2016年9月23日金曜日

「魚が食いつく瞬間を撮影」グッズの笑えない話

 NETで魚が「食いつく瞬間を撮影する道具」の宣伝が載っていたので、これをFacebookに投稿した。

 「こんなものがなくても、釣れるつりがしたいもの。つり場が壊され、少なくなって、釣れなくなっていく。」とコメントしたのだが、今朝見てみるとそのリンクした「フィッシングカメラ」が「パソコン」に変わってしまっていた。

 向こうさんはコマーシャルだから内容を変えるのは当たり前と思うと腹も立てられない。投稿した内容をフォローしなくてはならないが、先の「フィッシングカメラ」の宣伝はどこにあるものやら、もうわからないのでNETの検索にかけた。「つり モニター」とキーワードで書き込んで見ると、ぞろぞろと出てきた。

 その一覧表ページの右をみると、なんと自分が昨日見たとき、そのページを保存しておいたのが見えた。EVERNOTOアプリで、NET上で記録しておきたいものをワンクリックで保存しておけるという便利なもの。よく使っているが、当該のページを記録しておいたのをすっかり記憶からなくしていた。

 また年相応の健忘症を思い知ることになったが、ここまでくると、恐るべきデジタル社会だとも思えてくる。まさか、本人が忘れたものを思い出させることを、想定したものかどうかは不明だが、膨大な情報を整理する手段が開発されるのは当然と言えば当然だ。そのコピーを画像として作って、Facebookにフォロー投稿をした。





2016年9月20日火曜日

急いで回ったロシア5日間

 費用が安いのを見込んでだから、贅沢は言えないが、5日間のうち現地で3泊の旅とは、きついものだ。観光地でのガイドの話も、うなずいて聞いていた記憶はあるが、ほとんど頭には残っていない。例によって写真を撮ることが主眼になっているから、余計にそうなのだ。

 昼食や夕食時、あるいは時間外でも、せっかく見た「いいもの」の話にでもなればいいのだが、話題はなかなかそうは流れない。ガイドの態度がどうだったとか、同行者の周辺情報だとかということになって、アルコールが回るに従い話も回る。あとから見直して思い出すのも楽しみのうちとしておくのが落としどころだ。もっとも歴史を紐解いて予備知識を得ていくというのも、自分は海外に慣れていないせいかなかなかできない。

 なにしろ優先順位は写真撮りなのだから、行った先の遭遇の瞬間を切り取るという狭い動機では、味わうどころでないのも率直なところ。でも、もったいないな。どれだけの歴史を刻んでいるのか、突っ込んでいけばきりがないだろうけど簡便でもいい、アウトラインでもつかんでおきたいところだ。

 32人の同行者で廻って歩くのは大変でも、写真を撮るとなるとグループが大きいから目立つのがいい。少し遅れ気味になっても、シャッターを押してから目を上げると、後方のメンバーがすぐわかる。現地のガイドさんが前方で見学場所の説明し、末尾で日本のガイドさんが目を光らせているから、迷惑がかからないように始終小走りに追いついていく。

 私の場合は旅慣れていないので、手荷物検査で気を遣う。面倒この上なくて、よく止められてしまう。ズボンのバンドも外すのだから、身づくろいまで必要で、ここでも遅れていく。このスタイルの5日間なので、すっかりくたびれ果ててしまった。帰りの成田空港から上野へ京成で出て、改札を出て歩き始めたところで、カメラが入ったリュックを網棚に忘れていることに気が付いた。改札まで戻ったら届いていて事なきを得た。

 それにしてもエルミタージュ美術館とはすごい。権勢をもって集めたという凄さに感心かつ驚いた。








2016年9月7日水曜日

撮った写真を整理しながら…も楽しみ

 以前は現像、焼き付けと言っていた写真は、今はデジタルでパソコンを使った「編集」という名前でできるようになった。そのやり方を撮る人が漸増しているようだ。もちろんそれなりのお金もかけて、パソコンソフトもそれなりのものを手にいれなければならない。そんなことができるのは、恵まれている部類にはいるのだろうか。

 消費の拡大に貢献して…などと言うと、「年金もらい過ぎ」みたいな批判にさらされかねないご時世だから、大きな声では言わない方が安全かもしれない。で、デジタルカメラで撮った写真の見栄えもちっとは出てきたようでもあり、苦労の甲斐あり、(いやこれも遊んでいるという声が聞こえそうだから言わぬが花かな)

 あとはどんな「いい写真」をとるかということに尽きることになる。実はこれが一番難しいかもしれない。なにせそれだけの「能」があるのやらないのやらの区別が自分では付かない。まあ、あまり問い詰めないで流しながらやらないと辛くなりそうだから、持ち味の「ぐーたら」志向でいくしかないということにしておこう。








2016年9月3日土曜日

温暖化、気候変動に対策が十分でない

 岩手県岩泉でグループホームの高齢者が非難する間もなく濁流にのみこまれて亡くなった。避難指示や勧告を出さなかったということだが、それだけに責任を求めるだけではすまない。なんだこの台風はというほどのとんでもない動きをしているのはどうしてなのだろうか。「温暖化」というキーワードが気象予報関係の中から聞こえてこないのはどうしてなのか。国の機関が見解を持っていないということはないと思うのだが、なにかの不都合があってのことかと曲解もしたくなる。

