2014年11月14日金曜日

一週間たってブログを書く

 前回ブログ投稿から一週間もたつと、また書かなくてはという気になってくる。もしかしたらだけれども、脱法ハープのような作用があるのかなと思えてきた。アルコールもそうだしタバコや、パソコンやスマートフォンと同じようにそのけがあるとしたら、ビョーキに近いことになるのだろうか。いやいや、家にいてウツウツとして身の回りに近いことばかりしていると、人間の活動としては「足りない」ということなのだと、自己弁護ノセリフが頭に湧いてくる。


 書きたいネタがないわけではないが、まとめて書くにはそれなりの時間もかかるし、下手なりの推敲だってある。けっこうなエネルギーがいるのも実感する。肩ひじ張らないでやるのがいいと思うのだが、それだって多少の時間をかけないとうまくは運べない。

  2日の日に臨海部の有明北に行って写真を撮ったが、そのとき動画も撮った。ちょうど、有明北埋立地と「豊洲新市場」の間の運河に釣り船が一艘、手漕ぎで操られていた。見ていた橋からは遠かったが、どうも和竿のハゼつりらしいと睨んで、近づくのを待ってからカメラを向けた。有明埋立地の脇をゆっくいり流しながら、二本竿で釣っているのが見えたが、あんまり竿があがった様子でもなかった。

 有明北はそうとう荒れ野原風のままだが、埋め立て反対、自然を守れという声に押されて、「カニ護岸」をこしらえることにつながった。有明北のその場所でハゼつりをやらせろと、冗談でなく東京都に打診したことがあったが、「液状化の危険」を理由に断りの返事があった。しかし、その脇のすぐ北側にある豊洲新市場の建設が進められている。有害物資があるとその対策にも相当の資金を投入されているらしいが、「液状化の危険」はなしなのだろうか。











2014年11月7日金曜日

埋めては掘って、「経済の発展」に資するとか

 しばらくぶりに有明北に行ってみた。東京都が2000年に埋め立てを強行したところだ。当時は埋め立てに反対する声の高まりで、都議会でもハゼ論議がされ、石原元知事が「ハゼはどこかへいくでしょう」と答弁したのが語り草になっている。再開発の起爆剤としての莫大な事業資金投入で、臨海部開発のための埋め立ては事実上の失敗に終わっている。企業からはそっぽを向かれて再三にわたっことて、「安売り」を試みたものの大方売れずに、14年たった今でも有明北は原野が残っている状況だった。

 2016年のオリンピック開催招致に向けては、「選手宿舎」として利用する計画があった。経済の活性化めざすとする大義だけが生き残っているようだが、今も大方はススキが原になってるだけだった。運河を挟んだ北側では豊洲新市場の建設が大仰にすすめられているが、有明北ススキが原とのコントラストが奇妙で可笑しい。


有明北埋立地


豊洲新市場工事








2014年11月3日月曜日

神田川界隈の紅葉狩り

 神田川の中野新橋から、中野坂上の高層ビルを見ることができるので、撮影の軽いメッカになっている。今日もそこから下流のほうを眺めでみたら、流れの右岸方に小砂利がたまっていた。少し上でこの神田川の拡張工事をしているので、そこから流れてきたものだろうか。その反対側は、なにか雑草が何本か立ち上がっている。川は本来の機能として、上流から流れてきた土砂を堆積することもあるし、養分を含んだ土には植物をはやす働きをもっている。ところてん突き穴のような角ばったへりに押し込められて、大型側溝として道を定められる工事にさいなまれても、川の本性をなくさないのだから大したものだ。

 川に沿って下ると途中にミニ公園があるが、ここの桜はまだ紅葉していない。山手通りから長者橋をのぼって中野坂上の高層ビルのところまで行くと、ビルの脇に公園がある。高層ビルには緑地を付けることになっているらしいが、大きくないその公園にまだ若い木々が育っている。そこはうっすらと紅葉がかかっている。行程一時間ほどの紅葉狩りだった。















2014年10月29日水曜日

天気がいいとどこへでも出かけたくなる

 秋晴れの天気になると、なにかウキウキとして外に出たい気になる。家にいたまま近視眼的に煩わしいことばかりしていると、気持ちがだんだん落ち込んでくる。折角の時期なのに家にこもっているのではもったいないが、遠くに出かけてというわけにもいかない。よって買い物とウォーキング「がてら」というストーリーを描く。ウォーキングでは何回も同じところを歩いているのだから、楽しみと緊張感はとうに薄れてはいるが、他人の家の木や花を覗いて歩くことでも季節感を感じ取ることができる。写真を撮るという動機が効用になって、いまなら紅葉を見つけて歩くのがいいころだ。紅葉の狙いはもちろん公園だ。公園でなら草木が秋模様を演出してくれる。











2014年10月26日日曜日

お天気屋でないけど、秋だから。

 子供のころは、運動会の日の雨はうれしかった。走るのがうまくなかったから、スタートから遅れたりして、ビリから何番という結果に終わっていた。ずっと時がたった近年では、子供たちを連れたドライブ旅行はだいたいは晴れた。天候が良い安定した時に行くということが多かったせいもあるだろう。土砂降りで苦労したという記憶はない。

 「人生卒業期」にはちょっと様相が変わってきた。雨に降られることが多くなった感じがする。人生雨あり晴れありだからかどうかわからないが、雨模様の天気も「身のうち」みたいにお付き合いをすることになっている。カメラを持っているときは、雨模様の写真を撮るようにする。写真は銀塩写真のころは暗いところを写すのは大変なことだったが、デジタルカメラになってからは少々の明かりでも撮れるようなった。それに、水にも強いカメラもでてきている。撮影領域が広がったのは利点となっていく。「こんなところなら撮っていないだろうな」とは撮影するときの動機づけのひとつだ。

 つりも天候には関わり合いが大きい。雨だったら風が強かったらと、その時に応じたワザが発揮される。増水した川から魚が消え去ることはないのだから、悪条件化の釣りも恐れない。技量が工夫されているのは、釣りの領域を広げる。そこまでの技量は身に着けていなのが残念だが、渓流であれば雨の降りようによっては、魚たちの絶好の捕食時間となる。明らかに魚の反応が違う。

 そんなことを思うと、「お出かけは晴れるべきとき」から一歩脱して多少の天候の変異に許容範囲が広くなる。

 19号台風の直撃の日にあたった紅葉狩りは、予報を見ながら決行だった。浄土平のハイキングはできなかったが、台風一過の朝は、吹き返しの風が、重い空気を運んでいた。ホテルの窓から気楽にとった写真は、晴れてきたときにあたった。帰りのパーキングエリアで紅葉を探して間に合わせた秋だった。












2014年10月24日金曜日

本当は重い政治が軽くなる

 消費税増税、特定機密の関連法、原発再稼働など日常生活に重い政治課題が山積しているのに、団扇や政治資金の使い込み、委員会での馴れ合い運営、果てはSMショーへの出費まで、なんと「下世話」な問題が次々とでてくる。まったくあきれ果てたことだ。
 団扇問題は、国会の場でとてもわかりやすく追及されたから、スポーツ新聞む含めて乗りやすい報道になった。「国会の場で政策問題でやらず」にそういうことで取り上げるのはという批判も当然でてきた。当たっていると思ったが、国会のシリアスな場面で、テレビのワイドショウのネタに大うけするような内容で、その意味では政治が身近になっていい。出てくる「不幸」は回りまわって有権者であるものの責任にも当てはまるから、外野席から見ている政治ということでは、いつまでたっても変わらない。国会審議は政策上の熱い論戦は違いがあってのことで、たとえば増税の問題でも同様の結論をもっているなら、張り合うことのならないから、トーンは下がるし枝葉のはじきあいで終わってしまう。とすれば、やっぱりワイドショウ向けの話になってしまうのか。

