2016年5月2日月曜日

銀座って深いねー。柳、イチョウ、プラタナス、そして柳に変遷。金春通りへ歩いてみる。

旅の友人との「昼食会」は、このところ銀座4丁目界隈の店でやっている。当然ながらビール&ほかのアルコールをいただいて、「お時間」をぎりぎりまで盛り上がる。追い出しを迫られて、惜しむ心を断ち切って歩行者天国に入り込むことに。「美濃部革新都政が始めた歩行者天国」などという比較的新しい歴史が、どこに記憶されているは不鮮明であっても、こういう空間があることは間違いなくいい。ともかくそこで憩う人たちの間はいりこんで、写真を撮らせてもらう。こちらは一杯ひっかけているのだから、度胸は備わっている。

つい先日、銀座8丁目界隈に「金春通り」があることをテレビで知った。ネットで検索してみたら、息子がやっている「能」の「金春流」と因縁があることがわかった。江戸時代、能の4派のひとつだった金春流に、江戸幕府がこの地に屋敷を建てさせたとのことだ。当時の匂いでもないだろうかと好奇心が湧いた。旅トモに話すと、じゃあ行ってみるかという賛同をもらったので、銀座4丁目からまっすぐ新橋方向へ向かうことになったのだった。

実に「歩行者天国」はいい。何がいいかといえば「憩い遊ぶ」ことで行き交っていることだ。ご多分に漏れず外国の言葉も飛び交っているが、ギラギラした日常と違う人のゆったりした様子が、あの新宿の地下だとか池袋、新宿の雑踏とは雲泥の差がある。人と人との間に空間が必要なのだなと思う。

銀座は柳がキーワードになっている。銀座の柳は明治期にイチョウに替えられたのだが、関東大震災で壊滅状態になり「東京行進曲」で♪昔恋しい銀座の柳♪(昭和4年(1929年))と歌われたのをきっかけにして、この当時植えられていたプラタナスから柳を植えようという気運があがった。後に作詞作曲も同じメンバーで「銀座の柳」が作られ完全復活が宣言されたとのこと。

大ヒットした「たそがれの銀座」(2004年)もこの歴史を語る詩が書き込まれている。

歌詞3番
プラタナスの葉陰にネオンがこぼれ 
思い出がかえる並木通り 5丁目のフユ子は小唄が上手 
6丁目のナツコはジャズが好き あなたを呼んで霧も振る 
銀座……銀座……たそがれの銀座
歌詞4番
♫数寄屋橋は消えても 銀座は残る 
とともにいつまでも 7丁目の酒場で覚えたお酒 
8丁目のクラブで知った恋 あなたが夢をくれた町 
銀座……銀座……黄昏の銀座

ロスプリモスのこの歌、曲の批評に「そのジャンルのうち、『ご当地ソング』のどストライクに位置する。ゆったりとした軽いリズムに乗って暮れゆく銀座の、ネオンサインがともるまでのわずかな時間の情景を歌う。気ままに生きる女たちの情景を。銀座という地名は飾りに過ぎない。あくまで主役は彼女たちだ。」というのがあった。コメントがカラオケファンにとってはうれしい。

海岸線がすぐ近くまであった銀座は地下水位が高いので、水を好む柳があっているという話もある。ところで金春通りの撮影の方は、かつての金春流屋敷の香りとムードがなかなか見えず、もう一つとらえきれなかった。













2016年4月29日金曜日

写真展が終わって、来場者の感想を読んだ

 先日の写真展の来場者の感想を読んだ。「共生」のテーマでやったことを歓迎されて(評価)いる記述があった一方、テーマを設定したことによる写真力「減殺」の意見があった。それぞれの写真がよかったからなのだろうと、やや手前勝手に思った。展示場所が狭いとの指摘は、結果としてなってしまったことなので、展示の全体からどうするのかということもあるかもしれないが、展示作品を減らすのはちょっと難しいことなのかも。

