2016年12月18日日曜日

義母、身罷る

 14日に義母が身罷った。医師の宣告から一週間の後だった。義父が亡くなってから六か月、89歳の往生だった。片肺のハンディを持ちながら、昭和38年に新潟から東京にでてきて、50年余の時間を、働きかつ家族との時間を過ごした。

 やはり義父に旅立たれたのが大きな気落ちになったのだろうか。弱音を吐くことが増えていたことが印象に残る。病院でもう眠るばかりの顔を見ながら、命が無くなるという重みを家族とかみしめた。落ち着いてくるにつれ、家のなかの一角がスポンと抜け落ちたような寂寥感が湧いてくる。

 直接のきっかけは肺炎だったが、傷んでいたところはそればかりではなかった。病院通いをしながらも、自覚して足を引きずりながらの散歩にでかけ、「途中休んでね」とよく話していた。寄ってくる病魔との闘いという、深刻さを感じさせない様子だったが、本音は出さぬようにしていたのかもしれない。

 一緒に過ごしてきた時間を今になって思い返しても、至らなかった後悔の上塗りになるばかりだ。孫の運転するレンタカーで温泉に行くのが楽しみだった。温泉につかり、土産屋に必ず寄って土産を買い込むのが一番の楽しみだった。風呂は大好きで、家の風呂にも長時間入っていた。あまり長いと心配だからと、最近はそれも好事魔多しとなった。

 もっている体力にもかかわらず、長命に至ったのは義父の努力が大きかった。「爺ちゃんの料理うまいね」という言葉も、義父が寝たきりになった10年近く前から途絶えてしまった。寂しさはそのころから募っていたのだろう。耳が遠くなって会話が交わしにくくなってからは、日常生活からの疎外感を味わっていたのではないかと想像する。

 しかし頑張ってきたと、それは間違いなく言える。わが身の齢と活力からして、そこまでの域にまで到達するものかと思う。戦後の困難な時期を超えてきた力が、基本にあるのかとそんな気もする。合掌。

2016年12月10日土曜日

風が強くてイチョウの葉が散る

 朝がた風が強く吹いて、イチョウの葉が昨日よりもたくさん歩道ちている。イチョウの葉を踏みながら、「危篤」状態の義母が一昨日から入院している病院に向かう。とりあえず小康といっていいのか、脈拍が上がり下がりしながらも、命がつながっている。

 救急車で「大」病院の救急センターに運ばれて、一般病棟移っても長居ができないから、転院してリハビリ名目の治療がされていた。見た目でも身体の状態は落ちていく一方で良くなる期待はもてない。日を追うごとに呼吸がつらそうな様子が進んでいる。点滴だけの状態では、家に帰るということも無理そうだ。

 昨日参議院本会議でTPPが強行に採決されて、多国籍企業で生きていかれる企業以外は、過酷な競争に放り込まれる枠組みが押し付けられた。それもアメリカがやめると言っているものを、前のめりで決めるということだから、なんということなのだろう。アメリカにその転換をうながすためという余計なお世話のことだ。

 昨日のニュースで、福島第一原発の廃炉、賠償に21.5兆円を消費者に負担をするという驚いた話。こういうときは「自己責任」というワードは隠れて見えなくなる。今朝のNHKの「週刊ニュース深読み」でもTPPも廃炉賠償費用の負担もとりあげず、カジノ議案についての動きを、自民党内部からの批判も浴びている状況により、様々な意見をということで少々取り上げただけだ。

 このところ、マスコミはおしなべて韓国大統領の弾劾案可決のニュースを一面トップの扱いで、不正追及の「正義に味方」になりきっている。だから日本の政治の酷さをみごとに目くらまししている。まったくマスコミは腰の抜けた状態だ。それ以上に、これでは簡単に戦争に道にもっていかれる体制ではないかと思うと、背筋が寒くなってくる。病院の集会場で「どこかで春が」の曲がかけられている。患者さん安寧を思ってのことだろう。春は必ず来るとしても、暗澹たる気持ちはぬぐえない。

2016年12月2日金曜日

なんだかんだで一年終わる。早く終わってほしいものもあるけど…。

 12月に入った。時間が早く過ぎるのは、自分の脳細胞の伝達がゆるゆるになってきたせいだろう。やるべきとした自分の決め事も、どっこいしょ気味の立ち上がりが多くなってきたから、時間がたたないと結末に到達しない。忘れてしまう所作を人と笑いあうのはいいが、大事なことにかかわったらどうしようかと心配が先立つ。深刻なことは考えないようにして、なるべく人の悪口でも考えて過ごせば、健康には役立つのかもしれない。意に反して捨てたくない細胞も日々終焉を迎えているにちがいないから、こっちだって執念をもって立ち向かわなければならない。

 年金の削減やらTPPやら保険の負担増やらのこと、マスコミの報道はすっかり自粛してしまっている。国会でろくに審議もせずに「強行」採決が、櫛団子のよう連なっている。テレビ報道はこのことをちっとも取り上げない。取り上げているのは、海の向こうの韓国の大統領の話、そしてこういうときに亡霊のように現れる麻薬のニュース。

