2024年5月19日日曜日

なんかねーもう終わりの始まりか

いよいよ義父と同様かと思いつつ不愉快と寝不足の頭を振って起き上がると、血圧も上がっている。もう終わりの始まりなのかと思うと、どこかの国の政府のことだといいと、すり替えてみて憂さを晴らしたくなる。

腰が痛ぇ―なんて叫んでもだれも同情なんかしやしない。だってよく聞かれることだから。歯医者に行って、弱った歯の浸み具合はどうかと問われ、ほぼ大丈夫だったと答えると、清掃だけして次回は3カ月後になった。帰りがけに歯は落ち着いているけど腰が痛いと話すと、患者さんが最近とよく言っているのだと返ってきた。

口に出しても楽になるわけじゃないからと思うのについしゃべってしまって、言っても仕方がないことに念を押されたようだった。でも痛いものは痛い。診療所で痛み止めをもらっても、なるべく飲まないようにして、痛くなったらやむを得ず飲むようにして「自己管理」でやるも、二日薬を飲まないとだいたい痛みが出てくる様子。

でも薬がこんな効き方をするのだろうか。目覚めも半ば腰の痛みで目が覚める。寝不足感がなんとも不愉快で、悪いときにはもう寝る気がなくなる。すっきりした空でも眺めて⋯




2024年5月12日日曜日

むかしの話が多くなってきた~イワナ釣りと山菜~

いまどきは、釣りに行こうと胸をドキドキしていた昔。支度は仕掛けを真っ先につくる。春先で木々が変化してくるときだから、新しい葉や小枝で仕掛けがよく絡まって消耗する。その支度から始まって、渓流の岸で仕掛けを竿につけてエサをかけて第一投をするときが、わたくし流春のセレモニーだった。ほかの釣りでも同様、支度が釣り活動の始まりになる。本当は「行こうか」と思った時からかもしれない。

渓流で釣りをはじめてからは、魚の反応有り無しでダメなときは徐々に気持ちがしぼんでいく。釣れないことはままあるが、結果(「釣果」という)がよくないときは、誰かが釣りをした後だとか、天候がどうだとか腕前はさておいて誰かの「せい」にする。どうしたらもっと釣れるかという反省をしないと、釣りでも上達はしないのに。

悔しいから「また行こう」という気分を醸造させる。初期の渓流釣りのおりは、山菜がよく顔を出しているので、釣りはあきらめて山菜取りに鞍替えすることも楽しみを広げる。この時期の元気の源はそこにあったのだろうと思う。先日の旅で只見線の車窓からみえた渓流の情景を見て、イワナの生の匂いを感じたのはそのせいだったか。





 

2024年5月9日木曜日

写真撮って満足感が味わえれば⋯

意気ごみだけはなんでも撮ってやろうと身構えている。以前はそうでもなく、撮る?何撮る?うーん行くか、よっこらしょ、みたいな身体の重さを伴っていた。旅行で訓練したせいか今はどこでもなんでも簡単に撮るようになっている。近所でも公園、お寺、ビル街、神田川などを歩く。ただし体重は変わらないし(アルコールのせいだろうな)、経年劣化でいささか鈍くなった身体をなだめながら歩き回ることになる。

先日退職者会の旅で只見線に乗る催しがあった。列車の旅なのだから、歩き回ることはない。知らない景色を次々に移動して見せてくれるのだから、こんなに楽なことはない。車窓から眺める景色は春まだ浅い山と川の様子を映し出していた。新幹線ではまったく考えられない、速度のゆっくりした列車から撮るのは、やや早めのシャッタースピードであればよかった。

少しコツがあって、カメラを構えたまま、眼を進行方向にむかって流し目にして、よさそうな景色が目に入ったら、窓の正面で撮るようにして、その場で2,3回はシャッターを押した。右側、左側を行ったり来たりしながら結構な忙しさだった。列車では80枚撮った。撮った当座は見返すゆとりはなくて、懸命にシャッターを押すだけで、写真を味わうのは家に帰ってからの楽しみになって、パソコン医取り込んでからオオなかなかいいじゃないか、と自己満足の骨頂に浸ることになった。

