2024年1月19日金曜日

政治の激震は…激震にはならないのか

 ツイッターでハッシュタグ♯をつけて「検察しごとしろ」という投稿が広がっている。敷居を下げても、起訴に持ち込むということができないのかという論調もでていたから、そう考える人は多かっただろうと思う。派閥解消というルールを自ら作りながらご破算にしてきたことも、信頼できない対象だし選挙に金がかかるとの公然とした主張にも驚く。それならやめればと反論できる。実際政党によっては、自前で選挙をやっているところはある。金と利益誘導でするのが選挙ではない。政治献金と税金からの政党補助金、そのうえの金集めパーティー、裏金キャッシュバックで泥に染まった政治はもういい加減にしてもらいたい。

 経団連の戸倉会長が原発再稼働と関西万博を勧めようと熱心に動き回っていることが報道で分かる。世論に逆らって「経済成長」のために頑張っているということになるのだろうか。経団連は政治の不祥事にはなにも言わない。当たり前と言えば当たり前だが、だから経済界の要求に沿う政治に「金」をながすのもそうだし、国民の苦難は後景にしても、企業のためになることはなんでもごり押しするといういやらしい態度だ。

 ここにきて甘い検察の追求で、派閥の解消という問題を焦点にした「すり替え」が横行している。派閥を解消したからと言って、またぞろ時間がたったら元に戻るだろうなと誰でも思うし、できるなら派閥よりは政党の解散の方が気分ではすっきりしていい。だいたい裏金と表される「悪事」の事実は、ちっとも反省する態度にはなっていない。支持率を見ながら動き回るだけのさもしさ。

 「3人集まれば派閥ができる」とかいうもっともらしいことを、哲学めいていうのは不届きだ。政党内の民主主義は難しくてわからない点もあるが、少なくとも一致した態度でないと信頼度は下がる。何でも言える民主主義というけれど、政党の論戦では皆同じ見解でなくて、黒と白の真逆の見解を突き付けられたら、突き付けられた方が評価に困る。それだけで論争にスキができてしまう。この政治に対抗するのは野党なのに、対抗すべき体制ができない。まさにどろどろの政治になってしまった。この間、政治資金規正法と政党助成金の問題がテレビでも取り上げられてきた。これらを正す絶好のチャンスだと思うけど。

2024年1月12日金曜日

能登地震の報道を見ながらため息ばかり

 秋田県知事が能登地震への自衛隊派遣が遅いし少ないじゃないかと言っている。ずっとテレビ報道を見ながら、そういう感じがしている。NETでは「山がちな能登半島の場合、道路が寸断され、海面が隆起して港湾が使えなければ、陸路も海路もそう簡単には使えず、部隊を大規模に展開する平地も少ないという事情から、同時に大人数を投入することが困難であった事情は斟酌されるべき」といった言い訳派の意見もでている。

 柏崎原発の早期稼働をせまる経団連の意向があって、被害の状況を少なく見せたい→大騒ぎしないようにしろという意志が働いているとの意見もある。

 初動が遅れあとから派遣人数を何段かで増やしていったのは、熊本や東日本震災の時と違った「事情」があったのには違いないが、47億円という予算問題も含めて「検証」しなくてはいけないような気がする。志賀原発は停止中であっても外部電源喪失、油漏れなど問題のある状況があった。再稼働に向かうためにはマイナス要素には違いない。またぞろ「隠し」策でやるのは常套手段なので、疑いの目を向けざるを得ない。

 冒頭で言っている「山がちな能登半島で道路が寸断」の状況は、福島の事故のようなことが起きたら避難道路は使えないということをはっきりさせた。でもだからこその早期の対応が考えられるべきで、2日には時事通信社のヘリコプターが飛んで状況把握ができていたはずで、立ち上がりはできたのではないかという気がするし、能登空港は使えなかったのか?とも思う。

 この主張(JBpress)は「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」というタイトルであからさまに、意図を語っている。能登は地震が始終起きていたのに、その備え「食糧、トイレ、水、生活必需品の備蓄、緊急時場合の対策」などができていたのだろうか。報道を見る限りではそれはない。つましい暮らしをしている地域の負担としては難しいと思うが、国家予算から手当てをしても対策が取られるべきことではないか。活断層のある場で生活しているのは、これまでの時間軸の中での結果であって、その責任を取れというわけにはいかないだろう。高齢者が50%以上という社会は、生産性がないから切り捨ての対象なのか? 

