2017年4月23日日曜日

回線工事は来週か。IT社会にしてはのんびり。

 昨日も今日も、ネット業者から連絡があったのだが、運悪く直ぐ電話に出られなかった。折り返して数回かけたが、例の「ただいま、大変混んでおりまして」とのコメントがながされて、なかなかつながらず、夜になってからようやく話すことができた。新しく回線を引く電話番号が間違っていたらしい。その結果工事の日が一週間先になるという。

 店頭での申し込みでは本人確認をしただけで、申込書も書いていないしあとは電話による確認だけで、それこそ「証拠のメモ」さえ残っていない。そんなものだという解釈をしても、アナログ時代のスタイルは過去のもという扱いになってしまった。なにかあって確認をし直すわけにもいかない。これでは「振り込み詐欺」は増えるばかりだ。

 回線を変えれば割り引くとか、キャッシュバックでお得ですみたいな話の電話が、始終かかってくる。業者が違うところからかかるわけだから、個人情報などはダダ漏れということだ。ところで、NETのつながりが悪い状況が一週間続くとなるとどうしたらいいものか。手持ちのWifiルーター接続機器を使うしかない。データ量が増えると料金がかさむがこの際しかたがないのか。IT社会が本当に便利で効率的なのかどうかまた考えさせられる。

2017年4月22日土曜日

岩手山麓、NETは一世代前でゆっくり動く

 無線LAN器機を持ち込んで、NETをつなげようとするのだが、3G回線でかろうじてつながる。やっとつながっても、なかなか動かないので思うようには働いてくれない。都会の利便さに慣れてしまっているから、ストレスを感じてしまうようだ。日記はグーグルドライブを使うが、この更新も動きが悪くNET環境に依存しているブログもまた、更新するには半日以上もかかりそうだ。データ使用量ばかりが増えていって、効率が非常に悪い。

 WiMAXを使おうかと相談してみたが、この環境では料金は高くなるとのことだ。4GLTE)回線が使えない環境では、安くならないというのも妙なことだが、弱みに付け込んでという気もする。やむを得ず固定回線を使うことになった。工事が終わるまではまだ時間がかかるので、スマホで日記を書き込み、メール送受信も間に合わせているが、字数を多く打つものはスマホでは大変なので、パソコンの動かしは少しの間不便になるし遅くなる。

 東京での生活がいかに「速い」動きになっているかを実感することになったが、地下鉄が一時間に24本も走っているような生活に慣れきってしまったから、ものをこなす時間がかかるのが、「許せない」気分に陥る。岩手山麓の家の天窓から見える空を見ながら、もう少しゆっくりでもよい生活を楽しまなくてはと思い直してはみた。

 早朝の窓を見ると空に雲がかかっているのかと見えた。やや時間がたつと今度は逆に黒い部分が青空かと見え、また時間がたつとその影は松の木だった。人の目とはいい加減なものだ。写真は別の天窓から見た空。

天窓に映す宇宙の大ドラマ




2017年4月15日土曜日

やめて!戦争

 アメリカがシリア爆撃をした。対北朝鮮に「やるぞ」という脅かしをするためだと理屈をつけた。生物化学兵器使用で幼い子供を傷つけたという映像が流されて、酷いことをするというイメージが植え付けられたうえでのこと。

 アサド大統領が「映像は作られたもの」と言い、それが文字通り受け取れるのかどうかはわからないとしても、大量破壊兵器が使われたかどうか国連が調査をすることになっていることを無視してアメリカが攻撃をしてしまった。いわば「私的な制裁」をしてしまったということになる。イラクの大量破壊兵器保管を口実にしたことの二の舞になるのではないかという見方も当然起こってくる。

 問題の解決に武力をもってあたるということが、虚構の上に成り立つことがまた繰りかえされることになるのか。マスコミがアメリカの北朝鮮に対する決意を中国に知らしめるためだとか、北朝鮮への脅しをかけるためとか、単純化してシラクへの爆撃を解析することに骨身をやつすだけでは、また泥沼にはまっていく道になってしまう。

 日本は日米安保協力堆積積極的にかかわって、米軍と自衛隊の共同行動を進化させている。だから反撃の目標とされる十分な条件をもっている。北朝鮮の態度を見て仕方がないこととしては、日本がかつて通ってきた暗い道にまた入っていく。治安維持法を直接知るわけではないが、国会に出された同じ性格であるものであることは予想がつく。戦争に反対する「輩」を取り締まり押さえつける意図は過去のことではない。「戦争はダメ」といまいうべきところ、その声はまだ小さいように思う。

2017年4月11日火曜日

海に春が来なくなった!?

