2017年8月15日火曜日

8月15日戦争の反省より、「開戦」の容認?

 戦後72年終戦の日だというのに、トランプ大統領から北朝鮮の対応についての電話が首相あるのだと…。ちょっとまってくれ、そういった電話があるというのはこれまで「事後」でしかなかったはず。嬉々として(とあえて思う)首相がこれをうけて、内閣支持率低下を食い止める手としてうってつけのことしているのだろう。どうせ、「存立危機事態」のうえでアメリカが打つ手を「理解する」ということなのだろう。

 でも、すすんでアメリカのために働くという唯一の方法が、戦争当事国になることと同一線上にあることであり、日本が歩んだ「繰り返してはならない道」になる。対話は捨てて圧力をかける状況だと強弁して、平気で憲法の平和の希求を投げ捨てることは、武力解決を否定した憲法を持つ日本の信用にかかわる。

 それなら日本を守るとする、防衛の体制はどうなのだろうとWikipediaで探ってみているが、SM3(イージス艦から発射)、PAC3(射程20キロ程度)の「効用」をみても首をかしげるものだ。
◇ミサイルに当たるかどうかわからない
2002年からSM-3を用いて23回の大気圏外での迎撃実験が行われ18回で迎撃に成功した。うち4回は海上自衛隊によるもので3回の実験が成功を収めた
◇SM-3ブロックⅡAの配備は2018年であり、ブロック1Aは中距離弾道ミサイルにも対処できない
2006年6月23日にはブロックIIAの日米共同開発に合意した。ブロックIIAはイージスBMD5.1と適合化され、キネティック弾頭とこれに搭載する赤外線シーカーを大型化させて破壊力と識別能力を向上させ、ロケットもさらに改良して速度を向上させるなどして高性能化をさせる。キネティック弾頭はアメリカ主導で試作し、赤外線シーカーは日米で別々の方式で試作し選考する。研究開発総費用は21 - 27億ドル、日本側負担は10 - 12億ドルである(配備費用は除く)2011年に地上試験、2014年に飛行試験、2018年から実戦配備を始めるスケジュールになっている。このブロックIIAが現在配備されているブロックIAを更新する予定である。この配備により中距離弾道ミサイル(IRBM)にも対処可能となる予定である。

 つまり、「迎撃はしない」のと同様ということだろう。兵器も他の様々な機械機器でも、これでいいというものはなく、SMシリーズでもSM6まで開発が進んでいるらしい。どこまで投資しても軍拡競争に資するだけの、不毛なシロモノという以外はない

イージス艦の建造費が1,400億円、年間維持管理費も40億円と護衛艦史上最高額
海上自衛隊は、2004年から4隻のこんごう型護衛艦に順次バージョン3.6.1のBMD能力を付加する改修を行い、SM-3ブロック1Aを調達するとともに、発射テストをハワイ沖でおこなった。1隻あたりの改修費とSM3取得費は340億円
アメリカは41隻日本は6隻

2017年8月13日日曜日

日本が「軍事行動やめろ」となぜ言えぬ

 アメリカ大統領の「炎と怒り」と北朝鮮を挑発し、中距離ミサイル(ノドン?)を飛ばす用意をしていると北朝鮮がこれに応えている。日本の国会で、しっかりした準備をとの要求(そんなことより、止めさせるような行動をしろと言えばいいと思うのに)にもこたえて、PAC3の配備を出雲(島根県)、海田市(広島県)、松山(愛媛県)、高知(高知県)の四つの駐屯地に配備することになったという。北朝鮮が発射し、日本本土に間違って落ちるようなことがあったら、爆破するということだ。

 中距離ミサイル「ノドン」の速度はマッハ9.51万キロ近いものだから日本上空へは数分で到達する。「日本に落ちそう」となれば、イージス艦のSM3ブロック1Aというミサイルで迎撃するらしい。たった数分間のうちに日本の領土に落ちるかどうかの判断をして、撃つということだ。北朝鮮がミサイルを発射したのを感知してから、「日本に落ちる」「落ちない」の判断は情報機器によるものだろうし、発射も連動させているのかもしれない。

 しかし、発射実験を繰り返して精度を上げるという訓練はしているのだろうか。アメリカの訓練では失敗例(外れた)もあった。今までPAC3SRBM(短距離ミサイル)を迎撃してきたがICBM(大陸間弾道ミサイル)やMRBMIRBM(中距離弾道ミサイル)を実戦または訓練で撃墜したことがないとの情報もある。

 SM3での対応がうまくゆかなければPAC3を使う。これが20キロしか対応しないというから、伊豆半島と大島の一番近い距離程度となり、飛んでくるのが見える距離の迎撃という近さで、時速1万キロのミサイルを打ち落とすなど、想像もつかないのが正直なところ。もちろんこれも計算の上で事前にということなのだろうけど、万一間違えて打ち落としたら「交戦状態」にならない?