 次回(来年)のテーマ付けが、テーマの選択によってステップアップにつながるものなのか(共生というテーマが特殊なものなのか)どうかは整理しなければならないことなのだろうか。「良い写真」の延長線には「個展」でやるという目標の存在が見えてきた。自分のことはさておくとして、力量のある人は考えるべき位置にあるのだろう。

 「共生」に無理に閉じ込めたという感想は、見抜かれたという思いがする。「共生のテーマ」はその意義や範疇の理解が難しかったけれども、Iさんの「なるほど共生なのね」という言葉が、そこまで入り込んでの感想として印象的だった。写真展はテーマを選ばないでもできるのだろうから、決めたてやったことによってこちらの思いが、見た側から捉えられるのかどうかは多様なので、問題になるのかどうか?私の友人は、写真に対する接触経験は様々なので、テーマを見ろよということまでの要求をするわけにもいかないような気がした。

 写真全体に対する評判は良かったし、写真を撮っている知人、仲間には刺激を受けたという感想もあった。友人たちが写真を見ているときは、邪魔にならないように、なるべく集中し観てもらえるようにした。それがいいのかどうかはわからないのだが、目で追ってなにかありそうだと感じたときにはそばに行って話をするようにした。

 ただ、そのときどういう言葉を投げかけるかが難しかった。写真をよく知った仲間には「いいでしょ」ということも言ったが、乱発すれば押しつけにもなりかねないと思って、言葉は慎重になった。 
 
 写真に写っているものについての話がやっぱり一番多かった。テーマを決めたことで、そこを含めた感想まで引き出すのは難しいことだったが、今後の友人との付き合いもあるので、もう少しわかってくることもあるだろうと思う。テーマを考えあったことは、写真力をひきだす効果はあったのだろうと思う。自分自身何回も写真を見て回って、写真の難しさはもちろん感じたし、作品の明るさ・面白さ・各人の志向の異なり・着想の意外さ・社会性への踏み込みなど、総じて楽しい写真ばかりで、満足した写真展だった。

2016年4月23日土曜日

写真展で覘く新境地

 「新境地といえども細るわが身かな」というくらいのものかなと今回の写真展を思う。自分が撮った写真がどの程度のものかというあたりは、気になるところだけれども、わからないのが悩みどころで、「いいもの」とは眼力のある人でないとわからないことだ。自分が持ち合わせていないのだから、思い込みから抜け出せない悩みは深くなる。

 自分のものを人目に晒すというのは、相当のモノであるか、やっちゃえという開き直りなのかだとしたら、開き直りに該当することには違いない。ともかく、ゼミの一年の決算の展示会に乗せてもらえて良としたい。

 友人にも来てもらって、観てもらってから酒も飲んで、ちらほら写真の感想を聞かせてもらうことは、開き直りの成果ということになる。おまけに次の旅の相談までできるのだから。講評はその道の達人に任せておくとして、こうして付き合いができることは、人生の終盤にきてありがたいことだ。文化、芸術などには縁遠くきていたのだから、短い時間でどれだけのことができるのか、計ることもできないが、「滝に打たれるつもり」が続くことになるのかな。

 やや疲労を感じないでもないけれども、まだこれくらいのことができると思えば、もう少し先までのレールがあるのかもしれない。ゼミの方々や友人知人のみなさんお陰で、人生の一コマとして残ることにはなった。新境地がまだすっかり見えているわけではないが、明日24日までの写真展が終了してから、じっくりと振り返りたいと思う。





2016年4月17日日曜日

渓流初釣り楽しんで春を遊ぶ

 友人の別荘に誘われて那須に出かけた。那珂川水系の渓流が別荘近くにいくつもあって、春先のまだ枝の芽吹きがあるかないかくらいの自然のなかに、入り込むことができる。入り込む最も大きな事情は、釣り竿を片手に持っての「釣り」だ。

 前夜は写真展の作品プリントがあって、5枚を仕上げてからの出発だった。9時ごろ山荘に到着して、宴会を始めたので、翌朝の2時まで盛り上がってしまい、起きだして釣り場についたのは昼近くになっていた。