 地上では見事な桜があちこちで、やっと咲き誇るようになった。天候不順の要因はなんとなく温暖化を疑るが、寒さ暑さがずれこんでいることの影響は大きい。

 春を告げる風物詩といわれているコウナゴが伊勢湾、三河湾で今年も禁漁。播磨灘、大阪湾で不漁だという記事をみた。コウナゴは30年も不漁になっているとのこと。コウナゴをとって40年以上の漁師さんは、今は心騒ぐ季節で「春の始まり、正月の始まりだ。自分たちにとってはコウナゴが出てくるのは、長い冬の間待っていた春の始まりだ」と話している。

 この原因も温暖化が主因の海流への影響が言われている。愛知県水産試験場では、「2つの大きな要因が重なった結果。冷たい水を好むコウナゴは、夏に冬眠ならぬ「夏眠」をする習性があり、伊勢湾の入り口で砂に潜って水温が高い夏を過ごす。しかし去年の夏は、この海域の平均水温が平年より約2度も高い状態が続き、夏眠中のコウナゴが衰弱し、数が減ってしまったもの」と分析している。(2016.3.1東海2016.3.1東海NEWS 

 確かに水温や水流(潮流も)の変化によって、魚の食餌、移動、産卵、生育は相当影響を受ける。それに「漁獲」という圧力を受ければ、たまったものではないだろう。京浜運河はハゼ釣りのメッカだが、釣り人の多さからその付近のハゼが少なくなるという現象を体験した。どういうわけか、「圧」がかかると魚が「寄らなくなる」という現象が確かにあるようだ。

サイト< The first one海や釣りを楽しむすべての人へ>は、釣り人の視点もあり、面白い。

2017年4月10日月曜日

魚が獲れないぞ~様々な魚が…

 漁業技術も船の大型化やIT技術を使って飛躍的に進み、「効率的」に魚を獲れるので、「資源量」が枯渇するまでは、心配なく獲りまくる。日本はここまできても特に、調整が必要という態度をとっていないらしい。国家間の漁業調整に消極的、後ろ向きでいいのか事情に疑問だ。これも大手の漁業会社の意向が大きいのだろうか。

 よくいう「資源」という言葉も、ナリワイからみての言葉だから消費者や自然人としての見立てからすれば正確ではない。生態系にゆだねて生きている生き物なのであって、特別に人間の食に「貢献させているもの」だ。特に現在は容易くマグロでもなんでも「おいしいもの」が口に入れられるから、その求めに応じた事業が盛んに維持される。

 要求が先なのかどうかは一概に言えないが、生活に心配のない人間であれば、マグロがなくても必要なだけのカロリーは十人分に摂取しているだろう。その「資源的思考」から脱する必要はないのか。人の食に資するものとして、あがめられればいいわけでない。

 大量消費社会が目的化されて、流通方法も「発達」した今は、手で釣った地物の魚が店に出回るなどということは、なくなった。港に水揚げされた地物は、その場で売り捌かれるくらいの程度だ。だから魚屋さんが我が近所では絶滅した。売れ筋の魚だけというスーパーでは、食べる魚種も限られてくる。地物の魚も人のカロリー量としていいものになってしかるべきだと思うのに、すでに追い出されてしまった。

「初期資源量(漁業が無かった場合の資源量)の10パーセント未満で増減を繰り返す太平洋クロマグロ。現在の資源量は2.6パーセント(1.7万トン)。大西洋は推定資源量65万トンです。太平洋の40倍。」という。

真田康弘氏:マグロで玉砕外交を続ける日本(7分52秒)





2017年4月4日火曜日

魚がいなけりゃ釣りは成り立たない

スリランカの釣り

 桜の開花時期を迎えると、水が温んでくるから釣りもシーズインとなる。テレビ放映でスリランカの海岸で釣りをしている場面がでてきた。番組はネコの写真を撮り歩く趣旨のものだったのだが、波打ち際に木の枝を立ててその木に上って釣りをするところを背景にしていたので、思わずスマホで写真を撮ってしまった。海岸から23メートル程度はなれたところに、「ペッタ」と呼ばれる竹馬のような棒を立てて、そこに登り、エサもつけずに糸をたらして釣りをするのだとか。潮が満ちてくれば相当の水深になるが、また引いていくときまで、そこに乗ったまま釣りを続けるわけだ。「竹馬漁」と表しているものもあるが、この釣りはエサをつけないで釣るらしい。それほど魚影が濃いということになる。

 これとよく似たものが日本でも「脚立釣り」として60年前に存在していた。能登半島のどこだったかは忘れたが、木を組んだものが残してあったのを見たことがある。記録として観光用に残されていた。戦後の高度経済成長期に東京湾奥で湾岸の埋め立てが無謀に進められて、千葉県浦安や長浦海岸で初夏を楽しんだ「アオギスの脚立釣り」はなくなってしまった。

