2025年3月19日水曜日

AIを使って、大丈夫かね?印象悪くなった

 Copilotを使って書き換え」という「指図」がしょっちゅう現れるので、自分が作ったブログの文章を書き替えてもらった。

~久しぶりに太陽が顔を出し、春が来たよと声をかけられたよう。ようやく公園に行ってみる気になって、ありったけの花を撮ってみた。はじめは梅のような赤い花「ボケ」。(なんとなく自分ではないと付け加えたくて)桜はとうに終焉を迎えていたカワヅザクラ。しっかりしているのは数少なかった。黄色はサンシュユ。実は漢方薬に使えるとか。赤い実から果実酒を作って滋養強壮だって。公園は保育園の子供たちの独壇場だ。~

書き換え後の文は、なんだこれは?相当アウトだ。

公園内を歩いていると、さまざまな花々が目に飛び込んできて、その美しさに心が洗われる気がした。小さな白い花が連なるユキヤナギや、紫のハナダイコンも見応えがある。ベンチに座り、暖かな日差しを浴びながら、子供たちの笑顔と元気な声が響く空間に癒される。春の訪れを感じながら、自然の息吹に感謝の気持ちを抱いたひとときだった。










 

2025年3月14日金曜日

米が日本の主食であること忘れるな

同じネタで書いたような気もするけど、神頼みは残された手段かな、などと思ったりして。まさに絶句というか、大船渡の山林住宅火災、昨年9月の能登の豪雨災害、日本ばかりではないが「日本沈没」は絵空事、他人事にならなくなった。このところよく起きる各地で起こる地震。対する政治の関与も頼りなく稚拙はなはだしい。少数与党になって、さまざまな課題に対応できないことが露になる。米騒動だけでも「首!」と言いたいくらい。

農水大臣の記者会見(3月7日)で、米価格が下がらないことについて「買い急ぐ状況でない」と、どこ吹く風みたいなのが腹立たしい。昨年の8月からの暴騰に手を打たず、やっと備蓄米を放出したら、下がるどころでない。さんざん生産量を減らしてきた結果がこれ?コメの消費が減っているといわれるが、コンビニにはオニギリモも弁当もしっかり置いてある。海外でも日本のコメは好評らしいけど。

~昨日の(参議院予算) 委員会でも答弁させていただきましたが、生産量は18万トン余計に作っている。在庫も合わせると100 万トン以上の余裕があるわけです。そういう状況を見ると、我々の情報発信が不十分なのかなと思います。米の生産量に現在の在庫量を合わせたものが、米の消費者の方々に対する供給量です。これを見ていただければ、全く不安視する必要はないと固く信じています。しかし、主食である米ですから、ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様は、お米がなくなったら困るから、早めに手当をしておこうという気持ちになることはわかります。あまりにも今が高い。

スーパーに行けば、値札にシールが貼られるのを待つ方々もいるのが現実です。そういう気持ちはわかりますが、ぜひ不安にならないでいただきたい。今年の出来秋はわかりません。もちろん冷害が起こるかもしれないし、酷暑で精米した時の歩留まりが下がるかもしれません。それは自然のことだからわかりません。ただ、昨年の生産量と今の民間在庫量を合わせれば、そんなに買い急がなければいけない状況ではないことは、あらゆる機会で、消費者の皆様にお伝えしなければならない。そういう動きが表面化したということであれば、我々の努力も足りないのではないかと思います。~



2025年3月7日金曜日

総会発言の内容をレコーダーからの文字還元でやってみる

退職者会の総会があって、会報に発言された方の内容をまとめなくてはならない。この時期いつも、もうひとつ体調がしっかりしなくてなかなか集中できずに、三日間かかってようやく書きあがった。発言内容は、皆さん熟年高齢者だから「知らないカタカナ英語」がないのが助かる。話されたことをまとめてメモすることが不得意なので、一応書き込んだメモはほとんど役立たなくて、レコーダーに頼ることでやってみた。

今は録音をしたものを自動的に「文字化」してくれるソフトが使えるので、もっぱらそれを頼りに作業に入っていた。ところが、人によってしゃべり方が違うことが当然あって、レコーダー側がとらえきれないしゃべり方があるようで、何回繰り返し再生してもわからない文言がある。レコーダーとの位置関係によるのかもしれない。