 以前に釣ったところなので、落差のない流れで危険はあまりないとわかっていたし、友人と別れた後の段取りも決めたうえで、ゆったり気分で釣り始めることになった。ここは別荘地として管理されている裏側を流れている渓流だが、依然来た時とほとんど変わらない環境で、そのためかろうじて自然が保たれているのかと、そんな気がした。「リバーサイドなんとか」という看板が見えているが、こんな山中で建て替えられた看板が少々ミスマッチなおもしろさを感じる。

 水量もあり釣りのポイントもそれなりにあるものの、魚のアタリはさっぱりでない。歩く時のバランスも危うくなってきていることを十分自覚しながら、ゆっくり釣り上るうち、ようやくヤマメが顔を出してくれた。小さめのイワナも釣れてきた。イワナはまだ元気がなくて、餌がごく少なかったときの体力から回復がしていないようだった。

 いまごろは大体そんなものだと、魚がいても餌に食いつかないという気がした。ためしに、いつもは仕掛けを3回仕も流せばやめてしまうところ、10回以上流してみたら食いついてきた。残念ながら水の中で反転して逃げてしまったが、やっぱりあまり食い気がないのだろう。

 ヤマメの習性はとても用心深くて、一度食べ損なうと二度と食わない。というより、こちらはまた同じところへと餌を放り込むが、食べることはない。おそらくは、食べ損なった餌がまた流れてきたのはおかしいという認識ができるということではないだろうか。あるいは、温かくなっていく気候では危険を冒すよりも、自然界に常駐する次の餌を狙うほうが、安全という判断もしているのだろうか。

 そんな自分が釣れなかった事情を、自分の釣り技を差し置いて考えてみるのだが、餌を食わない本当の事情は、わかりはしない。あくまで釣り人側の勝手な解釈だ。ともかくも、少なくなった渓流釣りの幕開を味わうことができて、なによりだった。







2016年4月8日金曜日

防潮堤を見ようと石巻に行く

 復興の遅れがニュースで取り上げられて、東日本大震災復興への振り返りがあった。今はどうなっただろうかと、確かめたいものだと思っていたら、娘から行こうと声がかかった。大きな被害を受けたのにどれだけの復興がすすめられているのか、目で見たいと思っていたようだ。

 実は防潮堤の建設工事が、様々なこれまでの生活やら、慣れ親しんだ海との関係もあまり考慮されずに、建設が進められているということを聞いて、どんなものかと見てみたいと思っていた。

 日曜日に出発して、一気に女川原発を目標に走った。美浜原発と同じように、原発施設には近づけない。PRセンターに入って、あれこれの自己宣伝を眺め、経年の訪問記録には、23年間で100万に達したと表示され、2012年で表示が止まっていた。そのまま止まっていることになればいいと率直に思った。

 震災の時に被災者を原発の施設で受け入れたときのことも写真に撮っていた。戻ってからNETを見てみたら、被災者が原発の施設に集まってきたので、受け入れたとなっているので、最初からそういう時のために備えていたわけではないということだったらしい。

 女川原発は牡鹿半島の先端部分を占めていて、近づくのには曲がりくねった道をかなり走ることになった。半島の道路はあちこちで壁面工事をしていて、今もって復興の造成工事をしているところだった。

 小さな港(荻浜港)は真新しいコンクリートが敷かれて、古い漁具が置かれている。それが通常見る港の風袋とは違った落ち着かない感じだった。

 石巻市魚町付近で、真新しい防潮堤が見えたので車をそちらに向けて曲がった。ここもちょうど港の造成工事をしたばかりの港と、石巻漁業市場、漁業関係らしい倉庫があり、そこまで防潮堤の端が伸びていた。

 その防潮堤の湾曲したスタイルは、おそらく海との親和性を考えたものではないかとみえた。

 復興予算の目玉のような使い道として、防潮堤の建設がすすめられ、住民の意向の多くは無視をされるか、あるいは時間切れの相談事として扱われて、海と共生してきた生活を分断することを、問題とする意見が現地以外からもでている。

