虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
2018年10月18日木曜日
2018年10月13日土曜日
バスで走り抜ける北海道
北海道は、いささかどころなく、とんでもない広い面積だから、三日ばかりの旅ではものたりない。と言っていいのかどうか、最近は気楽な旅でも疲れを感じてしまうことが多くなったので、旅期間の短い方が気力が保てることもある。出費も少なくて済むから、またどこかに行くきにもなれるし。
待ち合わせに遅れて飛行機に乗り送れそうになった、北海道の旅が始まった。小樽で夕食の寿司を物足りなげに終わらせた後は、持ち込んだもので宴会が始まった。ホテルにはアルコールの自動販売機もあるし、製氷機も使えた。どれだけ飲んでいたかは不明。
ともかく朝の港には行って、写真を撮りたかった。朝食前の一時間ほどを見計らって、ホテルを出たところ建物が大きいし、となりのこれまた大きな駐車場を、通り過ぎるのに大変だった。海際に立っているホテルなのに、その海にはずっと回りこまないと行かれなかった。
港の一部にマリーナがあるだけで、そのほかの広い港にはほとんど船がいない。なんのための港なのか。聞いてみないとわからないようだった。造ったはいいけど…みたいなことがあるのかもしれない。ホテルの隣のビルが廃墟の様相だったので、そんな気が起きた。
待ち合わせに遅れて飛行機に乗り送れそうになった、北海道の旅が始まった。小樽で夕食の寿司を物足りなげに終わらせた後は、持ち込んだもので宴会が始まった。ホテルにはアルコールの自動販売機もあるし、製氷機も使えた。どれだけ飲んでいたかは不明。
ともかく朝の港には行って、写真を撮りたかった。朝食前の一時間ほどを見計らって、ホテルを出たところ建物が大きいし、となりのこれまた大きな駐車場を、通り過ぎるのに大変だった。海際に立っているホテルなのに、その海にはずっと回りこまないと行かれなかった。
港の一部にマリーナがあるだけで、そのほかの広い港にはほとんど船がいない。なんのための港なのか。聞いてみないとわからないようだった。造ったはいいけど…みたいなことがあるのかもしれない。ホテルの隣のビルが廃墟の様相だったので、そんな気が起きた。
にぎやかにしゃべりながら、釣りをしていた
2018年10月10日水曜日
塩害というと悪者に聞こえるが
葛西に住んでいる知り合いの家で、先日の台風で飛ばされた塩がベランダにこびりついてしまったとのこと。電線に付着してショートした末、電車が止まってしまったと報じているが、あちこちでその「被害」が報じられている。イチョウの木にも風上だった片面に張り付いて枯れてしまったという。農作物なども影響があったらしい。
「塩分は控えめ」なのがいいと人間の場合にも注意喚起されている。だけど、人は全く摂取しないとこれもよくない。涼しくなってきたら忘れそうになるが、暑いときの水分補給の際は、塩分を採ることも大切だと気象予報の時に強調して話している。
たしか稲作には「塩分」がおいしい米づくりには効用するというのを聞いたことがあるので、あらためてNETで調べてみると、「ミネラル」がよい影響があるという米作りの農家からの発信がたくさん出されている。その根拠は見た限りではわからなかった。この場合は潮風でのことなので、塩分の量は「害」にはいたらない。
全国で海際の棚田などで稲作が盛んに行われているのだから、その効用があると考えていいかもしれない。東日本震災の「塩害」のよる、塩分除外の方策は研究されていて、1%以下なら大丈夫というのもあった。確かに、人間社会の特に生産物について、その成果に「害」を及ぼすというのは、そうであっても、こっち側で利用させてもらっていることもわけだから、害を与える悪者にされるのはちょっと気のどくな気がする。
夕鶴のふるさとで育つおいしいお米
2018年10月7日日曜日
飛行機に遅れそうだった危ない話…日記から
6時過ぎ起床。トイレへ行ってからコーヒー。今日のコーヒーは薄くて、コーヒーの味が物足りない気もするが、牛乳の量がちょうどよい。牛乳を入れると温度が下がるから口当たりもいい。この一服がなんともここちよい。
北海道への旅出発が11時14分地元駅発。これにはきちんと乗ったのに、新橋で、京浜急行に事故があって使えなくなった。あわてて「ゆりかもめ」に乗ってしまって、「芝浦ふ頭」でおかしいと気が付き、折り返して行って新橋駅に戻った。
ところが改札を出られなくて、インターホンで指示を受けて出られたものの、今度はJP新橋駅で入場できない。カードをもらって出たのだが、なにが違っていたのだろう。その場では清算されていないと言われたが、ともかく事情を話して改札からホームに上がった。
今度はそのホームが違っていた。隣りのホームに移って電車に乗り込み、ようやく浜松町まで行き、モノレールに乗るが羽田到着したのが集合一分前。待ち合わせ場所には1分遅れただけだったが、焦って汗も出てきた行程だった。時間に余裕を見て出たからよかったが、危ういところだった。
小樽で寿司を食べたのが一日目の日程で、一人前の寿司と生ビール一杯で、旅の夕食にしては物足りない感もあった。大浴場はないので、部屋の浴室でシャワーを使つかった。寝る前の時間は無論アルコール付き歓談。危うかった一日の「そろそろ危ない」話で盛り上がる。
2018年10月3日水曜日
断捨離の課題ができた 釣り道具との別れ?