 しかし、新閣僚の資質を調べる場合とそうでない場合が政権によって違うとの、コメンテーターの話には驚いた。驚いたよりはそうなのかという変な納得をした。資質の問題より、50人以上もいる「閣僚資格者」の扱いのほうが忙しいということなのだろう。この体質はいまに始まったことではない。これまで何回も繰り返していることなのだから本来なら、マスコミもせめて「いい加減にしろ」というトーンで扱ってもらいたいと思う。新閣僚がでてきたら、その活動や資質について調べて、問題がないのかどうかを発表したらいい。皮肉に言えば、問題を起こしてくれたほうが、ネタとして描きやすいということかもしれない。その場合だけマスコミに貢献しているとも言える。

 小渕氏の発言で「政治家として一から出直す」という言葉があった。出直すのは自由だが、今は圧倒的に強い地盤をもって、悠々と議員になれるという立場だから、就職先として議員をやるという選択が有力なのだろうが、現行法制化で違法に立ち入ったという認識もさることながら、問題の全容解明ととるべき責任をさておいて、出直すとかいう決意を言う時ではないだろう。この類の人たちは「みそぎ」で再生可能な立ち合場にある。非正規従業者が突然首を切られるという身分などは到底考えられないだろう。会社都合というだけでいいのだから、そこから新たに職場を求めるの大変さとは比較できないほどの相違がある。
 

 小選挙区制が生み出す結果とみることもできる。制度が定着をして、優位な一人の選択に集中することになっていく。政策の選択が一本化に向かって、それしか自分の票が生かされなくなるから、無言の圧力となる。しかも投票する結果のむなしさで投票行動が少なくなっていく。こうなれば、立候補者の資質や行動に問題があっても、そこは問題として浮上しないし問われない。投票による民意がかき消される一方で、彼の再生産の道はできあがっているという図式だ。だから、きれいに一度引っ込むという筋書きが描かれるのだろう。ひところ「秘書が…秘書が…」という責任逃れのセンテンスがはやり言葉のように使われた。「全く私が知らないことで…びっくりした」などというのも同じこと、責任はやった人にあると言わんばかりの無責任さは感じる。そのことをもって責任と罪が軽くなるわけではない。「政治家」ですから。





2014年10月19日日曜日

自然の脅威は生き物の存在にかかわる

 渓流釣りが9月末でほぼ禁漁になる。魚の再生に配慮してのことだから、人間のかかわりあい方として、守らければならないことだ。Bさんはちゃんと9月末に村上の方へ釣りに行ったらしい。5尾のイワナを釣ってきて今年の釣り納めにしたとか。渓流好きの人の締めくくりができることは、出かけることがままならないものにとっては、うらやましい限りだ。
 
 渓流魚に限らずだが、釣れる数は年を追うごとに少なくなってきている。釣人が多くて、釣ってしまうために魚がいなくなるということがよく言われるが、それだけではない。イワナやマメを釣ろうと思うと関東周辺ではまず釣果を上げることは望めない。宮城県や新潟県まで行かないと釣れないというのが実感だ。最近はマメにいくことが無くなったから、確かさは欠けるが少し昔の記憶でもおおむね変わらない傾向だろう。体験では専用道(高速道路)の延長が、釣果に影響していると感じている。釣り場へ短時間で到着できることで、「場荒れ」が起きているということは現実にあるだろう。

 漁協が増殖事業として放流する魚を釣るというやりかたが、当たり前のようになってきたのは、漁業を営む人ばかりの責任ではない。ここまで川を痛めてきた国のあり方のほうがずっと重い責任を持っている。何より大きいには川の流れの改変だ。言葉でいうと優しいが、川の生成の歴史からみたら破壊というほうがふさわしいかもしれない。いわば積極的に破壊行為に及んでいるわけで、川底を掘り崩して砂利を採ってしまうということが、高度経済成長期から進められた。あとは野となれ山となれと言う言葉がピッタリはまる。ダムの建設も相当な打撃になっている。流れが寸断されたり、川底の石がなくなってしまうことで、魚が再生できる環境と生態系をどれだけ奪ってしまったことか。そのうえ最近気になっているのが、どこの川も流量が減って見えることだ。あちこちで見える川の水量はとっても貧相な状況が目立つ。針葉樹林による原因はよく言われるが、温暖化による植物への影響や田圃の減少などがあるのだろうか。雨が降っても、山も含む陸地が水を保全しておく条件が減っているのだろう。

 東京でもつりの会、グループや漁協で、ヤマメの発眼卵の埋設放流を秋川水系と奥多摩水系に実施している。自然保護活動として貴重な活動になっている。東京でやっているのだからなおさらのことだ。
 この4月に東京労釣連がヤマメの卵を沢の流れに埋めて、放流した際に使った籠の回収作業をした。2月の大雪でどこの沢でも放流籠の回収をするのが大変だった。落石よる林道の通行止めがあり、沢には倒木の流れ込みが随所にあって、渓流が荒れ果てていることが報告された。雪渓が残っている状態では、籠の回収ができないところもあった。したがって埋めたカゴから出られずに、籠の中で死んでしまった卵や、孵っても籠からでられなかった稚魚もあった。この数は多分これまでには聞いたことがないものだった。


 台風や集中豪雨による被害が際立って多くなってきているが、当然ながら自然界そのものへの影響も大きい。つりの会も高齢化で、足元もやや怪しくなってきているが、「自然保護」への努力が大波にのみこまれてしまうような有様だ。地球温暖化の影響も「作り上げた」なの環境だから、環境NGOだけでない見識と取り組みが求められているに違いないが、日本のかじ取り連中は一顧だにしないという態度だ。





2014年10月14日火曜日

魚が再生できない現状が肯定されてはいけない

 小国川漁協が、最上小国川穴あきダム建設を協定で容認した。漁協は漁業権水域を一部放棄し、補償は求めない。魚類生息環境の保全は放流による水産資源の維持と増大などとした。年度内に建設に向けて動き出すが、そもそも一時止まっていたものが、動き出すとはきわめて裏のある政治の動きなのだ。日本のダム建設が「再始動」している状況は、有権者側から見てまったくふざけたもので、「日本の政行政の継続」という「理念、論拠」も放り出している証拠だ。あとはどうなろうと将来に責任もたぬということ。無駄な公共事業の再開によって、見直しの反省もどこへやら本当の自然がまた一歩遠ざかる。

 環境の悪化によって、再生が不可能になった自然魚の漁獲をあきらめを得ず、放流稚魚や卵で代わりを賄おうということが、川でも海でもやっている「資源管理」だ。日本は海に囲まれて、山脈が多く川も豊富にあるから自然の環境が豊かだった。今はそれも話題にはならないほどの環境になってしまった。毒のないトラフグの養殖に成功しているというが、喜ぶべきこととしておくには、なにかおさまらない。
 
 アユの稚魚は、流れ込みとみると川を遡ることを試みる。三浦半島から流れ込む、小さな川でもそれを見ることができる。佐渡ヶ島でももんの小さな川に、どう見ても飛び越えられそうのない落ち込みに稚魚が泳ぎ寄っているのを見たことがある。日本中の川のほとんどが、人口の構築物によって、アユによらず海から遡上することを生態とした、サケ系の魚は上流への遡上ができなくなっている。