 グアム周辺への目標が「失敗」だとする事実上の認定に、解釈の違いを持ち込まれることはないか。ドイツのメルケル「ドイツは軍事的でない解決策に積極的に関与する」と述べた。ロシアのラブロフ外相も同日、「軍事紛争の危機が高まっている」と懸念を表明。「より強く、より賢い方が先に危機を回避するための一歩を踏み出すべきだ」と沈静化を言い、北朝鮮がミサイル発射実験を凍結して米韓が大規模な軍事演習を一時停止するという案に賛同するよう求めた。中国はこの問題で中立と表明している。

 日本だけが対話なしの「圧力」一辺倒で、緊張を煽ることしかやらない。当のアメリカでさえ、「対話の用意はある」というコメントも出しているというのに。
デジタル毎日

2017年8月8日火曜日

暑いのは御免だ

 5号台風がゆっくりと日本を抜けていく。生活のあらゆることを妨害をしていくのだからたまったものでない。台風の通り道にあたる日本が、これまでの経験でできる限りの対策を打って、なんとか凌ぐことはするものの、敵はそれを上回って弱点を責め立ててくる。人間の設定でない自然の行為で、憎む矛先として恨んでもなんともならないのだから、困る以外のことはない。

 うまくゆけば夏の水不足やら、稲の生育やら野菜の出来には恵みにはなるが、コントロールは不可能だから付き合わされる運命を除けない。強いて言えば、海水温が上がるというのは人為的要因によるものだから、「パリ協定」の取り組みに期待するのが焦眉の問題というところ。

 台風が過ぎ去って被害を残して、その対策に人手も財政も必要だが、本来政治がいち早く策を打ち立てるべきところだ。そういったことには関心がいまいちの政治は、それどころでない、「身づくろい」の最中なだから、困ったものでこちらは見事な人災だ。


 沖縄の池で鯉やピラニアなどの魚が死んで浮いてしまった。調べたら感染症のせいではなく、水温が上がってしまったことと、酸素不足によるものと分かった。水温が上がってという原因では初めてのことではないか。人間でないからいいというわけにはいかない。人の周りの生き物が死んでいくというのはやっぱり、人間の生息環境が悪化しているとみるべきだろう。


2017年8月3日木曜日

「入閣はまとめて出して」のつっこみ

 朝、「あの…入閣の発表まとめてやっていただけませんか」デープ・スペクター氏のツイートを見た。速報で一つずつ丁寧に発表するって、なにこれという違和感が確かにある。

 それによって、利害関係にかかわる人たちはいるのだろうが、それにしても、あとから不祥事件が暴露されるか「舌下事件」を起こすかで、お定まりのようになってきている流れを馬鹿馬鹿しいと思う。首相取り巻きのコメンテーターが「サプライズ」があるとかないとかと、いかにももったいぶって新内閣の構成を推定して見せるのもおかしい。

 マスコミ挙げての関心事に仕立てれば、支持率の向上という成果を呼び込むねらいがあるだろうから、そこにのっかっているマスコミとなると、それでいいのという思いがする。センスのあるのツイートで、おもしろい切り口だと感心した。

 新聞には入閣した人となりを書き込んだ一覧表が、いつものようにだされているが、「辛口」というまでにはなっていない。このときには大臣の資格や適性に関わることを、それこそきっちりと出しておかなければならないだろう。税金を投入して働いていただくのだから、それに耐えうる人材が選択されて、あとから批判されてやめるのやめないのという無駄を省くために。政治記者を総動員して情報を集めるなどということ、もったいない働き方だと思うけど。

ツイッターの投稿はそれに続けて
◇まとめてやるころには、ひとりくらいお辞めになっているかもしれないのでね。
ですよね。いちいち発表なんて…アナログなことで。
◇まとまりのない内閣だから仕方がないんです。
◇まとめるといろいろ発表早々たたかれちゃうから。www夜中にこっそり三原さんのなまえなんか出るかもね。
◇wwwありうる。どうでもいけどね。
◇うちらの税金で給料ガッポリもらっていなければ別にいいけどねえ。
◇たいして内容があるわけじゃないからね。それに速報でやるほどのことでもないよねー。
◇組閣の価値を出張なんでも鑑定団in永田等で調べてもらいたいです。
1分ごとに入閣やられてもって感じですよね。10分で10人でいいよって感じ。
◇人材不足で時間が…

