2014年9月7日日曜日

東京大改造で得られるものは

2020年オリンピック招致が旗振り役で、東京の「再開発」計画がすごい勢いだ。都市開発はこれまでも、官民がかりですすめられてきた。旧来の住宅地をつぶして、ビルを大量に建造して「ニギワイ」のある街を造ってきた。身近な所でも、その改造はとどまるところなく、次々と新しいものができあがった。しかし、その結果が働くものと住民からの目として見た場合に、すなおに喜べることになったのかどうかは疑わしい。

一勤労者として、はたまた住民としてその成果を受けたことに思い当たることは、どれだけあるか。高層ビルの上から、はるか下を見下ろす快感を味わいながらビールを飲む瞬間に、「おお」とその気分を表すことくらいはあっても、先を争う通勤時間帯や周囲が敵と見紛うような人の交差。昼食は休憩時間にはならない食糧の確保の苦労。住地域の商店はスーパーに凌駕されて、開店時間を延ばして生き残るか、シャッターを閉じる選択しかないかのような始末。静かだった住宅地も、マンションの建設や事務所の増加で地域のゴミ収集にも物議がおこる。そういう風情はなかなか文学にもならないようで情けない。

ケンプラッツ「東京大改造」(日経BP社のHPで会員登録が必要…無料)からコピペした東京の開発の動きだが、昨年9月のオリンピック招致決定以降でも、驚くほどの開発計画が予定されている。これだけの莫大な資本投下のあとにくるものは何だろう。バブルがはじけた後の…記憶は残っている。

神田川に桟橋現る、御茶ノ水駅の改良工事が始動
2013/09/10

上野がゆるりと近代化、下町にも再開発の波
2013/09/26

リニア駅周辺で始動する大規模プロジェクト
2013/09/30東海旅客鉄道(JR東海)が2027年の完成を目指すリニア中央新幹線について、詳細な駅の位置やルートを明らかにした。既に、リニア駅の周辺では複数のプロジェクトが始動している。それらについて解説する。リニア中央新幹線の詳細については既報「リニア詳細、全ルート・6駅の位置が明らかに」を参照してほしい。

田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ
2013/11/25
 

東北縦貫線は「上野東京ライン」、14年度末開業
2013/12/09

西武新宿線でも連続立体化が始まった
2013/12/24
 
どうなる横浜駅大改造、西口はJRに一本化
2014/01/17
 
街との共栄目指すJR高架下施設が開業
2014/02/04
JR中央線東小金井駅(東京都小金井市)付近の高架下に、商業施設「nonowa(ののわ)東小金井」が開業した。施設の延べ面積は4600m2、うち店舗面積は2400m2で、飲食や雑貨店など21のテナントが入居する。周辺の商店街と協議を重ね、地域への回遊を促す仕掛けを盛り込んだのが特徴だ。

横浜駅大改造を縮小、線路上空には建てない
2014/03/10
 
渋谷は地下もスゴくなる、クルマも自転車も
2014/03/24
 
JR渋谷駅が大移動、17日夜から準備工事
2014/04/16
                     
渋谷に「春の小川」は復活するか
2014/05/07
 
広がる池袋東口、エコミューゼに続き新ホールも
2014/05/20

6月に着工、渋谷駅の46階建て超高層
2014/05/27

品川新駅の衝撃、13haの巨大複合都市を創出
2014/06/03
 
品川新駅で湧く近未来の“湾岸”鉄道網
2014/06/18
 

新宿御苑かわしバイパス開通へ、計画から半世紀
2014/07/02
池袋と新宿、渋谷の3つの副都心をつなぐ明治通り。JR山手線の内側に沿って走る東京都内の幹線道路だ。慢性的な交通渋滞が問題となっているJR新宿駅の東側で、明治通りのバイパスをつくる工事が静かに進んでいる。
 当初の計画が決まったのは、今から約70年前。しかし、バイパスは開通することなく、長らく止まったままになっていた。希少な樹木の群落がある新宿御苑の敷地に道路が掛かる計画となっていたからだ。
 バイパスを整備する東京都は2005年、道路の構造を見直してこの群落を回避できるように計画を改めた。工事は10年からスタート。20年の東京五輪を前に、ようやく開通のめどがついた。
 
東京駅丸の内側に大広場、17年春に誕生
2014/07/04

飯田橋駅はカーブも勾配もきつかった!
2014/07/11
東日本旅客鉄道(JR東日本)が72日に飯田橋駅を改良すると発表。カーブしているホームを新宿方面に約200m移設して直線化し、西口駅舎も建て替えて駅前広場を整備する。

モノレール試乗で羽田空港の未来が見えた!
2014/07/18
 東京の浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールに17年ぶりに新車が登場。715日に報道関係者向けの試乗会があった。新車両は18日から定期運行を始める。首都高速道路が625日に羽田線の更新計画を発表、720日には空港船着場に定期航路が開通するなど、羽田空港を巡る動きが慌しい。モノレールに乗って空港に向かうと、羽田周辺の未来が見えてくる。
滑走路と駐機場を増設へ
 モノレール試乗会に先立つ78日、国土交通省の交通政策審議会が首都圏空港の機能強化について中間取りまとめを公表した。羽田空港については2020年開催の東京オリンピックの前後で、処理能力の’拡大へ向けて新滑走路を設置するなどの案を盛り込んだ。

ついに着工、渋谷大改造の全貌
2014/08/01
 「50年や100年に一度」といわれる規模で進む東京・渋谷駅周辺の再開発。シンボルとなる最も高い「渋谷駅街区東棟」の工事がいよいよ本格化する。731日に起工式が開かれた。東急東横線の地上線路跡地で進む再開発も含め、渋谷大改造の全貌を詳報する。
 
品川は大丸有と並ぶか、鍵は京急線の地平化
2014/08/05
 品川は大手町や丸の内、有楽町と並ぶ「国際交流拠点」となるか。東京都が717日に公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」から将来像を読み解く。

都が示したガイドライン案は、約630ヘクタールの広大なエリアを対象とする。都心最後の大規模土地利用転換を見据え、街づくりやインフラ整備の方向性を打ち出した。8月をめどに正式決定する。

御茶ノ水の線路脇で耐震工事が進行中
2014/08/19    
神田川の右岸に沿って設置されているJR東日本の御茶ノ水駅の周辺では、大規模な耐震補強工事が進行中だ。実施箇所は、神田川に掛かる水道橋と昌平橋の間の約1.2km

