2013年10月26日土曜日

皇后誕生日の宮内庁文書回答意味深長?

 秘密保護法制定や憲法96条改正(悪)をねらう安倍政権は、日本が「戦争ができる国づくり」としての道をすすむことを念願として、突っ走っている。「基本的人権」も「言論の自由」もあったものではない。
皇后誕生日を迎えた皇后の文書回答が発表された。憲法についてのものもあったので気になって読んでみた。質問は
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東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが、なお課題は山積です。一方で、皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの一年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。
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宮内庁・皇后陛下の文書回答
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 5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
 明治憲法の公布(明治22)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
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 基本的人権だとか教育・言論・宗教の自由、地方自治権についての文言がでて、すこし驚いた。5月の憲法記念日に訪問した先の感想だから、それはその限りともいえるが、「憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じ」てのことで、議論参加という意味もあると勝手に解釈した。猪突猛進で、憲法投げすてを計る方々への皮肉とうけとると言い過ぎだろうが、ここはぜひ皮肉にさせていただきたいところだ。

五日市憲法草案=
現在発見されている明治自由民権運動期の私擬憲法の中でも、国民の権利の項目に多くの条文が割かれており、現在の「日本国憲法」と比較しても引けを取らない民主的な内容を含んだ憲法草案であること、五日市地域の有力者や若者たちを中心に学習結社「学芸講談会」を組織し、憲法に関する討論会や学習会を実施しており、自由民権運動から憲法草案起草に至る経過がわかることが高く評価され、東京都の有形文化財にも指定されています。









2013年10月25日金曜日

幼児が転んで頭を打つのも政治ごと

 向こう側の4件の住宅が立ち上がって、最後の仕上げにかかっている。一軒はもう入っているが、子供が小学生低学年くらいだから若夫婦だろう。どんな人が入ってくるのかわからないが、所得階層はそんなに低くはない人たちだろう。元は台地の上に2件が家を構えていた。台地と言っても駐車場があるすぐ上に立っていたから、道路からは3mくらい上に普通の何部屋かがある住宅だった。
 取り壊した前の住宅からいえば、「ひしめき」建ったようなスタイルだ。建築中に垣間見える部屋はそう大きくはない。道路上からの3階建てで1階は一様に駐車場が造られている。

 保育園の子供が、転んで頭の怪我をすることが多いとNHKで取り上げていた。転んだ時に先に手を付けられないのは、一つには「這う」運動量が足りないという原因だという内容だった。親が子供の小さい頃にハイハイをさせないですぐに歩かせてしまうという説だ。子供の成長は楽しみだし、「這えば立て」の気持ちは爺婆も輪をかけてしまう。じつはそれが教育上はよろしくないということだ。人類の成長の一環でヒトの成長には外せない時に這わせないという行動をとっているとしたら、「反省」ということになる。

 しかしそれだけでないのは子供の生活環境で、特に住宅だろう。都市部の場合は住宅を建て替えるたびに床面積が狭くなる。希望の広さを持つマンションを手に入れるのは、限られた所得階層の人だ。狭いうえにハイハイを始めた子供が、すぐにつかまれるモノはたくさん部屋にある。これも都市部のリスクとなることではないか。

 番組で取り上げていた保育園は、転んでもすぐに手を付いて頭を守れる「転び方の運動」を取りいれていた。いま保育園は都市部では、非常に足りないということが「社会問題」として浮上している。保育園の設置基準を緩和して民間にやらせるというのが政治の現状だ。こういうところで、転び方運動ができるのだろうか。東京都所有の「保育園建設のための土地」は十分あるという。保育園用地費補助の条例は否決されたということだが、いったい政治とはこういうことでいいのか。転んでも手を付けない子供が、成長してスマホを使いながら歩いて転ぶ…。医療費の赤字がまた増えていく。それでいいはずはない。




2013年10月24日木曜日

「携帯端末依存症」を笑うビデオ

 歩きながら携帯端末を使っていて、事故が起きている。確かに駅構内やホーム、電車の中でも道を歩いていても使っている人が多い。歩きながらの使用は危険だと思うのは普通の感覚だと当たり前に思うのだが、そういういう自覚はないのだろうか。端末に気を取られて、前方からの気配だけを気にするだけだから、ほかに突然の出来事には注意が散漫になるのは当然だ。ホームから落とされる事態まであるというから、もっと問題が啓発されてもいいように思うが、それはそこどこかの売り上げに影響するからなかなか正面から取り上げないのか。売り上げも経済成長にカウントされる、「必要悪」になっているのではまずい。


 Facebookで紹介された映像は、携帯端末に依存する日常を風刺したもの。日本のものではないが、よくできている。シェアー(共有)して投稿したけど反応があまりなかった。日本の風土はこういうものを生み出しにくいのかと感想。2640万人も閲覧しているのに。