 報道するほうだって、報道内容の検討をしてのことだろうから、そういうやらせ番組を仕立てているというふうにしか言いようがない。朴槿恵大統領がいかに不正でも、ASKAのお母さんが病気でも、それはニュースには違いない。しかし不正の話なら日本の閣僚の中の集団不正は野放しにする気か?と腹が立つ。オリンピックの経費は知事が2兆円かかるのは高すぎると言っている。まってくれよ。2兆円から少し欠ければ落としどころになるのかよ。

 2兆円もの資金に群がる、したたかな入札参加企業の顔を想像するよ。冗談じゃあない。こちらは、年金を削られるんだよ将来にわたって。そんな内閣の支持率が60%あるという。とんだ笑い種だ。どうひっくり返したってそんなになるわけがない。「誘導尋問」のトリックで作られていることは疑いない。こんなことをマスコミなら、もうちょっとまともに分析してとりあげなくちゃ笑われるよ。

2016年11月21日月曜日

a-スマホは働きすぎ

 アプリケーションの更新通知が毎朝画面にでてくる。そこから始まるスマホの一日。アプリケーションはいやというほどたくさんあるから、その更新の頻度が高い。アプリのなかには使いそうもないものがあるのに、単純に使わないで放っておくこともできない。
 
 ゲームはやらないし、財布代わりに使う気もない。使わないものにも毎日、「更新があります」と通知をしてくるのだから、もう結構だという気になる。スマホの使用料金を安くしようとして、今のものに変えたことだから、仕方がないということでもある。 

 しかし面倒なものだ。使い方も最初はわからないことばかりなので、有料サービスに申し込みをして、サポートを何回か利用した。サポートは丁寧でよくやってくれるが、有料でというとことが釈然としない。商品の使い方の説明に金をとるのだから。ほかの商品なそんあことはない。

 アプリの多さが、逆に不便になっていると言えそうだ。機種が変わることろでの違いもあるし、開発で生み出されたソフトが万全なものでなく、「お試し的」な不十分さもあるのだろう。技術開発で便利さは追求されても、これでよいという着地点ががないのは変なものだ。使う側からは、商品を不十分なものにしておいて、次の新製品に期待をさせる戦略とは無駄なものだ。

 低所得でも手に入れられる範囲の買い物として、売り上げに協力させられる。目先の目的でさまようポケモンスタイルも加え、平成時代の文化となるのだろうか。スマホが無駄なものとは言えないが、使い勝手が良くて人の生活を豊かにするという視点を常に持っていてほしい。あれこれの人の趣向に乗じて、他の商品の宣伝にばかり熱心に集中してように見える。

2016年11月13日日曜日

「のり弁」の底に見える日本の恥

 「のり弁」は懐かしい学生時代の弁当だった。それも他になにか添えてあったどうかは覚えていないが、現在のように白身の魚だの天婦羅だのといった惣菜があった記憶はない。ただ、その醤油味とご飯とのコラボレーションだけで旨かった。

 その「のり弁」がいまは大変な昇格をして、TPPの国会資料や豊洲市場の公開資料の脚色として使われるようになった。日本中の海で生態系の環境悪化で、貴重に存在になってきている海苔には迷惑な話だ。黒塗りはタクシーなら好まれて使われるそうだが、ふつう「黒」は暗いかよくないイメージとして使われる。

 市民の目には見せないようにと、かつての戦時体制期の「黒塗り」が復活しているということと同じではないか。情報公開資料ではしばしばその黒塗りが使われて、当たり前のように闊歩しているとよく聞く。目に触れると都合の悪い事柄を、正体が捕まれないように隠し立てをする手段だ。

 邪魔をされずに出来上がってしまえばこちらのものと言わんばかりのこと。リニア新幹線の建設工事では、JR東海がろくに地元に説明と了解もないままに始めている。説明会を開いても、質問にはまともに応えられず、その場しのぎの説明でしのいで、後日回答してもまともなものでない。多くの公共事業がそうであるように、自然の生態系に元へは戻せない負荷を与え、生活に大きな改変をきたし危険を招くという心配にまともに応えることはない。
 
 豊洲市場の建設のように、あとから実は大変なことがあるのだと、問題が表面にでてきて、さて今からどうするんだとバカな成り行きを反省しても、傷をふさぐのは容易でない。この場合の傷は税金が埋めることになるのだから、責任をとるべき事業者(東京都も建設会社も)はそこまでの「見通し」を織り込み済みなのではないかとまで疑う。よく言う「あとは野となれ山となれ」だ。

 「たまたま」だとしても、豊洲水産卸売市場の建設を請け負ったのが大成建設ジョイントベンチャー、崩落事故を起こした福岡の地下鉄工事現場も大成建設の名が出ているし、オリンピックの会場建設受注にも談合がある(下記)とNETで拡散されている。