とりわけ車窓から眺める破間川、只見川の残雪をかかえた景色は素晴らしい。かつてのイワナ釣りを連想させてのことかもしれない。その合間から時折見えるサクラはまだ淡い色で、春まだ浅い雰囲気を堪能させてくれた。日頃ビルばかりしか見えないところから自然の懐に飛びこんで、味わえたことだった。













 

2024年5月5日日曜日

写真サイトの拡張しなくちゃ

退職者の写真サイトに、写真がたくさん送られてきて、更新するのが忙しい。写真を撮るのは出かけたとき、近所の散歩したときなどで、目に触れたものを切り取って送ってもらっている。短いスライドショーにまとめて、一件落着型でおくってくれる人もいる。特には花の写真が多くて、居ながらにして季節感を味わえるのが余禄になって楽しい。

写真を撮るのは他人に見せる、伝えることが前提になっている。自分がいいもの見たら伝えたいと思うのは当然のように思う。様々なことを伝えるのは人間の営みとしても、大仰に言えば歴史の伝達にも必要不可欠なことなので、その一つの形態として写真や映像が手段になっているものではないかと…。言葉とはもう一つ違った、優れた「伝道」手段でもあるだろうか。そこまでくれば写真は、文化の一つの貴重なものという理解にもなる。

写真撮影は、デジカメラからスマホカメラに拡張したことで、写真の世界がずっと広がって「天孫降臨」みたいなことになっている。スマホカメラによる写真展も出てきている。「良いもの」が人の目に触れるという機会が与えられて、良いものは評判が湧きでる。「良いもの」にこだわる必要はないとも思うが、人目にさらすことになればそういったこともでてくる。そこいらは境目かもしれない。

写真展を会場を借りてやるのは費用が掛かるし、準備もそれなりの労力も必要だから、それだけで敷居が高い。WEBサイトであれば安価にやれる。しかし無料でやるのには制約がある。このところ退職者会の写真サイトへ思った以上の写真が集まって、更新が連日のようにあった。無料でできるWixサイトを使って作る「写真展サイト」は、容量に限度があってすぐにいっぱいになってしまう。3つ目のサイト(3つ目は開店準備中)にまで拡大しているが、これも限度が近い。有料切り替えをしろとしょっちゅう宣伝が入ってくる。3つ目のサイトは何とか作れそうでもいずれはということになりそうで後がない崖ぷっちにたたされた。

以前はやっていた有料のホームページでの作成も対象にして、方法を考えてみることも選択肢かと試してみた。でもそれは費用が掛かることであり、「写真展」に特化したものだと編集方法の使い勝手もよくない。費用の額にも寄ることもあるかもしれないが、適当な良い方法がいまのところ見つからない。

  少子化対策を年金からもというアホなことを言う。社会保障にも年金にも効果的な手を打ってきたのか?2日の公園は保育園の子供たちでにぎわっていた。










2024年4月27日土曜日

スマホ写真家が増えているのでサイト展示会

 退職者会で、デジタルカメラとスマホカメラで撮影した写真と動画を送ってもらって、写真展サイト(ホームページ)を作成した。本当はデジタルカメラを使っている人との交流をしたいと思っていたのだった。でも写真を送る操作をパソコンのメールでやるにしても、ファイルの容量(画素)が大きいと、分割して送る必要があり、そうかといって「大容量ファイルを送る」サービスを使うことも、知らない世界に踏み込むということになって、やはり簡単にできない。なによりも撮った写真の保管整理を、自己管理することが大切で、写真ファイルから引き出して、送った写真ファイルを別途記録(保管)しておかないと、そのうち送ったかさえ分からなくなったりする。小さな山をいくつも越していかなくてはならない。趣味の範囲でやるにしても「写真家」的技量がはいってきて、実に厄介だ。このあたりがデジタルカメラの「難点」なのかもしれない。

