2023年2月2日木曜日

写真展が終わって押し出されたカバン

 写真展が終わって人心地がついた。展示した写真のうち6枚は額装したものだったから、写真をはめ込んで組み立てるのはそれなりに気を遣うことだった。でも案ずるより産むがやすしで、経験を活かして思ったより早く仕上がった。会場の展示も自分たちでやるので、結局は撮影から展示会まで全部自己責任でやるのがスタイル。そりゃあ立派な先生でないのだから当たり前として、懸命にやりはするけれども、この先は?などと頭に浮かばないわけでもない。

 額装した一枚を展示で釣りあげる際に、うっかり落下させてしまって、角にキズが入ってしまった。展示自体に支障があるほどでなかったのは幸いだった。家で額装を解体してみて、ゆがみが生じているのがわかった。傷の部分は小さく、ゆがみをペンチで直した。何とか次も使えそうな状態なのでほっとした。

 今回は額縁を2枚購入して備えたので、終わってから家のどこに置いたらよいのか思案していたが、結局ベッド下収納になっているバック類を断捨離して、空いたスペースに収めた。

📷写真展で展示した作品は9枚だったが、額装が6枚しかできなかったので3枚をパネル張りで展示。パネル張りは千葉勝浦の朝市の跡の様子、右の三枚は養老渓谷のキャンプ場。次の三枚は木更津袖ヶ浦(アクアラインの下付近の漁港)






写真を「とびとび写真集」にアップしました

新しいサイト「つれづれ写真」にも






2023年1月29日日曜日

寒いなか写真展会場を見て

撮った写真を皆がどうみてくれるかの心配は、展示した者たちの共通する気持ちで、期待と不安が交錯する。展示者の心持ちを重ねて勝手に解釈するけれども、心配でもありながら、「どうだ!」みたいな増長も少し含んだ気持ちが混じって、精神状態がかく乱される。

「神」からの授かり物はとうの昔にあきらめたので、どれだけの「学習の成果」が現れたのかが問われるときになる。今はスマホ撮影では「映え」として「カメラ撮影の既成概念」を超えて広がり続ける。それも写真であることに違いはない。それがどれだけ融合していくのかはわからないが、自分の写真としてだけに力を籠めた結果に、意図したものが映しだされて、共感を得られればそれに越したことはない。

たとえテーマが「そこの街の」とか「今の世の中の」とかという後景を意識したものであっても、違いが出ることができたらいいなと思う。いつも思うのは皆がテーマも違うし好みの違いもあって、様々な場面を切り取りながら、重ならないというのがまた一つ面白い。「みんな違ってみんないい」とは文化のありようにも適用されるのだろう。




2023年1月19日木曜日

運転免許の「高齢者講習」に行ってまた自覚する「劣化」

 認知症の検査は昨年受け、いくつか回答ができなくて「ああやっぱりだな」と自覚にそった結果を認識することになった。運転免許の「認知症の検査」はネットにも情報が載っていて、回答を丸暗記したという話を後から聞いた。検査はそんなものなのかという安直さの裏返しは事故だから、本来深刻なことで穏やかなことではない。

 高齢者講習もまた緊張感のわりには、簡単に終えた。教習所内の実証運転と目の検査、講習を2時間程度で体験した。実証運転も「運転してみる」という程度のことで、縁石に乗り上げても別になんということもなく、講習という内容を感じるようなものでなかった。「車庫入れ」があると聞いていたのに、それはなくなったとのことだった。停止線、信号、優先などの諸注意をこなしてみることで、同乗の3人のメンバーは「全否定」「危険」などの注意も特になかった。もっともそういう「注意喚起」をするのかどうかも不明だった。

 後半に目の検査で「動体視力」、「夜間視力」などの測定がされた。参加者のなかで「医者との相談」という扱いがあったのかどうかは判らない。免許の更新は、「講習」をうけることで可能ということらしい。講習では高齢者が、信号無視、一時停止などの違反によって、次回の更新時にはビシリと運転技能検査を義務付けられるほか、臨時認知症検査の対象となる18種類の違反もあるとのことだった。「認知症の検査」と「高齢者講習」は民間委託の一種なのだろうか。終わってみると計7500円の費用は安くはない。更新はここまでだなとの思いを持った。