2017年7月30日日曜日

上書きで恥の上塗り

 首相の国会答弁で、以前の答弁を事実上修正するのに、使った言葉は「整理をした」ということだった。国会の答弁だからそんなに軽いものでないことだし、だから修正するのは誤りを正すということであるはず。国の大切な動向の事柄について、まったくの「疑い」からの質問に、閣議決定で返答を決めて国会に答弁した。そのあとから悪びれもせず、混同したということ弁明だけでは問題が大きすぎる。

 国権の最高機関でのことなのだから、修正するときには、襟を正す真摯な姿勢が伝わってきて当然だ。そんな態度はみじんもなく「整理」したのだから、それで「理解しろ」で済むわけはない。現代用語でいえば「上書き」したつもりなのだろう。つまり「更新した」と気持を整理した。そんな風に思える。

 ブログを書いているとき、推敲が足りずに不正確な言葉を使うことがあり、意味の通らない文にしてしまうことがある。投稿してしまってから、気が付いて文言を修正するか、書き加えることになるが、この修正がいとも簡単にできる。パソコンがなかった以前なら手紙などの文章は下書きをするとか、間違い時によっては用紙を改めるとかして完成をしたものだ。今は打ち込んだ文字を消しゴムも使うこともなく、「上書き」すれば修正ができてしまう。

 失敗した、間違えたという痛みが前ほどないわけだ。国会での答弁とは、重みは全く違うがこの「上書き」の軽重がよく似ているように思う。


ASCII.jpデジタル用語辞典上書きの用語解説 - 既在のデータを新しいデータに置き換えること。オーバーライトとも呼ばれる。既存ファイルを上書き保存すると、同一ファイル名の内容が新しいデータに更新される。

2017年7月25日火曜日

Abe is Overなんて


 政府の閣僚が起こす暴言や態度があまりにひどいうえに、居座り続けることが可能な扱いでは、報道のネタにされるのは当然といえば当然だ。加計問題への疑義にも不誠実な対応で、記録書類はないし記憶もないと言うだけだ。おかげでモーニングショーを毎日楽しみに見ている。政権への忖度が起きるようにマスコミにも手を打って押さえつけてきたのだから、リバウンドが起きる。ここまできていることだけで、韓国なら完全に政権交代だろう。アメリカのマスコミも大統領への距離を置いて報道しているところは多いと聞く。

 官僚組織だけでなくマスコミの忖度がある。もっと政府から自立した態度できていれば、ここまでひどくならないのではないかと思う。報道につれ「ふざけるな」という声が広がってくる。いくら隠しても悪事が消されるわけはないが、悪政が横行する前に止められるかどうかは、マスコミの報道態度が大きい。スポーツ新聞や週刊誌はほとんど読まないが、ここが問題の提示をしたものがNETで拡散され、モーニングショー、ニュースでNETに出回ったものがネタにされるという広がり方をしている。日本の民主主義がまだ機能していると少し希望が湧いてくる。
♫Abe is Over

2017年7月20日木曜日

写真エッセイ「Ywayいどばた」は中途削除になった

 写真は自分が撮ったものに「思いいれ」がある。写真家の方々も(たぶん)あるのかと思うが、写真(写真撮影~現像~展示)の経験を積んでいくことで、卓越した力をつけていけるものだろうと思う。

 身につけることが、容易でなく癪には触りつつ、一方ではこんなものかと折り合いをつけながらいくかと、なるべく緩い坂を上るろうと、自分に優しい設定にする。

 旅に出かけた折に、写真エッセイまがいの「小文」を作って、一緒に出掛けた仲間に配ってきた。ほとんどが旅の内容で、ほかにも特別な催しなどがあるときに、そのネタで作ったものが、25編ほどになった。今はすでに廃止にした、写真集のHPに組み込んでいたものだったが、構成も煩雑さがあったので、参照しにくい内容だった。

 写真のこの折に現像(編集)を修正して見栄えをよくすることにし、この写真エッセイ集をすでにアップしてあるHPに合体して載せてみようかと、読み直しながら文言の編集をし始めた。Web名は「Ywayいどばた」と、我ながらよい名称を思いついつもりだった。すでに4篇ほどの写真とコメントを書き込んであったのだが、ここに加えてやっていくうちに、どうもブログとの構成がよくない気がした。本でいえば表紙が存在しないのだ。訪れたお客に迎えの挨拶もなく、直に本文に触れるというようになっているところが、どうも釈然としない。

 考えた末に、先日作った「とびとび写真集」にある「Blog」に組み込むことに変更した。写真集の集合体に+写真エッセイ(まがい)という具合になる。これなら、25編の写真エッセイの補給が途絶えてもOKだ。ところでその作業を昨日から始めたが、「コピー」機能を使って文章を作り上げたところ、Web上に表示されないという状態が発生した。