 オリンピック招致で「大活躍」した電通は、長時間労働で未来ある若者を自死に追い込んで、厚生労働省が強制捜査を受けた。企業の在り方と雇用に対する社会的責任がここで問われている。オリンピック開催の大義名分で、「東北復興」の旗まで使って企業の利益を追求するやり方は、度を越えているのではないだろうか。

 国と地方自治体と癒着しながら事を運ぶのが日本経済の発展なのか?あまりに酷いことと言えるのではないか。一体なにをしているのだろうか。のり弁の底には後ろ暗い日本の恥が隠しようもなく見えている。好き勝手にことを運んでいくことは許されない。

大成建設、五輪会場99.99%落札に疑問の声


豊洲水産卸売市場(2015.7.12)

2016年10月31日月曜日

ちょっと悲哀なハゼ釣り

 昔の職場の人の誘いで、「ハゼのてんぷら船」の催しに参加した。大人5人と「子供」10人。子供と言っても20歳代の若者だから自分の子供よりも若い人たち。集合時間に少し遅れたりして…とは言え職場の互助行事なのだからきっとメインはてんぷら船の魅力というほうが大きいのだろう。こちらはこの機会にハゼ釣りを楽しもうという腹だから、気合が違うのは否めない。

 若者には仕掛けをセットしてあげて、釣りの楽しさを味わってもらえれば、「釣り愛好者」が増えるかもと、釣りを楽しめる人生がいいものだという気持ちをもってもらいたいと、余計な手出しを試みた。10人いるうち釣りを経験したことがある人はほんのわずかだった感じだ。仕掛けをセットして釣り方の講釈をのたまわって順に回った。釣り場が木更津湾ということで、時間もたっぷりあったので、急がずにやることができた。

 木更津港に着いて、どのくらい釣れるかは想像もできず見ていると、たまにしか針にかからない。それでもたまにハゼが釣れたことで歓声を上げて大騒ぎしている。横目で見ながら釣れていないとき、ときどきそばに行って、ああだこうだと先輩面の「アドバイス」をする。女子はやっぱり餌つけができない。最初は仕方がないと思いつつ、たくさん釣れて来ればいやでもつけるようになるだろうと、餌もつけてあげる。そういえばアオイソ餌をつける道具も以前あったが、まず使用に耐えない。

 「虫」にも慣れていない世代なのだろうから、やむを得ないことかもと思いつつ、自分たちが育ってきた環境との違いに哀れさを感じる。「てんぷら」の時間になって本番の楽しみを味わって、後半になったがまだ釣れない人もいたので少し援助。隣の男子は仕掛けを絡ませている。船頭さんが付けたハリスが、ちょっと長すぎてからんでいるので短めに切ってあげる。船頭さんがなぜ長くつけたのかわからない。

 シロギスの仕掛けなら長くてもいいと思うのだが、ハゼで長い仕掛けを使ったことはない。竿は貸し竿でシロギスのものだからハゼとは違うものだが、備えはこれしかないとのこと。ハゼ釣りを船でやる場合に素人向けを対象としていない。ハゼは今頃の時期から深場に入っていくから、落ちハゼ狙いという玄人筋の楽しみになる。だから素人が対象外になっているのかもしれない。

 ともかく若者は大変なハンディを背負いながらハゼ釣りに挑戦した。見ていて釣り方に個性があるのがまた面白かった。また行きたいと思ってくれればいいなと期待を持ったが、釣れたハゼをほとんど持ち帰らない人ばかりで、釣り先輩としては喉に骨が使えたような気分が残った。そんな話を鮫洲の駅隣のホルモン焼き店で、大人たちが一杯やりながら交わした。

写真は、釣れた魚を冷やすクーラー用の氷。そんな備えはない。缶ビールを冷やすのには効果的だった

2016年10月23日日曜日

スマホ料金を安くするための苦闘

 月々の料金を下げたいと思って、「スマホ交換」の話に乗った。確かに月々の料金は安くはなるはずなのだが、前の契約の違約金と手数料を払うことになって、持ち出しになる。旧スマホの下取り分として「ポイント」が還元される。現在の7000円ほどを月に2000円も安くできれば、多少の苦労もいとわないということになければならない。

 その「ポイントで還元」には、買い物をすればポイントが増やせるというカードを申し込めという。こちらとしては、ポイントを使うことによって安くあげるという、そろばんを弾いているのだから、余計なものはいらない。それは避けてと思ったものの、カードがあればポイントで支払える商品もあるということで、思い直して申し込みをすることにした。

 還元になる8000円ほどのポイントを使ってしまったら、「不使用」にしようと算段した。それにはマスターカードが付されていて、現金をプリペイカードに入れておけば、使用できるという「サービス」つきになっている。商品購入で使えば多少有利なポイントが貯まるということだろう。やる気はないから詳しくは調べてはいない。

 ポイントを使い終わったらという想定で、「不使用」(廃止)する場合の手続きをどうするのかを調べた。ところがそれは無いということが分かった。規約やらを丹念によんでみても、ホームページを調べてみても記述されていない。