 スリランカの漁法をみると、これは日本でも漁法としていたものだろう。江戸時代には東京湾のいたるところでこの風流なつりが見られたらしい。アオギスの生息環境がなくなったのは、それだけ生態系が壊されてしまったことによるものだ。当然にも東京湾の漁獲量は減少の一路になり漁業者は激減した。かつては豊饒の海と称された東京湾は、埋め立てで甚大な影響を受けた。

 60年前には、海岸にでればどこにでもアサリは湧いていたし、今は絶滅危惧種になったハマグリも生息していた。潮干狩りの業者がアサリは撒いて、日数を置いてから客に獲らせていたが、アサリは撒いてから獲るもの?と子供心に思っていたほどだった。埋め立てによって、大部分が改変されてしまったうえに、「公害」で痛めつけられた結果は、アサリのタネをほかに求めて、海に撒いて育てるようになっていることにも現れている。

 神奈川県水産技術センターの主任研究員をされている工藤孝浩さんが、「東京湾は日本で最も人間に痛めつけられた海」と、魚の生息環境を取り戻すためアマモの繁殖活動を続け、また啓発活動をされている。一度壊してしまった自然を取り戻すのは容易なことではない。アオギスの養殖放流によって復活を図ろうという試みもされたが、うまくいっていないらしい。アオギスの脚立釣りを復活させようという催しが20149月に木更津で実施されたとのことだ。結果がどうだったかはわからないが、釣り文化の継承が意識されていることはうれしい。

→東京湾は日本で最も人間に痛めつけられた海と語る工藤さん

→アオギス専用の竿写真あり

→脚立づり復活

2017年3月31日金曜日

桜開花を邪魔する野暮なやつ

 息子から仕事が忙しくて家に帰れないから、着替えを持ってきてほしいと連絡があった。睡眠もあまりとれずに、それらしき手当もされずに仕事をしている。身体のことを考えたら思い切った決断をした方がいいと、話はするもののもうひとつ先の結論がでていない。

 「一日8時間週40時間の例外」を野放しになるということ、他人事でない。「小規模事業所」ゆえ雇用主の責任だけではないと思うが、日本の「力」とはそんなものなのかと思うし、株価が上がればいいみたいなことで、よろこんでいればいいということにはならない。

 着替えを渡しに行ったついでに、市ヶ谷辺りの桜を見に行った。このところの低気温で、つぼみが固いものがほとんどだが、ちらりほらりと開いているものもあり、目を楽しませてもらった。歩いている人もちらりほらりだった。今期は遅れているが、時がたてば必ず咲くのだから心配はない。世の中のほうは、なかなか「開花」とはいかないようでも。







2017年3月25日土曜日

♪どんなにじょうずに隠れても♬

ひよこがね
お庭でぴょこぴょこ
かくれんぼ
どんなに上手に隠れても
黄色いあんよが
見えてるよ
だんだんだーれが
めっかった
(「かわいいかくれんぼ」中田喜直作曲)

 そのご婦人がこんなにかわいいというわけではないが、籠池氏証人喚問をみていて頭に浮かんできた童謡。「♫どんなに上手に隠れても…」の詩は本来の意味が違うとサトーハチローが怒られるかもしれない。幼くかわいいというところだけをちょっとだけ使わせていただいた。廃止された教育勅語に涙し、とりまきには誠実実直さを振りまき、Facebookで反論を試みるなどみると、隠しているようで見えているよねという以外ない。

 便宜を図っているということは、どんなに隠し立てしても消えることはない。逆説でいえば「あった」ことだから。首相とマスコミの常設宴会や報道対策、ネトウヨを使った圧力もほころびが見えてきた。隠し立てはやっぱり都合が悪いことを見せないようにすることであることを、また確認しなくてはならないだろう。

 隠し立ては、暮らしやら健康やら財政支出やらをつかさどるお役人たちが、政策の名のもとで一定の部分だけに優遇を施すために必要なことだった。そのため動くものだと、このところの報道でも明確になってきている。「せっかくのマスコミ対策」も、隠しおおせるものでないということがはっきりしてきた。

 これほどまで貶められている当該お役人たちも、ある意味気の毒ではあるが、当該の財務省理財局長が国税庁長官に異動という、まるで劇的な変身も漫画チックというか、妙に絡んだことになっている。税を使う方から取る方へという事情は、「使わしてもらった分は、税をいただきます」ということかい?というアホなことを考えてしまう。必然なのか偶然なのかはわかりようがないが、漫画では使えるだろう。

 森友学園の「ああ青春の胸の血は」も愉快な話だ。無断使用をさておいても、いくら好きだからと言って「建学の精神で」他者の歌を使うって何だろう。うちのカミさん、追っかけファンなのでご立腹だ。自分でするものだと、全面批判をしているブログがあった。