2013年10月23日水曜日

賃金は低いのがいいと、どうして言えるのか

 現職中、汚職防止の研修でビデオを見せられた。業者から10万円もらって業務に手心を加えるという内容だった。10万円で一生を棒に振るという図式が描かれて、それを防ぐのはどうするかという討論をさせた。当時は公務員に対する「批判」がマスコミでも煽られて、民間賃金が抑えられている「腹いせ」解消の役割を果たしていた。当時は公務員の給料はあれこれの理由づけで削られつづけていた。(今も変わらないが)。
 映像のフィクションなので、まともに言うのもおかしいが、研修が終わってから管理職に「10万円で道を外すなら、給料を削減しなければ汚職は起きなかったということか」といったら、課長は半ば同意していた。

 河内長野市で、生活保護支給をする担当者が、四百数十万円を横領した疑いで逮捕された。事実とすればなんら弁解のできない行為だが、この犯罪が確認できるまで一年以上も時間がかかったというのも不可思議なことだ。(みずほコーポレーションの暴力団への融資はもっと変)。
 チェック体制云々の議論もあるが、同様の仕事をしていた人が育児・休暇に入っていたということで、一人で受付から決定、支給までの業務をしていたことになる。「ペア制度」などチェック体制もマニュアル化されているはずだが、2年間も続けられたのは信じがたい。電算システムの管理と経理事務を担当しているということだ。「公務員を減らす」金科玉条のツケでなければいいと思う。

 JR北海道の「モラル低下」も人が絡む。業務改善のための提案、意見をだしても、資金がないということで資材の手当てもままならない。「言ってもダメ」という職場になっていることが元にある。いってみれば作り出したのは分割民営化を策した政府や財界だ。不採算を承知で切り捨てた。人員が発足当時に比べて半分になっているというのは全く異常なことだ。

 福一原発の作業員も「年間に浴びる放射線の限界」に達してしまう人が増えている。替りの作業員を確保できない状況が出ている。その作業員も23次下請けで、上前をはねられて使われている。
 「賃金が少なければいい」ということも神話みたいに思うのは、考え直さないといけないだろう。でないと表に出てくる不幸な出来事はもっと増えるだろう。





2013年10月22日火曜日

スズキの奇形は放射能の影響があるか

 827日のFacebookに他者の投稿をシェア(共有=紹介)したスズキの奇形の写真は、フクイチが原因のものという関連が考えられた。それが明確になればよいのだが、それに類する情報もいまのところみていない。


 この情報に関しての投稿を別のところで偶然見た。原因が放射能でないという確証まではもてないが、うなずけるところはある。

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魚の奇形
 私は東京湾内でスズキを専門にしている漁師です。
画像のスズキは背曲りと呼びますが、震災以降に増加は絶対にしていません。そもそも背曲りの原因は外因的な要素が主で、骨折がほとんどです。別の画像のワラサですがプロが見れば一目瞭然ですが養殖魚です。鋸南町の勝山で養殖しているものが逃げた魚体です。養殖はせまい生簀で生育中に骨折して背曲りになるものが多いです。
 南房総市の漁師の方がどんな発言をしたか確認できませんが、
漁師が背曲りの魚を出荷する事はまずありません。
値がつきませんし他の魚まで安くなる可能性があるからです。気が付かずに出荷しても市場でハネて捨てるでしょう。そんなある意味希少な背曲りを回転すし業者がわざわざ一匹買っても意味はありません。
 震災後、荒川河口のセシウム濃度も一時上がり、海の汚染問題は今後も国民全員で監視して問題解決していくべきで、このブログも問題提起の役割を持つ素晴らしいブログだと思います。
もちろん人間誰しも間違いは起こしますが、誤った情報で回転すし業界や漁業関係者が誤解されるのは困ります。
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 内部被曝がヒトの体内からでているというニュースが出てきているが、この先何年かでてこなければいいと、今は祈るばかりだ。






2013年10月21日月曜日

台風後の神田川

 久しぶりに神田川を眺めに行こうと思い立った。ようやく秋の気配になって、長袖を一枚余分に来てでかけた。歩くのにもちょうど良い頃だ。26号台風がきたときには、神田川の警戒水域に達したとのサイレンが夜中に2回も鳴った。翌日には、都市河川らしくさすがに水量は減っていたが、雨量が多かっただけに、まだ多めの水が流れていた。富士見町あたりで川を覗くと、今は水は平常になっていた。平水になった川は、いらない汚れをみんな流してしまったようで、徹底して清掃をしたように水も川底もきれいになっていた。
荒れ狂って多くの犠牲者まで生んだ台風が、一方でやった仕業だ。気持ちの良いほどの流れだ。