 HPのお客様サポートに投稿して質問をぶつけてみたら、他の投稿者から「『カード一時停止』があるよ」という「アンサー」があった。そのほかにも「アプリからも可能ですけど…」、「ショップかサポートに電話して」という「アンサー」が返ってきた。私の質問が「プリベイトカードの利用停止」としたので「廃止」の意味が伝わらなかったきらいはある。

 その後検索の方法を変えてNETで当たってみると、先方(スマホの会社)に同様の質問をぶつけた経験を投稿している人がいた。会社の方は「解約の概念がない」とのことで、案内には記述をしていないのだとか。

 回答をしていただいた方はそれぞれ適当なやり方を教えてもらったが、「カード一時停止」がホームページからの手続きとしては一番近い回答だったのかと「ベストアンサー」として投稿した。電話をかけて聞かなくても、店に出かけなくてもホームページか規約に載せればことは済むのだし、一番手のかからないことで「サービス」になるのではないかなと思った次第。

 様々な、特に熟年すぎの人間にはそんなにたくさんの機能は不要だ。ゲームだってまあやらない。音楽をダウンロードしてという人も多くはないだろうし、テレビから映画や本まで参照できるとなっていても、親しんできたキャリアからは想定外と言ってもいい。たくさんのアプリがあっても使う意欲にはつながらない。

 スマホに通ってくるデータ量が多くなることが先方の売り上げになるわけだが、その期待には沿っていかないだろう。それよりちっぽけなスマホにつまっているものが、多すぎていかなるものなのかどうなっているのかが、常識ではわからないことが多すぎる。最近はシルバー世代をターゲットに「消費意欲」を刺激するが、まあそう上手くはゆくとは考えられない。






2016年10月15日土曜日

随分と早い終息ではありませんか?トヨス。

豊洲の問題は、もう火消しパターンに入ったのか?都議会が終えたら昼の朝顔みたいにすっかりしぼんでいきそうだ。「職員を懲戒処分」という穏やかでない言葉で、ああそこまでと思った人もいるだろう。この先どうするのかは未確定ではあるものの、現市場長の更迭という、よくわからない「お仕置き」で終息することに?と。

 そりゃ「更迭」なんて次の機会を別のところで活躍してよと頼むことと違わない。収まらないのは、都議会の「百条委員会で」という提案がまたぞろ舛添前知事と同じ轍を見事に踏んで、自民党公明党の主張でお構いなしと、豊洲市場ゴーへの方向へ切り替えを図ったことだろう。それはだめですよ。

 こういうことを重ねて伏魔殿が見事に花開いたのですから。マッチポンプという言葉が「ふるーい昔」にあったが、今も死語になるわけにはいけない事情がある。東京10区の補欠選挙に小池知事がでかけ、二階堂幹事長が「呉越同舟」と評されてそろい踏みをした。呉越同舟よりは同舟(床)異夢と言うほうが当たっているのではないか。

 291万票を乗せたバスは道のないところを走るわけではなくて、おそらくは確信的に、行く先に運転されていくと想定できることだ。少々の客の振り落としがあっても分母の大きさからは驚くに当たらないと想定してと思えること。一票の重さと軽さ、それも一世紀に近い歴史の積み重ねをかみしめながら、また繰り返すのかと思うと癪に触る。

 でもそれは変わっていくだろうと期待を持たせたのが今回の「騒動」だった。およそ「15年前」に問題の事柄は十分に提起されていた。遡ってその時の知事の責任やら受注業者と都の関係やらが、表に出てくるというところまできた。「政治と企業との癒着」とは古くて新しいことで、ずっとその癒着体質が保全されてきている。それが漸次強固な結びつきになっていると言えるだろう。

 都庁の幹部の天下り先が、企業の誘致と結びついて、ナアナアの体制を造る。それが互いの利益やら「退職後保障」となるなら、それを負担する納税者はどういう立場に置かれるのかということを、もう一度考えようというのが今の局面と言えないか。都議会議長と小池知事との「握手劇騒動」を見て、ああ今そのときかと寂しく感じ、コメなら収穫の喜びの時なのにと重ねてみて思う。

事務所の壁に「地図に残る仕事」と書いてある。地図の仕事のうえに記憶に残る仕事になった。2015年7月12日撮影。





2016年10月8日土曜日

パリ協定批准、あれれ忘れてた日本?