→ 校歌には見学の精神が

2017年3月19日日曜日

山から下りてマキを運び、床屋に行くアナログ生活。

 岩手山麓にまたやってきた。上ってくるまでの道路に雪はまったくないが、山林が生えているところに入ると、圧雪されたところが急に現れて、轍部分だけが溶けて道路面がみえるようになる。国道のほうは、車が頻繁にエンジンの熱を吐き出していくから、すっかり雪はなくなっていて、やっぱりこの排気が温暖化に貢献しているのがわかる。

 家は床暖房があるのだが、零下から冷蔵庫並みの温度では、ちょっと寒さに耐えられない。しゃれこんで買った暖炉にマキをくべて、空気を温める。くべるのは97歳のオヤジの仕事になっている。山小屋程度の2Fはこのおかげで「南国の雰囲気」を味わうことができる。でも、最近は燃やすことに熱心のあまり、マキの消耗が激しい。それとマキの出来が良くないのか、なかなか火がつかなかったり、燃えてもすぐに消えてしまったりで、まだ部屋が温まらないだろうと、奮発しているからだ。

 昨日はそのマキが底をつきそうなので、山から下りてホーマックで購入することになった。ホーマックでも近くのところにある店には置いていなくて、町中の店まで行かなければならなかった。従業員さんが二人がかりで、軽自動車に運び込んでくれた。

 今日は床屋に行くというので、十数キロはなれた理髪店までで行くことになった。もしかすると、もっと近くにあるのではないかと思うが、以前に出前出張できてくれたところなので、気心が知れているということなのだろう。

 理髪に40分ほどかかるという言葉を聞いて、散歩に回ってくるとことわって外に出た。すぐそばに愛宕神社があって、山に向けて階段が見えたので登ってみた。「忠魂碑 山本なにがし」という碑があり、今は訪問する人もない寂れた社殿が静かにたたずんでいた。

 余った時間は山を下りてから北上川に向かって歩き、岩手山の全景が見えるところで、数枚スマホ撮影をした。北上川はたっぷりとした流れが、雪解けの水を運んでいた。理髪終了時間があと15分ほどになったので、理髪店目指して歩き始めた。











2017年3月16日木曜日

来月の写真展準備中 『非戦の誓い』-平和を守る思いを共に-

 ゼミの写真展が来月に迫って、キューバの写真を作品に使うことになった。13人の一員として参加するが、自分の作品がどんなものなのかの試されどころになる。『非戦の誓い』というテーマ設定で、このテーマになんの依存もないのだけれども、じゃあその写真はどんなもの?と考えていくと、なんだろうなとその難しさを感じたのが率直なところ。

 これまでやたら撮りまくってきた写真から、これというものを抜き出していくのは、自分の能力だけではできない。ゼミの人たちと講師の目にさらされて、「いいもの」(「それらしきもの」が正解かな)残していくことになる。写真家は何万人もいるし、そこに加わっていくなどということは、恐れ多くて考えられないことでも、結局そういう道のようなものがあるのだろうと勝手に思う。

 趣味の延長線上でいいと、飛び上がる気はそうないのだが、これぞと撮った写真の「評価」は気になるものだ。なんでもそうなのだろうが、なにかやった結果の纏めをやっておかないと、収めることにならないし、次の新しいことが見えてこないともいえる。気持ちはふうふう言いながら、皆に励まされてなんとか展示会が開けるのは、集団だからできることだとありがたく思う。

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非戦の誓い -平和を守る思いを共にー
日程 4月11日(火)~16日(日)
時間 10:00~19:00 初日は13:00開場 最終日18:00まで
場所 東京芸術劇場B1Fアトリエウエスト 豊島区伊西池袋1-8-1
交通 池袋西口3分

キューバの写真で参加します



2017年3月6日月曜日

情報を利用する、悪用できる材料になりうる

 以前に、テレビで放映された番組で、電車内での「痴漢犯罪事件」を冤罪として、無罪を確定させたとのことが放映された。電車内での「痴漢行為」が、実は冤罪であったという例はかなりあるようだと聞いているが、冤罪として取り上げて確定させるのは、弁護士にとって大変なことらしい。

 その放映では、弁護士が14件の冤罪を立証したとされ、同事務所の同僚からも、一目置かれているという。一目置かれているという意味は、金にならないということ。この場合、濡れ衣をかけられた方は大体普通の勤労者だろうし、ひっくり返すという地道な調査活動には、時間もかかるということだった。これでは正義は守られないと思うが、実際上は犯罪者として確定されてしまうというが多々あるということになり、暗然としてしまう。