 最上小国川にある小学校では、川に生息している生き物の調査をしている。身近にいる生き物とかかわることは大事な教育だと思う。生き物に対する配慮、共生などを学ぶべきだ。人がすべての生き物との関わり合いと食に依存している環境が、破壊されていいのかと、問われれなくてはならない。それははっきりしているが、その自然環境が少なくなること、破壊されることへの批判の声はまだまだ小さい。生態系への思いやりはいま最も大きなことだ。動植物の生息に対する人の配慮が体系的に確立されるべきだ。生態系への乱暴な干渉は、人の活動に降りかかってくるに違いない。人ばかりが埒外で生き物の頂点にいるがごときの振る舞いが通るはずがない。

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 協定は県と漁協、最上、舟形両町の4者で結んだ。「県は流水型(穴あき)ダムを建設する」「小国川漁協、最上町、舟形町はダム建設を容認する」とそれぞれの立場を明記。内水面漁業振興に関しては、放流による水産資源の維持と増大、魚類生息環境の保全などを図る―とした。生息環境の維持・向上のための清流未来振興機構も設置する。期間は10年間。
 覚書は県と漁協が交わした。ダム建設に伴い、漁業権が及ぶ水域が減少することに対する漁業補償を漁協が県に要求しないことを確認。漁協は県から依頼された場合は漁場環境に対する調査や監視を誠実に受諾し、県は穴あきダムの穴詰まり対策や濁水対策に努めることなどを盛り込んだ。
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2014年10月12日日曜日

健康でいるのは大変

 血圧の薬が切れたので、いつもの診療所へ行って一応診察を受けて、またいつもの薬を一か月分もらった。今年の健康診断では、尿酸値と肝臓の指数などが昨年よりはよくなっているから、健康体から少しだけ外れているだけだったことに満足していた。さしたる目に見えた努力などはしていないわけだから、どうしてよくなったのか要因は分かからない。飲酒を発泡酒に変えたから?などと思っていたら、飲んでる「氷結レモン」もご飯一杯に近いほどのカロリーがあるのだとか。痛風で10年間にこれまで数回は典型的な炎症がおきた。が、連続しているわけでなくて忘れたころにやってくる。このところはご無沙汰していて、その気もないのがおかしく思えるほどで、そのうえに、健診結果の尿酸値が心配には及ばないとい数値なら、まあいいかとアルコールも控えずに口に入れることになる。

 健康になるために必死になるというほどの執念はそう湧かないし、人生が長くなるほど楽しいことが広がっている日常というわけでもない。むろん自分だけではないことだろうけど。趣味の世界ももう入魂するまでのゆとりはもう少ない。そんなことだから、医者とは「変わったことはありませんか?」「はい同じ状況です」との一発会話でずっと続いている。言われるところの健康を保つにも自分と戦わなくてはならないだろうに、病気になってしまう危険もあっても、そこまで突き詰めていくことがなにか面倒な気もする。概ね健康の領域にいるのだからまあいいかと、毎日にストレスがかからないように突き詰めない。

 だいたいメタボの基準だって、どんなものだろうか。人によっては「骨太」だってあるだろうし、生まれた瞬間からメタボ気味のこどももいる。背丈の差は当然あるし体重にしてしかり。太目であってもと細めの体であっても、生きている間にそれでも健康状態にいるというのはあるだろう。全く同じという基準でごうりてきなのだろうか。いっしょくたにして、総平均でだすというのは乱暴すぎないか。統計的に説明できるならば聞いてみたい。


 ただ、総じてカロリー摂取過ぎの食だから、カロリー摂取が多い生活になっていることには違いない。食べることアルコールを摂取することは、やっぱり楽しみの中心にあるから、長くかつうまく付き合わなくてはいけない。さすがに今はやらないが、「大食い競争」なるもので、食を遊びに仕立てた文化の貧困も、食を大切にしているとは思えない。さまざまな番組に入ってくる食は、おいしいものを先に立ててやりまくる。「ふだんよっぽどまずいものを食べている視聴者にサービスしている」つもりだろうか。「美味しいものが食べたいね」ということも、世の中に起きているストレスが、輪をかけていることもあるだろう。いまは粗食を進めるときだ。「粗食をおいしくつくるには」だったら、うけるのではないか。

2014年10月10日金曜日

風速25メートル以上なら休めのススメ

 台風に限らず、最近の天候の荒れ方はすさまじい。このとき家にいることができない働き手は、仕事先に向かって危険なとに出会わないようにとの気持ででかける。テレビ報道で見る、特に若者のスタイルはビニール傘にいつもと変わらぬ服装で歩いている。報道がことさらそいう場面を取り上げるというのもあるだろう。

 子供のころは、長靴はいてカッパをかぶって傘を深く持ってさすのだよと教えられて、一生懸命学校に行った。懐古趣味といえばそうなるが、少なくてももうちょっと雨風の対策もあるだろうにと報道を見ながら思う。

 しかし、危険を承知でいくのは自分の意志というより、勤務先の「命令・要求」による。遊びに行くという意図もないことはない。大概は仕事先に向かう人が多い。会社なり店なり事業を営んでいれば、そこを働き場にしているしている人がいなければなりたたない。台風がが来るからと言って、先だって休業にすることは少ないのは考えられることだ。大企業はなおさら、社員の確保が要求される。余分な従業者を雇うという状況はまずない。非正規事業者であれば、なおさら「休暇で休む」ことさえかなわぬことだ。

 昔は、といっても昭和の450年代に、台風がきて危険な状況が想定されるときには、職場の組合の要求で「婦人は早く帰る」という措置をとっていた。婦人の後はより遠い通勤の人だった。安全への配慮として機能していたと思うが、これが「当たり前」とうマイナスをもったこともあるにはあった。このころは、春闘のストライキもまがりなりにあって、「労働者」としての処遇の改善がいくばくかあったときだった。

 国際競争力だのグローバル化だか何だか知らないが、働く人たちの自己努力が啓発されて、美徳として通用させてきたことも、し烈な「競争原理」のもとでなおさら強調される。こんなことがいつまで続くことなのだろうか。それでいて、ろくに賃金をはじめとした処遇が向上することはない。
 悪天候の状況に抗して働くのは、仕事評価の側面があるうちはなかなか難しい。「特別警報」は、大島の土砂災害以降は警報が早めに出されることになっているようだ。実体的には疑問もあるが、都心部で働く場合でも即応した警戒態勢が取られてもいいのではないかと思う。

 「25メートル以上の強風」の場合は危険が伴うとされているから、こういう状況下では事業者には「休む」というなんらかの協力を行政が呼びかけるということはどうなのだろう。そういう危ないときにはみんなで「休業」という風潮をつくりあげれば…。なにせ居住地区には「避難勧告、避難指示」があるのだから。

 ところで釣りの会が、天候によってつり大会を中止すことがある。当然危険を斟酌してのことだが、ちょっとくらいの雨風では中止することはない。つり行動に傾注すればそれは当然のこととも思える。そういったときにする釣りは技量をあげて、その後の釣りにも良い影響がある。体験でもそのことはわかるが、「危険が及ぶ場合」を判断することは容易でない。中止にしてもコロリと予報が違ってしまうこともある。「遊び」であっても身に危険が及ぶ場合は避けるのは当然のことだ。


 判断の過程で、現地の漁業者の話が伝わった。こういう天候では漁はしないよというものだった。漁を営む人たちのギリギリの判断も、つり志向者の活動には大事な参考になることだ。大昔の命がけの漁を模した釣り活動だというと大げさかもしれないが。




2014年10月5日日曜日

危険なところに行くとき

 御嶽山の捜索活動に、総理大臣の声ガカリで自衛隊が派遣された。御嶽山の噴火活動と降雨によって、活動がたびたび中断された。マスコミの報道は、自衛隊の活動ぶりを露出度をあげて流していた。自衛隊だけでなく、警察も消防も地元の自治体もことに対応していたのに、自衛隊だけがやっているかのようにさえ見えた場面もあった。
 