羽田空港アクセス線
2014/08/20
JR東日本は819日、羽田空港と都心を結ぶ新線「羽田空港アクセス線」を整備して東京・新宿・新木場の3駅方面と空港を直結する計画を明らかにした。新線は羽田空港新駅東京貨物ターミナルまでを結ぶ約6kmの地下ルートだ。

「オヤジの街」にシャンゼリゼは出現するか
2014/08/21
「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元の路上に2つのオープンカフェが誕生した。目指すのはパリのシャンゼリゼ通りだ。虎ノ門から新橋まで延びる環状2号線(新虎通り)沿道では街並み再生のルールが決定。昭和のオフィス街が大きく変わろうとしている。
 地上52階建て、高さ247mの超高層ビル「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元でもちょっとした変化があった。虎ノ門から新橋までを結ぶ「新虎通り」にオープンカフェが2店舗誕生したのだ。
 歩道上にパラソルを広げた両オープンカフェは、東京都が進める「東京シャンゼリゼプロジェクト」の第1号として設けられた。観光客のほか近隣のオフィス街や官庁街に勤める人々が気軽に立ち寄り、にぎわいを生んでいる。

「新東京」名乗るのは品川か新駅か
2014/08/27
東京の南のターミナルである品川駅は今後、リニア中央新幹線のホーム建設をはじめとする様々な計画が進み、東京駅に匹敵する拠点に生まれ変わる。リニア駅を新駅とみなせば、慣習に倣って「新東京」駅を名乗るところか。

品川は北もアツい、一足先に大変身
2014/09/03

リニア中央新幹線や新駅の開業計画で盛り上がる品川駅。その北隣では一足早く再開発が進んでいる。2000年以降、人口がおよそ3倍に膨らんだ東京・芝浦。最寄りとなるJR田町駅の東口北地区に生活の一大拠点が誕生する。かつての埠頭の街は今なお変化を続けている。



2014年9月3日水曜日

温暖化で抜き差しならない日常

O-157の感染源については、まだわかっていないことが多い。アメリカでは、牛肉・乳製品が最も多く(約51%)、それ以外ではサラダ(約19%)、人から人へ(約12%)、飲み水・プールの水など(約12%)、アップルサイダーとのこと。アメリカの食環境に入り込んでいるらしい。このところ日本では出てこないが、夏から初秋にかけて発生しやすいと。これも気温上昇による要因があるようだ。

温暖化による海水温上昇が沿岸漁業に与える影響も相当あるらしい。1990年以降日本海の定置網にかかる鰆が増加して、地球規模の気候変動との関係が報告されている。福岡県筑前海の鰆も、冬季に漁獲があるのだとか。獲れる魚が違っていることで、食文化にも影響を与えている。サンマの南下が遅れて、この時期北方の遠方へ行かないと獲れなくなっていることが増えた。エサの補給源である栄養塩が高温によって沈み込んだままの状態であることが影響しているのだろう。昨日のNHKの報道で、栽培漁業にもその影響があり、ヒラメの養殖では、水温が高いため死んでしまうヒラメがでてしまっているらしい。高水温でも生き残れるヒラメを、研究しているとか。いよいよ天然ものものからは遠ざかる事情だ。

ヒラメは韓国産とほぼ同等の「生産量」なっているから、競争もし烈だ。日本のヒラメを食するのはいつまで可能かというところまできた。加えて養殖では避けられない細菌性の病気対策も大きな問題だ。ヒラメのエドワジュラ症、ブリの連鎖球菌症、細菌性溶血性黄疸などあり、淡水魚でも有名なアユの冷水病、アマゴの細菌性腎臓病、ニジマスの連鎖球菌症等、自然界では問題にならないだろう病気が、養殖環境の中で伝染する。

人間の側が、自己都合で改変してしまった自然の環境のなかで、生き残っていかなければならない魚には残酷な話だ。
デング熱は東南アジア、中南米などで発生しているものであるのに、媒介する蚊が代々木公園に生息している。気温の上昇で熱帯に近くなっているということだろう。温暖化が外来生物の「国際化」にも及んでいる。いわば人間の世界が誘導している。長い時間をかけて生息環境になじんで変化してきた生物に、重大なストレスをあたえたままでいのか。





2014年8月31日日曜日

代々木ゼミ、受験生が少なくなったから縮小とは。

子供が少なくなったから、競争が無くなって、大学入学が容易になってきた。大学の定員割れが起きて、教育産業には打撃になっているとか。定員が少なくて、受験競争が激しくなる方が事業として成り立つわけだから、悪く言えば人の不幸につけこんで利益を上げる産業だ。親のスネかじった金を当て込むことで成り立ってきたのだから、理屈の上では良いことと言えるのだが…。代々木ゼミは大幅に縮小するそうだが、駅から5分以内の場所にゼミ校舎・施設設置しているので、廃校によって売ってしまうにしても地の利がいいから、需要が見込めるのだとか。その学生寮なども購入企業の宿舎として利用できるということまで想定していたという。これを持って「見通しのよい」優秀な事業者だったと評価する向きもある。

教育が私的事業者に依拠することは、教育に責任を持つ国や自治体の本来あるべき姿ではない。大学もいまや教育「事業」として、私企業から補助金を受けて研究開発の一体化へと走っている。産学協同はいかがなものかと言われてきたが、最近はほとんど聞こえない。しかし、いまや産学連携は「常識」のように闊歩している。教育が私企業の開発のための下請けになって、その研究に従事した学生が、ノウハウをもって企業に吸収される。それでいいのだろうか。大学の自由で豊かな研究、学習を歪ませていないだろうか。

公務員の場合も公務員専門学校がある。本来は事業者が企業業務の教育をするべきところ、就職前から自己の責任と金で、事前教育を身に着けさせるという可笑しげなことがまかりとおっている。新規採用者の教育にかかる費用が安くて済むという話だ。事業者にはやさしい制度が堂々と許されている。

―東海大学のソーラーカー開発に多くのスポンサーがー
  →東海大学木村研究室







2014年8月26日火曜日

自然を邪険に扱うこころ

自然とのかかわりから人間は抜けられない。であるのに自然に対して冷たい仕打ちばかりが目立つ。人間集団の運営は、自然に対しての考慮も配慮も先送りしている。もっとありていに言えば、事業活動優先の「ものみな」有意義な資源としてみているところに原因があると言えるのではないだろうか。

農業でもコメ作りを大規模化させて淘汰し、日本の一つの県ほどの面積が減反として切り捨て誘導され、「耕作放棄地」とその名も主体的にしたかのような文言で切り捨てた。写真に撮る「棚田百選」でも、美なる田んぼはもはやオーナー制度の観光農園としてしか生き残れないところもある。これが文化として残っていくのだとあれば、あまりに皮相すぎないか。