 ところで、グーグルメールが届いた。グーグルマップ(アプリ)による、過去の立ち寄り先の記録を知らせてきたものだ。スマホを設定することによって、一日の行動をGPSによって把握して、どこからどこへ移動したかを、記録されるものだ。これはスマホとパソコン両方から参照、同期できることになっている。(下記地図は合計だけだが、日々の行く先立ち寄り先が、地図とルートとして別に記録されている。)(例=×月×日 何時何分、自宅→駅→立ち寄り先【飲食店など】→駅→何時何分、自宅着)

 記録は何月何日何時には、どこどこにいたという記録になる。わたくし的には何日かたってしまうと、さて?ということにならぬようにと思ってのこと。それと、写真撮影をしているときの場所を、おおざっぱながら記録として使えることも便利だ。

 しかし、このメールを見て気持ちが悪くなった。たとえ犯罪にかかわることなどありえなくても、「その日あの時そこにいた」との情報が外部に漏れていくとどうなのだろう。この情報収集が意図されていることを、利用しているのはどこなのだろうという疑問が湧いてくる。

 Yahooの乗換案内検索にしても、検索した履歴が記録されていて、次回に使うときには確かに便利に使えることもある。これも過去の記録としてなんらかの傍受があって、「悪用」されることがないのだろうか。


 立ち寄り先トータル


2017年3月1日水曜日

“森友問題”で雪崩が起きているのか

 2.28日刊ゲンダイが「森友問題でメディア怪獣…阿部首相らと中華で宴会」と書いた。

日刊ゲンダイ記事~~~~~~~~~
“森友学園”問題が火を噴き、国会で連日追及されている安倍首相。27日突然、官邸担当の記者を集めて、赤坂の中華料理店で懇談をしている。「これ以上、森友学園のことは報じるな」という圧力だともっぱらだ。~~~~~~~


 国会でも追及はされているが、やや歯がゆい感じもあるのに、大新聞以外は舌鋒鋭く追及をしている。鋭くといっても、それがごく普通だということは、韓国大統領への書きようでわかる。自由奔放に韓国の暗部を書き連ねたのだから、日本の政治についてもちゃんと書けばよいと思う。

 新聞社や幹部、記者が接待を受けては、記事に手心が加わるのではと誰でも想像する。ワイドショーでさえ、本陣を責めないで首相の答弁を長めに流す。NHKニュースがもっとも「手心」を加えているのは今に始まったことではないが、首相答弁の垂れ流しだ。だから視聴者も当然減っていくことになるわけだ。

 フジテレビの報道も少々変わっては来ている模様だが、周りを見ながらの取り上げ方では報道にはならない。こんな具合だから、週刊誌系が書いて、NETでのFacebookTwitterによる拡散が旺盛に展開されている。「共謀罪」を閣議決定するというが、「テロ」という文言さえなくなった。スマホ、携帯での通話も盗聴し、網にかけて犯罪に仕立て上げるということ。この目的が、今の状況に重ねられているのは違いないだろう。

みんなの目が届いてます。27日赤坂。
 がんばれ記者さん
記者さん、励まされてます
首相の宴会場で、「記者がんばれ!」

2017年2月28日火曜日

自然との共生は大事なテーマ

 建築家の安藤忠雄氏が出演しているテレビを見た。その中で共生についての話題があり、設計のときには念頭に置いて活かしているとのことだった。京都の高瀬川沿いに建築した「カフェ チェントチェント 三条店」は注文主を説得して、流れの際までテラスをせり出して作ったという。

 自然を破壊しているという実感からは、せめてものこととするしかないかと思うが、こうしたことがほとんど都市改造には活かされていない。先日ブログ書いた神田川、善福寺川も一部にその気配が残っているだけの、過去ものになっている。

 現在の河川工事は水害予防のためとはいえ、どれだけ配慮がされているのだろうか。昔は河原も広くあり、ドジョウやフナやその他水生生物がいたとのこと。その河原部分を土盛りして、人間の側がせ占めてしまったのだから、生き物が減ったりいなくなるのは当然だ。わずかに残る水草やらザリガニを食餌するカモ、ときおりシラサギが見られるくらいだ。

 キューバの図書館でみた、自然をないがしろにする人間のありようが痛烈だった。地球温暖化の大きな問題を抱えて、パロディにとどめておけないものを感じる。

 ここ3年通った高知の馬路村の安田川河川保全では、近自然工法が取り入れられていた。ここは観光のためという動機もあるが、自然を守るというくくりにいれておきたい。「釣りのため」というのももちろんだが、魚が釣れる環境がどんどん狭まっていることと、自然環境が悪くなっていくことは並行しているのが実感だから。

カフェ チェントチェント 三条店 
神田川
キューバで
高知県安田川

2017年2月24日金曜日

思いだして朝のウォーキング

 620分には目覚ましが鳴って、(昨日セットしておいたから当たり前だけど)伸び体操をしてから起き上がった。このところ時間がぐうたら生活になっているから、起死回生の一発だ。東京に帰ってきて、なにか急に「生活改善」を思い付いた。別に深いわけがあるのではないが、日照時間がどんどん伸びて春が近くなったことが原因かもしれない。実に自然の摂理にすなおに反応したまでのこと。