2023年1月12日木曜日

「今年もやります」の気力をかきだして写真展

 どんな一年にしようかと気を入れる元気は、とうに過去の話になった。とはいえ、なにかとあれこれの失敗はあるし、なおかつ増えてくるのだから、気力を軽く見ているようでは何がどうなるか心配ばかりが先行する。新しいことをするのは大変だからなるべく避けるとしても、自分が背負っている「仕事と課題」は「どっこいしょ」の気力を奮い立たせなくちゃしかたがない。

 今月の25日から立川で、写真展をやる予定で昨年から会メンバーで「どっこいしょ」と立ち上がっている。写真の選択に始まって、展示会のレイアウト、DM作りと発送、会場セットなどなど。やはり高齢者が多いし、撮影することから出品するまでの作業はなかなかすっとはいかないところがある。ここまできて全員が展示作品を出せることになったということで、ともかくも役員さんの努力には頭が下がる。

 一人で展示会をやるのは容易でないところ、皆の力でやりあげるのは、なにより撮った作品の発表としての場をもてることで、なにより貴重でうれしい。撮ってから発表までの過程はジグザクで、自分の未熟さも振り返ることになる。必ずしも満足感が先行することにはならないけれども、展示会が「区切りとまとまり」の場になる。お仕舞ではない「区切り」になって、次の撮影の始まりにつながるということでの催しになる。一年の最初の催しで、旨くいくといいなと思う。





2023年1月5日木曜日

換気寒急ぎ飛び込む一番湯

 明けて早くも5日になった。正月は家族で旅に行くことにしている。年寄が他界してからは残りの家族が会する唯一のとき。遠くにいるわけではないが、やっぱり顔を合わせるのがいい。一年で学んだこと、身についたホコリもそれとなく伝え合うのが面白い。きっとこれが毎日のことだと全く違ったことになる。

 一昨年前に来ている温泉なのに、今回は以前より寒さを感じた。うっすらと雪が舞うところは前回と違うし、浴場の換気が強めにしてあるのがそれを感じさせるのか、加えて自分の身体の変化によることもあるのだろうか。気持ちぬるめの温泉で十分温まってあがっても、2時間もたつと部屋の換気に寒さを感じる。食事の前には温泉に二回入って暖まってから臨むことにした。

 体調と相談してアルコールはいつもの半分以下、中瓶ビール2本でも息子と二人で残してしまうほどだった。せっかくのごちそうは、思い切って一部残すということにした。一回はブログを書き込もうと、パソコンを持って行ったのに、集中してできなかった。新聞と本をじっくり読んで正月の裕福な時間を楽しむことはできたので、まあまあ良い正月になったとしておこう。年賀はがきは今回も自製でやったけれども、文字が読みにくかった。何回か文字色を変えてみたがどうもよくならなかった。編集ソフトでできないはずはないと思うので今年の課題になった。

年賀状、文字は黄色にしたけど…


鴨南蛮は美味しかった


蕎麦を待つ間、スマホ撮影の練習


蕎麦屋さんにあった木、猫柳のような芽がおもしろい


料理を食べてしまったので仕方なく工作




2022年12月30日金曜日

迷惑メールの利用もありなのか

 アマゾンの「迷惑メール」を避けるために、yahooメールのアドレスを変更した。変更すると旧アドレス宛てのメールが記録に残される。選択で一か月間は旧アドレスのメールも受信することがきるので、ヤフーのアカウントを削除するよりも良さそうだと考えた。一定のグループをyahooメールとして利用しているので、発信元に通知しなくてはならない。

 こんなことになったのはアマゾンの「迷惑メール」のおかげだった。アマゾンを利用していて、「プレミアム」とか「注文」の扱いなどでちょっと問題を感じて、アカウントを削除した。削除する前も「カードの登録」をしろなどと、メールがしょっちゅう届いた。ところがアカウントを削除したのにまだ送っていくる。その内容は「対応しない場合は24時間後に削除する」というものだ。やってくれればいいのにと、しばらく放っておいた。それが止まずに一日3回も届くようになった。いやがらせかよと思うくらいに。