 最近、出かけるたびに雨に降られることが多くなった。このごろすっかり雨男に変わってしまったと冗談に話すが、昨今の台風の発生や損時期でもないときの風水害がすさまじい有様で、冗談を言っている状況でない。すっかり熱帯地方と変わらなくなってしまったのかと言っても過言でない。

 気候変動枠組み「パリ協定」の批准について、政府は民進党の質問に答えて、パリ協定の承認手続きを11日の閣僚会議で決定を目指すと回答した。日本の批准が政府によって後回しにされていて、国会にかけられずにいる間、米国、中国、インドに続いて欧州連合も4日に批准を承認した。これにより協定の発効の必要条件をクリアして、11月上旬にも発効することになった。

 伊勢志摩サミットで「早期批准」を宣言に取り入れていたということなのに、今の国会では、所信表明演説では一言も触れていなかった。忘れちゃったのかなとでもいう以外に評価のしようもない。まったく恥ずかしいことだ。こんな状態で「常任理事国入り」をしたいなど言えた義理ではないだろう。

 企業活動にマイナスになることはできるだけ回避していくという甘さがそうさせる動機になる。温室ガスの排出規制には投資が必要なことは素人でもわかる。しかし持続可能な社会を求めるとは国際的な課題としても言われていることだ。「…は日本は世界から何番目」と言われること批判されることが多いが、世界では常識であっても日本では遅れていることが多くて、それだけ政治の程度が低いとみられることで、恥ずかしい限りだ。

ハイチ、ハリケーンで339人超死亡=米フロリダ沿岸直撃の恐れ

2016年10月1日土曜日

どうしてくれる気?臨海部副都心構想という日の目を見ない私

臨海部副都心構想は失敗が総括されないままに、築地卸売市場の豊洲移転を進めた。決めようとする意図が働いた。移転がなんの「はたらきかけによって」成立したことなのだろうか。そのなぜ?は不条理な「後ろ暗いこと」とすると符節は合う。明らかになってくる事実からは、まだその流れのつじつまが合わない。見えてきたのは良心的に「都民のため」というキーワードが怪しげなものだということ。

臨海部開発は30年たっても収支が取れないと東京都は自ら認めていた。2000年から始まって有明北の埋め立てを強引に進めたものの、いくら土地値を下げても企業の買い手がつかない。同じころ、築地市場移転をあの手この手で市場の賛意を作り上げ、誘導して、オリンピックの大義を持ち込んでまで価値を高める関連付けを狙ったのではないだろうか。都の半都民的隠ぺい体質は、もう限界まできた。作ったの「あの方」にはじまる歴代の都知事が招いたことであり、それを支えてしまうことになった200万を優に超える票だった。


疑いの目をもうしばらく保っておかなければ、怪しげのことはまた起こるかもしれない。新知事さんが自民党籍のままというのはどうしたことなのでしょう?戦略なのでしょうか?二度あることは三度ある、といったことなど絶対にないように、こころしておかなくちゃなりませんが、どんなもんでしょう。いまのところ大いに期待をしてはいますが、「汚染のことは、私は知っておりました」という言葉はいい感じではありません。環境大臣をお勤めのころは、有明北の埋め立てもやっていたころだし、豊洲の汚染問題は知る立場より「関与」の立場にあったはず。「クールビズ」なんかよりは「どえらいこと」ではなかったのではないでしょうか?

2000年に始まった有明北の埋め立て工事


2016年9月25日日曜日

ねじ曲がったものは正す=捨てたものではない豊洲新市場問題

 事態は新豊洲市場開設「延期」ではなく、「中止」までいくのかなという気がしてきた。豊洲は危険だから移転すべきでないと、十数年も言い続けてきた人たちがいた。築地市場で働く人たちと、もちろん都議会にもずっと追求してきた会派があった。正直この声が実るのかどうかとずっと危惧していたところだった。だが、その粘りのおかげで見事に東京の大問題に浮上させたのだから、不条理は正されるのだと、この間の報道を見て感じる。世の中捨てたものではない。

 どうして豊洲だったのかという根拠も未解明で、後ろ暗いことが隠されているのかもしれない。これからはっきりしてくることに期待したい。もとをただせば築地で建て替えるということは市場の総意だったし、そこをあの手この手で覆して「40ヘクタールは必要・汚い狭い古い」との言葉を送り込んで、都として東京ガスと再三交渉を重ねた経過がある。

 その経緯は情報公開によっても「黒塗り」されており、全体像は見えない。東京都は伏魔殿だという、石原元知事の言葉で外れてはいないと思うが、そういう東京都を造ったのは石原元知事自身だったのではないか。土壌汚染の調査を細かくやれという共産党都議の追求に言を弄して、対応しないと逃げの回答している場面が都議会議事録にある。

 ワイドショーで「なんなのこれは?どうして?」という疑問が始終出されているが、都民の目から見えないようにしてすすめたことだから当然のこと。トップダウンで「我」を通すのには、隠れてやることが最適なことで、なにも情報提供されていないことに、東京都組織が平気の平左でいられるようになってしまった。トップダウンの性質は、石原知事在任中に11チャンネルの知事記者会見でも垣間見えた。自ら指さして「ハイ次!どこの記者だ?もっと勉強しろ!はい終わり!」と勝手放題だった。