 変わったことをすると、大丈夫かと自分でも反問してみるが、後ろめたい悪事を働くわけではないから、一大事が起こっても恥をかくことはないだろう。資源ごみを置いてから、神田川を遡るいつもの、最近はさぼっているコースに足を向けると、毎年今頃咲き誇る早咲きの桜が目に留まる。年配のご夫婦が記念撮影をしているのを待ってから、スマホを取り出して2枚撮っておく。歩きながらついブログのネタを考えるのが、ウォーキング時の習慣で、犬の散歩時の排泄に似た現象になっている。

2017年2月21日火曜日

東京までの距離を感じる移動時間

 グーグルカレンダーに書き込んである予定表をみながら、落ち着きを見せている親父に、とりあえずできることは区切りがついたので、東京へ帰ろうかと思った。午前中までの様子もみてから決めようと、ギリギリまで盛岡発の新幹線乗車券のNET予約をしないでおいた。

 盛岡駅着までの余裕を考えて購入するのだが、午後はつなぎの銀河鉄道の本数が減るので、待ち時間が余分にかかる。東京→盛岡間で新幹線の早い方は2時間半だが、これにどうみても小一時間余計にかかる。新幹線や航空機を利用するときはどこへ行く際も同じだが、この余分な時間は馬鹿にできない。海外に行く時よりはよっぽどいいが、家から足を踏み出す習慣を気にしていると、なにをしていても落ち着かない。今日も結局自宅に着くまでは5時間を要した。

 岩手山麓でこのところずっと早寝気味だったので、朝早く目が覚めて「二度寝」状態。目を覚ました時にはもう昼かと思うほどの明るさだった。外を見ると前日降っていた雪がすっかり上がって、まぶしい光が青空を遮って差し込んでいた。今年の雪は少ない、降らないともっぱらの話題だったが、今冬一番の降り様になったとのこと。

 岩手山麓にいる間いろいろと学ぶことが多かった。終末は自分にもかかわってくることであり、だから無下にしてはならないし、されたくもない。何ができるかの自信はさっぱりないが、勉強しつつということになるのだろう。幸いなことに、高齢者問題に対する対応法は、身近な経験も結構あることだし、類する情報はたくさんありそうだ。来月また来るよと言って親父と別れた。




2017年2月19日日曜日

仙人になるにはまだ道が遠いけど、ロゴはどんなのがいいか

 人気(ひとけ)の少ない場所が、仙人になる環境の必要条件でも、それだけではなかなかすまない。人気が煩わしいという気ままなことで移り住んだ。いつか行く道の途中だから、生臭い身のうちでは山も谷もあり、滝に打たれるごとき修行がまだ続くことは覚悟しなくてはならない。動機が気ままなものだったろうから、うるさく言えば最終駅の想定を図式で描くことなどなかったはず。いやたとえあったにしても、日々の雑事か起きることも身体の変化も、単純であっても予定を超えて立ちふさがることがある。これは神が与える試練とでもいえばいいのか。(神は信じないがときどき使わしてもらう身勝手をお許しください)

 身の不幸を嘆くことは人ができることの一つだし、ウロウロと右往左往するのも人間ができる能力だろうから、噛み砕いて味わうのが仙人に近づくことになるのだと思うことにしよう。たしかにおそらくサルではウロウロすることもないに違いない。格調のある人間様として、品格を貶めることのないようにしないと笑われる。

 プレミアムフライデーなる代物がでてきた。政府がやることにつき、またぞろその結果どうなるこうなるという、にぎやかな報道がされた。有給休暇がとれて導入すれば時間ができ、買い物に行けるの、旅行に行くときには早くでかけられるのという、まことに単純な図式で持ち上げる。これで支持率増加に役立つというポチ的(尻尾を振る)内容だ。

 経団連だってちゃんと賃上げは別の問題といっているわけだし、やれるところがやっていけばいいということで、全体を底上げするような話にはなっていない。プレミアムとは上質という意味だが、このよくある「プレミアム…」の実態は、ほぼ割増金が伴う。プレミアムの意味は割増金ということもあるから文字通りのことになる。それゆえ格差を前提としている。

 プレミアムフライデーは政策でもなんでもなくて、やれるところが勝手におやりなさいよというのみで、働く人たち皆に処遇をよくするという代物でない。格差を持ち込むという「現世の当たり前」を、さも良いことのように描くというだけのこと。ご丁寧にも、これをやるのはもっと生産性を向上させることなのだという偽らないコメントもついている。例によって「ロゴ」を使う。