「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」

2024年1月8日月曜日

新年が新年にならない出来事が起きて

 受け止めきれないことが早々に起きて、頭で整理しきらない。でも否定的な出来事は自分の頭から除外するのが軽くすることにはなる。そうできるか?と問われてできる人間はいる?いるかもしれない。いやなことは忘れるに限るし、それよりましな楽しみに突っ込んだ方がいい。ただそれを引いて良しとすれば社会は絶望状態になる。己も絶望社会に身を置くことになる。

 今年はどういう年にしようかと考えるゆとりもなく、能登の地震が起きた。能登には先輩に連れられて4回写真撮影に行った。輪島の朝市にもお邪魔して写させてもらった。先輩は前回撮った朝市の人たちの写真プリントを渡して、撮影させてもらった「お礼」を表していた。おばちゃんたちが優しい顔をしているのはそのせいだろう。魚を下ろしている写真は、タラを下ろしているところで、写真をもらったお礼にと、刺身にタラコを混ぜて「帰りの列車で食え」といただいた。これが絶品だった。

 住まいからリアカーを引いて市場まで行くが、住まいのほうは焼失したところではないかと思う。ともかくなんとか無事でいてほしいと祈るのみ。撮ったものが「記録写真」になってしまうなんて御免だ。












2024年1月1日月曜日

年が明けてまた来る艱難辛苦

 去年のブログのタネ=テーマとしてメモしておいたものが残っていて、片付け様がなくて困っている。別に消してしまっても、だあれも困らないのに根っからのケチなせいで、メモが所在無げに残っている。ブログの下書きに思いつきがあった都度書いているのが、ホコリのようにたまっている。タネは発芽させないと実らないのだけど、結局自分の手にかかることだけで可能になる以外は、結局そのまま手抜きになるものだから、顧みることがあまりなく育つことはない。

 文章はあれこれ考えをまとめて、不足の知恵を調べて何回か見直しして、時間をかけてできあがったのちブログに掲載する。金はかからなくても、それなりの労はある。たまったテーマが、大掃除に間に合わなかったので、メモに少しだけコメントをつけてお茶を濁すことにした。

 □金の行く末 電子マネー

 ポイント攻勢がすさまじい。スマホに取り込んでいるが、クレジットだの電子マネーだの、なんとかPayだのと、やかましい程だ。それにお店では現金決済するのに肩身が狭い感じになってきた。10円玉で小遣いをもらった決済はもはや死語か。

□へたくそな片付けは自分の脳のせいか

 パソコンだと「削除」ができて、それゆえせっかくのファイルもうっかり消してしまうこともある。断捨離が指先の削除で片づけられることではいいのだが、なにを片すのかは自分の脳以外に判断はつかない。ともかく「取っておく」ことになってついつい溜まってしまう。(なにせ、忘れてしまうのだから)。

人生終局なのだから自分以外(つまり関係他人=家族)の手をわずらわせることになるのだろうか。

□用件を文字で書く革命

リハビリのときにもらう領収書の裏側に文字を書き込める。A5サイズだかまあまあのメモ用紙としてよい。なんの気なしに太くて真っ黒なボールペンで書き込んでみた。それがなんとなく新鮮だった。最近メモのほとんどをスマホとパソコンに頼っているので、文字を書くことがない。それどころか音声で書き込むこともできる。ところがそのメモを、いったいパソコンのどこのファイルにしまったのかを忘れてしまうことだってある。A5領収書の裏に書き込んで、掲示板に挟んでぶら下げたら、とても新鮮で記憶を呼び覚ますのにも悪くない。もっとも以前はそうやっていたものだったけど。

 

長くなるのでとりあえず停止。

2023年12月27日水曜日

呉で味わった牡蠣料理

 呉旅の夕食(もちろんアルコール付き)で、オコゼ丸かじりは貴重な体験だった。もう一日の宴は「かき舟」という舟。船と言っていっても呉駅の脇を流れる堺川に船が固定されている。かつて牡蠣船は5艘あったものが現在はひとつだけ。

 「かき舟」店で牡蠣、刺身を中心に漬け物までをつまみに頼んだら、どれもがおいしくて堪能した。翌日にまた来ようかと、二人で賄いをしている店主さんにお願いしいて予約しようとしたら、「休む予定なんです」といいながら相談している様子。女将さんは東京立川に30年くらい前に住んでいたとのことで、「せっかくなのに申し訳ない」と話されて、思わず「いや休んでください。また来ますから」と合わせてしまった。

 本当に口に合った料理で値段も高くなかったので、機会があればまた行きたいという気になったが、さて可能かな。店主さんは以前東京の立川に住んでいたとのことだった。






2023年12月24日日曜日

ダイアルロック解除!