 以前に来た時に、川底に水流を変えるかのような、切れ込んだ水たまりで、鯉が見えたところへ通りかかった。なんと鯉が何匹も固まって悠然と泳いでいる。水深5メートルも上まで流れた水に抗して、なぜこんなことができるのだろうかと驚いた。善福寺からからか、井の頭公園から流されてきたことも考えられる。そうだとすると、ここに以前棲家としていたとしていた鯉たちは、この台風で流されてしまったものだろうか。いずれにしても、このエリアがよりどころになっている。川はやっぱり魚が居るのが、本来の姿だろう。見てほっとするのはそのせいか。今回は、その水のエリアの他に、川辺に植物が生育するのを前提にしたような、塊を見つけた。かつて神田川整備の際に、意識されたものだろうか。









2013年10月20日日曜日

我が家も限界集落

 「限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで 人口の50 % 以上が65歳以上の 高齢者になって 冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている 集落を指す、日本における概念」と説明されている。

 テレビで、限界集落を尋ねて集落の人と触れ合うという番組をやっていた。二人の訪問者が「突然ですが」と現地で会った人に声をかけて、日常の話をする。番組の紹介がHPにあった。どこかでやっている旅番組の焼き直しみたいなものという印象だった。4組が観光的気分で訪問して、地元の人とかかわる。

番組ホームページがあった


書きだすとこんな具合
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Ⅰ さっそく宿泊交渉し、宿泊させてもらうことに。宿のご主人は漁師ということもあり、豪快な船盛りやアワビなど、新鮮な海の幸を存分に堪能した。山側の集落を訪れると、花が満開に咲いたソバ畑を発見。近くにソバ屋さんを発見した2人は、ソバ打ち体験をしてみることに。

Ⅱ 炭焼き名人と出会ったり、大自然の中でたくさんの絶景ポイントを発見したり、おいしい空気と水、あたたかな人情ですっかり心癒される旅となった。

Ⅲ 豪快な船盛りやアワビなど、新鮮な海の幸を存分に堪能した。山側の集落を訪れると、花が満開に咲いたソバ畑を発見。近くにソバ屋さんを発見した2人は、ソバ打ち体験をしてみることに。

Ⅳ 潮風をあびながらゆったりとした時間を過ごすことができた。

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 番組で描くとなるとこんなものかと思うが、もうちょっと突っ込んだものにならないものかと感じた。「限界集落」のワードは、1991年に長野大学教授である大野晃氏が、高知大学教授時代の1991年に最初に提唱した概念なのだそうで、旧国土庁が1999年に行った調査では、やがて消え去る集落の数は日本全体で約2000集落以上とのこと。これとて14年前の話。

 中野区では世帯の5割以上が65歳以上の独り暮らしという。そういえば我が世帯の場合も限界集落適用条件に当てはまっている。 なにも遠い山のなかのことではない。都議会で「認可保育園を新設・増築する場合の用地確保を援助する」条例提案が否決されたと聞いたが、財政がないわけでないだろうに一体何を考えてるのか。2020年のオリンピック開催ばかりが鮮明で、いかがなものか。子供が増えることが一番の経済効果だと思うけど、大法人ばかりが肥えていくのでは、日本全体が限界集落になってしまう。









2013年10月19日土曜日

後手後手の憂き世では

 大島で起きた土砂災害の場所には堰が二カ所に造られていた。片方は流れを止めて今回役に立ったが、もう片方は土砂の量が多かったために迂回して下へ流れた。火山対策のため沢に造られた砂防堰堤は、早期避難のためのハザードマップが作られていなかった。

予測してきた以上の豪雨で、それも前日夕方になってから「もっと酷くなる」との連絡が気象庁から東京都に連絡が入るという経過をみると、予知の体制が全体としてとれていなかったということだ。前日夕方はさしたる雨ではなかったというから、その時点での危機感は持ちきれなかったということもあったのだろうか。その危機感は、砂防ダムがあるから安心という認識も手伝った。これまで災害が起きて犠牲者がでて、ようやくなんらかの手を打ってきたものが、それではもう役に立たないという見方もできる。それ以上に自然環境の改変が進んでいると見なくてはならないのではないか。


 もともと崩れやすい地層に、薄々でも危険を感じながら住居を持つということ自体に問題はある。三陸の「ここから下に家を建てるな」と同様の教訓も生きるということになる。しかし、自己責任ではまかないきれない選択があるし、政策誘導も十分でない。大島町が限界集落になってしまうことをだれも望まない。危ない土地でも住める条件があれば、とりあえずはいいといった判断を全否定することは難しいかもしれない。

 対策の手を早くとらなければならない。東京都の土砂災害危険地区は島しょを含めて3700カ所もあるという。たくさんあり過ぎてということなのか、多摩から調査を始めていると実に鷹揚だ。伊豆大島にも40カ所あり、この沢も調査対象になっているとのことだが、それこそオリンピック開催の施設づくりに嬉々としている場合でない。台風27号が来秋にはやってくる。ついでながら、そのための公務員数増員はいいんじゃないの。




