みになっていた。

 スマホでほかの医院を探し見ると、幸い近くにあった。入口から入るとなにやら見覚えのあるところ。9月に足の爪を剥がしたときに、治療を受けた医院だった。実は最初訪ねたところが、そうだったと思って勘違いしていた。ああまた間違った。よくあることにしても、だんだん程度がねえ…。

 痛風ではないだろうと思いつつ、レントゲンを撮り見てもらうと、軟骨がすり減っているが、年並みのことだと。水が少し溜まっているとも。「痛風」の方は薬を飲んでいるし、コントロールしているようだから違うだろう、との見立てだった。

 きっかけは11日の16000歩の「どんど焼きウォーキング」の後からだったから、日数が立てば治ってくるだろうと高をくくっていたが、ちょっと甘かったかようだ。スマホの記録をもう一度見ると、5日に13000歩歩いていたから、それも重なっているのだろう。



 

2021年1月29日金曜日

多摩川の河川工事を見て、気候変動の影響をまた感じる

  気象庁気象研究所が昨年(2019年)10月に関東や東北など広い範囲に激しい雨を降らせた台風19号は、10月の平均気温が約1度低かった1980年の条件でシミュレーションした結果と比べて、降水量が約11%増えていたという研究結果を発表」と昨年暮れに報じられた。地球温暖化の影響を正面から問題視しないなかでは、ひとつ突っ込んだのかなという印象をもった。

 11日の「どんど焼き撮影」ツアーの終点は多摩川で、その影響の爪跡を又見ることになった。去年(2020年)の7月の豪雨による被害は、ニュースでは主要な被害を取り上げているが、自分が実際に体験したのは、肘折温泉、妻恋村だったけれども、全国ではどれだけの被害を受けているものだろうか。それだけの深刻さが日常わからないというのもおかしいことだ。

 コロナ禍の深刻な状況で、それだけの被害の大きさが後景になっているのも、ある意味仕方がないのかもしれないが、政治の上では、何があってもまともな対応がされないことが先行している昨今、写真に見える「テトラ製造」も凄まじい河川被害を想像できるが、どんなふうにしようとしているのだろうか。ただ、川の有りようと我々の都合で、コンクリートを埋め込むということが、マッチングしているだろうかと心配な気がする。何百年に一回かどうか知らないが、集中豪雨がまた起きたら耐えられるのだろうか。

2021年1月22日金曜日

多摩川までの小さな川筋の面白い風景

 ほとんど住宅街なのに、川筋を歩く田んぼがある風情は、ずいぶんと遠くへ来たような錯覚にとらわれる。日頃「蜜の町」ばかりを眺めていると、懐かしさと安心感を持つ。ゆったりとした時間の流れまでも。

 その流れの淵をとことこと歩く少年、やおら住宅の柵を乗り越えて建物のわきを抜けて、先へと消えた。きっと近道だったのだろう。自分の小さい頃の「冒険」を思い出した。杉材で囲った家にはびっくりした。最近は見かけることはないので、もしかしたら文化遺産かな~と勝手に思ったが、表に回って確かめるべきだったと後悔。もう一つは「鳶」の看板があるそれらしき店。鳶の文字がなければ気づかなかった。江戸時代の匂いまで感じさせてもらった。






2021年1月21日木曜日

せっかくだから、多摩川まであるいてみようか

 どんと焼の撮影ができなくなって、このまま帰るのもなんだしと、少し歩こうかと向陽台までバスで移動して、多摩川につながる小河川(小川)沿いを歩くことになった。Mさんが地理に詳しいし、Hさんもよく歩き回っているところとのこと。心強く思いながらついて回り、後になったり先になったりして、撮影人特有のうろうろ歩きをしながらのツアーとなった。

「知らないところ」を見るのは、遠くへ行く旅と同様で目に入るものがみな新鮮で、ちょっと弾んだ気持ちになる。鵜の目鷹の目でシャッターチャンスを拾うように動き回って、例のごとくシャッターを押した。











 

2021年1月17日日曜日

ご多分にもれず、どんど焼きは蜜避けて撮影不可

 膝の痛みもあり、とりあえずもっぱら家の生活で過ごす以外ないなと、巣籠生活をしていたら、写真ゼミのMさんから稲城市でどんど焼きの催しがあるから、撮りにというお誘いがあった。足の痛みが引いて調子が治ってきているので、でかけてみることにした。

 あらかじめ場所をメールで知らせてもらったので、現地までの道筋の心配はなかった。若葉台から15分ほど歩いて現地に行くと、松飾りや書初めを持った人が受付で係の人に手渡していた。少し離れた場所に火をつける前の「やぐら」が鎮座されて、消防団と何人かの役員さんらしき人達が準備をしている様子。

 ところが受付を通り抜けようとしたとき「写真撮影はダメなんですよ」と止められてしまった。コロナ汚染拡大対策のためという断りだった。「今のうちに受付の位置から」と声をかけてくれたので、遠くからになったけれども、かろうじて「記念写真」は撮ることができた。せめて火をつけるところをとの思いも果たせず、コロナへの恨みをつのらせて引き下がるよりなかった。