 釣りをしていると「水温」が魚の活力におおきな影響を持っていることがわかる。水温が一度以下の変化、動きであっても就餌行動に違いが出るから、人間よりもずっと敏感に反応していることがわかる。渓流魚を釣ったときには、手を水につけて冷やしてからつかめとよく言われる。そのままつかむとヤケド状態なのだという。海の釣りも、気温と水温の変化によって、魚が岸に寄ったり深場に行ったりと、繁殖活動にも影響を与えている。魚だけということではなく、餌をふくめた生態系全体が温度の異変に支配されているということなのだろう。

 温暖化が与える負荷はいま途方もないほどの影響を与えているのではないかと、そんな話がたくさん出てくるようになった。神奈川県水産技術センターのメールマガジンで、相模川の河口で西日本以南に多い水生生物の種類が増えているということが、書かれていた。
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神奈川県水産技術センターメールマガジン  501
 相模川の河口に「馬入水辺の楽校」と言うビオト-プがあります。内水面試験場では、毎年、市民団体と連携して、観察会を兼ねた水生生物調査を行っています。このあたりは、淡水と海水が混じり、たくさんの魚やエビ、カニが生息する豊かな水域です。魚類は20種類程度、エビやカニ類も合わせて10種類程度は、毎回、採集されます。
 豊富なハゼ類やテナガエビ類、県内では珍しい希少種・アリアケモドキ(写真1)をはじめ多様なカニ類など、何が採集されるのか、とてもワクワクする場所です。
 しかし、最近、少し気になっていることがあります。昔と比べて生物相が変化し、採集される生物が変わってきているのです。クロホシマンジュウダイ、カワアナゴ、ウロハゼ、ヒナハゼ、ミナミテナガエビ、ミゾレヌマエビなど、西日本以南に多い種類が増加しています。特に昨年と今年の調査では、見慣れないすね毛の濃いカニが出現しました。「トゲアシヒライソガニモドキ(写真2)」という、ややこしい名前のカニで、汽水域に生息する南方種です。他のカニにも毛が生えた種は少なくありませんが、本種は8本のすべての脚に毛がびっしり生えており、まさに、「すね毛ガニ」です。その上に、小さな体の割には、はさみも大きいので、他種との見分けは容易です。
 ざっと調べたところ、高知県、大分県、沖縄県などから少数の記録がありましたが、分布の中心は東南アジアのようです。神奈川県では初記録になるかも知れません。これも地球温暖化がなせるワザでしょうか。昔から生息していた生物への影響が心配されます。

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 想定外を超えることの背景には、気象の状況を的確にとらえることが大切なことだと言える。それが、何十年に一回だの増えているだのという言葉しか聞こえてこない。あらかじめ、これまでよりもひどいよと、警報を乱発するがごとくの対応のままで、注意喚起になるのだろうかと思う。生態系から見える変動は、「危機的」な状況にしか見えず、ますます広がっていく。行政の対応で警報なり情報提供があっても、「これまでなかった」という意識を変えることができるのか。

 加えて、そのグループホームは蛇行した川の谷間で河川敷のなかにあるようなところだ。河川の有り様に対しての対処が違ってはいないのか。岩手の津波対策で「ここから先に家を建てるな」という言い伝えが、浮かんでくる。不動産事業の「自由」に何らかの規制、指導があってもいいのではないか。

2016年8月25日木曜日

岩手山麓で意外な切取りができた


 岩手の小岩井牧場に、ひまわりの群生場所があるというので、行ってみた。ひまわりをしげしげ見たのは初めてだった。その顔は東を向いて咲いている。それもばらばらとアトランダムで、聞くところのざっとひろがった一様さがまるでない。西日を受けて後ろを向くその姿に、思わず「向日」じゃないのかと言ってしまった。夕方ではあったので、光は面白さを感じたものの、逆光になってやや難し加減のシャッターチャンスだった。でも撮ったものを見ると、なにかざわさわとした感じがでて映っていた。







2016年8月20日土曜日

清涼の岩手山麓とお別れ、またク…暑い東京へ

 岩手山麓はクーラーのない生活がなによりだった。寒いと思えば窓を閉めればよいので、東京の暮らしとは全く違う。海抜は400メートルくらいでも、周囲は99%森と林と田や畑だから、隣にある自衛隊基地の、射撃訓練の音が時々うるさいほどであるのを除けば、超自然に恵まれている。

 東京でもどこでもエアコンで使うエネルギーだけ考えて
も、途方もない〝金〟を使っている。それが無駄とは言えず、都市だから集中する情報を使い、価値と利益を生み出すことに神経を使って「運営」されている。口先だけ一極集中を否定して見せて、実はもっと都市部への投資を無理に増やして、「経済成長」の幻想を追い回すことをやめられない。都市の暑さはその拡大増長と反比例の関係にある。

 「カッパエビセン」は止(と)められなく止(や)められなくとも、止まった。けれども、今の政治政策で都市再開発の増幅を止めることはできない。理性もなにも憲法に則さないことであっても、「イケイケ」に集票効果があるのだから、根は深い。

 参議院選挙が終わって、この岩手県とわが田舎の山形県で、野党統一候補が当選した。岩手県知事だったマスダ何某が、都知事選で落選して岩手県で財政赤字を残していった。その責任を、あいまいにしない結果になったことも、良かったこと、足の裏をかくような物足りなさはあるが、カウントしておきたい。