 コピー元のなにかの情報が新しいページで適応しないか邪魔にしているということだ。時間をかけてキーボードから文字を入力しなくてはならない。IC世界は付き合うのにうまくゆかなくて、気骨が折れることが結構ある。「Wwayいどばた」は日の目を見ずに削除ということにした。

2017年7月15日土曜日

英語という「外来種」

 英語を不要とするわけにはいかない日常になった。今は小学生の教育にも英語を取り入れていくということまでやる。グローバル化している社会には必需とされるのだろうが、和製カタカナであっても知らないものを投げつけられると、消化不良のようになる。

 文章を理解するのには、意味が分からないではすまないから、いちいちスマホやパソコンで検索して、意味なすところを調べる。わざわざ横文字にしなくてもすむところが、ずいぶんありそうな気もする。自分が学んだときでも英語を学ばされていたが、今に思えば知っていて損はないし、日常に使わないのは承知だった。だからなぜこんなものという感覚ではあった。

 社会の趨勢と言えばそれまでだが、なにか押し寄せるように横文字のカタカナが蔓延するようになった。パソコンの発達とそれに伴う「情報交換」や、伝達の迅速さがかつてとは大きく違い、多用されるようになった。新しい横文字言葉の意味がわからず、新聞を読む時でもテレビでも、その言葉が平気で使われてくるので、理解ができないこともある。このくらいの英単語は知っているものとして、勝手に決められているのかと若干腹立たしいことさえある。高齢者にスマホの市場が広がらないのは、横文字言葉の多さにも原因があるだろう。

 日本国内でもつぶさに見れば方言が駆逐されて、「都市化」によって故郷の言葉を失っている。開発の波をかぶらなかったところ以外は、NHKのお陰なのか「標準語」なるものが幅を利かせる。その地方の、つまりあの山から風が吹き降ろす厳しい寒さ、盆のころのとてつもなく蒸し暑い田んぼの、そこで生まれ出た言葉を失ってしまって、共通語となったことで、肌合いや機微など失ったものがあるのではないか。

 英語を…と、スピード~などまことしやかに宣伝し、英語クラブも流行っている。英語クラブには友人が複数通っている。言い過ぎを承知で言うなら、日本の文化を食い尽くす「外来種」の攻撃にも似ている。「英語」の名誉回復のために単語の訳を調べてみた。

「地域」
countryareazonezonegeographical zonedistrictdominionterritorial dominionterritorypart

「あうんの呼吸」
the harmonizingmentally and physicallyof two parties engaged in an activity; singing from the same hymn-sheet; dancing to the same beat


 訳の種類が多いのは、日本語の単語がそれだけ豊かな表情と意味を持っているということ。この英単語の使い分けなどとてもでないが、調べて使い分けする気はない。

2017年7月10日月曜日

弾道ミサイルが飛んで来たら頭隠せ

 北朝鮮が7月4日にICBM発射実験を行った。核も積み込める強力な兵器を持って、アメリカに対抗するとのやり方は、殺りくを公然化する卑劣なことで、正当なことと認めることはできない。アメリカが韓国との合同軍事演習で北朝鮮に圧力をかけ、韓国と在韓米軍による「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備でも、刺激をしているのだから、それも脅威を増幅し口実に使われている。

 「圧力」が軍事的なものである限りは、どちらかが攻撃の引き金を引く可能性は高くなるばかりだ。武力攻撃を否定しない外交とは、本当に国の力を表すことにならない。それに武力行使が一時「うまくいった」として、それがもたらす破壊、殺人、恨みの連鎖など、不幸の大きさは計り知れない。「うまくいった方が手に入れる成果」は、せいぜい兵器産業がほくそ笑むことくらいでないのか。

 相手国民が殺され、傷つくことで自国が成り立つという有様は、もう歴史の上では過去のものとなっているはずだ。日本も「北朝鮮に圧力を」とアメリカ大統領に会うたびに言い寄っていくのは、昔の言葉を使えば侵略性を意図しているということだ。

 安保法制、共謀罪の成立強行で日本がまた戦争を受け入れる社会に戻っていくのは、憲法を歯止めにしてきたあり方を否定して、戦争の道を選択する後退となる。それがかえって緊張を生み出すもとにもなっている。

 ところで、ミサイルが発射された場合の「心得」が内閣官房からNETに載せられている。テレビでもコマーシャルをしているが、「脅かし」としか判別できない代物だ。

=北朝鮮から発射された弾道ミサイルが日本に飛来する可能性がある場合における全国瞬時警報システム(Jアラート)による情報伝達について=


 対話でなく圧力と言ってはばからない政府の対応ではなく、対話の方向をちょっとでも動かせるように、尽くすのが日本の憲法に則る仕事ではないか。Jアラートで知らせるから、頭を隠すなり物陰に隠れろというお粗末なことでいいのか。