 注目の自衛隊員が、足元を滑らせながら心肺停止者を運ぶ姿を映像で何回も見ながら、その苦労は感じ取れた。しかしその捜索救助活動は自衛隊だけでない。そういう報道で、警察、消防で同様の仕事を担った人たちは、一言あったのではなかったろうか。

 地下鉄サリン事件のときは、消防隊が防毒ガスマスクをつけて救助活動をしていたのを記憶しているが、御嶽山でもその「防毒マスク使用」である程度の活動をできるのではないだろかと思っていた。硫化水素ガスに対応したマスク(簡易なもの?)をつけているのは見えた。そんなものでは効果が薄いだろうと見た目でもそう思えた。有効な防毒マスクをつけた大仰なスタイルで、山腹を歩き回るのはできないことなのかもしれないが、そもそも安全な装備があるのかどうか。テレビで見た画像と新聞からは読み取れなかった。
 
 危険であってもやれというのは、乱暴すぎるだろうが、そのあたりの判断をしていることとは思うものの、どうなのだろうか。報道が一面的だと想像たくましくする以外ない。軍隊なのだから、どんな所へも「戦闘」であるなら行くのが当たり前で、そうでなければ成り立たないという解釈も成り立つ。その論が現れた。もちろん一般的な常識からそう論じていいと思うわけではない。


 命に係わることなので…ということが合理的に説明されるなら、それを踏み越えてやるべきことではない。しかし自衛隊の場合、かつてのイラク戦争のとき 
「派遣される自衛隊員に対して、任務中に死亡した場合、国は弔慰金の最高額をこれまでより3000万円増やして9000万円支払うことを決めている。さらに首相から払われる褒賞金の最高1000万円を合わせると1億円となる。さらに、多くの人が加入している防衛庁職員団体生命保険や国家公務員災害法のもとづく報奨金をあわせれば、さらに数千万円上乗せされる。そのうえ、サマワの自衛隊基地の外での警備員などに特別手当が一日2万4千円が支給される。」という命がけへの扱いが処遇された。


 この憲法に反した「軍事行動」参加による場合と、他の場合とは違うとされたし、自衛隊派遣の命の代償とは違うことはわからないわけでもない。しかし命の重さは変わるわけではない。今回の際の扱いはどうなのだろうか。一定配慮が当然あってしかるべきと考えられる。隊員の命の安全は否定されるべきでない。ただ、だから安全のために「消極的な捜索活動」になってしまったら…。警察や消防も含めてその処遇はきちんとされるべきだし、そのことも心肺停止者に一刻も早く近づける条件を整えるひとつにはなったのではないか。


 書いているうちに、命との引き換えに金が用意されていれば「やれ、行け」みたいなことになっていることに気付いた。本当に硫化水素と爆発、土石流の危険を考慮したということで、捜索活動を保留したことが実態的に運んだのかどうかの夢想にさいなまれてのこと。ことを外しているかもしれないが。




2014年10月4日土曜日

御嶽山、お寒い観測体制

 御嶽山の観測体制は傾斜計が1と地震計が4つあるが、いくつかは正常に機能していなかったという報道があった。地震予知そのものは難しいとは専門家の話だ。しかし、だからしょうがないということに置かれていてはいけないのは当然だし、災害全般に対して万全の備えをしておくべきことだ。日本列島に110ある火山のうち、頻繁に噴火活動を繰り返したり、火山活動の高まりが見られたりする47火山は、気象庁が大学や自治体などと連携し、常時監視体制を敷いているということだ。地震予知連絡会は何らかの火山活動の変化があるときに動くので、その兆候を把握する観測体制がしっかりと整っていることが必要不可欠なことだ。

 御嶽山の観測体制について地震予知連絡会の藤井会長は、記者会見で--御嶽山の観測体制の増強は必要か?と問われて、「それは当然。御嶽山の観測体制は必ずしも十分だとは思えない。例えば傾斜計を設置しているところは1点しかないとか、地震計も必ずしも適切な位置に設置されているとは限らない。もっと観測体制を充実させる余地はあると思う。今後のことを考えれば当然、観測体制の充実は図られるべきだと思う」と応えた。

 昨今の災害は、温暖化が影響しているとみられる異常な気象で、大規模なものになっている。万一への備えがなくては枕を高くして寝られない。災害に起因する自然の活動を止めるわけにはいかないが、起きた時のために備えることは大切なこと。人の病気ではないが、事前の備えがあってこその被災圧縮ができるので、その投資は、被災(額)より少なくて済むはず。

 ところで、「自民党は、御嶽山の噴火が予知できなかったことを踏まえて、活動を休止していた同党の火山議員連盟を再開させることを決めた。火山の監視強化策などを検討し、政府に対策を要望する。議連は2008年に発足したが、大敗した09年衆院選で議連幹部らが落選したことなどから休眠状態となっていた。」との報道があった。 

火山議員連盟、自民が再開へ…幹部ら落選で休止


 地震も多いが、火山活動も始終おきているから、その対応は他国には比較できないほどの対策が必要なはずだ。落選のために…が理由になどならない。全くお寒い政治だ。
 また、御嶽山の観測体制を巡って、片山さつき議員が「民主党の仕分け」のよって、予算が切られたのだというウソまで使うとは、政治家としてなんたることだろうと思う。ここまでくればもう政治家としての資質の問題だ。

 観測体制の強化が急がれるが、27日の御嶽山爆発の数日前から、その兆候が見える。兆校が事前に分かるのに、充分知らされないとはどういうことなのだろうか。(シロウトだからいえることかもしれないが)



上記から抽出





2014年9月29日月曜日

御嶽山と御岳山の違い

 御嶽山は御岳山とは違うと、東京人は思うだろう。噴火で犠牲者が出ている御嶽山は、朝日新聞は報道で最初「御岳山」を使っていた。この文字は誤りというわけではないようだが、グーグルの地図で見ても山は「嶽」の字になっている。御嶽山の周辺では「岳」の文字をつかっているモノもあるようだ。王滝川をせき止めてできたダム湖は「御岳湖」となっている。この湖の上流にあるのは御「嶽」山神社里宮がある。

 朝日新聞が日曜日に、これまでは新字体で「御岳山」と記事に書いてきたが、今後は「御嶽山」と表記すると断り書きをした。事が新字体を使ったということなら、それはちょっと違うような気がする。あくまでも固有名詞なのだから、文化や歴史があっての呼称なので、新字体に換えて使うというのはおかしくないか。

 私事ではあるが、昭和40年の初めころちょうど「電算化」が始まっていて、運転免許証がオンラインとなり「フリガナ」が付けられた。現在とは違って、本人に確認もせずに、勝手につけたものだった。「アオヤナ キョウ」というものだったが、漢字で書く名前からは、かなり大ざっぱなつけ方だった。勝手につけたという断りもあったような気がするが、定かでない。現在では行政関係の名前使用はフリガナを申告させ、あるいは照会して登録しているから、本人確認のために正確を期されている。

 IC技術の向上で、記憶容量が大きくなっているから、名前にしても「斉・斎・齊・齋」などひところの「斉」使用は、本籍登録上の文字を使用することが可能になっている。他人と違う一個人として尊重されているということにつながっている。同様に、その地方でつけられた地名や呼称は、国土地理院でも基本的に使用しているものだから、この点でも「略す」という意義は存在しないと思われる。

 朝日新聞の「御岳山」使用について何らかの選択基準が別にあるとすれば、中日新聞の表現があるようで、この新聞は「御岳山」を使っている。新聞社は、現地も含むエリアを「管轄」しているので、何らかの選択基準を持っているのかもしれない。(それとも新字体?)