 「防潮堤が高くて海が見えない」という話もうなずける。万一のときのも津波が見えないというのはどうなのだろうか。いつまた津波が来るかもわからないから、防潮堤を張り巡らさなければという理由は反論しにくいが、いつ来るかもわからなくて過ごしてきた日々の積み重ねは、どれだけの「価値」と重みを生み出してきたかも考える必要があるのではないのだろうか。いくら備えようが自然の力には及ばないよとの声も的を射ている。













2016年3月31日木曜日

それにしてもコンピューターは始末が悪いもの

 先日の集会のビデオを編集ソフトで、3本ほどにまとめた。ビデオを編集する作業は一年近くやっていなかったから、簡単な作業も忘れてしまっていて、新しい体験をしたような錯覚(でしょうね)に捕らわれてしまった。パソコンのソフトはそれぞれ、使い方が「ヘルプ」という形でソフトに書き込まれているし、NET上にも同様の使い方や不具合についての情報がたくさんある。しかし、要するに問題が起きたら自分で調べて克服することが基本になっている。

 カメラで撮影したビデオの最初の部分に、当日の日付だの内容だの「出演者」などの情報を作って挿入し、後書きのようなものも作る。それをどうやったらできるかと「試行錯誤」しながらやるが、それこそ「ヘルプ」を参照するのが常道なのだが、読んで理解するよりはやってみたほうが、早くはないかと考えて作業をしてしまう。にパソコンとの付き合いを重ねた結果なのか不思議なこと、うっすらと解決方法がみえることもある。しかしなんであれ自己流だから危ないものだ。ソフトを手に入れるには懐が痛むが、使うのには自分の自由だからと我儘をさせてもらう。これが実際早いかどうかはわからない。

 なんとかまとめ上げて一服というところなのだが、ぼちぼちパソコンOSをWindows10に切り替えようと、その作業も始めた。切り替え導入してみてから、もしも「不具合があるWindows10」に陥った時のために、バックアップをしている。戻すことも想定してやれということなので、ちょっと乱暴な話だ。それでもWindows8よりは良いと言う話も聞く。この種のグレードアップは、製品の安全、確実、安定性が求められることは当然なのに、見切り発車のように使用をしてしまうのはどうなのかと思う。だからだろうか「7」「8」について無償でグレードアップするということになっている。ちょっとは心が痛んでいるかと笑いたいところだけれど、不具合を通報してもらって修正していくということだから、製品の「完成」に人の手を無償で借りるという図式になっている。


37日に山手線の新型車両「E235系」が営業運転を「再開」した。昨年1130日に実働したものが、停止位置をオーバーランしたうえ、車両ドアにトラブルが出たりしたために運行中止になった。修正(修理?)に3か月以上かかったが、こちららは場合によっては命にもかかわることだ。あまり問題視されていないようだが、くれぐれも使う側の安全や不便を軽んじないようにしてもらいたい。こちらはまさに「見切り発車」だろう。

出来上がったビデオ
3月20日釣りと環境シンポジウム
~リニア新幹線と自然環境~


2016年3月27日日曜日

「学習能力がついた」コンピューターが勝てば…。

 囲碁棋士とグーグルのAlphaGoの対戦で、人がやっと一勝したとニュースになった。人の方が勝つだろうと大方の予想に反して負け続けていたのだから、ほっとしたニュースだ。5番勝負で3敗してからの勝利だから、勝負としてはきまったものだ。対戦相手の過去の勝負手を全部読み込んで、対応するソフトをこしらえたのだからある意味負けて当然と言えるのだろう。だからイ・セドル棋士が、勝った勝負はこれまでの手筋を「変えて」しまったことが一因になったとも言われている。

 この対戦を巡って韓国内から様々な批判が出ているらしい。閲覧してみたら確かにうなずけるコメントがけっこうある。コンピューターと人の対戦が公平なルールになっているものかという点など、IT専門弁護士が指摘することがおもしろい。対戦時にインターネットと繋がれていて、グーグルのクラウドコンピューターの資源を無限に使えることで、あらゆるパターンの手を探索できるなどという方法をとっていることなどは、公平な「競技」とは言えない。