2017年7月4日火曜日

ホームページ「とびとび写真集」ができた

やれることなどそうはないと、無職の自由人としては、自己弁護しながら限りなく味わい深いWEBに入り込んでいる。なにかが返ってくことを、あてにして時間つぶしをする。

 NETの情報に取り込まれるのは、自分の知識が少ないからに違いないが、それにしてもあれこれの情報の対象量が、とてつもなく多量でアクセスして入り込むと、切り上げるまでには相当時間の浪費をする。

 要は「暇」で時間があるということになるが、今は打ち上げ花火のように「政治ネタ」がつぎつぎと飛び出るから、余計に興味がわいてくる。だからぼちぼち切り上げようかと、思う頃にはもう半日も使い込むか、頭の回転が鈍くなって疲労を感じてくる。

 ちょうど梅雨の天気のように、何か頭の中も曇天になったみたいで気分が悪い。デジタル写真研究会(現代写真研究所)で、講習を受けたホームページ作りを、思い出しながらやってみた。これも「時間つぶし」の貴重な成果で、ここずっと修正を重ねてようやく格好がついてきた。これが撮りためた写真の断捨離の一環になる。


「とびとび」のネーミングは、ときどきしか更新しない(できない)という意。

2017年7月1日土曜日

蛇がいる神田川、しかし便利なワードの「検索」機能

 近所の神田川に蛇がでると、区の注意書きがでている。これをブログのネタにしようと思っていた。このテーマは温めていたものだったが、もしかしたらすでに使ったかと記憶をたどったが、例よって定かでない。ブログの下書きはワードを使っているので、検索機能を使って「蛇」というキーワードでかけてみたら、「蛇行」を使った文章しか出てこなかった。

 前置きが長くなったが、足元で蛇が出てきたらびっくりするだろう。神田川の遊歩道は、主には人と犬が利用しているところだ。だから蛇は邪魔者扱いにされている。神田川はいまやカミソリ護岸になって、広がった土地は人間様がせ占めているわけだから、かつてのようにせせらぎがあり、草が生えた緩やかな川べりがあったときは想像しにくくなっている。そんな状態でも蛇がどこかに居場所をみつけて巣を作って、繁殖できているとしたら遺産ものだ。でも、口いっぱい頬張るような「餌」は確保できるのだろうか。


2017年6月28日水曜日

臨海部都市開発という名で「資金投資先」を誘導するということ

 臨海部開発の失敗という負の遺産がいまだに響いている。築地の再開発という一度は下火になった言葉が息を吹き返した。なぜ豊洲を市場の転出先にしたのかということが、小池知事になっても明快に浮き出てこない。有害物質があると、当の東京ガスが発表していた土地を格安で購入するということは、普通の分別のある政治家はやるはずがない。
 
 うっすらと思うのは「尖閣諸島を寄付金で買取」とか「東京銀行創設」だとかというちょっと政治とは思えない判断から類推すれば、そんなことなのかなとも思えなくもない。「岩盤に穴」よりも特異、特別な考え方で、豊洲を移転先と考えたと解釈するしかない。いまだに豊洲に決めないのは知事の政治責任だとまでいうのだから、よほどの執着と見える。

 専門家会議では有害物質は、完全になくすことはできないということなのに、顔に泥を塗られているとでも思っているのだろうか。豊洲をという選択は、臨海部開発が失敗してどうにもならなくていた終末の時期だった。石原知事にして臨海部開発は「やめられない」ことだった。

 2001年に「臨海副都心事業会計」を、黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合した。「臨海副都心事業会計」は、5290億円の累積赤字と8815億円の借金を抱えていたのに、「東京都臨海地域開発事業会計」を作る事で、帳簿上は赤字と借金の一部が帳消しになった。しかし5185億円の地方債と金利負担は残った。2009年(平成21年)度からは、最初の地方債の大量償還期。単年度で1000億円を越える借金の返還になる。2002年(平成14年)の「臨海副都心開発事業の長期収支試算」では、「都有地運用収入等の収入の累積が基盤整備関連経費や都債償還金等の支出の累積を上回る」のは2021年見込みとのこと発表していた。

ウィキペディア

 豊洲市場の敷地に、土壌には環境基準を大幅に上回るヒ素・シアン・ベンゼンなどの汚染物質が含まれていることは、2001(平成13年)に東京ガスが公表した。都は同時期に臨海部関係の事業会計を3本統合という驚きの裏技を使っていた。特別会計とは言え、全部都民の財産なのだから開発の失敗のツケを、都民に負担をさせたということだ。築地の豊洲への移転強行によって跡地の利用、つまり失敗に臆することなくまたぞろ「再開発」という道を東京都が選択した。