以前にも書いたが、佐渡のトキを増殖させるために、ドジョウが田んぼに生息する環境に回帰させる、つまり田んぼの昔の姿の戻すことに金をかける。「特別」の資金(税)を投入して。これを素直に、自然への配慮という評価するわけにはいかない。自然の体系が守られることが必要だと、気が付いたことは良しとしても。

経済成長の美辞句のもとに、事業活動の有効なグッズ=自然としてしか扱ってこなかったこと、その影響が様々な分野で問題を生じ、指弾を浴びるのは当然だ。これに気付くべきだということは声を大にしなければならないことだと思う。一刻も早く今からどれだけのことができるかを考えなくてはならない。

自然を大切なものとて考える団体も少なくない。なのに、市町村や国の機関はどれだけの施策を持っているのかを思う時、期待の大きさとの隔離を思わないではいられない。「資源」としての活用という範囲しか見ていないという、これがネックとしてあるといえないか。沿岸海域の魚貝類はおしなべて養殖したものが幅を利かせる。そのことを全部否定するわけにはいかないが、それほど海が疲弊化していることだと、しかたがないことに終わらせていいのか。




もともと自然の力は壮大なものがある。気仙沼市の唐桑町は3年前の津波被害で大きな打撃を受けた。
漁業従事者が生き死をかけた復活を試みて、皮肉なこと津波で変化した海岸にアサリが繁殖しているのを見て、復活にかける決意をした。15メートルもの防潮堤を造ってしまったらそれさえもなくしてしまうと、建設不要と言っているとのことだ。

津波にあって、海底の改変がおきたところでも、アマモの繁殖がすすんでいるのだということも明らかになった。しかもアマモは湾を跨いで流れていって繁殖するということだ。神奈川県の水産試験場が、東京湾にアマモを増殖させる努力を続けているが、自然の力とはそもそも凄いものだ。これをほとんど失くしてきたのが自然への「もてなし」だった。東京湾の三番瀬でもアサリが繁殖している。湾のほとんどの浅瀬を埋め尽くして造成してしまった今、この残された貴重な干潟にアサリが息づいている。その稚貝はかつては東京産として地方から求められていた。自己再生が不可能になった今、日本の各地でもアサリは種苗生産としての道を残すだけになってしまった。





2014年8月22日金曜日

開発と言う名の自然破壊になるのでは

 広島県の<土砂災害危険箇所>特別警戒区域の指定が遅れているという記事があった。

~「特別警戒区域」の指定は、320か所と全体の2・7%にとどまる。同課は「警戒区域の指定を先行させ、まずは住民に危険箇所を知ってもらうのが狙い」としているが、新築時の建築確認など規制や制約を伴うため、「地価下落や風評被害を心配する住民の反発を避けたい」との思いもあるという。
 特別警戒区域の指定も、住民の同意を得る必要はないが、県は「納得してもらった上で指定したい」と説明を尽くす方針だ。このため、警戒区域との同時指定を目指す、ある1市約20か所については調査から1年以上経過しているが、警戒区域に指定しておらず、特別警戒区域の指定にはさらに時間がかかりそうだ。~YOMIURI ONLINE  

 昨日のブログで指定に反対すると、行政側が指定しないと書いたが、広島県は「反発を避けるために納得してもらって…」というやり方をしていると、事実上反対があれば指定しないと述べている。住民にとって地価の下落を心配するというとが、本筋なのだろうか疑問だ。16年前に起きていることへの教訓はどうしたのだろうか。

 広島市の住宅開発は、丘陵地を利用したものを重点的に描いている。これが、広島西風都市という名の開発計画によるものらしい。土砂災害がひどかった安佐南区がこの都市開発に組み込まれている。
 ここは市街地の原爆ドームの前を流れる大田川の上流部が、婉曲して囲んだエリアになっている。被災地の広島市安佐南区、安佐北区の航空写真をみると、低い山のいたるところがおおきく掘削されて、住宅地として開発されているようだ。山頂付近の住宅の一群に単独の「丁目」がついているところさえある。こんな開発でいいのだろうか。

 グーグル地図→広島市安佐南区

 航空写真では、山や森の役割をほとんど無視しているように、「人のテリトリー」を拡大している。むりやり山を削って痛めつけ、ヒートアイランド現象を増大させること、このリアクションが今の破壊的な豪雨の元になっていると言えるのではないのか。人が住み続ける場所の造成は、本当は「山のエリア」ではないのか。ないがしろにしているツケ、そんな風にも思える。


ひろしま西風都市開発推進協議会→ひろしま西風新都




(昨日のブログで「京都」と記してしまった。他、不正確だった部分を訂正した。)




2014年8月20日水曜日

災害を自然のせいにしておくのは策略だろう

 土地値が下がるから、「特別警戒区域」指定に反対すると、行政側は指定することがでないのだそうだ。そんな馬鹿な話があるのかと思うが、京都市の地すべりではたくさんの犠牲者が出てしまった。平成11年にも30名上の犠牲者があったとのことだから、同じ轍を踏んでしまったことになる。広島市の消防担当者は対応の遅さと判断が遅かったことを反省する弁を述べていた。大島の土石流の被害でも自治体判断の責任の重みが言われた。身近な自治体の対応が大事なことには違いないが、この豪雨の予報もまだ的確なものと感じない。

 8月初めから11号台風の影響と合わせて、間欠的な豪雨が続いて四国地方を中心に被害を受けたが、さすがにこれまでの台風被害にたいする弾性をもっているのか、その割に大きな人的被害にはならなかった。このときたしかに「特別警報オンパレード」のように警鐘乱打したことが功を奏した面もあるのかとこの時思った。

しかし要は「温暖化」をまだ正面から見てない、というより見ようとしていないところに原因があるような気がしてならない。ここのところの雨の降りようは、なまじなものでない。「何年に一度の」だの「8月の降雨量を3時間で」などといってなんの意味があるのだろう。たくさん振ったものだからしかたがないと言う気かと皮肉りたくなる。

広島市の宅地開発は、山際までどころか傾斜部へ競りあがってまで住宅を造っている。テレビ画面を見ながら、すさまじい住宅の密集具合に驚いた。冒頭の開発事業者の発想とも思える「特別警戒区域」指定を蹴飛ばす安全とはいかなるものなのだろう。住宅地開発の際の安全性の調査は、その気になれば簡単にやれるものだったろう。アルプスの急峻な山というわけでないのだから余計にそう感じる。