 なににつけ、存在するものは他にはない固有のモノだから、区別されなくては正確な表現にはならない。東京が文化の中心である必要はないが、東京にある「御岳山」も名のある観光地なので、同じでない方がいいと思っている人もいるだろう。





2014年9月26日金曜日

鈴虫が細々と鳴き、蚊が元気


 なにか遠慮がちに鳴き出している鈴虫。虫の音は年を追うごとに、鳴き競うことが少なくなり、ほんの申し訳程度に声を出している。「あれ松虫が鳴いている♬チンチロチンチロチンチロリン♬~」という唱歌もいまや、絶滅危惧種のようだ。昔は煩いと思うほどだったのに、今や生息できる条件がなくなってしまった。とりわけ都市部には壊滅的になくなってしまった。
 セミの場合は大概6年もかかって、地上に出てくるのだから、地上の改変にはびっくりすることだろう。林だったり森だったり、木が植わっていたところが、消失してしまったら出てきたときにどうしていいものやらこまってしまうだろう。同じ木の枝に付く蝉の抜け殻はは、そうした事情だろう。
ウォーキンングに出かけたときで見つける木々は、建物の敷地や周囲によく見るが、昔はきっと林だったのだろうというところや、大きな屋敷の跡の庭が放ってるところがある。注目していた、大きな庭のある林のようなところも、なにかほかの用途に使うような気配がある。神社はさすがに「保全」されているが、ほかはなくなるばかりだ。

 わが娘は、間違いなく自分の血を引いていると見えて、蚊に刺されると痕がひどい。家に入ってこないように、窓や戸を開けるときに大騒ぎする。最近その蚊もいやに小さいのが飛んでいて、家の中では、捕まえるのが難しくなってきた。むろん目と運動神経劣化の原因があるが、考えるにやぶ蚊などが生きていく環境がなくなっているのではないかと思う。網戸とエアコンは大概の家にあるから、蚊も繁殖していくのに大変なのだろう。それは蚊が嫌いなものにとって結構なことであるが、その結果より小さいものが増えてくるようになったらまた困る。

 蚊がだって馬鹿にできない。原発集会の場所を止めるくらいの影響を持っているのだし、(集会を邪魔したのは誰だ?)、そんなところまで国際化する必要はない。2000万人も日本に来ることになったら、くっついてくるモノはいろいろあるだろうとは、余計ない心配かな。
 
ブラジルでデング熱をブロックする働きを持つバクテリアに感染させた1万匹の蚊を放出するのだとか。でも、その蚊は人を刺さないのかね。

 
デング熱を根絶やしにする蚊が登場














2014年9月22日月曜日

頼りにしているバックアップHDDで安心できない

 撮った写真の画像ファイルを外付けのHDD(記憶装置=ハードディスク)に保存しているのだが、HDDは「必ず壊れる」と話したのは、デジカメ講師の確信だった。つい先日ハイドディスが少し唸ったと思ったら、そのままウンともスンとも動かなくなったそう。そうなったということなのだから、迫力がある。こころあたりと言えば、パソコンはおよそ2年程度で具合が悪くなってしまう経験があること。使い方が乱暴(使う時間も含めて)なので、製作側の使用頻度の時間の想定外になっているのかもしれない。そんなこと言っても結構な値段なのだから、そんなものかとあきらめるには悔しい話だ。
 
 ICの開発はものすごいし、製品も低廉化してパソコン本体の改変もまたすごい。それに伴ったソフトウェアーのバージョンアップがあるから、使っている古いパソコンが見捨てられるかのようになる。そこにのっているのも大変なことで、出費もかさんでいく。OSの改変も、ともかく短時間に切り替えていくので、そのまま使い続けることが許されない。パソコンを使うようになって6年間で、長短はあるけれども4回(Windows Xp, Vista ,7,8.1)も「バージョンアップ」している。パソコンの使いようは、慣れて使い込むほど新しい機能が必要になってくる。戦略的に使用寿命は長くないようしてあるのだと思われる。だから、パソコン本体の耐性など長いこと使うことを想定しないのだろう。

 そんなもの使わなくても日常生活に大きな影響はないと思っていたが、結局パソコンをNETも含めて様々な活動分野でも使わないわけにはいかない。これが大局、経済のありようと絡んでくいる。そしてグッズとして社会の動向に影響を与えているところまできている。一器具に振り回される無駄多き社会だと切り捨てられるうちはいいが、そうできなくなっているのも事実。それにしても、パソコンのHDDが壊れて使えなくなるということが、間違いなく起こるものと妙な確信をもってしまった。そこで、講師に進められた外付けのHDDを購入して、そこにバックアップすることにした。

 もっとも、そんなに残しておくべき価値のある写真かどうか、それはそれで問題ではあるが、不要なものでも「もったいない」価値観を宿してきた者にとっては、とっておくべきものの範疇に繰り入れられている。某フリーソフトをダウンロードしてというところまで、指導してもらってその資料を見ながらのことで、わりと難なく設定できた。撮った写真のファイルは、これまでの分全部外付けのHドライブに保管しているから、そこから新しいGドライブにバックアップするということでよい。設置したHDDGドライブとして、Hドライブの写真ファイルがコピーできるように指定しら、かつての動きとは違って、かなり高速な動きで終了した。「ミラーリング」の機能を使ったので、指定したファイルの動きを監視して、変更や加除があれば3分ごとに更新してくれるようになった。


 ついでに、ほかのファイル2系統もバックアップに加えたが、これでパソコンの各HDDにあるファイルが飛んでしまっても大丈夫と、安心を手にいれたつもりだが、そのHDDさえいつまでも大丈夫という保証はどこにもない。断定はできないが2年も過ぎればハラハラの日常を迎えることになる。いつまでも安心が手いはいらないというICとは、人間社会に幸福ばかりを与えるものでない。




2014年9月17日水曜日

屋根の下のテンゴクとヂゴク

昨日はまだ暗さが残る5時に起きてしまった。米を砥いでから7時過ぎまで余裕の感じ。労釣連のHP更新をしたから、朝から張り切っていた。味噌汁は玉ネギにナメコを入れたもの。お婆ちゃんは「豆腐を食べていいかい」という、小さな豆腐の3つ入りのものを購入してあるのでOKだ。もちろん「はいどうぞ」。 
何がどうなっているのか、作って用意したものは、多くは食べないのだから、ピントが合わない写真のようだ。イヤそうではない子供たちも同じことか。イヤイヤそうじゃない。自分でさえそうだったのだから人の批判ばかりはできないこと。作る人の苦労というと沽券にかかわるから、子供たちにもにこやかに言わなくてはならない。

朝食が終わって、今日は洗濯をしないので、資源ごみを外に持ち出してから、9時半にはパソコンの前に座る。朝差し掛けだったHPの更新作業は昼までかかってまだ終わらなかった。昼食時にお婆ちゃんは2階から降りてきて「食べたくないねー」という。実は自分も食欲がなくてどうしたものかと思っていたが、食べないというわけにもいかないので、中華つけ麺を食べることにした。無理して食べなくていいよといったら、ほんの少しだけ食べた。息子なら二人分は楽に食べるところ、中高齢ペアでは二人前で十分だった。

午後になってようやくHPの更新ができた。一息ついて気分が楽になったとこで主夫の再開だ。冷蔵庫になくなったものをメモに張り付けて、キュウリ、ナス、ジャガイモ、玉ネギなどなどを買い足す。が、買い物とは余計なものを買い込むことにも「意義」があるようで、あ、そういう惣菜でとか、商品を見ながらあれなら作れそうだと思って、余分に買い込む。それで安心を手に入れることができる。しかし、今日はメモなしで買い物にいったら、ナスは冷蔵庫にあったじゃないか。馬鹿ねー。ご愛嬌という良い言葉が役に立つ瞬間。買い物に出て、山手通りコースを遠回りしてウォーキングしながら、あれこれ算段したのにまとまってなかったらしい。脳の前頭葉「一時ファイル」がすぐどこかへ行ってしまって、追いかけるのに大変だ。