2016年8月14日日曜日

今年のお盆、岩手山麓は涼しさ加減

 朝晩の気温が程よいく涼しさで、東京の暑さから解放された贅沢はこの上ない。冷房は暑いところからその場所に入った時の気持ちのよさはその時だけで、あとは身体が冷えて寒くなるのか、ボワーとした温風が空気をかき回すだけで、いちいち咎めたくなる。岩手山麓の太陽はその明るさが、これが夏と言わんばかりの照り方なのに、乾燥気味の涼しい風が、山と森の間を通り抜けている。

 短かった春から夏への展開がまた早い。花がもう盛りを過ぎているという。散歩に出るとファインダーから見える花々が、確かに盛期を過ぎている感じがある。田圃のイネの穂はシュッと穂を立てて、流れている透明な水を吸い上げている。家の前のススキの穂も、今はピンとたっているが、まもなくしなっとして紫がかった色に変化するのだろう。

 親父は相変わらず「現職な」人並みの意識から抜けず、あれやこれやとそれも思いついたように時々歩き出す。歩幅が狭くなってすり足の音を立てながら、「指図」に立ち回る。しゃべりが不鮮明だから、何か言ったときに聞き返すと、またそれがなんだか分からずに余計混乱する。で、聞き返さないことにしたら、今度は言いたいことを聞かせようとして、集中して話すから、かえってよく意味がわかるようになった。おおむね3回程度のやり取りをしないと、なにが言いたいのかがわからない。

 椅子から立ち上がるのでさえ、勢いをつけないとできないので、以前は助けようとしたものだったが、それはだめらしい。自分でやるという意思がなによりの元気さを産むことになると、特に親父の場合はそう考えるほうがいいのだと思う。今日も一日オリンピック、高校野球、プロ野球と飽きもせずテレビを眺めている。昼寝もせずに見ているから、きっと夜眠れるように頑張っているのだろう。おかずはロクに食べないが、ご飯と麺類はしっかり一人前食す、96歳老人はまだ先がありそうだ。


2016年8月9日火曜日

写真展が終わって、「道楽」の一区切りがつく

 日常の景色でも旅の景色でも、自分が感じたところを切り取って写真に残す作業は、写真のプロアマを問わず変わらない。何を撮るのだと自問すれば、これが広くて深くてどちらかというと整理がつかない。その道の人か才の持ち合わせがある人は、すっと整理がつけられて、次のステップへと踏み出せるのかもしれない。
 
 撮る写真の対象、テーマ、視点、編集(プリント)の技術などなど、何がよくて何が不要なのかと、昇華する過程は、道楽にしては手間のかかることだ。しかし、写真を人目に晒すことは、それこそ「…飛び降り」の心持で、あい務めることになるが、そこまでの思い切りと緊張感が次のステップへの動機になることは違いないだろう。

 そのはずみの大きさは「いい写真だった」という確信の大きさにもよることだろう。しかしまあ道は遠い。今回の写真展の私のタイトルは「少数派」。たばこ嗜好者が、社会から孤立させられていくことに少し同情の思いをもって、多数派にはなりえない少数派として切り取った。









2016年7月28日木曜日

写真を会場に運び込んで準備の山超えた

 昨年に続いて、現代写真研究所で学んだ同期生が、今年もやることにした写真展会場に届けて、あとは展示作業をやってもらえば、準備完了となる。昨年の写真展が終了したときに、評判は悪くなかったし、またやるかと決めたものだ。それなりの準備に心を砕いて、開催までこぎつけるのは簡単でないが、それよりも折角撮った写真が棚に積まれたままではつまらない。行き場があって出番もあれば一区切りはつくことになると皆思ってのこと。

 撮って現像して選んで出品展示となるが、自分の撮ったものの意図が少しでも伝えることができればいいなと思う。それにほかの人が撮った写真に違いがあるというのも面白い。それは「好き嫌い」のような個性によるものだろうか。社会事象を切りとってみるということもあるだろう。技量の違いも当然あるのだろうが、撮った人が何を訴えようとしているのかを考えると、見る人の個性によってとらえ方が変わるところもある。

 ともかく手作りでほとんど準備していくことゆえに、やったという充実感も湧いてくる。これがまた次の写真を撮っていく動機づけになればいい。でも少々くたびれた。

写真展
8月2日~7日 10:00~18:00
JCIIフォトサロン 半蔵門駅4番出口から1分






2016年7月25日月曜日

平和、人権、環境のスローガンは不滅がいいに決まっている

 昨日義父の四十九日で納骨をした。墓の下に安置されて「あの世」に旅立ってしまった。般若心経の響きと、間をぬうように鳴く蝉の声のシャワーを浴びて、皆で旅立ちに沿った。会食でこもごも生前の思い出を語り、たとえ一時であっても亡き人を忍ぶことができて、その分だけ気持ちの安寧も得られた。現世との境目は、未整理の心持と想像の世界ゆえ、理解が違ってしまうのは、人間社会世界の常にして容易に越えられないことかもしれない。だから心を落ち着かせる場の存在価値があるということだ。