一方、文言を見事に読み取れる人もいて、そちらは文字還元をそのままで楽をさせてもらった。レコーダーは、言葉を全部ひろって換言するので無理やり還元したり、「あの」とか「あれ」とかの言葉がそのままでてくる。それを砕いてまとめる方法でいいのかと思うものの、読んでいくとなにか臨場感があって面白い。6人で4ページにもわたる発言なので、読み手の「臨場感」を使わせてもらうことにした。

本来は、主旨をまとめることが要求されるのだろうけど、「あの」「その」「つまり」「だから」などが入ったものに味わいがある。そんな気がした。言い訳になるけど、自分でメモすると「自分好み」に傾いていくことになって、客観的に知らせることにならない欠陥がでてくる。(そういえばニュース報道なんかそうだな)人によってとらえ方が違ったとしても、その場の内容を逐一表現するのも時によっては大事かな?などと思った。



2025年2月28日金曜日

ぼ~っとして回復したかどうか

 休養に徹してごろ寝の毎日で10日以上も過ぎた。すっきりと回復とはならなくて、咳と淡がなにかを合図しているようだけど、熱はないからまあこんなものなのか。コロナの後遺症の範疇ということも考えられるが、臭いは回復してきているからワクチンの成果かもしれない。まあよくはわからない。

今日はどうしても出かけなくてはならないので、起き上がってみた。この間鼻づまりで呼吸がつらくてシーパップを外していたから、睡眠が足りないようで、コーヒーを飲んでも効き目がない。お隣の住宅工事が終盤を迎えたようで、騒音が聞こえなくなってストレスがなくなってなによりだ。二階建てから三階になって、今までの視界が削られて、頼りの東側の光も減じたのが残念で、これでも「合法」なのだろうから嘆く以外にしかたがない。



2025年2月21日金曜日

ついにコロナがやってきた

喉の痛みと鼻詰まりの症状が出て、二日くらい前から嗅覚がなくなっているのに気が付いた。あちこち嗅ぎまわって試したら、味噌だけが僅かに匂った。連れ合いさんに熱が出て「簡易検査」でコロナの反応だということで、コロナ感染を広げてしまったのかと思い、従来から鼻づまりで診療を受けている耳鼻科に行ってみた。

熱の出具合と症状を話すと、コロナだろうという判断になった。検査はしなかったが、検査をしてコロナだとしても結局は対症療法しかないと聞いているので、検査で確定をしてもあまり意味はないかもしれない。喉の(鼻の奥部)点鼻薬と漢方薬を処方してもらってきた。

熱は収まっていていて身体はだいぶ楽になっている。最近のコロナは熱のおさまりが早いとのことで、嗅覚、味覚の復活には60%くらいが一か月程度で治るらしい。(「早ければ」とのこと)。熱が出ていたときにホームページの更新作業をしたが、サイトの全体を見渡すことができなくて、一時に必要な修正をできなかった。集中力が確かに落ちていることを実感した。人間の能力とは緻密な構成で成り立っているものだと再確認して、もっぱら休息に心がけることにした。

この一週間、月曜から7日連続して予定が詰まっていたが、やむなくキャンセルした。寝転がってテレビを見るのが、また腰の痛みの要因になるようでも、「座頭市」「網走番外地」のビデオを眺めて、日ごろの悪政のうっ憤を晴らしている。

国会中継で、ちょっとばかりの修正で取りこまれている予算修正劇には馬鹿らしくて、餌に釣りあげられる魚みたいに見えていやになる。モーニングショーの玉川氏に(財源に)は「防衛費があるじゃないかと思う。」と言われてしまった。野党の安売りじゃあしょうがない。生活や社会保障、税制、教育に税をむけてと迫られると、急に「予算がない」という言い回しに、いつまでたっても「そうか」と思わされている間は、見通しは暗い。






2025年2月19日水曜日

働きはないけど、休みが必要か

AIの働きでスマホとパソコンの動作が煩わしく感じる。ただの文書を作るのにも、これを「使え」とばかりに目先にうるさく現れる。パソコンの使用は文書資料を作ったり、写真を現像・プリントしたり、メールに書きこんで載せて送るという程度の利用でなんとか慣れてきている。

今度はこれでもかと、AIを使わなくてはならなくなるのかを思うと、ご勘弁願いたいという気になる。スマホについても、やり方がわからないものは、利用法につて調べるにしてもすっとわかることはなくて、やってみて考えるかといい加減に投げやりになってくる。