次にやること忘れちゃならないことを指さし点で呼認識するものの、体調で左右されることもあるらしくて、いつも気合が入っていい結果が得られるというわけにはいかない。きっと自分の脳をたぶらかしたり、褒めたりしながら気力を湧き立たせることがこれからもっと増えてくるのだろう。気持ちと自分の動きがマッチしないことがよくでてくるしから、あんまり責めないようにするつもりだが、「815分に食べる!」と宣言されると、勝手にしろというには平時すぎる。と、戦闘状態を心待ちにするかのような気分に陥りそうにもなる。なんであれ、余裕が必要だとあらためて思う。キリキリと成果主義に追いかけられるわけではないにしても、「やってやろう」という気構えのうちには、ストレスが生じることになるのかもしれない。

2014年9月14日日曜日

山と海を壊すことが、平和を守るというさもしさ

昨日の赤旗新聞で、辺野古新基地の埋め立て使われる土砂は、奄美大島や徳之島、瀬戸内海の小豆島などの山を削って使うという計画との報道があった。まさに驚きの「公共事業」だ。2020年オリンピックの競技会場でさえ、自然に配慮したやり方をとの合意形成が進んでいるのに、どうした乱暴さだろう。そのうえ新基地建設は、環境影響評価を避けるという姑息なやり方をするという。

いずれにしても、長時間を重ねて造られた自然に爪を立てて削るという行為は、自然の大切さを思うすべての人たちからも支持されないことだし、美観だけでなく地域のさまざまなバランスを崩すことになる。もう、そういう時代ではないと気付くべきだろうし、わかっているのなら一歩踏み出すのが見識というものでないか。

「アメリカのためなら」黙って従うということなら、日本国内のこれまでの自然破壊に対しての批判に、政治の面でほとんどないがしろにしてきたうえに、臆面なくまた重ねた不届き極まることだ。言い方を変えれば、環境破壊の上に進めてきた「日本の公共事業」を、アメリカの軍事行動を意識した「環境破壊」へとステップをすすめたことになる。屋上屋を重ねるとはこのこと。それも最悪の選択だ。

リニア新幹線は、残土の処理も明確にならないまま、強引にすすめられることになっている。行く先が明確になるわけでもなく、事実上造ることだけに意義があるとすれば、経済成長というよりも博打と変わらない。これが、憲法をおびやかして戦時への準備となれば、その範疇よりなおさら問題は大きい。人の生活もそうだが、自然を隷属させて人間の支配下に置こうとしてきた。そのことを今意識しなければならないときだろう。自然界の「リバウンド」はいま大きくなっていると言えないか。日本中に起きている温暖化による「異常気象」災害は、ここに至った原因に素知らぬ顔でほお被りし、自然の現象なのだと一向に顧みないできた結果ではなかったのか。







2014年9月13日土曜日

新天地で開拓気分というといいすぎだが。

連れ合いが腰を手術するため入院してから半月以上たった。経過は順調そうでなによりだ。その間、義父を養護施設にあずかってもらって、義母と息子の3人の生活になった。調理というか、そのまねごとにああでもないこうでもないと、日頃かかわりが少なかったツケを今払っている。茹でてあるフキだの、肉だのトウモロコをむいた冷凍の実だのの、グザイを大分消耗して冷蔵庫の冷え具合がよくなった。心細くもなったが、己が働いた証拠にはなった。近くに住んでいる娘が、援助に来てくれるが彼女の分も作ることになるから、対象が4人ということで、子供の手前張り切ってやらざるを得ない。

難しいのが義母の食欲で、もう90歳に手が届くかというところで、もともと好き嫌いがあるし、何が食べられるかの相談も「何がいいかね」となるので、考え甲斐がある。いや、本当に動きが悪くなった脳を活性化させて、頭にはないバリエーションを編み出して、肉と野菜を入り混じらせて、結果はいかに?という腕前だから、食べさせられるほうもやっかいなことだろう。

娘に「うまいよ」などとお褒めの言葉をいただくと、「やればうまくなっていくんだ」と見栄を張る。義母の場合は「おいしいよ」と時々お世辞を言ってくれるが、作っても食べないという連れ合いの話よりは、作っても普通の量は食べきれないということだろう。いまだにぶら下がっている貧乏能楽師は、大まかにいって家事の助け人としてはまずダメだな。ブラック企業並みの「しごと」で、夜討ち朝駆けみたいな生活をしているから、無理なことかもしれない。将来どうなっていくのか心配の限りではあるものの、どうしたらいいのかという悩みも感じられないという不思議な存在だ。


我が家、食事のときにテレビを見ながら食べるが、これはどうもよくない。食卓を見ないで食べることになって、旨いかまずいかしょっぱいか、などの味わいが消されている。子供が小さかったころは、消していたものだったが、いつの間にかこうなってしまった。特に年寄りの場合は子供のようにテレビにくぎ付けのようになるから、多分食卓にのっている食べ物と味には不感症になって、「食べる文化」には程遠いところにいるのではないかと思った。いまごろになっての自覚も、滝に打たれている成果だろうか。




2014年9月7日日曜日

東京大改造で得られるものは

2020年オリンピック招致が旗振り役で、東京の「再開発」計画がすごい勢いだ。都市開発はこれまでも、官民がかりですすめられてきた。旧来の住宅地をつぶして、ビルを大量に建造して「ニギワイ」のある街を造ってきた。身近な所でも、その改造はとどまるところなく、次々と新しいものができあがった。しかし、その結果が働くものと住民からの目として見た場合に、すなおに喜べることになったのかどうかは疑わしい。

一勤労者として、はたまた住民としてその成果を受けたことに思い当たることは、どれだけあるか。高層ビルの上から、はるか下を見下ろす快感を味わいながらビールを飲む瞬間に、「おお」とその気分を表すことくらいはあっても、先を争う通勤時間帯や周囲が敵と見紛うような人の交差。昼食は休憩時間にはならない食糧の確保の苦労。住地域の商店はスーパーに凌駕されて、開店時間を延ばして生き残るか、シャッターを閉じる選択しかないかのような始末。静かだった住宅地も、マンションの建設や事務所の増加で地域のゴミ収集にも物議がおこる。そういう風情はなかなか文学にもならないようで情けない。

ケンプラッツ「東京大改造」(日経BP社のHPで会員登録が必要…無料)からコピペした東京の開発の動きだが、昨年9月のオリンピック招致決定以降でも、驚くほどの開発計画が予定されている。これだけの莫大な資本投下のあとにくるものは何だろう。バブルがはじけた後の…記憶は残っている。

神田川に桟橋現る、御茶ノ水駅の改良工事が始動
2013/09/10

上野がゆるりと近代化、下町にも再開発の波
2013/09/26

リニア駅周辺で始動する大規模プロジェクト
2013/09/30東海旅客鉄道(JR東海)が2027年の完成を目指すリニア中央新幹線について、詳細な駅の位置やルートを明らかにした。既に、リニア駅の周辺では複数のプロジェクトが始動している。それらについて解説する。リニア中央新幹線の詳細については既報「リニア詳細、全ルート・6駅の位置が明らかに」を参照してほしい。