 曹洞宗は新潟の檀家だったころからの「つきあい」になっている。信心のない不心得者からは、読経のありがたみというよりは、長い間人の心に寄り添ってきたことへの敬意を感じて、理屈も理解も少し脇において「全てのものは、無常・無我である『空』の存在なのだから、とらわれ、こだわりを捨てて、全てを『空』に観じていく」とする般若心経に身を置かせていただいた。

 道元が鎌倉時代に開いたとされる曹洞宗は、中国での始まりが1100年ほども前であり、日本では臨済宗派にいて、中国にわたり学んで1226年に日本に戻った道元が広めたのだが、中国に行く前に所属した臨済宗とは武家に支持されたということだった。
 武家支配層から離脱の動機があったのだろうが、中国にわたったことが影響しているのだろうか。「臨済将軍曹洞士民」との言葉があるそうで、曹洞宗は地方武家、豪族、下級武士、一般民衆に広まったとのことだ。

 そのことと、つながっているのかどうか経緯はわからないが、教義には現代日本の宗教として、三大スローガン「人権」「平和」「環境を掲げている(2005年現在)。曹洞宗の時間軸には、宗派間の分離、変遷が目まぐるしくあり、一度は絶えてしまってまた引き継がれるなどの動きがある。現在も永平寺派と總持寺派が存在している。三大スローガン(平和、人権、環境)が現世の反映したものとみると、信心も現世と切り離しては存在できないということなのだろう。

 このこと、NETをみていたら「Yahoo知恵袋」に投稿があった。
質問~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
禅宗である曹洞宗のスローガンが“人権”“平和”“環境”なのですが、どうしてしまったんでしょうか?
世界的に人気の禅を利用したい左翼に乗っ取られてしまったのでしょうか?
道元の考えはルソーとはかけ離れてるし、人権なんて胡散臭い、安っぽいことは言ったりしない。
答え(ベストアンサーとされている)~~~~~~~~~~~~~~~~
 曹洞禅の神髄は只管打坐です。ただ座ることで自身を極限まで磨くことが目的です。禅宗がいつから大乗になったのでしょうね。人権、平和、環境なんて自己研鑽のスローガンには不要です。また、仏教では因果応報が社会の仕組みですから人権なんて関係ありません。釈迦も平和には心を砕いたようですが、環境はその時代なら想定外です。きっと曹洞宗も時代に合わせて大衆に迎合したのでしょう。その結果がセンチメンタルなスローガンになったのだと思います。
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この答えの主をのぞいてみたら
職業 愛国者
自己紹介
国を愛して何が悪い。国を愛せないものは敷島より去れ。
若い人の質問に出来るだけ答えるようにしたい。資料を貼り付けたりするのではなく、出来るだけ自分の言葉で解釈して回答したい。若い人たちはこれから国の礎となっていく大切な人たちだからだ。まじめに考えてほしいと願っている。

と登載されている。関係者ではない人間が答えたものを、「ベストアンサー」ととりあげるヤフーは作為的すぎるのではないかな。このスローガンは世界共通の言葉で重視されているし、未来にひきつがれるべき大切な言葉だ。戦争行為の対極にある。もっともやりとりの内容については責任を取らないということにしているだろうけれども。

ヤフー → 質問、相談



2016年7月15日金曜日

選挙が終わると「憲法問題」を取り上げる軟弱さ

 現行憲法がもっている規範はすばらしいものだと、この間の政権の挙動を見ながら感じ、再確認をさせてもらってきた。すべての法律体系や訴訟での争いは憲法をもとにした判断なのだから、たたえ知らないことでも、その効用は及んでいるし、日本が他国の侵略からたどった道を、不完全な反省ながら憲法を軸にしてすすんできたことは間違いない。

 参議院選挙が終わって結果が出た。論戦では「野党連合は野合だ」とばかり叫び、「解釈憲法」を変えてしまうとすることは、テーマでないかのように凝らしてきた。論戦がかみ合わないことは戦略として位置づけられたのだろう。日常の政治に対するメディアの姿勢はまた、ベッキーが何をしたの、清原がどうなるのと、「安保法案」の審議など大事な国会の論議も、まともに情報を取り上げることは少なかった。

 それは何時もそうなのだが、取り上げたかとみると「舛添劇場」のように、センセーショナルになることが目的のように見えなくもなかった。それでもこれまでよりは、ましだったと言えるのかもしれない。ともかくも真なる問題を表に出ないようにし、投票率は下がるまがいの印象をことさら植え付けることで、投票の動向を決めようとする戦略はものすごいものだったように思う。告示になるとピッタリとテレビ報道は選挙の話題を報じなくなる。

 政権の干渉から面倒を起こしたくないメディアが、類する報道をやめてしまうということがあるということ。だから週刊…という雑誌などが先行して、NETの交流サイトで拡散され、一定程度はましな情報が伝わっていく。憲法前文を乗せた週刊誌まで現れたのだから、大新聞やテレビ報道にかかわっているところは、頑張らないともっと購読者を失ってしまうことになるだろう。もちろんNETに流通する話題で、一定程度報道でとりあげて使うことはある。

 NHKの報道も選挙前日に「明日は納豆の日」(710日=ナットウ)とはいったものの、「選挙の日」とは言わなかったという。民主主義の形骸化がどんどん進められて、選挙に行っても仕方がないと、動機づけが薄められていくことは、いわば愚民思想に置かれているということなのだが、そこまでの「怒り」をマスコミが取り上げるようになるのは、もっと先になるのだろうか。