そんな気分で集中力がなくなったと思ったその夕方に寒気がして、翌朝に熱が出てきた。38度まで上がって、横になってテレビを見るなにもしない「自由時間」で三日目になった。喉が痛くて鼻がずるずるいって、半分くらいはコロナ状況に近いか。

家では医者に行けと言われるが、前回に咳と痰で悩まされた時の処方でもらった咳止め薬で、ひどい便秘状態になったことを思いだして、すぐ行く気にはならない。咳は前回ほどででないし、のどの痛みは乾燥によるものだと自己判断して、電気ストーブの「加温」ボタンを入れて過ごすことにした。

少し気分が良くなって、熱も去ってきたので、このまま上向くといいと思う。なんやかやと、仕事でない所業で〈働いて〉出ずっぱりのような状態だったからかと思い、それでも休養がいるものだと反省を迫られた。

15日サークル発表会で合唱をした後、もんじゃ焼き 

そのあと歩いて撮影











2025年2月12日水曜日

文章をCopilot(Microsoft社が開発した生成AIツール)で修正してみたら

AI」開発で電力を多量に使うので、原発が必要だなどという主張がある。AI何者かは面倒で身に着けたくもないが、でもパソコンでマイクロソフト社が仕様に組み込んでくるので、利用することに踏み込むと、料金を払うことになる。幾分かは無料のままでも利用は可能のようなので、余生のこともあるからなんとかしたいと思っていじってみた。

五箇山にいったときの「感想文」を元にCopilotに書き込んだ

小さい側溝に水は勢いよく確かに下っているが、脇にあったであろう田が虚ろな姿で名残をみせているだけ。畑と石垣が痕跡を残し、雑草が勢いついている。田を守って過ごしてきた石垣は、500年も繰り返し植えては刈り取る人々の様を、ずっと見守ってきたのだろう。「今年は旨く育ったね」などと初秋の色に染まる奥飛騨の山と目配せしていただろう、何回も。

「結い」がしたたかに継がれて、ともかく風雪を凌ぐ屋根を守る力を残してきた。新しい屋根は結いの重みを加えて、しっかり住人のくらしを護る。訪ね人は景色を愛で、豪風雪を計る。住人は一宿の訪ね人をもてなし、こころを開かせる。訪ねて身をそこ置いたことで、暮らして過ごしてきた充足感に一瞬浸る。奥飛騨がそれを見てほほえんでいるかのように見える。域内を回って写真を撮る。農作業している人に声をかけたらしかられた。そう、こちらは気まぐれに通りかかって、勝手に悦にはいっているだけで、そこで暮らしを営んでいる人の心根をはかることができてはいないのだから。

出てきたCopilotの文章は「要約した」ということなのかな?

遥か昔、奥飛騨の山々は静かにその姿を変えながら、人々の暮らしを見守り続けてきました。時の流れと共に、田畑は次第にその輝きを失い、かつての栄華を忍ばせるだけの存在となっていました。しかし、その痕跡は今もなお、地域の歴史と文化を語り継いでいます。

 

opilotの使い方(個人使用向け)を検索してみたら 

・下書きができる 

・文書を一気に作成 アイデアを形にしましょう。

Copilot を利用すると、どのようなトピックについてもWord での下書きをすばやく作成できます。 

・状況瞬時に把握 メールでの長い会話も、Windows 用の Copilot in Outlook を利用して短く要約できます。 

・心を動かすストーリーを作る Copilot を利用してアイデアを明確に、美しく表現しましょう。細部まで練り上げたプレゼンテーションを短時間で作成できます。

 

なんとなく輪郭がわかってきたけれど、使いようが悪かったのか思っていたのとは違った結果だった。 

2009年5月






2025年2月9日日曜日

八潮の陥没は特殊ではない「都市災害」

下水施設の老朽化に対して検査が追い付かないという。修理のための工事が遅れていると指摘されている。事故が起こるまで事実上放っておくことになっている。素人ながら思うに、巨大な下水道管に流れ出ていた土砂が見過ごされていたのかと疑問がわいた。何かの前兆がなかったのか?あれだけの「空洞」があったことに気づかない?関心を持って調べていないということなのだろうか。