 グーグルは日本のロボット産業を手中に収めている。こうした開発が軍事産業を狙ったものだろうこともうかがえる。敵との闘いにあらゆる場面を想定して、確実に無人で効果的に殺傷できるという「願ってもない」方法はもう使われているらしいが。



2016年3月20日日曜日

さくら咲くころ

 東京の開花宣言が今日あたりになるかなと、気象庁の開花監視係さんが連日靖国神社に詰めているらしい。近所の神田川界隈では、早咲きの桜がすでに葉を抱えているものもある。先日歩いてみたら、神田川沿いで見られた桜が、河川の改修工事に伴って切られていることに気が付いた。川にせり出した桜が陽を浴びて枝振りよく伸びているところがあったのに、もったいないことだ。

 隣の敷地は学校だが、ここにも桜が鮮やかなピンク色で咲いたものだったが、どういう理由かわからぬまま、さっぱりと切られてしまった。事情は様々あるのだろうが、結果として「都市化」によって邪魔にされてしまったということだろう。貴重なものがなくなっていくのは寂しいものだし、なによりズルズルと自然の環境が奪われていくことは、「都市部」では特に配慮が必要なのではないかと思うのだが、気にする話はあまり聞いたことがない。

 近所の某会社の住宅跡地が、一時広場として利用されていた。ここに小中学生が優先して使える競技場が造られ、合わせて災害時の井戸やトイレなどの施設も造られた。半分ほどは樹木も植えられて、土に触れられるようになっている。ここに、以前鉢植えの桜を解放するため、むりやりお願いして植えてもらったのだが、その桜も無事に育っていた。(植えてもらったことはナイショ)この桜は「早咲き」ですでに葉だけになっていた。工事中だったので観ることができなかった。










2016年3月14日月曜日

4月18日~24日からの写真展が近づいてきた

 能登の2月の風物に接して、今回もまた同様なコースを巡
り歩いた。前と同じところを見て歩いても、また新しいもの
が見えてくるものがある。そうでなければ歩いても仕方がな
いわけだし、撮る甲斐がない。写真を撮る動機も、日頃の写
真に対する理解が深化して出てくるものなのだろう。これが
いいと言えるものは、自分の思いだけではなかなかない。時
間をかけていって、いろいろなことがみえてくるのだろう。

 ゼミの写真展の準備が進んで、いよいよ418日からの開
催が近くなってきた。テーマは「共生」として14人で、思っ
た切り口を披露する。能登の生活の厳しさを描いて組み写真で表わした。自分の思いと重なるところ、共感をしてもらえるのかどうか、ハラドキしながら最後の準備をしている。








2016年3月10日木曜日

東京大空襲があったのは71年前の3月10日


 71年前の3月10日にあった東京大空襲、10万人以上が犠牲になった。戦争は二度とやってはならない不文律が破られようとしている。平和な日本で手に入れたものは多かったはずだ。「戦時」を想定した道は、転落に等しい。武力による紛争地域や国に安寧な生活のところはない。


おはようミドリ♪ 3月10日は『東京大空襲の日』です。1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃がありました。 死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出しました。#東京大空襲
林 毅彦さんの投稿 2016年3月9日




1945年3月10日。東京の街が焦土と化しました。 #東京大空襲
HuffPost Japanさんの投稿 2016年3月9日


隅田の流れに♬


合唱 ぜいむ合唱団


2016年3月8日火曜日

氷見線伏木駅操車場と北陸新幹線とのコントラスト

3月から開業した北陸新幹線によってか、到着した8日の金沢駅は人でごったがえしていた。開通によって訪問者が増えていることを実感した。これで経済効果が「いくらいくら」といソロバンがはじかれていることに地元は期待しているのだろう。実際レンタカーの従業員も車の貸し出しは増えていると話していた。