 これまでの各発信元に、Yahooでない別のアドレスへの変更を連絡・登録をしたところで、アマゾンのカスタマセンターに電話か掛けた。返答は「迷惑メールはyahooに言ってくれ。迷惑メールでAmazonも迷惑を被っている。それならアマゾンが追及すべきではないかと言うと、やっているけど言うわけにはいかない。」と埒が明かない。ところが、その電話の翌日以降「迷惑メール」がピタリと止んだ。これってなんだ?散々送ってくる「迷惑メール」はアマゾンの管理下にあるのか?AIによる「察知」?アマゾンが「迷惑メール」を利用しているという図式が見えるようで、悩ましい問題だ。



2022年12月26日月曜日

自宅時間の自習効果も大なるものがあるという強弁

 体調が悪かった最中、腹痛で眠ることができなくて、寝ていられず立ちあがったり座ったり、テレビをつけたり消したりじっとすることなく、痛みが停まることを念じて過ごしていた。一週間後に検査を受け原因がわかって、薬の効果もあって腸が動き出してからは気持ちも楽になった。あとの静養モードまでの間で、新しく体験できたこともあった。無駄ばかりでなかったとやや強弁に自己満足をしている。

 普段はテレビの報道があまりに政権に忖度したニュースが多くて、「消してやりたい」とチャンネルを切り替えることがよくあった。見ることがない深夜テレビには、よい番組もあると今更感じた。MHKのニュース報道は全くひどいものであるのに、ほかの時間帯には「戦争批判・体験」を取り上げた番組もあるし、再放送だけれど「自然」を題材にした日本の風土を感じさせてくれる映像もある。海外の映画もある。でもそれでは、眠れない「体調」状態でなければ目に触れることがない。

 NHKには視聴料金を払っているし、民放へは長々としたコマーシャルに付き合っているのだから、不届きなことだ言いたい。日中の時間帯に、なにか無理やり「面白さと軽さ」を主題にした味気の少ない番組が目立つ。そんな中に綴じこんでほしいものだ。

 薬を飲んだ副作用からか味覚が少し悪くなっていた。薬を飲まなくなって収まったころ、コンビニ食品の「まずさ」を自覚した。塩味が主で「美味しさ」はさておかれているように感じた。改めて家庭料理の大切さを再確認することになった。

 スマホの文書作りに「音声」を使うと便利そうだとわかった。若者たちなど慣れている人は先刻承知のことだろうけど、こそばゆくてほとんど使ったことはなかった。試してみた範囲ではそんなに便利だとは思えない(間違った認識による修正はどうするのだろう)。音声認識は身体が動けなくなったとき効果を発揮するのかな?

 日記の書き込みをするときにGoogleドキュメントを使っている。このときには文字列におかしな文言があるときに「指摘」してくれる。これまでは自己流の文章で、接続詞を使わないでいることもよくある。文章の終了時に「連体止め」みたいに切ってしまうことがままあって、他人が見ないのをいいことにして、文章としては乱れたものになってしまう。そこでアプリの「入力ミス?修正候補」をいったん確認してみることにした。なるほどそれなりに、「修正候補」が良い場合がある。

 そんなことも今回のリハビリ時間中に体験していた。有料の計画も含めいくつかの予定をキャンセルして、ただ寝転がっているだけではもったいない。逆にいえばこれしきのことに触れられなかった日常が、ちょっとおかしかったのかとも思う。自分の思考を交えた組み立てにするためには、すこし対応する物事を減らして、「ユッタリズム」でいくべきかなどと考えている。

2022年12月22日木曜日

閉じこもって大作業

 一週間の飢餓状態から脱して、元に戻ってきた。元に戻ると言っても元がどの程度なのか、ちょっとわからない。目は乾くしすぐにボ~っとするし。成り行きによってはずずっと「元」よりは下方に落ちることになったのかもしれない。ちょっと歩くと疲労感がでてくるので、まだ体力が回復していないのだろう。身体を動かすことに気を使い、家の中でもあれこれの作業をしている。頭を動かすのも大事だろうと、身の回りの「改善」に取り組んでいる。

 このところ働いた「仕事」

・写真ゼミの例会のために写真プリントしたが、オンライン例会のため空振り

・オンラインのための写真を抽出事前送信

・友人にメールを打つが、キーボードに文字をちゃんと打ち込めない。

・パソコンモニターの電源が時々ダウンする 接触を確認しなくちゃいけないがすぐには無理 コネクタがはずれていたのが判明

・パソコンラックのライトの向きを調整 「調整ネジ」を発見!これまでわからなかった しっかり治った!