 それに比べてスマホのほうは、写真を簡単で上手に撮影できて、保管場所もわりあい分かりやすい。送るのもLINEでわりと易しくやれる。初心を投げ捨てたわけではないけれど、スマホ写真の方がずっと扱いやすい。だいたいは撮った写真を誰かに見せよう、共有しようとして「送信」までこなしていることは多い。だけども、もったいないことにそこまでで終わっているだろうと思い、それならデジカメ写真に加えてスマホの写真を供出してもらって、「写真展サイト」を作ろうと思いいたった。

 われら高麗者であるゆえに小さな山はいくつもあった。デジタルなんかという「反感」もあるし、世界はそれだけで動いているわけでもないとの厭世的気分もある。すすめてみて、小さな山にぶつかりながら、どうするのかという問いかけに自答するのが、切迫感も手伝って健康維持(特に脳)の糧になっているのかも。スマホのアプリの使い方など、自分では間に合っていたものが人に説明するとなると実はよくわかっていなために、解明が必要になって調べることもでき、その点では非常に勉強になる。

 先日のサクラを追いかけた旅で、宿から撮ったスマホの写真は、早朝から時間がたつにつれての変化がとらえられた。切り取りの範囲、どこを中心にして加除するかなど、シャッターのタイミングを変えてみた。それぞれが違った表現になっているなと、いまさらながら自覚した。昔のカメラと違ってデジタル写真は、簡便に撮れるし、数多く撮ってもスマホやパソコンでの画像処理であれば、先の費用はほとんどかからない。気に入った場面はたくさん撮ることがコツにもなりそうだ。余分なものは消せばよいのだから。そんなこともこの間に再認識した。

撮影4:32


撮影4:50↓

撮影4:55↓
撮影4:56↓
撮影5:00↓
撮影5:01↓
撮影7:45↓
撮影7:46↓


2024年4月25日木曜日

花見山、桜満開人満開

 月曜日で幸いだった。それでも時間がたつにつれ人出がすごい。こちとらのように年配のひともいるけど、若い人たちも外国人も交じっている。小高いコースが分かれて伸びているのに、我がが身を忘れて結局は一番遠いコースまで歩いてしまう。サクラと菜の花の黄色がよく溶け合って、華やかな気分になる。ぞろぞろと連なって歩いても、お互いがそんなに邪魔しあうこともないのは、気分的にも楽だった。時々見える眼下の景色が、小高い山のなだらかさからみてちょう感じよく、高麗者(「高齢者」を間違えたにわけではない)にも優しく感じる。

 ずっと歩いて桜のいろいろな風情を写真で撮るのは撮影の練習にちょうどいい。撮り方と映り方を考えながらあるくと何枚も撮れる。デジカメは簡単に何枚も撮れるのにもかかわらず、撮る枚数が少ないことが多い。それは当然なことで、何枚も撮っても仕方がないからだ。ところがギッチョンで、ず~と写真を撮って人目にさらすということをやっていたら、どうもそんなことでは済まないことに気が付いた。もののある瞬間をシャッターチャンスとすれば、朝昼晩、雨風雪、季節、季節の変わり目年月の経過などなど、たくさんの異なった場面が対象になる(できる)ので、カメラで撮らなければもったいないということにもなる。シャッターを押すのは、「ここがいい」と決めて実行するのだから、その画像(フィルム)は自分のお好みの一枚なわけで「思い」が籠っている。だったら一枚だけ撮るということではもったいない。夕方の瞬間でも数分、何秒後かには表情が変わる。

