2021年11月25日木曜日

長井ダムは初めて行ってみたところだったけど

 散居を撮りに行こうとして、計画したことがあった。その時には何かの都合で行かれずにいた。南陽、長井市は果物や花では有名なところで、これまでちらちらと、旅先の候補に浮かんでは消えていた。上山温泉を後にして、次の安達太良までは時間がゆったりあった。

 娘が得意のスマホ検索で拾い出して、行ってみることにした。上山温泉を出発して米沢方面に向かい、南陽市から西へ入っていく。ダムの湖岸に車を止めて紅葉を眺めつつ、撮りつしていると、車やバイクがひっきりなしに通り、紅葉を楽しんでいく。

 近くに駐車した地元の夫婦連れが、先の方にもっと素晴らしいところがあると教えてくれ、行ってみるとダム湖の展望台があった。こちらはメッカらしくて人が多い。湖岸からは遊覧船まである。紅葉の素敵な景色に圧倒されて、ウンウンと見て回ったダム湖が、見たかった紅葉の景色を堪能した一刻になった。












 

2021年11月23日火曜日

肘折温泉に別れを告げて

 肘折温泉へ行くと必ず寄ってみる「男沼」。この入口がちょっとわかりづらい場所にあって、慎重に目当てを見ながら進入していく。この場所は、最初はいつ寄ったのかを忘れてしまった。沼が三つくらいあるところで、多分川の流れとの関係があるのか、実に静寂なところ。地元に人しか知りえないところで、今は暇なバーベキューの施設が小ぢんまりと鎮座している。

 大がかりなレジャー施設とは雲泥の差と思えるところ。シーズンオフであることが幸いで、どこでカメラを構えようが邪魔にされることも、邪魔にすることもない。ぐるりと回って隣の沼を巡るコースもあって、たいした時間も使う必要もなく周遊できる。そのストレスのない自由さがいい「お気に入り」となっている。いつものように、入口の沼を見て、どんな感じなのかをうかがうが、「紅葉」と限るとちょっと時期を過ぎている感じだった。「惜しい」とは思いつつ、せっかくのお気に入りの場所を、簡単に去るわけにもいかない。 










2021年11月17日水曜日

また来たと高台から眺めてみる温泉街

 肘折温泉の朝市は、やはり湯治客に食糧を売るというものだったらしい。いまはほぼ観光用にとなってしまったのだろう。新庄から車で40分ほど舗装道路を走って着いてしまうのだから、秘境と言われてはいるもののその意味での様相の変容はここもある。ただ、ほかには開発の手が付いていない離れた集落で、何回きても様相があまり変化しないので、進入する道沿いの(昔はなかった)陸橋から眺めると、変わらぬ景色になんとなく安ど感が湧いてくる。

 東京の我が棲み処の周りでは、高さ制限を緩和した以降、次から次と45階建てのビル工事がされて、騒音もさることながら著しい変化に囲まれて、落ち着くことがない。そこから脱出して、気持ちの落ち着く懐かしきところとして、自己の「お気に入り」の場所に登録してある。温泉旅館はいくつもあるので、必ずどこかが予約できるのもメリットになる。















2021年11月15日月曜日

25年目の墓参と紅葉探し

 もう25年になった山形への墓参。墓参にかこつけて、この時期ちょうど紅葉の時期に当たることがあり、温泉にも浸かる楽しみもかねて出かける。若いころ味わった苦い体験を、思い出すのもふるさとゆえのことで、「恨み」として胸に残っていたわだかまりも、過ぎた年月がずっと軽くしてくれた。「時々、折々に思い出してやることだ」という坊さんの言葉をいただいて、生まれ故郷山形の空気をゆったり吸わせてもらうのを楽しみにしている。肘折温泉の朝市に、地元の大蔵村から毎日店を出しに集まって来る。観光地ゆえの賑わいもあるが、現下まだ人は少ない。













2021年11月11日木曜日

ツアーで歩きすぎて、膝の手術になりかけた?

 ツアーでそんなに長く歩くことは想定外だった。これまでツアーでどのくらい歩くのかを心配したことはなった。出かけた以上歩数制限をかけるわけはないし、思わず三日間を歩いてしまって、一日8000歩になったということだっただけのこと。最近は心配しながらの回遊で、一日せいぜい40005000歩ほどがいいところかと頭の中では描いていた。

 旅から戻って、翌日の診察で膝の痛みを訴えると、医師は注射が6回になっているから、もう軽くなってくるはずで、これはMRI検査をしやほうがいい、ということになった。日を改めて検査施設に行き検査を受けた。結果のCDをもって再度医師の診察を受けたところ、手術を勧められた。現在は痛みがひどかった時ほどのことはなくて、どうやら旅のせいだったらしいと弁解をしたら、それなら止めましょうとあっさり中止することになった。

 スキャンの状態では一部欠損(?)しているとのことで、2年前の山歩きのときに、酷い膝痛が起きたことを思いだし医師に話した。治りはしないが、幾分か和らぐことはあるだろうと、注射を続けることにしてとりあえず手術はしのいだ。不思議なことに最初は右膝が痛くて、治療が始まったものが左に負担をかけたからなのか、治療で和らいできた右よりも、痛みが出てきたのはどうしてなのか。身体全体のバランスが崩れてきているのだろうか。内臓も含めてあちこちの「渋滞」が起きてきているのは、「お年です」からしょうがねえと、あきらめも肝心なのだろう。

 ツアーで回り歩いて、「秋」の雰囲気があればなと願って、目に入るものをあさったつもりが、景色は余り当たらなかった。秋の美麗な紅葉はとらえられなかったので、「らしさ」を切り取ってみた。樹々の紅葉も時を過ぎれば哀れさも見せてくれる。わりとそういうところも好きなので、終末の憐れさを自分に重ねてみるのもいいだろうと思い込んでいる。