家のリニューアルで、ベランダのコーティングを張り替えることになった。ベランダには、釣り道具がほとんど詰まっている物置がある。最近は大工道具を出す以外はめったに開けることがなくなった。そういう意味では「この際整理してしまえ」という、連れ合いの言には説得力がある。
それは惜しいという気持ちが今は和いでいるので、これを機会に際お別れしようかと思う。しかし、中には使わなかったものがいくつもある一方、使っていたハゼ釣りの道具などは、また釣りに出かけることもあるかと、惜しい気分も湧いてくる。
渓流の道具や仕掛けなど、親しんできたモノには、思い切りができるだろうか。残しておいても金になるわけでなし、廃棄処分の憂き目にあうだけなので、現政権のうちに整理するのがいいことには違いない。涙…。
お台場
亡くなったつりの会員さんが作った
長い間世話になった
2018年9月29日土曜日
写真展の講評で喰らう一撃
写真を撮るときは「思い込み」をうんと入れ込んでやる。そうするのは自分に限ったことではないらしい。「いい写真だろ?」と、誰と言わず言いたいのは、写真を愛好するものの性なのか、重要な動機付けとなる。
問題はそのあとだ。時の「評価」に晒すと、どういうことはない、膨らんだ風船が見事にしぼむ。しかも都合の悪いことに、動機であれ理屈であれ、説明を加えてしまうと、それを写真で表現できなかったんだねと、恐ろしい言葉が跳ね返ってくる。
今回の講師は「写真道楽」のワードを使った。楽しい道なんだよねと、コメントされるとうなずく以外にはない。この道に深く根差した話には聞こえた。そんなこと言いつつ、写真活動にはやるほどに「奥深い」道をさまようようになるというのが印象。
何に?どこに?なにを?いろいろなことがあり、瞬間があり、怒りもあり…(そう言えば「笑い」はほとんどないが、社会性を帯びるとなると然りなのかも)情念だの恐れだの際限のない世界が相手となる。待ってくれ、ただ己が整理着かないだけのことではないのかなという、嫌な自問も噴出してくる。
問題はそのあとだ。時の「評価」に晒すと、どういうことはない、膨らんだ風船が見事にしぼむ。しかも都合の悪いことに、動機であれ理屈であれ、説明を加えてしまうと、それを写真で表現できなかったんだねと、恐ろしい言葉が跳ね返ってくる。
今回の講師は「写真道楽」のワードを使った。楽しい道なんだよねと、コメントされるとうなずく以外にはない。この道に深く根差した話には聞こえた。そんなこと言いつつ、写真活動にはやるほどに「奥深い」道をさまようようになるというのが印象。
何に?どこに?なにを?いろいろなことがあり、瞬間があり、怒りもあり…(そう言えば「笑い」はほとんどないが、社会性を帯びるとなると然りなのかも)情念だの恐れだの際限のない世界が相手となる。待ってくれ、ただ己が整理着かないだけのことではないのかなという、嫌な自問も噴出してくる。
2018年9月28日金曜日
テレビのチャンネルを動かす
かつて、テレビのチャンネルは回すものだった。今はチャンネルを変えることは何というのだろう。「チャンネルボタンを次々に押す」かな?もっと端的な言い回しはありそうだが、「チャンネルを変える」では、端末機をいじっているということが表現されない。 意に沿わないチャンネルは変えればいいわけだから、そんな表現などはどうでもいいことで、どういう言葉で言い表すのかは文学者に任せておけばいいことかもしれない。
この動作は、つまらなければ抹殺して次の面白いチャンネルを探る視聴者に比べて、報道する側にとっては、この動作に対する重圧はすごいものだろう。耐えられないほどのという言葉も当てはまるかもしれない。瞬間視聴率なるものもあるらしいが、視聴率が悪ければ、番組を制作構成する人たちのクビがかかってくる話だ。
「貴乃花引退、退職」の話題が、各チャンネルで競い合いをしている。興味があることではあるが、同じ話を各局が延々とやるのは、鼻に着いてくる。興味深いと思われることの選択は報道する側の視聴者に対する態度だから、その点では視聴者の「要望」が形にならないといけないのかもしれない。中国のトップ女優がいなくなったというのも、やっぱり大差がない内容になる。チャンネル数が多いだけ同じネタでの報道では、そのタネのなかの新ネタを拾うことがもっぱらの仕事になる。「だからどうなのよー」と声をかけたくなることもある。