2013年10月18日金曜日

大島の災害・点描


大島の台風災害で、町長「不在」責任が挙げられている。町長が出張先から戻ってきていれば、災害が起きなかったのかどうか。そういう問題ではなくて…なのだろうが。避難勧告を出さなかったことが問題と取あげて報道されている。
特別警報は市町村単位の3時間、48時間雨量や土壌水分量のほか、「府県程度の広がり」が発表基準で、羽鳥長官は記者会見で「局地的大雨を対象にすると、実際の災害に結び付かない『空振り』例が増える。基準を見直すのは技術的に難しい」と話した。いわば、注意喚起すべき気象庁がこの有様なのだから、自治体行政のトップに全面的な責任を持たせるだけでは事足りていない。

防災体制そのものが十分であるとは考えられない。ハザードマップ作成している市町村は全国で半数だとのことだ。土砂災害の危険のある地区を調査して警戒区域に指定するという東京都の調査が進んでおらず、今回の沢も調査地点に含まれていたが、「多摩地方」の調査が先行しているとのこと。被害が出た沢には火山対策で土石流被害のための調整池が2カ所あったが、早期避難につながるハザードマップは造られていないということだ。

とんでもない「ゲリラ的寒暖」があり得る。予想を超える豪雨、強風があるとして、対策をとることが必要に思える。公共事業もそういうところから進めるべきだろう。温暖化の仕業という見地を早く明確に打ち出すべきなのではないかと、シロウトながら思う。先日の竜巻にしても、予報不可能ということになっている。「ゲリラ的寒暖の攻撃」のような、これまでと異なった温暖化による気象なのだという考え方を明確にしていけば、警戒感が高まるように思うのだが、どうだろうか。

交流サイトに「自民党の現職公安長官の投稿で、事実を追求していく・・・とあり、共産党町長なんて・・・ていう、フレンドの投稿が結構あり・・反吐がでそうなので、読めませんでした・・・・」という書き込みがあった。NHKのニュースも、町長の責任追及のスタンスのように見えた。

1986年三原山の噴火に見舞われたが、その時の人口は約10,000人で現在は8,000人台であり、東京にして過疎の町だ。広報を見てその倹しさを垣間見た。











2013年10月17日木曜日

青野川ハゼ釣り余話

 最期まであきらめてはいけないというのが、人生の処世訓。スポーツでも勝負事でもよく言われるが、さっさと諦めるタイプの人間としては、耳の痛いことだ。でも釣りも、それが通用するとは面白いことだ。青野川のハゼ釣りにも適用されてしまうことになった。ただし、なにも根性があってのことでない。釣れたから言えるが、釣れるかもしれないからやってみるという単純な図式で良かった。想定では釣れない状況ならさっさと止めて、車で昼寝をして帰りの運転に備えようとしていたのだから。

 帰りに通った伊豆中央道は、初めて通った道路だった。江間付近を通過するときに、山が削られているのが目に入った。ああここでもかと、ちょっと遠めながら、写真を撮っておいた。いつの日かこの「山削りの実相」を記録したいと思ってはいるのだが…。あちこち旅に行く先々で山を削っている個所をよく見る。日本全体でも相当の実態が広がっているものだろう。所有者が山を管理できないからとか、公共事業には必要な土砂として、需要が高まるなどの要因があるのだろう。自然破壊の一つとして問題視されるべきが、あまり聞いたことはない。新規大型公共事業や都市の高層ビル開発が昂進するのとの対極なのには違いないのだけど。




ちょっとわかりづらいので、グーグルの地図を検索した


   →  江間付近











2013年10月16日水曜日

起死回生か、晴天の霹靂か。ボヤキが吹っ飛んだハゼ釣り二日目。

二日目はどうなることかと、前夜のもっぱらの話だった。「石畳の穴釣り」をした先行組のHさんは、よい型をなんと80尾も釣ったから、ハゼがいないということにはならない。気持ちを引き締めて朝は5時から行くことにし、「朝飯前」の稼ぎに出かける。しかしなんとまあ、石畳は干潮のためにすべて露出状態で、穴はあるが水はない。石畳の先には浅い水辺ができているから、そこをめがけて仕掛けを投入する。20メートルも歩いて小さいハゼが1尾釣れるという感じで、2時間余りで10尾がせいぜいだった。リールで投げると掛かってくることはあっても、岸からいくらやっても報われない状況だ。

朝食後、これでは帰りの時間を早めることになるかと思いつつ、ともかくも再挑戦となった。午前中はいやがおうでも、やるしかないし、潮が上がってきたときは違った状況が期待できるわけだから、終了を13時と決めて支度にかかった。早朝は気温が低くてレインウェアーを着ても寒いくらいだったが、9時近くには陽射しが高くなって、暑くなってきた。考えた末に、持ってきた「立ちこみ」の道具をつかうことにした。身に着けて浅場に入り込んでやろうと、以前来たときに良いつりができたことを思い出しながら支度した。