 森ビルが跡地を待っているということが表面化したのは、根拠の確かさと見えてくる。「築地ブランドを守る」とする再開発も、期待されていることと想像できるが、財政問題の勘定ではこれまでの臨海部開発失敗のツケの分も当然考慮されるべきことだろう。「東京ファッションタウン、タイム二十四が事実上破綻。東京テレポートセンター・東京臨海副都心建設・竹芝地域開発が事実上破綻」という事実も開発のあだ花となっている。

2017年6月20日火曜日

釣った魚を食す日本の文化を壊す温暖化

 フグを釣ったら食ってはならぬ!という時代がきた。水産研究・教育機構が発表したのはショウサイフグとゴマフグの交雑で生まれたフグは、どこの部位にフグ毒があるのかが不明だという調査結果だ。外形から見分けがつきにくいという難点があり、判断がつきにくいのは市場にでまわらないようにチェックするとのこと。ならばショウサイフグを食するのは安心ではある。

 ところでこのショウサイフグは、釣りの対象として東京湾や千葉県外房で盛んにおこなわれている。この交雑種を釣りあげたら、釣り人や船頭さんが見分けるというやりかたで、判別することはやっぱり難しいだろう。そうなるとショウサイフグの釣りはできなくなってしまう。

 ゴマフグが日本海を北上し、津軽海峡を越えて太平洋側に入り、ショウサイフグとの雑種が生まれた可能性があるとの見方であり、温暖化によって海産魚の分布の変化や交雑が世界中で報告されているとの実態もある。生態系への影響はいよいよ広がってきたわけだが、「釣って食す」という釣り文化にも大きな影響を受ける。ここまできたかという感じがするし、地球温暖化の対策からトランプ政権が抜けるという話も他人事にならない。

 海水温の上昇に伴うショウサイフグ、ゴマフグの生き残りの「進化」と言えるかもしれないが、生態系への温暖化によるストレスは、「人」の生活への影響もおおきいし、それこそ経済効果のマイナスはどれだけの規模になることだろうか。



2017年6月17日土曜日

エエッ!?三浦半島にウミタナゴはいない

 パソコンのなかに綴じこんだ様々なファイルを、断捨離しようと手を付けたが、スキャンして入れたフォルダーなどは、時によってあちこちに散らばっている。新聞の切り抜きが主で、手に入れた他の資料などは相当の量になっている。それを効果的に使えるかどうかは、まったくの成り行きなりそうだが、今は釣り関係の資料を整理しているので、いくつかブログのネタにすることができた。

 ブログのネタはNETからも交流サイトからもたくさん仕入れることができるので、困らないというよりも、たまりっぱなしになっている方が多い。使おうと思っている間に状況が変わっていくし、ウォーキングで歩きながら思いついたテーマでも、写真を撮ってたまっているときにはそれもネタとなるので、流れるように処理することにならない。

 このところのブログのネタも、ファイルの整理をしながら取り上げたものだった。前回ブログに書いた「磯の小物(ウミタナゴ、メジナ)の経年釣果表をまとめ、釣果が漸減している状況について、なにか言えることがあるのと思い、神奈川県水産センターに送ってみた。正直なところ海の環境が相当悪化しているという予想をしてのことだったのだが、返信が来て「2007年以降、ウミタナゴ、マタナゴ、アカタナゴ、アオタナゴの4種に分かれています。このうち、三浦半島で釣れるのはウミタナゴを除く3種なので…」ということで、科学的な物言いは難しいということだった。資料としてこまめに記録したものだったのに、役立たなかったのは残念だったし、いささかショックだった。


2017年6月13日火曜日

磯の小物(ウミタナゴ、メジナ)つり釣果でも、海の「異変」があることを感じさせる

 磯の小物釣り大会も秋から冬にかけての釣りものとして楽しんでいる。磯釣りというと竿も仕掛けも、大物の魚に対応する道具が必要だが、小物釣りとなると竿は渓流用でいいし、仕掛けも大仰でなくて十分可能だ。

 釣り場は磯場だから危険がないわけでないが、移動を慎重にして、変えることは通常の「磯釣り」よりは容易い。フカセ釣り=丸いウキを5個くらいつけて、ゆらゆらと岩場の間へ落とし込む。10センチ程度のメジナでも、びっくりするような引きで、ウキの小さなアタリを見逃すまいとするつりとは違った、楽しいつり種目で、東京労釣連でも人気がある。