たまの政治ネタでは、良く掘り下げたと感じることもあるが、やっぱり下ネタ風のことみたいに、とっつきやすいことでは、「忖度」が充満しているのかとくくってしまいたくなるほどだ。
沖縄県知事選挙で、政府の主要な大物官僚が何回も業界へ依頼にいっているだの、事前投票が最重要課題だとはっぱをかけて大動員されている政党の話など、SNSでも拡散されている。こういうネタもつかんではいるのだと思うが、「中立を装って」か、一向にテレビ画面には登場しない。豊洲のことも、安心できるようにはなっていないとことが伝播している。
基地、自然環境、日米地位協定、地方自治、安全等々、突っ込みどころはたくさんあるだろう。酔っぱらって人をひいて逃げたタレントの追っかけをやって、ニュース報道ではあまりに浅薄すぎる。テレビの電源は切っておくほうがいいことになる。
この動作は、つまらなければ抹殺して次の面白いチャンネルを探る視聴者に比べて、報道する側にとっては、この動作に対する重圧はすごいものだろう。耐えられないほどのという言葉も当てはまるかもしれない。瞬間視聴率なるものもあるらしいが、視聴率が悪ければ、番組を制作構成する人たちのクビがかかってくる話だ。
「貴乃花引退、退職」の話題が、各チャンネルで競い合いをしている。興味があることではあるが、同じ話を各局が延々とやるのは、鼻に着いてくる。興味深いと思われることの選択は報道する側の視聴者に対する態度だから、その点では視聴者の「要望」が形にならないといけないのかもしれない。中国のトップ女優がいなくなったというのも、やっぱり大差がない内容になる。チャンネル数が多いだけ同じネタでの報道では、そのタネのなかの新ネタを拾うことがもっぱらの仕事になる。「だからどうなのよー」と声をかけたくなることもある。
たまの政治ネタでは、良く掘り下げたと感じることもあるが、やっぱり下ネタ風のことみたいに、とっつきやすいことでは、「忖度」が充満しているのかとくくってしまいたくなるほどだ。
沖縄県知事選挙で、政府の主要な大物官僚が何回も業界へ依頼にいっているだの、事前投票が最重要課題だとはっぱをかけて大動員されている政党の話など、SNSでも拡散されている。こういうネタもつかんではいるのだと思うが、「中立を装って」か、一向にテレビ画面には登場しない。豊洲のことも、安心できるようにはなっていないとことが伝播している。
基地、自然環境、日米地位協定、地方自治、安全等々、突っ込みどころはたくさんあるだろう。酔っぱらって人をひいて逃げたタレントの追っかけをやって、ニュース報道ではあまりに浅薄すぎる。テレビの電源は切っておくほうがいいことになる。
2018年9月23日日曜日
ベランダの朝顔が今ごろ見事な花をつけた
気候変動のあおりを受けてか、以前に鉢植えにしていた朝顔の弦が今頃ショロショロと伸びだした。最近は手をあまりかけなくなって、放って置かれている植木鉢で、再生したらしい。そこで成長して見事な花をつけた。
この気候異変の影響で野菜がまた値上がりだしたが、人の手をいくらかけても、収穫時に実りまで至らないのは、むずかしくなく理解できる。
その一方我が家の朝顔のように放りっぱなしのものが、見事に開花するというのはどういうことなのだろうか。それも太陽の熱も必要以上蓄えるはずの、ビニールコーティングしている上でのこと。自然の生態とは摩訶不思議なものだと思うが、強烈な気候の変化に適応していることと考えると、それに合わせた動きなのか、あるいは追い込まれてのことかと、同情の念が湧いてくる。
この気候異変の影響で野菜がまた値上がりだしたが、人の手をいくらかけても、収穫時に実りまで至らないのは、むずかしくなく理解できる。
その一方我が家の朝顔のように放りっぱなしのものが、見事に開花するというのはどういうことなのだろうか。それも太陽の熱も必要以上蓄えるはずの、ビニールコーティングしている上でのこと。自然の生態とは摩訶不思議なものだと思うが、強烈な気候の変化に適応していることと考えると、それに合わせた動きなのか、あるいは追い込まれてのことかと、同情の念が湧いてくる。