当日夕方のニュースでは、すでに地層の種類まで言及されていた。わかっていながら、いわば結果として野放しにしてきた。調べた後の行政側のリードがあってこそ、安全を手に入れられるのではないか。おそらくどこにでもあるように、潜在している問題を掘り出しえないまま、開発容認の方向へすすんだのだろう。丹沢湖のキャンプ場の河川敷無許可使用の行政指導(6回やったと)といい、どうしてこうも事業者の「規制」に優しいのだろうか。


平和と安全を守るためにと戦後をひっくりかえすようなことに執心の政権だけれども、国民の生活の安全や平和な生活のために、さっさと手を付けるべきはここにもある。



2014年8月18日月曜日

戦争は犯罪でなくてはならないと思うとき

2年前のNHKビデオを見た。アッツ島の「玉砕」で2600人が死んだ。軍司令部は「なんの援助も求めなかった」と支援を求めていたことを隠して美化し、「捕虜の辱めをうけず死ぬこと」を遂行させた。このとき19438月。自らの手で死ぬことを選ばせることを、玉のように美しく砕け散るというワード「玉砕」ですり替えた。終戦まで2年も軍部の玉砕戦略が続く。海軍の回天(人間魚雷)、神風特攻隊はこの象徴。これは狂気としか言いようがない。

某幹事長がいう「血を流せ」は戦闘地域に行って死ねと言うことに連動する。だからアッツ島で傷を負って捕虜で生き残った人は、生き残ったことを恥として心にしまいこんできた。戦争に反対することを残虐な手法で封じ込めてきた当時から、いまだに血の匂いを嗅ぐのが当然とする主張が出されてくるのはどうしてなのか。
 
 NHKの討論会で若い学者に「アメリカの若者が戦場で戦っているのに日本の若者が血をながさないのはおかしい」と言わしめる。こういう番組がNHKの真骨頂と思わせる場面だった。15日のNHK番組「大人のドリルSP」では~「第二次世界大戦で、日本はどこと戦ったのか?」「その時の日本の同盟国は?」10代・20代の若者たちに質問すると、なんと半数の人たちの答えは「わからない…」!!!これは、学ばなかった若者たちの問題なのか、伝えなかった大人たちの問題なのか!~と問題提起した。

 マスコミの戦争協力報道を自己批判する発言もあって、これはNHKの良心かなとちょっと感じさせた。出席した解説委員から、「学校教育の中で戦争の問題を学ぶようにする」という発言もでた。日本は戦争の反省もなく教育からもその問題を遠ざけているわけだから、若者が学ぶことは、将来中国や韓国などとの友好にも役立つことだろう。しかし戦争を知る世代が、知らない世代へ伝えることは、繰り返してはならない時代の一番効果的な方法であることは違いないことだろう。アジアで2000万人、310万の日本人が犠牲になったという重みは、過去にあった出来事ということで置いておくだけではあまりにも大きすぎる。



2014年8月14日木曜日

アジの開き、上出来の自己満足

昨夕、Sさんが釣ったばかりのアジを持ってきてくれた。18センチほどのものだったが、30尾ほどもあるのでどうしようかと考えてしまった。どうしようかではなくて、実は気の利いた調理はやったことがないので、どうしたものかと考えあぐねたというのが正確なところ。干物なら塩水に浸して干せばいいのだから、なんとかやれるかととりかかった。小物を切る出刃包丁がちょうどよいので、ハラワタを出して、5枚だけ塩焼きにするもののほかは全部開いてみた。包丁の入れ具合もままならないから、何枚かに一枚は偶然きれい開けた。ギザギザに身が切れてしまったりしたもの多かったが、なんとか「開き」らしきものができあがった。海水は相当辛いものだから、真水に相当塩を溶かし込んで、一時間ちょっと漬け込んだ。風もなくて乾燥できるのだろうかと心配はしたが、翌日の午前中までともかく干すことにした。干し籠に入れてベランダにつるしたら、奇しくも3段の棚がちょうど一杯になった。

21時ころにウォーキングに出かけようと外に出たら、雨が落ちてきた。あわててベランダの干し籠を取り込んだはいいが、干し場所はもとよりない。ドアの洋服掛けフックに括り付けてぶら下げた。多少臭うだろうとは想像したが、その匂いたるや想定外のものだった。生ものの匂いには慣れているつもりだが、その凄さに驚いた。幸いにも23時ころには雨が上がったので、また外に出すことができた。部屋の匂いがすごいので、このまま寝ることもできないから、しばらく窓を開放して空気を入れ替え、竹酢液を小皿にとって匂い消しのために置いた。


翌日は曇りで、予報では午後から雨とのことで、いつ降り出すかという空模様。でもなるべく外に置きたい干し籠。空を眺めては様子を見ていたが、黒雲が厚く見えたのを機会に、干し籠から取り出して新聞紙に3つに分けて包んだ。まだ生乾きみたいな気もするが、空模様を変えるわけにもいかない。昼食時に3枚焼いて試食してみた。魚の新しさからか、思ったより旨い。上手くできたのかどうかはわからないが、食べられるものになっているだけで上出来ということにしておこう。ただ、塩味がちょっときつかったから、この次の時は塩漬けの時間を短くした方がよさそうだ。






2014年8月12日火曜日

釣りは無念だったが、雨降りの中断に観光できた幸せ。

 83日、帰る日なのに容赦なく雨が降り続きている。しかし実は情けなくも、すでに体中が疲れてきているから、友人とは違って気分はそんなに悔しさ100%と言うわけでもない。15時ごろに高知空港に着くまでの過ごし方を相談しながら、散らかった釣り道具と衣類をもとのように戻す。

 どうかなと迷いながら、時間つぶしのドライブで室戸岬に行こうと決断した。風雨で影響がどこまであるのか心配ではあるが、距離はそんなに遠くないので、ときどき強く吹き付ける雨と風を体感しながら、海沿いの道を南東に向かった。現地に着けば晴れるだろうと、昨日のドライブでは体験した「根拠」をなかばやけっぱちに言い放ったのだったが、不思議なことに室戸岬に着いたときには雨が上がるという偶然に恵まれた。


 そのわりにはあまり波が高くない岬を覗いてから、最御崎寺(ほつみさきじ)を傘なしで回った。寺は室戸岬の高台にあり、24番札所とのことだった。神仏には日頃は縁遠いのだが、風雨のさなかよい時には晴れにしていただいたことに恩義を感じて、お参りの真似事をさせていただいた。











2014年8月11日月曜日

台風接近で雨が降り、ときたま雨が上がるとき狙う釣りも…。

 