・ウェブカメラの位置を修正したが、取り付けはいまいち

・毎年作っている写真カレンダーを編集、送信したが、品物は遅れそう

・福島で撮った太陽光発電施設が大規模で驚いた 問題を持っていることNETでみる全国で問題になっている

・引き出しのレイアウト器が汚れているので新規に購入 即入れ替え

・パソコンの画面、ズームの機能がおかしい windows更新でなにかやってくれたな

・不要な写真を選別廃棄、二回やって半分くらいになったか

・娘が撮った写真をパソコンのどこに置いたかわからなくなって、散々探した ファイルの整理はうまくやらないと大変だ なんでもとって置くのでファイルの断捨離も必要だ

・写真用紙とインクを補充発注

・「4000歩コース」を歩く 終わりころしんどくなった

・移動コースを記録する「ガーミン」が不調のままなので廃棄

・湯沸し器が不調、牛乳の温めが良くなかったのか 掃除して窓際で乾燥

・アマゾンの「迷惑メール」?が止まらない アカウントは削除したのに異常を発見したとかで、送信してくる メールアドレス YahooIDを削除するかアドレスを変えるか考え中

 新潟の方はものすごい雪だ。我が身はぬくぬくとアンカと暖房機をつけてリハビリ。寒くても我慢するという気力は今はない。やることがたくさんあることは大筋よいことだと思っておかなくては。

今月はまだ写真を撮っていない



2022年12月14日水曜日

「後医は名医」ということわざ

 専門医がレントゲンを見て、ガスはたまっているものの、食事をとっていないために出ないのだろうとのことだった。腹痛の原因が便秘だろうと勝手に解釈して(とはいえ前医者の診察の上でのこと)7日間の絶食をすることになって、栄養失調状態の我が身があとに祟っている。餓鬼というけどまさに精神に異常が来たのかと思うほどだった。3人目の医師で、結石ができているということが分かり、紹介された4人目の専門医で診察、痛み止めと尿を出す薬、痛み止めを処方されて、ともかく気持ちがかるくなった。

~4人の先生に診断を受けた

腹痛→①ノロウィルス?→下痢止め・感染症・胃炎薬→②整腸剤・胃酸中和薬→③検査・スキャン、結石あり・専門医紹介のうえ入院の可能性・下剤処方→④結石画像診断・膀胱近くにあり、小さめなので入院なし投薬でやることに 感染症、鎮痛薬、尿促進薬

 4人目の専門医の先生に、診断のときに自分の説明が悪くて原因にたどり着かなかったのですかねと話すと、「後医は名医」ということわざがあるのだと言って、最初に診察した医師(前医)よりも、あとから診察した医師(後医)の方が正しい診断を下す可能性が高いということですと、若い先生いながら「前医」をかばっていた。今回は「検査」がされなかったことですねと言い、確かにそう思える経過を思い返した。そうすると救急車を依頼した方が、早く原因が分かったのかもしれない。





2022年12月11日日曜日

腹痛かかえて医者周り

 9時にパソコンを立ち上げた。手元に「おつまみ類」をおいて、ポリポリかじりながら、まず日記を書き始める。ブログを書こうと思ってから3、4日がたった。メールチェックなど軽くやるのはいいが、メールを打つとなると集中できなくて大変。キーボードの文字をちゃんと打ち込めない。間違えてもその場でチェックできない。指示する方の司令部が痛んでいるらしい。

 1日に始まった腹痛が続いて、救急車を呼ぼうかと思ったほどだった。朝までこらえて近くの胃腸科に行って処方してもらった。ところが全然改善しない。絶食状態で薬だけのんでいた。2日、別の2番目の診察でも、便を「出す」処方だった。結果として「検査」までいかず、7日に3番目の担当医で検査にたどり着いた。結石があるということだった。入院を考えるということになったが、専門医のいる病院を紹介してもらって再度の診断をしてもらうことになった。その足で病院に向かい診察を受けた。結石は小さいもの(4.4ミリ)で、流し出せるということで、「水分と食事を十分にとる」ことになった。