2018年9月21日金曜日
20年もたてば人、物みなくたびれる
我が家を建築した会社が、20年点検だということで調査に入った。50年面倒見るといっても、リフォームはさておき修理箇所に限っても、「自己負担」でやるわけだから、どのあたりまでがサービスになっているのかは、判然とはしない。
点検項目の主要な部分としている、屋根とベランダのコーティングの張替えの時期なのだとか。調べたら屋根の方は傷みでてきているとのこと。2、3階のベランダのコーティングは、2、3年ののちには張替えが必要だという。どうせなら同時にやってしまおうかと、修理を頼むことにした。
そのほか風呂場、台所などの修理も射程距離に入っていると脅かされた。あと20年先に…という説明もしていたが、もうその頃はいないからと笑って済ませた。
部屋のドアのラッチ(留め金)部が破損していたので、修理をと言うと、ネットから部品購入できるということだった。すぐに購入して、息子に手伝ってもらいながら二カ所の修繕をうまい具合にできた。20年もたつと人間もくたびれつが目立つが、あれこれのモノも劣化してくるものだ。
2018年9月20日木曜日
写真展の成果よりは、成し遂げることの効果
「A3ノビ」サイズの写真を2枚プリントして、写真展会場に向かった。本当は預けて持って行ってもらう予定だったが、渡すのが前日だったので果たせずに、直接会場にもっていくことになった。
写真展は7つの支部を合わせてやることになっているが、展示会場の東村山市立中央公民館では、集合時間の13時前からすでに数人が準備を進めていた。
仕切りのパネルを倉庫から引き出して、展示のコーナーを作ることから始まった。広さは十分あっていいのだが、自力で会場を設置するということになっていて、作品をパネルにセットするまで大変な作業になる。
せっかく掲示した作品がパネル上で踊ってしまったり、中には落下してしまうものもあったりして、微妙な傾きを調整して、すっかり出来上がったときは16時半を回っていた。
「写真の披露」は翌日からになり、撮った写真の「評価と効果」が試されることになるが、撮ることから始まってこの状況に来るまでで、「長い道のり」を感じる。疲労も手伝って達成感をもってしまうのが妙だ。
写真展は7つの支部を合わせてやることになっているが、展示会場の東村山市立中央公民館では、集合時間の13時前からすでに数人が準備を進めていた。
仕切りのパネルを倉庫から引き出して、展示のコーナーを作ることから始まった。広さは十分あっていいのだが、自力で会場を設置するということになっていて、作品をパネルにセットするまで大変な作業になる。
せっかく掲示した作品がパネル上で踊ってしまったり、中には落下してしまうものもあったりして、微妙な傾きを調整して、すっかり出来上がったときは16時半を回っていた。
「写真の披露」は翌日からになり、撮った写真の「評価と効果」が試されることになるが、撮ることから始まってこの状況に来るまでで、「長い道のり」を感じる。疲労も手伝って達成感をもってしまうのが妙だ。
2018年9月18日火曜日
涼しくなると頑張る秋
秋は実りの季節だ。しかし喜んでいられない出来事が、これでもかという具合に発生して、秋を文字通り味わうなどとすることは、気軽にはできないような気がしてくる。この時期に人並みにかかわることのいくつかを体験して、人とはものすごいエネルギーを割いて活動しているのだと、ちかごろ特に思う。
「経済労働活動」などには縁遠いながらも、少々くたびれ気味のわが身も、それなりの活動に身を置いて奮い立たせることがいくつかはある。自分には好きな部類で付き合っている、合唱の発表会では暗譜がきつくてまいった。無事に(でもなかったけれど)ともかくも終了して、惚けた気分が直らない。力が抜けたようで、のんびりしたい気分が続く。