皆の釣り場から少し上流まで歩き、川底の一部が露出しているところで土手から降りて川に入った。水に足首くらいまで使って釣り始めると、すぐにハゼのアタリが出た。釣れないイメージが頭にこびりついているせいか、最初のころはうまい具合にかからなかった。竿先が固いのではじかれているようだ。最初のアタリから、予想とは全く違って順調にアタリが出て、腰に着けてある魚籠には黒く映るハゼの姿が増えていった。仕掛けを投入して探ってから、一度でもアタリがなかったときは、投入する場所を変える。同じ位置から違うポイントへ3回くらい入れてもアタリがないときは、10歩移動するという具合に川の中を動き回って、アタリを堪能した。

浅場でのハゼは小さいものでも、かかると引きが強烈だ。四方八方に竿先を引っ張りまわす。型が大きいものが混じって久しぶりに「入れ掛かり」を堪能した。「穴釣り場」のほうは、前日釣ってしまった影響もあるのか、はかばかしい釣れ具合ではなかったようだ。「一人でいい思いをして」と言われてしまった。立ちこみ釣りは、我が会では他にはやる人がいない。陸からやる「エンコ釣り」が主流になっている。若い時にやったことがあっても、足腰の衰えでだんだんできなくなる。川に降りるには踏み跡もあるし、傾斜もきつくはないから、安全に釣りができた。釣ったハゼの数は合計116尾だった。




2013年10月15日火曜日

青野川一泊釣行の一日目の不幸

 13日から青野川へハゼ釣り行こうという釣りの会の計画は、会の久方ぶりの「一泊釣行」だった。釣りも上手いし車の運転も頼れるのに、忙しいハマちゃんの日程に合わせてこの日になった。レンタカーを使って、大きい車なら1台でいいかと思っていたら、そこは連休で空きがない。やむを得ず、7人乗りのレンタカーを予約した。8人は参加するということになったので、車を持っている元会員さんに声をかけて、一緒に参加することになった。

 ところが、気持ちはあるのだが、ちょっと動きがままならなくなってきた98歳の会長が、「止めておく」ということで残念なことになった。足場が良くて車から降りたら歩かなくて済むという条件をクリアするのは、泊りがけというのは難しいのかもしれない。
 横浜にいる会員さんを拾っていかなければならないので、2台は別行動になった。先を越されては、釣り場を「荒らされて」しまうので、こちらは途中でハゼ釣りができないかと、馬入川に行って見ることにした。平塚港を見てみると港ないと外側の河口でリールを使って釣りをやっていた。しばらく眺めても一向に竿が上がらない。

 これでは気が乗らないと、下田の稲生沢をめざすことにした。途中の道路が混んだわけではないが、適当な場所を見つけて竿を降ろすのが12時過ぎになってしまった。護岸下に船着き場のような場所があり、足場がよくて、広い場所があったので早速やってみることにした。しかしアタリの方は一向にない。2時間ほどやって、あきらめることにした。ここでは小さいハゼが6尾だった。

 青野川に着いてみると、車を止めた場所で若夫婦が子供連れでやっている。声をかけると、「午前中はよかったけど」と奥さんから返事が返ってきた。少し上側に本命の「石畳の穴釣り」場がある。先行していたHさんから電話がかかってきた。まあまあ釣れているというこうことだった。竿を降ろしから、一向にハゼの反応がない。

 先行組と合流して様子を聞きながらやってみるがやっぱり駄目だ。若夫婦と同じように、午前中はよかったらしい。一日目はHさんが良い型を80尾も釣って、皆をびっくりさせた。例会参加トップクラスの先行組のMさんも、いつにない大きなハゼを釣って満足の様子だった。


平塚港


稲生沢川


 Hさんの釣果80尾








2013年10月14日月曜日

ネット依存傾向とかスマホ症候群とか

 ネット依存症というのがよく言われるようになってきた。興味のある「何か」の情報にアクセスすることで、充足感を求めようということなのだろう。人とのつながりが希薄になりがちな状況で、端末機でどこででも使えるとなれば、使う人が増えつづける。コドモからオトナまで、所構わずスマートフォンを覗きこんでいる人は、いまや通常人のようだ。

 しかし目の疲労や肩、腰の痛み、ウツまで生ずるとあってはちょっと気にしなくてはならないことだ。ひとつの新しい文化を生み出していることも否定できないが、人間生活が機械に取り込まれていくようではまずい。だいたい、電車の中や歩きながらスマホを操っている人が、楽しそうにはしていない。本来満たされるべきものが、ヒトの生活の中に、もっと広くたくさんあるのに、ネットがそれにとって代わるということにはならない。ヒトとして生活の充実感と楽しみをもっと味わえる社会になっていかなければと思う。

 就活、婚活などと語られるが、わざわざ「活動」しなければ目的に達しない世の中になったともいえる。就職は政治のおおきな課題だし、結婚は生活していける賃金と住居を、自力だけで手に入れることは通常はできない。自己責任で放り出されているのだから、生きていくための基礎までなかなか到達できない。僅かな満足感と充実感はどこで味わえばいいのだろう。このままではだめなことだけははっきりしている。



 スマホ依存は日本だけではない。依存している様を批判的に見事に映像にしたものがある。2560万回以上もアクセスがある。

→ I Forgot My Phone


2013年10月13日日曜日

藤原紀香は被疑者か?