 そういえば「枯葉マーク」なる高齢者対策があった。最初のロゴは、あまりにイメージが貧困だったので、変更するはめになった。高齢者の足をどうするかという、根本の問題に迫っていないゆえに、今度は高者運転の事故が多いとの喧伝によって、自動運転の車開発に期待をかけさせるという誘導を行っている。車を売らんかなのためのミスリードで、車の運転をしなくても間に合う環境、有様からすれば、これも背中を掻くよりも効き目のない「無策政治」だ。これでは品格を保つどころでない。仙人になる道は、まだ当分先の話になってしまう。オリンピックのロゴも、盗作まがいの問題で替えられた。いまどき、ロゴも被害者に貶められる気の毒な立場だ。


2017年2月17日金曜日

人間の脳ミソのわがままな所作

 通帳紛失事件以降少し落ち着きは見せている感じだ。しかし「使い込まれ疑念」が晴れたわけでなく、今度は月々に食料品購買契約で引き落としになっている金額がおかしいと言う。それは取り寄せた商品の一覧表の金額合計と、引き落とし額を照合すれば簡単にわかることなのだが、「裏でやっている」みたいに真顔で言う。

 そんなこと言ってもあり得ないことと、こちらは簡単に理解できるが、本人が納得できない状況(「定期預金が無くなった!」ことへのこだわりなのか)はまだ続いているようだ。毎週の購入一覧表を照らし合わせてと、しっかりと保管してある一覧表を見ることにした。ところが、その一覧表、古いものは無くして(捨てて?)しまったと言う。なくなったというものが後から出てくることは、よくありうること。
これから先のものはちゃんと残しておいてそれで調べようと話して、この件はチョン。

 その後様子を見ていると、同じことは言わなくなっているから、少々落ち着きを取り戻しているのかとも思えるが、どうなのか予測はできない。

 ゴミ捨てに行った道で羽が落ちていた。見渡すと大きい尾羽もあるし、血の跡もある。さてはやられたかなと、スマホで一枚撮る。それをFacebookに載せたのだが、「岩手山麓、ゴミ出しの道で見た。大きな羽根も、落ちていた。自然界は厳しい。これは《「蚊バリ作りにつかえそう》という声も聞こえそう。非常な人間共め。」と書き込んだ。しかし後から、そのとき蚊バリ作りに使えそうと思った自分もあったし、喰われてしまったのは自然の節理の中でのことだったから、それを利用しようとしても、悪行ということではないと、今度は人間の側から都合よく揺れて、笑った。

2017年2月15日水曜日

なくなったペンライト、預金通帳がでてきた。

 前日夜に、いつも枕元に置いてあるペンライトがなくなったと親父が言うので、一緒に探したのに見つからなかった。それが、結局寝る前に布団の間から出てきた。親父のベッドの掛布団はいつも二つ折りできちんと折りたたんである。親父はこういうところは実に几帳面で、昔は「神経質で」とよく周りから言われたものだった。今になるとそれは貴重なことに見えてきた。だいたい自分のことでも、身の回りの物をちゃんと整理するということがどんどん面倒になって、「ここまででいいか」という誘惑に負けることが多々出てくる。だからテレビでよく放映するゴミ屋敷も、きっとそんなことではないのかなと内心思う。

 その持ち味で親父との会話がしっかり展開しないとしても、こんなことではないのだろうかと想像することができる。それが利点とまで言わなくとも、人のなりを知る一つの根拠になりうることだ。東京からここに着いてから、すぐに本人と話をすると、K銀行の定期預金が一つ足りない「使い込みの疑念」を話しだし、ずっと聞いていると、他の預金通帳もないのだといい始めた。「他の通帳」は一緒に探したのだが、ここにあるかという範囲では出てこない。本人の質(たち)からして、なくすはずがないのにと思いながらも、やむを得ず再交付申請に行くことにした。

 HPで預金通帳の再発行方法を調べたところ、当然ながらいくつか必要なものがある。本人確認のための書類や自分とのつながりを証するものも必要だろうと、委任状も作って市役所まで出かけ、戸籍と住民票を手に入れてから銀行にでかけた。親父本人の証明は「顔がわかるもの」は一切ないので、どうかと思っていたところ保険証だけで事が済んでしまって、いささか意外だった。それに親子の証明も口頭で済んでしまったので、思ったよりも簡単に手続きができた。地方ならではのことなのかもしれない。

 通帳とキャッシュカードは早けれ4~5日で郵送されるという説明を聞いて郵便局を出た。家に戻ってから、もし前の通帳が出てきた場合でも、それは使用してはならないこと、新しい通帳の印鑑など注意されたことをメモにして、親父に渡した。一段落したところで、部屋に入ってまたごそごそしていると思ったら、出てきて「通帳とカードがあった」と小さい声で言った。