とはいえ「次に控えし」は写真展のための準備だ。A3の少し大きい写真用紙に、慣れたはずのプリント作業に入った。が、どういうわけか同じものが2枚プリントされてしまった。慣れてきたはずのコンピューターは、こんなことをしでかす。用紙代はもったいなかったが、かつてのように何枚もやり直すことはないから、良い方かとしなくてはならないかもしれない。
なにを取り掛かるにも気合と気力を集中しないと、やり始めることもかなわない。好きでやっているのだろうと反論を食うに決まっているから、他人には声をあげてぼやくわけにはいかない。元気なうちが花だから、金もかかるが「高尚な趣味のため」だと、屁理屈も動員して秋を乗り切らんと望むところではある。
写真展作品の2枚
2018年9月17日月曜日
涼しくなるとハゼが深場に落ちる
朝晩の涼しさを迎えるようになると、足に靴下をはきたくなるほどの「冷たさ」を感じる。セミの鳴く声もろくに聞かず、蚊が飛んでいるのも見えなかった夏は、台風の被害を受けなくても、気候の変異として受け止めざるを得ない。これから先もこんな状態は昂進していくことだろう。
「想定外」という言葉が、原発事故のときから盛んに使われだした。その言葉は、言い訳としておかれるべきことなのに、多用されてしまってあたかも、防ぎようなないこととの幻想を振りまく手伝いをしている。
北海道の地震で、電力会社とそれを司る国の、いわば怠慢で度を外れた停電に陥ったことや、沈下を続ける関西空港の浸水などは、これも「想定外」としてしまうのか。作ってきた社会の基盤がもろくも崩れてしまうのは、処々折々の「製造物責任者」に問われるべきことではないのか。
解釈の域を出ないが、「天災」という表現が、マスコミでも使われなくなってきたのは、天然由来に限らない原因による災害であることが、われわれの目にも見えてきたからかもしれない。社会の政治的ないし人為的な行動で、引き起こした否定的有様が修正されるべきこととの範疇であれば、まだこの先の持続的社会への希望がつなげる。
「天災」だの「想定外」だのと社会活動の埒外として逃亡したのでは、「誰でもいいから殺したいと思った」などという犯罪が、これからもっと多くなってくるのではないだろうか。それは極論としてもそんな気がしてならない。
涼しくなってくると当然ながら海水温も下がっていく。浅場の魚の餌も少なくなって、ハゼが深場に「落ちて」いく。冬場への準備行動だ。その魚たちも、今の気候変動のなかでおそらくは、水温が高いのやら低いのやらで、迷いながらも比較的水温の高い深場に移動していく。いつもなら9月の初めにはその時がくる。その前が、夏の間の活発な就餌で、育ったハゼの大づりのビッグチャンスだ。
「想定外」という言葉が、原発事故のときから盛んに使われだした。その言葉は、言い訳としておかれるべきことなのに、多用されてしまってあたかも、防ぎようなないこととの幻想を振りまく手伝いをしている。
北海道の地震で、電力会社とそれを司る国の、いわば怠慢で度を外れた停電に陥ったことや、沈下を続ける関西空港の浸水などは、これも「想定外」としてしまうのか。作ってきた社会の基盤がもろくも崩れてしまうのは、処々折々の「製造物責任者」に問われるべきことではないのか。
解釈の域を出ないが、「天災」という表現が、マスコミでも使われなくなってきたのは、天然由来に限らない原因による災害であることが、われわれの目にも見えてきたからかもしれない。社会の政治的ないし人為的な行動で、引き起こした否定的有様が修正されるべきこととの範疇であれば、まだこの先の持続的社会への希望がつなげる。
「天災」だの「想定外」だのと社会活動の埒外として逃亡したのでは、「誰でもいいから殺したいと思った」などという犯罪が、これからもっと多くなってくるのではないだろうか。それは極論としてもそんな気がしてならない。
涼しくなってくると当然ながら海水温も下がっていく。浅場の魚の餌も少なくなって、ハゼが深場に「落ちて」いく。冬場への準備行動だ。その魚たちも、今の気候変動のなかでおそらくは、水温が高いのやら低いのやらで、迷いながらも比較的水温の高い深場に移動していく。いつもなら9月の初めにはその時がくる。その前が、夏の間の活発な就餌で、育ったハゼの大づりのビッグチャンスだ。
2018年9月11日火曜日
古い蒲団を捨ててみる