 82日、朝から釣を諦めさせるには十二分の雨降り。なんとかしてやりたい気持ちはあるが、この降り様ではと泣く泣くあきらめて、ドライブに出かけることにする。雨がひどいと道路にも影響が出るのではないかと思いながら、室戸岬へ行こうと下り始めて間もなく、道路遮断の表示が。11時までは通行できないと工事関係者が話す。回り道はないというから、ふうてんの身をしょうがなく山の方へ車を回転させた。

 昨夜、温泉のレストランの女子が、自分の家の近くは素晴らしいところと紹介してくれたのを思い出して、魚梁瀬(ヤナセ)に向かうことにしたのだ。しかし途中、雨が気まぐれのように間欠しながら降っていて山道の暗さも、少々恐怖さえも感じる。「道路に砂利が落ちているところは崩れやすいんだって」などという話題で余計気になってくる。対向車もあまりない細い道路をしばらく走ると、ダムに行き着いた。展望台を探し当てて眺める景色はなかなかのものだった。

 女子の話のように、なるほど景色はとても素晴らしい。そのとき、降り立った瞬間だけ雨が止んでいた。春や秋にはよほどの景色だろうなと思う。幸運にも写真を何枚か撮ることができて、ドライブの甲斐を賞することができた。



 温泉に戻ってきて、またちょうど上がりそうな雨をにらみながら、よし釣りをやろうと身支度を整えて、川に降りたら途端に雨が降ってきた。それもなまじな降り様ではない。おまけに雷まで鳴りだしてきた。熱意は天に通じない。ウーンダメだとギブアップ。夕餉にまた、地酒と焼酎を飲みほして、明日の帰京日の朝に淡い期待をかけることになった。レストランの女子は、車で通う道で崩れた砂利をみると、手袋をして道路の砂利をどけるのだとか。馬路村の良さをしきりと教えてくれた地元を愛する心意気が伝わってきて、有名温泉地で聞くような表面ばかりの案内とはちがった気持ちをもたせてくれた。






2014年8月10日日曜日

生涯初のアユ釣りは面白みどころでない体験。

 81日は、河口から20キロはある馬路温泉泊の早朝、安田川の上流部でアマゴを狙おうかと3人で出かける。車から眺めながら見る流れの落差はそんなにないが、道路からの降り口がなかなか見つからず、あっても川からは高いので、なかなか流れには降りられない。渓谷は素晴らしい眺めだが、探しながらいくら上へ行っても同じ状態なので今度は逆に下ってみることにした。

宿泊している馬路温泉近くまで下りて、見たところよさそうなところに車を止めて降りてみる。流れの落ち込みで、頭からネオプレンのタイツを纏って、釣竿を持ちながら、箱メガネで川を覗いている人がいる。半身以上川に浸かって、アユの泳ぎを観察しながら竿を振ってひっかけるようだ。あとでわかったが81日から、「しゃくり釣り」の解禁になっていた。見ている間に3尾もかけて、見事なものだった。さて釣りを始めようかと川を眺めてみるものの、動き回るにはちょっと足元が悪いと見えたので、再度の移動となった。

川は平たい流れになって、歩くにも危険はなさそうなので、釣り場を定めた。東京から持って行ったブドウ虫を分けて、針に付けて流すと、第一投でかかったのはカワムツ。渓流でこれが圧倒的に多いのは、以前に四万十川で体験したから、覚悟はしていた。しかしそれが入れガカリだ。なにもアタリがないよりはいいにしても、どうしてこんなにいるのかと思う。この魚は天ぷらだとか唐揚げで食べられる魚なのだが、日常のつり種目にないものだから、疎んじてしまう。釣ることの楽しみは十二分味あわせてもらったが、すべて放流した。そんな状態で、やっと小さなアマゴが1尾だけ顔を出してくれた。

朝食後はアユ釣りだ。私とすれば、アユ釣りはお付き合いのつもりだ。(というと友人には失礼になるかもしれないが、)アユ釣りの面白さは、周りの釣り師たちの突っ込み具合を見ていると解る。釣りはなんでも面白いが、突っ込んでやるのは一つの魚種でもとても奥が深い。いまだにハゼやフナ釣りでさえも、確信に至らないから、ずば抜けて面白そうなアユつりには手を出さないと決めていた。でも信条に反するというほどのことはなく、やらせてもらうことにした。

なんでも知らないことを初めてやることが上手くゆくはずはない。友釣りのためのおとりアユをつけてもらった後は、一人でやることになって、どうにもならない。泳いでくれぬオトリアユをやたら引きずり回して弱らせてしまって、可愛そうなことをした。ところがそんな状態なのに、アユが掛ってきた。目印がとんでもない方へ走ってくのだから、シロウトでもわかった。かかった魚をどうして取り込むのかは、友人が近くにいないからわからない。タマ網をどうやって使うのかのイメージも不明で、ともかくも苦しがるアユを見よう見まねで付け替えて、再投入。反応がないので場所を変えたくてもどうやって魚を運ぶのかも想定できない。やむなく引きずり回すことになった「虐待」行為。それでも2尾目も掛ってくれたから、まあよかった諸体験だった。魚はたくさんいるのだろうということだけはわかったが、ガッツーンとかかる面白みは、もっと授業料が必要なのだろう。
午後からは馬路温泉の直ぐ下の河原でカワムツ承知の釣りをする。今度はアマゴが2尾釣れてきた。これはアユと一緒に塩焼きになって夕食の食卓に上った。


2014年8月9日土曜日

土佐の高知でアマゴが釣れたらいいな。しかしまず、カツオを食べる初日。

 関西の釣りとなると、魅力的で気持ちが動く。めったにいけるものでないから、誘われてうれしい旅だった。それにしても、最近は出かけるときの天気はどうして雨にたたられるのだろうか。家にいることが多いこの頃ではあるが、ウォーキングや買い物に出て、2回も傘なしでどしゃ降りに合っている。昨今の天候せいもあるから、もっぱら運が悪いというわけでもないと思っているのだが、今回また12号台風が居座って、向かうところの高知県には雨の予報で埋まっていた。

 731日には、なんなく高知空港に降り立って、市内でカツオ料理を昼食にすることができた。運転手役には申し訳なかったが、せっかくのカツオにビールがつかないのでは片手落ちと言うもの。一杯だけと遠慮しながら美味しくいただいた。