 藤原紀香が秘密保全法の怖さをブログに書いた。重大な問題なのに短い期間のパブリックコメントでいいのだろうかといったものだった。ネット界でそのことが飛び交っている。ご本人はどこかでこの問題に触れて、ごく普通に危ないものと解釈したのだろう。藤原紀香の背後関係を調べたというから、この反応がおもしろい。おもしろいというのは、そんなことを調べて調査したということを平然と言ってのけるという神経もだ。それこそ秘密保全法の性格を体現しているものではないか。

「藤原紀香はシロ」公安に背後関係まで調べられた秘密保全法の怖さ
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 紀香登場で反響は大きかった。政府関係者は「なんで?と思いましたよ」と驚くばかり。それだけではない。公安が紀香の背後関係を調査したというから驚きだ。
「この法案にはいろんな団体が反対しています。なかには公安の監視対象になっている団体もある。なので『念のためではありますが、藤原さんがそういった団体の影響で書いているのかどうかを調べました』と公安が言うんです。結論はシロ。純粋に心配だからそう書いたといいます」(永田町関係者)
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書いたのは「東スポ」だが、シロかクロかいう見方もまた異常だ。まるで犯罪人の扱いのようだ。政府が勝手に秘密事項としたゴム印を押したら、すべてが闇の中で処理される。皆が当たり前に思うことでも、当たり前でなくされてしまう。まるで中世のようだ。そんなことを法律で造ることがおかしいのに、これはやはり戦争体制づくりへの環境整備というしかない。

 良心的に発言することが問題視されるとは、これまでもいろいろな場面でされたことだろう。しかし、今はそうはいかない。ネットでの情報伝達の影響が、参議院選挙でも現れたし、ネットで投稿される情報はマスコミも国も自治体も、無視しえないところまできている。甘く見るなよ。そのうち「倍がえし」「十倍返し」だ。
藤原紀香が普通に疑問を思う人として、公に発言することに勇気あることとして拍手したいが、今後どういう展開になっていくのかも気になるところだ。「勇気あること」という自覚をしているのかどうかはわからないが、良心に忠実な人がでてくるのはうれしいことだ。

ところで、マイクロソフトが手抜きをしているのか「フジワラノリカ」の文字変換ができない。単語登録をして「登録と同時に単語情報を送信する」のチェックをいれてやった。こういう良い有名人の名をちゃんと変換しないのは、許されないことだ。




2013年10月12日土曜日

見棄てられる?JR北海道

 「人もいねえし資材も来ない。一生懸命手をかけることもないべ」JR東日本の保線現場の声があるとのこと。仕事にやる気は大切なことだが、必要なことができない、それも資金がないからという。ついにここまできたかという感じがする。列車用のマスターキーがネットオークションで売られて、備品室が開けられたことがあったと昨日の夕刊が報じた。

 分割民営化で儲からない路線を、貧乏くじのように充てられた結果だ。民間の活力で活性化が図れるとよく使うセリフが、どういう事態を生むのかが象徴的に出てきたことなのだろう。民間活力で競争して、勝ち残り組はあっても、その先は「負け」もでてくることを知らなかったわけではない。負けの荷物を自治体や乗客が背負うのではたまらない。

昨日、車の自動運転がもうすぐ実用化するというところまで来ていると、テレビが報じていた。実際にカーブがある専用道路を、運転手が何もしないでも勝手に走り、前の車のブレーキを感知して減速することもできるという。実際60キロ程度で安定的に走っているようだった。特定の条件下では利用ができることになるようだ。
 自動車は「売りまくり」の扱いで、総走行量の心配などはまずない。一家に何台とかいって、その量を誇るようにさえ見える。車なしでは地方も成り立たないし、物流は道路を必要としている。新しい幹線道路をどんどん造る理由に使われる。

 自動車道路網があれば、という政策誘導が北海道のJRの存在も脅かしているという関係にある。あくまでも捨てられる運命なのか。しかしそれにしても、最近の自動車事故は多重で車の種類を問わず、死者や負傷者が多い。車への依存症も考えるべき時になってきている。