写真を撮って、選んでプリントして、合評会に出す。この繰り返しで「いらない写真」を片付ける。逆に言うといい写真を残すわけなのだが、これがうまくゆかない。講師なり誰かの取捨選択と、自分の思い入れが交錯するので、そうかという得心がなかなか定まらず、得にくい。
この先に「これはいい」というものを、手に入れられるかどうかはなんとも言い難い。いつまでも下手な鉄砲も数打ちゃー…」というわけにはいかないが、打たなきゃ手に入らないことでもある。やっと涼しくなってきて、鈍くなった頭の回転も少しは解消するかと期待しつつ、繰り返しの作業に入ることにする。
敷蒲団をどうするのかとずっとお試しで研究しているが、柔らかいマットレスが腰に影響しているのかと、外すことにした。使ってみてから大分たつが、先日の旅行の時に旅館で使った敷物が、ちょっと固めだったのが、いい感じがしての着想だ。
ちょうど季節の変わり目だし、長年使っていた「せんべい布団」もこの際片付けの対象とした。こちらは撮影した写真の扱い程難しくはない。虫の声も聞こえるようになったころには、近所の神社の祭礼がある。
この先に「これはいい」というものを、手に入れられるかどうかはなんとも言い難い。いつまでも下手な鉄砲も数打ちゃー…」というわけにはいかないが、打たなきゃ手に入らないことでもある。やっと涼しくなってきて、鈍くなった頭の回転も少しは解消するかと期待しつつ、繰り返しの作業に入ることにする。
敷蒲団をどうするのかとずっとお試しで研究しているが、柔らかいマットレスが腰に影響しているのかと、外すことにした。使ってみてから大分たつが、先日の旅行の時に旅館で使った敷物が、ちょっと固めだったのが、いい感じがしての着想だ。
ちょうど季節の変わり目だし、長年使っていた「せんべい布団」もこの際片付けの対象とした。こちらは撮影した写真の扱い程難しくはない。虫の声も聞こえるようになったころには、近所の神社の祭礼がある。
2018年9月5日水曜日
三方五湖の立ち寄り、衆議一決
連れ合いの観光推薦により、三方五湖がいいかと定めて、中一日の立ち寄り場所にした。観光のなにが好みかと言えば、温泉であることは一致するが、長年「釣り主体型」であった我が旅は、ぜいたくをなるべく避けるのを通例としてきた。
釣り趣向は病気とは言わせないが、突っ込み型の「道楽」には違いない。だからこそ回数を稼ぎたい。となるので、なるべく安い経費でやることを旨とする。高級な温泉でなくていいと、いつも不平を垂れている。
海と湖がくっついているのだから、ああ魚がいるのだなと、性癖からさきに頭が動く。若狭湾と言う素晴らしい漁場の一角に位置するのだから、魚種も豊富に違いないと思うと親近感が湧いてくる。
案の定、三方五湖の案内には、魚の豊富さが書かれていた。コイ、フナ、ボラ、ハゼ、クロダイ、スズキ、カレイ、サバがいる。養殖ではハマチ、フグ、マダイなど。五つの湖はつながっているようで、三つが汽水域になっているとのこと。つまり河口と同様の役割があることで、魚種が豊富なのだろう。太平洋側でこれだけの魚が育つところはそうないだろう。釣りの会があれば、この場所は格好な釣り場となると、余計なことまで考えてしまった。
釣り趣向は病気とは言わせないが、突っ込み型の「道楽」には違いない。だからこそ回数を稼ぎたい。となるので、なるべく安い経費でやることを旨とする。高級な温泉でなくていいと、いつも不平を垂れている。
海と湖がくっついているのだから、ああ魚がいるのだなと、性癖からさきに頭が動く。若狭湾と言う素晴らしい漁場の一角に位置するのだから、魚種も豊富に違いないと思うと親近感が湧いてくる。
案の定、三方五湖の案内には、魚の豊富さが書かれていた。コイ、フナ、ボラ、ハゼ、クロダイ、スズキ、カレイ、サバがいる。養殖ではハマチ、フグ、マダイなど。五つの湖はつながっているようで、三つが汽水域になっているとのこと。つまり河口と同様の役割があることで、魚種が豊富なのだろう。太平洋側でこれだけの魚が育つところはそうないだろう。釣りの会があれば、この場所は格好な釣り場となると、余計なことまで考えてしまった。
2018年9月1日土曜日
永平寺大燈籠流し法要の圧巻