 三浦半島一帯でいつも同様の方法で、ほぼ同じ時期に実施しているが、経年の釣果がやはり、漸減状況にある。海の環境の「異変」があるとみて間違いはないだろうが、魚の繁殖は周期的というのはあるにしても、どうもそれだけではないのではないという気がする。


 2006年と2016年の対比をしてみると、釣果におよそ3倍以上の開きがある。平均尾数の推移からは、年々魚が減ってきているという状況。特に2011年以降の減少は「よもや」という疑いも湧いてくる。

2017年6月6日火曜日

釣りの腕達者が、外来魚ばかり釣って喜ぶわけにはいかない

 魚が釣れないのは腕のせいであることは、そのとおりだけれども、釣りの経験を重ねるにつけて、そればかりではないことが見えてくる。自分の腕をとりあえずさておくとしても、長年経験している釣果記録を見ると減じていく傾向がわかってくる。

 前回のブログでフナの大会の経年釣果記録を書いたが、フナだけでなく木更津周辺の「ハゼつり大会」や三浦半島の「磯の小物つり(ウミタナゴ、メジナ)大会」でも、釣果の漸減傾向が続いている。ハゼ釣り大会は、開催時の釣り場の範囲を拡大して対応しているのが実情だ。東京労釣連が伝統を伝えている「立ウキづり」は、西湖で気持ちの良い環境を味わいながら楽しんでいたが、釣果があまりの貧果のため、2014年からは桂川・上野原地区に釣り場を変更した。

 釣りの腕前の方は長期的にみて、全体として上達していると考えられるので、釣り場の対象魚の生息環境の悪化が原因とみることができるだろう。

 先日、日本労釣協の掲示板に「琵琶湖を戻す会」から「琵琶湖外来魚駆除の日」の投稿があり、4月に駆除大会を実施したとのことが載せられた。169名(新規49名)が参加して、駆除重量は184.0キロだったとのこと。記録的な駆除量だったという報告を読んで、毎年何回も駆除活動をしてのことだから驚き以外ない。

 温暖化の影響は、集中豪雨など気候の異変だけでなく、平均水温の僅かな上昇でも大きながある。外来魚が繁殖しやすい水温になっていることも大きい。

 ショウサイフグとゴマフグの雑種フグが東日本の太平洋沖で水揚げされているという報道があった。もともとゴマフグは日本海、ショウサイフグは太平洋と棲みわけていたのが、温暖化による海水温の上昇で、ゴマフグの生息域が津軽海峡を越えて太平洋に広がったという。魚体のどこに毒があるのかの特定ができないとのことで、したがって食すことはできない。

 交雑が進んで純粋種がいなくなったら、フグが食べられない事態も想定される。釣りの腕達者が、食べられないフグではつりの対象から外すことになるのか。伝統も技術もある各種のつりそのものの存在が、いま危機にあるのかと思う。今、東京湾はフグ釣りが最盛期。釣り人のお目当ては、ショウサイフグだ。トラフグより安いが、味は悪くない。ところがこのところ増えた雑種のフグがやばい。

ヤマベつり大会の経年釣果
2010年から西湖の平均釣果が4年連続して下がったのが目立つ


2017年6月2日金曜日

フナが釣れなくなるのはもちろん原因がある

 5月に入ると生き物は活気が湧いてくる。山も田んぼも草木も、寒かったときからとき放たれて、彩をつけはじめる。花もしばらくは目に映らないでいたが、競って鮮やかな色を身にまとって太陽に向かう。釣りに心ある者も例外でなく、このときには季節の変容におくれまじと色めき立つ。

 春先のフナつりがことしも3月末から始まった。「乗っ込み」(産卵前の荒食い)前の、つまり冬の季節の渋い食いから、いつ転じてフナが口を動かすのかのワクワクするときだ。イントロ部分としてある、釣れないとき広い意味で釣りの味わいのうちなのだから、必ず来るその時期を前にして、心ときめくのは当たり前だろう。春のフナつりはこの醍醐味を狙って4月に開催される。この連れ具合が年々低下していることが、記録からわかってくる。

東京労釣連、春のフナつり大会記録から
(2013年は中止)

 千葉県の与田浦周辺という釣り場は変わらず、時期も釣り方も同様なので、ほぼ同一の条件と言える。参加者は違いがあるとして「釣果人率」をみると驚異的に下がっているのがわかる。水温、水質、生息環境などが主なストレスの元とすると、相当な圧力がかかっているのではないか。