水産卸売場棟
2014年11月2日撮影





2016年9月23日金曜日

「魚が食いつく瞬間を撮影」グッズの笑えない話

 NETで魚が「食いつく瞬間を撮影する道具」の宣伝が載っていたので、これをFacebookに投稿した。

 「こんなものがなくても、釣れるつりがしたいもの。つり場が壊され、少なくなって、釣れなくなっていく。」とコメントしたのだが、今朝見てみるとそのリンクした「フィッシングカメラ」が「パソコン」に変わってしまっていた。

 向こうさんはコマーシャルだから内容を変えるのは当たり前と思うと腹も立てられない。投稿した内容をフォローしなくてはならないが、先の「フィッシングカメラ」の宣伝はどこにあるものやら、もうわからないのでNETの検索にかけた。「つり モニター」とキーワードで書き込んで見ると、ぞろぞろと出てきた。

 その一覧表ページの右をみると、なんと自分が昨日見たとき、そのページを保存しておいたのが見えた。EVERNOTOアプリで、NET上で記録しておきたいものをワンクリックで保存しておけるという便利なもの。よく使っているが、当該のページを記録しておいたのをすっかり記憶からなくしていた。

 また年相応の健忘症を思い知ることになったが、ここまでくると、恐るべきデジタル社会だとも思えてくる。まさか、本人が忘れたものを思い出させることを、想定したものかどうかは不明だが、膨大な情報を整理する手段が開発されるのは当然と言えば当然だ。そのコピーを画像として作って、Facebookにフォロー投稿をした。





2016年9月20日火曜日

急いで回ったロシア5日間

 費用が安いのを見込んでだから、贅沢は言えないが、5日間のうち現地で3泊の旅とは、きついものだ。観光地でのガイドの話も、うなずいて聞いていた記憶はあるが、ほとんど頭には残っていない。例によって写真を撮ることが主眼になっているから、余計にそうなのだ。

 昼食や夕食時、あるいは時間外でも、せっかく見た「いいもの」の話にでもなればいいのだが、話題はなかなかそうは流れない。ガイドの態度がどうだったとか、同行者の周辺情報だとかということになって、アルコールが回るに従い話も回る。あとから見直して思い出すのも楽しみのうちとしておくのが落としどころだ。もっとも歴史を紐解いて予備知識を得ていくというのも、自分は海外に慣れていないせいかなかなかできない。

 なにしろ優先順位は写真撮りなのだから、行った先の遭遇の瞬間を切り取るという狭い動機では、味わうどころでないのも率直なところ。でも、もったいないな。どれだけの歴史を刻んでいるのか、突っ込んでいけばきりがないだろうけど簡便でもいい、アウトラインでもつかんでおきたいところだ。

 32人の同行者で廻って歩くのは大変でも、写真を撮るとなるとグループが大きいから目立つのがいい。少し遅れ気味になっても、シャッターを押してから目を上げると、後方のメンバーがすぐわかる。現地のガイドさんが前方で見学場所の説明し、末尾で日本のガイドさんが目を光らせているから、迷惑がかからないように始終小走りに追いついていく。

 私の場合は旅慣れていないので、手荷物検査で気を遣う。面倒この上なくて、よく止められてしまう。ズボンのバンドも外すのだから、身づくろいまで必要で、ここでも遅れていく。このスタイルの5日間なので、すっかりくたびれ果ててしまった。帰りの成田空港から上野へ京成で出て、改札を出て歩き始めたところで、カメラが入ったリュックを網棚に忘れていることに気が付いた。改札まで戻ったら届いていて事なきを得た。

 それにしてもエルミタージュ美術館とはすごい。権勢をもって集めたという凄さに感心かつ驚いた。








2016年9月7日水曜日

撮った写真を整理しながら…も楽しみ

 以前は現像、焼き付けと言っていた写真は、今はデジタルでパソコンを使った「編集」という名前でできるようになった。そのやり方を撮る人が漸増しているようだ。もちろんそれなりのお金もかけて、パソコンソフトもそれなりのものを手にいれなければならない。そんなことができるのは、恵まれている部類にはいるのだろうか。

 消費の拡大に貢献して…などと言うと、「年金もらい過ぎ」みたいな批判にさらされかねないご時世だから、大きな声では言わない方が安全かもしれない。で、デジタルカメラで撮った写真の見栄えもちっとは出てきたようでもあり、苦労の甲斐あり、(いやこれも遊んでいるという声が聞こえそうだから言わぬが花かな)

 あとはどんな「いい写真」をとるかということに尽きることになる。実はこれが一番難しいかもしれない。なにせそれだけの「能」があるのやらないのやらの区別が自分では付かない。まあ、あまり問い詰めないで流しながらやらないと辛くなりそうだから、持ち味の「ぐーたら」志向でいくしかないということにしておこう。








2016年9月3日土曜日

温暖化、気候変動に対策が十分でない

 岩手県岩泉でグループホームの高齢者が非難する間もなく濁流にのみこまれて亡くなった。避難指示や勧告を出さなかったということだが、それだけに責任を求めるだけではすまない。なんだこの台風はというほどのとんでもない動きをしているのはどうしてなのだろうか。「温暖化」というキーワードが気象予報関係の中から聞こえてこないのはどうしてなのか。国の機関が見解を持っていないということはないと思うのだが、なにかの不都合があってのことかと曲解もしたくなる。