我々のように開通前から通っている者にとっては、身勝手ながら古き良きものの伝統と風合いが、改変されてしまうのではないかとの危惧が湧いてくるのが率直なところだ。

能登の旅の最終日に、たまたま見つけた操車場は、その陰の部分を見た思いだった。壊れて野ざらしになった車両、錆びた線路、枯れたつる草にとりまかれた小屋、陸橋がなんとも哀れげに見えて、4人で撮りまくることになった。かつては盛んに活躍した場所であったことは疑いないが、今は新幹線が3時間ほどで東京から来てしまうところで、時間が止まっているかのようにみえるのはなんとしたことか。

場所は高岡駅と氷見駅を結ぶ氷見線で、伏木駅の操車場だった。法外な力で忙しく過ぎている時間と、活躍の場がなくなって静かに佇んでいる朽ちた電車とを、どういう整合性をとればいいのか。帰京してから、NETで検索したら

2015314日の北陸新幹線開業を控えて、2010年にJR西日本の佐々木隆之社長は、赤字対策として氷見線を廃止してバス転換を行うか、本数削減などを含めて地元自治体と協議したいとしていたが[1]2012128日に北陸新幹線金沢開業後も引き続きJR西日本が運営するとともに、運転本数についても大幅な変更はないと発表した[2]。このため、本路線は、城端線のほかにはJR西日本の在来線路線と接続しない路線となる。全区間をJR西日本金沢支社北陸広域鉄道部が管轄している。」

とあった。やっぱり廃線の危機にあったらしい。いきさつはわからないが、もちろん廃止はしないでとの声が高かったのだろう。地元の足が確保されてないよりだったが、損得勘定で差し引いてJR西日本がこれを切り捨てて、「経済効果」をあげると言うなら、やっぱり誰のための新幹線かということになるだろう。氷見線の時刻表を見ると一時間に一本(時間帯によって2本)で、「運転本数に変わりない」と言えるほどの本数ではない。









氷見線氷見海岸


2016年3月6日日曜日

氷見漁港の周辺は昔の賑わいがある

 4日のルートが入り混じるが、10日に寄った上庄川と漁港は古くからの歴史を感じるところだったし、それをカメラに収めることを目標とした。能登は全域を通じて歴史と伝統がどこにも刻まれていて、写真に限らずその文化を調べ歩いたら、日本のもっと深まった理解ができるだろうと思いながら回っている。

 氷見漁港の周辺もその古きものが垣間見えて、日本の歴史と文化を感じさせるところだった。人に出会えればもっとその思いを深めることができるかもしれないが、通りがかりの人は元々少ないし、しょせん通りがかりの「馬の骨」なのだから、なかなか思うようにはいかない。

 歩きながら、しかし「なにかありそうだった」臭いを嗅ぎ取ることに集中して、結構な時間を費やした。氷見漁港は、もう市場の人がいない時間帯だったのか、烏とサギと鳶が港の中をにぎやかに凌駕しているだけだった。












2016年3月4日金曜日

立山連邦のシャッターチャンスを追って、雨晴海岸、義経岩から富山新港へ

 今回の能登撮影旅新プランは、立山連邦を撮ることだった。4日目は往路になる雨晴海岸で、立山連邦を撮るのが日程になっていた。広々と北西から南東の方向に伸びている雨晴海岸からは、立山連邦が遠望できる。カメラを持っている人は誰でも撮りたくなるポイントだ。

 この日は朝天気が良かったのだが、なぜか誰も朝陽を撮りに早起きして…と言う声をあげなかった。朝食をのんびりと摂り、コーヒーをしっかり飲んでからの出発だったから、海岸にでたときは明るい陽射しが輝いていた。そこにカメラ道具をリュックに詰めて海岸の右の方を狙っている人がいた。その人は今朝早く朝陽を撮ったと言い、「私は今また来てみたのですが、今頃来てもダメです。」とダメ出しをくらってしまった。朝陽なんかという気もあるにはあったが、ちょっともったいなかったかなと少々反省をした。

 朝方には大勢の写真愛好者がきているそうで、海にせり出している石のブロックにでていくといいのだと、場所を指さして教えてくれた。そこから、「義経岩」の立山連邦のビューポイントに向かい、新高岡までの途中でも立山連邦の眺望を追いながらの行程になった。富山新港の貯木場からの景色は拾いものだったかも知れない。