病院をでて、ようやく外の景色が目に入ってきた。



 

2022年11月30日水曜日

観音沼森林公園の紅葉がすばらしい

 新甲子温泉を出て、最終日の行程をスマホで探してみる。旅はいつも「蕎麦処」に寄ることが、楽しみのひとつとしてかかせない。最終日も両方をにらんでルートを決めた。いつもそれが近くのところで見つけられるのは、つまり蕎麦屋さんもそうしたところを立地条件にして店を開いているせいだろう。

 グーグル地図を眺めて見当をつけ、峠を超えて少し降りた当たりがどうだろうと、山勘できめていくと観音沼森林公園というところだった。大きな公園だった。人は少なくて、ゆったりと沼を回った。太陽が気持ちよく差し込んで、おまけに白い雲まで浮かんで「写真映え」する状態で、撮影が心地よくできた。最近は天気が悪い時でも撮影するようになったが、やはり天気が良いほうが色合い良く出るので、満足感がちょっと違う。紅葉の旬のときが撮れて感謝。

 









2022年11月27日日曜日

イワナの産卵行動をみた

肘折温泉を出て福島へ向かう。新庄まで東京から高速道路がつながったので、福島まで造作なくいくものと思っていたら、米沢を過ぎて道路工事があると専用道路を出されてしまった。その下道が混んでいて結構時間がかかった。

紅葉の良いところをと探しながら、結局中ノ沢温泉の奥にある達沢の滝へ行ってみることにした。駐車場から沢沿いの道が滝下まで続いているし、道も広いので足元の心配もない。人は多くなくて撮影に苦労することはなかった。

 滝の少し手前で、思いがけず岩魚の産卵行動を見た。産卵は人気のない渓流でするものと思っていたので、とても意外なことだった。人が歩く道の直下で、産卵をしようと雄が産卵を促し、メスが川底を掘るという動作を繰り返していた。

 浅い流れで鳥やら獣に襲われる危険が高い。種族を残すためには、危険があってもチャンスを生かすということなのだろう。産卵まで見ようとしたが、時間がかかって膝への負担もかかって、しゃがんでいられないので、やむなく諦めた。まず見ることはないだろう産卵行動をみて、なにかいいことがあるかもと勝手な解釈をした。











2022年11月25日金曜日

墓参の功徳、山形の紅葉

 天童で高速道路を下りて、スマホで検索した目当てのソバ屋に行くと、先客がたくさん並んでいる。そこは諦めて近くのラーメン屋に入る。これが結構おいしい味噌ラーメンだった。新庄でいつも寄って花やら供えものを購入するスーパーに行こうと思ったところ、途中で新しい「ヨークベニマル」を発見。墓参物資を購入して墓へ行く。墓には燃え残った線香が少し散らばっていた。今回は去年より少し見栄えの良い花を添えた。

 時間が遅くなってきたので、墓参りは明日にしようかと迷った。チェックインの前に立ち寄っているカルデラ温泉館が、4時までだったことを娘が思い出した。温泉が先行ではまた怒って、悪さ(おばあちゃんのいたずら)をするかと笑いながら、墓に先に行くことにした。墓参りが終わると雨が降ってきて「やっぱりばあちゃんの仕業か」と、墓参のときに起こる不思議に笑った。

 旅館から「旅割り」を適用すると事前に電話があったが、娘は不適用だとのことだった。娘は念のためにPCR検査を受けてきたのでその結果を旅館で伝えた。ワクチンの接種結果よりは、直前の検査の方が、信頼度は高いはずなので、娘の検査結果があることを説明すると、適用できるということだった。

旅館をチェックアウトして寄り道








 

2022年11月21日月曜日

明治神宮のイチョウ見物多賑わい

 息子の能を見に行くついでに明治神宮のイチョウを撮りに行った。今年これまで3回目の撮影と見物だった。今頃になるとテレビで必ず取り上げられるので、特に行くことはなかった。再開発で外苑の木を切ってしまうだとか、高層ビルを建てるのだとかとの話を聞いて、今更ながら出かけてみている。