原発事故の時には放射線の検査をするために処理場に堆積した処理物を使ってやったことがあった。流れてでたものを処理して川へ流し込んでいるシステムが「完全自動」に近いものなのかなと。人の問題もあるのだろうが、前兆がとらえきれなくて、積極的な検査体制もなかったとなればなおさら対応のお粗末さを考えなくてはならない。

「安全性」にコストをかけないことが当たり前のようになっている状態で起きていることではないか。老朽化した橋梁を架け替えしなければならないのに、順番をつけて「あきらめる」自治体さえあるらしい。交通機関で起こる「点検により」止められる列車も日常茶飯事に起こっている。点検は事前に周期的にやるものでなかったかと思う。

高層ビルがこれでもかというほどあちこちに建設されているが、下水処理量も飛躍的に増えることを考えると、都市のリスクが増えていくことになるのだろうか。アルプスに穴をあけてリニア新幹線を作り上げることが本当に必要なのか?資金を必要とするところが多面的にあるのに、国の資金(税等)をそこに当てるようなことではやっぱりおかしいと思う。

昨今の集中豪雨によってマンホールの蓋が開いてしまうことは多発している。昨年8月には新宿西口のマンホールの蓋が10メートルも吹き飛んだことがあった。その四か月前の4月に新宿区は「雨水流出抑制対策へのご協力をお願いします 最終更新日:2024年4月25日」を区のホームページに出して雨水流出抑制計画書提出の要請をしている。

都市化により雨水が地面に浸透する面積が減少し、下水道施設や河川への負担が大きくなっています。また、近年の台風や集中豪雨の増加に伴い内水被害が発生しており、河川や下水道整備とともに、各施設に雨水流出を抑制する浸透・貯留施設を設置する流域対策が重要となっています。このことから、新宿区では総合治水対策の一環として、新宿区雨水流出抑制施設の設置に関する要綱に基づき、建物計画の際、雨水流出抑制計画書の提出をお願いしています。







2025年2月7日金曜日

カレンダーが4つになって余計に忙しい?

年末は毎年撮った写真でカレンダーを作っていた。なんとか作ろうと気にしながらとうとう12月中に時間が無くなって、購入するしかないかと考えていた。正月に家族で温泉に行った折に、フロントに置いてあったカレンダーが持ち帰りOKとのことだったので、ちょうどいいから確保しておいた。

ゼミ講師が毎年作っているカレンダーの注文をしたので、複数手に入ることになった。その後一月末に、以前に釣りの会で一緒だった方が、船宿のカレンダーを持ってきてくれて、十分すぎるほどになった。広くない家のあちこちにぶら下げることになったが、曜日も日にちも忘れがちになるので、役に立つだろうと思うことにした。

日常、スマホのカレンダー登録に、予定を書き込んで一日に数回みる(予定が頭に入らない(´;ω;`)ウゥゥ)という「作業」もするのだから、都合自己管理に大したエネルギーをさいていく勘定になる。これじゃあ余計に時間がたつのが早く感じるようになってしまうかな。なにせ月末には4枚のカレンダーをめくらなくてはならない)

昨年12月にパソコンの不調で、修正しようと作業をして、とりあえずは使える状態になったものの、やはりいくつかのことでひっかかってしまっている。当面はこれまでの動かしはできるが、ソフトのバージョンアップができない障害が起きている。「再インストール」するしかないかと、「まっさら」になったときのために、バックアップの作業を始めた。バックアップに相当時間がかかっている。もう2月だから、全部の修正が終わるのは一か月もかかるだろうか。そこにかかわっている分また時間が過ぎていくのが早くなるのか。 🤣



2025年2月4日火曜日

侵略的外来魚から生態系を守るシンポ

外来魚対策をもう一歩進めようという趣旨のシンポジウムが滋賀県の琵琶湖のほとりで開かれた。琵琶湖では外来魚を釣ったらリリースしないで駆除の箱に投入してと、59か所に入れ物が置いてある。国や自治体の対応に甘さがあって、遅々として外来魚の繁殖が抑えられない。蜜放流と呼ばれる「拡散」に有効な手立てがとられないでいる。そこでもう一歩進めていこうという趣旨だった。

滋賀県の取り組みも漁業者の生活を守るための施策が進んでいるが、これは全国の中では特別といっていいのかもしれない。当釣りの会のように、外来魚駆除つりを実行しているところは全国ではない「希少な」団体なので、発表してくれとの「重い荷物」を背負わされることになった。