 呉の旅にはスーツケースをもってでかけた。海外ではないのでダイアルロックはつかわずに、家に戻ってから使用法を再確認した。空ロックがかかったままで数字が回転してしまって開錠ができず、ジッパーが掛けられな状態になっていた。購入時にナンバーを設定したのに、その数字の組み合わせを忘れてしまったらしい。メーカーのサイトを検索して、対処方法を調べたみた結果、三桁のダイヤル組み合わせを、1000回やってみろという対処法だった。やむなく「999」から「998→997」と一つずつ試してみた。結果「888」の組み合わせたところで、ロックがめでたく開錠した。その瞬間、「ハハハ」のゴロ合わせで決めたことを思い出した。旅の終わりはハハハでめでたくお開きとなった。



2023年12月22日金曜日

呉市立港町小学校の円形校舎を撮った最終日

 円形校舎は敗戦後の時期に全国で100校くらい建設された。敗戦後教育基本法、学校教育法制定下、制度的前身がない中学校は施設が不足のため、急増された。文部省が建築学会に学校建築の標準化を依頼して、東京都建築局が建築モデル指定した新宿区西戸山小学校などの設計に採用された(1950年<昭和25年>)。

 大成建設の設計技師だった坂本鹿名夫氏がかかわり、のちに独立して、全国の円形校舎建設に貢献した。しかしベビーブームに対応する増改築に適合しないことで、60年代後半には建設されなくなった。2010年代前半には約30棟が残存という状態になった(ウィキペディア)。円形小学校は貴重な「遺産」となった。この小学校は建て替えになるとのこと。学校にお願いして「外からなら」という条件で校内に入らせていただいた。来年の建て替えの時期に公開するチャンスが来るかもしれないと友人が言う。そのとき中を撮りたいものと思うけど、さて…。













2023年12月20日水曜日

雨模様の紅葉は素晴らしかった野呂高原

 呉市の背中のような野呂高原は、海側にむかっている展望台が素晴らしい眺めだった。雨と霧ががかって、ちょっと幻想的な紅葉が撮れた。友人の案内が見事に当たった。当日は旅行の最終日で、「円形校舎」を撮りに行くことになっており、生徒たちが下校した後にとのことで、その間の時間をゆったりと歩きまわった。












2023年12月15日金曜日

由緒ありそうな建物でも情報たらず残念

 御手洗の北西にある集落(豊町大長)に車で入ったものの、道が狭くて結局折り返すハメに。グーグル地図で「飛騨家住宅主屋」を見つけて行ってみた。奥まったところにようやく見つけた家は、明治時代の建物に出てくるような古めかしいいもので、ピアノの音が聞こえていて、映画の八墓村の場面に出てきそうな雰囲気だった。その一帯が飛騨家の建物群となっているようで、歴史を事前にちゃんと調べたら、またすごいものに触れられたかもしれないと思った。ほんの僅かな雰囲気を味わっただけでちょっと残念だった。集落は「ミカン」が主要な生活の糧となっているらしく、海岸近くに「みかんメッセージ館」がデンと構えていた。経済を声高に言ってもトリクルダウンといわれても、アンマッチの虚しい響きかなとここで思った。











2023年12月13日水曜日

琉球との交流の痕跡が

 呉市街から東に向かって→下蒲刈→豊島の島々を渡って大崎下島に。北前船の停泊地だった御手洗へ。港を含む周辺が豊町大長。御手洗には庄屋、お茶屋(遊郭)などの建物が保存されている。今回は満舟寺へ。寺は荒れて寂しい感があったものの、石垣がなんとも端正で美しく印象に残った。「琉球の使節が18回江戸上りをしたときに、度々立ち寄った」と記されています。「使者たちは職掌に優れた学問・詩歌・芸能など文化放免においても当代一流の実力者や教養の豊かな人物が選ばれたことが推測されます」とのことで、「この湊と、果てしなく続く群青の海、琉球とのより深からん絆をいつまでも語りたいものです。」と交流の深かった様子が看板に記されていた。