 釣り場範囲のなかでもあちこちで釣れていたものが、現在は釣果の偏りが顕著になっている。たかが「釣り」でも、二酸化炭素問題やゴミ廃棄、「ふゆみずたんぼ」(稲の借り入れの後、たんぼに水を張って春までためておく)、水路の造成(水田魚道)、外来魚駆除などへの関心を持たざるを得ない。自然の中で無心に遊び心を膨らますには、釣りだけしていても叶わないということなのだ。

2017年5月29日月曜日

芽吹く季節の到来、生命の躍動を実感するとき

 もうアレヨアレヨとみるまに、桜の季節も通り過ぎてしまった。田んぼは雪融けの水を待っているし、山の眺めは雪がどんどん解けだしているようで、黒っぽい山肌が広がっていく。田起こしをする農作業の人たちが動き出すと、どこも静かだった山麓もいよいよ春の息吹をかんじることになる。ちょうどフキノトウが伸びきって、出たての頃のウキウキするような春の装いのページがめくられるときになる。頭の中では稲のちょっとだけ伸びて、風になびくあの姿が目の前にちらつく。大地に命が噴き出すように、うっすらとした緑のじゅうたんがそこかしこに敷かれると、感動と躍動の思いに浸ることができる。







2017年5月25日木曜日

空間て大事だね

 岩手山麓と限ることではないが、東京から600キロ以上も離れたところに来ると、隣の人の顔を見るのには、トコトコと歩いて行かなければならない。回覧板を持っていく時でも、ずいぶんと離れているのでほかの人と出会うことはめったにない。住宅がないわけではなくて、家の窓からは片手の数以上の建物は見えるが、どこも土地の面積を広くとって、悠然とたたずんでいる。悠然といっても邸宅風でなく土地値もやすいから、広くとれるということだ。互いの距離があるのが絶対にいいと言い切るわけにはいかないが、この距離のお陰でお互いの干渉から離れていられるわけでもある。

 医者の診療を受けるときには、車を使って20分は走らなければならない。田舎の道ゆえ相当な距離ではある。東京で同じように医者の診療を受けるには、バスを使ったうえに少し歩くことでやっぱり20分ほどはかかる。所要時間は同じほどでも、車は生活の必需品にしなくてはならない。高齢者には「アクセルの踏み間違い」のリスクに襲われる覚悟がいる。よって評価は不便ということになる。人が集まっていない、空間のひろがっているところは、気持ちのうえでなにげなく、おおらかでほっとする「快感」を味わえる。その瞬間は不便さが忘れられる。

 東京では人との距離があまり近くて、馬鹿げたことにぎゅうぎゅう詰めの電車内で、「痴漢」の犯人にまでさせられる危険と隣り合わせる。線路をトコトコと走って逃げる人が、ほんとはやっていなくても、「そういう方法が一番いいのだ」ごときのテレビ報道で、のせられるのは哀れな都会の一面だ。人間と人間の距離をある程度とるのは必要なことだ。どのくらいとは簡単にないだろうが、過干渉の状態ではストレルは高くなるだけだし、職場でも様々な圧に取り巻かれ、ゆったりする休養なり時間なりが確保できるのは、まずもって一握りの人たちだけだろう。
ツイッターの投稿を拝借した。断固とした態度が大事らしい。




2017年5月19日金曜日

老老と言いたくはない「追い追い介護」

 ひ弱にこの先のことを小声でつぶやく親父。金の管理がうまくはできなくなったせいだろうか、金が出ていかないように心配しているらしい。言葉を聞いていると執着しているのがわかる。言われているところの症状には見えるのだが、身内の関係であることで「そうかそうか」と肯定し続けるのは、確信的に自覚がみえる部分があるだけ簡単にいかない。

 会話をしようとするときには理解ができる言葉と大きさがないと成り立たない。ちょっとした意思の確認でさえも、3回も大きな声でないと伝わらなかったりする。しかしわかってもらわないと困る時には、これまでのやり取りの結果から、こちらの気持ちの置き所も素直にならない。

 仕方がないと面倒になり、そのうえでどうしたらいいのかと折り合いを探し出すのも、こちらの仕事になる。親父はなんでもきちんとこなす、几帳面にやるそれも器用にこなすという力をもって生き抜いてきた。その自負があるのはわかってきた。できなくなるのは認めがたいことなのだろう。でも終局にあたってどう軟着陸することが必要なのだろう。

 いやそれは他人事でなくて、自分の長くはない行く末にもあたること。だから自分ならこうすると、世間での話は通じるにしても自分の親は…と他人後にして置く以外に、いまのところ説教が通じるわけでもない。これで頭脳がグルグルまわりをしてなかなか出口をみつけられない。「脳細胞の老化度テスト」が古い資料の中にあったので、少しだけ甘めにテストをしてみたら、4945歳だった。まだ、若造ということか。