 釣りをしていると「水温」が魚の活力におおきな影響を持っていることがわかる。水温が一度以下の変化、動きであっても就餌行動に違いが出るから、人間よりもずっと敏感に反応していることがわかる。渓流魚を釣ったときには、手を水につけて冷やしてからつかめとよく言われる。そのままつかむとヤケド状態なのだという。海の釣りも、気温と水温の変化によって、魚が岸に寄ったり深場に行ったりと、繁殖活動にも影響を与えている。魚だけということではなく、餌をふくめた生態系全体が温度の異変に支配されているということなのだろう。

 温暖化が与える負荷はいま途方もないほどの影響を与えているのではないかと、そんな話がたくさん出てくるようになった。神奈川県水産技術センターのメールマガジンで、相模川の河口で西日本以南に多い水生生物の種類が増えているということが、書かれていた。
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神奈川県水産技術センターメールマガジン  501
 相模川の河口に「馬入水辺の楽校」と言うビオト-プがあります。内水面試験場では、毎年、市民団体と連携して、観察会を兼ねた水生生物調査を行っています。このあたりは、淡水と海水が混じり、たくさんの魚やエビ、カニが生息する豊かな水域です。魚類は20種類程度、エビやカニ類も合わせて10種類程度は、毎回、採集されます。
 豊富なハゼ類やテナガエビ類、県内では珍しい希少種・アリアケモドキ(写真1)をはじめ多様なカニ類など、何が採集されるのか、とてもワクワクする場所です。
 しかし、最近、少し気になっていることがあります。昔と比べて生物相が変化し、採集される生物が変わってきているのです。クロホシマンジュウダイ、カワアナゴ、ウロハゼ、ヒナハゼ、ミナミテナガエビ、ミゾレヌマエビなど、西日本以南に多い種類が増加しています。特に昨年と今年の調査では、見慣れないすね毛の濃いカニが出現しました。「トゲアシヒライソガニモドキ(写真2)」という、ややこしい名前のカニで、汽水域に生息する南方種です。他のカニにも毛が生えた種は少なくありませんが、本種は8本のすべての脚に毛がびっしり生えており、まさに、「すね毛ガニ」です。その上に、小さな体の割には、はさみも大きいので、他種との見分けは容易です。
 ざっと調べたところ、高知県、大分県、沖縄県などから少数の記録がありましたが、分布の中心は東南アジアのようです。神奈川県では初記録になるかも知れません。これも地球温暖化がなせるワザでしょうか。昔から生息していた生物への影響が心配されます。

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 想定外を超えることの背景には、気象の状況を的確にとらえることが大切なことだと言える。それが、何十年に一回だの増えているだのという言葉しか聞こえてこない。あらかじめ、これまでよりもひどいよと、警報を乱発するがごとくの対応のままで、注意喚起になるのだろうかと思う。生態系から見える変動は、「危機的」な状況にしか見えず、ますます広がっていく。行政の対応で警報なり情報提供があっても、「これまでなかった」という意識を変えることができるのか。

 加えて、そのグループホームは蛇行した川の谷間で河川敷のなかにあるようなところだ。河川の有り様に対しての対処が違ってはいないのか。岩手の津波対策で「ここから先に家を建てるな」という言い伝えが、浮かんでくる。不動産事業の「自由」に何らかの規制、指導があってもいいのではないか。

2016年8月25日木曜日

岩手山麓で意外な切取りができた


 岩手の小岩井牧場に、ひまわりの群生場所があるというので、行ってみた。ひまわりをしげしげ見たのは初めてだった。その顔は東を向いて咲いている。それもばらばらとアトランダムで、聞くところのざっとひろがった一様さがまるでない。西日を受けて後ろを向くその姿に、思わず「向日」じゃないのかと言ってしまった。夕方ではあったので、光は面白さを感じたものの、逆光になってやや難し加減のシャッターチャンスだった。でも撮ったものを見ると、なにかざわさわとした感じがでて映っていた。







2016年8月20日土曜日

清涼の岩手山麓とお別れ、またク…暑い東京へ

 岩手山麓はクーラーのない生活がなによりだった。寒いと思えば窓を閉めればよいので、東京の暮らしとは全く違う。海抜は400メートルくらいでも、周囲は99%森と林と田や畑だから、隣にある自衛隊基地の、射撃訓練の音が時々うるさいほどであるのを除けば、超自然に恵まれている。

 東京でもどこでもエアコンで使うエネルギーだけ考えて
も、途方もない〝金〟を使っている。それが無駄とは言えず、都市だから集中する情報を使い、価値と利益を生み出すことに神経を使って「運営」されている。口先だけ一極集中を否定して見せて、実はもっと都市部への投資を無理に増やして、「経済成長」の幻想を追い回すことをやめられない。都市の暑さはその拡大増長と反比例の関係にある。