曹洞宗大本山永平寺の役寮・雲衲衆130名が行う大施食法要(読経と戒名・法名の読み上げ供養)は、見栄えのするものだった。向こう岸に渡ってしまった人への思いをのせて読経が続いた。燈籠流しはそのあと、たくさんの人たちが並んで九頭竜川へ流した。燈籠の数は一万基だとのことだった。
曹洞宗は、かつての戦争で果たしてしまった役割を「懺悔」している。反省を込めた主張が明快に述べられている。一万の流し燈籠のなかに、いくつもの懺悔がふくまれていることだろう。
曹洞宗のサイトから
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曹洞宗は、1992年11月20日付で過去に関与した侵略と植民地支配について「懺謝文」を表明しました。「ともに生きる喜び」について、「懺謝文」では、次のように説かれてあります。
「われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしない、と。人は、何人と言えども、他によって侵されたり、迫害されたりすることは許されない。人はかけがえのない存在としてこの地上に存在するものだからである。それは国家においても、民族においても同じである。」
省みれば第二次世界大戦以前、国内外にて我が宗門はさまざまな形で戦争賛美や他国の人びとを傷つけるような説教を繰り返した、恥ずかしい過ちの歴史を有しております。今一度ここに懺悔(さんげ)の念をおこすとともに「過ちは繰り返さない」という思いを皆さまとともに受け止め、曹洞宗は「不戦」の立場から、戦争は誰にとっても過ちであることを主張します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2018年8月28日火曜日
永平寺燈籠流しへまた行く
義父母が元気だったころ訪れて、親近感のある永平寺の「大燈籠流し」に再訪した。永平寺に形ばかりの参拝をしてから、会場の九頭竜川の河川敷に向かった。ちょうど台風20号が通りすぎたあとで、河原に水が上がっていないだろうかと、前日に観光協会に問い合わせてみたら、大丈夫だとの返事で「まさか長靴?」の心配は無用だった。
昨年、河原の蒸し暑さを体験していたので、今回はレンタカーを利用することにした。燈籠流しが始まる前のセレモニー開始まで、車の中で過ごすことを考えた。式典が始まったとき空を眺めると、嫌な感じの黒雲が上空を蠢いていた。しかしほんの少し雨がぱらついた瞬間があったものの、セレモニーが終わって燈籠を流すまで、なんとか避けられた。
2018年8月21日火曜日
散骨~さらば仙人
散骨で…と言っていた親父の要望に沿って、ではあったが家系の墓に入ることも、その前は言っていたのだから、正確にはどっちなのかはわからない。特に望みを確定していなかったことには違いない。神仏に関しての話などはしたことがなかったので、どういう志向なのかもよくわからないのだが、家の柱に神社の札が掲げてあったから、神には信頼を寄せていたのかもしれない。
片付けの中から軍隊の紀章もでてきた。「神」についての存在感を十二分に与えられた時代を通ってきた。だからその影響はあったといえるだろう。
親父は次男坊だったから家を継ぐということからは外れていた。重きを置くことはなかった事情はそこにあったのかもしれない。そしてそのあとの私なのだから、神も仏も「みんな夢の中」的解釈する輩が判断することは、散骨が妥当ということが帰結だったのだろうか。
3組が海洋散骨に参加した。それぞれの思いが、散骨の方法にも反映していた。海洋散骨を「委託」した家族。一人だけで参加の人。そして3人で参加した我々。台風が近づいていて波が少し高かった。船頭さんが、波のない島近くまで船を運んでくれて、海上をゆっくり旋回させた。細かく粉砕した袋入りの遺骨は、口を開けると海上に舞いながら散った。記念の写真を撮ってから献花をし、お酒も投入した。昨今は散骨が増えているのだと業者が話していた。
2018年8月17日金曜日
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