当会のようにフナ、ハゼ、ヤマベ、ハヤ、海タナゴなどの小物を釣る会として、日本の文化と伝統を引き継いでと宣う会はほかに聞いたことはない。江戸時代からのつりの伝統が現在も残されているが、外来魚の繁殖によって廃ることになるというあたりが訴えどころとみて、パワーポイントを使って資料を作り上げた。発表は慣れないことゆえ、2人力でやらせていただいた。












2025年1月30日木曜日

風邪ひく間もなくお忙し

あんまり寒さも感じなくなっているのか、鈍いのか体調がもひとつ芳しくない。家にいると暖房付け放題みたいなことで寒さは遠ざけているけど、今度は本格的な寒波がきているのだそうで、慣れない温度調節も温度計をしょっちゅう見ながら、体調保持につとめている。昨秋は喘息の状態が続いて元に戻るのに時間がかかった。体調を考えてインフルエンザもコロナの予防接種も受けて、備えはしたつもりでも、やっぱり体調は落ちてきているのはいかんともしがたい。

先週あった大荷物をおろしてまた、日曜日にはもう一つ山を超えなくてはならない。外来魚駆除のシンポジウムがあって、つりの会では珍しく侵略的外来魚駆除に取り組んでいるので参加してとの要請があって、現役連中から頼まれてやむなく参加することになっている。

週初めからパワーポイントで資料作りを始めて、ようやくなんとか出来上がった。出来上がったものは46ページあって、20分ほどの時間に運用できるのかと少々心配だ。1ページ当たり26秒とは無理なんじゃなかろうかと。過去に1回だけしかやっていないし、その時は相当時間がかかったことを思い出して、少し減らすかなどと相談をしている。あと二日間で調整してみよう。

日曜は関東に雪が降るとかいっているが、こんなときに試練が続くことになりそうな。くしゃみが出てきたけど、忙しきゃ風はひかないかな。京都の先の琵琶湖近くまで行くのに、日帰りになるとか。ちょっと寄り道などと頭が巡るが、一緒の仲間の人と別行動というわけにもいかない。それに相当寒いだろうし。



 

2025年1月26日日曜日

25日合唱団の演奏会が済んで

合唱団の演奏会が25日にあった。睡眠時間が少なくて集中力も落ちていながら、数日練習レコードを聴きて譜面を眺めていた。当日になってしまって、もうしょうがねーと開きなおって会場へ向かった。午前中にステージで練習をして午後からの本番が始まって、だいたいは練習に近いことができた。(と思うけど)ところどころでつまずいて、お隣さんの音声に助けられた。演奏会までの練習も(高齢ゆえ?)の難しさもあったし、復習も思うに任せなかった。

それゆえ歌の良さを感じ始めてから本番までの期間は短いものだった。演奏会が終わって振り返ると、歌った曲の歌詞の味わいと解釈がこころに残った。曲は評価できるほどの力はないけれども、その構成は多様で生き物のようだ。歌詞のほうは実に素晴らしい。もの見る表現が感動をもってくるような言葉が随所に使われて、全曲の歌詞が日本語のみということからも、日本の言葉の凄さを感じさせられる。

「歌」で世の中が変えられるのかなどとうっすらした疑問が頭な中にずっとあったが、演奏会の感想などでの反響を思うと、言葉は伝えられるという確信がちょっと出てきた。ここまで引き上げていただいた先生とスタッフ一同に感謝です。





 

2025年1月22日水曜日

元気が出るのは新しい環境がいいのかな

高齢者に限るわけではなく誰でも、元気をだすのは「新しいこと」への挑戦が刺激になっていいのかと思う。断捨離を日々心配しているだけでは、「先」の楽しみと夢がなくなってしまう。そんなこというまでもなく、当たり前に考えていることなのかもしれないが、なにせ「つれづれごと」があふれている毎日ではおぼれているようで、息まで苦しくなってくる。

一路後退の道にいくのはあんまりだから、ジタバタとして延命策を考えるのは、希望までにはいかないが当座のやりようとしていいのかもしれない。そんなことを思った写真グループの例会だった。どこの会でも活動が縮小気味で、新しいメンバーをとの思いはあっても、会員が増えることにならない。それで、他会と合同で例会をやろうということになった。