 食後、レンタカーを西に向けて走らせ、蒸し暑くはあるものの、幸いにも曇りがちの天候の仁淀川河口にたどり着いた。シロギスは釣れると聞いていたので、途中でアオムシを購入して張り切って、竿をのばした。延べ竿でシロギスがかかったら、引きが強くて面白いと言いながら始めたものの、音沙汰はまるでなくてウロハゼとウミタナゴの小さいものが顔を見せてくれただけだった。事前にグーグルの地図を見ながら、シロギスは釣れそうだがハゼはいないだろうかとあたりをつけて、釣具屋に連絡を入れてみたら、ハゼはどうやら無理のようで、シロギスもことしはまだよくないとのことだった。







2014年7月25日金曜日

暑さに釣りで抗するのも身体のため

とか理由をつけて、梅雨と台風でつりに行けなかったときから、夏の陽気が一気に暑くなった日和に、東京湾にシロギス釣りに繰り出した。連れて行ってくれたSさんが、3人なら船頭さんが船を出すよと言っているということだったのに、じつは10人くらいの同乗者がいたので、ショボショボいくのではない繰り出しということになった。きっと、雨の間釣り好き人間はいらいらしながら機会を待っていたからなのだろう。太陽は雲に隠れていて、一日予報通りの曇り加減ならいいなどとしゃべりながら岸離れ。例のアクアラインを越したあたりで「どうぞ」の掛け声がかかった。ところがアタリがなかったようで、すぐに移動となった。

この機に新竿をもって臨んだのだが、天秤仕掛けの工夫が生きずに絡んでしまって、最初からトラブッテしまった。天秤を別のものに替えながら、隣のSさんを見ると、竿を2本使って順調かつ忙しそうに、竿の仕掛けに着くシロギスをはずしている。ようやくできた仕掛けを前方に放り込むと、潮のせいですぐに船に寄ってきてしまい、アタリを取るどころの話でない。おかしいと思いながら、錘を20号に替えてみるが同じような始末。間違ってかかったような数匹以後は空白の時間が過ぎたようだった。舳先の人に目をやると、見るたびにアタリをとって見事に釣りあげている。

ともかくシロギスが嫌というほどいるというのがわかるが、それだけにこちらは焦ってくる。そこで仕掛けを投げ入れたら、錘の位置をほとんど動かさずに置くことにした。ほとんど糸を張るようにして、あたりがなければ竿を振って糸に振動を伝えて、わずかに引くという動作にした。なにせ新竿だからその釣り具合に早く慣れなくてはいけない。ちょうど、前ほど潮の流れが無くなってこともあり、アタリがしっかりとれるようになってきた。さあそれからは、入れガカリ状態を十分味わうことができた。昼ごろには波がなくなり、風もなくなって堪らない暑さになった。汗はいやというほど出るが、蒸発しないので熱中症は大丈夫かなと思った一時もあった。朝方購入した水分が炭酸水だったので、それでもこまめに補給しながらしのいだ。

途中で、Sさんが120尾というのが聞こえてきたので、なんとか100尾を超えたいものと、懸命に頑張ったつもりだったが、結果は追いつかなかったようだ。Sさんは150尾くらいはいったのだろう。舳先の例の人は350尾だという声が聞こえた。その人にいつ目をやっても、シロギスを掛けている状態だったから、さもありなんではあったが、びっくり仰天の腕前だとすっかり脱帽した。自分としては120尾ちょうどまで釣れたので満足はしたものの、つりの腕前はまだまだ先があるようだと自覚させられた釣りだった。
帰ってきてから、氷水と缶酎ハイを十分補給して、魚の始末をしたのだが3時間もかかった。暑さにも抗した体力がまだあると自覚できたのも収穫だったようだ。




2014年7月15日火曜日

ブログ、再開のような再開

 ブログを休んでいる間、身の回りのことが片付いてきた。そうはいっても人に褒められるようなことではなくて、散らかっていたものを捨てた程度のことだ。ホームページの更新もマメにできるようになったし、カメラの仕様書を読んでみることもできた。ブログを止めた効果はあったと思っているが、妙なことにパソコンのあちこちに散らばっている情報から、ブログ投稿に役立ちそうなものを整理したのも、そのうちの効果だった。また書きたいという気が残っている証拠かな。
 
 ところで昨夕、つりの会の先輩とウナギを食べに行くことになった。中野駅北口の一角にある「昭和新道商店街」の近くだ。「昭和」と聞くと懐古の思いが年相応に湧いてくる。先日も東中野の「昭和の街」を巡ってみたところだ。ご多分にもれず、再開発の大波をかぶって中野駅周辺も前のめり的な誘導がすすめられている。新しいものを造るときには必ず古いものを壊した上に登場させることになる。なんの臆面もなく輝くばかりの高層ビルや、新しい街の装いを作り上げる愉悦を味わおうとする輩と、少しばかりの金を持って飲み屋に行く者との格差がある。小さな商店街がなくなっていくとき、「飲んで楽しむ」文化もなくしてしまうことにある。

 実は家では「超」高齢者の食べ物が、いや食べられるものが限られて連れ合いが苦労している。だからウナギと聞いたら避けるわけにはいかない事情もある。目の前で灰を飛ばしながら、串焼きにしてもらったウナギを食べたが、じつに旨かった。ちょうど暑くなってきた折だったから、この力で夏を乗り越えられるだろう。一通りの料理をごちそうになって、店を出てから「昭和新道」へ出て、なんとカラオケ店に誘導された。嫌いじゃないから、他に誰もいない小ぢんまりとした店で歌った。もちろん昭和の歌。最初は「神田川」だった。

 昭和の雰囲気と冷酒に酔いながら、雰囲気を醸し出している若者に被写体をお願いして、撮らせてもらった。名刺を渡したのだが、ブログのアドレスを書いてあるので、ブログを書かなければならなくなった。










2014年5月21日水曜日

デジタル社会の犠牲にならないように

 パソコンの遠隔操作ウイルス事件の片山氏が、犯人であることを認めた。弁護士も予想外のことだったのだろう。犯行を否認するということは、弁護をする上での「戦術」でもあるのだろうが、本人が持った真実の経緯を、強制や余念抜きに表していることが尊重されて扱われるのは、人権を重んじるうえで大事なことだ。時によっては「引っかけられる」ことのある事実がある以上はそこから出発することははずせない。

 片山氏・被告が、自殺をしようとしたが死にきれずに…と弁護士に連絡した。保釈を取り消されて召喚されたことで、事件の大筋が決着したようだ。全部を認めたということで、そこが事実として扱われることになるが、本人が抱える闇の部分は相当深いものではないかと思う。闇に陥ってしまった様々な経験も影響を与えたことだろう。