 高齢化社会が進んで医者通いするのに、車社会に依存していたのでは自殺者を増やすようなものだ。子供のころの思い出が、自家用車の窓越しの景色よりは、列車に一緒に乗った友達との会話の方がいいに決まっている。
 単純軽薄な発想かも知れないが、自動運転できるなら今の専用道路にレールを敷いて、列車を走らせたらいいと思う。連休に出かけるのに運転する人のエネルギーの総和はものすごいだろう。列車なら一人でいい、と考えたらどうだろうか。車の走行量の減少は、温暖化問題にも効果をあげるし。

毎日新聞 

 → 腐った枕木 本線にも 社員「新品現場に来ず」 






2013年10月11日金曜日

強盗、殺人をなくすにはと考えるべきところ

起きてはならないことと思うのが、ふつう考えることだけど、どうしてこうも犯罪が増えていくのか。負と否とともかくマイナーなことで、パソコンなら削除と抹消の対象だ。
 人間は「狂気」を持っていると考えるのも外れではないだろう。獣を追いかけて獲って食うということは相当長い間やってきているし、人間同士が「財産」増やすための闘いを仕掛けることも相当やってきた。自然の脅威から身を守り、暴力をふるうものの危険から身を守るため、武器を使うこともやってきた。だから、そういう繰り返しのなかでは、殺意というDNAというか要素のようなものが脳の中に存在しているのではないか。

 兄弟は他人の始まりと言って、仲が悪いことを合理化することがよくあるが、同じ親から生まれながら違った性格なり体質なりが現れるというのは、生まれ出るときの「構成要素」がなんらかの要因で、プラスだったりマイナスだったりという違いが出てしまったということではないかと思う。あるいは親から生まれるときのなんらかの異なった要因があるのかもしれない。そうだとしても、殺気立って周りの人間がたやすく敵同士になってしまう環境が造られ、犯罪の引き金になっていることは間違いない。


 人の命を大事にしない政治が大手をふるっているのもおおきな誘因だ。TPPの交渉は「5項目」を守るという公約を、内容によって外す検討をするという白と黒というより、天地をひっくり返すようなことを平気でやる。マスコミも批判できずにこれで済むかのごとき流れになっている。生き残るものにしか焦点を当てない政治でこれからどれだけの「犠牲」を生んでいくことになるのか。仕事先の企業はまるで、中世の奴隷制度並みの扱いで企業の都合に合わせて人を切り捨てる。それももっとゆるめて合法的にと。これから先の、子供たちの時代は年金だけでは暮らせない。いくつになっても、低賃金で働かされる。動けなくなったらそれこそ自殺か強盗かの選択しかない。犯罪が減るわけはない。





2013年10月10日木曜日

海外旅行など行こうと思わなかったのに2

 写真をまともに撮り始めた2003年。撮影の講習会で身に着けたものを、3年後からデジカメで使うようになった。魔の触手に触れた2007年は、奥尻・礼文島の撮影旅への誘いだった。観光写真っぽいものでも、目には新しいから絵葉書との違いをどうしたらいいのか工夫しながら、撮り歩いた。しかしなかなか、どうしても絵葉書範疇から抜け出せない。素晴らしい景色に見とれて素直に撮るから、「芸術的作品」には程遠い。でも十分これで良いだろうと思っていた。日本中いくらも撮るところはあるだろうと整理していた。

 ところが、魔の触手がまた伸びてきた。今度は海外で中国に、ということだった。同伴させてもらって、存分撮りまくった。そしたら、また別の海外旅行の誘いがかかってきた。最初の海外で、旅への緊張感は薄らいできたから、清水の舞台を利用するほどのことはなかった。現地の言葉がわからなくても、添乗員の言葉を逃さなければ大丈夫と、たかをくくれるようになって、ツアーの隙をみては撮る。撮るのにこだわっていると移動のスピードに遅れるから、そこは注意する。写真はだからスナップばかりで、グンと落ち着いた写真はなかなか撮れない。山岳写真のように待って撮るというような設定は無理だ。いまのところ、そういう撮り方をしたいとは思っていない。やるからには体力、気力、金力、時間がいるだろう。

 こんな写真を編集して、投稿サイト(Facebook)に載せたら、外国人から友達申請が来た。率直なところ困ったことになったと思った。その人のサイトを見たら、良い写真がたくさん載っている。中国人らしいのだが、コメントは英語になっている。Facebookのコメントはいい写真だの素敵だのと長いものでないから、そんなに苦にはならないだろうと、交流することに決めた。
「英語はわかりませんが、仲間にしてください」といったたぐいのコメントを英語で送った。
Good evening. Please associate, although he does not understand English well.」。
It's OK !」と返事がきた。