少し緊張気味になるのが幸いして、持ち寄った写真の数も多かった。4月に写真展をやることで会場も抑えられたので、展示作品を選び出す作業が、いつもより集中してできた。やはり「観察眼数」が多いので、様々な見方が出されて充実したものになった。

立川の地で開催する写真展で、実のところ作品を運んでいくのもどっこらしょ状態で、大変だという気持ちが先行していたけれども、賑やかな合評会で力をもらった感じがする。合評会が終わってからの交流会でも、この勢いでやっていかれればいいなと思えた。他会主催の例会にも参加しようかなという気にもなった。かくして、またしても断捨離をものともしない勢いだった。新しい環境とは刺激的で罪なものだ。 




2025年1月19日日曜日

くしゃみが災いの元でなく?

最近、寒さを強く感じて暖房をよく使う。以前はなるべく省エネでとしていたのに、今は耐えられない感じになってなった。朝トイレに行くにもしっかり身支度を整えてから行くようにしている。それにしても、場所が場所だから露にする部分があるのだから長居はできない。

でもそこで新聞を読むのが長年の「たしなみ」で、一日の始まりとしては大事な行事でやり方を今さら変えることは考えられない。くしゃみはそれだから遠慮会釈なくでてくる。朝方だからどこまで聞こえていることやら。

目が覚めた時に鼻づまりを起こしていて、シーパップの影響ではないかと思うけど、鼻詰まりの解消のために反応しているのかと思う。一昨日の診療のときその旨を話したが話題がそれてしまって、相談にはならなかった。

暖房で温かくなるとまた鼻が詰まってくるやっかいなことで、空気が冷たいと通りが良くなる。そのために外に出わけにもいかないし。もう花粉が飛んでいるとのテレビ報道があって、そうかその問題もあるなと気が付いて、昨年残っていた花粉症の薬を飲み始めた。これで少しでも収まってくれるといい。


 

2025年1月16日木曜日

面倒を避けたいけど押しかける「広告」

スマホの交流サイトでも、大量の広告を見せられる。この人にこういう広告はどうだろうと、AIを使って入ってくるらしい。フェイスブックで友人になっている人が、ある広告に「いいね」をチェックすると、友人が見ているよと知らせてくる。正直興味があるものがないわけでもない。クリックして覗いてみるとたいがいは、程度の悪い商品が紹介されていることが多い。何回も見ていると大方は餌に食いつく魚のような気分にさせられる。

消費を促すと言えば聞こえがいいけど、ひっかけるような手法は釣りだけでいい。出てきた広告が「イヤ」であれば、×印からやめさせることはできる。しかし興味がないなら別の広告を入れるというわけだ。こちらは「物忘れ症」に取りつかれているから、忘れていた必要品を思い出させてくれる効果がなくはないが、余計なお世話だと思うほうが多い。必要ならNETでいくらでも検索できる。

迷惑メールもだんだん手が込んで、うっかり内容にアクセスしてしまいそうなこともある。このところ携帯への迷惑電話もくる。番号通知をして正義面をして電話にださせようとする。固定電話は我が家ではついに、「録音する」とコメントをだして直接の応答はしないことにした。電話は相手の番号を記憶するか、電話帳に登録してそれ以外は出ないようにする手しかない。

ソーシャルメディアでは「ファクト」(事実、真実)でない情報が世の中で大手をふるっている。嘘や悪意を先行させれば、正義も何もあったものではない。アメリカの政治も危なっかしいなと思うが他人ごとではない。兵庫県知事の選挙、都知事選の結果は、NETの力が影響をしているのだろうし。民主主義が危ない。そうすると、厭世的になって放り出すというわけにはいかないのかなと思う。でも、物事こなすのに面倒くさいことになっている年寄に、どれだけのことができるのかを思う自分がいる。




2025年1月13日月曜日

志あれば、いくらかの力がでるかな

断捨離を心掛けつつも、なかなかできないものだ。できないのも年のせいにして、働きの鈍い頭と手足を動かして、「抵抗」を試みる。そんなこと考えずに気合を入れてという気持ちの切り替えも、なにか少しずつできなくなってきた。いままでやってきたことを、さっとちょん切ってしまうことも、いいのかなあと別の声も聞こえる。いい加減にしろと折り合いをつけることなく、「めんどくさい」とさようならをする手もあるんじゃないかと思うこのごろ。認知症の気は感じても手足は動くし、食欲もあるからその限りではまだ健常者には違いない。