田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ
2013/11/25
 

東北縦貫線は「上野東京ライン」、14年度末開業
2013/12/09

西武新宿線でも連続立体化が始まった
2013/12/24
 
どうなる横浜駅大改造、西口はJRに一本化
2014/01/17
 
街との共栄目指すJR高架下施設が開業
2014/02/04
JR中央線東小金井駅(東京都小金井市)付近の高架下に、商業施設「nonowa(ののわ)東小金井」が開業した。施設の延べ面積は4600m2、うち店舗面積は2400m2で、飲食や雑貨店など21のテナントが入居する。周辺の商店街と協議を重ね、地域への回遊を促す仕掛けを盛り込んだのが特徴だ。

横浜駅大改造を縮小、線路上空には建てない
2014/03/10
 
渋谷は地下もスゴくなる、クルマも自転車も
2014/03/24
 
JR渋谷駅が大移動、17日夜から準備工事
2014/04/16
                     
渋谷に「春の小川」は復活するか
2014/05/07
 
広がる池袋東口、エコミューゼに続き新ホールも
2014/05/20

6月に着工、渋谷駅の46階建て超高層
2014/05/27

品川新駅の衝撃、13haの巨大複合都市を創出
2014/06/03
 
品川新駅で湧く近未来の“湾岸”鉄道網
2014/06/18
 

新宿御苑かわしバイパス開通へ、計画から半世紀
2014/07/02
池袋と新宿、渋谷の3つの副都心をつなぐ明治通り。JR山手線の内側に沿って走る東京都内の幹線道路だ。慢性的な交通渋滞が問題となっているJR新宿駅の東側で、明治通りのバイパスをつくる工事が静かに進んでいる。
 当初の計画が決まったのは、今から約70年前。しかし、バイパスは開通することなく、長らく止まったままになっていた。希少な樹木の群落がある新宿御苑の敷地に道路が掛かる計画となっていたからだ。
 バイパスを整備する東京都は2005年、道路の構造を見直してこの群落を回避できるように計画を改めた。工事は10年からスタート。20年の東京五輪を前に、ようやく開通のめどがついた。
 
東京駅丸の内側に大広場、17年春に誕生
2014/07/04

飯田橋駅はカーブも勾配もきつかった!
2014/07/11
東日本旅客鉄道(JR東日本)が72日に飯田橋駅を改良すると発表。カーブしているホームを新宿方面に約200m移設して直線化し、西口駅舎も建て替えて駅前広場を整備する。

モノレール試乗で羽田空港の未来が見えた!
2014/07/18
 東京の浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールに17年ぶりに新車が登場。715日に報道関係者向けの試乗会があった。新車両は18日から定期運行を始める。首都高速道路が625日に羽田線の更新計画を発表、720日には空港船着場に定期航路が開通するなど、羽田空港を巡る動きが慌しい。モノレールに乗って空港に向かうと、羽田周辺の未来が見えてくる。
滑走路と駐機場を増設へ
 モノレール試乗会に先立つ78日、国土交通省の交通政策審議会が首都圏空港の機能強化について中間取りまとめを公表した。羽田空港については2020年開催の東京オリンピックの前後で、処理能力の’拡大へ向けて新滑走路を設置するなどの案を盛り込んだ。

ついに着工、渋谷大改造の全貌
2014/08/01
 「50年や100年に一度」といわれる規模で進む東京・渋谷駅周辺の再開発。シンボルとなる最も高い「渋谷駅街区東棟」の工事がいよいよ本格化する。731日に起工式が開かれた。東急東横線の地上線路跡地で進む再開発も含め、渋谷大改造の全貌を詳報する。
 
品川は大丸有と並ぶか、鍵は京急線の地平化
2014/08/05
 品川は大手町や丸の内、有楽町と並ぶ「国際交流拠点」となるか。東京都が717日に公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」から将来像を読み解く。

都が示したガイドライン案は、約630ヘクタールの広大なエリアを対象とする。都心最後の大規模土地利用転換を見据え、街づくりやインフラ整備の方向性を打ち出した。8月をめどに正式決定する。

御茶ノ水の線路脇で耐震工事が進行中
2014/08/19    
神田川の右岸に沿って設置されているJR東日本の御茶ノ水駅の周辺では、大規模な耐震補強工事が進行中だ。実施箇所は、神田川に掛かる水道橋と昌平橋の間の約1.2km

羽田空港アクセス線
2014/08/20
JR東日本は819日、羽田空港と都心を結ぶ新線「羽田空港アクセス線」を整備して東京・新宿・新木場の3駅方面と空港を直結する計画を明らかにした。新線は羽田空港新駅東京貨物ターミナルまでを結ぶ約6kmの地下ルートだ。

「オヤジの街」にシャンゼリゼは出現するか
2014/08/21
「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元の路上に2つのオープンカフェが誕生した。目指すのはパリのシャンゼリゼ通りだ。虎ノ門から新橋まで延びる環状2号線(新虎通り)沿道では街並み再生のルールが決定。昭和のオフィス街が大きく変わろうとしている。
 地上52階建て、高さ247mの超高層ビル「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元でもちょっとした変化があった。虎ノ門から新橋までを結ぶ「新虎通り」にオープンカフェが2店舗誕生したのだ。
 歩道上にパラソルを広げた両オープンカフェは、東京都が進める「東京シャンゼリゼプロジェクト」の第1号として設けられた。観光客のほか近隣のオフィス街や官庁街に勤める人々が気軽に立ち寄り、にぎわいを生んでいる。

「新東京」名乗るのは品川か新駅か
2014/08/27
東京の南のターミナルである品川駅は今後、リニア中央新幹線のホーム建設をはじめとする様々な計画が進み、東京駅に匹敵する拠点に生まれ変わる。リニア駅を新駅とみなせば、慣習に倣って「新東京」駅を名乗るところか。

品川は北もアツい、一足先に大変身
2014/09/03

リニア中央新幹線や新駅の開業計画で盛り上がる品川駅。その北隣では一足早く再開発が進んでいる。2000年以降、人口がおよそ3倍に膨らんだ東京・芝浦。最寄りとなるJR田町駅の東口北地区に生活の一大拠点が誕生する。かつての埠頭の街は今なお変化を続けている。



2014年9月3日水曜日

温暖化で抜き差しならない日常

O-157の感染源については、まだわかっていないことが多い。アメリカでは、牛肉・乳製品が最も多く(約51%)、それ以外ではサラダ(約19%)、人から人へ(約12%)、飲み水・プールの水など(約12%)、アップルサイダーとのこと。アメリカの食環境に入り込んでいるらしい。このところ日本では出てこないが、夏から初秋にかけて発生しやすいと。これも気温上昇による要因があるようだ。

温暖化による海水温上昇が沿岸漁業に与える影響も相当あるらしい。1990年以降日本海の定置網にかかる鰆が増加して、地球規模の気候変動との関係が報告されている。福岡県筑前海の鰆も、冬季に漁獲があるのだとか。獲れる魚が違っていることで、食文化にも影響を与えている。サンマの南下が遅れて、この時期北方の遠方へ行かないと獲れなくなっていることが増えた。エサの補給源である栄養塩が高温によって沈み込んだままの状態であることが影響しているのだろう。昨日のNHKの報道で、栽培漁業にもその影響があり、ヒラメの養殖では、水温が高いため死んでしまうヒラメがでてしまっているらしい。高水温でも生き残れるヒラメを、研究しているとか。いよいよ天然ものものからは遠ざかる事情だ。

ヒラメは韓国産とほぼ同等の「生産量」なっているから、競争もし烈だ。日本のヒラメを食するのはいつまで可能かというところまできた。加えて養殖では避けられない細菌性の病気対策も大きな問題だ。ヒラメのエドワジュラ症、ブリの連鎖球菌症、細菌性溶血性黄疸などあり、淡水魚でも有名なアユの冷水病、アマゴの細菌性腎臓病、ニジマスの連鎖球菌症等、自然界では問題にならないだろう病気が、養殖環境の中で伝染する。