 政治のことを取り上げると週刊誌が売れるとのことだから、これから先もぜひオピニオンリーダーとして頑張ってほしい。都知事選が始まった14日から、なんともタイミングよく出所の「不明」な天皇退位説が、流れ始めた。これも随分とハデな報道でびっくりというより、またかよという気分が先行した。官房長官は「コメントは控える」と言いつつ、「皇室典範改正準備室」で検討はしているというので、出所は政府なのだろう。宮内庁はそんなことは言っていませんと否定している。

 出所不明の話題をそこのテレビでも一斉に取り上げて、内容も過去の天皇の発言などを取り上げて、かなりの準備をしていたことが覗える。公務に耐えられるかどうかは、国民が決めるわけでもないし、だからどうなのというふうに言ったら、「不敬罪」にされてしまうかな。しかし「憲法改正」と絡んでいることなのだろう。現行憲法を天皇はよく理解し、戦争という悲劇はあってはならないと表明しているから、そのこととの齟齬はなんとなく見えることだ。

2016年7月8日金曜日

フランスの渡り鳥の羽が短くなったのは「他人事」でない

 今朝のNHKで報道していたフランスの鳥の話。温暖化によって渡り鳥が長距離を飛ぶ必要がなくなって、羽が小さくなっているということだった。写真によると確かに翼の先端がとがっていた羽のものが、短くなって丸みを帯びて全体が小さくなっている。数十年での変化ということで、鳥の「進化」にも影響を与えている人類の営みを考えざるを得ない。対動物に限らず人間同士の社会にも様々な影響がないとは言えない。そこに思い至るのが人(類)以外にはないので、責任は大きい。

 ところで参議院選挙の報道では、NHKの政見放送以外はほとんどそれに関する報道がない。安保関連法、アベノミクス、TPP、憲法、子育て、教育など身近な問題の政策議論は、報道ではさっぱり取り上げられない。

 今日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、高知県でやったアンケートでは、「3分の2の議席で改憲」ということは知っているか?という新聞社の問に「わからない」という回答が圧倒的に多いということが紹介されていた。モーニングショーでは、知事選へ向けてのテーマを取り上げていたが、このときに知事選挙のことばかり伝えてよいのかという疑問が出されて、この話題になった。

 長嶋一茂氏が「『3分の2』の話私も知らなかったよ」と発言し、羽鳥慎一氏が「高知県のアンケートでそういう結果なのだからそうですよ」ととりなしていた。報道機関が政権を斟酌して「自粛」しているということはよく聞くが、まさに選挙告示後になると選挙の話題はきれいになくなってしまう。

 それどころか知事選挙の立候補予定者の動きばかりを、これでもかと伝える。この参議院選挙で、どういうことが進められようとしているのかということには、目を向けないようにしているという意図を感じざるを得ない。選挙の度に重ねられるこうした動きに、「目隠しされたまま」で、投票率の低下が生じまたそれを政権党が有利な選挙制度で結果をもぎ取ることが続いていいのか。

 ベッキーだの清原だのの話題を取り上げるなとは言わないが、適当なあしらいでいいのではないか。生活と将来に深くかかわる問題、憲法やら戦争やら、経済や税金、格差やら貧困やら教育の問題を政治のこととして、改善の道を考えあっていくべきだし、解決を迫っていくことで短兵急な犯罪の土壌を生んでいくことを防ぐことになっていくのではないか。

 政治を考えにくい日本人が作られて、押し込められては、フランスの「渡り鳥の羽」になって、飛べない鳥になってしまうのではないか。いや、すでになっているのかもしれない。

2016年7月4日月曜日

「民主主義」の理解は

 民主主義について考えさせられる場面があった。イギリスのEU離脱の国民投票で、賛成が上回った結果になって、あとから生じていることをネタにした番組だった。国民投票のやり直しを求めるNET署名が3百数十万になったとのことで、このやりかたが民主主義に反するという主張だ。多数決により決まったことに異議をさしはさんで、ひっくりかえすというのは民主主義でないというものだ。

 国民の直接投票という手段で結論が出たことなのだから、ひっくり返すという方法はおかしいという主張は一理ある。だが、日本の憲法「改正」論議では、憲法9条をなくすか変えるために、「時代に合わせて変えてよいものもある」という一般論的な主張で、何をどう変えるかを隠したままにしておくという姑息な民主主義が、場合によっては堂々とまかり通ろうとしている。憲法全体で定まっていることは、未来永劫変えないということはなりたつ議論でないのは当たり前のことだ。

 国民的議論がされる場合はもちろん、何かの結論を求める場合も、判断しうる条件をすべて正確に情報提供されるべきことも民主主義にとって大切なことに違いない。そのうえでの論議がよりより結果を導くことになる。国民投票が終わってのち「そういう理解ではなかったよ」ということで、論議される民主主義は幅広いものという理解ができないものだろうか。

 すでに結論がでたこととされるよりは、どういう利益や効果があったのか、なくなったのか足りないものはなかったのかを見直すというのも、民主主義の形態であり切り、捨てられるべきものなのかどうか。