今月は合唱団の「65周年記念の演奏会」を控えて、練習も大詰めになってきた。「自習」をしなけりゃ間に合わないから、気にだけはしているけどほかにやることもあるし、子供のころの「勉強前の鉛筆削り」みたいにぐずぐずとしている。今はスマホのレコードアプリで音声記録ができて、スイッチさえ入れれば聞くことができる。これが、いつでもできるとなるとまたサボリの虫が動くし、困ったことだ。

でも、練習しているときは、難しいとか理解できないと感じて、ともかく楽しくなかった。それが、練習を重ねて慣れてくると、歌う曲の良さを感じるようになり「楽しさ」がでてきた。合唱がぴたりとはまると、曲と歌詞のすばらしく心地よさが広がる。かつては、この楽しさや心地よさがよく感じられたものだったが、今はここまで来てやっとその境地にはいることができた。じつはもうだめなのかとあきらめかけていた。暗譜が要求されるので頑張ってみるが、やっぱり危ない感があって難しい。



2025年1月10日金曜日

「年賀状じまい」は誰のせい?

日本郵便によると、発行枚数のピークが2004年用の445000万枚だったのに対し、今年は107000万枚。元日の配達数は2022年が103000万通だったが3年で半数以下となった。同社広報部の担当者は「SNSやメールでのやりとりが主になっている。特に今年ははがきの値上げが大きかった」。昨年10月の郵便料金値上げで年賀はがきが63円から85円になった影響を挙げた上で「年始のあいさつを送り合う文化を残していくためにも対応が必要だ」と危機感を口にする。(東京新聞1月7日)

そりゃそうでしょう。「明治20年(1873年)前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事」となったとのことで、それから150年もお付き合いしてきたものだから、正月文化のひとつとして生活に溶け込んできていた。しかし、「年始のあいさつを送りあう文化を残していくために…」といわれても、35%もの値上げをしておいてそんなセリフはない。それこそ民営化などしなければ、これほどのことはなかったのではないか。

社長は郵政、総務官僚出身

千田 哲也(せんだ てつや)は、日本の実業家であり、かつ、郵政総務官僚。株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長を経て、20236月から日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長

赤字でもなんでもない郵政省を解体して民間事業体に変えてしまい、官僚が天下っている組織だから、庶民の痛みなどは考慮の対象はなっていないのだ。まさに日本文化の破壊ではないかな。交流サイトでの挨拶に変えられることほど軽いことでないし、こうして無理やり変更をさせることで、日本の文化がなくなっていくのは、時代の変遷と片付けていのだろうか。










2025年1月7日火曜日

宿のお湯がぬるくって

 冬の温泉はとりわけ魅力があって楽しみにしている。宿について温泉につかってから、夕食前に飲むアルコール類がパターンになっている。最近は缶酎ハイが多いが、乾きものを少しつまみながら、旅一番の至福の時を過ごす。その分、宴会時のアルコールが抑えられる。部屋に持って入った荷物を定位置において、すぐに温泉に入った。ところが湯の温度がいやに低い。かなりじっくり入ったのに、温まらない。女性陣が貸し切り風呂にいったら、やっぱり同じようだったらしい。ああ、これじゃ楽しみが半減だなとみんながっかりした。

 風呂はシャワーのお湯がぬるいと話を聞いて、洗うのは部屋の風呂でということだった。部屋の風呂は最近新しく作った風で、檜風呂(一人用)になっている。仕方なく部屋の風呂で温まることにした。夕食を終えてからも翌朝も温泉には入る気にもならなかった。そのうえ朝は雪がちらついて、温泉が余計に恋しい。

 冗談で話した日替わり温泉にいくアイディアがまとまって、車で出かけることにした。それでも宿のタオルは隠してフロントを抜け出した。少し遠かった温泉は、先頭に近い感じだったが、料金410円とうれしい値段だった。ついでにいつものパターンの道の駅さがしでスマホ検索。行ってみるが正月休みで営業していない。ねばって探して安曇野の「風穴の里」にようやくたどり着き、昼食のソバにありついた。

 宿へ戻って何の気なしに温泉にいってみると、なんと昨日より暖かくなっている。41度ちょっとくらいはあっただろう。日帰り温泉代410円を宿に出してもらおうかの冗談は立ち消えになった。