人間の側が、自己都合で改変してしまった自然の環境のなかで、生き残っていかなければならない魚には残酷な話だ。
デング熱は東南アジア、中南米などで発生しているものであるのに、媒介する蚊が代々木公園に生息している。気温の上昇で熱帯に近くなっているということだろう。温暖化が外来生物の「国際化」にも及んでいる。いわば人間の世界が誘導している。長い時間をかけて生息環境になじんで変化してきた生物に、重大なストレスをあたえたままでいのか。





2014年8月31日日曜日

代々木ゼミ、受験生が少なくなったから縮小とは。

子供が少なくなったから、競争が無くなって、大学入学が容易になってきた。大学の定員割れが起きて、教育産業には打撃になっているとか。定員が少なくて、受験競争が激しくなる方が事業として成り立つわけだから、悪く言えば人の不幸につけこんで利益を上げる産業だ。親のスネかじった金を当て込むことで成り立ってきたのだから、理屈の上では良いことと言えるのだが…。代々木ゼミは大幅に縮小するそうだが、駅から5分以内の場所にゼミ校舎・施設設置しているので、廃校によって売ってしまうにしても地の利がいいから、需要が見込めるのだとか。その学生寮なども購入企業の宿舎として利用できるということまで想定していたという。これを持って「見通しのよい」優秀な事業者だったと評価する向きもある。

教育が私的事業者に依拠することは、教育に責任を持つ国や自治体の本来あるべき姿ではない。大学もいまや教育「事業」として、私企業から補助金を受けて研究開発の一体化へと走っている。産学協同はいかがなものかと言われてきたが、最近はほとんど聞こえない。しかし、いまや産学連携は「常識」のように闊歩している。教育が私企業の開発のための下請けになって、その研究に従事した学生が、ノウハウをもって企業に吸収される。それでいいのだろうか。大学の自由で豊かな研究、学習を歪ませていないだろうか。

公務員の場合も公務員専門学校がある。本来は事業者が企業業務の教育をするべきところ、就職前から自己の責任と金で、事前教育を身に着けさせるという可笑しげなことがまかりとおっている。新規採用者の教育にかかる費用が安くて済むという話だ。事業者にはやさしい制度が堂々と許されている。

―東海大学のソーラーカー開発に多くのスポンサーがー
  →東海大学木村研究室







2014年8月26日火曜日

自然を邪険に扱うこころ

自然とのかかわりから人間は抜けられない。であるのに自然に対して冷たい仕打ちばかりが目立つ。人間集団の運営は、自然に対しての考慮も配慮も先送りしている。もっとありていに言えば、事業活動優先の「ものみな」有意義な資源としてみているところに原因があると言えるのではないだろうか。

農業でもコメ作りを大規模化させて淘汰し、日本の一つの県ほどの面積が減反として切り捨て誘導され、「耕作放棄地」とその名も主体的にしたかのような文言で切り捨てた。写真に撮る「棚田百選」でも、美なる田んぼはもはやオーナー制度の観光農園としてしか生き残れないところもある。これが文化として残っていくのだとあれば、あまりに皮相すぎないか。

以前にも書いたが、佐渡のトキを増殖させるために、ドジョウが田んぼに生息する環境に回帰させる、つまり田んぼの昔の姿の戻すことに金をかける。「特別」の資金(税)を投入して。これを素直に、自然への配慮という評価するわけにはいかない。自然の体系が守られることが必要だと、気が付いたことは良しとしても。

経済成長の美辞句のもとに、事業活動の有効なグッズ=自然としてしか扱ってこなかったこと、その影響が様々な分野で問題を生じ、指弾を浴びるのは当然だ。これに気付くべきだということは声を大にしなければならないことだと思う。一刻も早く今からどれだけのことができるかを考えなくてはならない。

自然を大切なものとて考える団体も少なくない。なのに、市町村や国の機関はどれだけの施策を持っているのかを思う時、期待の大きさとの隔離を思わないではいられない。「資源」としての活用という範囲しか見ていないという、これがネックとしてあるといえないか。沿岸海域の魚貝類はおしなべて養殖したものが幅を利かせる。そのことを全部否定するわけにはいかないが、それほど海が疲弊化していることだと、しかたがないことに終わらせていいのか。




もともと自然の力は壮大なものがある。気仙沼市の唐桑町は3年前の津波被害で大きな打撃を受けた。
漁業従事者が生き死をかけた復活を試みて、皮肉なこと津波で変化した海岸にアサリが繁殖しているのを見て、復活にかける決意をした。15メートルもの防潮堤を造ってしまったらそれさえもなくしてしまうと、建設不要と言っているとのことだ。

津波にあって、海底の改変がおきたところでも、アマモの繁殖がすすんでいるのだということも明らかになった。しかもアマモは湾を跨いで流れていって繁殖するということだ。神奈川県の水産試験場が、東京湾にアマモを増殖させる努力を続けているが、自然の力とはそもそも凄いものだ。これをほとんど失くしてきたのが自然への「もてなし」だった。東京湾の三番瀬でもアサリが繁殖している。湾のほとんどの浅瀬を埋め尽くして造成してしまった今、この残された貴重な干潟にアサリが息づいている。その稚貝はかつては東京産として地方から求められていた。自己再生が不可能になった今、日本の各地でもアサリは種苗生産としての道を残すだけになってしまった。





2014年8月22日金曜日

開発と言う名の自然破壊になるのでは

 広島県の<土砂災害危険箇所>特別警戒区域の指定が遅れているという記事があった。

~「特別警戒区域」の指定は、320か所と全体の2・7%にとどまる。同課は「警戒区域の指定を先行させ、まずは住民に危険箇所を知ってもらうのが狙い」としているが、新築時の建築確認など規制や制約を伴うため、「地価下落や風評被害を心配する住民の反発を避けたい」との思いもあるという。
 特別警戒区域の指定も、住民の同意を得る必要はないが、県は「納得してもらった上で指定したい」と説明を尽くす方針だ。このため、警戒区域との同時指定を目指す、ある1市約20か所については調査から1年以上経過しているが、警戒区域に指定しておらず、特別警戒区域の指定にはさらに時間がかかりそうだ。~YOMIURI ONLINE  

 昨日のブログで指定に反対すると、行政側が指定しないと書いたが、広島県は「反発を避けるために納得してもらって…」というやり方をしていると、事実上反対があれば指定しないと述べている。住民にとって地価の下落を心配するというとが、本筋なのだろうか疑問だ。16年前に起きていることへの教訓はどうしたのだろうか。

 広島市の住宅開発は、丘陵地を利用したものを重点的に描いている。これが、広島西風都市という名の開発計画によるものらしい。土砂災害がひどかった安佐南区がこの都市開発に組み込まれている。
 ここは市街地の原爆ドームの前を流れる大田川の上流部が、婉曲して囲んだエリアになっている。被災地の広島市安佐南区、安佐北区の航空写真をみると、低い山のいたるところがおおきく掘削されて、住宅地として開発されているようだ。山頂付近の住宅の一群に単独の「丁目」がついているところさえある。こんな開発でいいのだろうか。

 グーグル地図→広島市安佐南区

 航空写真では、山や森の役割をほとんど無視しているように、「人のテリトリー」を拡大している。むりやり山を削って痛めつけ、ヒートアイランド現象を増大させること、このリアクションが今の破壊的な豪雨の元になっていると言えるのではないのか。人が住み続ける場所の造成は、本当は「山のエリア」ではないのか。ないがしろにしているツケ、そんな風にも思える。


ひろしま西風都市開発推進協議会→ひろしま西風新都




(昨日のブログで「京都」と記してしまった。他、不正確だった部分を訂正した。)