 日本の「安保法」の国会審議で、議事録を後日「挿入」されて採決決定したことになっているが、こういうことが許される日本の民主主義ってなんだと、だれでも思うことだろう。法律が決定事項であっても改廃はできるわけなので、「決定したもの」という説得は力を持たない。EC離脱国民投票の後日談を批判する筋合いではないように思う。

2016年6月30日木曜日

写真がちょっとはよくならないかと期待して

 今は、平和な国(戦争する国ということの真逆の対極)であることを否定して、またぞろ侵略戦争を肯定する時代への「岐路」「分かれ道」ということで、来年の写真展のテーマ設定を検討している。前回の「共生」もなかなか難しいものだったと思うが、概念の広さが許容されていたので、なんとなくまとまったようでもあった。

 現代の瞬間をテーマによって括ってみるのは、写真展でのそれぞれの主張が個々バラバラであるよりは、迫力が増してくるような気はする。ただ、テーマにきっちりと当てはめるような作品をと考えると気が重くなってくるし、なによりこれまで自分の感性なり、シャッターチャンスで撮ってきたものとは違ったものになるということもある。撮っている自分の写真が、テーマが掴めきれていないということから起きていることなのかもしれない。

 そうではなくて、このテーマに沿うポイントと瞬間をこれから切り取っていくことを考えることが、写真力を増すことにはなると考えるべきなのだろうか。自分が写真を撮る瞬間は、まさに何のバリアもなく好き放題にシャッターを押すのだから、いわば身勝手なまったく自己流のものだ。さしたる筋道も考えず、整理もしないやりかたなので、今とは言わずともどこかでまとめていかなくてはならないが、それを纏め上げていくことは必要な事であっても、もっとも難しい。

 してみると、やっぱりテーマに沿って撮っていくのがいいということになるのだろう。ところで、どういう「テーマ」がいいのかが、さっぱり頭に浮かばないのはどうしてなのか。おおよその国のあり方の分岐点ということは、当たり前にわかっていることにしても、その分かれ道付近の場面とは写真にするとどんなものなのか?分かれ道なら、今平和であることの切り口はその写真とはならないのか?テーマと己の写真を巡って目下混迷中だ。

撮影2016.5.30
松代大本営地下壕
 地下壕は硬い岩盤
 ダイナマイトを削った穴に
 鉄パイプがささったまま
 朝鮮人が書いた文字
 横穴
朝鮮の人たちがどれくらいいたのかの記録はない 

2016年6月27日月曜日

しかしこんなに早く動く時代ってなんだ その2

 時間が早く過ぎていくのは、「歳のせい」と自己診断しおくとして、身体も頭の動きもゆっくりズムで推移するから、周りが早く動いているように感じるのだろう。それもあるには違いないが、そればかりではない。パソコンだって起動してから動かすまでに、立ち上がりに時間がかかる。その間にコーヒーでも入れようかということになる。それでも2分弱のことなのに、おっとりと待つ気にはならない。
 
 急がなくてはならない環境にはないはずなのに、電車がどんどん来ないと、何をやっているのかとイラつきに近い気分になってくる。ゆっくり、かつじっくりと物事に取り組みたいと思いながら、なぜか追いかけられるように忙しく暮らすところとなる。何かを残していくという大仰な人生でと気負っているわけでなし、胃が痛くなるほど入れ込んで難しいことに取り組むわけでもない。当たらず触らずのやり方でいいのだし、安寧の時がすごせればそれでよい。それが有り様なのだと思いつつ、残っている脳細胞に程よく刺激を与えようと思ってはいる。

 急に飛び上がっては、降りるとき場合によってはケガにつながる。沢沿いの、足元に石がゴロゴロしているところで、最近よく転ぶ。竿をもって仕掛けが枝にからまないように、一歩一歩足元を確かめながら歩いている。先日も危ないからと、自覚的に慎重に歩いたのはよかったのだが、釣りを終えてから竿をたたんで、歩き始めた途端に転んでしまった。備え以上に集中力も衰えているのだと、渓流釣りも命がけみたいな領域に入ってきたのかと、暗然とした思いだった。もちろん仲間には見栄を張って、自分を笑って報告した。

 結局のところ緩やかでないと身が持たないのに、なかなかそういうわけにはいかない。まあ自己責任ということになるのだろうか。忙しいのは世の動きが速いことが、もう一つの事情にある気がする。都知事問題でも珍しくテレビが競って問題を報道し始めたと思ったら、あれよあれよと見る間にもう辞任までいってしまった。もっともこれまで、政府閣僚、議員の「不祥事」が嫌というほど表面化してくるのに、一向に追求できない腹イセもあるから拍手喝さいみたいな気分だ。「癪に障る」ことが多くてうんざりしている側からしたら、一矢報いたい気持ちが増幅しているわけだ。

 ついでにこの際、参議院選挙もあるのだから、きっちりと清算するように「自主規制」を超えて報道しまくってもらいたい。と思っていたら、また覚せい剤報道だ。覚せい剤4グラムが多いの少ないのと、いったいだからどうだというのか。6ケ月も前から内定していて今この瞬間かい?しかもラブホテルで逮捕というセンセーショナルなおまけ付きだ。そんなことより、「イギリスのEU離脱を見抜いていた」という大嘘を記事にしたら面白いだろうに。嘘は大きいほうが人をだませるというが、黙っていたら犯罪に手を貸すようなものだ。その手の嘘を蔓延させるのはいただけない。