 日本語を綴ってHPの「翻訳」サイトで英語に変換することがいとも簡単にできる。コピーして貼り付けるだけの作業で「国際化」に参入することになった。

2008.11.17羽子板市




2013年10月9日水曜日

海外旅行など行く気はなかったのに

 「毛唐」という言葉を面白がっていた時代があった。侮蔑的な言葉として戦争遂行の折に使われたのだったが、蔑視的な言葉として一般には使用されていないのだろう。というより、アメリカの従者としての実態が不要にしてしまったという流れなのか。この言葉がなんの疑問もなく頭の隅に置かれていた。なぜ英語を教育されなければならないのかも、常にずっと疑問に思っていた。今なら愚かな疑問と言われそうだが、横文字の文化と違うものが沢山あるのだから、その違いも壊していくものだとしていたことが、記憶に置かれていたのだろうか。敵性用語だとして排除まがいの扱いをしていたのだから、少なからず頭の隅には敵を作り出す訓練が生き残っているのかもしれない。

戦後はもう、まったく戦前とは違った文化や政治がされて、邪険な扱いを受けているものの、平和憲法が維持されている。邪魔なものとして、敵性用語だったものが今はスピードラーニングで聴いていれば覚えるというまでの「親密度」だ。しかしこのかい離も、「侵略戦争は誤りでしたごめんなさい」という国内に向けての明快な反省があれば、過去に犠牲になった様々なことの切り替えに合理性が出てくることになるはず。歴史は造るものでないとしても、過去と未来の結節点で今を考えるとしたら、教訓を引き出しておくのが通常の手法だ。

 ちょっとずれちゃったが、こんなことが海外と自分の関係などに、一向の興味もなかった事情かもしれない。ところが、魔の触手がかつての職場の先輩からかかった。西洋でない中国旅行だった。写真を撮りに行く目的だった。写真は観光する箇所もあるが、人の暮らしや観光地でないところを見てみるという動機があった。中国がこれからどういう影響を持っていくのか、いま暮らし向きがどうなっているのかは見てみたい。ツアーでどの程度可能かは計れないが、行くことを決めた。この瞬間にわが身の「国際化」が始まった。









2013年10月8日火曜日

与田浦の清掃つり会の写真

 10月6日に15会71人が参加して実施された「第58回関東勤労者つりの会協議会主催」清掃つり会は、曇りがちながら降られことなしに一日行動ができました。

 関東の行事としては1977年に第一回開催以降12回実施した後、12年間休止し、2001年から12年間を東京労釣連が主催したものに関東労釣協が後援して実施してきました。今回「主催行事」として復活したものです。段取りにいくつか手違いがありましたが、今後の改善点として考えていくことが必要です。勤労者つりの会伝統の清掃つり行動に新しい一歩が刻まれたことをになりました。
 
実施要項説明など

十二橋周辺のゴミ収集



ひところよりゴミの量は減ってきている
 


 ヘラブナ大型賞は33.2センチ

検量模様、優勝者は5キロを優に超えた!






2013年10月7日月曜日

刈り取った田の脇でフナつり

 釣りの会(関東勤労者つりの会協議会)の清掃つり会が、香取市の与田浦であった。10時までゴミの収集をしてから、釣り場をよく知っている人の案内で水路に向かった。途中、ワンボックスカーを停めて、釣りをしている家族連れを見た。小学生高学年化か中学生くらいの男の子が、橋の上から竿を出していた。お父さんだろうか家族の釣り自宅をしていた。家族連れはなかなか見ないので思わず車を止めて、子供に声をかけた。「まだ釣れない」と返事が返ってきた。頑張ってと声をかけたが、ディズニーランドやアウトレットに行くよりはずっといい遊びだ。

 釣り場は細い水路でコンクリートが打ってある。野趣にはかけるように見えるが、実績があるということで、車を降りた。ちょうちん仕掛けで、キジをえさにしてやってみようと、今日の方針を決めてさっそく仕掛けを入れてみると、すぐにアタリがった。ところがテキはキジエサの端っこを咥えて、引っ張るだけのことらしい。反応があるのが面白くてしばらく付き合いをさせてもらったが、水中に浮かぶ草が引っ掛かって、そのときに魚が外れるらしい。

 近くに一緒に入ったSさんはもう、いなくなった。見切りが非情に早い人なのだ。たしかにその方が釣るチャンスが増える。浮子の動きにつられて長居をしたが、モロコがやっとかかった。フナを釣らなくてはと、場所を変えながら歩いも、モロコはよく掛かかった。排水溝が川に接続しているところで、ようやくフナが顔をだしてくれた。浮子がスーットと横に動いた時だった。この動きがアタリかと思い、浮きの動きに集中して、いくつかを取り込んだ。目的の魚がかれば俄然面白さを感じて、時間が過ぎるのも早かった。

 異動しながら、水路の脇映える草と水路の中に這える草の間に、1.5メートルの仕掛けを上からそっと落とす。これで浮子に反応がでれば上々だ。都合、フナは8尾で小さかったから、重量が少なくて競技結果では問題にならなかった。案内をしてくれた二人は1キロ前後を釣った。同じ会から参加したMさんは、水路に掛かるコンクリートの橋にイス席を構え、5尾を釣っていつになく気分爽快のようだった。