 実に立派なイチョウが並んで、風物詩としても文化的価値も高いものだろうと感心する。これを改変するというのはなんたることか。ただでさえ少ない公園を、たとえちょっぴりであってもなくしてほしくない。イチョウのそばに壁を作ったら…、壁の土台で根っこは大丈夫か…、建物による熱や風でどんな影響を受けるのか…素人が考えても疑問が湧く。

 モーニングショーで、車で乗り付けた人が一時駐車をして、スマホで写真を撮る場面を放映していた。警察が車を動かすようにパトカーで説得している。でもだから考えたいのは、都市部でそういう場が圧倒的に少ないということだし、「車社会」の有様にも手が打たれるべきと思う。








2022年11月18日金曜日

島を削ってどこへいく土砂

 呉の島をめぐっている途中に見た山を削っている現場は、こんなところまでかというショッキングな風景だった。自然環境を壊しているという、どこにでもある見慣れたものではあった。じっくりと歴史をつないできた島の時間の流れに、「都市再開発」の強引で横暴な牙が爪を立てている…と見えた。かつては瀬戸内海の砂を採ってはならないという反省もあった。そしたら山か?

 風景が損なわれていることが地球温暖化を加速させる方になっているのではまずい。日本の経済成長の悪しき有様がここにもあった。経済成長を金科玉条にして、株価の心配をすることばかりでは、持続的な社会を望むのは無理だろう。歴史的遺産、今あるものは大事に残してほしい。その時代に興隆した文化を振り返り、次の時代を慮ることを忘れてはいけないと思う。

 「改変」が、さることのにためにするのであっては「破壊」にもつながる。呉の旅、ほんの一部を周っただけだったが、これだけの「歴史的遺産」が残っていて、触れることができたのは価値のあることだった。いくつか見残したこともあったので、機会があればもう一度行ってみたい。






2022年11月15日火曜日

下蒲刈島から先、大崎下島に江戸時代の足跡があった4-4

 島は港から発展した足跡が残されている。江戸時代に交易で船が活躍していた。「地乗り」と「沖乗り」という航法の違いが島にやや異なった港町形成になった風でもある。当地に行ってから分かったことなので、あらかじめ分かっていればその点も考えてみて周ることもできたかもしれない。なにせ盛りだくさんの「見て歩き撮影」なので余裕がなかった。

観光パンフから~~~

「地乗り」とは、中世以来の航法で、山などを目標として沿岸部を航行するものである。昼間航行が原則で、目的地までは相当の日数を要した。鞆(とも)・田島・尾道・瀬戸田・忠海・竹原・三之瀬(さんのせ)・倉橋島・宮島はその当時から発展した港である。近世、「沖乗り」が出現すると、御手洗・鹿老渡(かろうと)など新しい港が台頭してきた。

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 「三之瀬」が「地乗り」の港で、本土に近い場所に位置した。ここは鞆の浦と同じように北前船の寄港地だった。そこは観光地として整備されている様子だったので、通り過ぎてしまった。御手洗港はこの4島目大崎下島にある。ここが「沖乗り」で発展した港町とのこと。江戸時代には盛んに交流がされたので、航海術の向上でより遠方からの物資や人の往来によって、経済もより発展したのだろうと想像される。

 乙女座は1937年(昭和12年)に建てられた劇場で、戦後から1960年代までは映画館として使われた。その後ミカンの選果場になり2002年に元のように復原されたとのこと。とても立派なもので、現在も大衆演劇、能、舞踊、漫才などの公演、無声映画の上映などイベントに活用されている。

 御手洗には江戸時代に4件の遊郭があったそうで、そのうち1軒だけ建物が残っていた。中に働き手の手形の痕跡などがあるとのことだったので、見たいものだと思ったが、現在は中には入ることができなくなっていて残念だった。

 港が開かれることで町(村)が発展していく歴史を、目の当たりに実感してこの旅の充実感が高まった。旅が終わった後も、NETを検索しながら情報を重ねて思いだし、味わっている。





遊郭 若胡子(わかえびす)





櫛とそろばんを売っている

乙女座