2016年6月23日木曜日

しかしこんなに早く動く時代ってなんだ その1

 参議院選挙告示日の第一声を、新宿西口でやるので行ってみた。告示の都度行くのが習慣になっている。今という時代の中にいる実感を持ちたいからだ。テレビや新聞、NETで見ている情報がこのとき結びついていく。政治のしかけがはっきりしてくると、わずかでも政治に参加した気になってくる。政治にかかわることがわかってくることは、380円の交通費とは比較にならないほどの価値だ。

 西口は10時少し前についたが、目的の街頭宣伝と違う人たちが占拠している。かち合ってしまったようで、東口に急きょ変えるというアナウンスを頻りとしている。いままでこんなことはなかったから、なんということかと一瞬思った。「先行者」がさっさとやってしまえばそれでOKということも、社会的常識からいえばどうなのだろう。第一声はだいたい各政党が、同一の場所にかち合わないようにしているはずだ。どうやっているかは知る由もないが、法的にというよりはエチケットの範囲で処理していることなのではないかと思う。かなり前から宣伝物で告知がされていることなのだから、少なくとも知らなかったということにはならない。

 その「先行者」のFacebookをのぞいてみたら、20日のニュースには「22日の街宣は新宿西口で1100からやると書いてあり、21日になってから1000からと変更している。一日前に急にぶつかるように設定したわけだ。先行者は中核派だという情報がNETに出ていた。政権の差し金による後ろ暗いつながりを連想させることだった。

 前日の21日に、シールズの呼びかけによる「野党共闘」街宣があった。少し離れた後方から騒音がするので行ってみると、右翼の街宣車が妨害にきて、カウンターの人たちと「舌戦」を交わしていた。警察が「騒音検数機」(名称不明)と思しきものを、がなり立てている方へ向けて計測している様子はわかったが、警察官や背広服の公安の方々は取り締まる風でもない。それよりその街宣に抗議する人たちに、警察官などが規制をかけているのが目についた。「駐禁で取り締まれ」と抗議をしている人がいたが、一般の路駐なら絶対に捕まるところだろう。警察官が、右翼の行動に抗議する人に笑い顔で規制をかけていたが、あの笑いはどういう笑いなのだろうか。

22日新宿西口

21日有楽町






2016年6月22日水曜日

走って休むのは人の所作

 パソコンと付き合い始めて18年になる。ホームページの作成講習会に少し通った以外は、自力と聞きかじりでなんとか過ごしてきた。現職時代にパソコン導入が始まって、否応なくキーボードにも慣らされてきた昔も懐かしい。退職間近になって、若い職員にこの難物の成り立ちを知るために質問を続けていた。パソコンの開発がどんどん進んで、人間との「親和性」が広くなってきてはいたが、慣れ親しむにはなかなかのもので、おまけに容量と技術開発によって、とどまるところを知らない発展をしている。

 発展をしているなどというと聞こえがいいが、「わからない部分がまた拡大」してくる。年をとってからでも、机上でいろんなことができそうなことが動機づけになっていたし、実用道具というよりおもちゃで遊べるか、脳の刺激になるだろうと期待をのせての付き合いをしてきた。退職後はどうせヒマなのだから、ゆっくりやろうとどれだけやろうと好き勝手にやってよかった。それが今はシロウトでは(多分)最強部類のパソコンを使う羽目になった。

 写真のソフトを動かすためのパワーがいるのだった。たしかに力量があるだけ、ほかのソフトを動かすのにも楽だ。ホームページの更新のときには、元となる資料をモニターにありったけ広げて作業ができる。日記を書きブログの原稿を書くのも日常生活のメリハリを保つことに役立っているのかも。日記もブログも書き込むときには、文字の意味と使い方間違いを避けるため、文字のHP検索も欠かせない。今日のタイトルの「所作」もその意味を確かめたが、「ふるまい」のほかに「踊り」という意味もある。このブログ記事には「踊り」のほうの意味を使わせてもらおう。

 いやこのブログの締めはまだ早かった。パソコンの作業のうち最も広がって重くなってしまったのがメールだ。もっぱらWEBメールを使っているが、メールのアカウントはGmilYahoooutlookso-netスマホメールとの同期と、我ながらそこまでやるかという感じだ。それぞれ役割があって、日常の連絡用、NET購入などの実用、プロバイダからの通知、キャノンやニコンから各種の知らせ用などと、多用しているが、その分だけ整理の手間がかかる。

 見もしないものもあるにはあるが、「いつか見るかも」みたいなケチな根性で録ってある。いつまでもこれではという思いが、ふっと湧いたのを機会に役に立っていないもの、見ていないものを整理することにした。きっと、受信した直後の折に見ないものは、いらないものが多いということなのだろう。有用であってもそれは使っていないのだから「有用でない」ものとすることも整理法かもしれない。


2016年6月14日火曜日

義父の一生が閉じられた

 義父が身罷った。9年に及ぶ不自由な生活から、今は解放されて、自由になったことだろう。一生をどんな姿で過ごしたのかを、周りの人間が思い返す機会なのだと、葬式を過ごしながら思った。なにかに執心し、行動規範をみつけ、悩み苦しみ、人としての有様を追求してきた。そういう一生を批判できるわけはない。毎日のように起こる見苦しい現世の汚れに染まることなく、過ごしてきたのだからそれも簡単なことではない。
 