 生活に深く食い込んでいるパソコン、スマートフォンなどが、犯罪に一役買っていることが多くなった。それに「依存する症状」も社会問題化している。しかし病理はそれだけではなくて、人が置かれている社会がもつ軋轢が動機になっていることにあるのではないか。日常の暮らしでも意に染まないこと、解決できないことは非常に多くなっているし、希薄な人間関係が出来上がっている。それゆえ「キレる」ことに連動する。一昔前の「我慢しなさい」では、現在は説得力を欠く。ならば…そこから先がおおきな問題なのだろう。

 ところでこのブログは201129日から始めて3年を過ぎた。このところちょっと疲労気味で、書く時間が少し重荷になってきた。そんなことで、書く内容にも反映しているような気がしている。家にいることが多いと頭の中でこね回すようなことばかりで、面白くないだろうと思っている。写真を中心にするとか釣りにするとか、絞っていくこともいいのかもしれないなどと思いながら、ブログの手法に対しての飽きもあるのかと休養することにした。

 これまでの掲載したブログを読み直してみようかとも思っている。先はどうなるかわからないが、止めることで手に入れられる2時間ほどの時間を他に振り向けてみたい。それが次の糧になるかもしれない。パソコン前に座る時間を減らして「依存症」に陥らないようにと(笑)。

 余計な感想を付け加えると、反応のないことについて書き続けるのはなかなかしんどいことだ。それでも続けるだけのエネルギーが湧くうちはいいが、底の浅い頭脳では限界を感じるところだ。ブログを書くための作業はとても勉強になった。多分脳の活性化にも役立っただろうと思う。
拙文にお付き合いくださった方々には感謝のみ申し上げたい。

 最後に現在の局面を切り取った「面白いもの」を。











2014年5月20日火曜日

疑わしきことは解明してのち事実になる

 パソコンの遠隔操作ウイルス事件の片山氏が、「連絡が取れなくなってしまった」ことで、真犯人であることの疑いが濃くなったと見るべきなのだろうか。
 携帯メールからの転送設定で、時間をずらして真犯人のメールを装ったと、警察が発表している。片山氏が使った携帯電話を埋めたところから、掘り出したらその記録も残っていたし、DNA鑑定して本人と確認できたという。随分とはっきりした状況が浮かび上がった。まるでテレビドラマを見ているような錯覚を受ける。推理小説のように「保釈中の被告人」をつけまわして、泳がせて証拠を固めるということをやっているわけだ。

 できすぎているような出来事だと思うのは、冤罪事件の場合は「新証拠」の活躍がでてくる。だから違うというふうに短絡的には言えないことも確かではあるが。少なくとも、8回の公判が持たれて裁判をしているのに、犯人と特定する証拠に欠けていたとみると、今回の事態は起死回生の証拠となる。これだけの「明確な証拠」をつかんだ上に、これまで何回もやったであろう家宅捜索をまたやった。シロウト考えだが、そんなに持ってきたいものがあるのかという疑問も感じる。

 16日に見た「金スマ 実録 チカン冤罪事件」の冤罪事件も、3年かかって疑いを晴らすという記録だった。「仕立て上げ、でっち上げ」という図式がまかり通ってはいけない。国民救援会が支援していたということも組み込んでいたが、事件に対するメディアの姿勢が大きい。メディアを使っての警察の戦略も当然考慮されていることを考えてもらいたい。


 今回の事件が、冤罪であるのかどうかの断定はできないことではあっても、戦争をやれる国にという流れが造られていることを考えると、疑わしきは犯人というやり方には注視しなくてはいけないことだ。特定秘密保護法発動による「治安維持」で、犯人に仕立てられることが日常茶飯事になっては、いつか来た道に戻ってしまう。






2014年5月19日月曜日

「恥をかいても発信力を高めましょう」と呼び掛ける山形県知事

 故郷の山形県は、他県の所得水準との比較でも“貧しい”部類だ。特産物もサクランボ、ラフランス、米沢牛、蕎麦、各種の漬物などがある。コメももちろん「つや姫」も販売先着を立てて懸命に売り込みを図っている。山形県だけではないだろうが、2007年を最高に県民の平均所得はマイナス成長だ。県知事は、職員訓示で「恥をかいても発信力を高めましょう」と呼び掛けて、物議を呼びながら、自らも県内産業の宣伝の先頭に立っているとか。

 その努力に水をかけることはないにしても、何かが違うのではと思う。県別のランキングで表すのは一面的ではあるが、東京などの都市部と比べると圧倒的な格差がある。都市部偏重のあり方による所得水準の差を当然視するなら、その富の差は所得の再配分が必然であり拡大してしかるべきところだ。地方交付税を減らすという不当な扱いをすることはおかしい。


東京の平均所得は2006年で4,820(千円)
山形県
2006年度 県内総生産 41356億円  県民所得2,472(千円)

2012年度 県内総生産 42042億円   県民所得2,439(千円)









2014年5月18日日曜日

パソコンの遠隔操作ウイルス事件で真犯人を名乗るメールがあった

 パソコン遠隔操作ウイルス事件の真犯人を名乗るメールが関係者に送られたことで、新しい展開があるのかとの「期待」がでてきた。35日に高裁の拘留停止決定で一年余り拘束されていた片山氏が保釈された。8回の公判を終わった段階での「真犯人」からのメールについて、落合弁護士は真犯人である可能性はあるが、慎重な分析が必要とコメントしている。片山氏本人が真犯人を装っているとする検察側の物言いも、それに備えての対応を取っていたと言う。

片山氏のコメント
BLOGOS
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まず公判をやっているときに、確定ではないが真犯人からメールが来たらしいと聞いて、いざ来たとなったときに言われるであろうことは、"自作自演だろう"ということを弁護士と私も予想をしていました。

拘置所から出るとき、PCは押収されたままだったんですが、新しく買うPCは弁護人の管理下にある方がよいということで、自作とか改造はしない、1台のみということにして、さらに通信を記録し続ける「パケット警察」というソフトを入れ、そのパスワードは弁護士の野間さんが管理しています。それをもって、怪しい通信はしていない、と言えるように備えていました。

(公判中の)今日の117分に来たとのことで、それすら必要は無くなったのではないかと思います。犯人がアリバイがある時刻を選んで送ったのかはわからないですけど、メールの内容は、経路検索をした場所がほぼ全部合っていますので、信憑性は高いように思います。
としては、これをもってこの裁判を終わりにしてほしいと思っています。
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落合弁護士は
片山氏が別人を装ってやったとすれば、もっと公判中での主張に反映させていたはずだと述べ、警視庁内部にこうした行為に及ぶ輩がいるとうことも一応考えられると「考察」を公表した。
落合弁護士は「自称真犯人メール・可能性についての考察」をブログに書き込んで、1真犯人2被告人3警察関係者4第三者の可能性を推察し、1か3当たりの可能性が高いという気がすると書き込んでいる。