 「カッパエビセン」は止(と)められなく止(や)められなくとも、止まった。けれども、今の政治政策で都市再開発の増幅を止めることはできない。理性もなにも憲法に則さないことであっても、「イケイケ」に集票効果があるのだから、根は深い。

 参議院選挙が終わって、この岩手県とわが田舎の山形県で、野党統一候補が当選した。岩手県知事だったマスダ何某が、都知事選で落選して岩手県で財政赤字を残していった。その責任を、あいまいにしない結果になったことも、良かったこと、足の裏をかくような物足りなさはあるが、カウントしておきたい。






2016年8月14日日曜日

今年のお盆、岩手山麓は涼しさ加減

 朝晩の気温が程よいく涼しさで、東京の暑さから解放された贅沢はこの上ない。冷房は暑いところからその場所に入った時の気持ちのよさはその時だけで、あとは身体が冷えて寒くなるのか、ボワーとした温風が空気をかき回すだけで、いちいち咎めたくなる。岩手山麓の太陽はその明るさが、これが夏と言わんばかりの照り方なのに、乾燥気味の涼しい風が、山と森の間を通り抜けている。

 短かった春から夏への展開がまた早い。花がもう盛りを過ぎているという。散歩に出るとファインダーから見える花々が、確かに盛期を過ぎている感じがある。田圃のイネの穂はシュッと穂を立てて、流れている透明な水を吸い上げている。家の前のススキの穂も、今はピンとたっているが、まもなくしなっとして紫がかった色に変化するのだろう。

 親父は相変わらず「現職な」人並みの意識から抜けず、あれやこれやとそれも思いついたように時々歩き出す。歩幅が狭くなってすり足の音を立てながら、「指図」に立ち回る。しゃべりが不鮮明だから、何か言ったときに聞き返すと、またそれがなんだか分からずに余計混乱する。で、聞き返さないことにしたら、今度は言いたいことを聞かせようとして、集中して話すから、かえってよく意味がわかるようになった。おおむね3回程度のやり取りをしないと、なにが言いたいのかがわからない。

 椅子から立ち上がるのでさえ、勢いをつけないとできないので、以前は助けようとしたものだったが、それはだめらしい。自分でやるという意思がなによりの元気さを産むことになると、特に親父の場合はそう考えるほうがいいのだと思う。今日も一日オリンピック、高校野球、プロ野球と飽きもせずテレビを眺めている。昼寝もせずに見ているから、きっと夜眠れるように頑張っているのだろう。おかずはロクに食べないが、ご飯と麺類はしっかり一人前食す、96歳老人はまだ先がありそうだ。


2016年8月9日火曜日

写真展が終わって、「道楽」の一区切りがつく

 日常の景色でも旅の景色でも、自分が感じたところを切り取って写真に残す作業は、写真のプロアマを問わず変わらない。何を撮るのだと自問すれば、これが広くて深くてどちらかというと整理がつかない。その道の人か才の持ち合わせがある人は、すっと整理がつけられて、次のステップへと踏み出せるのかもしれない。
 
 撮る写真の対象、テーマ、視点、編集(プリント)の技術などなど、何がよくて何が不要なのかと、昇華する過程は、道楽にしては手間のかかることだ。しかし、写真を人目に晒すことは、それこそ「…飛び降り」の心持で、あい務めることになるが、そこまでの思い切りと緊張感が次のステップへの動機になることは違いないだろう。

 そのはずみの大きさは「いい写真だった」という確信の大きさにもよることだろう。しかしまあ道は遠い。今回の写真展の私のタイトルは「少数派」。たばこ嗜好者が、社会から孤立させられていくことに少し同情の思いをもって、多数派にはなりえない少数派として切り取った。









2016年7月28日木曜日

写真を会場に運び込んで準備の山超えた

 昨年に続いて、現代写真研究所で学んだ同期生が、今年もやることにした写真展会場に届けて、あとは展示作業をやってもらえば、準備完了となる。昨年の写真展が終了したときに、評判は悪くなかったし、またやるかと決めたものだ。それなりの準備に心を砕いて、開催までこぎつけるのは簡単でないが、それよりも折角撮った写真が棚に積まれたままではつまらない。行き場があって出番もあれば一区切りはつくことになると皆思ってのこと。

 撮って現像して選んで出品展示となるが、自分の撮ったものの意図が少しでも伝えることができればいいなと思う。それにほかの人が撮った写真に違いがあるというのも面白い。それは「好き嫌い」のような個性によるものだろうか。社会事象を切りとってみるということもあるだろう。技量の違いも当然あるのだろうが、撮った人が何を訴えようとしているのかを考えると、見る人の個性によってとらえ方が変わるところもある。

 ともかく手作りでほとんど準備していくことゆえに、やったという充実感も湧いてくる。これがまた次の写真を撮っていく動機づけになればいい。でも少々くたびれた。

写真展
8月2日~7日 10:00~18:00
JCIIフォトサロン 半蔵門駅4番出口から1分