 生地から東京に出、幸いにも中途公務員として採用されて、経済的にもなんとか生活できる環境に入ることができた。昭和の暗い時代を抜けてきた体験が、悲惨な時代がまたあってはならないことと、飲みながらよく話していた。それも遠い昔のことだったことを今思い返す。

 十二指腸を壊してからはピッタリとアルコールを断った。それから東京と近郊の寺社を歩き回って、「信心」の気持ちを満たしていたようだった。家の食事の世話から生活周りの細々とした雑事もこなし、植木にも身をいれて実によく働いていた。脊椎狭窄症で手術をしてからは、不自由な生活を強いられることになった。寝たきり生活になって、不自由な身を嘆くことがなかったわけではないが、周りに辛さを大声で当たるということはなかった。

 介護の職員からも、他の例を引き合いにして好意的に思われていた。しんどさは当然あったろうに。それは見事な態度というべきで、自分だったらそれができるだろうかと思うことだった。しかし、それは本音に触れていなかったからかもしれない。きっと葛藤があったことには違いない。今になって触れることはできないが、聞いていればよかったこととも、言い切れないかもしれない。良し悪しはともかく、本音を語っても時間がたつと変化するということだってある。

 「傍目」ではわかりきらないが、ともかく40年以上付き合った日常の生活では、裏表はまったくない人だった。その生き方は立派なものだった。病後長い時間だったが、日に日に弱っていく姿に人の終末へのステップの有り様を教えてもらった。

 11回目の緊急入院で、これまで何回かあった危険状態とまた違った状態を感じ、身近な人が集まって見守り言葉を交わした。血圧が回復して小康状態になったことで、いったん家に帰ったが、夜半に再度連絡があって病院に駆け付けた。それが最期の瞬間だった。




2016年6月9日木曜日

月刊誌世界 6月号特集「死の商人国家になりたいか」を読んで

「世界を読む会」に今回は参加できなかったので、感想を会のページ(Facebook)にアップしようとパソコン打ち始めたら、「死の商人」は最初のワードに出てこず「詩の証人」と出てきた。最近の変換技術はずっとよくなっているから、この次打つときにはでてくるだろうけど。しかし今トップで出てきてほしい言葉だと、「死の商人になりたいか」を読んで思った。第一「戦力」でなく「実力」であり、武器や兵器のことを「防衛装備」と呼ぶし、武器を海外に輸出することは「防衛装備移転」と表現するという書き出しは、なるほどと思うよりハッとした。
 
河野洋平のインタビューで、「ヒロシマでG8の議長会議」を開催し、アメリカの下院議長を説得してヒロシマに来てもらったという話は、かつての自民党政権でもでもやったということで、いまの政権との対比で考えさせられた。同時に「原発資料館に行って展示物を見、被爆者との対話もした」とのことで、今回のオバマ大統領の広島訪問との伏線となったのだろうかという気がした。

 「国策化する武器輸出」(望月衣塑子)は、武器産業の思惑と動きを教えてもらった。こういう書き手がいるのは救われる感じがした。日本の兵器産業は「様子見」もあるにしても、トップセールスで誘導してしまえば、動かされていくのだろう。昨年の東大総長挨拶がNETを駆け巡ったのを思い出した。(東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。…

 

高遠菜穂子の「イラク戦争からのはじまった問題意識」からのスタート、体験の積み重ねからの実感と、現場から見る戦争や武器の「移動」の話も、リアルな感じを持った。「武器は人を守る道具でない、人を殺める道具だ」は教訓的な言葉だ。


2016年6月3日金曜日

さあ書けるかブログ

 最近よく出かけるし、それもいつもカメラを抱えてウロウロしながら、同伴の仲間たちのあとかに付いて廻る。己が退職してから写真を撮ろうということにしたのは、自己責任なので、文句を言う筋合いではないのだけれども、少々疲れを感じるのも年相応のことなのだろう。

 ウォーキングと称して外に出てあるくのも、以前ほど勢いよく歩く体力は後退気味だ。頭の回転が「緩やか」になって、ボーっとして日陰で寝たいみたいな気がしてくる。実際本を読んでいても、すぐに上瞼が下がってくる。こうなると、一定程度繰り返しののち、頭が軽くなるところまでは、ページをめくるのがはかどらない。
 なにか事をおこすのも、緩やかにしないと時によっては危ない目にも合う。最近の交通事故でよくある、ブレーキとアクセルの踏み違いによる暴走は、実感を伴って理解できる。そしたら、先日の場合はブレーキを踏んだのに、止まらなかったのでもっと踏んだということだ。しかしこれは絶対笑えないし、そういうものだという解釈をしておかないと危ないだろう。

 それだけ活動量が下がってくると、ブログを書く感覚の時間が開いてしまうのはしかたのないことかもしれない。だけれども、だからいいやとするのか、だけど頑張るとするのかの答えは決まっている。人生は戦いだから。戦争をおっぱじめて人殺しをする戦いならごめん被るが、人生の戦いには参戦することは必要なことだ…としておいたほうがいい。ぐうたらな人間には目標を持つことで、自分を励ますことができる。それによって助かる部分もあるはず。金がかかることもあるが、まだ食うに困るという環境ではないのだから、我儘言っては天の神様にも申し訳ない。