 犯人を仕立て上げる構造は、これまで冤罪を生んでいるのに、「国家権力」のほうは一向に改められないから、またかとどうしても考える。確定的な科学的根拠もなしに、犯人にされるのではたまらない。





2014年5月17日土曜日

美味しんぼの連載休止は、まるで赤狩り

原発事故の影響を隠ぺいすることに余念のない閣僚が、ワイワイと言いたてて、漫画の休載に追い込んでしまった。閣僚会議でわざわざ「議題」にしてマスコミで発表させた上で、休止に追い込むなどはまるで赤狩りのようだ。NETのニュースを見た限りでも、事実はないとする根拠はそれこそない。

「福島で採取された放射性物質を摂取したチョウに影響確認」と琉球大学チームがサイエンティフィック・リポートに発表したと報道があった。これまで、放射性物質を曝露したヤマトシジミの遺伝的影響の可能性を発表していたが、今回は、採取した食物からの影響を調べたもの。異常や死亡発生率が食物からのセシウム接種によってどう違うのかを調査した。早期の死亡や異常発生は、低い摂取量で急激に発生するという結果を得たとのこと。

ほかの生物に対する影響はこれからの研究に係ることだが、この琉球大学の大瀧研究室は、他の研究も含めて寄付金を募っている。こうした研究については、研究費をもっと増やしてと思うところだが、人の健康利益よりも事業性に効果的かどうかということの選択では、期待できそうもない。



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原発事故当時に双葉町長だった井戸川克隆氏はこの日、都内で記者団に自らも同様の症状があると説明した上で「風評被害ではなく実害だ。被害を受けている人は、正々堂々と賠償請求するべきだ」と訴えた

 橋下氏は市役所で記者団に「根拠を示してほしい。取材が甘い」と指摘した。

 石原伸晃環境相は、閣議後の記者会見で「住民の被ばくと鼻血の因果関係はないという評価が既に出ている」と強調。「描写が何を意図し、何を訴えようとしているのか、私には全く理解できない」

 根本匠復興相は「地元の不安や風評被害を招きかねない内容で誠に遺憾。不安の払拭に努めたい」
森雅子消費者行政担当相は「影響力のある漫画が誤解を与える内容で残念。原発視察と鼻血との因果関係は科学的に証明されていない」

 太田昭宏国土交通相は「福島に住んでいる人の心情を理解する必要がある」と指摘

 下村博文文部科学相は「被曝(ひばく)の影響については、科学的知見に基づいて伝えることが重要。風評被害が広がらないよう文科省としても説明していきたい」

 福島県の佐藤雄平知事も「風評被害を助長するような印象で、極めて残念」と批判した。12日発売号では、井戸川氏が「福島県に住むな」と発言する場面も登場。佐藤氏は「全国から復興を支援していただいているとき、このような雰囲気の漫画があって、残念で遺憾」と繰り返した

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2014年5月14日水曜日

5月の五箇山

 写真を撮りにという旅に6人が集まった20095月は、五箇山、神小原と能登へとまわって歩いた。最初の五箇山は、域内の民宿に泊まったから、夕方と翌朝には撮影もゼロ分の距離で、すっかり廻って歩くほどだった。観光写真になるようなものは避けてと、見て回った。












2014年5月13日火曜日

5月は、ものみな素晴らしい

 このころの旅は、目に映るものが素敵なものばかりだ。灰色の都市をずっと離れて、故郷が近くなる東北には手つかずの自然が、生き生きとしている。雪融けの水分を吸い上げた植物たちが、強くなってきた太陽に照らされて思う存分水を飲みこんで空に放つ。青い空と緑の大地に咲き始めの花が無造作に咲く。これだけで演出はいらない。20075月岩手県一関、やびつ温泉あたり。









2014年5月12日月曜日

外来魚駆除つり会に行った

今年も与田浦周辺で、外来魚3種(ブルーギル、ブラックバス、チャネルキャットフィッシュ)対象の駆除つり会があった。天候は風もなくて、釣りにはこのうえない日和。参加者は連合会、横浜労釣で45名に加え、HPで参加を申し込んだ方が2名が参加した。外来魚駆除の行動は確実に広がっていると思われるが、つりの会がやるという点ではそう多くはないことだろう。早春の時期の難しいフナつりのときに、やっと気配がしてアタリを獲ったら針についていたのがブルーギルなどとなると、目も当てられない。外来魚が生態系をかく乱させる実感を味わうのはつり愛好者の実感だ。

つり「大会」とする名称はどうなのだろうかと、検討したのも記憶に新しい。全国ブラックバス防除市民ネットワークのメンバーとしてのことなので、通常の釣り大会の時のように表彰するということにはならない。できるだけたくさん釣るという点に変わりないが、釣ったことに対する称賛は、日本の自然界にあるべきでないものを取り除いたということにある。大会的ではあるが順位は記録に残して、20位までは商品の石鹸を受け取ることと、大型賞のみが顕彰の対象となった。

 あの広い地域でどのくらいの効果だったのか、ということは関心の的だが、総体的にどれだけ迫れるかというよりも、漁業者の厄介者でチャネルキャットフィッシュは「はえ縄」漁法で捕獲駆除しているという点から、目的として同様の方向を向いているという意義が大きいように思う。与田浦界隈でも、自治体なり市民グループなりの駆除行動があってしかるべきと思う。65センチはあると目されるチャネルキャットフィッシュの腹から、驚くほどの卵が出てきた。これが生まれて…とため息と、釣ってよかったという安ど感が共有された。

 外来魚各種がどこにいるのか、どういう仕掛けと餌がいいか、どういうアタリをだすのかと言った訓練は日頃のつりでも試されるが、外来魚とってそこは同じなのでその面白さと楽しさは変わらない。多く釣ろうと思えばその切磋琢磨ははずせない。4回ともなると、狙いものを定めて仕掛けと餌を割り出してアタックするという発展もある。チャネルキャットフィッシュはとくに大きいのが出るから面白いことだろう。鯖の切り身が一番だとのこと。対象の居場所をねらって、短い竿も使って草の影などにいるブルーギルを「駆除」できるのは釣りでこその芸当だ。一か所に群がっていることが多いので、一か所で多数があがるということが多い。座り込んで静かに釣ると効果的な状況だった。