 いくらか予想したことでもあったので、「そうかー」と言って内心慌てて郵便局へ電話を入れた。当日中なら取り消しできるということで、すぐに郵便局に向かった。印鑑だけ持っていけばいいだろうと、勝手に解釈して行ったところ、出てきた通帳とキャッシュカードを持参しなければ…ということだった。戻ってすべてそろえたつもりで、また普通預金の通帳を待たずに行ってしまい、再度取って返す羽目になった。

 無くなった通帳がでてきて預金が存在することが確認できたのだから、少なくともそれは使われていないということが明確に解って、親父の「誤解」の反証になって結果はオーライだったが、弥次喜多道中みたいな一日になってしまった。しかし、それで解決になったのかどうかは先の話になる。


2017年2月14日火曜日

岩手山麓の少ない雪

 極寒でもおかしくないところなのに、雪が少ない。盛岡市内のほうは、掻いた雪はあるが、道路にはまったく雪がない。親父が今年は雪かき(除雪)少ないと言っていたが、その話は、除雪車が来てくれないと受け取れた。ちょうど山麓に着いた日の夜に降ってきて、夜遅くに除雪していたのを見たので、そう話すと、そうかいという返事がかえってきた。

 預金がなくなっているという思い込みをして、だれかが使っていると妄想みたいなことまで言う。従妹から連絡をもらって、岩手に飛んできて親父の訴える話を聞きながら、通常の話では理解できる状態でないことを感じた。耳も遠くなっているし、話す言葉も不鮮明になっているので、こちらが話す言葉を慎重に選んで、伝わったかどうかを見極めてから次の段階に行く。そんなことの繰り返しが必要になっている。

 それで会話が進むと、本人の「誤解」も少しは解けていくのかと思っているのだが、それで一段落と思うと、また新な「誤解」を持ち出す。またその話を同じようにやり取りする。と、顔つきが和らぐように見える。いくらか納得したのか、聞いてもらったことで満足したのかという風だ。

 8時過ぎに風呂に入ったとき、遠くでサイレンが鳴った。サイレンの後に「…服装は…」と拡声器から聞こえてくる。家に帰らない人がいるのか…。時々こういった放送があるが、暗くなってから聞いたのは初めてだ。風呂からあがって、体が温まったので、懐中電灯を照らして家の近所だけ見てみたが、人気はなかった。

 寝たかと思った親父が、ごそごそと何かを探し始めた。枕元に置いてあるはずのペンライトがないとのこと。一緒に探してみるが見当たらないので、べつの懐中電灯を持たせて、明日探すことにした。


2017年2月12日日曜日

キューバに似合う言葉 その7

 陽気で明るいというイメージのキューバ。子供たちのくったくのない様子、どこでも聞こえるラテンの曲とリズムが、旅による気持ちの高揚によるものだとしたら、楽天的という言葉でもいいと思う。「楽天」の意味が天の与えたものとのと解すると、少々違うが、もうひとつ突っ込むとしたら、ノープロブラム(大丈夫だ いいとも オーケーだ)でもいいかもしれない。

 身体からしても「貧しい」というイメージはない(子供はスラリとした体格で、ある年齢になるとすっかり立派すぎる体格になる。公務員が多いがその賃金は高くないし、退職後の年金も少ないとのことだ。そのガイドさんが、もし食っていけないようなら、近所の病院で食べられると話していた。「最低保証」のしくみがあるわけだ。

 あちこち回ったなかで、ホームレスは見当たらなかったが、まったくいないわけではないとのことだった。ソ連崩壊による経済危機を乗り切って、年12%の経済成長を達成した。観光、ハイテク製品、医療技術(中南米に18000人以上の医師を派遣している)によってのこととされている。大学までの教育費無料により、識字率は先進国並みであり、ユネスコからも称賛を受けている。

 ギリシャのことわざに「愚かな王は、兵を集めて国を滅ぼし。賢き王は、智者を育てて国富ます。」とある。日本にピタリの言葉だが、「知者を育てて国を富ます」はキューバにも当てはまる。しかし、ニューリッチ階層が出現して格差が起きはじめていると言われている。これから先も楽には進まないことかもしれないが、それおも乗り越えていくだろう。(日本から見ると爪の垢でも…という気にもなる。)

丘の上のホテルに宿泊した折、坂の下にあるレストランまで歩いた。途中でどうも山火事らしい様子を見た。食事がすんで坂を上って行くと、消防車が一台と持っていた。言葉はわからないのだが、なにか話しているのに危機感がちっとも伝わってこない。まったくの想像だが、「あれはもうじ き消える」というような態度のようだった。

 翌日のバスの車窓から、雑草が燃えたらしき跡があちこちに見えた。よくあることなのだろうか。そういえばキューバにいた8日間、サイレンの音は聞こえなかった。