 サクラを撮るなら、ここと決めて撮るけれど、ちょっと角度(360度ある)を変えてみるとか、後景をどうするとかで、一枚では終わらない。そんなに身を入れることはないかもしれないが、もう一つ言えるのは、人に見てもらって写真の楽しみを交流・共有するということだから、「もうひとつ良い写真」であれば、言うことはない。「もう一ついい写真」はどこかの写真展で選ばれるようなものまで考えれば限りないほど何枚も必要になる。

 写真展に出すなどということを考えないのも普通だ。それでも「もっといい写真」は撮れるけど、見てもらうという負荷(楽しみ?)がもう一歩素敵な写真を撮ることにつながることは間違いない。ただ、たくさん撮ったとしたら写真の後の始末をどうするかということがある。どこにどう残すか、もう断捨離で早々に片づけるのか、画像の後始末はどうしようか?が、ゴミ問題に近く課題になる。ちょっと話題がそれてしまったけれども、たくさん撮るということにかかわることで、花見山は良い対象だったということが言いたかった。


花見山








とびとび写真集

2024年4月18日木曜日

なにはともあれ写真を撮る福島の旅

 写真を撮るのが軸の生きがいといったらいいか、腰の痛みがあっても出かけて写真が撮れればいい。とりあえず贅沢な日常と言える。「さくらんぼの会」の旅は、ちょっと心配だったが、痛み止めの薬をもって、桜を見るのを楽しみにした旅だった。腹中の「流通障害」で、調子が悪かったがトイレに入ってからは、落ち着いてきたので安心した。初日は昼食後に霞ヶ城公園に行ってみる。福島出身のIさんが二本松城址の配置までもよく知っているので、コース案内をお世話になって、景色の良い高台(城址)からな眺めを楽しんだ。

 見下ろすサクラの方はほんのちょっとだけのお出ましで、残念だった。寒暖の激しい天気ではサクラもいつ咲くのか大変なことだろう。城址公園を下っていったところにある寺、大隣寺に戊辰戦争で奮戦した二本松少年隊16名の供養塔があるとのことで立ち寄った。一本桜の素晴らしい姿を観られた。宿は新野地温泉で、以前にも泊まったことがあるところ。この温泉の鄙びた様子と吹き上げる蒸気が印象的で写真むきだ。












2024年4月11日木曜日

クスリは毒か薬か

 腰が痛くて薬を飲む。でも多分痛み止めを飲み続けるのは良くないと聞くので、処方されて薬をもらったのに、ちょっとやめてみる。でも痛みがまた出てくるのでまた飲むといったいたちごっこが続く。何が原因なのかということでは、狭窄症気味だという判定があって、今は痛み止めと湿布の処方になっている。それに便秘が加わってくるから困ったことになっている。頭の先(中)から目下つまずいてできた足指の内出血、上から下までの各種の障害で賑やかに飾られている。素人なりの判断しかできないのに、あれかこれかと原因を考えてみても役に立たない。それはそれ「高齢だから」によって、万人が見舞われることゆえじたばたしても仕方がないよと、誰かが言っている。

 膝が痛くなって再生医療で痛みが取れてとても楽になった。なぜがそのころ肩が痛くなり始めて、一年以上たってひどくなるばかりなので、その治療も相談したら「五十肩」とのこと。治療は肩に麻酔注射をして、肩を「バリっ」と動かして可動域を広げるもの。痛て~の表現ピッタリの荒療治(先生ごめんなさい)で、あとはリハビリで肩をどんどん動かせとのこと。痛み止めの薬をもらって、痛みを押さえながら肩を前後左右に動かすことを始終やって、なんとか動く実感に達した。痛みも幾分か収まった。

 だけど今度は腰の痛みがでてしまって、薬が途切れなくなった。痛み止めの薬は続けない方がいいですよねと、先生に言うと連続可能な薬もあるのだという。いまはともかくその指示に従うことしかないと諦めている。一連の出来事を体験して、膝、方、腰を動かす際の連動連鎖というものがあるのだろうと思ったが、「高齢だから」との付き合いは、仲良くしたくはないが共生になるのかな。